このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
随筆 うつけ信長、弱者の戦略 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年10月6日 11時47分の記事


【時代小説発掘】
随筆 うつけ信長、弱者の戦略
斎藤 周吾


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】:
今の信長像は、殆どが本能寺の変から逆算されたものです。

信長のうつけは、幼少時、父の圧迫から逃れる為だった。
弱いと思って戦っている時は、強かった。
頂点と思って二人の宿老を追放した時から、歯車が狂い始めた。
頭ではわかっていても、その地雷を踏むのが人である。
ゆえに、己の人生と重ねて、判官贔屓で、途上で挫折した人ほど人気が高くなる。
文学が永遠に衰えないのも、人は過ちを繰り返すからのようです。

 
【プロフィール】:
斎藤周吾 (さいとうしゅうご)
受賞歴
 平成20年8月、日本文学館『最後の家康』で、短編部門の審査員特別賞。
 平成20年1月、(財)斎藤茂吉記念館にて、『短歌部門』で、川嶋清一選で佳作。


これまでの作品:
女帝物語−わが子に
血染めの染雪吉野桜
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』前編
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』後編
惟正、請益僧円仁に従い入唐求法の旅


↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  ↓  ↓






【PR】占いシステムの開発なら経験と実績があります。


************************************************************
当サイトからの引用、転載の考え方
・有料情報サイトですが、引用は可能です。
・ただし、全体の文章の3分の1内程度を目安として、引用先として「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と必ず明記してください。
・ダウンロードしたPDFファイル、写真等は、透かしが入っている場合があります。これは情報管理上のことです。現物ママの転載を不可とします。ただし、そこから情報を引用しての表記は可とします。その場合も、全体の3分の1内程度を目安として、「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と引用先を必ず明記してください。
・商業利用の場合は必ず、連絡下さい。
 メールは、info*officematsunaga.com
(*を@にかえてください)
************************************************************

【時代小説発掘】
随筆 うつけ信長、弱者の戦略
斎藤 周吾



 近江朝廷の大友皇子(弘文天皇)が滅んだ、壬申の乱(672年)の時である。
 尾張国司である小子部?鉤(ちいさこべのさいち)が、二万の精兵を率いて美濃の不破(関ヶ原)郡家に留まる大海人皇子(天武天皇)の反乱軍に吸収された。
 二万という数字は当時の日本国内総兵力の一割にも達し、大海人軍の半数にも及ぶ兵数である。大海人の勝利に決定的な貢献を成した。
 尾張国司の率いる二万の兵が、尾張以東の兵の集合であれば、その権力は伊勢関東蝦夷にまで及ぶ。尾張一国だけの募兵なら、坂東は勿論、他を圧する一敵国のごとき国力を持っていた事になる。
 重浪帰(しきなみよ)する海の伊勢神宮、陸(おか)の熱田神宮の縁起を見ても、この一帯は倭国開闢以来、東国の一大拠点であり、知識・流通・産業・農生産が整っていた証である。
 朝鮮百済で白村江の戦い(663年)があった。その時、駿河国に渡航する為の大船を造らせた記事が『日本書紀』に見える。相当高い造船技術を持っていた証なので、尾張より遠国の駿河・相模にも国司が居た可能性が高い。二万は尾張国内だけの兵であろう。
 川氏の江戸入府によって関東平野が沃野に変わる以前の濃尾平野は、都市化した五畿内に匹敵する生産量を誇っていた。
 
