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くる天
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TALES OF  NIGHTINGALE-ブロくる
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TALES OF  NIGHTINGALE
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〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。
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2011年4月23日 15時45分
アフリカの鳴動と反原発運動 〜ネットの果たす役割〜
 
イタリアの原発再開を問う国民投票は無期限先送りになり、ドイツでは選挙で原発反対の緑の党が躍進…インドネシアやインドでも原発反対のデモが起こっているようですが、これから原発に手をつけようかとしている国々は是非ともそれを差し止めるよう踏ん張ってほしいものです。
動き始めた時点で、ほとんど手遅れになるのが原発です。また、一旦原発が「既成事実」化すれば、これを止めようと思えば、動く前に止めるよりも数千倍のエネルギーが必要になります。日本をはじめとする「先進国」の轍を踏まないことを願っています。

アフリカのデモの伝播についても言えますが、当局が容易に情報を分断し、言論をコントロールできた従来と異なり、ネットという双方向性、あるいは多指向性のあるツールによって、いくら当局が情報統制と躍起になっても草の根の声があっという間に広がる点で、声の大きい人、あるいは権力を持つ者の言い分がろくな検証もなくごり押し同然で通ることさえ可能であったこれまでの社会のあり方を劇的に変える可能性があります。どれほど時の権力者が押さえ込もうとしても、ネットによってそこに立ち会う誰もが生々しい現地の情報を世界に向けて発信できるという点で、これまでの単一指向になりがちな情報伝達を画期的に変える転換点に立っているとも考えられます。
より真実に近い情報を権力者に代わって誰もが語れる可能性があるということです。
インドやインドネシアの方々は、それを理解し、利用して連携する必要があります。あきらめることなく声を上げ続けてほしいと思います。

他方、それらのインフラが十分普及しているにもかかわらず、あるいは事故の”当事者”であるにもかかわらず、ボトムアップの蠕動が見られない日本の状況…やはり変革には通信手段の発達と同じくらい、熱意や行動が必要だということかもしれません。

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2011年4月17日 17時20分
『Kanon』
 
拙ブログにお立ち寄りくださいましてありがとうございます。昨日、本当に久しぶりに更新してみましたが、いつの間にか3000人もの方々にお越しいただいて本当に本当にありがとうございます…。いつもなかなか更新できずにすみませんです…。

昨日の財政支援のコメにちょっとだけ補足入れました。過去コメも時々、密かに人知れず(笑)、補足入れてる時があります。ほとんどサグラダ・ファミリア状態(笑)の拙ブログですので、また気が向かれましたら読み返してみてくださいませませ。

さて、近況ですが、福島第一の電源復旧後、それまでの緊張が緩んだか、連日連夜モーレツな眠気に襲われまして、暇さえあれば寝てた感じの私ですが、先日掲示板にもちこっと書きましたように3号機爆発でいい加減立膝状態だった心が、高濃度汚染水流出のニュースに、完全に座り込んでしまい、もう原発動向を追う気力すらない状態に…。書きたいこと、書かなければならないことは山ほどあるのに、その一割も書けない…。

そんな時、ラジオから流れてきた『カノン』。

元々大好きな曲なのですが、いつにもまして優しく、まるで心を撫でるような旋律に、気がつくと台所の後片付けの手を止めて聞き入ってしまいました。
以来、今度は暇さえあればヘタれるか泣くか『カノン』を聴くか/弾くか、という選択肢を延々ループしていたような気が…。
ここ2、3日、何とか一時のべったりヘタり込み状態から脱却してブログを更新する気になったのもこの曲のおかげが随分あるような気がしています。
で、正気に返って(笑)、ふとあたりを見回すと、その延々ループの皺寄せを受けてたまりまくったてんこ盛りの雑用各種とボサボサの犬二頭…ご、ごめんよぉぉ〜、お前たちぃ〜。というわけで、とりあえず今日朝一番でそのボサノバ犬のほぐし身作業(?)に鋭意いそしんでみましたが、防寒を兼ねて冬の間伸ばし続けていたので、まぁ縺れてるわ絡まってるわ毛玉満載で、久々のスリッカーに犬人ともどもヨレヨレ…。先月のトリミング代は一部義捐金にコンバートしちゃったのでもう少しだけガマンしておくれ…。

…ちょっと話が脱線しましたが、私的にとっておきの曲なので、機会を選びすぎて却ってあんまり聴けない曲になってましたが、ここ2週間、まさに心の栄養ドリンクだった『カノン』。

福島第一で死力を尽くしておられる皆様にも是非温かい味噌汁とこの『カノン』をお届けしたいと思う今日この頃…。

せめて目の前のあまりにも過酷な「現実」をそのひと時でも忘れてもらえたなら(涙)。
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2011年4月16日 17時55分
震災復興に要する財政面の問題について
 
