くる天 |
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CANAL さん |
TALES OF NIGHTINGALE |
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ブログの説明: 〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。 |
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アセンションに纏わる疑問あれこれ。? |
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2013年9月3日 18時55分の記事
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放射能の前にアセンション論者の皆様の思考の方向性に関して更にもうひとくさり。
アセンション論者の皆様曰く、恙無くアセンションするためには、その高次の波動に同調できるようにとにかく己が波動をネガティブにしてはいけない、それを良好に保つ事に最大限配慮すべき、とある。ひどいのになると自分に関係のない事・者の問題行動に関しては極力無関心を貫けと平然と書いてある。
まず第一にこの世界で自分に関係のないものはない。アセンション論者自身が常々提唱している「全ては繋がっている。」と完全にバッティングしているのがひとつ。
第二に、自らの波動コンディションを良くするために、ネガティブな事は何も考えず、ただ愛と平和とを希求し、何をも責めず問わず、というこの姿勢も、少なくとも三次元的現実からは誤りだ。
面倒な事・ネガティブな事には極力関わらないほうがいいというのであれば、先の衆参選挙で投票放棄こそが最適行動なのか? 昨年の官邸前原発デモみたいな、そんなお上に楯突いて事を荒立てるような事をすべきじゃなかったの?第一どれもこれも面倒くさいし。
原発デモを冷めた目で見つつ、選挙にも行かず、家で愛と感謝の祈りを捧げる、それこそが、最も讃えられるべき行動なのか。
違うだろ。
少なくとも私の答えは断じてノーだ。
果たしてそれらの人々が家で愛の祈りを一心に捧げてたかどうかは知る由もないが、原発アウトという最悪の事態を目にしてさえ、まだ他人任せのスタンスを動かず、国の帰趨を決するとも言うべきこの伸るか反るかの大事に投票にも行かないような、未だ眠り続ける羊みたいな人間がゾロゾロいるから、推進派の蠢きは止まず、国賊自民が過半という悪夢を招来したんじゃないのか。
現在稼動している原発はまがりなりにも大飯のみに止まっているのは、昨年の必死の官邸前デモの結実に他ならない。 あの行動なくして事態が今よりもっと良くなっていたとは到底思わない。
感謝や愛が足りなかったから原発がアウトしたのではない。とことん面倒と思考を避け、楽しい事・面白い事にうつつをぬかしたがゆえの今だ。 この現状分析の歪みにこそ、彼らの主張の誤りの根幹はある。 この認識の部分において彼らはもうひとつ決定的な間違いをおかしているがここでは触れない。彼らが自ら思考して自分で気づくべき事だからだ。
他のどこの国でもないこの国で原発がアウトしたのは、感謝が足りなかったというより本来ロジカルな思考で処理すべき部分までそういった情緒的判断・精神論でお茶を濁しまくって見かけの平穏のために本来あるべきロジカルを放棄したからに他ならない。
愛や感謝も大事だろう。しかしロジックはそれと同じくらい大事だ。
そして責任を問い、罪を裁き、糺すべきは糺さない限り、同様の間違いを繰り返し続けることは、汚染水問題よりも五輪や単発の事件に重きを置く第二次大戦時の大本営もどきの今の政治と自称メディアの有り様を見れば自明だ。
その事を理解出来ている日本人が、この期に及んでも極めて少ない事は、如何にこの国の国民が思考停止に陥っているかの証左であり、最大の病理と言っていいが、単一民族の悲しさでそれに気づくべくもない。
どれほどの抵抗や摩擦に会おうと、本来なすべき議論をし、糺すべきは糺し、より真っ当な道を選択しようとする意思と行動は、ひたすら祈ったり波動を上げたりする事以上に、少なくとも今は、もっとずっと重要であり必須だ。私はそう思う。
確かに現実に何の問題もないのであれば、愛と平和を高らかに謳っていればいいだろう、それを否定するものでは無論ない。 しかし現実には問題が山積しているのであり、それらは無関心や面倒を避ける思考放棄によって悪くなりこそすれ良くなったりは決してしない。
どころか押し売り悪徳セールスマンのような利権にとってこの大衆の中立・無関心ほど”思う壺”なものも他にないだろう。
その事にこれらアセンション論者の思考が及んでいるようにはとても見えない。
この点において彼らの主張は、この国の大衆同様、”懲りてない”の謗りは免れない。
アセンションによって万事がこれまでとはそれこそ別次元で良くなる理想の世界が展開されるならそれはそれで申し分なかろう。 しかしアセンションを待望する前に、この三次元で、自らが原発を含む諸問題の解消のために現実的な努力を尽くしたか、まず省みるべきではないのか。
アセンションに期待するあまり、本来なすべき三次元的努力まで放棄するような事はあってはならない。
フィギュアについては、個々の選手およびフィギュアというスポーツの特性についても取り上げてみたいと思っておりますが、個々の選手についての記事につきましてはなるべく客観的に捉えて生きたいと考えておりますので、ファンの方にとりまして耳あたりのいい話ばかりにはならないと思いますので、ご贔屓選手については賞賛コメントしか受け付けないという方がおられましたら、その選手についての私の記事はどうかスルーでお願いいたします。文中敬称略にて書かせていただきます。 なお、著作権は”TALES OF NIGHTINGALE”に帰属しております。無断転載等はお控えください。 以上、よろしくお願いします。
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