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TALES OF  NIGHTINGALE
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〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。
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2012年5月20日 18時16分
太陽政策としての増税に
 
野田首相。小沢氏直談判は正論です。輿石氏は今回いい仕事をされたと思います。さすが年の功ですね。増税法案を通すために貴方が今何を置いてもまず先に取り組まなくてはならないのが小沢氏の説得です。彼が動くまで野党に費やす10倍100倍の誠実さと根気を以って死に物狂いで彼を説得しなければなりません。理屈よりもむしろその意気に感じて、となればその姿勢も本物でしょう。
貴方が首相になったのは、彼をつんぼ桟敷や蚊帳の外にすることなく懐に抱き込む度量を見込まれてに他なりません。ここで小沢氏を説得できて初めて前原氏や岡田氏ではなく貴方が首相になった意味があります。何度でも何処にでも足を運び、膝詰めで、「どうしても反対するというなら私の屍を超えて行け」と言いなさい。

与党内増税反対派。役職辞任等示威行動までは許容範囲内ですが、政治において最大の力である数を減じるに繋がる行動は断じて許されるものではないことを肝に銘じなければなりません。一枚岩こそ最大の防御であり攻撃であり、選挙対策ではなく、やるべき事をやってこそ国政に携わる資格があると言えます。
支持率下がったから首の付け替え・新党というのは、議論をする能力と根気を持たない無能のやることであり、単なる目くらましに過ぎません。
いくら看板を付け替えても目の前の困難な状況は全く変わらず存在します。
意見の相違即袂を分かつ、というのは、極めて幼稚で短絡的な発想であり、おのがディスカッション能力の貧困さの証左にこそなれ、感情と知性をきちんと分別し思考すべきを思考する大人のやることではありません。
議論で打開策を練るには、看板の付け替えの何倍もの労力と根気を要求されます。が、それを厭い看板変更に走るのは話合いやで打開を図る知恵を持たない大人モドキのやることです。
与党増税審議の落としどころは妥当だと思います。今回は再増税撤回を実現させたことで良しとしなくてはなりません。

小沢氏。貴方は良くも悪くも情の政治家です。えてして理よりも情を優先しがちな日本人の国民性を熟知していた貴方がいたからこそ、その選挙戦略が奏功して政権交代を成し遂げた面があることは否めません。
ですが、情だけで政治はできません。
むしろその情に流されまくって本来あるべき冷徹な思考を後回しにし続けた自民党政権下の我田引水放漫政治ムラのツケが、ここに来てパンパンに膨らんだ財政赤字や原発アウトという結果として今一気に噴き出しているのです。貴方が自民を飛び出したのもそれを正さんがためではありませんか。
どうしても増税に承服できないというなら、数を恃んで政府を威嚇したりせずに官邸に乗り込んで直談判で首相を翻意させなさい。
それが政治家のあるべき姿であり正攻法というものです。それ以外の一切の政局紛いの行動はまったくの反則であり、何より貴方が多大な艱難の果てにようやく生み落とした民主党政権と政権交代への最大の侮辱です。
どんなに優れた組織でも頭がふたつある組織は早晩行き詰ります。前回の代表選で党代表に選ばれたのは貴方ではなく野田氏です。それはつまりどれほど承服しかねるものであっても最終的には野田氏の判断に従わなくてはならないということです。
この意味からも政府決定に背くことは反則です。
一度こうと決めたら頑として聞き入れないような石頭だとは私は思いません。増税以外の建て直し策を打ち出せないのなら速やかに矛を収めトップの決定に従うべきです。
貴方ほど義理に堅い政治家は他にいないでしょう。しかしながら、だからこそ、国民との約束や義理人情を離れたところで政治、特に財政を見極める冷静な思考が絶対に必要なのです。最後まで増税に反対した貴方の言動であるからこそ、何よりも国民への説明において説得力を持つことを忘れてはなりません。今は一兵卒となって野田氏に協力しなくてはなりません。
政局家から政治家に変わらなくては貴方のみならず民主にも日本にも未来はありません。

亀井氏。静香ちゃんの政治家として叩き上げた嗅覚は高く買っているところですが、今回ばかりは貴方の行動は拙速ですわ…与党にあってこそ発言も力を持ちえます。
増税で国民が路頭に迷うと危惧思うのなら、袂を分かったりせずに、路頭に迷わないですむセーフティネットの拡充にこそ知恵を貸すべきでしょう。
貴方が懸念するとおり、増税は必ずセーフティネットの充実と抱き合わせでなければなりません。貴方や瑞穂ちゃんが心配してるように、職がなくなれば即餓死の危険。を回避するための防護策が必須不可欠なのは全くの正論ですが、それを以って増税を拒否するというのではなく、それを補完するためにどうするかの方法論に本来展開すべきものなのです。餓死が危惧されるから増税を潰す、というのは議論の単純化に他なりません。
静香ちゃんに関して、菅氏は昨夏アホな自称野党や自称メディアに扇動されて世論が四面楚歌状態だった時に、それらに惑わされることなく情勢の本質を見極め、最後まで味方にあった静香ちゃんの恩義を忘れていないなら、静香ちゃんを引き戻すよう働きかけるべきです。困った時の友こそ本当の友であり、亀井氏の知見は貴重です。

