「99%の努力から1%の閃きが生じ天才が生まれる」 | |
2012年1月13日 23時5分の記事 | |
;かつてSFであった小説や映画が現実となるこの世界 昨年は「想定外」と、責任逃れの貧弱な発想しかない、管、枝野、東電、原子力安全委員会、保安院などなどの極悪犯罪者たちが、恥じることなく公言し、それを連発していました。 このことは、
私達は無能です。 危機管理能力はゼロです。 と、国民に向かって公言しているに等しいことです。 この、現実的に起こり得ることすら「想定」できない専門家とはいったい何の専門家なのでしょうか。 それをそのまま恥ずかしげも無く公言する責任者の無能さ、あきれるばかりであったわけです。 このことからして、彼らの人間としてのレベルや意識の低さがうかがい知れます。 しかも、公式に発言しているわけですから、記者会見する前に何人もの官僚や関係者の意見も当然入っているわけですから単に個人的な能力だけでなく彼らの周りの人間も加わった国として組織としての能力が疑われるわけです。 そして、「それは無いだろう」とか「そんな無責任な」とかのジャーナリズム精神を持った記者たちの声は聞こえてきません。 閉鎖的な記者クラブからは聞こえてきません。 記者クラブ以外のネットを中心に活躍されている記者たちからしか聞こえてきません。 このまったく役に立たない烏合の衆が日本の中心にいるのが残念ながら日本の現実です。 昨日の記事で、もう彼らのことは「ほっときましょう」論じるのは無意味だといったばかりなのに、また言っていると思われるかも知れませんが、彼らを数少ない愚かな日本人の代表例として言っているわけです。 彼らエクサピーコ=原子核集合体がゼロHzな人々の来世は「鉱物」からスタートすることになりますから、知的生命体になるには、数億年〜数十億年、修行を積むしかないわけです。 しかし、一方、多くの賢明な国民は、彼らのことは軽蔑し無視し、現実的な危機に懸命に立ち向かっていると思います。 過去の賢明な国民、中でも、天才的な作家や映画監督は、数十年も前に、地震、津波、原発による放射能災害をSFという形をとっているけれども作品として警鐘を発していました。 SF小説作家の「小松左京」さんや映画監督の巨匠「黒澤明」さんなどです。 彼らが数十年前にSFとして描いた作品が、今、現実になっているわけです。 小説も映画も人々に伝えたいことを表現しているわけですから、彼ら天才は、将来起こるかもしれない危険を想定しSFの作品として残しました。 この起こってもいないことを「想定」し作品として未来の人々に警鐘を発する「感性」。 起こってしまった現実をしっかり認識せず、現実を隠し知らせず「想定外」と言って無責任に逃げようとする「感性」。 同じ人間でありながら「天才」と「愚者」の差はあまりにも大きいものであるといわざるを得ません。 人々は「天才」から多くを学び、「愚者」からは何も学ぶことがありません。 いや、ありました「反面教師」としては学べます。 この両極端を示す現在。 かつてSFであったものが、愚者がいう「想定外」のことが現実化する時代。 これからも、多くの「想定外」が現実化する時代なのではと思います。 この時代に私たちは生きているわけですから、「天才」の感性から学び備えなければと思います。 エジソンとニコラ・テスラの「天才」と「努力」の考え方で・・・ (エジソンの名言「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」を聞いたテスラは、皮肉って以下の言葉を残している。 「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」(「天才とは、1%の直観と99%の徒労である」とも) とはいえ当のテスラ自身はエジソンの工場に勤めていた頃、毎朝10時半から翌朝5時まで研究改良・製作に打ち込み続けた努力家であり、エジソンが「貴様にはかなわない」と言ったと伝わる、つまりはひらめきだけではない、努力の人でもあった。 なお、後年エジソンが語った所によると、件の「名言」は取材した記者がエジソンの発言を努力賛美の発言のように勝手に書き換えたものであり(「天才は1%のひらめきと99%の汗」の真意)、エジソンの発言趣旨は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」という、極端に言うならば努力の否定(発想・天才の賛美)に近いものであった。つまり「結局、それを生かすひらめきがなければ、そこまで積み重ねた努力なんて全部無駄」「努力をどれほど重ねるよりも、たったひとつのひらめき(発想・発明)のほうが局面打破できる」というテスラの皮肉はエジソンの真意と、実は同意であったという事になる。 基本的に努力の人であり、加えて発想・発明の達人であった両名だからこそ、最終的に同じ境地に達したのであろう)以上 ウィキペディア 「ニコラ・テスラ」より と、当ブログ「天才は宇宙の情報で閃いていた!;宇宙の真理 波動の法則」(5) http://blog.kuruten.jp/katukan01/190908 でお伝えしたように、天才は宇宙の情報で閃いていたのです。 私はエジソンともニコラ・テスラとも少し異なる意見を持っています。 「99%の努力から1%の閃きが生じ天才が生まれる」と言う考え方です。 まず、テーマに対する努力や集中心が先にくるわけです。 これが、テーマに対しての「意志」や「意識」になるわけです。 この「意志」や「意識」を強め高めることで宇宙と通じるのではないでしょうか。 これが宇宙の真理・法則に近いのではないでしょうか。 この考えの前提には、 宇宙からは全てのものは与えられている。 もちろん地球からも人間が生きていくうえで全てのものを与えられている。 という考えがあります。 しかし、それを受け取る「意志」や「意識」が低ければ受け取ることが出来ません。 99%の努力をしあるテーマに集中する結果、わずかな発信をすることで宇宙の情報と同調し、その情報が得られ閃くことが出来るのではと、そして、天才と言われるようになるのではと思います。 私たちは、今、両極端の現実を見ています。 酷い目に会っているし、これからもっと大変なことが起こるかもしれません。 しかし、そこから学ぶこと、気づくこと、目覚めること、覚醒することとは、このことではないでしょうか。 宇宙や地球から全てのものは与えられている。 それを各々の個性によるテーマで「意志」や「意識」を強く高め、それを取得し他のものに与えること。 これが、無償の「利他愛」であり「宇宙の法則・自然の法則」なのではないでしょうか。 つづく | |
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