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【時代小説発掘】「風説堂流坊」 古賀宣子
[【時代小説発掘】]
2010年3月12日 11時53分の記事



時代小説発掘
「風説堂流坊」
古賀宣子


(「時代小説発掘」というコーナーができた経緯)



梗概:

二階堂ドットコム文面に時折のぞく素顔を拾い上げ、イメージして創り上げた作品です。

作者プロフィール:

古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。

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「風説堂流坊」
古賀宣子




一「乱れのない筆勢」


 昼下がりに見た屋敷が甦り、平三は両目を軽く押さえた。廻らした壁は目に沁みるほどの白さだった。
 思い直して再び坂道を下りていく。刈り入れ近い稲田のはるか先の林を覆う雲が、一部だけ朱色に変じている。
 二本榎の大導寺を出たのが暁七つ(四時)過ぎ。中原街道を二里ほど歩いてくるうちに、眠気もすっかり覚め、血の巡りもよくなってきたようだ。
 西側は街道に接して大池が広がる。平三はそちらへ歩みかけたが、反対側へと降りていった。南西に伸びた畦道の二丁ほど先に土塀があり、屋敷内はほとんど田畑で、東の角を果樹林が占めている。その手前の竹林脇に建つ板葺きの粗末な小屋が平三の棲家だ。敷地は一万坪あろうか。その他の建物といえば、似たような小屋があと一箇所と街道沿いの西角に建つ茅葺の小さな家だけである。
 藍色の無地木綿の小袖に伊賀袴の総髪姿は、生業(なりわい)を一見定め難い。総髪から遠出をした医者に間違われそうだが、肝心の医療箱を提げていない。
「おかえりなさいませ」
 井戸水を汲み上げていると、引き戸が開いて、眉毛の長い中背の男が柄杓を持って現れた。
「来ていたのか、蓑助」
 それを受け取った平三は、釣瓶の水を続けざまに掬った。
「うまい」
 弾みをつけて唸ると、腰に下げた手拭を口にあて、こぼれて濡れた咽喉元を拭いていく。
「そろそろお帰りのころかと、掃除を済ませたところです」
 田畑を耕している農夫だ。出かけるときは必ず声をかけていくので、留守の間に気を利かしてくれる。
 土間は水がめと、収穫物を入れる篭が数個重ねて置かれているだけである。
「一昨日、湯島のお屋敷に野菜を届けて参りましたが、大奥様から」
 といいかけて蓑助は黙って手紙を差し出した。
 平三はさる旗本家の三男だったが、元服をした翌年、事情があって勘当された身だ。
「お寺に立ち寄ろうかと思いましたが、急ぎの用事ではないと仰せでしたので、持ち帰りました」
 母は、蓑助がきたら知らせるよう、古くから仕える女中に伝えてあるらしく、留守の時を除いて必ず顔を出すらしい。
「それでよい。母上様はお変わりなかったか」
「はい。それより平之進様の身を案じておられます」
「平之進様はよせ。今の身分は大導寺の下男平三だ」
「しかし、大奥様は」その先を言いかけた蓑助を平三は手で遮った。
「寺男に身を落としてからは、発作のほの字もなくなったが、蓑助には関わりのないことだ」
 実は完治しているわけではないが、今の暮らしになって発作がそれほど苦にならなくなった、といった具合だろうか。
「そう仰言っていただくと、手前も気が楽でございます」
 蓑助は丸めた薄縁(うすべり)を広げ、大判の風呂敷をかけた布団を隅に置きなおし、文机を元に戻している。
「昼飯だが、例の二人が参るので、握り飯を多めに頼む」
「ああ、大導寺の」
 頷きながら蓑助が出て行くと、平三は手紙を懐にしまった。母の手紙はもう読まずとも分かっている。息災に暮らしているかに始まり、寺の修行はどうか、少々辛くとも乗り越えられれば、御父上様もお赦し下さるでしょうと続く。しかし、いつもこの下りで、修行から逃げた平三は読むことを放棄する。我が息子に、それ以下の暮らしを当てはめるなど、思いつきもしない。その辺が旗本の家に生まれ、旗本の家に嫁いで来た母の限度なのだ。はじめの頃は、世間知らずと侮蔑のこもった怒りすら覚えたが、四年にわたり、季節の変わり目に必ず寄こしてくれる手紙は、息子の身を案じ、望みを捨てるなと訴える乱れのない筆勢で、いつしか肩の力が抜け、素直に母の身を案じられるようになった。 