今は景気に鑑みて増税の時期ではないと増税反対派は主張しますが、今後、経済が戦後高度経済成長のように右肩上がりになるようなことはまず期待できません。世界市場が飽和しつつあるからです。残っているのはパイの奪い合いだけです。その主因以外にも、地球環境とエネルギーという二つの面から右肩上がりは制約を受けつつあるというのに、どうして高度経済成長の右肩上がりの夢よ再びと夢想できるのか、全く理解できませんわ。
今は、低エネルギー・低成長下でやりくりするにはどうすればいいかへ政策の大転換を図らなければならない時です。
右肩上がりへの追慕は現実を見誤る障害になりこそすれ、この厳しい現実を読み解くよすがに決してなりはしません。そんな甘い幻想は即刻捨てるべきであり、その転換が遅れれば命取りになりかねません。原発がアウトし、高経済成長を支えてきた様々な矛盾が噴出している今、そのシフトを速やかに行い、丁寧に、換言すれば、みみっちく地道に身の丈にあった経済を模索していく事こそが今最も求められている事ではないのでしょうか。
これに関連して、佐伯啓思氏のデフォルトを懸念せずに増税前にまず公共投資、つまり財政出動による景気浮揚を優先させよという氏の主張(2012年5月4日四国新聞3面)には私は首肯できません。財政出動は対処療法にすぎず、根本的な問題解決に結びつかないどころか、その抜本的解決を更に阻害しかねないからです。
氏の深い考察には常々敬意を払うところではありますが、増税は何もデフォルト回避という国家の体面保持と破綻回避のみが目的ではありません。
エコポイントもそうですが、ヨーロッパ各国と異なり国債引き受けが国内で自己完結しているからいざとなればいくらでもお札を刷って需要を喚起すればいい、という指向性は、成長を終えた壮年・中年期の人間に無理やり成長ホルモンを投与し続けて成長を促すようなものであり、無理が多すぎます。
大量生産・大量消費社会を収斂させるソフトランディングを阻害すればその歪みはまたぞろ大量のゴミ問題やエネルギー・資源不足の問題となって噴出す事になるのは目に見えています。また財政出動は巡り巡れば借金の積み増しとなって更なる国庫の圧迫要因として跳ね返ってくるのは自明です。第一、どの家庭もモノで溢れかえっている今、防災上のインフラと自然エネ以外にこれ以上大規模投資しして有意に需要を喚起できるフィールドがそうそうあるとはとても思えません。

前述したように、経済の右肩上がりが今後期待できない以上、消費を無理やり喚起するようなやり方ではなく、むしろみみっちくチマチマしたセーフティーネットの拡充が何よりも最優先されるべきであり、その「ゆりかごから墓場まで」を構築するための安定した財源の確保手段として消費税等を位置づけるべきだと私は思います。
これまで転んだ後の方策は、常に倒れないためのつっかい棒システム構築の後回しにされ続けてきましたが、むしろその事が先行きへの不安を生み、必要以上に経済を萎縮させている側面があることは否定できません。
増税は一見北風政策ですが、その最大の機能を富の再分配、すなわち、前回増税を取り上げた時に書いたように例えば複数税率導入によって、必需品は低い税率、奢侈品等には高い税率をかけることによって富裕層から貧困層への富の循環・還元が実現できるならば、太陽政策として位置づけることが可能になります。
できれば税率にもっと弾力性を持たせて、例えば奢侈品は30%くらい、かわりに食料品は据え置くか下げる事が出来れば尚良しだと思います。また、芸能人が節税対策でマンション建てる、と言った居住目的でない二軒目以降の不動産等についても何らかの傾斜配分があってしかるべきだと思います。
還付方式も取り沙汰されていますが、複数税率のほうが、タイムラグが生じず、従って一時消費者が税分を負担しなければならないデメリットが解消される点で私は還付方式よりも優れていると思います。また手続き的にも丁寧な事前の検証を行えば後は物品を購入する段階で自動的に税率が割り振られるのですから、複数税率導入のほうが後々の事務作業の軽減に繋がるように思います。
消費税増税はこの富の再分配機能を最大限追求したものである必要があり、その循環が可能となって初めて増税は意味を持ち、国民の理解もおのずと得られやすくなると思います。
それから、復興や原発事故対応でお金がいくらあっても足りない今、国民の納得を得るためにも海外におけるODAや拠出金その他大盤振る舞いは厳に慎むべき論外でしょう。IMFにしても米国でさえ拠出を渋っているものを大見得きって我が国が先頭切って最大拠出するような必要がどこにあるのでしょうか。円高対策はもっと万策模索してからです。
北朝鮮もそうですが弱い人間ほど大きく見せようとしたがるものです。家が火の車なのに見栄張ってキャバクラで札束ばらまくろくでなしの宿六みたいな真似はやめてください。
右から左へ兆の金を渡すようなやり方は尤も国民の再建意欲を殺ぐという意味で有害であるという事をこの際、肝に銘じるべきだと思います。