 ロシア人のワシーリイ・ミハイロビチ・ゴローニンは、1811〜1813年に蝦夷松前藩の捕虜になった。その時の彼の手記に、
『日本人は聡明で抜け目なく、模倣が巧く忍耐強く勤勉である。偉大なピョートル大帝ほどの王者が君臨すれば、全東洋に君臨する国家になる』
 と書いている。
 それが、明治大帝であった。
 織田信長がこの地に出来(しゅったい)したのも、あながち偶然ではない。
 戦国武将に秀吉・家康始め、濃尾平野出身者が多い。信長は自覚していなかったが、間違いなく彼らに支えられていた。
 戦国という『天』の時、尾張の要『地』に、天才『人』の信長が出現したのである。
 司馬遼太郎は、「美濃を制すは天下を制す」と、『国盗り物語』ほか多くの著書に書いている。
 東山道の要の美濃だけでなく、濃尾平野全てを手中にすれば、確実に天下布武が叶う。 東西の衢地(くち)である濃尾平野に居るからこそ、天下が見えるのである。
 
 合理主義者の信長は、裏切りに遭い、それを克復するごとに、徐々に過酷になっていった。
 非情を見かねた周囲から、上様をお諫め出来るのはあなた方しか居ないと言われ、林佐渡守秀貞や佐久間信盛親子が信長に諌言した。
「老臣ぶって言いたい放題を言う能なしめが」
 と逆鱗に触れて追放された。
 一将功なりて万骨枯る。それ以後は諌言する者がなくなった。
 更に、人は加齢すると好悪の差が激しくなる。好事魔多し、早くもその二年後には本能寺を迎えた。
 信長は神に近づこうと恐怖専制を布いて孤高化した。秦の始皇帝の晩年は不老不死の仙薬を求め、宦官の趙高に毒を盛られた。両者の共通点は多い。
 信長晩年の暴走は、頭では分かって居ても、弱者や抑圧された者が大成功すると陥る、避けがたい人間のサガでもある。
 信長は幼い時、事あるごとに父から殴られ、罵倒されて忍従を強いられた。家臣も我慢して期待に応えるのは当然と考えて居る。
 自分の受けた屈辱を第三者に倍返しすると必ず自滅する、と身に染みて分かるのは、
 たとえば、
 桶狭間で、信長の奇襲を受けた義元は良く耐え、返り討ちに遭って信長は大敗した。
 信長は城に帰ろうと思ったが、裏切りにあって城には今川軍の旗が翻っている。信頼した人に裏切られ、大して目も掛けなかった人に救われた時である。
 その時に痛みを知り、人の心の深淵さと摩訶不思議さを悟るのである。
 その後、彼らに助けられ、美男の信長は厚化粧し、熱田神宮の巫女だと偽って名古屋城に入り、酒盛りする義元に近づき、その首をあげて返り咲けば、何代も続く織田幕府を開いていただろう。
 幸か不幸か、戦史に残る桶狭間の合戦で天下に華々しくデビューした事が、本能寺を決定づけた。それも領内に敵軍を入れず、国境で義元の首を取った。家や田畑を荒らされない領民の絶大な支持を得たのだ。
 
 織田信長が乳児の頃、何人もの乳母の乳首を噛み切った、と或本にある。
 乳歯が生えるのは普通、半年から一年後である。超早熟児信長の上下歯が、それほど早く生え揃ったのであろうか。
 乳首を食いちぎられると分かっている乳母は、その恐怖と自己保存欲求から乳の出が止まる。さもなくば、毒性の強い天然のホルムアルデヒドを無意識に分泌する。その母乳を飲んだ子は乳首を食い千切る力の無い虚弱体質に変えられる。後の、精力的な信長は生まれない。
 乳首を食い千切った話は、後の、第六天魔王信長から遡った誕生譚であろう。
 さらに信長は、生母の土田御前に疎まれたとある。
 富家の夫に愛された女で、自分のお腹を痛めた子を厭う母親はいるだろうか。
 当時の有力武家の習慣として、家督を継ぐ長男は三歳になると守り役に取られ、次男は生母が青年まで育てる事ができたので、生母の愛は次男に行くのが、自然ではあるが。
 母の陰影が差すとすれば、子に最も影響を与える産前産後、他の女の許に行く夫への怨み辛みであろう。
 母が真に信長を嫌ったら、後の信長は居ない。いかに驕慢信長といえども、否、驕慢性格はむしろ、幼児の時、周囲に溺愛されてなる。人は畏敬される前に愛される事が必要である。愛されなければ家臣を従わせる事はできない。更に、美男・美声・麗眼であったと想像できる。
 反面、子供の頃から常軌を逸する奇癖があったことは否めない。それゆえに愛されたものと思う。
 母が信長を嫌ったというより、弟の勘十郎信行がむしろ、母を丸め込んで兄の信長から家督を奪おうと頻りに孝養を尽くしたと見るのが自然。
 信長はむしろ、猜疑心強く暴力的な父の信秀を恐れた。
 少年にとって、父は恐い存在だ。側室に子が多ければそれだけ父愛は分散される。父に睨まれれば泣き出し、父の顔色を見ながら育った。
 少年は弱虫だったからこそ、うつけとして振る舞う事ができる。
 