二「筋一本」


 陽は上り始めると早い。蓑助と話している間にあたりはすっかり明るくなっていた。平三は開け放たれた板戸の一部を閉め、そこに文机を移して早速書き物をはじめた。ここは蓑助一家以外誰もいないのは分かっているのだが、誰かに中身を見られるような気がしてつい陰を作ってしまう。
 御府内で集めてきた噂話を、一つ一つ半紙に書き留めていく。誰が、どこで、どのように話していたか。その風体は勿論、語り口や声音まで、平三の脳裏には刻まれている。書き記すことで、内容の軽重が改めて認識されていくのだ。
 町屋敷の一件と記して、平三はためらいつつ筆を置いた。しばらく腕を組み、目を瞑って首を回していた平三は、書きかけのものを箱にしまい、戸口へ向かった。行く先は池端である。
 中原街道は、海岸に沿って江戸に入る東海道の西側に位置しており、丘陵地を抜けていく要路で、その昔、徳川家康も通ったといわれている。
 棒手振りが茶店の前で野菜の荷を下ろし、息杖で天秤棒を支えている。こうしたほうが担ぎやすいし、棒を地面において汚すこともない。湯島の屋敷にいたときは全く目に入らなかった光景だが、ここへきて蓑助に教えられた棒手振りの知恵である。
 茶店の裏手の草むらに、平三は両腕を枕に仰向けになった。
 あの町屋敷の一件をどう扱うか・・。市井の噂話とは少々異なるため、それだけ書き手の任が問われることになる。世間に広まれば、どこぞの誰か知られていない太郎兵衛たちの悪さでは、収まらぬに違いない。
 点在する初秋の雲がゆっくりと流れている。考えがまとまらぬときは、空を眺めるのがいつもの慣わしだ。しかもこの場所に寝転んで、平三はどれだけ癒されてきたことか。あの修羅場で受けた傷だって同様だ。一年、二年と経つうちに、湯島での最後の場面を、少しずつ距離をおいて思い返せるようになってきた。
 息が出来なくなるほどの激しい咳の発作は、幼いころより起きていたようだが、父親の足音を聞くとその前兆が現れだしたのは、鉄拳を受けて以来である。きっかけは史書の暗誦にあった。繰り返し読んでも憶えられない三男に、堪忍袋の緒が切れたのだ。父は、昌平坂学問所がまだ林家の私塾だったころ、首席に近い成績を修めており、それが自慢の種でもあった。その上、長兄は父に劣らぬ成績で学問所を終え、次兄もそれに近かったから尚更である。
 ならば武術はどうだったか。これが学問に輪をかけたようにだらしなかった。木刀はおろか、竹刀を構えただけで咽喉元がむず痒くなり、咳き込んでくる。そうなるともういけない。咽喉が鳴るほどに喘(あえ)ぎ、気息奄々(えんえん)として床を転げまわるのが常だった。
 文武ともに望みなし。それが父の長嘆であり、怒りの源であった。
 そして、あの日、特別の朝を迎えた。
 その年の春、父は目付から御使番になった。しかも常の働きが認められたのか、家禄が百五十石加増されたのである。職禄千石と合わせて二千石の大身だ。しかしそれに浮かれてはならないと、父は書院に集まるよう家族に命じた。改めて先祖からの家訓を読み聞かせるためである。用人が恭しく桐の箱を差し出すのが分かったが、その時はもう正座ができないほどに苦しく、やがて突っ伏したまま咽喉を鳴らし続けていた。
「下がってよい」
 父のやや高めだが感情を押し殺したような声音が・・。
 自分を無視して始めてくれるのだろうか。それなら少しは楽だ。そう思って息を詰めた瞬間、怒声を浴びせられた。
「三河以来の徳川家家臣の家系に、泥を塗る気か。恥を知れ」
 父は背筋を伸ばせと強いる。
「そのようなご無理を。これは病でございます」
「そうやって直ぐにそちが庇うゆえ、心根が歪むのだ」
「何も好き好んで平之進も・・」と言いかけた母に「黙れ」と叱声が飛ぶ。普段ならそこで引き下がる母なのだが、その日は違った。
「あの症状のまま正座させては気息が詰まり、やがて絶えまする。それが分かっていながら強要いたしますのは、人を殺めるのも同然でございます」
「なにっ、仮病をつかう息子の味方をし、当主を下手人扱いするか」
 激しく衣擦れの音がした。父が膝を立てたのではないか。
「言葉の綾でございます」母の声音は落ち着いている。
「あのような者は、青山家の倅ではない」
「では何でございますか、私が不貞を働きました、とでも・・」
「それこそ言葉の綾というものだ」
「いいえ。聞き捨てなりませぬ。あの子は紛う方なき貴方様の種でございます」
「はしたない物言いをするな」
「では、どのように申せば宜しゅうございますか」
「ううっ」うめき声とともに何かが動く硬い音が・・。次の瞬間には耳を斬られるような冷たい音が流れ、息を飲む兄達の膝が僅かに動いた。
「私を代わりに」
 母が膝を進め、自分の前に塞がった。
 両親の余りに激しい攻防に、実は急に発作は止んでいたのだが、ここで立ち直っては仮病を唱える父を優位に立たせ、かばい続けてくれた母を窮地に追いやってしまう。それゆえ背を丸くし、発作が徐々に治まる振りをしつつ、途切れ途切れに訴えた。
「御家のために、私の抹殺を願い上げます」
「御家のためだと・・。初めての武士らしい言葉である」
「一寸の虫にも五分の魂でございます」
「愚か者が。それは平之進が己の意地を示して吐くものだ」
 そちが先回りしてどうなる。そうやって甘やかすゆえ・・。攻防は堂々巡りの様相を呈してきた。こういう時こそ、長兄の出番であろうに。そっと窺う兄の横顔は筋一本も動かず、視線を庭に向けたままだ。
「ええい、どかぬか」
 父は抜いた刀を鞘に収める機会を失っている。
 それを救ったのが次兄の一言だった。
「御父上様、御家が御取り潰しになります」
       