最後に国民もまた、野党同様政局しか頭にない自称メディアの鼓舞する傍観批判者然とした感情的な論調に流されて、これ以上、政治に一夜明けたら全てが見事に解決していた、というような実現不可能な夢物語や浪花節を求めるのは止めるべきです。そんな荒唐無稽は自称メディアの頭の中以外どこにも存在しません。地道に丁寧に取り組んでいくしか方法はなく、成果が目に見えるようになるまで時間を必要とする場合もある事を念頭に置かなくてはなりません。。地道に丁寧に取り組んでいくしか方法はなく、成果が目に見えるようになるまで時間を必要とする場合もある事を念頭に置かなくてはなりません。
今回万一増税法案が通らないような事になれば、それは”庶民の勝利”なんかではなく、またぞろ今ある世代の責任放棄と問題の先送りに他ならないと個人的には考えています。
そしてそれは、今の国政状況を見れば一目瞭然のように、政治に責任を持たなければならない政権与党の責任ではなく、解散なんかやってる暇はないのに何とか政治を政局に絡めようと、数をいい事に与党の足元を見て揚げ足取りしか頭にない自民を初めとする野党の責任であり、また、その状況を正しく読み解く事なく漫然放置した国民の責任です。
増税しないに越したことがないのは当然です。ですが、自民のもとで利権集中投下放漫財政のムラ政治を重ねた挙句、国庫はこれ以上の先送りは絶対に許されないほど逼迫しています。野党同様政局しか頭にない自称メディアの鼓舞する傍観批判者然とした感情的な論調に流されることなく、冷静な思考を以って、検証するはし、質すべきは質しながら、政府をあるべき姿に導くのは国民の役割です。国民がそれを放棄し、ヤジ馬よろしくただ高みの見物で文句だけつけまくっていて国が栄えるわけがない事だけは確かです。
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2012年4月25日 20時1分
小沢氏裁判から見えてくるもの
 
明日小沢氏強制起訴に判断が下されるが、一連の裁判における問題点をいくつか挙げてみることにする。

まず起訴内容であるが、小沢氏側が主張するように単なる形式上の問題を検察側が独善的に拡大解釈した挙句の裁判である可能性は未だ払拭されないままだ。
書類の裏までコピーに利用するように部下に命じる小沢氏が、記載を知らないのはおかしいという主旨の主張を新聞でしていた自称専門家がいたが、そういう理屈が通るのであれば、節約を部下に命ずる会社のトップは全員自社の会計について詳らかでなければならないことになる。
そもそもそこまで資金について正確・詳細に把握できるのであれば、わざわざ秘書なんかを雇う必要はないのであって、そこまでは手が回らないからこそ秘書を雇っているのではないのか。
少なくとも、疑獄とまで呼ばれたロッキードとは明確に区別して考えなければされなければならないと私は考えるがこれをあたかも同一であるかのごとく捉える報道は強制捜査当初よりそこらへん中でなされていた。

