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薩摩いろは歌 雌伏編(三)島からの手紙 
[【時代小説発掘】]
2010年10月13日 15時56分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(三)島からの手紙    
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


これまでのあらすじ:
 大久保利通の原点はお由羅騒動ではなかったか。斉彬派(正義党)に属し、遠島に処せられた父次右衛門は、流人船で発つ日の朝、果たせなかった志を、正助(大久保利通)とその盟友吉之助(西郷隆盛)に託していく。
「企ては発覚しては何もならぬ。慎重に、念には念を入れど。激しては負けだ」
 よいな。父は二人を見据えて、無言で命じた。(本文より)
 一網打尽と思われた処分だったが四人の脱藩者が判明し、敵方(庶子派)は探索の目を緩めない。役料の途絶えた大久保家に借財は容赦なく嵩んでいき、挫けそうになる正助。探索方はそこにも付け込んでくる。それを瀬戸際で押しとどめるのは、郷中教育で叩きこまれた日新公いろは歌だ。そして大久保家を脇から支える羅宇屋の錦屋源助(実は黒田家隠密)。一方、西郷家は用頼みを務めていた物頭赤山靭負の血染めの裃(かたぎぬ)を貰い受けており、密かに二人はそれを羽織り合い、正義党の火を絶やすまいと決意を新たにする。

第三話梗概: 
 翌年春、父から無事の報が届き安堵する傍ら、以前赴任していた沖永良部島には、島妻がおり、娘の死を知らせる手紙が波紋を及ぼす。斉彬襲封の朗報を綴る手紙とともに、父の荷にそれを入れるかどうか。複雑に揺れ動く母。飛脚船が発つまでの猶予は二日に迫る。それでも母の心を思いやり、根気よく誠実に処していく正助。
「筆さぁ、ひょっとしたら喜界島へ逢いにくうかも・・・」
「いけんぞ(どうでしょう)、遠すぎもす」
 遠すぎますよ。否定しながら正助は懸命に母の肩を揉んでいた。(本文より)


作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。


薩摩いろは歌 雌伏編(一) 仙巌洞
薩摩いろは歌 雌伏編(二) 血染めの裃(かたぎぬ)

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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 雌伏編(三)島からの手紙    
古賀宣子