震災以降、災害復旧とあわせ、最も考えなければならないのが、これに要する財政の問題です。
結論から言えば、今回の震災で必要とされる財政出動は日本一国で賄えるキャパを超えていると思います。
国際的な場を通じて被害の甚大さ、そして財政的な逼迫を率直に訴え、国際社会からの継続的資金援助を仰ぐべきです。義援金なども非常にありがたく大きな力ではありますが、やはり継続的な資金の確保が何より重要であり、また急がれます。
できれば復興のための基金を設立して、今回の日本の震災だけでなく、ほかの地域で天災があった時にそれを基に必要な資金が拠出できるようになれば非常に理想的だと思いますが、今回のG20でそういった提言はなされなかったのでしょうか?例えば、資金的な行き詰まりで原発事故処理が手遅れになったりすれば、その影響は環境面のみならず経済面において世界中に及ぶわけですから、そのあたりも訴えて、供与が難しいのなら借款という形ででも道筋をつけるべきではないでしょうか。勿論援助を受けた場合は、使途の明細をきっちり開示する義務があることは言うまでもありません。
今回の震災について言えば、これまでODA等で資金援助していた国々、特に今、援助される側からする側に反転した中国等、資金力に余剰がある国々には、人道的な観点からも資金援助を打診してみる価値は十分にあろうかと思います。
中国に関しては、小沢氏のルートが生きていれば理想的ですが、尖閣でもめたのでどの程度そちらが使えるか分かりませんが、これだけの被害を目の当たりにすれば中国側も人道上、無下に断ることもできないと思うのですが…。
安易に日銀引き受け等を行えば、日本製品の風評云々以前に円が無力化して、復興以前に日本の財政がデフォルトに陥る危険性があり、またそのリカバリに多大な努力が必要になるように感じます。
それを覚悟できるのであれば、日銀引き受けも選択肢にいれてもいいと思いますが、あくまで最後の手段として温存すべきであり、安易にそれに頼るべきではありません。

まずは国際社会に継続的な資金援助を提言すべきではないかと思います。
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2011年3月21日 16時10分
東北地方太平洋沖地震
 
この度の震災で被災されました皆様にお見舞い申し上げます。

某掲示板に参加させていただくようになった当初にも、ちこっと書いたことがあるのですが、いつもフィギュアを見る度、こうやってテレビでフィギュアを見て心から感動できるのも平和な世の中があったらばこそ、とその感動が大きければ大きいほど、ありがたく思いながら観戦していたのですが、これほどまでに科学技術が発達しながら、当初被害状況の把握すらままならなかったという今回の事態には、自然の前の人間の無力さをあらためて思い知らされ、愕然とする思いでした。テレビから流れる、自然の脅威というにはあまりにも激烈な映像は俄かに現実とは思えず、未だに現実感を喪失したままです。たくさんの方々の”いつもの日常”がこんなにあっけなく押し流されてしまうなんて…。

被災し、今も不自由な生活を余儀なくされながらも、冷静で秩序ある行動を取っておられる皆様、また、私事を差し置いてほとんど不眠不休で救助・復旧活動にあたられている皆様には本当に頭が下がります。
また、ネットその他で世界中から寄せられる激励と労わりのメッセージには本当に私まで胸が熱くなります。

被災されました方々、たくさんの方が皆様に思いを馳せております。阪神大震災では甚大な被害の一方で、その震災が人と人との絆を結びつける転機になったとも伺っています。無縁社会と言われる現在の日本で、人々がお互いの絆を再認識する機会になり、今回のこの地震がどうか未来に痛みだけではない何かを残してくれますように。

そして、今はとにかく少しでも心と身体を休められますように。

お祈り申し上げます。


震災以降、こちらに来てくださっていた皆様へ。

私の住んでいる地域は、お蔭様で震災の影響はなかったのですが、あの大震災発生以来、現地のあまりの惨状に声もなく、一方で一進一退を繰り返す原発の状況にも大きな衝撃を受け、何とか微力でも被災されました方々の何かの力になれればと他カテ出張したり、また被災地の皆様に一通りバックアップが行き渡るまでは、と投稿を自粛しておりましたが、まだ予断は許しませんが、ようやく福島第一にも電源が戻ってきて、そちらが落ち着けばおそらくこれから被災地の後方支援も急ピッチで進むかと思いますので、本日あらためてブログにて被災地の皆様にお見舞いさせていただきました。
せっかく来てくださっていた皆様には、あれ以来、告知もなく臨時休業状態が続き、本当にすみませんでした。

