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薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2011年11月20日 11時29分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


率兵上京に向けて・梗概
 いよいよ西郷吉之助が召還されたが、三年の間に時代は激変しており、当然のことながら四天王との間に意識のずれが生じた。
「貴様等は御供をして上京し、いけんすうつもいだ」
 一、二の浪士輩が我が藩に来て、ご上京が宜しいと申したといっても、それは書生論である。(中略)軽々しき御挙動があっては天下国家の一大事。


作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。



薩摩いろは歌 幕末編1 口上

  
                       
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
古賀宣子



 一 近衛家からの返書

 和宮の降嫁によって「公武御一貫」となったことを表したのだから、朝廷から直接諸藩に勅諚を出すようなことは決して無いと思う。
 読み上げる小松帯刀の呼吸が、一瞬ためらい、久光を窺う。が、久光の表情は微動だにしない。顔全体はやや斜め上向きでありながら、視線は下方の一点を見つめている。これは人の話に耳を傾けている時にとる姿勢だ。眉は特に太くはないが色濃く吊り気味で、切れ長の眼も同様である。固く結んだ口は下唇の方が分厚い。
 小松帯刀は続ける。
また自分は朝議に与(あずか)る立場におらず、朝議を動かすような力もなく「当惑」している。従って率兵上京しても、今のような状況では「無益之騒」を起こし、混乱のもとになるだけと思う。
 これは、先月(一月二十一日)、一蔵の口上を受けて、近衛忠房から最初に受け取った返書の冒頭部分である。
 京より帰着したその足で一蔵は小松邸に赴いた。それを受けて中山中左衛門へ使いを出した後、二人は重富邸へ直行したのであった。
「二の丸御作事が遅れておい」
 そのため久光の二の丸入りがまだ果たせておらず、発駕予定を二月二十五日から三月十六日に変更せざるを得なかったと小松帯刀はいう。国父の出発が仮住いからであっては決してならない。一蔵も無論、納得だ。
「西郷は戻っておいもすか」
「未だらしか。そろそろとは思うが」
「我ら精忠組にとって西郷召還は、最初の突出を思い止まって以来の悲願でしたゆえ」
 召還状は昨年十一月末ごろには受け取っているはずである。島妻の愛加那は二人目を身ごもったといつぞやの手紙にあったが、どうしたであろうか。
「順聖院様の意思を正当に継いでおうゆえ」
 その評価から、大きな意味での国事周旋を期待して、久光の許可は下りたと、重富邸へ急ぐ道すがら、小松帯刀は言い添えた。
 書は続く。
 摂家は太政官の協議に与ることになっているが、今日の御政事向万端は関白九条尚忠が「唯一人、事ヲ執」る有様で、左大臣右大臣は内覧、宣旨がなく、御政事向に与ることはできない。また議奏の中山忠能と正親町三条実愛は誠実な人物であるが、九条関白の近くには「奸賊之人体」が多くいて、議奏両卿は孝明天皇に近づいて叡慮を伺うことができない・・・。
 読み上げられる内容を聞きながら、朝廷内の状況が率直に語られていると、一蔵は思った。
「前左府様(近衛忠熙)は落飾以来なにか根気がなくなったごとだと記されておいもす」
「政治に関わう気持ちが薄れてきたのかも知れぬ」
 視線が小松帯刀を直視する。声音は低く落ち着いている。
 ところが、その翌日に届いた至急便では、態度が急変している。
 入覧後、急速々々火中々々頼み入り候也
一蔵より承り候ご趣意、御尤ニ候、兎に角ニ穏やかならずご参府時節にて、何とぞ天朝之御為、徳川家之御為、誠忠之程良策然るべき哉に存じられ候事
 修理大夫(茂久)殿
 和泉(久光)とのへ
「これは率兵上京要請と解して宜しかでしょうね」
「坂下門外の変を知い、お膝元でん何が起こうか分からん」
 そのような恐怖感が伝わってくると中山中左衛門。
 まさにこの頃、義挙派の志士たちは京を目指していたわけで、近衛忠房の予感は現実のものとなっていくのだが・・・。