一 舌だにも歯のこわきをばしるものを

 
 この時節、潮の流れに逆らいながらの海路であったが、幸い嵐に遭うこともなく、安着候。
 水の補給のため、種子島ほか幾つか島に立ち寄りはしたものの、七日もかからぬうちに喜界島小野津に到着したという。
 着いた当座植え始めていた麦がこの月には熟しつつあり、鳥に啄ばまれぬよう半熟にて刈り取っている等々、島の様子を綴った父次右衛門からの手紙が届いたのは翌年、嘉永四年の三月二十五日。年に二度鹿児島と諸島を往来する飛脚船によってもたらされた。
「小野津に砂糖小屋のような住まいが用意されていたごとですよ」
「砂糖小屋・・」
「屋根も壁回いも砂糖黍の絞い糟で造うと、お父上様から聞いたこっがあいもす」
「粗末な造いなでしょうね」
 母は俯いて、膝においた左手の甲を擦っている。
「そいどん、流人の身では」仕方ないと言いかけて止めた。そんなことは母だって百も承知だ。
「お元気にお暮らしなでしょうから」
 母は不安を断ち切るように、膝で合わせた両手を強く握った。
「島の子供たちに手習いと素読を教えておられう由」
 時には富家の者に囲碁を教え、頼まれて書状を認めたり、砂糖の取引の計算書を仕上げたりと、進んで島の生活に溶け込んでいった有り様が綴られている。
「よかった」母は安堵の涙を拭う。
「お父上様はあんよなご性格ゆえ」
 農民や商人との付き合いは、こちらでも分け隔てなくしていた。そういう父を陰で非難する者もいたようだが、父は気に留める風はなかった。
「本当に」
「人間、何が幸いすうか分かいませんね」
「船が鹿児島を発つのは」
「四日後とゆておいました」
「では早速、荷物をまとめましょう」
 飛脚船が到着する大体の時期は分かっていたので、母は夏物の衣類を新しいのをまじえて少しずつ揃えてきた。それに加えて煙草・筆・紙といった物品も整えねばならない。
「返事を認めもすが、あんこっも書いたほうが宜しかでしょうね」
 正助の問いかけに、母の顔が一瞬翳った。
 父は文政十年と天保八年の二度に亘って沖永良部島へ代官附役として赴任している。任期はいずれも二年であった。その沖永良部島には、次右衛門の島妻筆がおり、娘二人をもうけている。上がタケといい、長女なか子より一歳下になる。二番目がマツで、三女すま子の一つ下だ。藩法で島妻を連れ帰ることは許されないので、会ったことはない。
 あのこととは、筆から次右衛門宛てに届いた手紙をさし、父と入れ違いに昨年十月に受け取ったものである。
 筆からの手紙は初めてではない。タケが嫁いだ喜びと初めてのお産が死産だった悲しみを綴った二通で、受け取ったのは無論、父である。平仮名の多い手紙だが、筆は字が書けぬので、代筆だと父が言っていた。
 そして昨秋の手紙には・・・。
・・・タケが八月にふたり目の子を産みましたが、しゅっけつが多く、まもなく亡くなりました。あかごも、はん月のちに死にました・・・。   
 享年二十三歳。因みにこの年、筆は四十歳で、マツは十三歳になる。
 正助が筆の存在を知ったのは、十七歳になったばかりの姉なか子に縁談がもたらされたときだった。世話をしてくれたのは叔母のあきだ。母の末妹で、嫁いで樺山あきとなっていた。
 三が日も過ぎたその日、父は不在で、姉妹だけのすべてを赦し合ったような雰囲気が、そこにはあった。男の兄弟のいない正助には羨ましい間柄である。妹たちもそうだが、同じような空気は西郷吉之助と弟の吉二郎の間にもある。
「島の娘(こ)も、そろそろでは」
「お筆さぁは息災なのかしら」
 続いて尋ねたのは直ぐ下の叔母なつである。
 叔母たちの問いかけに、母の顔がにわかに曇った。曇ったというより憤慨の眼差しだった。だが遠慮のない空気でも、固く結んだ唇からは、感情をむき出しにした言葉は発せられなかった。それだけに内にこもった複雑な思いが垣間見られ、正助の胸底に音を立てて落ちた。

 諸島には役人が定期に派遣されているので、島妻の存在そのものはなんとなく知ってはいた。それでも身近に結びついたのは、このときが初めてである。が、正助も元服を翌年に控える年頃になっていたせいか、父の立場が理解できて違和感はなく、むしろ母の眼差しに驚いたほどだった。しかし目前の横顔には、解ってはいるが、どうしようもない渦に苦しんでいる様子が見て取れる。

「別に次の便でん構わんと思いますが」
 正助は母の気持ちを大事にしたかった。

 舌だにも歯のこはきをばしるものを
        人は心の なからましやは

 相手の立場をおもんばかる大切さも、日新公のいろは歌から学んだ。歯の硬さをよく知っていて噛まれないような動きをする舌に喩えた意味は、子供心にも十分に理解できた。
「そうなあえ、余計な心配をおかけしては・・」と、言いかけて、
「でん伝ゆっとが筋でしょうから」
 母は自分に言い聞かせるように呟いた。


二 癪の発作

 その晩、母が持病の癪を起こした。小座の奥、細い廊下を挟んだ部屋に母は寝ている。夜のしじまを、やや高めの呻き声が突き破った。続いて呻吟する声が幾重にも波打つ。異様だが、家族には聴き慣れた音(おん)である。断りもなく襖を開けると、母は激痛のあまり櫛やかんざしを抜き、鳩尾のあたりを片手で押さえながら突っ伏している。