とにもかくにも、ようやく電源が復旧し、危険を賭して作業にあたられました関係者の皆様には、本当に申し訳なくそして有り難く機会がありましたら是非ともお一人お一人にお詫びと御礼を申し上げたい気持ちです…。これで対策のバリエーションもかなり出るでしょうし、最もギリギリの段階を抜けることができましたのは、本当に皆様の御蔭です。ありがとうございます。そして本当に、…申し訳ありません…。

まだあまりフィギュア、という気持ちには正直なれないのですが、原発の推移を睨みつつ、また気持ちが復旧したらボチボチと語ってみたいと思っていますが、できたらその前に原発について思うところを語ってみたいと思っていますので気長にお待ちいただけましたら幸いです。

昨日、久しぶりに、本当に久しぶりに四大陸第二番Vを見たのですが、震災前の「今すぐ亡命しろ」切迫モード(笑)はどこへやら、もう、「いーよいーよ無事でさえいてくれたら。それでいい。よく逃げずに4CC出たね。えらいよー、うんうん。」とか仏心全開モード(笑)。で、おそらくこれが、「…一体、一体何なのよ、このスッカラカン第二番はっ!!あーもー何回見てもムカムカするわっ!!やっぱり一発殴らせろっ!」とか吠えまくり全開モードになったら、多分私のココロエネルギーも正常値かと思われます(笑)。(震災以降の投稿を見てこちらにお越しになられた皆様、CANALは、フィギュア板の男子シングルスレ・女子総合スレに常駐(?)しておりましたので興味がありましたらそちら(この第二番に関しては男子シングルスレ1876及び1937以降)をご笑覧ください。)


本当に平和な日常あってこその全てです。

少しでも早く被災者の皆様が「ありふれた、そして、かけがえのない日常」を取り戻せますように。
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2011年3月5日 18時37分
アポロンのアキレス
 
見ないことには話が進まないので遅ればせながら4CCとナショナル(…ううう…)のショート見ました(4CCのショートの構えで、一瞬オーサーを抜いたカメラさん、貴方はえらいっ!花丸!!)。

この巻き毛君のアキレスはやっぱり3Aだよなぁ…。まだジャンプが全然自分のものになってない…運がよければ降りてるレベル…。特に踏切りが分かってないよなぁ…。踏切りのコツが掴めてないから、大事にインターバルとりすぎてかえって失敗してるし…。いい時と悪い時で出来がバラツく。最初全開ガッツポーズ見たときゃ、本当に首絞めてやりたかったけど、そうやって考えるとあのナショナルフリーフィニッシュの喜びようも理解できる。二本目は彼らしくもなく(?)、会心の3Aだった(というわけでこの3Aとショートの3Aをコンバートというわけにはいかないものかしら、ジャッジ様…。)。
2009のTEBも、3A成功しただけでこの喜びよう↓だし…。
ttp://www.youtube.com/watch?v=mdP5oHCjAbk
んー…。踏切りが間違ってるのは見てると一目瞭然なんだけど、V見ても分からないかな…まぁやってる本人は頭で滑るんじゃなくて身体で滑るんだから、分かってても俄かに修正できないのかも知れないけど…一言二言オーサーが助言入れればすぐに直りそうな気もするのに…うーん…。私の確認できた限り、2008年時点では、フリーに3A入ってなかったから、これでもおそらくは進歩してるんだろうけど…2009年のエリックフリーも3Aは不完全だったけどオーサー褒めてたしなぁ……(同年NHK杯ショートのイーグル(だったか)からの3Aはムリ、まだ。少なくとも現時点ではそんな組み込み方ができるレベルじゃないわ…。)いっそ3Aは単発のみにして、クワドに走ったほうがいいようにすら思える…アクセルはダブルでもバラけててあまり質のいいジャンプとはいえない…仮に成功しても流れが出ないジャンプだわ…これは…。今回のような「Intolerance」を回避するためにも3A−3は絶対欲しいんだけど…。とてもじゃないけど今は3なんかつけられないレベル…オーサーについててこれじゃ深刻だわ…オーサーが分かってないはずないと思うんだけど…ま、気長にやるしかないわね…逆に言えば、こんなジャンプ構成でも上位に残るあたり、他の完成度が高い証なんだけど…。3Aについては、また機会をあらためて書いてみたいと思いますが…。

3Aが安定しないから特にショートで他のジャンプへのプレッシャーが増す。ナショナルはまさにこの負のスパイラルが出てしまいましたね…(よりにもよってこんな時に出なくていーのに!)。
ルッツの失敗は仕方ない…あの転倒は責められない。悪いジャンプじゃなかった、力みすぎて失敗したのかと思ってたけど、むしろヘンな力みのないいいジャンプだった。軸も取れてたし…。ただ、丁寧に丁寧に慎重に行き過ぎて踏ん張りが利かなかったよなぁ…ジャンプ自体は問題ないんだけど…着氷が合わなかった。ブレードがフラットになってれば何の問題もなかったのに見事に踵がひっかかってしまって……氷に嫌われたわ…。これは彼の責任じゃない。

