仲間の死 | |
[diary] | |
2007年6月11日 16時51分の記事 | |
不快に感じる方は閲覧しないことをオススメします 今日のHR(ホームルーム)で隣のクラスの女の子が死んだことを知らされました。 喋ったことは一度も無かったけど同じ学校の仲間だったからとても悲しいです。 それからは授業が身に入りませんでした。(授業といってもテストの返却なのですが) 命とは「何者」なのでしょう。 僕の生きてきた短い時間ではわかりません。 きっとおじいちゃんになって、死ぬ直前に分かるのだと思っています。 無くなった仲間の分まで精一杯イマを生きようと思います | |
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1. †時のみなもと† 2007年6月11日 21時33分 [返信する] コメントありでした。 命とは何者か。そんなの簡単です。自然のごく一部です。しかし、身近な人が死んでしまうのはとても悲しいことです。先ほど言ったように、自然のごく一部ということは、人はいつ死んでもおかしくないわけです。ただ、私たちの身の回りが「死」というものを避けて生きているからです。私が調べた中では、3秒に一人5歳になる前の子供が死んでいるそうです。命というものが何者かもっと知りたいのだったら、アフリカについて調べるといいと思います。特に、見ただけでは答えは見つかってきませんが、だんたんと見えてくるはずです。 私も、同じ高校に入ったばかりなのですが、いろいろとアフリカなどのことを調べたり、見たり、聞いたりしてきたなりの意見です。だから少しでも多くの人が、少しでも今地球で起きている「死」の現実を見ることで、多くの「死」を避けられると思います。 話が少しそれましたが、「命」を知るのだったら「死」を知ってください。それだけでだいぶ見方が変わってくると思います。
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