くる天 |
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TALES OF NIGHTINGALE |
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ブログの説明: 〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。 |
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「私はシャルリ」が意味したもの |
[”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア] |
2015年11月29日 19時11分の記事
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TPP、テロ他まだどれも書きあがってない、けど、取りあえず今回のテロを取り上げる前に前回一月のテロについて。
--------------例えば、お互いを良く知りもしない人物が、ある日突然現れて挨拶もそこそこに、あなたの大事な人、敬愛する両親や配偶者あるいは子供-------をろくでなしの放蕩、あるいは、あばずれの売春婦と罵ったとする--------
それでもあなたは心穏やかにいられるだろうか。
あるいは、
そんな人物と親睦を深めたいと思うだろうか。
あの襲撃事件以前、シャルリ・エブドは、再三に渡り、イスラム教下においては偶像化さえ許されない預言者ムハンマドやジハードを嘲るような風刺を繰り返していたという。
シャルリの当事者たち及び、事件後「私はシャルリ」と叫んだフランス及びその賛同者にとってはピアノブラックな漆黒のジョークであったとして、それが”きついジョーク”としてそれでも成立するためには、
そのジョークに揺らがないだけの、通常一般以上の十分な意思疎通と気心の知れた強固な関係性が必須不可欠であるが、そんなものがイスラム教徒とシャルリの間に存在していたとはとても思えない。
そもそもそれ以前に、ろくに知りもしない相手の、そのそれこそ文字通り神と崇める者・事を嘲笑揶揄罵倒するなんぞは、挑発侮辱以外の何物でもなく、既にジョークとは呼べないシロモノだろ。 その意味でシャルリのなした事は、冒頭引いた例と本質的には何ら変わらない最大限の侮辱と捉えられたところで文句は言えまい。
と思うのは私だけか。
自らの行動が、自分のみならず相手に取ってどのような意味を持つかを考える事、あるいは、少なくとも相手と友好を深めたいと思うなら、相手が心から大事にしている物・事をいきなり罵倒するような事は慎むべきであるのは、別に相手がイスラム教徒であるかないかに関わらず、ごくごく一般的な人間付き合いの基本のきではないのか。 まして文化コードが異なる場合は、尚の殊、当初の言動には慎重を期すべきであるのは言うまでもないだろう。
また、自分にとってそれが許容範囲であるから、という理由によってのみ、それを相手にも適用するのは、傲慢と迂闊以外の何物でもない。 キリスト教において厳格性や潔癖性がもはや過去の遺物であったとしても、それをキリスト教以外に自動的に応用する事はできない。
イスラム教徒でもキリスト教徒でもない一仏教徒の私から見た場合、残念ながらシャルリにこれらの配慮があったとはとても思えず、1月の襲撃事件は、これらの基本原則を迂闊にも無視した、というより、敢えて無視したがために起こったものであるならば、それは言論の自由やまして寛容の精神とは何の関係もないそれ以前の話だろう。
あのようなジョークは、別に対イスラム教信者でなくとも、それ以外の一般的日常的な人々の、よく知りもしない相手に対する行動としては、礼儀と常軌を逸脱した失礼千万な側面があった事は否めない。
なんでそれが表現の自由の問題だ?
なんでそれが寛容の問題だ?
よく知りもしない相手の、その後生大事にしている家宝に唾するような行為をしておきながら、それを嗤って受け流せって方が土台無理な話である。ましてイスラム教徒において、創始者ムハマンドは、文字通り偶像化も許されない神聖不可侵の神である。 それを下劣極まりない手法で、侮辱し貶める事は、その神のみならず、その厳格な戒律に基づき暮らしているイスラムの生活及びその信者らをも貶める行為に他ならない。
であるならば、フランスのみならずこれに呼応する全世界が、「私はシャルリ」と声高に連呼し、彼ら曰く”言論の自由を守るために連帯”したとする行動は全く適切ではなかった。
あの事後行動が、例え同胞にとっては、”言論の自由”への共感を呼び覚ますものであったとしても、イスラム国のみならず、イスラム圏の人々には、襲撃を受けた編集局それのみではなく、欧米全体が、
相手が心の拠り所とする者・事を公然罵倒するような極めつけの礼儀知らずを行い、のみならず、それを省みるどころか、当然の怒りに燃える相手を嘲笑にかかり、何が悪い、言論の自由だ寛容の問題だと見当外れな意味不明の理屈をゴリ押しする極めつけの無礼千万な野蛮人
と映ったとしてもある意味仕方なかろうと思うのは私だけか。
以上が一月のテロに対する私の見解であり、従ってなんであれが言論の自由だとか寛容の問題になるのか未だもってさっぱり分からない。 より深刻な本質的な問題は、それが異なる宗教間同士の意思疎通に貢献するどころか、妨げにしかならない点であり、それは今回の新たなテロによって裏打ちされたところだ。