ショートの衣装、すごくいい!ここまで衣装映えするとは思わなかった(というよりGPSの衣装だったらどうしよかとそっちがフリー以上に心配だった。穴があったら入りたいほど見てるこっちが恥ずかしい…あれ。)。
もう完璧ロミオ。
アクシーズ系の遊びもはいってて、まるで童話から抜け出たよう…。頭のクルクルもロミオになら全くもってノープロブレム。 むしろナゼナゼロミオ様なの的な(笑)、青春の苦悩で頭かきむしりました的(笑)な葛藤が見えていい。
これくらいフリーも気合いれてくれれば、見ごたえ度200%アップだったことは間違いないのに…。んーまぁ、フラット同様”着られりゃいいのよ”派でなかったのは良かったですが、フリーとのこの力の入れようの差は一体何?ウィルソンに気使ってるのかしら?
あ、ウィルソンのプロってのは、理解不能ですわ、私的には。支離滅裂で。どこがいいのか全然分からない。
まぁ、フィギュアのスタンダードプロっていうとああなるのかもしれませんけど…。

ま、それはともかく、ショート。




ショートの衣装は新調されてた。






あれは、------------あの衣装はワールドのためのものだった。



ううう。


うううううう。




今回ばかしはやりすぎだわ、神様。
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2011年3月3日 20時10分
桃の節句
 
ご存知の方はご存知のように(笑)、一月某日以降、某件で根暗な毎日を送っている私ですが(笑)、目を外に転じると、日差しが随分明るくなり、相変わらずの寒さのなかにもそこかしこに春の気配が。

今日は桃の節句。

我が家では年に一度この日だけ、フンパツして国産ハマグリを所望しまして、おそうめんとお麩を入れ、後はユズ皮でもと思いましたが、ユズがありませんでしたので、スダチ汁を少々…でお吸い物にしてありがたくいただきました。

やっぱりおいしいーっ!!ハマグリでないと出ないお出汁…。高くて来年まで食べられないと思うとなおおいしー(笑)。

これからほんの少しづつ春めいてくる一年で一番いい季節ですが、今年はイントロでけっつまづいて、いつになったら気分が春めくことやら…ですが、あのプロのためならいくらでも落ち込めるわ…と変なところで握りこぶししつつも、再び巡ってきてくれた春を寿ぎ、ハマグリがいつでもどこでも取れるような地球様でありますように。
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2011年2月27日 14時30分
2011年 四大陸選手権 男子フリー雑感
 
いつもお立ち寄りくださいましてありがとうございます。
最近吠えてばかりで日本語忘れそうなので(笑)、気分直しに久しぶりに雑感行ってみます。
どんなに下位の選手でも見てると楽しい。やっぱりフィギュアっていいなぁ…と実感。
もしかして抜けてる選手いたらゴメン…。


・ケリー…初見。エッジジャンプばっかり跳んでたような印象が…。滑走前のコーチとの抱擁が印象的…ママなのかしら?と思ったらママだった(笑)。ミセスケリー、お子様は既にハンコー期真っ只中かと思われます。目に入れても痛くないのは分かりますが、なるべく早く子離れして他の方にコーチを代わられたほうがよろしいかと…。そう言えば佐藤由香女史も現役時代、言うこと聞かなくて困るって佐藤氏がこぼしてたのをどっかで聞いたような記憶が…親子鷹は、感情が入ってしまう分なかなかに難しい…。親子鷹じゃないけど今季第二番応援しててしみじみそれを実感…本当にいい作品ほど距離が取れない。

・クー…初見。最初見た時はのけぞってしまいましたが…はっきり言ってこのプロはパクリですわ、オーサー第二番の。フィギュアプロに著作権はないのかしら。中国様がパクリを得意とされていることは常々承知してるところではありますが、この海賊版はいただけませんわ。

このプロはこのオーサーとあの巻き毛君じゃないと不可能なプロなのよ、きっとね(…書くんじゃなかった、こんなこと…また落ち込む…)。

まぁ、早速パクられるあたり、ある意味、あのプロが”本物”である証左だと思いますが…。似て非なる、というか、似ても似つかない、アレンジにはなってましたけど、目の付け所はいい(笑)。なんとか表現をつけたいという意識それ自体は買いたいと思います。

それにしてもやはり。

こんなプロ見てるとあの第二番の完成度が如何に際立ってるかあらためて思い知らされて尚更泣きたくなる…ううう。

・スー…初見。そこそこ滑れてるんですけどジャンプとのスキルに差が…。姿勢は要矯正。エッジジャンプはもしかして指導できる指導者がいないのかしら…?