 背中を摩るのは正助の役目だ。痛みを宥めるように指先を胃の腑の辺りに当てていく。弱すぎても強すぎても駄目で、痛みの鎮まり具合を微かな背中の動きで察知していかなくてはならない。鎮まるにつれ指先に力を加え、肩から背中の筋へとほぐす範囲を広げていく。これは誰に教わったわけでもない。正助自身がつかみ取ったものである。

 嘉介が常備した痛み止めと湯冷ましを盆に載せて運んできた。これもいつもと変わらない。台所からは香ばしい匂いが漂ってきた。すま子が七輪の鉄鍋で袋の塩を煎っているのだ。癪用に取り分けてある塩で、毎回煎りなおして使っている。家族の連携は慣れたものである。
 間もなく夜着に半纏をはおったすま子が、麻袋を平笊に載せて入ってきた。直には掴めないほどの熱さだ。正助はお手玉を扱うようにして、袋をさらに手拭で包み、母の腹部に当てた。
「先ずは温めてくいやんせ」
 引き続き凝りをほぐしているうちに、母は静かに寝息を立てはじめた。
 小座に戻った正助は、床の中で父へ出す手紙の構想を練った。半年に一度しか伝えられない鹿児島の事情だ。家族の近況は無論のこと、藩内のその後の動きについても知らせたい。すぐにでも筆を執りたかったが、油の節約もあって明かりは灯せないし、紙だって無駄にはできない。
 
 御父上様御安着の報に触れ、家族一同喜慶至極に御座候・・
 日の出が近づいた頃、正助は雨戸を開けて、文机を庭に面して置いた。
 先ずは、時々母の持病が出る以外は、家族は皆息災であると綴り、昨秋、嘉介が九歳になる甥の平吉を連れてきたと続けた。
 一昨年の春に父上の了解を得ていることと、嘉介が自身の身体に不安を覚え、次代の者を育てんとしているのが解ったので、こういう時期だが応じたと書いた。何よりも大久保家への忠誠心が有難いとも。また錦屋に母の内職口をひそかに依頼していた父の配慮を謝した。
 続いて藩のその後の動静へ。
 先ずは大いなる悦びをお伝えします。斉彬様が二月二日に襲封。その報せを受け、二十二日に新納の義兄上様を訪ね、祝杯を挙げました。処罰を受けた者は皆、いずれ赦されるときがくるのではと話し合いました。
 そのほかについては簡略に記していった。
 昨年六月に加治木の郷士が新たに二名脱藩。先の二名と同様に筑前へ逃亡。四名は薩摩藩の捕吏の目が届かぬ筑海の孤島に匿われている由。探索の手は藩内にもあるので気をつけるよう、錦屋の源助から示唆されたと書いたが、名前までは触れなかった。そして最後に、昨年十二月、血染めの裃(かたぎぬ)をもう一度見せてもらい、吉之助と互いにそれを羽織りあって、正義党の火を絶やすまいと決意を固めたと記した。
 月日の下方に正助と記し、行を改めて御父上様と書いた。その後に追伸として続けるつもりだが、一旦筆を置くことにした。
 土間へ下りていくと、平吉が身体をそらすようにして薪を抱えて入ってくるところだった。母に代わってすま子が包丁を使っている。
「平吉、喜界島から安着の報が届いたと、吉之助さぁに伝えてこい」
「はーい」
 僅かに冷気を含んだ大気を裂くような声で応じたあと、
「ちっと西郷様のとこいまで行ってきもす」
 平吉は、まだ薪割りをしている嘉介に声をかけて、駆け出していった。
 その平吉が戻ってきたのは四半刻ほど経ったころであろうか。洗濯をするみね子のために、正助は風呂の残り湯を井戸端の盥に入れているところだった。
「吉之助様はお勤めで、いっとっお(しばらく)お留守だそうです」
「誰に伝えたか」
「信吾様です」
「あん洟垂れか・・」
「奥で吉二郎様に話しじぁのが聞こえましたから」
 正助の心底を見透かしたように莞爾していう。が、すぐに不安な表情になる。
「いけんした(どうした)」
「いつでしたか、うちのまわいをうろついていたお侍さぁに似た人が」
「また、いたか」
 声を潜めて正助は猫のくそ小路を窺った。似た人とは、西田町で米屋と質屋を手広く商う鶴屋の次男で、士分に取り立てられた川田丙蔵のことだ。錦屋の源助から庶子派の探索役を担っていると聞かされていた。
「山之口馬場通りから川沿いの道に出た時に、後ろから」
「声をかけられたのだな」
「はい」
「で、なんと」
「聞きたかちゅうこっがあうとゆて、照る照る坊主の小粒くらいのを手のひらにのせごとしたので、頭(かしら)に叱られうからと断った」平吉は両手を後ろに回す仕草をした。
「えらかったぞ」
 正助は平吉の頭を強く撫ぜながら「当分一人では出せんな」と、独りごちた。


