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2012年9月28日 13時7分
本当にということは文字通り
 
正直にという意味であって、時に美術批評をもしている君が大勢の人々の中で人々を相手にしてものを言ったり考えたりする場合ではなく、本当の君一人の室の中でそう思うかという意味だ。どうであろう?

 私が自分の勤労によって働き出した金がある。その金で一枚の絵を買うために展覧会または画商の所へ行ったとする。そこにはたくさんの美しい作品がある。さてしかし自分にとって大切な金を出してどの一枚を買おうかと思って眺めると、美しいものとそうでないものの差がハッキリしてくる。そして最後にこれだと決めて買う気になった作品が良い作品だった。実際において買わなくても、そういう角度から絵を見ると絵の良し悪しが非常にハッキリすることが多い。そしてまたこれまでに見たピカソの絵(もちろんほとんど複製)で私に大事な金を出して買いたいと思わせた絵は一枚もなかった。

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2012年9月27日 13時6分
ピカソのつまらなさ
 
H君――
「ピカソは何故つまらないか、あなたはそれを話してくれる義務がある」と言う。

 先頃私がある雑誌に書いた文章の中で「正直に言って良いことは正直に言った方が良い」ということを書いた中に「ピカソはつまらない」と書いていたのに君はこだわったようだ。君の手紙には詰問するような調子がある。なるほど近代の絵画を真剣に考えている君としては、私の言葉は無責任な放言のように聞えたかもしれないし、また私がイコジになって逆説を弄してるようにとれたかも知れない。しかしそれは二つながら当っていない。私は真面目にそして正面からものを言ったのだ。ただもう少しくわしく述べる義務があるようだから、ここで述べる。

「何故ピカソがつまらないのか?」と君は問うが、まず第一に子供らしい答え方で答えるならば私は「何故つまらないかをぬきにして、まずピカソの絵は私にはつまらないのだ」としか答えられない。だからまず逆に私は君に対して次のように問いかけてみる。

「それでは君はピカソの絵を本当に良いと思って見たことがあるか?」

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2012年9月26日 13時5分
そして人が
 
そして人が自分を真に感動させたことのないものの方へ進むのは結局は虚偽か、少くとも軽薄さではないでしょうか?


 もちろん人間はどんな絵でも描くでしょうし、またそれはゆるされています。こころみてはならぬ芸術的手段などはないのです。新しいものは生れる方がよい。しかしピカソの方がジオットウよりも新しいとするような考え方自体がすでに古いのです。そんな所からホントの新しいものは生れないでしょう。
 作家が自己の全身心をかけた所から促し立てられて押し出してくるものならば自然主義的な写生画もアンフォルメルやモビールも、新旧と価値において全く同じことです。

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2012年9月25日 13時4分
自分のことを語る
 
自分のことを語るのは気がさしますが、私は二十歳前後の時期に画家を志したことがあり、新しいものをいろいろあさったあげく、当時最前衛であったカンディンスキイあたりの作品と理論に強く動かされて、自分でも何十枚となく抽象的な構成主義の絵を描いたことがあります。その次にイタリイのマリネッツイなどが先導した未来派に引かれ、さらに進んでは今で言えばモビールにあたる――人生と社会のあらゆるアクションの組合せが偶然に創り出す美こそ真正の最高の美であると言う考えにとりつかれた。そのへんから当然美を純粋に追求すればするほどタブロウにはなり得ないと言った自己矛盾におちいり、ついに描かれない絵――したがって誰の目にも見えない絵――だけがホントの絵だという自己破壊的な結論に到達するに及んで私の遍歴は終りました。その後、現在まで私は一貫して写実的な絵だけを描いています。つまりがシュールやアブストラクトはいつでも描けるがすぐ飽きる。写実だけが自分を飽きさせないのです。

 本職の画家でない私の例は参考にはならぬかも知れぬが、正直の話、どうでしょうか? 未開の土人や子供などがけんめいに写実を志して描いた非写実的な絵に時に私は感動する。また写実を追って追い抜いた末に反写実的になってしまった近代画家の絵に往々私は感動する。しかし一つの新奇なるスタイルまたは習慣的な演戯としての前衛絵画のどのような作品の前では一度も率直に感動したことがないのです。君はどうですか?


ミッフィーのリングホルダー
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2012年9月24日 13時4分
ある画家へ
 
    (二) ある画家へ

 たしかに、自然主義的な写生だけでは、もう既に現代の全体としての現実がとらえがたくなっていることは事実です。しかも芸術が常になによりもまず新奇を目がけることは是非の問題ではなくて芸術の運命のようなものでしょうから、君たちの多くがシュールやアブストラクトやアンフォルメなどへ自ら方向をとろうとしていることには、強い必然性があります。ことに青年が思いきってやって見ようとすることに無駄なことは何ひとつないと私は思っています。しかし最近のこのような傾向の中には、しんそこからの必然性を欠いて、単に新奇な流行への迎合の調子もかなり有るようです。それをまた新しいもの新しいものと追いかけるのが商売のような美術批評家たち――リードなどもその一人です――が煽っている形がある。いずれにしろクールベよりはミロの方が新しいことは事実としても、新しいだけのためにミロの方がすぐれているとするような底の浅い見方で創作や批評がされては、おもしろいことにはならないでしょう。

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