・ジュー…初見。滑りが軽い。この選手も姿勢要注意。

・ウェブスター…初見。曲良いね。緊張感のある曲調と特にかき分ける仕草がユニゾン。インパクトのある表現もなかなか。頭の位置が非常にいい。

・キム…初見。回転の速い質のいいジャンプでした。エッジジャンプはちょっと苦手か。3A一本目、アクセル良かっただけにもったいなかった。曲の使い方が面白かったのでもっとメリハリがつけば尚良し。何と言ってもキムを生んだ国なんだから男子も頑張ってほしい。

・ラッセル…初見。トップス、一瞬浅田の『鐘』にどうか、と思ってしまいましたが(笑)、長身を生かし、ドンファンの雰囲気出てたと思います。ターンを”見栄”に利用がうまい。ジャンプは背が高い分どうしても身体がブレやすいですね…高さも必要。それにしてもカナダ勢は本当に姿勢がいい!

・ソン…初見。掴みは良かった。3Aコンビがあるのにこの位置はエッジが弱いから?全体にスピードがなかった。腕の表現も硬い。でも自分の持てるものは出せたんじゃないでしょうか。

・ジー…初見。それまで寝てたのかと思うようなシークエンスの豹変ぶりは迫力の一言。まぁ、そのための体力温存の意味合いもあったかもしれませんが…。音のつかみ方が本当にうまい。ジャンプは小ぶり。

・ラキムハエフ…初見。ジャンプの質がいまひとつ。もう少し余裕を持って着氷姿勢が取れるといいんだけど…。ただ、曲の演出はうまい。靴の色を左右変えてオサレ!衣装もいいね!柔らかくファンタスティックな滑りでサーカスの雰囲気出てた!なんかジャグリングするボールが見えるようでした。最後は氷の上に仰向けにねっころがればよかったのに。

・ソーヤー…ワンダーランドのワケの分からない雰囲気が良く出てました。色んな意味で体力を使うハードプロ。全体にスケートが滑っていなくて、最後のスプリットはちょっとスピードがなかったかな。しかしあの開脚と姿勢の良さはやはりGOEもの!最後にあのスピンを持ってくる気持ち、分かる!!衣装はN杯の時のほうがいい。ちょっとジャングル探検気味…。ジャンプ、覚えてない(笑)。

・ウー(名前間違ってるかも)…初見(かな…?)。3A-3、高かった。二本目アクセルは足に響く降り方…。3Aとトゥジャンプがここまでこなれてるのに中国の選手はエッジ苦手なのかしら…?表現と音があってなかったかな…。でもまぁこの『下り坂』は上り坂…(笑)。

・小塚…ワールドのタイトル取りのためのプロになってますね…。確かに身体の使い方が大きくなってましたがちょっとオーバーワークのような…ほとんどジャンプどころじゃないです状態…。首から上を随分使ってましたが、まだまだ違和感…。アクセルは今季一番のように思います。

・グワン…初見。おなじみのメロディが流れた時はあまりにか細い旋律が胸に迫って泣きそうでした。最後まであの旋律を”温存”させたところは心憎い。後はこの曲の雰囲気をどう作りこんでいくか、ですね。最後の3連続は軽かった。髪形、要工夫。

・レイノルズ…初見時より、表現がずっとこなれててまずそれにびっくり。腕がずっと柔らかく使えるようになってた。メリハリのハリの部分はもうこれで十分いけるんじゃないでしょうか。クワドは軸が流れた感じでした。いつもの楽なジャンプではなく、彼らしくなく肩の入りすぎてる強引なジャンプになっていたように思います。筋力ないだけに軸が取れてないとふんばれない。まぁ、この選手はへたに筋トレするより、この軽いジャンプを追求すべきでしょう。
それにしてもカナダの選手は本当に姿勢がきれい!衣装も演出されてて(手袋まで…芸が細かい!)ワルツもいちいち絵になってました。
それにしても…ジャンプが揃ってると後が楽だよなぁ…(溜息…)。