メルケル氏もオバマ氏も、東のアベか西のアサドかと謳われる、 親の七光りただそれあるのみで首相の座にありついてるような独裁者自国民平然見殺しボンクラにして真正サイコ安倍というトンデモ規格外と比べれば月とスッポンだが、それでもあの時、一般人に交じり互いに腕を組み、「私はシャルリ」と唱和しつつシャンゼリゼを練り歩くメルケル氏他はさすがに救いがたいバカにしか見えなかった(因みに私の記憶違いでなければ、オバマ氏はスケジュールの都合とかで非難声明は出してもパリでのデモ行進自体には加わらなかった。) 勿論世界の名だたる政治家にしてこの有様なので、まして四国3D新聞やNHK(@御用)のようなこの国の場末メディア及び場末識者に上記を指摘したものは私の知る限りひとつとしてなかったのは、メディアもここまで腐る事が出来るその見本、腐りも腐ったりのこの国のオワコンメディアのその腐敗度に鑑みれば、ある意味当然ではあるが、かように物事を相対化できず、従って物事の本質を掘り下げられようはずもない四国3D新聞やNHK(@御用)のような、オワコンにも拘わらず人心を誤誘導に専念特化するブラックメディアの戯言に耳を貸す必要はどこにもない。
率直に言ってそれは、あなたの貴重な時間と労力を無駄にする以外、何らの効果も及ぼしはしない。
いくら侮辱され貶められたとしても、テロという手法が容認されないのは勿論言うまでもない。
しかし、チベットを見れば自明なように、多くの場合、テロという極端な暴力的手段は、それ以外の合法的かつ穏健な手段が全て断たれた時初めて、選択肢として浮上する事もまた、テロ事件を読み解くには絶対に忘れてはならないひとつの鉄則であり、それはこのテロ事件においても当てはまる。
「イスラム国のようなテロリストと話し合いは不可能」とする自称識者もいるが、個人的には少なくとも現時点では、全く話が通じない集団とも思えない。 仮に全く話が通じないのであれば、以前後藤氏ら拘禁の際、ここでも取り上げたように、仲介者を通じて一旦拘束下にあったトルコ総領事だかが解放されるような事が起こるはずもないからだ。 また本当に無差別テロであるならば、最も挑発的行為を行った風刺を行ったシャルリがまずターゲットになるはずもない。 今回一般庶民が利用するような場所がターゲットになったのも、全く理由なき選択ではないと考えている。そのあたりまで書いていると途方もなく長くなってしまうのでそのあたりは後日に回すが、彼らの行動には彼らなりの一定の一貫性と整合性が存在しているのであり、であるならば、「イスラム国のようなテロリストと話し合いは不可能」とまだその機会も与えないうちから切って捨てる自称論者どもには、説得力あるその根拠を提示する必要があるが、勿論そんなものを見たためしはない。そいつらには、ついでに、チベットの焼身自殺や自爆を図った人々に、一体それ以外のどのような方法があったのかもあわせ、「話し合いの余地なし」とする根拠を是非とも教えてもらいたいもんだ。
この機会についでに指摘しておくならば、テロにおいてテロの実行犯以上に最も狡猾かつ卑劣な極悪人は、彼らからテロ以外の手段を悉く奪い、自分は安全なところで、彼らをしてテロを敢行するよう仕向ける、実行犯の背後に控える目に見えない連中である。 そこには直接テロを教唆したもの、あるいは、戦争すら金儲けの手段としか考えない武器屋は言うに及ばず、これらと結託連動して、テロ殲滅と称して武力に訴える事しか頭にない政治家全般も該当する。 その中には、先の植民地時代、まるで食後のケーキでも切り分けるように、アフリカやアラブを分割して以降、一貫してそれらの地を搾取と略奪の対象としか見做さず今に至る欧米列強の指導者たち、そして、それら指導者に阿り、パリのテロを大々的かつヒステリックに報じる一方で、その欧米による中東での非道はまともに報じない非対称報道によってを一顧だにしない四国3D新聞やNHK(@御用)らブラックメディアも当然ながら含まれる。
何事においても、時系列のただ一点のみを切り取ってそれを拡大拡張する事は、単なる部分の拡大解釈に他ならず、それは、このような感情的な動揺を伴い、勢い、一時的な感情に基づいて短絡的な対処手法に終始した挙句、報復の連鎖に陥る危険を大いに孕むテロ事件においてはとりわけ慎まなくてはならない軽挙である。 時系列で物事を見るという鉄則が厳格に踏襲されない事は、これ以外にも、
長谷川幸洋「テロリストを共存共栄の原理で説得できないのはあきらかではないか。残念ながら「話せば分かる」世界は遠のいてしまった」 「フランスでは令状なしの家宅捜索や逮捕が可能になる非常事態宣言が延長され、さらなる法改正や憲法改正が検討されている。 日本も自衛隊の活用を含めた緊急事態法制の検討に本腰を入れるべきだ。残された時間は多くない。(早く早くっ!!!(笑笑笑))」(本日一面)
いつ、欧米がイスラム国に対話の機会を与えたというのか、この御用には是非とも語ってもらわなくてはならないが(笑)、いたずらに脅威を煽り、どさくさまぎれに今回のようなテロを軍備増強・国民の権利制限、ひいては更なる戦禍の格好の口実とすべく虎視眈々のこの長谷川幸洋とそれを堂々掲載する四国3D新聞のような低能扇動屋は言うまでもなく、その後ろに控えるサイコ野郎壺安倍をトップにいただく自称自民という名の売国独裁国賊ブラック政党の思うツボである事を、国民は何よりも理解する必要がある。
先日も書いたように、今回のテロ事件にあたり、ではどうすればこのようなテロを防げるかを自らの左脳で考え、それを行動に移す事は、ただ激情に任せてテロに握り拳を振り上げる以上に大事な事である。
まずはイスラム国の面前でこれを挑発して人質を惨殺せしめたのみならず、イスラム国に日本を敵対国として認識させるに最大の功績を果たし、他方、サミットや五輪で、テロに格好の場を提供し続ける、自国民平然見殺し壺頭真正サイコ安倍及びそのアジト自称自民という名の売国独裁国賊ブラック政党を選挙で叩き落とし、四国3D新聞やNHK(@御用)らブラックメディアを駆逐するところから始めなくてはならない。 こいつら外道の本質的なおぞましさたるや、テロそのものに勝るとも劣らないからである。
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