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女衒の流儀 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年10月12日 14時44分の記事


【時代小説発掘】
女衒の流儀
山田 英樹



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 江戸時代、末期。
 官軍の進撃が囁かれる江戸の街に、彰義隊へ加わり、死に花を咲かせたいと願う浪人・能谷 桑二郎がいた。
 彼が吉原の廓で一時の酒色に溺れた夜、奇妙な女衒・田吾作の噂を聞く。吉原の掟を破る客をこらしめるのが仕事の一つで、特に侍のあしらいがうまく、喧嘩になったら一度も負けた事がないという
 その戦い方が薩摩の示現流と何処か似ている事に不審を抱き、桑二郎は自ら田吾作に喧嘩を売るが……。


【プロフィール】:
 福島県会津若松市の生まれで、幼い頃から日本中を渡り歩く暮らしをして参りました。

 しばらくの間、シナリオの勉強に取り組みまして、挫折。
 皿洗い、引越しの手伝い、物置の設置等、様々なアルバイトを体験した後、五十を過ぎてから小説を書き始めて、今は自分の至らなさをひたすら見つめる毎日です。




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【時代小説発掘】
女衒の流儀
山田 英樹



 喧嘩の噂には尾ひれがつくものだ。
 ましてや、ここは吉原。虚が虚を招き、実を覆い隠す手管こそ良かれ、と持て囃す虚飾の里である。
 遊郭・左之屋の一室に仰臥し、能谷 桑二郎は、彼のはだけた胸に頬を寄せる遊女が、口を開くたび生じるこそばゆい感覚を楽しんでいた。
 元より話の中身はどうでも良い。
 汐路という、この気の良い年増が延々垂れ流す言葉の響きに、桑二郎は心地良さを感じていた。長い浪人暮らしで荒んだ性根と、剣の腕をひさぐ用心棒稼業の空しさを、同じく世の底辺で生きる女の体温と声音が一時いやしてくれる。
とは言え、嘘故の安らぎも話の中身によりけりだ。遊郭に屯する女衒の如き輩が喧嘩で武士と渡り合い、打ち据えた挙句、愚弄したとあっては聞き捨てならない。
「侍には負ける気がしないと、そやつ、嘯きおったのか」
 客の言葉に滲む微かな苛立ちに、その時の汐路は気づかなかった。
「あい、田吾作さんはあちき達の守り神でありんすから」
「女衒にしては土臭い名だ」
「そりゃ、本当の名前じゃないでしょうよ。下総のお百姓の出と聞きましたけれど」
「そいつは珍しい。元は百姓の身でありながら、同じ身の上の娘を買い叩く稼業をしているとは」
 汐路は、ちょいと棘のある眼差しを桑二郎に向けた。
「旦那、この街に住むお人はねぇ、皆、それなりの事情を抱えてるんでありんすよ」
「怒ったか、汐路。客より、女衒の肩を持つのだな」
「そんなんじゃないわ。でも、田吾作さん、女衒だけが生業じゃないから」
 汐路の話によると、吉原で女衒を名乗る者は近江屋という3代続く顔役の下で一つの組織を成しているそうだ。
 女衒の他に女賤(げせん)という呼び方もあり、街の鼻摘み者や島帰りがつく文字通り賤しい仕事と町民の間ではみなされている。その分、横のつながりが強く、横紙破りには厳しい制裁が下されるらしい。
 狭く閉鎖された職域なのだが、田吾作という男は如何なる女衒の寄合にも属していない。
 敢えて言うなら、遊郭・左之屋の専属。
 大見世の格を持つ一流の廓は地方の農村に伝手を持つ場合があり、時として、口減らしの必要に迫られた百姓から娘を売りたいとの申し出を受ける。
