くる天 |
|
|
プロフィール |
|
田中_jack さん |
新生日本情報局 |
地域:山形県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 世界情勢 |
ブログの説明: 日本の新生のための情報局です。日本の素晴らしさや世界の政治・経済・軍事・外交・技術等を独自のソースや分析でお伝えします。 P・ドラッカーの言われた「知りながら害をなさない」誠実さ、信頼をモットーにしております。 ☆定期購読月額1000円 |
|
アクセス数 |
総アクセス数: |
1714704 |
今日のアクセス: |
262 |
昨日のアクセス: |
1117 |
|
RSS |
|
|
携帯用アドレスQRコード |
|
QRコード対応の携帯で、このコードを読み取ってください。 |
|
|
9.11テロ後でも毎年欠かせない山形の風物詩「芋煮会」も新型コロナ禍で影響!!悔しい!! |
[防衛] |
2021年9月14日 0時0分の記事
|
|
|
あの2001年9月11日の米国同時多発テロから20年。
そのような大きな事件が発生しても、筆者の住む山形では、秋の風物詩である芋煮会という、里芋をコンニャクや肉などを入れて河川敷などで煮て皆で食べる行事が中止になる事はありませんでした。
しかし、中国発の武漢ウイルス・中国ウイルス・新型コロナウイルスによる新型肺炎の感染拡大が昨年の2020年から続き、今年も、その芋煮会が昨年に引き続いて大打撃を受けています。 地元の筆者としては、大変悔しいです!! そして、新型コロナウイルスが憎いです!!
9月12日11時26分に山形新聞がmsnにて「「我慢の芋煮」人まばら 少人数・時短要請後、初の週末」の題で次のように伝えました。
『山形の秋の風物詩・芋煮会シーズンを迎えた。新型コロナウイルス感染拡大が収束せず、県からの少人数での開催要請もあって昨年に続き、今年も大人数での芋煮会を我慢する県民が多そうだ。例年であれば家族連れや職場・友人グループでにぎわう山形市の馬見ケ崎川河川敷は11日、人影がまばらだった。関係者からは「コロナで芋煮文化が失われないか」と心配する声も聞かれた。
県内の感染者増加を受け、県は8月20日〜9月12日を感染拡大防止特別集中期間に設定。この日は15日までの延長を決めた。19日の予定だった日本一の芋煮会フェスティバルも2年連続の中止になっている。吉村美栄子知事は今月8日の定例記者会見で芋煮会について「今年だけは何とか我慢してほしい」と述べ、家族以外の友人や職場単位で開く場合は「4人以下で」と呼び掛けた。15日までの特別集中期間延長では新たな要請項目が追加され、芋煮会に関し、感染防止策を徹底した上での少人数、短時間による実施を求めている。
山形市の馬見ケ崎プール「ジャバ」周辺で昼ごろ、芋煮会やバーベキューをしていたのは8組。芋煮会は2組だけだった。いずれもマスクを着用し、声を抑えて会話をしていた。山形市の30代男性は、芋煮会を経験しないまま県外に転勤する同僚のためにと企画した。「6人だが下見に来た時に人が少なく、安全に開けると判断した。最後に山形の文化である芋煮を食べてほしかった」と語った。サークルの仲間4人で訪れた20代男子大学生は「親睦を深めようと思った。県の要請に従って4人で開いた」と話し、手分けしてこんにゃくやネギを鍋に入れていた。
中止を決断した人もいる。山形市の自営業の男性(59)は15年以上前から、仙台や関東の仕事仲間やその家族ら約20人を呼んで毎年、大鍋を囲んできた。今年は2年ぶりに9月中旬の実施を計画してきたが、「家族や仲間の健康が第一」と考え、断念した。「普段は電話やメールでしか連絡を取り合わない人とも直接顔を合わせられる貴重な機会だったのだが…」と肩を落とす男性。「最高の肉と日本酒を用意して、来年は盛大に開催したい」と願った。
食材の販売業者にも影響が出ている。山形市のもとさかや酒店は「手ぶらで芋煮会セット」という河川敷への配達サービスをしているが、荒井康夫社長は「今のところ全く依頼はない。東北ならではの文化が失われていくようだ」と漏らした。
同市のフードセンターたかき南原店は今年から、少人数での芋煮会を想定した3、4人前セットの取り扱いを始めた。沖田智店長は「今年は家庭で芋煮を食べる機会が増えると思う。注文はあまりないが、これからに期待している」と話していた。』
本当に、淋しいですね!!