 三郎信長と呼称したのを見れば、信秀の先妻か側室に、夭死したのを含め、二人の兄が居たのだろう。信長の初陣は、元服の翌年の十四歳の時である。三河の吉良大浜を攻め、焼働の野駆けをして名古屋城に帰陣した、と桑田忠親校注の『信長公記』にある。
 戦国の世の戦埃に塗れている者は、動物的臭覚で主の能力を知る。信長の守り役の平手政秀は、信長の兵の進退を指揮する非凡な才能を見て、感涙にむせび泣いた事であろう。
 かたや父の信秀は斎藤道三の美濃へ攻め入ったが、五千の討死を出して敗退。信長に道三の娘の胡蝶(帰蝶、濃姫)を迎えた。勝った者が敗れた方に人質を出すようなものだが、道三は細作(間諜)により信長の非凡さを知ったのだろう。
 勿論、道三の遠大な反間の計でもある。信秀信長親子の離反である。
 『信長公記』にある討死五千という数字は、攻撃兵の半分ほどの兵である。谷底に一気に突き落とされたか、大きな落とし穴に嵌まらなければ生じない数である。再起不能の損害である。そんな所に、利に聡い道三が人質同様に娘を贈る筈がない。逆に、信長を人質として差し出せと言う筈。五百の間違いか、信秀の功績をおとしめ、信長待望を掲げる公記の潤色ではないかと思う。
 ともかく信秀は、敗戦と、道三の娘を信長に娶るという屈辱的な和睦を受け、内心、忸怩たる思いだ。息子の信長が道三と組んで自分を殺そうとしている、と猜疑の目を独裁者の信秀が抱いてもおかしくない。
 武田信玄は初陣で、海ノ口城の平賀玄信を機略によって討ち取った。父の信虎が喜ぶどころか己の地位にむしろ不安を抱いた。信虎の愛は、信玄の同腹弟である信繁に移ったことでも分かる。
 独裁者は、わが身があってこそ一家の将来はあると自惚れている。
 君臨する覇王は、有能闊達なわが子にこそ恐怖する下克上の世である。孝養を尽くす弟信行に父の情が移るのは自然の成り行きである。