・アボット…こんなに憔悴しているアボットは初めて見ましたわ…そう言えばアボットも本命だったわけだから…でもそんななかでも気持ちを切り替えてまとめたのはさすが。雰囲気を良く作っていいプロなんですけど、やっぱり基本的にこのプロはコンペに向いてませんわ。プロの方向性とコンペの性質が完全にバッティングしてるのですもの…。このプロはどこまでも副交感神経優位な(?)メランコリックアンニュイプロ。対するコンペはどこまでもアドレナリンを要求される交感神経フル稼働な場。このミスマッチが結果を残せそうで残せなかった要因のようにも思います。現にナショナルでは表現面で見せ場となるスローパートに入った途端、ジャンプが崩れた。おそらくアボットは曲に同調しただけで、調子を崩した、という意識はないんじゃないかしら?本当はそれでこそ、このプロの味が出てくるところがあるのに…なんて二律背反。それにしてもなんてこの衣装が似合うんでしょう。ずっとこの衣装でやってほしいくらい。堅物さ加減を出すためにも胸元崩さずにネクタイ、あったほうがいい。

・羽生…やっぱり頭がクロだったらこの配色でも可なんだけどなぁ…などと全く関係のないことを考えていた私ですが(笑)、最初のクワドは軌道の取り方から着氷まで完璧でした。終盤二連続も幅と高さがあった。でもこの選手ののネックはやはりスタミナ。最後のステップあたりからヘロヘロで、ガス欠寸前状態…もっと身体作りを。と姿勢も。

・マーバヌーザデー…ナショナルの時も思いましたが、背中が撓る鋼のよう…。今後第三世界の台頭によって、アモディオやこんな選手が増えるのかも。ジャンプの着氷がここまで乱れるのはちょっと意外でしたが、3−3は流れがあって素晴らしかった!

・高橋…ノーシントー治ってた(笑)。この中だるみプロをここまで引き上げる高橋の技量には脱帽ですわ。なんか、怪我する度、表現が極ぞられてるような…(笑)。秩序を失ったような弦の音を背景に既に妖艶、ジャンプが添え物に見える。この黒はもうブラックホールブラック、ブエノスアイレスも本望でしょう。ステップは圧巻ですわ、あの細かい音の拾い方、アイスダンスを観ているよう…。何も言うことありませんわ、後は高橋、

一期は夢だ、ただ狂へ!

・例の巻き毛君…割愛。
感情入りすぎて書けない。ブログだと押さえ効かなくて何書くか分からない…のでちょっとスキップさせていただきます…。

ウィアーがワールド解説するそうな…ウィアー解説第二番が、私は見たかった…全てがマイナス思考の材料になる今日この頃…。
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2011年2月13日 11時58分
○国新聞様へ
 
今朝新聞を開いたら、初めてメディアとの関連で八百長騒動を取り上げておられましたが、ほんとにこちらをご覧になってらっしゃるのかしら?そう言えば近年はナガスがいることもあって毎年掲載される全米フィギュアの結果が今年はありませんでしたね…私の見落としかもしれませんが…。フィギュアは”鬼門”になったかしら?(笑)御社の佐藤氏に対するあの時点での「名伯楽」というラベリングは”勇み足”だと私は今でも思いますわ。

さて、それはともかく、八百長ですが。

アンケートで関係者のみならず、見る側にも”八百長は折り込み済み派”が多い、との趣旨でしたが、数が多いからといってそれが真とは限りませんわ。そして拙ブログ記事「相撲の終焉」で最も指摘したかった点のひとつ、メディアとしてこれまでの自らの報道をどう考えているのか、そこが抜けてると思います。
八百長は何も相撲協会だけによってそれが実現可能だったわけではありません。それに見事なまでに歩調を合わせ、真剣勝負として扱い続けたメディアの”消極的(だったか積極的だったか知りませんが)加担”なくしてはありえませんでした。一般の観客はともかく、事実に基づき、公正中立な報道を旨とすべきメディアの一機関としてこれまでの相撲報道をどう考えているのか、そこを語るべきでしょうね。

一体、土俵は”折り込み済み”とみなす力士や観客のためのものなのか。それとも真剣勝負を執り行い、もしくはそれを求める力士や観客のためのものなのか。つきつめれば、そこでしょう。
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2011年2月11日 12時5分
相撲の終焉
 
相撲というとまず思い起こされるのは、幼少の頃、日中農作業でほとんど家を空けている忙しない祖父母が、夕刻、相撲放送が始まる頃になると申し合わせたようにテレビの前に鎮座し、時に声を挙げ、手を打って取り組みに興じていた、その光景である。その祖父母から「八百長」と言う言葉を聴いたことは一度もない。