三 きざみ煙草

 煙草はいつも田原屋で買う。船津町にある田原屋は藩の専売品を扱う大店だ。甲突川を背にして、山之口馬場通りを真っ直ぐ六、七丁ほど行くと、菩薩堂の広い辻に出る。そこから海の方へ向かって伸びているのが菩薩通りで、呉服町を過ぎると船津町になる。田原屋はその菩薩通りに面して店を構えている。
 正助は朝食後、平吉を連れて出かけた。店では番頭の新蔵が、積み上げられた角型の荷を、ちょうど数え終えたところだったらしく、正助たちに気づいて、帳面を閉じながら自ら近づいてきた。
「ご無事の報せが届きましたか。そや何よいで」
 田原屋の老境に入った番頭新蔵が愛想よく応じた。安着といっても流人の身なので、喜びをどの程度表したものか。目元や物言いには遠慮が滲んでいる。
「どの刻みにしもすか」
 昨秋立つときは手刻み煙草五百匁(約1.87g)を袋二つに分けて購入したからだ。刻み方にはその他かんな刻みとぜんまい刻みがあり、一度にたくさん刻めるぜんまい刻みがもっとも安い。が、父は手刻みを好んでいた。その方が味がよいといって。せめて半年は好みの煙草をと、正助は奮発したのだった。
「流人の身で手刻みは贅沢。相応で構わぬと、綴ってあった」
「島いも山煙草ちゅうのがあいもすとか」
「年中葉が出て枯れうことがないらしかが、只じゃなかゆえ。煙草好きが日に三度と決めておうとのこっ」
 家では目覚めから就寝まで少なくとも七度は喫っていたはずだ。
「喫煙頂けうだけ、煙草屋としては、有難かちゅうこつでござおいもす」
「何せ、父も拙者も唯一の嗜好品ゆえ」
 二人とも酒は飲まない。というよりは飲めないのだ。だから煙草ぐらいは赦してほしい。家族は誰も咎めたりはしていないが、正助は父の思いも込めて買っている。
「ねんじゅ(いつも)の指宿産で宜しかなあ」
「そうしてくれ。あれは始終喫煙しても舌を痛めぬ」
 しかも気味よく廉価なのが気に入っている。
「煙がずんばい(多く)、火の燃えがよろしかですから」
 新蔵は今朝の刻みたてだと暖簾奥の作業場を顎でしゃくりながら、慣れた手つきで計量し、袋の口を紙紐でしっかり結んだ。
「江戸では、こん手の煙草も、五匁十六文はすっときいておいもす」
「国元ならではだな」 
 自分の分はまだあるので、島へ送る五百匁千三百文を支払って外へ出た。
「煙草は掛売いじゃなかのなあ」と平吉が初めて口をきいた。
「以前は季節の終わいに支払っておったがのう」
 さすがは嘉介が見込んだ子供だけはある。ぼんやりと突っ立ってはいなかった。見た目は華奢で、あどけない顔つきなので、平吉を知らぬ者は侮るかも知れない。少し身体も鍛えてやるか・・。
「父上の手紙に、借財は信頼のおくう親戚や知人からのみすうごとあったゆえ」
 語りながら正助は川田丙蔵の細面の顔を思い浮べていた。
 この後、紙問屋で普段用の半紙三束と廉価な筆数本を筆屋で見繕い、山之口馬場通りを戻っていると、観音堂の大鐘が四つ半(十一時)を打つのが聞こえた。
