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「発展的解消」のススメが過去にあった
 
2014年8月29日 15時31分の記事

2020.9.25
 
桁が違う件(など) 手入れしました
1996が19996になっていたというのは

ガラケーの場合は 2度押しには力が要り
(わかると思い)

(疲れていた?とも思うことはでき)
(それか なにかとか)

しかし 
しかも 2箇所でしたからね


・・・・・・・・・・


(31)


このカテゴリにつきましては このあたりまでかもしれません


『現代神道研究集成』といった 「神道史研究」にまつわるものも
(平成10年ですとかに)神社本庁の企画で 出版されている様子で

「米国の国家神道観」といった項目もあり

大きな出来事などがあったときには 当然さまざまな角度からの検証がなされたり ということがあり

米国に限らず 他の国でも 国内でも 
神道に対しての見解 概念などは多々あるのでしょうけれども 

「(日本の)神々に守られている」から 負ける(勝つ)ことはどのような捉え方になるのか というような 心理なども見え隠れし

どのような意味合いで動いていて 外から見るとどうなのか など

そこまで(外側から)事細かに検証されるような機会は
そうそうあるとも思えず

批評されるということは チャンスと捉えられる面もあったのかもしれません



細かな流れや資料を整理なさった というのがいつ以来なのか
存じませんが

「校正恐るべし」という言葉がみられますので。。





守山先生が印刷機械を入手され 地道に打ち込まれることを続けられ・・
 
ライフワークとされていたことの重みというものも思い知らされます





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




(30)ここだけ文字の打ち込みができません
アルファベットとひらがなが混じってしまいます



・・・・・・・・・・・・・・・・・・




『古事記』などを大切にされている ということはあるのでしょう


先だっての「対談」では

「明治以降の宮中祭祀」がどうなったのか ということですとか

「国家神道の官僚宮司と会うと、話は真っ向からかみ合わないわけですよ。とにかく神社神道は建物、古神道は行道です。だから、行道宗教と言わないとしょうがない。あっちは建物宗教」

ということで

どのあたりに視点をお持ちなのかということは 
なんとなくあれなのですが 


       。


「神社本庁」に申し入れをなさった方が おられるようで 

(わたくしのことではなく)


ああ やはりおられたのか と 思うも 
そのようなことがあったとしても それきり。。。でしょうか?


数行ふれられているだけですので 詳細はわかりませんし
何より お名前で検索しても出てまいりません



今日 「セレブ」さんの会社での告発について 流れていますが
何かが浮き上がってきたときに 似たような消し方をする?

・・・ものなのかなあ とは    常々思うとりますが








『古神道・神道の謎を解く』(1993)
『古神道・神道の謎』(1996)より


【良医篠田義一の治療にみる神道的医術の奥儀 英知の神道、幻のH光線】

文章 阿基米得/サイエンスライター

「篠田義一」という方の足跡を辿られて 「証左」されたようす



その「光線」につきましては 以下の方のところで
比較的最近まとめられた文章がみられました


http://kemono666.seesaa.net/
article/261179883.html
【真のミソギ(霊注ぎ)とミニロゴストロン】

2006年4月号『ムー』より

“ホルシミス効果”を予言した篠田義一の神道医学
「H光線の秘密」

篠田は大脳科学の立場から、ミソギを徹底的に検討して結論を出した。これまでのミソギは、大脳新皮質の表面部分のみを満足させるだけの、ただの「修行」で、これまでのミソギは大切なことを無視してた。


というようなことで (ごく一部お借りしました)








この方についてのことを 

『古神道・神道の謎を解く』(1993)より
 


<現代に甦るか、篠田の神道的医術>というあたりから



 H光線発生装置は単なる機械ではあるが、それは私たちに便利や快適を与えてくれるような機械ではない。もちろん病気なおしの装置ではない。この装置は、私たちの来たるべき身体・知性の新しい働き方を刺激し促すものである。
 
 それは「人に頼んでもできないことは、じつは自分自身のできることである」というまるでコロンブスの卵のような、そしてあまりにも普通であり当然である事実を20世紀にみあった形で具体的に表現する装置である。それはなた錬金術的医術の現代的更新なのである。

 そうして医者は、患者の病気の局所を外側から修理することはもちろんだが、さらに患者が自分自身で病気を内側から治すよう、実習の手助けをする。ほんとうに必要なのは名医ではなく良医なのである。このような立場の医術を、篠田は神道的医術といい、さらにそれを医道とか患者の医術といい直している。

 だがなぜ彼は神道的という言葉をいい直したのだろうか。それは20世紀の神道が、まだ新しい形に脱皮していないからである。神官だけが祭式行事をとり行ない、氏子はその御利益を受けとるだけという構造が定着しきっている。しかしそれはまったく無意味であり、このような形式的神社祭式は発展的に解消すべきだと篠田は主張する。

 患者の医術に対して氏子の神道と名づけられようか。篠田はこのことを自ら爆弾的提言、あるいは警告と称して神社本庁に申し入れてまでいる。もちろん医学的正当性を付加してのことである。


(この文章は AZ「神社の超科学」1990年5月号に掲載されていたものの一部です)






内容はわかりませんが そのような機会があったのにね と思われ・・





96年版は成増図書館のもので 
線で囲ってあったり 波線も引かれていますので その部分を・・


「病気は医師に治してもらう。医師がだめなら宗教家あるいは治療師に治してもらうという、よくありがちな依存的態度は、きっぱりと拒否される。ここのところが大事だ。H光線を浴びれば難病が奇蹟的に治るというようなものではない。治るか治らぬかは患者しだいであろう





(このテーマの)二誌の内容は ほとんど同じで 締めくくりだけが異なります


『古神道・神道の謎を解く』(1993

「つい先日、東北大医学部で、患者に低線量放射線(10ラド)を照射するという画期的ガン治療法が開発された。放射線が患者の免疫能を高めたものとされている。放射能泉のガンに対する効果にヒントをえたものと思われるが、同時にあの幻のH光線を思い出させる大ニュースであった」

というあたりが


『古神道・神道の謎』(1996)より

「最近、10ラドの低レベル放射線をあびた人は、あびていない人よりも一般に、健康状態がよい傾向にある。進化の過程で獲得した、環境に適応する体の英知が、放射線に刺激されたと考えられている。
 また節制さえすれば、放射線をあびたほうが健康になるとさえいわれている。篠田の幻の療法は、まだ消えさってはいない。再び評価される日を待っているのである」

というふうに





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