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くる天
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いまさらアセンションなど
[◆スピリチュアルな話]
2013年7月13日 23時1分の記事

スピリチュアルな世界で”ある種のレベルやランク”を表現する為によく耳にする言葉に次のようなものがあります.

波動 次元 

そして、これらの言葉にはそれらの程度や質を表すために高いー低い、細かいー粗いなどの表現があてがわれることが多いと思います.



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例えば,波動ということで言えば”波動の高い(低い)言葉”とか人物の精神性やパーソナリティを”あの人は波動が高い(低い)などとして表現されることもあるようです.

また、次元に関しては我々の今住む次元を3次元とすればアセンション(次元上昇と訳されるようです)後は,4.X次元になるとか5次元に移行するとか…
あるいは,スピリチュアルな世界に限らず一般的な表現として”あの人の考えは次元が低い”とか”(能力などについて)次元が違う”などなど

どちらかというと、波動という言葉に比べると次元という言葉の方が日常会話において使われるシーンが多いように感じます.

ただ、いずれにしましても、その表現を使う対象となる人物の精神性やパーソナリティ、あるいは能力などを”査定”する一つの物差しとしてそれらの言葉は機能しているわけです.

当然のことながら、通常の感覚として低いより高い方が良いわけです.

「あなた次元が低いですね.」

なんて言われて喜ぶ人はいないでしょうからね.

つまり、その「高低」の感覚には「優劣」という感情が付いてくるわけです.

次元が低い=”劣っている”
次元が高い=”優れている”

しかし、その優劣を決定する感覚というのは本能的な空間認識に社会的(生得的)な価値観(概念)が結びつくかたちで生じた抽象化された身体感覚です.
その抽象化された身体感覚は、我々が生きて行く上では欠かすことのできない五感と密接に結びついているので暗黙のルール(=常識)として生の基盤をなしています.

この暗黙のルール、いわゆる常識も幅が広くて社会性や社会における制度の基礎となる類のものから、人間を他の生物から区別するような人間としての”与件”として働くものまであります。

つまり、社会通念という疑いを挟む余地のあるものからタブー(禁忌)のような口にすることさえ憚られるものまであるわけです.

上に述べたような”抽象的な身体感覚”を基盤とする常識は、先ほども申しましたように(身体的・生物的)五感と密接にリンクしているため、よりタブーよりの、よって強固な常識として存在するわけです.

「天国は上(天)にあり、地獄は下(地下)にある」

これなどは、典型的な例だと思いますが”抽象的な身体感覚”が宗教的な概念と結びついたものです。

天国や地獄といったものは、文学や絵画、近年では映画のテーマとしてもよく取り上げられるような普遍性がありますが、天使が地下からさっそうと登場してくるような場面というのにはついぞ出会ったことがないように思います.
その逆も然りで、天から悪魔が降臨してくるなんてものも見たことがありません.

「なんで天国が上で地獄が下やねん!」

と異を唱えるのも聞いたことがありません.

あるとすれば、幼い子供の素直な疑問の中くらいでしょう.

よく親や大人を困らせる「なんで?」というやつです。

答えに窮した大人たちは、その子供の無邪気な疑問に対してせいぜい次のような答えしか出来ないのではないでしょうか。

「そういうものだから」とか「昔からそういうふうに決まってるんだよ」とか、あるいは「もう少し大人になったらわかるよ」などと問題自体を棚上げしてしまうのが関の山でしょう。

それは大人にとっては成長過程において自分を取り巻く家族や社会の中で自然と身につけてきたもので、何度も言っているように抽象的な身体感覚として知識や概念が生物的与件としての身体感覚と結びついた結果、疑問を挟む余地など無いほどの条件反射的思考パターンとなっているのです.

つまり、存在として統合され、存在における基礎的なレベルで重要な構成要素となっているとさえ言えるでしょう.

しかし、まだそれらが統合過程にある子供にとっては抽象的な身体感覚が未発達なため、社会的な知識や概念と生物的な身体感覚との齟齬による違和感から「なんで?」という問いが生まれてくるわけです.

社会性の獲得と言えば,なんとなく大人の階段を昇るようで聞こえはいいですが,ぶっちゃけた話、これって『洗脳』なんですよね。

『洗脳』が解けにくい原因もこの抽象的身体感覚にあります。

ゆえに、『洗脳』をしている側の人間も自らのそうした行為に対して無自覚な場合が多いんじゃないだろうかと推測します.

この点が、いわゆる『詐欺』とは決定的に異なるところです.


ずいぶん話が逸れてしまいましたが(汗;)


まぁ、要するに何が言いたいかと申しますと、冒頭で述べた”波動・次元”といった言葉とそれに付随するイメージも優劣といった感情(これも社会性の獲得によります)と高低といった抽象的身体感覚を伴う以上、きわめて人間的な産物であり、間違っても人間をその存在の根底から変容したり変質せしめたりするようなものではないということです.

つまり、世に喧伝されているようなアセンション(次元上昇)と呼ばれるものは、”波動とか次元”といった人間的観念をその論拠とする以上は無いといっても差し支えないだろうと思っています.

じゃあ、アセンションは無いのかと問われれば「ある」と答えます(笑)

「”いったいあるのか無いのか、どっちやねん!”」

ということなんですが…

その答えは、今生きてある”いまここ”での体験がそれを証明していくだろうと思っています.

つまり、アセンションとは到達されるべき何処かや何かではなく、今ここでの体験のなかにしか見出せないものだろうと思うのです.










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