次に起訴される側とする側の非対称性である。
強制起訴において被告側は、たとえ最終的に無罪となろうと強制起訴されることそれ自体よって蒙るイメージダウンは免れない。のみならず今回の小沢氏のように政治家が政治活動を制限されたとなれば、裁判に拘束される事により生じる時間的・精神的・社会的・経済的損失は計り知れない。
また、裁判においては、事件に関わる被告側の動向が再度白日のもとに晒され検証されるのに対し、起訴申し立てを行った側の素性その他は五里霧中のベールに包まれたままであり、起訴した側は裁判の行方如何にかかわらず、何の痛みも蒙らないようなシステムになっている。
これでは特定の個人あるいは団体が、彼らの敵対的勢力によって社会的な無力化を目的として強制起訴を恣意的に利用する可能性すら考えられる。
そういった可能性を排除するためにも、強制起訴によっても再度無罪となった場合には、強制起訴の妥当性が検証されるべきであり、少なくとも審査会のメンバーを明らかにし、今度は逆に彼らがそういった司法的事由とは別の、政治的意図等で強制起訴を計ったのではないかどうかの事実確認にまで遡及しなければ、現在の”一切お咎めなし”では、強制起訴のし放題ということになりかねない。
今回の強制起訴において、個人的には、佐藤雄平知事と同じく、政権交代の”立役者”として小沢氏を快く思わない反対勢力によって槍玉に挙げられ、その政治生命を抹殺せんがためにこの事件が利用されたとの印象が拭いきれなかった。
検察の中立公平性は、厚労省の事件のみならず本案件においても既に綻びを示しているが、前述したように仮に検察側が架空のストーリーをでっちあげて無辜の市民を断罪しようとしたとなれば、検察及び検察審査会は、司法に携わる者にあるまじきその暴挙に対して徹底的に糾弾されてしかるべきである。

最後にメディアの報道についてである。
先程述べた強制起訴の妥当性にも絡むが、起訴側やメディアは起訴の妥当性として、二言目には”国民感情国民感情”と言うが、国の中枢に位置し国政に深く関与する政治家にあっては、一般的な”国民感情”では量りきれない部分が存在するだろうと想像する事はむしろそれほど不合理で不自然な事だとは私には思えない。今回引き合いに出される金額の大きさが殊更誇張され、「如何にも金にまみれた政治の世界」という印象を受けがちだが、お金持ちは別に政治の世界に限らずいるわけで、それらのお金持ちの持っているお金が須らく”汚いお金”であるとは言えない以上、少なくとも扱う金の桁が何桁か違っているそれだけを以って国民感情から乖離していると捉えるには無理があるように私には思える。
百歩譲って政治家にもこれらの「一般的な国民感情」を100%適用できるとして、それらは国民感情という字面を見れば分かるようにあくまで感情という情緒的判断にすぎず、それが司法の専門的理性的判断を圧倒してしかるべきと考える根拠は何であるのか。国民感情を言うメディアその他はそれを説明する必要があるが、これをなしているメディアその他を私は今まで見たことがない。
他方、自称メディアは、強制捜査当初から、まず最初にクロありき。の姿勢には大きな疑問を感じざるを得なかった。
昨年6月26日の四国新聞2面では自称評論家後藤某によるコラムが掲載されていたが、氏はこのコラムのなかで、

「国民世論が小沢の味方につくわけがない」

と断じて憚らなかった。この後藤某のコラムについては非常に問題が多いのであらためて取り上げたいと思っているが、この記事に代表されるように、小沢氏に関する報道は軒並み予断を与える恣意的解釈の元に捻じ曲げられ、公平中立には程遠いものがほとんどだった。
小沢氏は一連の裁判において、自身に対する嫌疑や報道は、身の危険を感じるほどの悪意に満ちたものであったと憤懣やるかたない思いをぶつけていたが、これまで述べてきたように、嫌疑のみならず印象操作と言われても仕方がないような政界の最黒幕であるかの如き論調を浴びせられ、銃弾まで送りつけられるに至っては、どこぞの自称評論家のように小沢氏の言い分もあながち被害妄想的と一刀することは私にはできない。
むしろ小沢氏にまつわる一連の報道から見えてくるのは、偏向しきっているにもかかわらず、これを糺す術を悉く欠いているお粗末なこの国の議論や司法のあり方であり、それは小沢氏の事件そのものとは比較にならないほど暗く根深いもののように思えてならない。
これらの自称メディアは、小沢氏関連に限らず、予断を与えて憚りもしなかったこれまでの自らの報道について当然資質と責任を問われてしかるべき「加害者」であり、他方、言論の辺境に置かれながらも、福島第一事故前より日本の原子力において異を唱え続けていた小出氏が言うように、思考を停止させ感情的判断で以ってそれらに唯々諾々と同調・迎合し続けた大衆もその意味では「もう一方の加害者」とも言うべき同罪である。
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2012年4月21日 14時39分
北朝鮮のミサイル試射
 
今回の北朝鮮ミサイル発射について、発射確認およびその発表が遅れた遅れた、と四国デマ新聞あたりはいつもの如く鬼の首でも取ったかのように大騒ぎしているが、そういう自称デマ紙にはおよそ想像もつかない世界なのだろうが、今回最も重きを置かなければならなかったのは、「いつ発射されたか」には当然ない。
最大のポイントはあくまでも、

「どこに着弾するかを把握し、いかに適正に対応するか」

にあるべきであり、その点から考えれば、発射場最短地域にレーダー搭載したイージスを展開せずに、着水が想定される地域に直近の沖縄近海にこれを展開したのは正しい判断である。