 その際、出向いて話をまとめ、10両ほどが相場だという金を支払った上、娘を連れ帰るのが田吾作の仕事で、普段は廓の男衆に混じり、雑用に勤しんでいるという。そして、その雑用の中で一際重要なのが、厄介な客のあしらいである。
 時は慶応四年の晩春で、昨年十月末に幕府から朝廷へ大政が奉還されてからと言うもの、江戸の世情は有れる一方だ。不逞の輩が巷に溢れている。
 中でも戦乱の機運を嗅ぎ、一旗上げようと江戸に集まってきた浪人は始末に悪い。
 桑二郎もその一人なのだが、同じ立場の目から見ても傍若無人な連中が吉原へ足を運ぶようになった。田舎侍の中には二日の滞在を許さぬ廓の定めも知らず、居座る馬鹿が増えている。
 そういう時、重宝されるのが田吾作だ。
 棒手振りの商いに使う天秤棒を振り回し、腕に自慢の浪人どもを片っ端から懲らしめて、大門の外へ叩き出すのだと言う。
「その田吾作とやら、何ぞ剣術を齧りおるのかな」
 桑二郎が訊くと、汐路は首を捻った。
「お前、見た訳では無いのか」
「そりゃまぁ、気安く格子の外へ出られない身の上ですから。でも、噂では、長い棒を振り下ろすだけだと」
「構えも作りも、特には無しで」
「あい。気合もろとも、上から下へ力一杯、エイッとね」
 要するに素人剣法、そう桑二郎はたかを括った。昨今は剣術道場も町人で賑わっており、そこそこ腕の立つ男もいるが、田吾作はその口では無さそうだ。
「只、これも噂なんですけど」
「まだ話に尾ひれがつきよるか」
「田吾作さんには、お侍と喧嘩して負けない理由があるそうですよ。それも三つ」
「女衒の流儀に、武士を負かす決め手が三つもある、と」
「あい」
「で、例によって、それが何かは判らぬのだろうな」
「何せ、噂ですから」
 桑二郎の胸から苛立ちが消えた。
 気にかけるのも馬鹿らしい。田吾作とはおそらく只の荒くれ。懲らしめられたという侍の方が弱かっただけだ。
「もう良い、汐路。そろそろ無駄話に飽いてきた」
 女衒の噂を切上げ、桑二郎は汐路を抱きしめて体を重ねた。
 さして高からぬ用心棒の稼ぎをつぎ込む気晴らしだ。一晩、じっくり楽しまぬ手はあるまい。仮に明朝居座れば、件の女衒が現れるかとも思うが、そんな気紛れに費やす時が惜しかった。
三十路半ばで妻子無く、先行きへ望みも無い人生に好機が訪れようとしている。
 あの上野の山に集う徳川幕府の残党に加わり、官軍と称す薩長へ一泡吹かす死に花の咲かせ時が近づいているのだ。

「彰義隊に入りたいだと。能谷、お主、気は確かか」
 上野へ向う決意を固め、桑二郎が浪人仲間の戸倉 伊助へ酒場で打ち明けると、即座に笑い飛ばされた。
「やめとけ、やめとけ。てんで勝ち目は無いぞ」
「元より勝ちとうてやる戦とは違う。賭けるのは俺の矜持だ」
「寛永寺に向う奴らは皆、そうのたまうがのう、向うは天子様の御威光を頂いておる。お主、徳川方の呼び名を知りおるか。賊軍だぞ。誇りもへったくれも有ったものではない」
「なら、このまま生きながらえ、後はどうする。侍の身分を取り上げられて、その後、俺達はどう生きれば良い」
「どうって、お主」
 戸倉は鼻白み、そっぽを向いた。
「成り行き任せで、何とかなるわい。江戸へ出て来て酒色に溺れ、真面目一筋だった以前の生き様が馬鹿らしゅう思える。幸い、世が乱れている間は剣の腕がそこそこ高う売れるしな。その日暮らしも、悪うない」
「如何に生きるかではなく、如何に死ぬかを示すのが、武士の本文であろうが」
「おい、綺麗事を申すな。お主とて、近頃は馴染みの女郎ができたんだろ」
「別に馴染みという程でもない」
「誇りより、まず欲。その方が人として、正直な生き方と言うものさ」 