 二 吉之助召還

「肥ったな」
 西郷吉之助を見るなり一蔵は発した。
「会う人ごとに言われう」
 吉之助は二重顎と突き出た腹部を撫でながら苦笑する。
 両親や嘉介たちも戸口で再会を懐かしんだが、ゆっくり小座で語る暇はない。すぐに小松邸へ向かった。
「西郷三助から大島三右衛門へ改名すうごと仰せつかった」
「西郷吉之助は死んだこっになっておうゆえ仕方なか」
 公式名は西郷三助だったが、吉之助は私信では、いつも変名菊池源吾を使用してきた。「村の中心の白間(しろま)に新家屋が落成し、小浜から移った翌日じゃった。召還状が到来したのは」
 早速、名瀬の代官所に参上し、代官相良角兵衛と見聞役木場伝内に挨拶したという。道すがら、吉之助の声は弾む。
「愛加那さぁは複雑な思いであったろう」
「夏に二人目が生まれう予定だ」
「それなら尚更だ」
「別れを悲しむゆえ、毛髪を形見とし、愛加那のために田一反を買った」
 口調も歩調も変わらないが、一瞬、吉之助の視線が足元へ。
「桜田事変の一年目には」
 再び吉之助が声音を強めた。斬奸を祝い、朝から焼酎を飲み、終日酔ったという。
「しかし」と、しみじみ漏らす。何より心強かったのは、一蔵やそのほかの仲間から伝わる国事情勢だった。
「なにせ島民のなかに埋まっとう日々であったゆえ」
 実は一蔵が抱いている漠然とした懸念はその点にある。
 吉之助が島流しになっていた三年の間に、時代は激変していたからだ。旧い習慣やしきたりを無視してでも、外様諸藩が進んで中央政局に打って出ようという時代になっていた。長井雅楽が提唱する長州藩の公武周旋運動がその典型で、朝廷も幕府もそうした長州藩に対して、正式に公武間の周旋を依頼したのである。
 安政五年末に、吉之助が島送りになった頃は、藩が政治向きの問題で朝廷に接触することは厳しく禁じられていた。その幕府の基本方針が大きく転換していたのである。
 吉之助自身がいうように、一蔵だけではなく、古くからの仲間である税所喜左三衛門・有村俊斎・吉井仁左衛門らも伝えている。それでもなお、文面を通してと実際の空気に触れるのとでは異なるのだ。現に一蔵自身も、京都では上京して初めて感じたことが少なくなかった。まして島暮らしから戻ったばかりでは・・。だが、この懸念を、解決するにはどうすればよいか。

「越前春嶽を大老に任じ、一橋慶喜を将軍の後見とすう議は、決して不可能なこっじゃなかが」
 小松帯刀から一通りの話を聞いた後、吉之助はまず言った。
「そうは言うものの」
 吉之助は厳しい表情を見せる。
「これらの勅諚を降下すうには、通さねばならぬ手続きがあろう」
 もしあらかじめ幕閣に計ってその準備をしなければ、たとえ勅命が下りたとしても、閣老らは辞柄(じへい・言い草)を設けてこれを拒絶するに違いない。そうなれば朝威を損することこの上ないであろう。そうなったらどうするのか。
 中山中左衛門が唇を歪め、視線を固くして反論する。
「幕閣がもし勅命を拒絶して、これに応じぬならば、断然京都に滞留し、あえて退かず、だ」
 吉之助は身じろぎもせず、相手の言に耳を傾けている。が、眉間がかすかに動く。あきらかに呆れている。
「京都に滞留すうといえども」
 吉之助は一旦言葉を切った。大きな目は湧きおこる感情をこらえて、表情を消している。
「空しゅ数年を経過せざうを得んであろう。必ず」
 吉之助は「必ず」に力を込める。
「幕府違勅の罪を矯正し、そん責に任ぜしめ、所司代らの京都警衛を除かなくてはならん。これに加え」
 吉之助は再び眉間をかすかに動かすと中山中左衛門を見据えた。
 いいか。よく聞けよ。そう言いたいのだ。
「京都に滞留し、皇室を保護せんと欲すうといえども、錦邸のごときは大兵を備えられう地にあらじ」
 錦邸とは京都錦小路の薩摩藩邸をさす。「然るに」にと、吉之助の語気は強まる。
「時日を経過すうに当たい、幕府がもし諸外国と結び、大坂、兵庫の地に軍艦を送い、我が帰路を遮断し京都を攻撃したならば、どのような策を以ってこれに対応すうつもいであうか」
 宜しくこれらの点に着目し、あらかじめ準備をしておかなければ、大義を決行することはできぬと、吉之助は言いきった。
「まだこれらの勝算あうにあらず」
 正直に打ち明けたのは小松帯刀だ。
「それゆえ、そこもとを召還したのだ」
 宜しく国事周旋の任にあたれと小松はいう。順聖院のもとで鍛えられてきたであろう。言外にその思いが込められている。が、吉之助は得心していない。
 ここだ。一蔵のなかで、はじめて懸念の焦点が定まった。
 中央政局に打って出るに当たっての心構えは、三年前と今では明らかに異なる。ただ、その空気を理解できるのは、体感であって、理屈ではない。時代の奔流にあったからこそ、なのだ。
 先ずは、その点を打開しなければ、吉之助を活かしきることは難しい。が、それは友情だけで解決できるほど、生易しくはない。
「久光公にあわせてはもらえぬか」
 吉之助の申し入れは、同感を以って受け入れられた。中山中左衛門がやや頬を歪めた以外は・・・。