 並の男は、父から一喝されれば大人しくなる。
 思索型の武田信玄は愚者を装った。行動型の信長は逆に、風狂を装ってうつけ三昧に耽る事で、父の猜疑の目を眩ました。
 父の信秀は疫病で遷化したが、信長や道三の影が全くなかったとはいえない。
 万松寺における父信秀が葬儀の時、信長は抹香をくわっと掴み、仏壇に投げつけて去ったとある。せめてもの腹いせだったろう。信長の性格からすると、あと十年父が生きていれば、間違いなく、廃嫡切腹の憂目に遭うか、父を暗殺していたであろう。
 加來耕三訳の『武功夜話』では、天文十八年(1549年)に信秀が遷化し、三年は秘匿するよう遺言したとあるが、武田信玄が息子の勝頼に遺訓した内容と酷似している。
 当時の手紙は種々の事情から年号を記さないので、一般に信秀は二十一年死亡説である。『信長公記』では天文十八年とある。『総見記』は二十年説を採っている。
 信秀遷化の当初はいずれにせよ、師でもある守り役の平手政秀が実権を握った。
 戦国の昔とはいえ、信長は十代半ばの若者である。そう簡単に行儀は改まらない。重石が取れて、むしろ、箍が外れた開放感に浸った。見るに見かねた守り役の平手政秀が諫死しても改まらない。
 武田信玄でさえ、父を駿河に追放して家督を継いだ直後は、奥部屋に閉じこもって文弱に溺れた。楚の莊王や斉の威王も即位後暫くは遊び呆けた。忠臣蔵の大石内蔵助も山科に隠棲した時は遊び呆けた。創造的な天才は、快楽に溺れて初めて浮かぶ瀬を見つけるものである。
 信長が、上記の偉人達のように女色に溺れなかったのは、男色家だったからだろう。厳父は、女色にうつつを抜かす男より、男色の方を蔑視安堵する。信長の男色ぶりは、猜疑心強い父信秀への隠れ蓑にもなった。
 男色も女色も本質的な変わりはないが、古今東西、独創的な仕事をした偉人は、なぜか男色家に多い。そして悲劇的な末路を辿る。
 信長が一国の主として、うつけとして振る舞っていては国が危うくなると真に気づくのは、鳴海城主山口左馬助が謀反を企てた十九歳まで待たなければならない。
 
 信長が尾張を統一したら、隣国の三河駿河が危うくなるのは今川義元にも分かる。
 駿河国は山が多く、生産量の比較に於いて織田信長の尾張には遠く及ばない。義元が豊穣な尾張に触手を伸ばしたのが、桶狭間戦の発端でもあった。
 その義元が尾張に侵攻してくる。信長は飛び上がるほど驚いた。
 美濃進攻の真っ最中である。義元の尾張侵攻は、敵の敵は味方である美濃の誘いでもある。信長は腹背に敵を受けた。信長の幸運は、この時、美濃の斎藤義龍が死病に冒されていた事であった。
 信長は、義元の背後にある三国同盟国まで山津波のような圧迫を肌で感じ、恐怖さで日夜懊悩した。父への恐怖は肉親の情への期待があった。義元への恐怖は、飢えた虎に遭遇した恐怖でしかない。
 桶狭間の戦いは、今川義元が京を目指したとも、単なる領土拡張の為だともいう。
 駿河の今川は、足利将軍家の親族であり足利宗家の継承権を有する吉良の分家である。馬に乗れぬ程の肥満である義元に、征服したばかりの尾張兵を先導させ、即座に上京するほどの果断さはない。
 兵農未分離の当時である。田植えは早く終えただろうが、夏に本格的な西上を行うのは疑問である。西上遠征は秋口から始め、敵国の稲や米を収奪するのが常道。遠征軍は、本国から荷駄で運ばせるより、侵掠地から補給する方が効率は良く、敵を疲弊させ、一挙両得である。
 信長が尾張を完全統一する前に叩こうとしたのだろう。
 