件の八百長騒動の後、ネットで目にした石原都知事のコメントは、要約すれば下記のようなものであった。すなわち、

八百長なんて折り込み済み。厳密なスポーツとは区別してこれを執り行うべし、と。

つまり、八百長なんか言わば暗黙の了解なんだからそのつもりで見てしかるべきと言う主張だ。似たような論調を石原氏以外にもいくつか散見した。
では何故それをこれまでおおっぴらに前提しなかったのか。何故、恰も真剣勝負のそれのように、どのメディアも、またこれに関わるどの人物も取り上げ続けたのか。
日本相撲協会はその”誹謗中傷”を拭うべく、裁判までおこしてたのではなかったのか。そのくらい協会にとっては譲れない一線であったということだ。そして、これまでの相撲報道はすべからく真剣勝負を前提としてのものであった。
石原氏の言うように、もともと相撲なんてそんなもの、と最初に高らかに宣言していればこんな混乱は起ころうはずがない。

何故彼ら、「それ」を識る者は誰も言及しなかったのか。

最初からそれとして出発していたのであれば、スポーツのテーブルにのって勝負にこだわる必要はもとよりない。そうなれば、当然そのための報道も不要だ。勝負は最初から「決まって」いるのだから。それをスポーツという真剣勝負の土台に載せて、行ったがゆえのこれは混乱である。
そこには決して積極的な意味ではなかったにせよ、わざわざ寝た子を起こす必要はないという、相撲道の精神や報道の精神、あるいは神事を司るにあたって保持すべきであろう厳かな意識とはかけ離れた隠蔽及び欺瞞の意識があったことは確実である。それなくしてこれほどまでに八百長が「脈々と」行われてきたはずがない。
念のため付記すれば、日本相撲協会はごく一部の限られた問題、として処理を図っているようにも見受けられるが、無関係といわれる親方衆そのほかの関係者の、知らなかった、という言葉は免責を意味しない。なぜなら、本当に何も知らず、気づかなかったのであれば、そんな八百長すら見抜けないような、その程度の眼力・見識しかなかった、ということなのだから。それで親方、あるいは指導的立場にある者としての資質があるといえるのか。

同時にこれは、歌舞伎同様本来は大衆芸能として普段の生活に土着していた文化を古典芸能という格式に祭り上げたがゆえの悲劇でもある。一体古くから続く文化が他より長く時間を持っているというだけで高々と掲げられるべきものなのかどうか常々疑問に思っているが、今回の騒動は、逆に伝統があるから、というだけでそのお題目を守らんがために様々な矛盾を抑圧し、ますます中身を腐らせる、というその負の側面を露呈した部分はあるように思う。相撲が品格・伝統という包装にこだわるあまり、言わば形骸化し、中がどんなに腐ろうと体面さえ保てれば、という”暗黙の了解”の誤謬に向かったのはほとんど自明だ。
伝統文化だから、という免罪符によって、本質的な問題をどこまでも棚上げし続けた、”伝統の盲点”を突かれたという部分はあるように思う。
朝青龍の放逐にしても、仮に朝青龍に処分されなければならない資質的な問題があったにせよ、品格という”刀”を振り回して、嫁いびりのような真似をして彼を暴発させ、それを口実に追い出したとしか見えなかったが、何故、弟弟子と取り組み後に気さくに歓談することが横綱の品格を汚すことになるのか、今でも分からない。むしろ、相撲協会がこんな力士の心までをもがんじがらめに縛り付けるような真似をせずに、むしろそのガス抜きのために、率先してサッカー大会を催すくらいの度量があれば、朝青龍が、その息苦しさのあまり、仮病を使ってまでモンゴルに帰る必要もなかっただろう。

これら、相撲協会の罪は当然重いが、その罪は白日に晒されることによって、あるいは目に見える処分がどうなるにせよ、実質的な命脈を絶たれることによって社会的に断罪された側面はある。他方、八百長を肌で薄々勘付きながら、これを黙殺し、いわばメディアとして何よりも優先すべき真実を糊塗し、秩序ある放送、という予定調和のもとにこれを真剣勝負として流し続けてきたNHKを始めとするメディアの”罪"はどうなのか。 その罪は、相撲協会が断罪されることによっていささかも減じるものではない。メディアへの信頼いう意味において、この問題はその喉元に刃を突きつけるものでもある。
今まで大相撲が始まれば、連日夕方何時間にも渡って公共放送の電波を用い延々と放送し続けたあれらは、そしてそれに連なる、もっともらしい解説、とことん勝敗にこだわった報道は一体何だったのか。そして今、放送側の当事者らはそれらをどのように受け止めているのか。加えるならば、朝青龍をヒールに仕立て上げた一連の報道をこの相撲協会の体たらくと照らし合わせてどのように思っているのか。
一体これまでの相撲放送において彼らの果たした役割とは、何だったのか。
政治家を糾弾するに、事あるごとに、国民に納得のいく説明を、と声高叫ぶメディアであればこそ、率先垂範してしかるべき説明があってもおかしくない話ではあるが、未だそんな話は聞かない。