 手習いを教え終えた昼八つ半(三時)頃、正助は戸口の土間に下りた。
「平吉、今日から立木(たてぎ)打ちの稽古を始めごと」
 隅に立てかけた木刀から二本取り、小振りの方を平吉に渡す。
「先ずは身体に合った木刀を拵えねば」  
「良かったのう、平吉」
 いつの間に現れたか、嘉介が何やら麻袋を抱えて目を細めている。
「嘉介、合間にこよ(これを)平吉の背丈にあわせて作い変えてくれぬか」
 正助は切っ先を下にして、平吉の胸元を手先で示した。
「柄はこん辺だな」
「承知いたしもした。短くして楕円に削いもそや」
「今日は礼の仕方を教ゆっ」
 正助は甲突川沿いの道へ出た。
「実は拙者も稽古は久しぶいでんう」
 昨年春に父の処分が決まって以来、暮らしのやりくりに追われ、木刀を握るゆとりがなかった。が、もともと武術は得手ではない。というのは、正助は幼児より長身痩躯で、胃を患いがちで、殊に元服の頃より数年はほとんど武術に励むことができなかったからである。その正助が急に平吉に木刀を握らせる気になったのは、聡明さに惚れ込んだからかも知れない。
「まあ、小稚児の稽古ぐらいならしてやれうであろう」
「正助様は正直でいらっしゃうのなあ」
「なにゆえ」
「強がいを仰言らん」
「平吉の目は澄んでおうのう。嘘も方便と申すが使い方によう。人の信を失うよな言動は慎まねば。第一、己のためにならん」
 正助は木刀を傍らにおき、両膝を広げて腰を落とした。
「こん姿勢を蹲踞(そんきょ)といい、どちらもうずくまうちゅう字を書く。いけな字かは手習いの時に教えよう」
 手は親指と人差し指、そして中指をしっかり伸ばし、薬指と小指は折り曲げる。
 平吉は五感を研ぎ澄ましたような眼差しで、正助の言葉と手元を見つめている。
「指先を地面につけて一礼をすう」
 正助は立ち上がり、木刀を片手に平吉を促した。が、小袖姿の平吉が蹲ると前がすっかりはだけてしまう。
「袴がいうな。母上に尋ねてみごと。拙者の古いのがあうはずだ」
「いけんいう風の吹き回しか」
 吉之助の声に正助は照れ笑いを浮かべる。正助の反応を見るや吉之助は木刀を左手で受け取り、上下に思い切り振った。
「西郷様は左手遣いなですか」
「お前はよう見とうな」
 吉之助は大きな手を平吉の頭にのせて強く押した。
「十三の時、友と言い争った挙句に闘争とない」
 相手の刀の鞘が破裂し、右腕を負傷。傷は治ったが、腕の回転が意のままにならず、吉之助は武芸を諦めた経緯を語る。
「よって槍剣を筆硯に代え、文を励むこっで心を練い上げごと。それ以外に士道を尽くす道はない、とな」
「刀に頼う時代ではなくなってきたとはいえ」
 剣術をはじめ槍術や柔術など道場で名を馳せる仲間には凛としたものがあり、周囲の目も勇姿とみなしている。
 二の丸前から西の城下を下方限(しもほうぎり)というが、現に母の弟皆吉金六の柔術は、その下方限では右に出る者なしと称えられている。