 徹底的に前向きに考える信長である。和睦の条件に信長の首を差し出せという駿府方の軍使に、本当に憔悴したおどおどした姿を見せ、礼服をだらしなく着込み、頭上高く自ら膳を掲げ、震えながらよたよたと運び、軍使に命乞いをした事であろう。
「命が惜しくば、単身、駿府城に行って命乞いせよ」
 と軍使は言ったのに対し、
「治部様(義元)ご自身が国境まで攻めてくれば、自分は腹を切り、名古屋城を明け渡す。もし、命を救って頂けるなら、京への露払いを致す所存」
 と言って逃げた。弱者は優柔不断を装って逃げ方が上手い。
 一方では、うつけぶりを誇大に見せるため、商人、旅僧、修験者の細作(間諜)を駿府城下に送り込み、あのうつけでは尾張はおしまいだ。治部様が尾張国境に至れば、ことごとく信長に反旗を翻し、信長の首を持って返り忠義を治部様に尽くすだろう、と逆宣伝させた。
 うつけは諸刃の刃。うつけの噂が広まれば、尾張国内は疑心暗鬼の巷と化し、裏切り者が続出する。領内に敵がなだれ込めば、保身の為に身内からさえ裏切りが出る。
 今川の軍師は、尾張国内の慌てぶりを見て、納得して帰って行った。
 今川勢が国境に迫っても、信長は幸若舞を舞い、死のうは一定の小唄を吟じて余裕のある所を必死で家臣に見せねばならなかった。下手な論戦は行わずじっと耐え、心の動揺を隠して悠然と舞いを舞う姿を演じねば、人心はますます離れて行くのが世の常。
 信長は、うつけと世上に喧伝されながら、うつけとは正反対の芸である俳優(わざおぎ)の舞いを、斎藤道三から学んでいた。複雑怪奇な信長である。道三には、そんな信長が魅力だったのだろう。
 尾張国統一の間近な信長だが、基盤は脆弱である。雪崩現象で裏切り者が続出している信長は、どうしても国境で迎え撃つ必要がある。国境にある丸根、鷲津の両砦を座して見殺しにしたら、うつけ織田軍は瓦解する。
 この時の信長は、確実な勝算があって出撃したのではない。まずは出て行って戦意が高い事を両軍に見せなければならない。ただ城を守っては、うつけ信長に叛旗を翻すのが多すぎるのだ。
 行軍途中、熱田神宮に詣でて戦勝祈願し、士気の維持に腐心せねばならない。常に義元の動向を睨みながら、主将の威力偵察も兼ねて両砦救援に出向いた。
 信長の生涯中、最も絶望的な状況に直面し、死場所を求めてさまよっていたというのが正しい。

 義元は、初め、
「またたくまに尾張を平定した信長ともあろう男が、うつけとは」
 うつけはきっと謀略だろうと思っていた。だが、来る情報全てが、信長のうつけぶりを報じた。
「若いからうつけなのです」
 来る注進の全てが、二十七歳の新進気鋭の信長ではなく、うつけとの報告であった。
 義元自身がもはや、自分に不利な報せを嫌う。内容より、報告の仕儀に意を用いる、生まれながらの太守であった。諸将は皆、太原軍師さえ存命ならば、と内心憂いた。
 今川軍が尾張領の丸根砦、鷲津砦を攻撃しても、信長は救援を送る気配がない。生き残るのが正義である当時の武将は、助けに来ぬ主を見ると、敵方に寝返るのは忠義の内である。信長が丸根鷲津救援に出むかない事は、籠城か、尻尾を巻いて逃げ支度にかかったと義元は判断した。
「やはり、うつけという評判は本当であった。所詮、それだけの男であったか」
 この時になって義元は漸く安堵した。
 