 酔眼で冷笑を浮かべた戸倉は、元は紀州の小藩で禄を食み、上司とのささいな諍いから浪人になった。
 郷里では陰流の流れを汲む剣を学び、それなりに腕が立つ。用心棒稼業を続ける内に知己となったが、当初は折り目正しき男であった。
 荒んだな、と思う。
 はたから見たら、桑二郎も似たり寄ったりの野良犬に過ぎぬであろう。
 だから、明日、彰義隊へ行く。
 これ以上、誇りが地に落ち、磨いてきた剣が錆びつく前に、武士として納得のいく死に方をしたい。
 しかし、目の前でだらしなく猪口の酒を舐める男に、最早、その覚悟も伝わらぬだろうな、と桑二郎は思った。
「では、おさらば。今生の別れだ」
 酒代を卓に置いて立つと、戸倉は彼の腕を握り、強引に引き留めた。耳寄りな仕事の相談があるから、一通り聞くまで帰さぬ、と言うのである。
「明日、俺は上野へ行くと言うたろうが。用心棒は店仕舞いじゃ」
「まぁ、聞け。明日の昼には決着がつく楽な仕事なのだ。女衒を一人、半殺しの目にあわせればよい」
 女衒と聞き、酒場を出ようとする桑二郎の足が止まった。
「吉原を仕切る近江屋三八の頼みでなぁ。田吾作とかいう、横紙破りに仕置きして欲しいとさ」
 さもありなん。
百姓出の異端者を目障りに思う者は、近江屋に限らず、さぞ多かろう。
 ある意味、これまで潰されなかったのが不思議で、これも従来のしきたりが揺らぐ乱世だからこそ、と桑二郎には思える。
「能谷、俺はこれから吉原へ行き、近江屋の金で一晩遊んで、居座りを決め込む。さすれば、奴がしゃしゃり出て来よう。そこをこう、バチンとな」
 戸倉は田吾作を舐めきっていた。
 手こずるとは露程も懸念しておらぬが、果たして、そううまく行くものか。
 女衒潰しに加担するのはやんわり断ったものの、汐路の寝物語が胸の奥に蘇り、桑二郎の好奇心が疼いた。
 女衒の必勝法とやら、この際、今生の土産に見届けてくれようか。

 翌朝、桑二郎は猪牙船で日本堤に向い、五十間道から衣紋坂を下る辺りで、吉原の大門口手前に群がる人の輪を見つけた。
 開門の頃合いを見計らったつもりなのだが、既に騒ぎは起きているらしい。坂を駆け下り、野次馬をかき分けると、男が二人向き合っていた。
 一人は戸倉 伊助。
 一人は中背で、表情に乏しき細い目と、広い肩幅、短い脚が印象的な三十男である。
 こいつが田吾作か。
 身を乗り出し、桑二郎は忘八者の法被に身を包む男の身なりを凝視した。
 法被の袖口からのぞく上腕や、肩から胸の辺りがごつごつと岩の様で、はたから見ても尋常ならぬ腕力が伺える。
 握る得物も異様だった。
 汐路が言った通り、棒手振りが使う六尺の天秤棒に見えるが、黒光りしている所を見ると、素材は鉄だ。ひ弱な男なら持ち上げるのさえ一苦労であろう重量を軽々と振り回し、田吾作は、刀を中段で構えた戸倉を威嚇する。
「……なるほど、こりゃ厄介だな」
 桑二郎は一人ごちた。
 おそらく田吾作が言う「侍に負けぬ理由」の一つは、この腕力なのであろう。
 あの天秤棒は、まず受けきれない。
 よしんば刀で受けようと試みたなら、あっさり折られて、そのまま強烈な打撃を食らう羽目となる。
 鍔迫り合いは禁物。
 接近した最初の一合で、田吾作には何もさせず切り捨てるのが最上の応手だ。
 しかし、棒は刀より遥かに長く、桁外れの腕力でぶんぶん振り回されると、近付くのは難しい。
 実際、戸倉は途方に暮れていた。
 時折り大声で奇声を放つ程度が関の山。剣の間合いへ近付きたくても、踏み出す一歩がままならない。
 引きつる横顔に汗が滲んでいる。
 春らしい爽やかな気候にも関わらず、脂汗が次から次へと、額の上で玉を成す。
「ふむ、生半な腕で、剣術の定石通り立ち向かっても、対抗できぬと言う事じゃな」
