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くる天
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アセンションに纏わる疑問あれこれ。?-2
 
2013年9月8日 18時1分の記事

さて書けた。
『アセンションに纏わる疑問あれこれ。?-1』(http://blog.kuruten.jp/canal-field/267290)のつづきです。
今日はこれ以外にも書きたい事がいっぱいある(レノルズファンの皆様はもうお分かりね!?(笑))んだけどどこまで行けるかな…(笑)。


本題。

そもそもなぜこんな放射能が安全みたいな話が出てくるかと言えば、ごく個人的な超常現象を一般的に適用可能な汎用性のあるものとして飛躍させているからだが、

でもそれって可能なのか?

自らの個人的体験をそのまま拡大解釈して人類全体の事象に援用できるの?

仮に可能だとしたら、本人の確信以外にどういう根拠を以ってそう断言できるわけ?

これまで見たブログ等はすべからくそこに言及しておらず、そこの部分が決定的に弱いと思う。

何故それが可能と考えるのかを語る事が必要だと思うが、私個人について言うならば、私自身、色々な超常現象があったので、そういった、これまでの常識では説明できない世界が存在する事は身をもって体験・確信しているわけだけど、自分に色々な超常現象があったから、これが皆さんにも必ず起こりますよ、とは言えない。

だって個人的な経験なんだから。

つまり今の時点で、それが遍く他の人間に援用可能かどうか全く分からないから。

自分に起こった超常現象をこれまで個人的な体験として語っているのはそのためだが、まして放射能については、常に今回の五輪招致委の連中のような楽観は厳に戒めるべきと思っているので、仮に放射能は安全という啓示を受けてもおそらくそれをそのままここで語ったりはしないだろう。

その個人的な体験が、他の方にも適用可能かどうか分からないからだ。

もし彼らの放射能は安全という主張が、個人的なチャネリング等のみに基づくのであれば、その個人的な経験が他人にとっても同じかどうかは誰も断言できない。

少なくとも今の段階ではアセンションは各個人の個人的、つまりは限定的な体験レベルにとどまっているように思える。
であるなら、こういった三次元的疑問に耐える絶対的な確証があるなら別だが、それなくして、命に関わらないほかの事ならともかく、放射能に関してだけは、例えインスピレーションを得たとしても、そこにある論理の飛躍を解消できるまでは、せめてそれが確定事項になるまでは、即座に放射能は安心安全という一足飛びは控えるべきなんじゃないのか、というのが個人的な意見だ。

もしそれを語るのならば、何故それが一般法則として他の人間にも適用可能と考えるのか、それを語るべきだろう。
でなければ、良かれと思って発信したそれらの主張が、その思惑とは裏腹に、逆に第三者を思わぬリスクに晒したりする事になりかねない。
アセンションについて語る方々が常々述べられているように、覚醒の度合いや時期が本人の意識レベルによって変わるのであれば尚更だ。

この事をこれらの人々は今一度考える必要はないだろうか。

意識の上昇にしたって、例えば今福島第一で胸の塞ぐような先の見えない作業をしているの人々に、とにかく明るく!愛で!って言えるのか。私は言えない。
三次元的現実に追われてそれどころではないだろうと思うから。


以上彼らが用いている思考展開上の汎用性についての疑問を取り上げたが、しかし、私が彼らの話を読んで本質的に一番疑問に思うのは実はその点でもない。

一番疑問なのは、放射能それ自体に対するこれら直接的な言よりもむしろ、放射能を含む地上の現実的な問題に対する姿勢の部分だ。

彼らは言う、アセンションやあるいは遠い星の善なる宇宙人によって放射能は浄化されるし、我々は愛さえ全開であれば速やかにこの矛盾だらけ問題だらけの三次元の地球を離れてどっか理想郷みたいなところへ速やかに次元上昇する、と。

しかし彼らの主張する、この姿勢って、本当にあるべき姿勢、取るべき姿勢なの?

それらの人々がどれくらい原発由来の電気と無関係な生活をされていたのかは勿論知る由もないが、この日本で普通に三次元の生活していれば、おそらく全く原発由来の電気を使った事がない人のほうが極まれだろう。
ならばこれまで原発の恩恵に与るだけ与っておいて、それがいざ破綻して環境を汚しまくる段階になったら、もう自分達の手におえないから、後はきっとET様か何らかの超常現象がきっとうまく後始末してくれるからさあ我々はアセンションしましょう、って、その発想って、目先の欲にまかせて原発作るだけ作っておいて、後片付けは物言えぬ将来世代でねテヘペロの原発推進派とどこが違うの、それ。

どっちも第三者の尻拭いを当てにして自らの努力を端から放棄しているという点では本質的に同じだと思うけど。

立つ鳥跡を濁さずという格言があるが、これじゃまるで跡を濁さずどころか、濁すだけ濁しまくってお先に失礼、じゃないの?