このレーダー着弾近辺展開にはもうひとつ意味がある。
そのレーダー網に捕捉されなかったということは、レーダーが正常に機能している限り、いつ発射がなされていようとその飛翔体は日本には-----------少なくともパトリオット等が”お仕事”をするほどには-----------直接影響がない、ということを、半ば自動的かつ連動的に保証するようになっている点である。

この点をしっかり押さえているならば、発射の確認が遅れたことそれ自体に、それほど動揺する必要がないのは自明だ。
むしろ、四国デマ紙あたりが大騒ぎしているように、発射の早期把握にこだわるあまり、着水地点の把握がおろそかになりこれを見失い、迎撃システムが機能しない、というようなことにでもなればそちらのほうが大問題だった。

本来であれば、アメリカのように偵察衛星を飛ばしてそれを以って日本領域を完全にカバーするのが理想ではあるが、現段階の手持ちの防衛システムの限界を考慮すれば、今回に限れば、持てる手段で最も理想的な対応だったと私は考える。

いつ発射されたか、と、どこに着弾するか、をあわせて把握できるに越したことはない。しかしながら、SEWを持たない現在の防衛システムではそのふたつを兼備しないものなのであり、ふたつのどちらかをより優先せざるを得ないのだとしたら今回の対応は間違っていないと私は思う。

常々述べているように私は日本で流されている報道の全てを網羅しているわけではない。が、私の知る限り、そういう冷静な見解を見たことがなかった。
要するにこの国の議論に冷静な思考は存在しないという典型例のような今回の報道のあり方であり、そちらのほうが政府対応よりもむしろ大きな問題であることを知らなければならない。

要するに発射の把握が遅れた遅れたと大騒ぎしているメディアやそれに託けて問責決議を出した自民その他などは、対応にあたった政府未満の、防衛のいろはも理解できないド素人と言うことだ。それらに政府対応を謗る資格などはどこにもない。

田中氏に、色々と足らざる事はあるだろう。しかし、田中氏に関しての今回の問責は単なる政府こき下ろしと国会を迷走させるための口実に過ぎないと考えることは、以上の考察から明白だ。
これまで以上にしっかりと勉強して粛々と職務に当たってもらいたい。

今回の北朝鮮発射実験で、仮に周辺国が懸念しているように”不測の事態”が生じて最も困るのは他ならぬ北朝鮮だった。発射実験は、単なる示威行動・こけおどしに過ぎず、本当に北朝鮮が周辺国と事を構えるつもりであれば、周辺国に直接危害が及ぶルートも含め、予告軌道とは異なる方向にミサイルを発射するなどしてもっと周囲の緊張を煽ったことさえ考えられる。正恩氏も本来ならやりたくなかっただろうが、正日氏時代に決定していた事でもあり軍の意向もあって中止は不可能だったのだろう。
であるならば、アメリカのように食糧援助・大統領選挙との兼ね合いがあるわけでもない我が国においては、必要最低限の抗議と備えを行ったうえで、中国の言うように不必要に騒ぎ立てることなく静観するのが最も理想的な対処方法ではないのか。

しかるに連日、あたかもこの試射をまるで開戦前夜の如く物々しく伝えるメディア。

発射数日前のNHKラジオ「夕方ニュース」においては、

自称解説員「日本ではこれだけ(発射が)取り沙汰されているのに韓国ではほとんど取り上げられていないのが不思議で仕様がない」

と”解説”して憚らなかったわけだが、不思議なのは、全く物事の本質が理解できてないにもかかわらず、解説員を自称してその自説を臆面もなく展開できる解説員自身及びそれを吟味もせずに漫然と垂れ流すNHK本体ではないのか。
また、これらのメディアが、北朝鮮の試射にこれほど神経質であるにもかかわらず何故インドのアグニには不問なのか、についてほとんど取り上げていない点も偏向しているといわざるを得ない。

日本を代表するメディアでこの有様だから後は推して知るべし、だ。

日本がネクタイだけはいっぱしに締めているだけのコドモの国だということが徐々に露呈しつつある震災二年目ではある。

今回のミサイル対応にあたって理想を言うなら、ダブルチェックを期すのであるなら、地理的に北朝鮮に近い、したがって発射を把握しやすい韓国政府や中国政府とも米国同様に連携を取って、そのうちのふたつ以上で確認され次第、日本にもアラートされるようになっていれば尚良しだった。
あくまでも国家単位での確認作業にこだわる必要はなかったようにも思うが、自分の発表に国として責任を持つということを意識すれば、どうしても自国での確認にこだわらざるを得なかった部分があったのはある意味でやむをえなかっただろう。

このあたりの早期管制システムの構築は今後の検討課題だが、先程早期警戒システムを持たない、と書いたが、確か昨年末に偵察衛星を打ち上げたのではなかったのだろうか?

