くる天 |
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プロフィール |
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飯島浩樹 さん |
シドニー通信員の『豪リークス』 |
地域:海外 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 世界情勢 |
ブログの説明: オーストラリア在住 某民放局シドニー通信員からの情報。 |
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ニューカレドニア日本人移民120周年 |
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2012年8月6日 16時12分の記事
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1892年(明治25年)、ニューカレドニア本島南東部ティオの港に移民会社の斡旋により、5年契約でニッケル鉱山で働くため熊本県や沖縄県などから600人の日本人が到着した。つるはしでニッケルを掘り出すというほとんど手作業に近い鉱山労働は、かなり過酷なものだったが、新天地を求めてやって来た日本人は勤勉に働いた。 契約終了後も島に居住できるようになった日本人労働者たちは、農園を営んだり鍛冶屋や大工、床屋などさまざまな仕事に就き、ヨーロッパ系の現地女性と所帯を持つものもいた。1920年ごろまでに5,500人以上の日本人がニューカレドニアに渡り、当時のティオの町は多くの日本人やその家族で活気付いていたという。 しかし、太平洋戦争の開戦により現地在住日本人の運命は一転する。1941年の真珠湾攻撃の翌日から敵性外国人とされた約1,30 0人の日本人は、当時の自由フランス当局により逮捕され収容所送りとなった。その後、一部を除く1,100人余りが船でシドニーへ移送された。オーストラリアではNSW州のヘイ収容所などで抑留された日本人は、戦後ニューカレドニアに帰ることは許されず、そのまま本国へと強制送還されてしまう。島に残った現地妻や子どもたちは、財産を没収された上に父親と生き別れになるという、まさに“天国から地獄”への道を歩むことになったのだ。
◇日本人移民120周年祭 最初の日本人移民が到着してから120周年を迎える今年、ニューカレドニア各地で記念行事が催されている。ニッケル鉱山のあるティオには約230人が眠る日本人墓地があるが、そこに沖縄からの元移民の息子で建築家の松田幸吉さんが設計したニッケルを使ったステンレス製の記念碑が建立されることになった。7月5日に執り行われた日本人慰霊祭には残念ながら記念碑は間に合わなかったが、式典には日本から臨済宗の僧侶や沖縄県の稲嶺進・名護市長ら関係者約3 0 0人が出席した。地元のキリスト教神父が祈りを捧げ、賛美歌を合唱すると、思わず涙する移民子孫の方々も多かった....
続きはオーストラリア最大日本語紙「日豪プレス」のサイトで http://nichigopress.jp/nichigo_news/goleaks/41243/
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