そして、芋煮会が中止とならなかったものの、世界の歴史すら変わってしまった20年前の9.11米国同時多発テロ。
それに関して、実に興味深い記事をご紹介しましょう。
9月10日20時00分にForbesJAPANが「9.11から20年 アメリカ上空にいた私が見た異変」の題で、次のように伝えました。
『2001年9月11日、米同時多発テロ発生時、私はニューヨークまで90分ほどの上空にいた。
成田を出発する朝、台風による遅れはあったもののジョン・F・ケネディ空港行の全日空NH10便は、順調な飛行を続けていた。客室に備え付けられた前方の大きなスクリーンには、搭乗機がそれまで東京からニューヨークに向けて順調に飛行している軌跡を地図上に描き出していた。
予定では、現地時間午前10時30分到着だった。
ちょうど眠りから覚めたその時、私は異変に気づいた。スクリーン上の機影はエリー湖の上空に差し掛かったところで突如小さな旋回を始めた。ニューヨークへのフライトが一度や二度ではない者にとって、旅客機が着陸時でもないのに上空で旋回運動を行うのは悪い兆候だとわかった。
2回目の旋回に入った時、頭をかすめたのは「ハイジャックされたか」という予感だった。
状況を確認しようと、乗員を呼び止めようとするが、なぜか誰も通路にやってこない。後でわかったことだがこの時間、現地午前9時頃、アメリカン航空11便が世界貿易センタービル・ノースタワーに突入してから約15分後だった。周囲の乗客はまだ深い眠りの中にあり異変に気づいた様子はなかった。
前触れもなく機長からアナウンスが入った。「地上からの情報によりますと、JFKで事故があった模様です。飛行機が2機、ツインタワーに落ち、ビルが崩壊したとのことです。上空にて待機します」。機内に緊張が走った。
しかし「事故」との報告のせいか、ざわめきはあれどパニックに陥るほどではなかった。飛行機が2機も世界貿易センタービルに突っ込むなど、想像を越えた事件。前席にいたアメリカ人とともに、情報の錯綜による誤報だと結論付けた。ツインタワーの崩壊を想像するのは、映像もなにもないその時点では困難だった。
そのまま1時間ほど上空待機した後、機長より「緊急着陸します」とアナウンスが入り、15分もせずにデトロイト空港に降りた。しかし空港の通関準備が整わず、乗客はそのまま機内に。ここで携帯電話の使用が許されると、ツインタワーの崩壊は、事故ではなく、テロ攻撃だと分かった。
アメリカの国内線4機がハイジャックされ、そのうち2機がセンタービルに突っ込み、1機がペンタゴンを狙い、1機はキャンプデイビッドを狙って墜落したという。そして、さらに7機が行方不明との情報だった。孤立した機内では、テロが続くであろうという予測から緊迫感にあふれていた。地上に降りたとはいえ、空港がテロの標的になる可能性は否定しきれなかったからだ。
機内に3時間ほど缶詰にされた後、入国が許可された。空港から出ると、ハレーションを起こすほどの夏の日差しがデトロイトに残っていた。沈黙する乗客たちは、航空会社が手配したバスが到着するまで、ただ立ち尽くしていた。バスに乗り込むと、ラジオからニュースが流れていた。大ボリュームで流れるアナウンサーの声だけが響き、誰ひとり口を開く乗客はいなかった。
ニュースに耳を傾けると、それまでに聞かされていた信じられないような情報はほとんど事実だとわかった。機内で一緒だったアメリカ人は、バスの最前列に座ったまま、両手で顔を覆い、うなだれている。気持ちはわかる。
かつては、ニューヨーク・クイーンズ区の私の自宅からも、世界貿易センタービルが夕日に映え、綺麗に見えたものだ。
ホテルにたどり着いた時には、事件発生から8時間あまりが過ぎていた。テレビをつけると、つい先日まで私が勤めていたCNNが「America Under Attack」という特番を組んでいた。黒煙を上げるノースタワー脇で、さらに旅客機がサウスタワーに突っ込む映像は、非現実的だった。
当時、国際電話ができる携帯電話は極めて稀で、インターネットは電話回線を経由していた時代。まだWifiという言葉も一般的ではなかった。よってネット環境から隔絶されていた。「ニュース・プロデューサー」という肩書だった私は、社内で「社員がひとり、NYにて行方不明」という状態にあり、大騒動になっていた。
