国税、地方税、各種公的費用はどこまで汚れて行くのか | |
[宇宙連邦評議会決定「天法」] | |
2006年8月6日 0時59分の記事 | |
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かつて、年度末になると、全国で一斉に道路工事が始まっていた。 今では、ある程度セーブはされているが、ほとんど変化はない。 これは、それぞれの管轄において、1年間の予算を使わなければ、次年に同様の予算が巡って来ないためである。来年度もいかにして、多く予算取りをしていくのか、そればかりであり、あらゆる部分において必要に思われない多額な費用が使われていくのである。 公共施設においても、ここまで必要ではないという部分があり、完成した後に、何故か第三セクターに譲渡されている場合もある。 例えば水道管の工事などは、ひとつのマンションが増えたり、世帯が増え、ある程度の人数に合わせて、水道管のサイズ基準が存在しているが、人が増える度に、道路を堀り、水道管を交換しているのである。これからもっと増えるであろうと予想をたてて、ある程度のサイズを最初から用意すれば余計な経費を使わずに済むのである。 また、東京都内の都心部のある交差点においては、半年に1度は横断歩道部分のコンクリートが交換されている。これは、アスファルトが疲労するからという理由となっている。しかし、同じ場所では、水道管、電気、ガス、地下鉄などの工事なども入るために、2から3カ月に1度は掘られている事になるのである。公共道路の工事は、ある場所では、1m×1mのサイズにおいて、1日の経費が100万円と言われている。 工事は1日で終了する事は少なく、数日かかり、また1カ所だけではなく、全国のあちらこちらにて行われているのである。これらの工事の中のどれだけが本当に必要な工事なのか、検討もつかない程、杜撰になっているのである。この様に、日本は、あらゆる場所において、無駄な部分に多額の費用を導入しているのである。その一方で、必要な部分への導入が少なすぎるのである。 肝心要な弱者に対する措置が低すぎ、高齢化社会対策も万全ではない。少子化問題にも未来を見据えての対処が全く成されていないのが現状なのである。 平成17年度の、国民年金の老齢基礎年金受給者は、1カ月の支給額が66,208円となっている。現状の物価の中において、この支給額で高齢者が生活をしていけるのか。病気で病院へ行けば、ある程度の費用がかかり、介助が必要になれば、それなりの費用がかかってくるのである。介護保険はあるが、支給の難しさ、手続きの難しさが壁となり、かなりの人達に影響が出ているのである。 病院にて、介護保険担当の市町村担当者と面談となった場合、ある程度の返答が本人に出来てしまうと、それだけで、介助のランクが下がってしまうのである。面談だけで、決まってしまう部分が存在している事から、早急に対処が必要なはずである。高齢者の介助を高齢者がする事となっている現状が多々あり、残念なニュースとなる場合が増加しているのである。これからも、生活していく上で、どうにもならない現状となり、法の壁の厚さに、立ち向かっていく気力も無くなってしまうのである。もちろん、本当に必要な人達なのか、ケースを見ていく必要はあるが、高齢化社会となっている今、国家予算から、改善しなければならないはずである。 更に、自分には、国民年金だけではなく、厚生年金もあるからと安心している人達も多数存在しているが、厚生年金も膨大な数に分散されているのである。ひとつの厚生年金組合が潰れても、周囲からの支援はどれだけあるのかは、当てには出来ないのである。あちこちの厚生年金組合は合併、吸収されて、かろうじて維持しているからである。すでに、あらゆる部分において、過剰に負荷がかかっているのである。 この様に高齢者の問題は、家族だけではなく未来の子供達への負担があまりにも大きくなりすぎるのである。仕事をしても、年金の支払い、介護保険の支払い、これから高額となる消費税の支払い等支払う費用が多すぎ、生活にゆとりが持てなくなるのである。国家予算として、これから予算を導入すべき場所は未来を担っていく子供達のはずである。 子供達へ、自由に選択をし自由に教育を受ける義務と、未来への希望を持たせて上げなければならない。現状では、軍隊と化している学校において、国家に背かないというコントロールを受けてしまうからである。学校の教師達もそのコントロール下にあり、コントロールからの離脱が非常に難しくなっているのである。 この息の詰まった軍隊と化している学校の中で、本能的に学校が合わない子供達が増えてきている。この子供達こそ、未来への打開策を唯一持っていると言っても過言ではないのである。この子供達は、そのほとんどがホームスクール、フリースクールの中において、自分の意志で自分の個性を活かす学びの中に居るのである。公的な学校に通っていれば、普通の諸経費ですみ、周囲の子供達と同じ集団生活のため安価に済むのであるが、ホームスクールの子供達は、自由に学んで行くために、保護者に負担がかかっている現状がある。 法的には、義務教育期間においては、子供達を尊重し、自由に学ぶ権利があるはずなのであるが、学校側、教育委員会側などは、論点をすり替え、保守に走るのである。国家予算では、義務教育期間の子供達は年間で1人ずつ、予算が組まれている。学校にその1人1人の予算は支払われているはずなのである。しかしながら、ホームスクールの子供達には、その予算は廻らない現状がある。 予算がありながら、その子供に使われない現状がある上、子供達に教育を受ける選択の自由がない点、選択の自由をもたらす予算は投じられていない事実がある。高齢化社会、ロボット化社会の未来が待っている中において、オリジナリティがありあらゆる応用、工夫が出来なければ、未来では生き延びては行けない現状が待っている。その未来を見据えて、子供達には、未来が楽しく、愉快に暮らして行ける様に、工夫し、個性を活かしていける学びの場を提供しなければならないのである。 そして、教師達も学ぶ必要があり、教科書通りの学びではなく、自由な発想が生まれて来る教育者、人生の先輩となる教師が必要になるのである。現状では、国家システムそのものが変わらない限り、何も変わらないのである。
■□■□■□■□■□■□■□■□■ 日本スピリチュアルヒーリング協会 http://www.meraina.org/ ヒーリングショップ天香 http://meraina.ocnk.net/ ■□■□■□■□■□■□■□■□■ | |
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