「仲間にも神影流の有馬新七や野太刀自顕流の大山正円(綱良)、奈良原喜八郎など遣い手は十指を超ゆっ。信吾もいずれ野太刀自顕流道場に通わせうつもいだ」
「道場で鍛えられた者には、拙者など逆立ちしても敵わぬ力が漲っておう」
「箔だな」
「胃弱な拙者も、思いは吉之助さぁと同じです」
「さいとて、千石馬場の伊地知竜右衛門(正治)ほど早熟じゃなか」
 伊地知竜右衛門は兵法の戦術家として、早くからずば抜けた能力を発揮している。
「学者としての箔もつけがたい」
「有馬新七などは学問にも秀でておるし」
「ならば道理を呑み込む力が人に劣っておいやしかといえば、そげんこたあん、ない」
「会読の際の議論には臆すうこっなく意見を述べておう」
「ゆうと(よく)解いませんが、西郷様と正助様は笑っとう時でん、どっか・・」
 平吉は何か言いたいが、どのように表現したらいいか、掴み切れず困ったような顔になる。
「どっか、真剣か」
 吉之助の助舟に、平吉は我が意を得たりと頷いた。
「熱だな」と正助。
「それが自然と伝わっておうのだろう」
「藩政の正しか筋道は何かを究め、行動しごとしておうゆえ」
「そんためなら命も惜しまぬ。手本は正義党だ」
 二人の会話を平吉は食い入るように聞いている。


四 父への荷

「父の島妻の話は以前したであろう」
 小座に落ち着くや正助が声を潜めて言った。
「沖永良部島じゃたな」
「筆ちゅう人なのだが」
 流人船と入れ違いに鹿児島に飛脚船が着き、大久保宛の手紙があるとの知らせが役所から入ったので、嘉介が受け取りにいった。
「あん時は母が倒れたいして雑事に追われ、返送の機会を逃してしもた。まあ、父の安着を知ってからちゅう気持ちもあったが」
 正助は手紙の詳細を語った。
「娘と孫を一度(いっど)に失った悲しみはいかばかいか。お父上様に訴えたかったであろう」
「拙者も同じような状況で姉を亡くしておうゆえ、痛いほど解かう。無論母とて・・」
「充分解っておられう。だが、それとこれとは、また別・・」
「そこだ。いま最も大事にしたかのは母の気持ちゆえ」
「猶予は何日だ」
「三日後の昼過ぎにな発つらしか」
「とゆうこたあ、あと二日だな」
「そん通(とお)い。父への荷が間に合わねば何もならぬゆえ」
「あくまでん、それが第一じゃ」
「荷造いを明後日の夜にな済ませうつもりだ。それまでに母の様子を見て対処を考えていく」
「それがよか。母上様とて何もお考えじゃなか、わけじゃなかであろうから」
「正助様、錦屋の源助さぁがお見えです」
 台所の方から平吉の声がした。
「おお、いま行く」
 羅宇の荷を脇に置いて、源助が戸口で待っていた。
「拙者のとこいが最後か。入って見せてくれ」
 正助は猫のくそ小路へ視線を投げ、声を高めた。
「つけられてはおらんが、用心に越したこたぁん」
 源助は小座に吉之助がいると知って「ちょうど良かった」と笑顔を見せた。
「五月にお国入いが決まったそうです」
「おお」二人は思わず肩を叩き合う。
「昨年、会読の集まいへの出席を控えた方がよかと忠告を受けたが、もう気兼ねはなくなった」と正助。
「あんときは辛かった」
 二人同時に休むのも一度目はそれなりの理由を述べて通ったが、二度、三度と重なるうちに疑われはじめた。
「有村俊斎に問い詰められ、とうとう奴にな打ち明けた」
 先ごろの正義党諸名士が厄難を蒙った最も大きな原由は、企てを起こす前に秘密が漏れて庶子派に察知されたところにある。
「我々は正義党の遺志を継ぎ、諸名士の汚名を雪がんと欲しじぁが、まだまだ庶子派の警戒はつよい。頻繁に集まいに出とうと、またどのような嫌疑をかけられうか。それゆえ細心の注意を払っとうのだと」
「我々が目指すのは、先ず庶子派の権臣を退け、斉彬様を奉戴して、藩の正気を喚起すう点にあう」
 そのように内容を細かく説くと、槍術の名手と言われている有村俊斎は、身をかがめるようにして自分も労を惜しまないと誓ったのだった。
「そいどん(しかし)、まだ油断はないませぬぞ」
 源助が語るには、斉彬の腹心のほとんどが処分を受けたため、引き続き前藩主の家臣を使わざるを得ない状況にあるという。
「大久保さぁがよく煙草を買いに行かれる店じぁんどん」
「田原屋か。今日も父の煙草をまとめ買いしたが」
「安着の報が届いたですな」源助は一瞬笑顔を見せたが、すぐに視線を引き締めた。
「あんしこの番頭は川田丙蔵の叔父にあたうそうですから」
「西田町の鶴屋か」と声音を高くする吉之助。すかさず「代金はいけんした」と正助を見る。
「父の言いつけを守い、現金で済ませたが、冷や汗ものだ」
 嘘ではない。本当に冷たいものが腋の下を伝い落ちている。正助はことさら両脇を堅くした。
「集まいでは何を読んでおいもすか」
「近思録だ」
「よかなあ。勤皇の念を固めていく。急いてはんもはん(なりません)。徐々に育てていけば宜しかです」
 