 三 地ゴロ発言

 吉之助は久光に会うのは初めてだが、全く緊張した様子はない。順聖院に頻繁に接していた経験が、そうさせているのだろう。臆せず陳述し始めた。
「今回決起の計画は、順聖院様の遺志を履行なさろうとしておられう点は」
 可なるが如しといえども、今や時世大いに変遷し、天下の形勢また昔日と異なれり。
「加うるに」
 吉之助はひと呼吸し、久光を暫時、正視した。
「たとえ出府をしたとしても、登城は叶わぬでしょう」
 諸侯との交際もまた未だ親密ならざる故に、時世に応じて当時の挙を改め、先ずは大藩諸侯と意を通じ、合従連衡をはかってはどうか。そして後、初めて京都に出でて勅命を奉じ、公武の間に尽力する。そうするのが筋では。
「独い薩藩の力を以って京都を守護し・・」
 つまり吉之助は、久光のやり方では成功は到底望めないという。が、久光は顔色ひとつ変えずに、耳を傾けている。
「今回もし不幸にして京都に滞留した場合」
 諸藩有志の徒が悉く集合し、ついに一変動を生じて、不測の騒乱が顕現するのは明らかである。
 これは近衛忠房が最初に抱いた危惧と重なる。吉之助は続ける。
「非常の備えを成し、非常の事を決行せんと欲せば」
 尋常の手段を以って為すべからず故に、今回はすべからく参府を辞し、守りを固くして時機を俟ち、先ずは諸藩合同の計策を尽くすべきではないか。
 有馬新七らの過激派は、一蔵の説得すら、「旧によって遅緩な説、誠に救い難き」と批判している。一蔵の意見は、久光のもとで四天王が練りに練った策に基づいていることは言うまでもない。無論、その企ての詳細は秘密にされており、有馬らに知らされてはいないのだが・・。その彼らが、吉之助の意見を聞いたなら、なんと述べるだろうか。
 吉之助の歯に衣を着せぬ論は勢いを増し、小松邸でと同様に君側にも向けられた。
「貴様等は御供をして上京し、いけんすうつもいだ」
 一、二の浪士輩が我が藩に来て、ご上京が宜しいと申したといっても、それは書生論である。そのような畳の上の水練で、世の中のことが出来るものか。なまじかに片口を御信じなさって、軽々しき御挙動があっては天下国家の一大事。せっかく先公以来の勤皇の御趣意も一敗の下に取り返しは出来ぬぞ。
「貴様達、君側にいて御止め申しはせず、何とした短慮ぞ」
 吉之助は再び持論を委細に陳述し、かつ叱りまた諭し、まるで子供をあしらうように、一蔵らを強かにやりこめた。
 吉之助は大島から戻ったばかりで、英気勃々としていたのだろう。子供のころから親しかった一蔵には、その心中が痛いほど伝わってきた。が、喝破された二人は鼠のごとく小さくなって、一言半句の返答もできない。その状態は一蔵とて同様で、まして後から伝え聞いた堀次郎をや、である。
 中山の上唇が微かに痙攣し、理性ある小松の白面も上気している。
 国事周旋の先輩と仰ぐ西郷なれど、ここまでやっつけられては遺恨になる。
「天下のこたあ俺でなくては出来はせぬと傲慢自負し、上下の者を子供のごとあしらうとは何事か」
 後日、中山中左衛門は吐き捨てたし、小松帯刀も腹に力を込めた。
「なに、拙者らとて、精一杯やれば出来ぬことはない。やって見せようぜ・・」
 その時、いろは歌の一首が一蔵の口をついて出たのだった。すると、まるで申し合わせたように小松帯刀も・・。

