くる天 |
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佐藤浩士 さん |
はるだいぱぱ@愚者の旅.com |
地域:兵庫県 |
性別:男性 |
ジャンル:暮らし ライフスタイル |
ブログの説明: マルセイユタロットの世界観の探求などを中心に日々の出来事や思ったことを綴った日記です. |
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細部と全体 |
[◆タロットリーディング] |
2013年6月27日 18時4分の記事
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「”神は細部に宿る”」という言葉があります. その出所に関しては諸説あるようですが,一般的にはドイツの建築家の言葉だとするのが有力のようです. ただ、こうしたある種普遍性を匂わせるような言葉というのは、有名無名をとはず表現こそ異なるものの色んなところで言われていることが多いように思います. それだけ、真実味を感じさせるものがあるのでしょう.
今日は、その「”神は細部に宿る”」ということについて私なりの考えをタロットリーディングと絡めながら述べてみようと思います.
さて、「木をみて森を見ず」という言葉があります。 これは、枝葉末節な細かいことにこだわりすぎると、全体を観ることが出来なくなることの警句として使われますが,これはタロットを解釈する場面においても同様のことがいえると思います.
キーワード的な解釈がこの例に当てはまると思うのですが,ある問題に対してタロットを展開したときに既知のキーワードがその全体像や問題にたいする示唆として適当ではないために支離滅裂でよくわからない結果となってしまうことがままあります。 展開されたカードを半ば強引に物語化することで、何となくつじつまを合わせたようなことは出来ますがどことなくしっくりこない感じというのは否めません.
この”何となく違う”という感覚は重要で、いったんその解釈を離れて展開されたカードの全体を見渡したり、逆にカードから問題そのものを見つめ直したりすることで見えてくるものがあったりもします. その見えてくるものとは,全体の印象であったり、個別のカードの共通する象徴から読み取れるものであったり、個々のカードに振られたナンバーの関連性であったり、また特にカモワンタロットの場合はカードの持つ視線を重視しますので視線と視線が交差する位置に来るカードや複数のカードがある特定のカードに視線を集中させている場合等はそれをキーカードとして見直して観ることも有効な手段となるでしょう.
いずれにしても、あることがキッカケとなって全体的な展望が可能となった結果、逆に展開された中での個別のカードの役割(意味)が分かってくることがあるのです. また、そのキッカケも展開されたタロットの中だけにあるとは限らず、問題(質問)そのものがヒントになることもあります. 極端な話、ふと浮かんできた言葉やたまたま耳にした言葉をキッカケにして分かることもあるのです. これなどは、よく言われるところのシンクロニシティですが、聞いた話では中国のある有名な占い師などは占いの結果出た卦だけではなくその時に耳に届いた音や言葉、目にしたものなどがとても重要な意味を持っていて、それをも含めて判断材料とするということです。 となりますと、意外とヒントはそこかしこに転がっているもので、それを邪魔しているのは思い込みや先入観であることが多いですね.
ですから、先述した「”木をみて森を見ず”」というのは一面正しいのですが,次のように言い換えてみるのも面白いでしょう.
木を正しく観ることで森が見えて来る
この正しく観るというのには二つの意味があって
一つは,言葉そのままで思い込みや先入観を捨てること. もう一つは、一本の木は単独で存在するわけではなくて周囲の木々や環境といった全体性の中にあって初めてその存在を許されるという実相を見るということです。
このことは、仏教で言われるところの”正見”に相通じるものがあって、特に禅の教えでは心を無にして”ただ見ること”をとても重要視します。 また、悟りを得た人の記述などを読みましても、箒で庭を掃いているときに跳ねた小石が何かに当った音で悟ったとか、鐘をつく音を聞いて悟ったとか、些細なことがキッカケで悟りという全体性の認識へと到達したことがよく書かれています. また、悟りのキッカケが”音”にあるというのも何かしら示唆的なものがあるように私には感じられます.
いずれにしましても、キッカケとかヒントなどの細部の印象が全体性への認識をもたらすということから考えますと冒頭の「”神は細部に宿る”」と言う言葉にも少なからず真実味が感じられはしないでしょうか。
しかしながら、タロットを例にとりますと各々の象徴やその意味をいくら積み上げてみてもそのタロットの全体性(本質)へとは至れないように思います.
全体性(Hole)の語源は神聖(Holly)にあるそうですが,存在の神聖さというのは、その存在を構成する要素の総和以上のものであると感じるところから鑑みましても、全体性というのは足し算的な総和からなるのではなく、存在として”次元的な飛躍”があるように思うのです. 結局のところ、全体性(神聖さ)への認識へと至るための次元的な飛躍を可能にするのは”直感や(直観)”ということになるのですが、その為には”正しく見る”ことが細部から全体性へと繋がる回路を開くように思うのです.
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