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1213&f=politics_1213_015.shtml

4号機が上がらないと3号機だけじゃ把握できないということなのか、そのあたりを取り上げたメディアもまた見たことがなかった。

どちらにしても今回のポイントはあくまでも着弾に置くべきであったのであり、また、一番大切な事は今回の経験を次回以降に生かすことであるならば、個人的には発射把握の遅れは許容範囲だ。

そして、最も避けなければならないのは、四国デマ紙のように全く無思考に当局を叩く事に専念特化し、現場を萎縮させたり、あるいはそのことによって結果的にそこから何かを学ぶこと阻害してしまうことであることは、これまた論を待たない。
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2012年4月15日 13時50分
プロメテウスの禁じられた火2
 
今や遠い未来に生きる人々にとって、最大の脅威は、その時代に当然存在するだろうはずの疫病や自然災害ではない。

彼らの最大の脅威は、今まさにこの時代を生きている我々の行動である。

彼らの時代を遠く遡り、彼らの祖先である現代を生きる我々の行動が、彼らの生きる時代の帰趨を決すると言っても過言ではないという事実を福島第一の事故は目の前に広げて見せた。

彼らが生きなくてはならない世界の在りようが、彼らの全く関与し得ない遥か以前の時代の人々の意思行動如何によって決してしまうのだ。

今、停止中原発の再稼動への蠢きがまたぞろ始まりつつある。あれほどの大事故を受け、また、早晩行き詰まりは不可避という原発の本質に気づき始めた人々の脱原発の潮流にあってなお、再稼動への蠢動は、動きを止めない。

原発が火を噴いたのは、テストや予備的対策が不十分だったことも当然あるが、ならばそれらが完璧であれば、安全か。

答えは否である。

自然の森羅万象の前には、人間の考える事は所詮”人間の浅知恵”に過ぎないからだ。
再稼動の方便にされると困るので敢えてここには書かないが、現安全審査段階でも少なくともふたつ死角が存在する。要するに人間が対峙しなければならない自然の脅威から見れば安全対策にはなっていないということである。
であるならば所詮人間が設定した”審査”にパスしたからと言って再稼動ということには決してならない。

仮にこれらの”死角”が消せたとしても、万全であるとは到底言えるものではない。
以前私は掲示板で、最悪の事態を想定することが危機管理であるという主旨の事を書いたことがあるが、原発における最悪とは「メルトダウン後」の事故処理を思考することである。
ところが、現在の審査は「いかにメルトダウンさせないか」までで止まっているのであり、その意味においても全く不完全なのであるが、これはある意味で当然の成り行きともいえる。
なぜならば、メルトダウン後に、整合性・実効性ある対策を取る事は、人間には事実上不可能だからである。それほど核は人間の手に負えないということであり、原発アウトの可能性が決してゼロにはならない以上、その手に負えない事態の可能性もまたゼロにはならない。

今早急に手を打たなければならないのは、停電”後”の対策であり、生命維持装置等命に関わる部分から巷のネオンサインまでにわたる、電力供給のトリアージである。この点では橋下市長に全く賛成である。

後世に、ガスマスクを装着しなければ呼吸も満足にできないような、全世界が核実験場跡地と化したSFじみた環境を渡すのか。
それともそれほど豪勢でも優雅でもなくても当たり前に呼吸し生命を謳歌できる地球を遺すのか。
事態はそこまで切迫している。

今ここで原発を動かすということは、後世に生きる人々に

「我々は遠い未来の貴方がたの安全・安心、そして貴方がたが当然享受してしかるべき当たり前の地球環境をリスクに晒してでも現世利益を追求する。」

という死刑宣告のような絶望に満ちた恫喝に他ならない。


我々は、遥か遠い未来に生きる後世の子孫に、優雅で快適至便な文明を残す義務は必ずしも負っていないかもしれない。
しかし、清浄な空気と水を残す義務は必ず負っている。

なぜならば、この地球に生まれてくるいのちは人間のみならずあまねくそれらを前提として生まれてくるからである。

それを奪う権利を何人と言えど持たない。


その責任と真実とに真摯に向き合うならば、答は既に出ている。

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2012年3月27日 19時30分
only it in millennium 〜Dear Mr.Brian Orser, 〜
 

(いつも拙ブログにお越しくださいましてありがとうございます(はは〜〜っ!)。お読みいただくにあたっての注意なんですが、あのっ、政治経済関連で本ブログにお越しくださっている皆様、こちらは完全病膏肓発狂モードのフィギュアネタ投稿になります。よってに、これまでお読みいただいた政経モードのままこれ読むと間違いなく頭が混乱しますので、一旦頭を娯楽モードに切り替えてからお読みいただくか、華麗にスルーお願いいたします…。)
------------------------------