 又、口の奥で呟くと、野次馬に混ざり、傍らへ佇んでいたつぶらな瞳が、こちらを見上げた。
 土汚れが目立つ道中姿をした小娘で、見た所、十をこえたか、こえないかという年恰好である。
「お前、こんな所で何をしておる」
 桑二郎の問いを受け、少女は片手の人差し指を田吾作へ向けた。
「あたい、あのおじちゃんに、連れてきて貰ったの」
「では、売られた身の上なのか」
 少女は頷き、田吾作を見つめた。
 自分を里から連れ出した女衒に対し、その眼差しに嫌悪は感じられず、むしろ確かな信頼の色を湛えている様だ。
 怪訝に思い、桑二郎が胸の内を訊ねようとした時、辺りに裂帛の気合が響く。
 戸倉の声ではない。
 田吾作が先手を取った。
 大きく頭上へ振りかぶった天秤棒を、鈍重そうな見かけから想像もつかぬ素早さで打ちおろし、相手の手前の地面へ深々と食い込ませている。
 桑二郎は、戸倉が背後へ退いてかわしたかと思ったが、そうではなかった。
 打ち込みの気迫に呑まれ、棒を振った直後に生じる隙を突く事もできずに、戸倉はその場へ尻餅をつく。
 田吾作は、わざと外したのだ。武士が下賤の者に情けをかけられた。
 戸倉は腰を抜かしたのであろう。足が震え、すぐ立ち上がれぬ様子だった。
 醜態である。
 野次馬の町人から失笑が漏れる。
 戸倉も屈辱に顔を歪めたが、対する田吾作は、あくまで平然と振舞っていた。最早、喧嘩をする気も失せたらしく、天秤棒を肩に担いで、相手の顔を覗き込む。
「お侍さん、もう懲りたっぺ」
 戸倉は田吾作から目を逸らし、唇を噛んで答えようとしなかった。
「おらぁ、何も命まで取るとは言わねぇ。けんど、この先、吉原には出入り禁止だ。ほら、侘びの印に有り金、身ぐるみ残らず、そこへ置いていきなっせ」
 女衒の声に挑発の色は無い。
 客と喧嘩になった際の口上をいつも通り述べているだけだと、桑二郎は察した。むしろ問題なのは、それを言われている側がどう受け止めるかという事。
 戸倉の手が脇差に伸びる。
 腹を斬る気だ。
 そう思った瞬間、桑二郎は野次馬の群れから抜け出し、田吾作と戸倉の間に割って入っていた。
「待て、戸倉。お主の恥辱、俺が代って晴らしてやる」
「能谷、やはり来てくれたのか」
 立ち上がれぬまま桑二郎を見上げる戸倉は打ちひしがれ、昨夜とはまるで別人の有り様である。
「あんれまぁ、面倒じゃのう。又、別のお侍さんが来たかね」
 飄々と言う田吾作を、桑二郎は睨んだ。
 友に対する義理立てのみが、彼の介入の理由ではない。もう一つ、彰義隊への参加を決めたからこそ、ないがしろにできない疑念がある。
「田吾作とやら」
「へい」
「お前の太刀筋、もしや示現流では」
 取り巻く野次馬にざわめきが生じた。
 示現流と言えば、薩摩藩の御留流。他藩の者が学ぶのを禁ずる独自の剣だ。
 一時、暗殺者として京に悪名を轟かせた中村 半次郎、田中 新兵衛が学んだ流派としても恐れられ、江戸で知らぬ者はない。
 その最大の特徴は、蜻蛉と呼ばれる八相の構えにあった。
 握る得物の切先を天へ届けとばかりに挙げ、猪突猛進、ありったけの力で真っ向から敵へ振り下ろすのである。
 単純と言えば単純。
 中村 半次郎など庭に設けた立木を相手に独学で身に付けたと言うが、単純である故に迷う余地なき剛剣が放たれ、鳥羽伏見の戦いでは受け損ねて折れた徳川方の剣が多数あったと聞く。
 正に、今、桑二郎の目の前で起きた戦いはその逸話を彷彿させるものであった。
「例えば、だ。百姓上りとは真っ赤な嘘で、お前の正体は薩摩の密偵かもしれん」
 桑二郎の言葉で、野次馬のざわめきが更に増す。
「冗談じゃねぇ。おらぁ、正真正銘、下総のどん百姓の出だ」