 二日後の昼過ぎ、元気になった母が衣類や日用品などの風呂敷包みを、さらに防水のため油紙で補強していく。開け放った戸口からは、春の陽が居間近くまで差し込んでいる。母は台所の方に向いて座っているが、小座の濡れ縁寄りに座る正助からは、ほぼ背中しか見えない。先ほどから正助は文机に書きかけの手紙を広げて文面を見直していた。それは母への無言の合図でもあった。どうしましょう、筆のことは・・・。
 そこへ一昨日の麻袋を抱えて嘉介が現れた。
「たまにな白米も召し上がってもれたかで、僅かじぁんどん玄米も入れて下さい」
「有難う。正助、嘉介の気持ちも書き添えておくごと」
「分かいました」
 声に弾みをつけて正助は書棚へ。手紙をずらして硯箱の蓋を開けた。墨を磨る手に力がこもる。この流れで一気に進もう。書き終えた正助は小筆を手にしたまま、母の方へ振り返った。  
「沖永良部島からの手紙については又の機会で宜しかなあ」
 正助はあえて名前を口にしなかった。程よい撫で肩にほっそりとした襟足がのぞく。一瞬、右腕の動きが止まった。が、再び何事もなかったように肘が前後する。諦めて正助は手紙を包み油紙を広げた。が、これを閉じるのは荷造りの間際にしよう。
 そしてその夜。嘉介が台所の土間に藁袋を用意した。最後の梱包である。正助は板の間で荷を麻袋にしまい、手紙を入れる段になり、小座へ戻った。文机に広げた油紙に糊をつけていると、母が背後で呼んだ。
「これも一緒に」
「宜しかのなあ」
「お父上様宛にきたですもの」
「そや、そうござんで。お悔やみの手紙は喜界島からの方が最善でしょう」
 それには母は応えなかった。
 梱包を終えた荷の傍から、母はなかなか離れようとはしなかった。
「まだお休みにならんのですか」
「嵐で沈んだいせんと、よかけれど」
「大丈夫と信じ、祈うしかあいもはん」
「筆さぁ、ひょっとしたら喜界島へ逢いにくうかも・・」
「いけんそ(どうでしょう)、遠すぎもす」
 遠すぎますよ。否定しながら正助は懸命に母の肩を揉んでいた。

(続く)

参考文献:島津義秀著『薩摩の秘剣』 野太刀自顕流 (新潮新書)
 






最終編集日時:2011年10月23日 9時29分

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