 心こそ軍(いくさ)する身の命なれ
        そろふれば 生き揃はねば死す


 これは文字通りの意味である。将兵が一致団結すれば戦いに勝つことができるが、そうでなければ負けるであろう、と。

 座の息遣いが治まったところで、久光はおもむろに告げた。
「では、現状に準拠した策とは」
 促されて吉之助は、二策を建言した。
 第一策は、あくまでも参府を辞退することを本旨とし、幕府への報告は、まさに参府せんとするにあたり、国中人心大いに動揺し、ほとんど命令を遵奉せずして藩を脱走せんとする形勢にある。故に止むを得ず家老を以って参府の名代として上京せしむるとし、藩内には参府延引を布告すべし。
 第二策は、参府の届けがすでに幕府に達し、期日が切迫して公儀に対して延期が不可能ならば、天祐丸に乗船し、海路関東に直航すべし。然らばたとえ京都において一変動を発するといえども、浪士の暴挙に止まり、その影響を蒙ることは少ないであろう。

 藩内の情勢をみると、吉之助の憂慮は決して的外れではなかった。久光東上自重派の日置派と積極派の精忠組があり、その精忠組も、有馬新七・柴山愛次郎らの急進過激派が、一蔵らの主張と対立している。そのほか少数ながら島津豊後一派も健在で、まさに割拠の形勢にあった。
 吉之助は、藩内が人心の一致を欠いていることを察知して驚いているのだ。また京都関東の状況も定まっていないと知り、その上、清川八郎や伊牟田尚平らの動きを聞くに及び、薩藩だけの力で幕政の改革を進めるのは、とても無理であろうと。
そして・・。
「御前ニハ恐レナガラ地(ぢ)ゴロ」
 だから公武周旋は無理だと言いきった。
 その瞬間、一蔵は身を固くした。中山中左衛門や小松帯刀も膝に置いた拳を強め、俯いている。
 つまり、順聖院は名君の聞え高く、天下の諸藩主草莽有志輩まで挙って仰望していたのだ。その真似はとても出来ないと言いたいのだろう。吉之助の脳裏には、江戸育ちで、若い時分から名だたる諸侯や幕閣と交わって来た斉彬の残像が、今なお輝いていたに違いない。
 が、久光の声音は変わらなかった。
 国父と呼ばれる地位にある殿様が、下級武士に面と向かってこれだけのことを言われても事を荒立てなかったのは、腹底に不退転の決意があったからであろう。
 常識を覆す行動に出ようとしていた久光は、ありとあらゆる意見を呑み込んだうえで、一歩を踏み出すつもりだったのではないか。