Dear Mr.Brian Orser, …以下全文、本来なら英語変換しなくてはならないところなんですけど、あまりにも動揺がすさまじくてそこまで持っていく時間と気持ちの余裕がまるでありませんでひた…日本語書くだけで一杯一杯…です…平にご容赦…よほど貴方の公式サイトフォームから直談判送信しようかとも思ったけど文字化け祭りになりそうな気がしたのでブログに載せまひた…。)。 

あ、そいと。
昨季4CC散髪の件があるので念のために書くけど、こっちは巻き毛禁制よ、貴方へのメッセは後で書くわ。こっちはオーサー宛。

親愛なるオーサー様。

ご活躍は常々…なんていう前置きはこの際すっ飛ばさせていただきますわ、私的それどっこじゃない真っ向スクランブルレベル7事態なので…ご容赦のほど。
単刀直輸入に申し上げますわ、

巻き毛、もとい、リッポンのコーチ辞められたって本当ですの!!?

…おまいは今頃何言ってんだ?というお言葉はごもっとも、んでもこの周回遅れの原因は他でもない、昨季全米巻き毛撃沈にあります。そのあまりのショックに突発性フィギュア視聴拒否症候群を発症、見ざる聞かざるを貫くこと一年、先月になって初めて貴方が巻き毛のコーチを辞められたということ知り、追加の驚天動地の凄まじさに言語機能がひっくり返ること更に一ヶ月…福島第一原発並みの冷却作業を経てようやくなんとかヨロヨロお手紙書けるまでに言語機能が復旧したばかり…要するにこれでも可及的速やか。ってやつですの。ま、そのあたりの経緯詳細については掲示板のほうを頭からご参照くださいませ…ああ、お水が60センチって、二号機…膝上レベルじゃん…アロワナも飼えない…。

本題です。


まさか。

まさかこんなシナリオが待ち構えていようとは、2010JOで第二番に蹴つまづいた時には夢にも思わなかった私です…不肖ashley0122joe、ナショナル以来の、いや、ナショナル以上の驚愕絶壁の極み(ほんと実際甲乙つけがたいもんがある…)で今だにマリアナ海溝どころか暗黒星雲漂流中…。

オーサー様(←『必殺仕事人』の「ムコ殿。」の口調で。って仕事人見たことない外国の方には説明のしようがねーな。)。

もっと巻き毛に優しくしてあげて。

第一報を聞いた時は、何の事だか訳が分からずもしかしてバクチ3Aやらナゼナゼナショナルやらをそっくりそのまま貴方のせいにしてトカゲのシッポ切りかと一瞬本気であの小僧に殺意を抱いてしまった私ですが、理由聞いてひっくり返りました。

テクニカルでも戦略でもなく、まして方向性の不一致でもない。

ただ、貴方のupsetがやだ、なんて(※1)。心底泣けたわ、



アホらしすぎて。



オーサー様。

もっとあの巻き毛に優しくしてあげて。

小僧が貴方を解……解任(ガクブルガクブル)したことも勿論不意打ち以外の何物でもありませんでしたけど、それ以上にこの理由は本当に意外だった。
私は奴がモロゾフの時の硬い表情と打って変わっていつもやーらかい顔してるものだからてっきり貴方が奴をうんと甘やかしてるものだとばかり思ってたのよ…ううん、多分甘やかしてたはず、だってほとんどナメてるとしか思えない、この理由…いかん、また怒りが…あんの小僧……まそこはおいといてっ!
昨季全米FPプロ終了時のあのにゃんこ顔!きっとちゃんと甘やかしてはくれてたと思う。

んでも。
でもでも。

もっと優しくしてあげて。

勿論、力が入るがゆえに、落胆もまたとめどもなく果てしない。ということは分かる。分かるわよ、それ。皆まで言うなかれ、それもう聞かなくてもわきゃる、痛いほどわかる。説明不要。の全く異議異論なし。

オーサー様 「ほんっとわかってねーんだよなーあいつは。力入るからこそ!upsetもするのによー。」
ashley0122joe 「ウイウイムッシュー、分かりますわ〜、ミーツーミーツー!!ソーアムアーイ、ソドゥアーイ!!!(あまりにもまどろっこしいのでよっぽどローマ字表記にしようかと思ったけど、一応ここ日本語サイトだし)、イッツハゲドゥゥゥー。私ならキスクラでサバオリしてますわ〜ホント師匠のココロ、弟子知らず、奴のスリリング極まりないアドベンチャー演技を間近で見てる身にもなれっ!ってトコですわ〜。」

