くる天 |
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CANAL さん |
TALES OF NIGHTINGALE |
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ブログの説明: 〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。 |
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『はだしのゲン』について |
[”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア] |
2013年8月27日 18時41分の記事
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汚染水まだちょっと書けないので先に今「開架」か「閉架」かでモメてるゲンについて。
まず最初に私自身、この漫画を読んだ事がないので、それを前提にお読みいただきたいのですが、これまでの報道を基に判断するならば、個人的には子供が不用意に目にする事が考えられる開架に置くのは反対。
というか学童期に何が何でも絶対読んでおくべき書だと私は思わないので小学校の図書館開架に是が非でも必須とは思わない、そりゃ読める子は読んだらいいと思うが、中学か高校、せめてそれらの描写をひとつの「情報」として左脳で十分に処理できるようになるまで待ってから読んだって別に全然遅くないと思うけど。私なら高校でも読まないけど。多分一生読まない。原爆ドームの展示だけでもう十分。
どうしても小学校の図書に置くというなら、読むにあたって予めそういう描写がある事を知らせて相応の心の準備、というか覚悟をさせてから、という事が可能、という意味でも閉架に置くほうが妥当だと私は思う。
実際私自身、小学校低学年の時にドキュメンタリーの戦争フィルムを学校でおそらくは教育の一環として見せられたことがあって(それもご丁寧に体育館かどこかに一年から六年まで全児童を集めて照明落として暗幕で真っ暗にしてという念の入れようだった。)、 初めから終わりまで悲惨極まりない無茶苦茶な死体がそこかしこにゴロゴロ。 もう怖くて怖くて、なんでこんなもの見なくちゃいけないのか全然分からなくて、でも飛び出すわけにもいかず、ほとんど拷問としか思えず、しばらく心が復元できなかった。 もうひとつ子供心に衝撃だったのが、そんな悲惨な映画をみんな大人しく見てた事。 でももうひとりだけ、同じように感受性の強い子がいてその子とふたり、下向いて音声が聞こえないように耳塞いで必死でしりとりしてたの、今でも覚えてる。 完全にトラウマ化したわ、あれ。今でも鮮明に思い出せるもの。あれはホント、トラウマ製造時間としか思えなかった、私的には。
今回のゲンは、原作者が子供にも読めるように配慮したという話だし、漫画なので大画面のドキュメンタリー映画とは訴求力は違うかもしれないし、私の体験のように強制ではないので取捨選択の自由は残る。 とはいえ、同じく小学生の時に街角に貼られた恐怖映画かなんかのポスターが見るともなく目についただけで頭から離れなくなりしばらくうなされまくったり、小学修学旅行での広島原爆ドームの展示の最初の数葉の写真でギブアップした私的には、その個人的経験に鑑みればサイズの大小や所謂「大人の配慮」があったか否か、等はあまし関係ない。
怖いもんは怖い。
要するにまだ心が十分成熟しきらず非常に柔らかいを持つ小学校の低学年なんかにいきなりそういう悲惨極まりないものを見せれば、理屈でなんか学ぶ前に心が壊れる場合すらあるって事だ。私が校長なら閉架に置く。
ところで本日付け四国デマ新聞23面の記事を書かれた西本晴香自称記者殿、
西本 「情報が氾濫する中、子どもは自ら判断する力が必要になる。はなから本を遠ざける閲覧制限は、これに逆行するものだ。」
「自ら判断する力」ってこの場合、何を自ら判断するわけ?肝心の目的語が抜けてると思いますけど(笑)。あんたそれでも言論のプロなの?それともこれが共同通信クオリティ?(笑)是非とも補足お願いしますわ。
もうひとつ。
別に閉架に置いたからって閲覧制限にならないと思うけど?学校の閉架図書って一般図書館同様、司書にしかるべき申請をすれば見られるんじゃないの?教えてください。 私はその際に、描写に一部過激なものがある事を言い含めるワンクッションこそがこの場合、大事だと思うけど?
更にもうひとつ。
同記者 「閲覧制限は、市教委事務局が「子どもの知る権利」を侵害するとの認識を欠いたまま、内部だけの話し合いで作品の「閉架」の要請に突き進んだ点に問題がある。」(キリッ(笑笑笑))
中国当局の情報統制でもあるまいし、見ようと思えば買うなり一般図書館で借りるなりすればいくらでも読める。ただ学校の図書に置く事が適切か否かの話じゃないの? なんでそれが「子どもの知る権利」を侵害する云々の話になるわけ?教えて下さい。 それからこの「子どもの知る権利」だけど、それなら所謂エロ本を子どもから遠ざけるのもやっぱり「子どもの知る権利」の侵害になるの?そこもお願いします。
この四国デマ新聞記事については、会議を傍聴した人のコメントとして
松江市の女性(43) 「子どもが何を読むかをお上が制限したのはしゃくに障る。」
ってのわざわざ掲載してたけど、「しゃくに障る」(笑)…こんなロジックの欠片も無い意見に如何ほどの意味があるのか、個人的には良く分からないけど、そういうのを如何にも重要な意見であるかの如く掲載できるあたりが、ロジック無用感情最優先の四国デマ新聞らしいですなぁ…笑えます(笑)。
学童期に最優先で教えるべきは戦争の悲惨さやむごさではないと私は思う。 知性や理性を育む事ももちろん大事だがそれよりももっと大事なのは思いやりや共感に繋がる感情を育くむ事だ。 個性や能力等の差異、あるいは国籍等で人を差別しない事の大切さと同時に、平和時でしか味わう事ができない喜び、例えば歌や踊りでもいい、それらが本当に身に染みて分かってれば、アホらしくて誰も戦争なんかしやせんわ。私はそう思う。
ここは政治の話ではないので、詳しくは踏み込まないが、その意味でもパッパラー安倍の「愛国教育」は物騒極まりない、危険な洗脳に程近いという事だ。
心というものは平準化できない。 どんな凄惨なシーンを見てもわりと淡々とすませる子供がいる一方で、非常に繊細で、他人が思いもしないところで傷を負ってしまうような、平均的な大人の感性では理解できないようなとても傷つきやすい心の子供もいる。 従って同じものを見てもその受け取り方はまさに十人十色であり、であるなら基準を最も弱い立場にある者にあわせれば、少なくともその集団において無用の傷を負うものはいなくなる。
これはユニバーサルサービスにも通づる鉄則理念であると思うが、 今開架を主張されてる人々は、もし『はだしのゲン』を何らのアテンションもなく安易に手に取れる環境に置く事で、現在問題視されているの描写に触れた子供が、そうでない場合には回避されたであろうトラウマを負った場合、どう責任を取るのか。教えていただきたい。
この感受性の部分についてちょっと余談ですが、インディゴチルドレンやクリスタルチルドレンなんかは非常に繊細で感受性が強いがゆえに、リアルの何でもない現象で一発でアウトしてしまう可能性すらある。 彼らは非常に特殊な存在であるがゆえに安易にADHD等にラベリングされてしまうことも往々にして見られるが、それにしたって、彼らを病気扱いする前にまず省みるべきは、表面上は個性個性と謳いながらその実、「組織」「集団」に都合のいい扱いやすい画一化された金太郎飴な子供の育成に邁進し、その枠から少しでもはみ出そうものなら途端に病気のラベリングをするような没個性教育システムに留まらない今のいびつな社会システムのあり方だと思ってますけど、ま、そのお話はまたあらためて。
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後日検証のため、通話内容をICレコーダーなどで録音されることをお勧めします。
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