くる天 |
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プロフィール |
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飯島浩樹 さん |
シドニー通信員の『豪リークス』 |
地域:海外 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 世界情勢 |
ブログの説明: オーストラリア在住 某民放局シドニー通信員からの情報。 |
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NZ大地震から1年… |
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2012年3月10日 4時23分の記事
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◇地震発生1年〜市内中心部は 封鎖のまま
まるで空爆を受けたかのように轟音をたてて崩れ落ちるビルや大聖堂。その周りで頭から血を流しながら逃げまどう市民…。日本人を含む185人が犠牲となったNZ大地震から1年が過ぎた。 再び訪れたクライストチャーチの市街は、「レッドゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止区域も縮小され、液状化の泥に埋まり各所で陥没していた市内の道路状況も改善されていた。しかし、街のシンボルである大聖堂がある市内中心部は、約1キロ四方が今も金網フェンスで封鎖され、少し戻り始めた観光客もフェンス越しに無残な姿をさらす大聖堂を遠目に見るしかない。
市内ではこれまでに約600のビルが取り壊されたが、今後さらに600の建物が解体されるという。封鎖地域外にある教会やビルでも地震後ほとんど手がつけられていない状態のものが多く、その隣でカフェが普段通りに営業し、次に大きな余震があれば割れた窓ガラスが落ちてきそうなビルの脇の歩道を、ベビーカーを押したお母さんがのんびり歩いていた…。 数キロにわたり海岸沿いの崖が崩れ、多くの家が被害に遭った震源に近い町サムナーにも取材に行った。直径数メートルにも及ぶ大きな岩が建物を押しつぶした場所は、何と1年前とほとんど変わらない状態で放置されていた。周りには砕けた岩が散乱し、中がめちゃくちゃに壊れた家、ダイニング・ルームの屋根を突き破って落ちた大きな岩がそのまま残っているレストランなどもあった。 地元の住民に話を聞くと「大地震と津波に見舞われた日本では復興が進んでいるようだが、ここの復興のスピードは遅すぎるよ」との答えが返ってきた。 また、クライストチャーチの地震復興担当責任者であるロジャー・サットン氏は「被害を受けた建物の所有者や保険会社との交渉が長引いており、街の再建には5年から10年かかる可能性もある」との見方を示した。 ◇追悼式典には4万人が参加 2月22日水曜日、市内中心部のハグレー・パークで行われた地震発生1年の追悼式典には、日本人犠牲者の遺族や関係者、地元住民など約4万人が集まった。式では犠牲者の名前が1人ずつ読み上げられ、地震発生時刻の午後12時51分には2分間の黙とうが捧げられた。ニュージーランドのキー首相は「この日は、この国にとって永遠にとても暗い日として記憶されるでしょう」と述べ、犠牲者の数と同じ185匹の蝶が空に放たれると、多くの出席者が涙を流した。 また、この日はクライストチャーチの各地でさまざまな追悼集会が催された。市内の植物公園では、地元在住の日本人グループが和太鼓の演奏を披露、集まった市民らが、思い思いのメッセージを短冊状のカードに書き込み「希望の木」と名付けられた大樹にくくりつけた。 日本から0 6 年にクライストチャーチに贈られた青銅製の「平和の鐘」も、多くの日本人が死亡したCTVビルの語学学校に通っていた神奈川県出身の浅川真弓さんによって鳴らされた。浅川さんは、地震発生時たまたまお昼で外に出ていて難を逃れたのだが、仲の良かったクラスメートの友人はビルの下敷きになり亡くなってしまった。「もう会うことができない方もたくさんいるので、複雑な気持ちです」と浅川さんは言葉をつまらせながら我々に語ってくれた。 ◇CTVビルだけなぜ倒壊した ? 地震によりエレベーター塔だけを残して無残にも倒壊したCTVビルでは、日本人28人を含む115人が犠牲となった.......。
続きはこちら日豪プレスのサイトで.. http://nichigopress.jp/others/35162/ |
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