「その証が立つか」
「里を捨てたおらは江戸の浮草、根無し草。田んぼの土でもいじりゃ、慣れた手付きが身の証になろうってぇもんだが」
 田吾作は細い目を、更に細めた。
「あんた、信用しねぇべな」
「当たり前だ」
「喧嘩の流儀も気儘なもんすけ。示現流どころか、女衒流ってぇのも大層すぎて、かっちけねぇ」
「ほざけ」
 桑二郎が剣を抜いた途端、田吾作は敏捷に飛び退って距離を取った。
「本気で、おやりなさるんで」
「ああ」
「痛い目じゃ済まねぇかも知れませんぜ。何せ、おらぁ侍には」
「負ける気がしない、だろ。負けない理由が三つある、と」
 口上の一つ先を言い当てられ、田吾作の目がほんの少し丸くなる。
「内の二つは見当がついた。一つは類まれなる馬鹿力、一つは、お前の、その覚悟」
「へぇ、おらみてぇな下衆に、覚悟なんて有りますかねぇ」
「ある。そんじょそこらの侍より、な」
 ちらり背後へ目をやると、戸倉はいない。多分、衆目がいたたまれず、逃げ出してしまったのであろう。
「田吾作とやら、先程の攻防を見る限り、お前は守りに気を配っていない。相手が鉄棒に怖気づけば良し。そこそこ腕のある敵で、刀が届く距離まで踏み込んで来たら確実に相討ちとなる」
「へい、仰せの通りで」
「詰まる所、常に捨て身なのだ。その境地へ如何に至ったか知らぬが、命を捨てる覚悟をした奴は敵に回すと恐ろしい」
「命を捨てる、ですかい。そいつはちょいと違うなぁ」
 桑二郎の話を遮り、田吾作は大きく首を捻って見せた。
「何事につけ、おら、死にたいと思った事はねぇ。生きたい一心で、毎日、生き恥を晒してんでさぁ。死んで恰好つける腹なぞ、さらさら有りゃしねぇ」
 そこまで言った田吾作の目が、ふと先程の少女の姿を捉えた。にこっと笑う少女に対し、女衒も微かな笑みを返す。
「只、一歩も退けねぇ時はあるわな。この吉原ってぇ苦界に身を沈めた女達を、おら、守ってやんなきゃなんねぇ」
「女を買い集める外道風情が、偉そうな事を言うものだ」
「お侍にはわからねぇよ」
 田吾作の視線は更に横へ動き、今度は廓へ続く大門を見上げた。
 まだ開かれたばかりの門から、咲き遅れた桜の花びらが舞い、風変わりな女衒の足元へ落ちていく。
「女衒ってぇのは、確かに外道の生業。おらが故郷からこの門の向うへ運び、おっ死んで、一派一絡げの墓穴へ放り込んだ女も数知れねぇ。けんど、十年の年季奉公の間、身をすり減らす女郎とおら達は一蓮托生の間柄だべ。浮世の泥をすする者同士、せめて生きてる間は、この身を盾に守ってやりてぇ。本気でそう思う女衒も一人くれぇいて、良いんじゃねぇか?」
「……生きる為の、捨て身だと申すか」
「誇りだの名誉だの、得体のしれねェ物の為、やたら腹を斬りたがるお侍さんにはわからねぇ」
 大門から再び桑二郎へ視線を戻し、田吾作が、鉄の六尺棒を握り直した。
「本当にまだ、やりなさるか」
「女衒流、最後の一手、俺にはまだ見当がつかぬでな」
「そんなの、大したこっちゃねぇ」
 六尺棒の先が天をつく。
 中背の体を大きく見せる八相の構え。やはり示現流の蜻蛉に似ている。
「行くぞ」
 桑二郎は下段に構えた。
 じりじり近づく。
 田吾作は動かない。
 上段の構えを維持、大地に根を張る重心の低さで踏ん張り、力を溜めている。
 最初の一撃が勝負、と桑二郎は思った。
 相手との距離が測りやすい中段ではなく、下段で構えたのは、敢えて先手を捨てたからだ。
 相手から先に攻撃させる。
 かわした後、下から突き上げる刀で決着。上野で示現流と戦う時の為、以前より桑二郎が考えていた対抗策だ。
 更に近づく。
 六尺棒が届く間合いを越え、剣が届く間合いに迫る。
 田吾作よ、仕掛けるなら、今だろうが。