三「噂話」


 青山家の菩提寺である大導寺に入門するよう尽力してくれたのは母である。何処でも好きなように生きてゆけ。そう突き放す父を説得したのであった。暮らしに困り、博打や盗みを働くようになっては・・。たとえ縁は切っても家名を汚されかねないと。父が容認せざるを得ない方向へと導いていく。
 大導寺住職照円の前で、母は目頭を押さえ、時には嗚咽を交えながら、すべてを打ち明けていた。そんな母を有難く思いつつも平之進の心はどこか冷めていた。
 話が終わるまで、達磨に似た照円は視線を母の眼元から放さず聴き入った上で、おもむろに尋ねた。
「ご三男の育成をすべて任せて頂けますかな」
「それは、もう是非」
 母は両手をついてしばらく頭を上げなかった。
 その日から苗字を変え、浪人平山平之進となる。
 寺での暮らしは、修行僧とは別にされ、住職と寝食を共にすることから始まった。
「明朝、お住職は何刻(なんとき)にご起床なさるのでしょうか」
その晩、住職に倣って床を敷き終えたとき、平之進は訊いた。
「わしが起こすまで寝ておって構わん」
「しかし・・」
 いくら史書や漢詩の暗誦と剣術が苦手な病持ちとはいえ、住職より先に起きているのが礼儀ぐらいの分別はついている。ためらう平之進を、照円は正面から見据えた。
「昼間聞いたそちの様子は、あくまでも青山家の見方である。ここではわし流に扱うつもりじゃ」
「ご住職りゅう」
 両親、とりわけ父の評価にがんじがらめにされていた平之進には、思いも寄らない言葉であった。武士か抹殺か。自分が進む道はどちらか一つと思い込んできた。いや、思い込まされてきたが、抹殺の先に自分にも相応しい道が見つかるかもしれない。
「しばらくは、お言葉に甘えさせて頂きます」
 ごく自然に口をついて出た挨拶だった。
 だが翌日、本堂で経文を記した本を渡されると、咽喉元がむず痒くなってきた。漢字で埋め尽くされた誌面に眩暈を覚え、朗々と読経が始まるなり発作が起きた。住職の邪魔をしてはと本堂の隅へ這うようにして逃れ、家でと変わらぬ症状に苦しんだ。
「武士としての修行が、よほど重圧だったとみえるのう」
 発作が鎮まるなかで、温もりのある声音が染み込んでくる。 
「庫裏の掃除を済ませたら、好きなように過ごしなさい」
「とめ」と呼ばれている寺男に教えられた通りに、仏壇の部屋と寝室に茶殻を撒いて掃き、廊下の拭き掃除をした。その後、命じられてはいなかったが、布切れを借りて仏壇と仏具の乾拭きもする。箒を扱いながら、湯島の仏間で仏具を丹念に磨いていた使用人の手つきを思い出したからだ。
 昼食後、境内を散歩していた時である。裏の林を抜けたところに野菜畑があった。年配の顎の角張った男が葱畑の傍らの畑地に鍬を入れている。こちらに一度視線を向けただけで、誰何(すいか)することもない。撥ねる黒土を眺めながら、ゆったりと流れる大気に浸っていた平之進は、やがて本堂の前を通って山門を出て行った。
 翌日も、その翌日も、命じられた仕事は庫裏の掃除だけで、多忙な住職と昼間に顔を合わすのは食事時だけという日が続いた。そしてある晩、住職と自分の寝具を敷き終えた平之進は、不意に聞かれた。
「茶店はそんなに居心地がよいか」
 ややへの字に曲げた唇は、心証を害しているというよりは、笑いを堪えている風である。
「茶店といいましても」平之進は口を尖らせた。
「女人に入れ込んでいるわけではありません」
「気に入ったのは饅頭か」
「噂話です」
「うっ」達磨顔の住職は僅かに顎を突き出し、眉を歪めた。が、気を取り直して「どんな」と問うた。
「誰それの倅と何処そこの娘が昼間から林に入り込んで出てこなかったとか、何某は廓通いを覚えて野良仕事を嫌がっておるとか」
 倅や娘の名前から話し手の声音まで真似て語る平之進に、住職は不思議そうな顔をした。
「一編の漢詩も覚えられぬ、そちがなあ」
「面白いからです。参詣にきた客は普段の暮らしの箍(たが)が、ゆるむのでしょうか。村の噂話を愉しんでおります」
「平之進は、市井の真実を見抜く眼を持っておるな。これは学問に秀でておるからといって持てるものでもない」
「私も一つ伺って宜しいでしょうか」
「何なりと」
「毎日お忙しそうにしておられますのに・・」
「茶店通いがなぜ分かったか、と言いたい」
「別に誰かを見張らせておられた風もないですし」
「よいか。寺は檀家でなっておるのだぞ。それも、お武家様だけではない」
 煙に巻かれたような返事だったが、何となく解るような気もした。
「これも住職流ですか」
「まあ、そう思っておって構わぬ」
 その数日後、住職は改めて言った。
「寺には掃除番がおるが」
「とめさんですか」
「留守の留と書いて留十郎というが、その父親の源吉も」
「畑仕事をしている人でしょうか」
「鰓(えら)の張った男だ」
「あの人だ。顔の輪郭は違うが、たれ目がそっくりで、やはり親子だったのですね」
「よく見ておる。それはさておき、掃除番とは表の役向きで、実は隠密の役を兼ねておってのう」
「隠密」
 そう聞いて、先日来の漠然としていた筋道がはっきりしてきた。
「平之進もそれに加わってみるか」
「是非」と、思わず膝を進めた。
「但し、士分は剥奪されるぞ」
「構いませぬ」
 一瞬、母の顔が浮かんだが、湯島での暮らしに未練はなかった。
「お屋敷の方へは伏せておく。いつまで可能かは判らぬが」
 ちょうど折から定められた時期に行われる人別改めがあり、平之進は寺男平三となる。が、間もなく蓑助に平之進の変化を覚られてしまう。髷を落とし、厠の汲み取り口の周囲を竹箒で掃いている平之進に、蓑助は大粒の涙を流し、しばらく手拭で顔を覆ったまま肩を震わせていた。
「泣くな、蓑助。平之進改め平三は、心底から爽快ゆえ」
 それから半月も経たない頃・・。蓑助は青山家の抱(かかえ)屋敷に平三の小屋を建てることを申し出て、住職の許しを得ている。住職の用向きで玉川を越えるようなときは、立ち寄れるようにというのが、その理由であった。無論、湯島には通じていない。年に一度家臣が見廻りにくるが、収穫小屋と説明すると、中を調べようともせず、納得して帰っていくという。
       

四「摺りたての絵図」


「いつもながら旨い」
 味噌を塗った焼き握り飯を留十郎が頬張る。
「この香ばしさは味噌の塗り具合と焼き方ではないか」
 もう一人の客である弥源太は書物師出雲寺家の末子であるが、妾腹のため出雲寺姓は名乗っていない。書物師というのは幕府の書物方の御用を務める本屋に与えられている呼称だ。実は住職の照円は出雲寺家の遠縁に当たる。
 どちらも二十歳の平三より年長で、留十郎が二十七、弥源太が二十五になる。ともに噂好きだ。
「本日の柱は町屋敷の一件だ」
 半紙を丹念に繰っていた弥源太が、最後の一枚を取り上げる。
「しかし、よく見つけたな」
 内容を聞き、留十郎が他のとは異質だと唸る。
「いつぞや、弥源太さんに借りた武鑑と御府内の絵図ですよ」
 武鑑というのは、諸大名や幕臣の名前と家紋、そして役職名や石高などを記したものである。一定の間隔をおいて刷られることで、異動のあった者が書き換えられる。庫裏で、床に這いつくばるようにして眺めていたら、それも漢字だがと、住職に揶揄された。
「あの摺りたての奴だな」
「古いのと見比べていて、見つけたのです」
「持ち主が変わっていたのか」
「あそこは確か町屋だったはずですが」
「武家の所有になっていた」
「それで昨日、本所へ見に行きましたら、辻番をおいてない」
「上水の方は」弥源太の視線が鋭く動く。
 幕臣所有地になると辻番のほか上水の負担金が生じてくる。その辺を確かめるため平三は近くの居酒屋へ入った。
「角の屋敷だが、いつの間にか白壁に変わっているな」
 鎌を掛けると、居酒屋の親父が調理場から出てきた。
「何でも御旗本が買われたとか」
「しかし、辻番小屋がないぞ」
「それですよ。なかは留守番の爺さんしかおらず、さっぱり要領を得ないそうです」
 上水の負担金も未払いのため、町年寄が奉行所に訴え出ているが埒があかないという。
「名前は、判っているのだろう」と留十郎。
「青山東右衛門平昌」
「青山東右衛門とは、湯島の御父上様ではないか」
 弥源太が飲みかけの白湯を盆に置く。
「兄です。昨年末に家督を継いでいます。本所の町屋敷など聞いたことがなかったもので」
「例の修羅場で顔の筋一本も動かさなかった兄上様だな」
 留十郎が顎を撫でながら得心したように肯く。
「ああいうのに限って、役所では偉くなる」
 湯島での情景が甦り、歪んだ感情を抑えられぬまま平三は続けた。
「次兄などは一言多いと脇にずらされるのだろうな」
「世辞に長けていないのでは」留十郎が補って、話を戻す。  
「用人が命じられて動いたはずですよ」
「しかし用人も知らなければ動かぬであろうし」
 弥源太は腕を組み、口調を変えた。
「蓑助に頼んで、御母上様から下の兄上様に通してみてはどうか」
「次兄は私が家を出た翌年に、目付久米川家の養子になりました」やはり昨年家督を継いで、覚兵衛を名乗っている。
「それでは他家に知れてしまうな」
 弥源太は床に仰向けになり、留十郎は腰差の煙草入れを抜いた。
 平三も、池端でここまでは考え及んでいる。しかし、勘当された身が、この程度の行き詰まりで実家を頼るのも何である。真っ先に浮かんだのは母の心痛な面差しだ。自分の行いは結果として母を苦しめることになるであろう。その上、隠居した父の耳に達すれば、あの修羅場どころか、父は憤死しかねない。何せ自慢の嫡男である。不祥事とまではいかなくとも、決して胸を張れる行いではないゆえに。さりとて、このまま目を瞑っては、風説堂流坊としての矜持が許さない。道は一つ。自分さえ乗り越えられれば・・。
「ご住職に談じてみるか」
 弥源太が起き上がり、同時に留十郎が煙管を皿の縁で軽く叩いた。
「記しましょう」言うなり平三は、文机に向かう。