 今川義元は、桶狭間戦の十ヶ月前の前年三月、糧秣、喧嘩口論、乱妨狼藉の厳禁、城囲と合戦法等のハード面を大幅に変えた。
 西上か尾張侵攻の準備か。それとも、亡くなった太原軍師に替わった軍師の提言であろうか。
 鳴海城主の山口義継が今川方に寝返った時、信長は、義継は偽って今川に寝返り、今川が尾張に侵攻すれば背後を襲う、と流言を飛ばした。義元は義継を疑い、誅した。
 今川方である笠寺城の戸部新左衛門の筆跡を真似、信長に内通するような偽書をわざと落とした。それを見た義元は、同じく誅した。
 このように、ソフト面で、若い信長の方が義元より一枚上手であった。弱者ならではの恐怖から湧く知恵である。
 今川軍の士気がもう一つ揚がらず、信長に奇襲されて容易に瓦解した要因でもあろう。 三国同盟し、家督を従順な息子氏真に譲り、隠居した義元の慢心と油断が増長された。 国境から大兵を見せて威圧するだけで名古屋城は落ちるだろうと思った。戦わず兵を損耗せずして勝てば、占領地配分は少なくて済み、直轄分が増えて政権の安定に繋がるからである。
 自分が甘いと敵も甘く見えるのは人の情。
 今川軍二万五千に対し、信長の総兵力は万を下らない。駿河より温かい尾張は既に田植えも終わり、兵は予定通り集まった。義元が国境に現れるとの情報で、信長は五千前後の兵を率いて出陣した。
 初めは二百騎ほどで出陣し、熱田神宮に着く頃に全軍が揃った。城中から出陣しては敵の細作の目に触れる。近隣に潜ませていたのであろう。
 そこに、
「今川義元本陣の兵五千、桶狭間に休息を始めた」
 との情報がもたらされた。本隊の通る街道にある桶狭間で、村をあげて歓待せよと予め領民に扮して送り込んでいた梁田政綱からである。
「策が当たった」
 信長は、闇夜に暁光を見た。
 烽火か鳴子という貧弱な通信手段しかない当時、移動中の信長に、義元休息中という伝令が即座に来る。侵入予想街道国境に、手ぐすね引いて諜報網を張っていたとしか思えない。
 田植えが終わったばかりで水の張った山田に囲まれた地勢である。兵はあぜ道に分散し、容易に救援に駆けつけられないという事を、領内の地勢を把握している信長は知っている。
 義元も、こんな山田の隘路では、敵味方とも戦などできない。深田に踏みこめば足を取られて動けない。鉄砲と遠矢の餌食になるだけだ、という常識があった。
 肥満な義元の輿の動きは鈍い。義元は、安心して狭間に陣幕を張った。
 
 戦の勝敗は兵の多寡ではない。狭間隘路ではさらなりである。信長は、獲物を狙う虎のように、山中に入って潜むように近づいた。
 第一報は誤報という事もある。誤報なら盛り上がった兵の士気が急速に落ち、厭戦気分がみなぎる。小休止後、すぐにこちらに向かっているなら、寡をもって衆に当たる不利な野戦になる。禅照寺砦、中島砦、丹下砦に退き、夜明け前に夜襲に転じるしかない。それとも南に転じて丸根鷲津砦救援に向かうか。どっちに転んでもいいように、健脚な精兵二千を選りすぐって行軍している。
 信長はあらゆる状況を考えながら、じりっ、じりっと第二報を待った。
 信長の最も長い日で、最も長い刻である。
 曇り空なのに、額から油汗が滲む。
 そこに、
「田楽狭間にて、義元は陣幕を張り大休止。酒盛りを始めた」
 今度は、梁田政綱が母衣武者となって駆けつけた。
 桶狭間の中の田楽狭間というピンポイントと、酒盛りという確実な詳報を得た信長は決断した。
 後続の兵に信長の旗印である織田木瓜を持たせ、丸根鷲津救援の偽兵に仕立てた。
「敵が来たら、少し戦って逃げろ」
 残った兵に、うつけらしく、だらしなく、のろのろと行軍するよう命じた。
「天運我にあり、我に続け」
 信長は二千の選兵に叫び、桶狭間に奔った。
 信長は行軍の途中、梁田政綱の語る、どこからどこを衝けば義元の首に最も近いか、更なる詳報を聞いた。
 信長は次々と入る注進に、馬で駆けながら、練る策を微調整した。
 信長は、目的は義元の首ただ一つと指令して、家臣に論功行賞の目印になる旗を捨てさせ、用意した駿河勢の偽旗を翻した。
 大高の山中を降りれば平地。敵から丸見えである。見つかったら全力で獲物に向かって走るしかない。敵陣まであと半里、四半刻である。
 そこに、運良く信長軍を隠すかのような大雨が降ってきた。
「天祐である。熱田神宮の加護だ。震えや者ども」
 信長が叫ぶと、
「おー」
 従う兵はどっと叫んだ。
 明確にして強烈な目的意識を持てば、風雨さえも味方にする事ができる。驟雨の中をひた走った。脱兎のごとく義元本陣に突撃した。