 桑二郎は心の内で問いかけたが、相変わらず女衒に動く気配は無い。
 やはり、こやつの流儀は、示現流ではないのかもしれない。
 生じた疑問が、進む足を止めた。
 噂に聞く示現流は極めて攻撃的であり、相手には何もさせず、倒すを最善とする。
 しかし、田吾作の狙いはあくまで後の先、相手が放った剣技に対応し、剛腕を振るう代物であるらしい。ならば、ますます相討ちの目が増えるではないか。生きたいと言うたに、死が近づくばかりではないか。
 桑二郎の迷いが膨らむ。
 ある一点から、先へ進めなくなった。
 もう剣は届く間合いだ。ここからなら桑二郎が先に仕掛けても、勝てる筈なのに。
「お侍さん、あんた、強いねぇ」
 この期に及んで、尚、田吾作の声は飄々とした響きを失っていない。
「この間に入れる御人、そうはいねぇ。まっとうにやれば、おらより数段強いべな。でも、だからこそ、おら、あんたに負ける気がしねぇんだ」
「……黙れ」
 桑二郎の額に、脂汗が滲んだ。先程の戸倉の無様さが胸に蘇り、焦りと苛立ちを呼ぶ。
 それでも、仕掛けの踏ん切りがつかない。
 俺は、相討ちを恐れているのか。命を捨てる為、上野へ向う気でいた、この俺が。
 自問自答した所で、自縄自縛の泥濘へ陥るだけだ。
「教えてやるべ、お侍さん」
 八相に構えたまま、田吾作が桑二郎の目を正面から見据え、言った。
「あんたが勝てねぇ一番の理由はな、おらが女衒だから。それだけよ」
「……何だと」
「あんたら侍が戦って死ねのは、名誉や誇りを守る為。でも女衒相手に喧嘩して、相討ちになったら、さて、何が残るかね。まんま世間の笑いもん。死に花なんか、咲きゃしねぇ」
 田吾作の指摘は鋭く、桑二郎の胸に食い込んでいく。
「嫌だべ、そんな無様な相討ちは。虫唾が走るわな。女衒如きと、あんた、さっき言ったもんな」
 構えを解いて立ち尽す桑二郎に、返す言葉は無かった。
「あんたら、おら達を腹の底から見下してる。その侮りこそ、でっけぇ隙になるんだ」
 女衒が唇を歪めて笑う。
 今、ここで見下されているのは、むしろ侍である自分の方だと、桑二郎は思った。
「悔しけりゃ、あんたもおらと同じ土俵へ降りてきな」
 湧上るどす黒い怒りが、目の前の男か、自分自身か、どちらへ向けられているのか、わからない。
 只、激情に任せ、桑二郎が斬りかかろうとした時、誰か後ろで袖を引いた。
 振り向くと、あの道中姿の少女だ。
「ねぇ、お侍さん。あたいの母ちゃん、喧嘩しちゃだめって言ったよ」
 あどけない声で語る少女の瞳に、恐れは伺えない。これから始まる年期十年、おそらくは一生出れないであろう苦界で生きぬく覚悟が、その奥底で輝いている。
 負けだ、と思った。
 刀を納め、その場を立ち去る桑二郎の背中に、野次馬達の嘲りの声が飛ぶ。臆病、弱虫、卑怯者……何と言われても、今更、気にならなかった。
 更に歩を進め、衣紋坂を越えた辺りで、上野へ向う熱情も消え失せている。
 死に行く誇りを探すのは、まだ先。
 今は泥をすすり、地べたを這いずってでも生き抜く誇りを、先に見つけなければならない。
 さもないと、あの女衒に敗れた負い目を抱えたまま、俺の生涯は終わるだろう。
 全く、死んでも死にきれんわ。
 桑二郎は苦笑いし、吉原から離れる猪牙船へひょいっ、と飛び乗った。







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10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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