ホテルの部屋の電話はパンクし通じない。ロビーは、公衆電話を使って日本に連絡する乗客であふれかえっていた。日本からの観光客たちは4日間、飛行機の便もなく、デトロイトで足止めを食らう。空路は完全にシャットダウンされた。
明けて12日、レンタカーもすべてもぬけの殻。苦肉の策で運転手ごと大型リムジンをチャーターした。
デトロイトで時間を潰していても何も得はない、現場を見なければ。その思いで、ホテルに宿泊していた乗客から、ニューヨークに向かう必要のあるメンバーを募り、料金を折半しデトロイトを出発。マンハッタン北部のジョージ・ワシントン橋を抜け、ニューヨーク入りした。
橋の上から見たマンハッタン島は、世界貿易センタービル付近から立ち上がる想像を絶する煙に覆われており、それは黒煙を上げ走る巨大な機関車を思わせる姿だった。
現地時間12日17時ぐらいだったろうか。人気のまったくないタイムズスクエアに降り立つと、夏の日差しがありながら、黒煙のせいで街は薄暗く、異常なきな臭さが鼻をついた。じっとりと汗をかいたのは、暑さのせいだけはなかった。機能停止したマンハッタンを目の当たりにし、その一大事件を肌で感じたからだ。
ニュース・プロデューサーとしては現場に向かわなければと焦燥感に襲われた。しかし、あたり一体は完全に封鎖されており「プレスだ」などという空手形だけではクレイジー扱いされ追い返された。何かの素材に使用できないかと、周囲の粉塵をビニール袋に詰め持ち帰ったが、ホテルのセキュリティと口論になり、破棄せざるを得なかった。
誰も彼もがニューヨークがテロの標的となったことへ怒り、焦り、混乱していた。ネットから閉ざされた私は結局、数本の現地レポートを掲載するしかなかった。数日後の夕刻、ネットの呼びかけに応じ、慰霊のためキャンドルに火を灯し、多くのニューヨーカーとともに七番街の路上で祈りを捧げた。
アフガンで繰り返される悲劇
アフガニスタンをイスラム原理主義の温床としたのは、他ならぬアメリカだ。1979年12月、ソビエト連邦政権が、アフガンの親ソ政権支援のためアフガンに侵攻。ソ連軍に対抗するイスラム原理主義テロ組織に対し、アメリカが武器支援を開始。原理主義者、愛国主義者として組織化された。後のタリバンが88年に誕生し、同時多発テロの実行組織、アルカイダを懐に抱えることになる。
タリバンは「他国排斥」組織だったがゆえに、ソ連撤退後は反米化が顕著となり、それはまずアルカイダによる93年の世界貿易センタービル爆破事件として顕在化した。ちょうど私がニューヨークに住み始めた年の出来事だ。
2019年12月、ジャララバードにて命を落とした医師の中村哲さんは前述の米支援について、その著書で「アフガン市民を生かさず殺さず戦争を継続させる戦略だった」と、その中途半端加減を指摘。さらに、アフガン組織の反英米感情についても「承知していたはず」とその功罪に言及している。
米同時多発テロを契機に米軍はアフガンに侵攻し駐屯した。アフガン侵攻とタリバン政権の瓦解はかえってイスラミック・ステート(IS)の勢力拡大を招いた。政権空白となったイラクからシリアを支配し、西側諸国がこれを排除に動いた過去は、まだ記憶に新しい。
11年5月、米国はアルカイダの指導者、オサマ・ヴィン・ラディンを討ち取ったものの、テロの亡霊は消えぬまま、アフガン駐屯にはさらに10年が費やされた。
先月31日をもって米軍のアフガン撤退は世界各国を巻き込んだ騒動となっている。だが今回タリバン政権を支持しているのはロシアと、この20年で大国となった中国である事実は、歴史の皮肉だ。
日本の芸術家・平山郁夫はタリバンにより爆破された現地をモチーフにした数々の作品を残している。しかし、ソ連のアフガン侵攻以降、かつて栄えた数々の文明の遺跡を一般の日本人が探訪できるような国ではなくなってしまった。
米同時多発テロに至る前、アメリカでの空の旅はもっと気楽だった。搭乗券を持たない友人・知人が搭乗ゲートまで見送りに来ることも多かったが、現在の厳重なセキリティ検査においては、昔の物語となってしまった。