玉木正之氏によれば、相撲には神事・興行・スポーツの三つの要素を持つとある(2011年2月7日某地方紙朝刊記事)。今回の八百長によって相撲のスポーツとしての相撲は崩壊した。”望まれない勝利”はありえないのだから。そんなものはスポーツとは呼べない。のみならず、それは同時に神事としての崩落でもあろう。なぜならスポーツ精神に背いたのみならず、これを真剣勝負とみなして応援した民心をも同時に謀る、神聖なるべき神事とはおよそ対岸に自らを置いたのだから。
膿を出せ、出直せという論調を連日目にするが、一体、どんな「膿を出」し、どのように「出直」せば、この先、人々が八百長という言葉が頭を掠めることなく相撲を見ることができるというのだろう。
これは、言わば大相撲が相撲道からも神事に関わる領域からも引導を渡されてるという事態に他ならないというのに。
その二つの意味で、日本相撲協会はターニングポイントではなく、終焉を迎えたといっていい。
後は、芝居としての興行の道が残されるのみであるが、確かに水戸黄門がどれほどパターン化された筋書きを踏襲しようと飽きることなく繰り返し放送され、また、フィギュアの「浅田ブランド」のように、実なきイメージ戦略が十分商売として成り立つこの国のことである、如何にそれが心技体の「相撲道」と乖離しているとはいえ、その道は確かに残されている。

途中、”今回の八百長によってスポーツとしての相撲は終わった。”と書いた。石原氏の言うように、もしかしたら、そんなものは最初からなかったのかもしれない。しかし、「折込済み」で「嘘だといってよ、ジョー」と言うファンが見当たらないにせよ、うちの祖父母のように、その前提をあえて持たず、解説を鵜呑みにして一喜一憂したファンも少なからずいたはずだ。最初からシナリオのある物を見せられていた、となれば、やはりそこに、それらの人々の心に背いた部分は否めないように思う。
そして最も同情すべきは、八百長の誘惑にも、そしてそれを拒否したがゆえに加えられたかわいがりという”合法的リンチ”にも、あるいはまた、折り込み済みという視線にも耐え、まさしく全身全霊を以って命を削るようにして本来あるべき心技体の相撲道を極めんとした、数少ないが確実に存在した、力士達だろう。
”腐ったリンゴ”とそれを漫然と放置し続けた”識者””関係者”らによって、彼らのためにこそあるべきであった土俵を奪われ、道連れにされた気持ちはいかばかりか、察するにあまりある。

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2011年2月6日 14時55分
地上のラフマニノフ 虚空のアマデウス 〜グリーンズボロの衝撃〜
 
昨秋初めて第二番を見た時からの一つの疑問、一体。一体、誰がこのいかめしい第二番をこんな、デカダンの花園にしか咲かない花の蜜をかき集めたみたいな甘ったるい第二番にしたのか。
タラソワの手法じゃないし、ミヤケンでもない。まさかモロゾフ?でもなさそうだし…。

第二番演技後(”リッポン演技後”、と書け!自分(笑))、あれこれ想像を巡らす私の前に現れた人物は、私を後ろの壁まで吹っ飛ばすに十分なインパクトを持っていたが、それはこの日受けた最大の衝撃の余興に過ぎなかった。

この日最後の演技者は、ショート第一位、ライアン・ブラッドレイ。そのショートで4−3を成功させての一位、というから一体どんな新進気鋭の若手が?どんな破竹の新人が?と待つ私の前に現れたのは、古参兵。
そして奏でるは、モーツァルト--------ピンキッシュパープルのモーツァルト。

確かに観客の声援に応えながら、一瞬俯き加減の道化が見せた素顔は、胸を突くものがあった。
リンクに降りるその一歩から、彼はその素顔を隠して完璧にあの”道化た天才”だった。

確かにこの大一番でこのプロをやらかしたブラッドレイの”覚悟”は、ある意味、賞賛に値する。
一歩間違えれば、”諸刃”だということは誰より本人が一番自覚していたはずだ。

少し視点をずらせば、このプロならではの”意味”も見える。
すなわち、主体は選手であっても、主導権をジャッジという神に一手に握られ、そのお眼鏡に叶うようにと演技させてもらえるのはわずか数分間。ルール改正に翻弄され、でなくても、後ろからどんどん出てくる新しい才能の脅威におののきながら、それこそ頭のてっ辺から爪先まで技術的且つ芸術的な完成を強いられ、にもかかわらず、一晩どころか、ほんの数分で調子が一変する。 そこには、スポーツとはいうものの、こんな神経をすり減らすような戦いの場に身を置き続け、辛酸を嘗め尽くしたベテランならではの、もはや好戦的ともいえる強烈なアイロニーがあった。
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