 本所中之江横川町にある元伊勢屋の抱屋敷を買い取った旗本青山東右衛門の町屋敷。未だ辻番もおかず、上水の負担金が未払いなのは、これいかに。      風説堂流坊

 続いて平三は写しを二枚とった。一枚は控えとして、もう一枚は住職に渡す分である。それは必ず守るよう命じられている。
「いいのか」筆跡を追っていた弥源太が念を押す。
「これを見逃しますと、さらに増幅していくようで」
「うむ。悪の芽は早いうちに摘むのが親切というものだな」
「では、こうしてはどうか」
 留十郎が人差し指を一本立てた。
「まずは、これを青山家の潜り戸に貼り付けておく。それで効き目がなければ」と、留十郎は指二本を示す。
「南北両奉行所に投げ込む。それが駄目ならば」と三本を示した。
「市井の長屋数十箇所に張る。但し、これでは硬いので、文面をもう少し和らげるのだ。少し尾ひれ、背びれをつけて・・」
 それは自分が書くと留十郎がいう。
「摺る方は任せてくれ」と弥源太。
        

五「お天道様は見ておられる」


 住職への写しは留十郎に頼んで、平三は半月ほど大導寺には戻らなかった。その間、遊んでいたわけではない。国境のさかい木まで川崎・神奈川・程ケ谷の三宿で噂を嗅ぎまわった。宿は川崎宿近くの寺で、住職同士が知り合いである。
 あの結末はどのようにでるだろうか。早く知りたい気もするが、最悪の事態を想定すると、かえって枠外にあって安堵してもいる。
 こんなことでは、噂屋としての修行も未だ道遠しだ・・。
 平三は首筋を叩きながら苦笑する。 
 稲を積んだ大八車が見られるころ、平三は大導寺へ戻った。山門を潜る平三に気づいたらしく、留十郎が庫裏の方から現れて、手招きしている。
「あれ、どうなりましたか」
「それが」留十郎は本堂を見やりながら声を潜めた。
「写しに目を通した住職に、しばらく動かぬようにと指示され」
 様子を見ていたところ、住職に分厚い包みを寺社奉行へ届けるよう言われたという。
「毎月二度必ず使いに出されるのだが、その中に例の一件も入っていたらしい」
「寺社奉行所ではなく奉行に届けるのか」
「そうだ」
「確か四人ぐらいおらぬか」
「ここは伊豆守、松平信順様だ」
「それで、未だ何らの沙汰もない」
 平三は話を戻す。
「一昨日、住職が、あれは落着したゆえ平三を労っておけと」
「では、安堵してよい・・」
 一呼吸おいて平三は息遣いを改めた。
「町屋敷の一件、狙いは的中したな」
 留十郎が、にっと笑った。
 その晩、だるま顔が平三を睨むようにして諭した。
「俺がしてやったと、声を大にしたいだろうが、堪えろ。そのうちきっと判っていただけるときがくる。お天道様は見ておられるゆえ」
「お住職、どうぞご放念を。平三は今が絶頂です」
 
                         
了 




最終編集日時:2010年12月14日 13時53分

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1. おしい!!!! 2010年3月20日 17時59分 [返信する]
 ここのボスとは、飲んだくれ友達だから、辛口批評ゆるしてほしい。

 この作品・・・・もったいない。

1:情景描写がうざい。もっとコンパクトに整理したい。
2:人間関係がわかりにくい。これは、時代小説の作法にこだわることなく、簡潔に整理できる。

 一番、効果的な方法。

 浪曲とおもって自分の書いた作品を、声をだして読んでみるといい。すなおに、音読できない表現が多数ある。
 これを、どんどん、修正もしくは、整理していく。
 はぎれのいい文章とは、基本は、5.7.5.7,7。
 これは、音読しやすい。
 読む方も、はぎれよく読める。

 オレなら、もう一度、書き直しを命じる。
 そうしたら、もっと読まれる作品になる。

 浪曲をきくこと。
 5,7,5,7,7というはぎれのいい文体をみにつけろ・・・。

 そうしたら、この書き手さんは、今後、いける。

 ここのボスにもっと、いろいろ聞け!
 聞けば、この人はいくらでも、おしえる人だ。ボスから、もっと盗め!

 期待する!!!!


 


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12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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