 義元軍本陣の将兵は、雨の中で夏安居のように昼酒を楽しんで居る。
 信長軍は雨に隠れて見えない。敵は来る筈がないと思うから警戒も薄い。見れども見えず。
 そこに織田軍は、水の張った乾田(稲の刈り取り時には乾いている田)を見極めて渡り、なだれ込んだ。勿論、信長軍の旗印がないので、義元は酒を飲みすぎた兵同士の喧嘩だろうと思った。
 信長方の毛利新助が義元に向かい、
「上総介の臣」
 と名乗った。
 昔は上総介であった義元である。てっきり味方と思い込み、
「喧嘩を引き起こした不届き者めが、どこの手の者だ」
 と怒り心頭に発した。この一喝で義元本人と分かった。
「織田信長の家臣」
 と再度名乗られて初めて、
「なに、あの、勝手に上総介を僭称する、うつけな若造か」
 義元の信長への怒りの発端は、己の前の位である同じ上總介を信長が自称している事であった。
 上総介と信長が自称したのは、今川義元の前の位にあやかろうとしたのではなく、室町幕府初代将軍足利尊氏の、かつての称号を気取ったのだ。
 美濃攻略後、すぐに『天下布武』の印象を用いた信長である。上總介と名乗ったのは、まさに、義元に、攻めて来いと果たし合い状を叩きつけたようなものであった。
 義元の怒りは収まらない。
 敵信長の本軍だと知った時には、己の首が胴体から離れていた。
 
 敗残の今川勢を追撃して完膚なきまでに殲滅しておけば、今川軍の反撃を抑え、三河を奪取して領土拡張するチャンスである。
 義元の首を見た信長は、心身共に気力の限界にあった。
 僅か二千で遠駆し乾坤一擲の勝負を懸けたのだ。疲れた兵を率いる信長には追撃する余力は残っていない。義元本陣には五千あり、後陣には未だ万余の無傷の敵が控えている。 戦意の高い大高城の松平元康や、鳴海城の岡部元信等に背後を衝かれる恐れもあった。 織田軍が勝ちどきの声をあげ、大将の首を取られたと知った今川軍は、整然粛粛と引き揚げた。まさに、今川軍法に則っていた。
 大津波のごとく大軍の引き揚げる様を見た信長は、どかっ、と腰を落としてしまった。 向かって行けば、返す大津波に呑み込まれる。
 安堵ではなく、心の底から、海鳴りに怯えた。
 弱者なるがゆえに、勝って恐怖するのだ。
 
 この恐怖を生涯忘れず、寡をもって決して衆に当たらず、常に位攻めを行った。
 生涯を通じて、弱者の戦略を用いた。
 弱者信長のうつけは、父の猜疑から身を守る為に始まったのであった。
                                        完








このブログへのチップ   101100pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
★★★★★

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。

◆コメントを書く

お名前:

URL:

メールアドレス:(このアドレスが直接知られることはありません)

コメント:


くる天
officematsunaga
速報情報は、オリジナル取材ネタも含めてtwitterで無料公開!
twitter

【オフイス・マツナガのブログ】

【CONTACT/連絡先】

カレンダー
<<2013年10月>>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
マーケット情報
by 株価チャート「ストチャ」


FX経済指標


会員制システム
会費は月額1000円で、すべての記事、すべての連載、バックナンバーを見ることができます。また、一般には入手困難な資料等をダウンロードできます。
 購読の規約に関しては、くる天 よくある質問を参考ください。


