あいつが死ねばいいのにと思ったりすること、それが人間です。 | |
2012年1月4日 22時38分の記事 | |
人間の思いとは何だろう?
人々が思い想像し妄想することは、誰しも、仕事に忙殺されていても、生活に追われていても、日常的にあることだと思います。 そして、夢に見ることは非日常的なとんでもない夢を見たりすることもあります。 この、日常的な思い想像し妄想することってなんだろうと思います。 どこから、このような想いが出てくるのだろうと思います。 そして、日々、いやな事があったり、誰かにののしられたりすると、あいつが死ねばいいのにと思ったりします。 そこまで思わなくても、あいつはどこかに行けばいいのにと・・・ 思ったりします。 そして、人間の思いはどこまでも飛躍することが出来ます。 人間の想いは宇宙の果てまでに馳せることが出来ますし、プレアデスでもアンドロメダであろうとも想いを持つことが出来ます。 この人間の想いの能力は際限が無いとてつもない能力だと思います。 いくら科学的に数千年先に進歩した人間であっても、この想いの能力には到底及ばないものだと思います。 この人間の想いの能力。 あるときは悪魔的な想いをしたり、あるときは天使のような想いさえすることがあります。 この、両端の想いを発する人間。 それが現出しているのが今の世界ではないでしょうか。 この状態が「地球と言う名の牢獄」ではないでしょうか。 この度の人類が経験している6000年のプログラムではないでしょうか。 ですから、今の人類は、その両端を経験しているのだと思います。 悪魔的想い、天使的な想い、その両端を経験しているのだと・・・ その人間の想いがこの世の写し絵であり、鏡なのではないでしょうか。 そして、今、その人間が想う世界がどちらに転ぶか試されているのではないでしょうか。 悪魔的な発想に誘導され取り込まれてしまうか。 宇宙の真理に沿った想いにより宇宙に溶け込むことになるか。 さらに、新しい人類の魂に脱皮して新しい世界を築くことが出来るか。 この現実を人間一人一人が素直に認識し、自分の心を見つめ、自分の魂を見つめ、そこで気付き、目覚め、覚醒するのではないでしょうか。 今、正に、人類の正念場を迎えているのではないでしょうか。 | |
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1. お婆さん 2012年3月2日 11時35分 [返信する] 初めまして こんにちは 人間についてつくづく悩みます。拝読しながら、生きる意味と詰まらない事で試される自分自身に固執する中で、現代の今の人々が表裏一体を真剣に感じ生きている人は一握りではないかまで感じます。うっかり話してしまうと、周りはそんな重たくならずにと、優しくなだめられるか、君暇なのか、頭おかしいかな、など様々に見ただけで何かしら言われ黙って聴いて悩みます。私の書くこと話すことは、相手にはほとんど上手く理解されないか、始めからあしらわれ聴いておられない、逆に君って人の話し聴いてないねと指摘され、?です、私は聴いて話すを同時に頭の中は作業をしてるため、言葉が多くなり次々話し考えていきますが、相手には死ねばと言われたりもよくあります、哀しいです言葉を大事にしすぎ囚われるからでしょうか。相手に死ねばいいと思うのは、一つの念に変わるので怖い想いですが、思ってもよいと思う相手には思ってもよいですし思わなくても必ず、天網恢恢疎にして漏らさずの言葉通り、天罰がくだります。天災も、全ての人類へ、自然の神様の嘆きとして示されていると私は感じながら人間の繋がりについてや日々のささやかな出来事に翻弄されます。何を言いたいか解らなくなりましたが、死ねば良いと思った人、又そう思った自分は何かを試されるなぁと思います。話してもしかたがない事書いて君なんだ!と感じられたらすみません。場違いとか、本当にわからないのでご指摘もありましたらご指導ください、ありがとうございました。また覗かせてください
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