どっかにも書いたけど、そもそも無二唯一のこの星に、何百機という原発が今あるのは、謎のモノリスよろしくどっかの異星人が置いていったのでもなければ、突然の天変地異でそれが忽然と降って沸いたわけでもない、それを置いたのは、まぎれもなく欲に目が眩んだ我々人類だ。

でもいざシステムがアウトして始末に終えなくなったら、貴方任せで面倒事は全て過去にして、ってのは、先日言及した面倒には関わるな等とあわせ、少なくとも彼らの謳うアセンション的博愛だとか思いやりなんかとは対極の究極の虫が良すぎるエゴイズムだと思うけど。

アセンションに纏わる記述を書かれている人々は、概ね金やモノを中心に置かず平和や愛を尊ぶ高い精神性を有しておられる事は認めるが、ひときわ平和や地球を愛するというそのアセンション論者のこの姿勢は、彼らが最も唾棄するところであるはずの推進派のプロパガンダと、その根拠なき楽観性及び無責任さにおいて皮肉にも瓜二つに思えてならない。

他の問題はともかく放射能の部分だけは、今回五輪招致でパッパラー安倍が駆使したきっとどうにかなるはず的な根拠なき楽観論えはなく目の前の事実を直視して現実的な打開を考えないと、事態は悪くなる事はあっても良くなる事は決してない。

どっちにしても三次元的には、最初の原発建てた時点で手遅れは手遅れ確定ではあるけれど、とにかく我々が今やるべきは現実的な努力を徹底的に尽くす事であって意識の向上や宇宙人様頼みはその後じゃないの?

…とまぁ、かような疑問が拭えないわけです。

アセンションについては確かに理屈では説明できない直感的なものによるところが非常に大きいのは事実だ。でもだからと言って三次元的物理法則や化学的特性を今この段階で全部無視していいとは、私は思わない。
むしろ相応の論理的説明が補足されれば、アセンション的事象は論理的にも補強されるわけだし、その分その論者の信頼度も上がるわけなので、これをないがしろにしたりはせずに、可能な限り説明を尽くすべきだと私は思う。

その直感部分にしても、ここ数日色々なサイトをモニターしてるわけですが、拙ブログをご覧になったかどうかは知りませんが、なかには、確か9月に入る前は、秋分に一斉にアセンションみたいな話になっていたのが、やっぱり五月雨方式、みたいに微妙に変節しているものもある…それは、それまでのヴィジョンが誤っていた、つまり正しくチャネリングできてなかった、ということではないの?

それでも、いや本当にアセンションは実施中だし、放射能は無毒で無害なんですよって主張するのなら、これまでに指摘した多次元化等の問題も含め、曖昧にしたり黙殺回避することなく、説明を尽くすべきだと思うが、一番いいのは、タイベックスなしで福島第一で作業する事だ。

言葉ではなく態度で示せば、彼ら言うところの頭の固い三次元人間にも、百言を尽くすよりも、おのずと絶大な影響力あるはずだ。
アセンションにおいてはその覚醒の連鎖性・波及性が最も重要だと聞く。 所謂アセンション的意識パターンの連鎖にもつながるんじゃないのか。
福島第一は今や四次元以上にお住まいの皆様にとってはどうか知らないが、三次元的生物にとってはほとんど地獄の一丁目と化し、目の前の放射性物質除去よりもまず被ばく線量限界との戦いと言っても過言ではない状況で、人手はいくらあっても足りない状況だろうし、ほとんど一石二鳥だ。

しかし本当はそれだけでも実は不十分だ。
だってある人間に放射能が仮に無害であっても他の人や生物にとってそうかどうかはまた別の話だから。

ゆえに大言壮語とほとんど紙一重のこれら個々人の直感的判断のダイレクトな一般概念化はやはり慎むべきではないのかというのが私の意見だ。

最後に論理的な部分を離れて一言、彼らの放射能は無毒という言は、前述した放射能回避のための様々な努力以外にとりわけ福島第一を収束させるべく現在当地で命がけで行われている作業すらをも場合によっては全否定する事になりかねない。
それについてはどう思っているのか。

あの昼に夜を継ぐ不断の作業がなければ、今頃日本は住めなくなっていると思うけど、アセンションで無毒化されるはずだからって放棄してもいいの?

どれほど分が悪くても、人類最大の業(ごう)とも言える放射能との戦いをとにかく続ける以外にない。
アセンションや異星人頼みのその前に、まずは自分達で必死に解決方法考えないといけないという考えは動かない。

そのほとんど絶望的な決意からしか行動は生まれないと思うから。

今日これを書いたのも、第一には放射能無毒という主張への懸念があったからですが、それと同じくらい上記のような疑問が頭にあったからですが、これらの疑問に答える事が、当該サイトの信頼度、ひいてはそれらの取捨選択にも役に立つかなと思うので、是非そのあたりについてのお考えを聞いてみたいです。

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フィギュアについては、個々の選手およびフィギュアというスポーツの特性についても取り上げてみたいと思っておりますが、個々の選手についての記事につきましてはなるべく客観的に捉えて生きたいと考えておりますので、ファンの方にとりまして耳あたりのいい話ばかりにはならないと思いますので、ご贔屓選手については賞賛コメントしか受け付けないという方がおられましたら、その選手についての私の記事はどうかスルーでお願いいたします。文中敬称略にて書かせていただきます。
なお、著作権は”TALES OF NIGHTINGALE”に帰属しております。無断転載等はお控えください。
以上、よろしくお願いします。


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