自分のマスターになる | |
2014年1月15日 15時23分の記事 | |
zeraniumさんのブログより
人が苦悩のさ中にある時しばしば、「天からの助けや慰め」というようなものが訪れることがあります。しかしそれが与えられるのを待ち望むようになると、それが与えられず何も起こらないと、人はそこから先へ進めなくなってしまいます。 自分自身に助けや慰めをもたらすのは、自分自身でなければなりません。 マスターとは、「自分にできるだけのことをして、この怖れと不安に対処しよう」と言う人のことです。そこから逃げ出さずに怖れとともに留まり、それを感じ取ろうとすると、怖れが兄弟姉妹のようになります。自分の怖れていた感覚のあらゆる側面が姿を現し、その正体を教えてくれます。 しかし他人や何かに助けや慰めを求めて逃げ出してしまうと、自分が怖れていたものについて学ぶことはできず、怖れや不安の感情に翻弄されるだけです。しかし勇気を持ってしっかりとそこに留まることを選ぶと、ワクワクした気分になってきます。自分が自分自身のマスターになるのだと決心すると、ワクワクした気分が訪れるのです。このワクワクした気分は、自分の存在の奥深くに存在する「無限の広がり」の部分から生まれて、力を与えてくれます。 マスターになるとは、自分自身のマスターになることなのです。 人は人生の悩みや苦境を乗り越えるために、自分が本来持っている内なるすべての力を呼び起こす権利を持っています。しかしながら、この「内なる力」は、自分自身が呼び出さない限り発動することはありません。エゴは意思を持っており、このエゴの意思の力を使ってあなたが呼び出すとその「力」が出て来ます。 たとえ今の人生がどのような状況にあろうとも、どんな苦しみの中にあろうとも、誰でも心の安らぎを得る権利があります。その権利を主張してください。あなたの存在の主人になるのは、あなたなのか、それとも怖れなのか、どちらが自分という存在のマスターになるのか、それを決めるのは自分なのです。 あなたの人生に起きるすべての出来事は、明確な深い意味と目的を持っています。 自分の怖れと不安を「身体の指」の部分と見なして自分から離して考え、その意味を知るために「身体全体」の力を呼び起こしてください。自分の怖れと不安の意味を、「他人に聞く」といういつもの習慣に陥らないようにしてください。なぜなら他人はあなたではなく、あなたの代わりにその真の意味を知ることはできないからです。 あなた自身が自分のマスターでなければなりません。 自分自身のマスターになるのだという決心をしたとたんに、人生が全く違った意味を持つようになります。そうするとどんな困難も受け入れられるようになり、どんな逆境もそれを和らげる天の恵みとともに現われてきます。自分がすること、経験することのすべてが、自分自身に対する理解を深めるプロセスの一つなのです。あなた方の人生の課題とは、自分自身を理解するということなのです。 「内なる自己」は、自分が必要としていることを明確に知っています。 ただしそれは、常に人を幸せにすることではなく、その人の内なる自己の進化を推し進めることだということです。貧困と困窮の中においてこそ、魂の成長を成し遂げやすい人もいるのです。そういう人は、苦境においてこそ自分を変革することができますが、快適な生活のなかでは何もしないでしょう。 自分が抱えている問題を理解して、それを自分の魂の成長のために使ってください。富を手に入れたいのなら、掴む努力をしてください。しかしあなたの「内なる自己」が、あなたは貧困の中にあるほうがよく学ぶと思うなら、再び貧しくなるでしょう。このようにあなたの成長に必要なものが、常にあなたの目の前に現れます。 あなた方の誰もが、過去世において何度も豊かな繁栄の人生を経験したことがあります。この二極性の世界では、その両方を経験する必要があるからです。それが貧困と富、病気と健康、そして殺すことと殺されることの両方なのです。私たちはあらゆる可能性を経験することでバランスを養い、全体となるのです。 貧しさそのものには何も問題はありません。 ただ、貧しさを怖れと感じることが問題なのです。あなたがこの世界に来ているのは、自分の怖れが何であるかを知るためなので、もし貧困があなたに怖れをもたらすならば、それは気づきを得るために素晴らしいチャンスです。そして自分のその怖れを見る必要がなくなったとき、何も努力しなくても、富や豊かさを経験するでしょう。 しかしほとんどの人にとって、富はいいものでありません。 なぜなら地球世界の生活において、お金や物質主義は克服するのが非常に難しい障壁であるからです。お金をたくさん持っていると、いろいろなことをしたり、欲しいものをたくさん手に入れたりすることができ、人生がうまくいっているような錯覚に陥るために、実際には自分が惨めさの中あることから逃げることができるからです。貧困に対する怖れを、深い魂の部分において学び、そのことについての学びの修行を終了するならば、何もしなくても繁栄がもたらされます。 Q、 健康に意識を集中することで、病気に対する怖れを克服できないでしょうか? 「私は健康を信じる」と言って、健康に意識を集中するふりをすることはできますが、自分がなぜ病気を怖れるのかという、根本原因を見つけない限り病気しか目に入りません。病気であることは、貧しいことと同様にそれほど悪いことではありません。それはどちらも「自己の内面が現実化して現われる状態」なので、それ自体がそれほど悪いことではないのです。 人は、病気であることも健康であることも、富むことも貧しいことも、殺すことも殺されることも、すべての状態を順番に経験しなければならないのです。富や健康を創りだすために努力したいならそれもいいでしょう。一生懸命やれば、それも可能でしょう。しかし自分の「内なる自己」が、なぜ病気を創りだしたのかということも理解しなければなりません。それはその人の中に深く根ざした怖れがあるからであり、それを見ることで手放す必要があるからなのです。 その怖れを手放すと、もうそれについての学びは完全に完了したことになります。 そこで次の人生では、健康になる努力をする必要もなく健康になります。怖れを手放すと、人生の一瞬一瞬に現われてくることが何であれ、対処することができるようになります。あなたの人生で起きていることは、今あなたが学ぶ必要があることなのです。すべての人が同時に病気になる必要はなく、同時に同じことを学ぶ必要はありません。 あなた方はすでに多くの訓練の学びを終わっていますが、残りのレッスンは、その根本原因が取り除かれるまでは完了しません。病気そのものにではなく、病気に対する自分の「怖れ」に意識を集中させることが健康への鍵なのです。 book 『バーソロミュー』 メアリーマーガレット・ムーア著 ナチュラルスピリット 抜粋 | |
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