2009年3月4日 14時49分 |
「自立型個別指導」 |
私は以前、集団授業の学習塾を経営していたが、今は「個別指導」であり、なおかつ「自立型」の指導をする学習塾の経営者である。 先月私は母校である宮崎西高校で教壇に立って話をする機会を得た。これは保護者の方々が主催する講座の講師としてのものだった。私はかつてパイロットを目指していたのでその頃の話を後輩である西高校の一年生や二年生に話したのだ。 もともと私は集団授業が得意であり好きである。だから、この依頼は嬉しかったし、また楽しかった。教えることに自信がある塾講師ならば誰でも教壇に立ち、クラスの生徒全員をその気にさせながら進める授業が大好きであろう。私もそうだ。 しかし、私は塾生たちを志望校に合格させなければならない立場の最高責任者である塾長である。自己満足のために集団授業をやるわけにはいかないのだ。 はっきりと断言できるが、集団授業で学力をつけることよりも個別指導で学力をつけることの方が容易だ。さらに依存型の塾生よりも自立型の塾生の方が、本物の実力が身につくことは明白な事実だ。 一番効果的な指導は「自立型個別指導」なのだ。これは学習塾での指導だけにあてはまるものではない。私は数千冊レベルでビジネス書を読んできたが、優秀な指導者は部下を指導する際に「自立型個別指導」をしているということを十年前にはっきりと気づいた。だからそれを学習塾バージョンに改良して実行しているのである。 |
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2009年3月3日 15時38分 |
「指導者に必要な眼力」 |
社団法人で日本将棋連盟という組織がある。そこの会長は米長邦雄さんだ。現在の名人は羽生善治。私と同い年でありながら将棋界ではスーパースターである。今も私は将棋が好きなのでたくさん指したいのだが、なかなかその時間が取れずに悔しい思いをしている。 実は私は中学生から高校生にかけて「プロの将棋指し」を目指していた時期がある。私は才能がなくてその道に進まなかったわけだが、将棋連盟の会長の米長氏や現名人の羽生氏は小学生のときに「将来の将棋界の宝になる」とか「この子は将来の名人候補である」と言われた経験がある。 その言葉が彼らのその後の精神的な励みにどれだけなったことだろうかと思う。現実に米長会長も羽生名人も将棋界の財産と言われる人材になったわけだが、今現在、指導者という立場になった私は彼ら二人の素質を見抜いた「指導者」に強い思いを馳せてしまう。 その指導者の「眼力」がもしかしたら将棋界の米長会長と羽生名人を誕生させたのではあるまいか? だから私は思うのだ。指導者に必要な資質はいくつもあるけれども、非常に大切な資質のひとつは間違いなく人を見抜く「眼力」だと。 指導者に「眼力」があれば、かなりの数の優秀な人材がこの世に輩出できるのではないだろうか?本当は能力があってもその時の指導者が見抜けずに「お前はできないやつ」だと言われて埋もれていく優秀な能力をもつ人材は必ずいるはずだ。 |
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2009年3月2日 15時7分 |
「独学こそ最強」 |
私は学習塾の塾長なので、「成績が上がる学習法」「成績が上がる指導法」には興味がある。ここ十年は同業者の他の学習塾の指導方法の研究をすることよりも、他の業界のすばらしい指導者の指導法を研究することで得られることの方が私には大きい。 なぜかというと私の塾の指導法は他の学習塾の現場では真似できない方法だからだ。だから参考になる同業者がほとんどないのだ。 では、どのような点がオリジナルな指導法かというと、そもそも私の塾では、「独学こそ最強」という信念が根底にある「自立型個別指導」をしている点だ。 通常ではやはり教える先生が優秀であれば生徒も優秀な成績を取りやすいと誰もが考えるに違いない。そしてこれはまさしく「事実」であり、私もこのことを否定することはない。 しかし、自ら進んで勉強し、楽しんで学習する生徒には他からの強制力を伴った指導を受けて点数を取る生徒では到底勝ち目がない。 実は、一昔前と違って独学するのに素晴らしい参考書や問題集はかなりの数が書店に存在しているのだ。こちらで学習した方が中途半端な知識や技術をもつ先生に習うよりもよっぽど生徒はわかるようになると私は確信している。ただし「戦術」の習得という意味でだ。 では、塾の存在意義は何であろうか? 本来それは受験に勝つための「戦略」と「学習法」を塾生に伝授することだと思う。あと一つあるとすれば塾生に「やる気」を出させることくらいだろう。 |
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