 四 岩倉具視

 久光は予定通り三月十六日、二の丸より発駕するが、出立に当たり三点を実行している。
 一つは参府における行程の策定であるが、そのうち、大坂・伏見に九日間の長期滞在計画を立てた。
「これは、入京でけん場合に備えたものであろう」
 小松帯刀は説明する。
 京都周辺にあって、幕政改革のための勅使派遣運動を行う意向があるからだと。実際、久光は、一蔵が近衛邸で言上したよりも二倍の兵千人を最初から動員している。
「これによって朝議を動かせうと判断なされたのですね」
「一見、成算のない無謀な計画のごとだが、たとえ京都周旋が不首尾であっても、藩主名代として参府すう大義名分があうゆえ」
「いけなふうに事が運ぼうと、結果としては大事に至らんとの認識を持っておられうのであろうな」と中山中左衛門。
 二つ目は、江戸に派遣していた堀次郎に、上京にあたっての素地作りを命じたことである。
「江戸周旋に見切いをつけられたのじゃなかか」
「つまい、京都に全精力を集中なさうお積い、なわけなあ」
 後に一蔵は堀自身から直接聞いたのだが、三月二十七日、堀次郎は近衛邸において、江戸の情勢および久光の上京趣旨を説明し、奏聞を懇請したという。
「これまでの大納言様(忠房)の姿勢からして」
 期待はしていなかったがと、堀は付け加えた。
 だが、堀次郎滞京の噂は、思わぬ公家の反応を引き出した。
 岩倉具視が面談を申し込んできたのだ。
「凄じいほどの迫力であった」
 堀次郎は鼻の穴まで大きくさせていう。
 力強く頷く一蔵の脳裏には、御所近くの小料理屋『川』で逢った唐人服の男が浮かぶ。あの時は周(かね)と名乗っていたが・・。帰藩して、その話を小松帯刀にすると幼名を周丸といったらしい。
「子供の頃は、陰で岩吉というあだ名で呼ばれていたそうだ」
「公家らしからぬ雰囲気でしたから。何せ困窮のため、博打で暮らしを立てておられたとか」
 遠まわしにそう言うと、小松帯刀はニヤリとした。
「詳しく申すなら、三十路前までは」
 屋敷を博徒に提供して賭博を開帳し、てら銭を稼いで生活の足しにしていたという。
「岩倉邸は丸太通りに面しておい、人が出入いしやすかでしょうし」
「しかも公家の家には幕吏も手は出せぬゆえ」
「それにしても、岩吉とは」
「公家側からみれば品のない一言に尽きうが」
「この時節、岩倉様の衷心からすれば、そんなもの糞くらえ、では」
 一蔵はこの話を堀次郎にもしている。
「面談の席には大原重徳もおられて」
 二人に久光上京の趣旨を告げると、岩倉具視は喜悦満面で、こう述べたという。
「二百有余の諸藩は幕威に畏服して、なんもせず逼塞したはる。しかし薩長両大藩が俄然頭角を現し、国家のために尽くそうとしたはることは天の助けやなあ」
「そういうわけで」と堀次郎の話は勢いづく。
 この両大藩を一致協力させ、朝廷を輔翼させれば、その他の諸藩も必ず従わせることができる。
「皇政回復のために尽くすことができうと、岩倉様は考えられたのじゃなかか」
 久光が実行した三点目は、上京に先立つ三月十日に、訓令を発したことである。
「西国と藩内尊王志士の動向を非常に気にしておられるのだろう」
 小松帯刀の見方に一蔵は大きく頷いた。
 というのも、昨年十二月以来、平野次郎らが久光の率兵上京および義挙に向けた過激な言説を流布させていたからだ。その上、出立直前の二月二十七日には、西国義挙派の頭目であり、最も影響力を持つといわれている真木和泉も入薩しており、藩要路に非常な不安を与えていたのだ。
「その扇動と有馬新七ら精忠組過激派が結びつきますと・・」
「それを恐れておられうのだ」

 さる午年(安政五年)外国通商御免許以来、天下の人心紛乱致し、各藩の有志と相唱え候者共、尊王攘夷を名として、慷慨激烈の説を以って交わりを四方に結び、容易ならざる企てを致し候哉に相聞こえ、当国(薩摩)にても・・・
 という書き出しではじまる訓令のなかで、久光は、尊王藩士に一定の理解を示しながらも、他藩激徒や浪人との音信往来を厳禁している。加えて浪人の軽率な行動に同意しては、薩摩藩への禍害は無論のこと、皇国においても内乱となることを強調。ついには群雄割拠の形勢になり、外夷の術中に陥ることになり、藩主茂久に対する不忠不孝の段は非常に重いとして、軽率を厳しく戒めている。
 その上で、違反者には遠慮なく、罪科を申しつけると厳しく達しており、藩の秩序を無視した藩士の行動を激しく嫌悪し、厳罰に処する強い意志が窺える。
 また公武合体を志向し、幕府補佐を打ち出して、義挙に応じない姿勢を明言している。「有馬新七らは動揺すうであろうな」
 苦い思いが胸をふさぐ。桜田門外の変(万延元年)によって、精忠組同志の有村雄助・次左衛門兄弟を失った悲しみと憤りがよみがえったからである。あの時は精忠組を指導する立場にある者として、あたら貴重な同志を失った無念さを日記に記した。
 しかし、今は藩政に携わる一員として、薩摩藩にとっての貴重な人材を失う悔しさがある。
 一蔵は逆に久光の訓令に一縷の望みを託した。


