怒りのエネルギーから愛のエネルギーへのシフトチェンジ | |
2013年5月11日 20時59分の記事 | |
ちょっと振り返ってみます 昨年の12月に瞑想中マントラが聞こえ 数日後、ルシフェルさんに世界の終わり(ずいぶん前に見た自分の夢)を見せられショックで意識を無くした それからすごいスピードで自分と向き合ってきた なぜだかわからないけど「宿題」がどんどんやってきて こなしていっただけなのだけど その宿題がどこからくるかもわからない 今もわからない 宿題はやらないわけにいかなかった やらないと溜まる、溜まるとこんがらがってもっと面倒なことになる だから毎日やった、余裕があるときには予習、復習もした 今考えると、ため込んでいた、人生の宿題の山だったのだろうね あたし自身は自分の見た夢のように世界が終わることが恐ろしくて 同じようにして突然やってくる宿題を必死でやった とてもラッキーなことに仕事をやめ、家事もできない状態だったので、布団の中で宿題をやることに専念できた これはいつものようにあたしが望んだのだ(望みを引き寄せるのは得意) 精神の成長を進めたいと思っていたから ただ、あんなにハードに急ピッチにやることになるとは予想外だったが、今しかできないから、これもラッキーだったのだ いや、そのときのあたしがやるべき「役目」だったのだ 必然、ありがたい必然 あたしのエネルギーは「欲」と「怒り」だったことに気が付けたのもそのおかげ 名声、権力、お金の欲求は数年前に満たされ、そしてむなしさも知って手放してはいたけど 自己顕示欲と称賛されたい欲求がまだ強かった 怒りは常にあった、おかしいと思うと我慢できずに攻撃した 暴力的に理解を求めるパフォーマンスショウ、ノイジーなDJ、アンダーグラウンドなバー経営や、攻撃的な活動のもろもろ それは徒労に終わった、自分の影響力を過信して、人々に気づきを求めていたのだ そして疲労して仕事を含む一切の活動をやめた (あたしにとって仕事とは人生のテーマにリンクするものだ、活動の一種なのだ) 当たり前だ、他人はそんなもので変えられない みんながあたしに期待していていたのは刺激的なただの遊び、気休めだったのだということにも気づけた それはそれで今のあたしになら意義のあることだが、去年はそうは思えなかったのだ みんなの気休め、楽しみを造ることがその時の自分の役目だったのに、傲慢さゆえ気がつかなかった あるとき不思議な宿題の最中、地球の意識とシンクロできた 地球は悲しみを見せてくれた 地球は人間も愛していたのだとわかった ともにいてくれて、はぐくんで育ててくれている なのに人間は地球が悲しむことをする 怒り、欲は地球を悲しませる原因にもなっているとわかった またあるとき「愛」に出会った 愛はものすごく大きく、包みこまれて自我が消失しそうになった 自我は無い、自我は幻想だということは地球とのシンクロの時に知った、空(くう)を通してシンクロしたので 空(くう)を通れるということは自我なんてないということだと思った でもやはりその時は自我を失う覚悟はなかった ないはずの自我、でもあると思ってたよりにしている自我 おかしいけど自我を手放したらどうなるかわからない 怖くて逃げたが愛がどのくらいのパワーのものかがわかった それから探して探して、自分の中にぼんやりしていた愛のありかをつかみ エネルギーを欲や怒りから愛へとシフトさせた これはかなり努力した、今も努力している最中だ 大きな愛と出会ったときに、とりこまれるのではなく自分のエネルギー源にできたらいいなあとはおもったのだけど 大いなる光と同じく、その一部はちゃんと自分の中にあったのだ! 怖いものがとても減った 自分の霊感やその他のちょっとした力が異常なものではないと知ることもできて、認められるようになった ずっと認めるのは嫌だった、自然なことなのにね 科学や常識にたよっていたから、認めるわけにはいかなかった それは異常なことだと思って恐れていたのだ 正常でいたい、 正常とはなにかもわからずに、向かい合いもせず逃げていただけだった 向かい合わずになにもわかるはずがない 認めることができたら霊現象にも過剰に恐怖することなく冷静に対処できるようになった それまでは、全て無かったことにして逃げていた すべてを気のせいに そのパワーのほうが凄いwww 無駄なこと、あるものをないことにする 不自然なことをすると無駄に消耗するのにね ずいぶん楽になった つづく
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