恐怖の正体 | |
2014年4月26日 20時54分の記事 | |
怒りの下にある恐怖を観察したら 恐怖の正体が見えてきた 自分にとっての恐怖とは 拘束とか服従とかそんな感じみたいだ 言葉ではなんと言うかわからないけどそんな感じだ
笑ってしまうw そういうのが怖いなら ここに生まれたときから 幼いころから 恐怖があるのは当たり前だ 身体や重力 拘束感 恐怖が限界までたまって あたしは怒りだした 多分怒っているうちは怖さを忘れられたからだと思う ずっと怒っていたのは ずっとこわかったからかもしれない 身体を愛せなかったのも 身体を道具としか考えられなかったのも 身体という拘束具がつらかったからかもしれない 怒りはいろいろなものを破壊すると聞いた 自分を破壊して ここまでに至ったのは 知ってたけど自分の責任だ その経緯が少しわかったと思う そして 何のためにこの世界に来たのか思い出せた気がする 生まれる前に 自分がこの世界に生きることは 多分少なくとも了解しているはずだと思う 体験しに来たんだと思う 身体があるから体験できるものを 体感しに来たんだと思う 保護され拘束されて 自我が芽生えて反抗して 個を知った まだまだ精神は幼い ゆっくりでいいから これからは個として 他の個を全て肯定できるようになりたい まだまだ あたしは嫌いなもの 尊重できない個がたくさんある←実はw 愛することはできる でも一緒にいたくない人がほとんどだ それは自分にそう感じているからだと思う 一緒にいたくない自分がいるからだと思う だけど、好きな人間がいなかったころからは進歩してる 調和と愛 なんとかなるだろ 自分と向かい合うことはもうできる よかったw 誰のせいでもないからね これは自分のやりたいことだったのだ 世界と自分を破壊したいとはもう思わない 世界を破壊することは簡単だ 頭の中で否定して抹殺することもできるし 自分がいなくなれば あたしの感じている世界はなくなる でも今は 自分の身体を通して、世界を体験したいと思っている 脳や感情を含む、身体の感覚を魂への贈り物にしたい 自分で自分にプレゼントw ありがとうございます | |
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1. 勝寛舟 2014年4月27日 0時17分 [返信する] 「花まる」さん、こんばんは。 否定は最終的に収束への道になると思います。 肯定は発散です。 そして「プレゼント」は肯定し「感謝」を表す印です。 自分の意識に感謝し、体に感謝し、全てのものに感謝する、プレゼントして肯定しその意識を表す。 それが次へと進む道なのではと思います。 私も今日、このことに気づきました。
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