 五 勤皇の唱首となり

 一蔵の悩みはそれだけではなかった。
 吉之助が久光に建言した翌日の夜、末弟小兵衛が息を切らしてやってきた。小兵衛も昨年元服している。
「明早朝、指宿の温泉へ参うと」
 次弟吉二郎が機転をきかせ、知らせて寄こしたのだ。
 一蔵はすでに床に就いていたが、夜着の上から普段の羽織袴を身につけ、小兵衛に従った。
「時機が至うのを俟つ外なしだな」
「早まるなよ」
「その間は、隠遁して、心身を養っておく」
「必ず三月までには戻ってきてくれ」
 一蔵は、西郷召還は精忠組だけではなく、日置派からの要望もあり、藩内一致を目指すには欠かせない存在であるのだと強調した。
「おいどんは、いっ度死んだ人間だ。それが生き返ったのは」
 初めは月照一人を死なせたことにこだわり、己を痛め続けたが、為すべきことを未だ終えておらぬ、と、ある時悟ったという。
「時機が至るとは、そういう意味か」
 叶わぬ、のう。一蔵の呟きに、吉之助は大きな眼もとに微かに恥じらいの笑みを浮かべ、「短所のゆえ、さ」と、自嘲した。いつぞや一蔵が評した言葉をなぞっているのだ。
「長所と短所は表裏をなすというが、吉之助さぁは、そん潔さだな」
 必ず戻ってきてくれ。もう一度念を押すと、吉之助は頷いた。
「帯刀様には足痛のため赴くと申しておいてくれぬか」
 小松帯刀はそれを聞くと、西郷らしい処し方だと腕を組んだ。
「あん時は、こちらの感情も昂ったが、確かに正論ではあう」
「問題は体感です」
「三年の激変をいけなふうに察知させうか」
「我らに必要なのは、そん点です」
「それと」小松帯刀の顔が翳る。
「平野次郎らの動向だが」
 率兵上京に当たっては、西国要路の不安もあり、訓令だけではなく、真木和泉、平野次郎そして有馬新七の本意を、我々も再度、確認しておく必要があると小松帯刀はいう。
「平野次郎の考えは、勅許を求めて大阪城を奪取し」
 孝明天皇を迎えて天下の向背を決した上、幕府が命に従わない場合は青蓮院宮(後の中川宮)を将軍とし、天皇が箱根に行幸して幕府に臨む。
「そこで、罪を謝せば徳川将軍家を諸侯に下し、さもなくば征討すうちゅうもんだ」
「皇政回復後については、いけなふうに」
「武備充実と航海術の習得」
 囚人による蝦夷・八丈島・無人島の開拓、征韓論、商船による上海・香港での夷情探索、征夷大将軍の皇族任命、天皇親政などを主張している。そして・・・。
「幕府を助け攘夷を実行すうちゅう薩摩藩の意見は、現状の幕府においては無用と退けておう」
「結果は骨折い損ちゅうわけですね」
「たとえ勅諚を以ってしても、一体どの幕吏が慶喜を城中に招き入れうのであろうかと」「むしろ奸賊が姦計すうだけと見做しておう」
「それに、将軍家茂も年は若いといえども」
 自らの側近である老中の罷免などは快く思わないであろう。ここまで天意に背き、人心が離反している将軍家を何故頼みにして、国事周旋しようとしているのか。
「我が藩の論は、天下の大勢を知らぬ僻論と、久光公の政略を完膚無きまでに否定しておう」
「義挙については」
「時機を見誤ると、承久の乱の如く、かえって幕府のために反撃を受けうのは必定と」
「むしろ慎重なのなあ」
「天皇親政があってはじめて義挙が成立すうという見解だ」
 真木和泉は二月二十七日、入薩している。久留米藩の弾圧が迫ったため、幽閉を脱して逃走してきたのだ。そして翌日真木は「義挙三策」を一蔵に示した上で、次の三カ条を懇請した。
 久光の早期率兵上京と藩主有馬頼慶への義挙参加要請そして真木自身の上京時従駕だ。 真木和泉の三策については、先日の三月二日、小松帯刀が真木に告げている。
「三策については皆が感服したが」