会費の支払い方・課金の仕方

1:くる天へ会員登録する。
2:ポイントを購入する。
3:記事を購入する 。
 という手順となります。
 初めての課金の申し込み方

返金システムに関して

なお、会費を支払い購読されて「これは課金に値しない」と判断された方には、すみやかに返金に応じます。詳細は、返金システムに関してを参考ください。

入稿後は加筆・修正しません

有料会員制度のサイトという性格と、くる天さんのシステムから、有料記事に関しては入稿後の修正、訂正はきかないようになっています。そのため誤字・脱字・錯誤が含まれる場合があります。誤字・脱字・錯誤等の修正に関しては、別途、指摘させていただく場合があります。誤字・脱字・錯誤  修正情報

皆様へのお願い

 申し込まれたアクセスコード、パスワードを他人に教えたり、譲渡する行為は犯罪行為です。すでに、第三者におしえてしまった!という方は、すみやかにパスワードの変更をお願いします。やむなき場合は、しかるべき対応をさせていただきます。
皆様へのお願い  
当サイト連載コラム
週刊日程表

本日のマーケット

今週の永田町

永田町レポート

本日のオフレコ情報

遠藤顧問の歴史だよ

時代小説発掘(無料公開)

カテゴリ
全て (3356)
2014衆議院選挙当落予想 (12)
無料公開記事 (7)
週間日程表 (154)
選挙 (26)
政治 (86)
経済 (6)
社会 (17)
永田町レポート (67)
今週の永田町 (326)
本日のオフレコ情報 (71)
本日の日経225 (29)
本日のマーケット (1654)
特オチ最前線 (75)
瘋癲老人のレイジーな日々 (25)
扱い注意 (38)
ネットでメシウマ!ウェブマーケティングの虚実 (32)
伊藤博一の事件の眼 (23)
鬼デスクの酔いどれ日記 (44)
アダルトサイト運営奮闘記 (3)
遠藤顧問の歴史だよ (30)
業界記者の覆面レポート (2)
真名のケーザイ探検 (27)
ホッピー・モツ焼・闇市の世界 (4)
ネットでビビるな!ネット音痴の業界人へ (14)
今週のマスコミがびびったネットネタ by 野次馬 (10)
アラカルター久里&占い軍団 (46)
コーヒーブレイク・エクササイズ編 (64)
コーヒーブレイク・ボイスエクササイズ編 (12)
医読同源 (1)
永田町奥の院を新人記者「僕」行く (12)
アンコール (2)
「永田町に棲んだ女たち」2 (13)
「永田町に棲んだ女たち」 (15)
ぼやき三毛猫 (49)
白川司郎訴訟関係 (4)
動画で go !!!! (7)
縄文だよ!!!! (4)
【時代小説発掘】 (204)
2009年 衆議院選挙  最新調査データ (26)
衆議院選挙 選挙区レポート (4)
島田が行く!報道現場の盲点 (2)
誤字・脱字・錯誤  修正情報 (6)
見落とすな!ネット情報・リンク先・保存先 (3)
「永田町に棲んだ女たち・特別番外編」 (8)
雑誌販売動向 (7)
最近の記事
12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
オフイス・マツナガのサイト
[現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガ書籍部]

[今週のキーワードbyオフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガのブログWordPress版]

[週刊日程表(アクセス規制有)]

[調査分析報道・資料倉庫]

【公にされない公の資料を公開】

【その他 オフイス・マツナガweb管理人】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近のコメント
風雲 念流剣 七 (無料公開)(鮨廾賚此丙郤圈)
宿志の剣 三 (無料公開)(会話スキル★吉野)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(管理人:kitaoka)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(珈琲好き)
■この国の最大の問題点は「スパイ防止法案」がない点。マスコミだけでなく、政党にも外国勢力が跋扈。(珈琲好き)
イチローストレッチが止まらない!(バーバリー 時計)
■あまりにあっけなく、野田民主党惨敗。あまりにあっけなく、安部自民党大勝利(takeshi.komi)
時代小説発掘 !!!!!告知!!!!!()
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠 (無料公開)(モンクレール ダウン)
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃(無料公開)  (株式の初心者)
ブログ内検索

RSS
携帯からも見られます!
QRコード対応の携帯で、このコードを読み取ってください。

Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved