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くる天
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TALES OF  NIGHTINGALE
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傍観は肯定されるか。
[”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア]
2015年9月16日 18時59分の記事


政治がおかしい、しかしデモもおかしいとして、その双方から距離を置き、傍観する国民がいる。

しかし、この傍観は、彼らのその意思を正しく反映してはいない。

この立場は、一見、デモと同様に国賊政権とも一線を画して両者から等距離にあるように見えるが、実はそうではない。


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この状況で何らの声も上げないという事は、国賊自民に消極的容認を与えるに他ならず、傍観という行為は、傍観者のその意図とは別に、国賊自民への立派な加担行為として機能しているのである。
座して傍観は、この場合、現国賊政権に半自動的に賛意を示し、その背中を押すに等しい。

一人でも多くの人間が、声を上げ行動しなければならない理由がそこにある。

そもそもどちらもおかしというのであれば、その傍観する彼ら自身が、このふたつ以外の説得力ある第三の選択肢を提示する必要があるが、そんなものは示された試しがない。あたかも、そんな第三の選択肢は、自分以外の第三者から提示されて当たり前と言わんばかりに。
しかしその態度が既に、当事者意識の欠落した思考放棄・行動放棄の他人任せではないのか。

如何なシールズらデモ参加者のやり方が拙かろうが、少なくとも、自らのその態度が、国賊自民らの思うツボである事すら理解できず、にも関わらず、”どっちもどっち”とばかりに斜に構えて事足れりとする端から思考と行動を停止させているこれら傍観者よりは当事者意識に富む事だけは間違いない。彼らは国の問題を自分の問題として降ろしている。
仮にこの国の国民の過半が同じレベルの問題意識と行動力を持っていたらば、国賊自民のような魑魅魍魎が跋扈するような今の自体はあり得なかっただろう。

であるならば、当事者意識をすらそもそも持たず、問題を自分ではない他者に丸投げしている傍観者が、少なくともそれを持ち、身体を張って行動に移している彼らを嗤う資格なんぞはどこにもない。

その行動者である彼らを見捨てるということは、また、彼らの後ろに連なるまだ生まれていない将来世代をも、先の大戦において、本人たちにはもはや如何とも抗い難いように巧妙にシステム化された、”お国のため”という殺し文句のもと、あたかもベルトコンベヤーに載せられて処理される食肉のように、生き延びるための何の方策も持たないどころか、生き残る事は恥とまでに死を強要され、未来溢れる彼らが本来追うべき夢を無残にも踏みにじられてた特攻らと同様、鼻息だけは荒くとも論理性戦略性皆無の点においてその大本営と選ぶところない低能壺安倍らの指揮のもと、必然的な惨死に追いやるというプロセスのもと、見捨て見殺すに他ならない。

仮にそれをもやむなし承知というなら、徴兵制が敷かれた暁には、いの一番に傍観者自身が、そのプロセスの下敷きになれ。

今ここでの傍観とはそういう意味だ。

どっちの立場にも与さないというなら、自らその二者を超える方向性を提示する義務がある、いやしくも民主主義国家の当事者たる主権者ならな。

それすらしないってなら終日草食んでる牛と選ぶところはない。私はそう思う。




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