民間機の空路は、国際情勢を如実には反映している。14年7月、マレーシア航空がウクライナ上空で撃墜された。翌年に東京からイスタンブールに向かうと、ターキッシュ・エアはウクライナ上空を極端に避け南下するルートを取った。17年にISがイラクから排除されるまで、ドバイから英国方面に向かう機はイラク上空を回避、迂回の上イラン上空を航行した。
一昨年、東京からドバイに向かう際、エミレーツ航空はアフガン上空を通過できた。眼下には赤土色の荒涼としたアフガニスタンが見えたものだ。その土地の合間合間に線を引いたような道路があり、ほんの少しだが人々の営みが垣間見えた。だが、米軍撤退の現在、どこの航空会社もその空路をなぞることはなくなるだろう。
今の10代は持ち得ない記憶
911当時、まだ30代だった私も50歳をとうに過ぎた。15年11月13日、私自身50歳の誕生日には、130名以上が亡くなるパリ同時多発テロがISの手により発生した。
西側諸国とイスラム原理主義の対立、この世界構造は、かのノストラダムスも予言したとされる。99年に世界が終わることはなかったが、現在の国際情勢を言い当てていたのか…と穿った見方さえさせられる。
世界貿易センタービル崩壊後、15年には、新しい「ワン・ワールド・トレードセンター・ビル」が再興された。しかし、その存在はまだまだニューヨークの象徴たるを得ない、虚空の存在に思えてならない。
あの衝撃的な映像は、日本の「お茶の間」にも届けられたが、その記憶を、今の10代は持ち得ない。このテロ活動の拠点とされたアフガニスタンは、20年の時を経てこの8月、再びタリバンの支配下となった。
2001年9月11日からちょうど20年、世界はいまだ彷徨うばかりだ。 (文=松永裕司(Forbes JAPAN オフィシャルコラムニスト) 編集=露原直人)』
9.11米国同時多発テロ発生の日、筆者は何が何だか分からない世になってしまった、との衝撃を受けました。 もう、テロですらも、手段も何も使えるものは何でもやるのだ、という殺伐な思いを感じたものです。
その後、世界はその通りになってしまいました。
それでも、それでも、変えないもの、変えてはいけないものがあるはずです!!
9.11テロ後でも毎年欠かせない山形の風物詩「芋煮会」も新型コロナ禍で影響!! 悔しい!! 何とか来年には芋煮会などのイベントが大々的に開催できるように願います!!
2021年9月11日、9.11米国同時多発テロ当時、共に救出活動に参加した45代米国大統領トランプ氏が活躍したNYの消防士らと共に慰問した画像 出典:トランプ氏支持層 ツイッター
下のブログランキングに参加しています。 ご支援のクリックをお願い申し上げます。
9.11テロ後でも毎年欠かせない山形の風物詩「芋煮会」も新型コロナ禍で影響!! 悔しい!! 何とか来年には芋煮会などのイベントが大々的に開催できるように願います!!
と思う方は以下をクリック!! ↓
防衛・軍事 ブログランキングへ
ご意見、ご要望等はコメント欄やツイッター等でお願いします。 1日1回クリックして頂けると励みになります!!↓ 人気ブログランキングへ
くる天 人気ブログランキング
|
|
|
フリースペース |
マスコミの偏向報道や秘匿された意図や真実の情報、国家戦略など真実が見えずに苦しんでいる、あなたの助けになるお知らせです!!
「新生日本情報局」ブログでは、有料記事が1ヶ月1000円で、読み放題、見放題です。
不透明で激動の日本や世界の情勢の中で、マスコミなどが決して報道しない、非公表のマル秘レベルの内容や分析を記事に掲載しております。
あなたが読まれることで、あらゆる業界での戦略眼を持ち、頭角を現せる、一歩も二歩も先を見通せるようになります。
また、ツイッターやコメント欄などで、記事のご要望やお問い合わせを頂ければブログ記事などで対応させて頂きます。
常に問題意識を持っている方、複雑な専門用語や技術用語などで世の中が分からないとお嘆きの方、今後の見通しや展開が知りたい方、極秘事項などの真実を知り共に世の中に広めたい方、などの方々が共感できる記事が多くございます。
何卒、ご支援、ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
|
|
|