 三カ条は副いかねると謝絶している。無論、これらは小松帯刀の独断ではない。必ず久光も目を通しており、江戸にいる堀次郎を除く久光四天王との議論をまとめた上での返答である。
 尚、「義挙三策」は、平野次郎の考えと方向性は同じである。各策の要点を述べるならば・・。
 上策では、三千から九千人の兵が動員できる大諸侯の義挙によって、他諸侯や人民の勃興による合力が実現し、「皇政回復」が成就する。
 中策では、諸侯から借り受けた兵千人と義徒千人の合力による上方鎮圧を唱えている。 下策では、尊王志士による江戸と京都、東西呼応しての義挙計画を詳しく説き、攘夷実行、異人排撃を行い、箱根に玉座を移して、将軍家の謝罪を求めるとしている。
「真木は上策にこだわっておうようだが」と小松帯刀。
「中・下は、清河八郎らの草莽義挙の主張を踏まえた妥協点ではなかですかね」
「羅宇屋の源助にようと、西国尊王志士たちは、既に京を目指して突出を開始しておるようだ」
 この頃、源助はすっかり小松付きになっている。それだけ気に入られているのだから喜ばしいことだ。
「廷臣に取い入うなど、不穏な動きもあうごとですが」
「いずれにせよ、緊迫した京に、久光公は飛び込んでいかれうことになう」
 小松帯刀はそこで一旦言葉を切ると、嘆息した。
「で、有馬新七だが」
「昨年十二月、伊集院駅で平野次郎らに会い、幕府が孝明天皇に譲位を迫るのではと聞かされて、初めて義挙断行の決心を固めたと思われもす」
 昨年十二月というのは、平野次郎と脱藩していた伊牟田尚平多が、それぞれ変名を名乗って入薩(伊牟田は帰藩)した際、二人は藩士動揺を恐れた久光・小松の意図から、小松と一蔵とのみ面会が許されたのだった。小松と一蔵はこの時、皇政回復を唱える平野らを排除できず、既成事実の率兵上京を藩首脳として初めて尊王志士に対して宣言した経緯がある。その後一蔵は命じられて、もう一度彼らと篤と議論し、小松帯刀が強調した「あくまでも藩としての行動であり、尊王志士とは一線を画すること」を説き、彼らが納得したことを確認している。久光の用意周到振りが伝わる一面だが、それでもなお・・である。
「廃帝問題はまだ噂に過ぎぬのだが」
「皇国復古についての久光公のお考えは」
 徳川公儀体制を変革し、諸藩連合による政局運営という、これまでの体制を前提とした、その枠内でのものである。
「ところが有馬新七の考えは、それを凌駕すうもので、討幕志向に基づく義挙へと変わいつつあい、久光公の存在すら眼中にないごとに見受けられう」
「ここまで変じては・・。しかし」
 一蔵はそれ以上言葉もなかった。が、一縷の望みも捨てきれない。
 吉之助の処し方については、体感しかないという一蔵の考えが取り入れられた。時代の風を実感させようとの意図である。
先発して、九州各地の情勢を視察して下関で一行を待てと、久光は命じた。
 しかし当然のことながら、藩の大目付は反対した。西郷は藩の罪人ではなく、幕府のお尋ね者であり、幕府ではすでに死んでいることになっている。大勢の御供のなかに混じっているのならともかく、単独で先発させると幕府に分かる危険性があると。
 従って吉之助も、これについては充分承知の上で、三月三日、村田新八を伴って出発したのだった。
 そして三月十六日、久光は一千名の兵を率いて、鹿児島を出発。その日の朝、久光は、「聞道中原横虎狼(中原に横たわる虎狼を払いつつ)、慷慨誰先唱勤皇(天下に率先して勤皇の唱首となり)」で始まる漢詩を詠んだ。
 腰間(ようかん)頻(しきり)に動く双竜の気、
 東天に向かい採光を吐かんと欲す





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