って三日三晩でも語り明かせる。
まだ理由知らなかった時は、やっぱりあの時(昨季全米FP終了全開ガッツポーズお披露目時)〆ときゃ!って速攻思ったくらいだもの。
でもでも背負い投げだ絞めあげだって息巻いてた私が言うのもナンなんですけど、部外の私はそれで良くてもコーチがそれだと選手はやっぱりつらい。と思う、コーチは心技両面において最後頼みの綱にして運命共同体、だから。

ナショナルはいいのよ。スケアメだってキスクラで(多分)リプレイの間中貴方にお小言くらって奴はホントーッ!に怪訝そうなカオしてたけど、あそこはむしろちゃんと釘さしていい場面だったと思う。
でも4CCはダメ。なんであんな顔してたか、ちこっと心当たりがないこともないんだけど、それ考えるともう今すぐ太陽系離脱したくなるけど、それはさておき、あんな逃げるように戻ってきてるのに貴方にダミだこりゃ、みたいにされたら、そりゃいかな能天気な巻き毛だって気持ち潰れちゃうわ。逃げ場なくなってしまう…。だってその動揺をその場で受け止めてあげられるのはコーチだけなんだものね、おそらく。
無意識ではあっても巻き毛は貴方にそれを期待していた。まぁ、それくらい凹んでたということなんだけど、そして、

応えてもらえなかった。

これは、貴方がそれまで巻き毛にクールだったからではなく、むしろ逆に大いに甘やかし放題だったからこそだと思うんだけど、あの時ほど貴方の「受容」が必要な時はおそらくなかったのよ、きっと。今季ダンジェン氏のぎうぎうハグハグぶりを見てあらためて確信したわ。
動揺をまるごと受け止めて大丈夫だよって背中のひとつでも叩いて欲しかったに違いない。
それなのにあんな風に突き放されて巻き毛がどれほど傷ついたか、想像に難くない。貴方としては自分がゲイだから意識的にスキンシップを控えてる部分があったかもしれないけど、あんな風に横でやれやれ困ったもんだみたいに溜息つかれたら、奴の立つ瀬がないわ。そういう態度が必要な時も勿論あるけど、あの場面ではそれが完全に裏目に出てしまった。

オーサー様。

期待しなければ誰も傷ついたりしないわ。傷つくのは期待してそれが得られなかった時だけ。

昨季ナショナルでもう嫌!もうほんっと嫌っ!!っていうほどそれを味わった身としては、その巻き毛の気持ちも分かるのよ。

期待しなければ傷ついたりしない。
最初からそんなものもらえないと思えば傷ついたりはしない。

もしも巻き毛が貴方のあの態度にそれほど傷ついたとしたら、それは彼が貴方に寄せた期待の大きさの裏返しにほかならない。テクニカルや戦略的なものだけを期待していたならあんなことにはならない。
誰より貴方に自分の苦しみを分かってほしかったし、分かってくれると思ってた、当たり前といえは当たり前だけど。文字通り全ての苦楽をともにしたその筆頭株主はまぎれもなく貴方なんだもの。その貴方にあの場面であんな風に突き放されたら巻き毛は気持ちの持って行き場がないよ。

あのナショナルショートのフィニッシュの後、巻き毛は貴方しか見てなかった。
まるで貴方の顔にSPの悪夢を取っ払う解除コードでもあるかの顔してほとんどすがりつかんばかりに貴方の顔だけ見てた。
そしてあの時は相応のフォローになってた。というより一晩であそこまで立て直すなんて舌巻いたわ、ろくすっぽハグハグもしてないのに、一体どんな魔法を使ったんだか。まぁもともと一晩寝たら忘れる切り替えの早いタイプなのかもしれないけど。
そしてある意味、その時以上にシッポ踏まれた犬みたいな(…もっとほかに例えようないのか!ないなあ…私的にこれが一番近い…ぎゃん!っていうあれ…。)すごく動揺した顔してた、4CCフリー。

リンクで傷ついて、そして今度は貴方にそれをフォローしてもらえなくて、二重に傷ついて、それで二番目のほうがむしろ彼には耐え難かった---------ある意味、ツボすぎて喜んでる場合じゃないのに思わず一瞬大爆笑してしまったんだけど。だってぇ〜、さっきも書いたけど、相手にそれを望むくらい、それがもらえて当然だと思うくらい、ビジネスライクな関係じゃまず有り得ないパターンなんですもの〜(笑)。
貴方の指導方法だとかそんなものよりフィギュアとまるで無関係な部分が、どうしようもないほど傷ついたポイントだったなんてある意味ツボすぎ。だったんですもの〜。
私なんかここでオーサー様、絶妙のフォローをっ!って思いっきり期待したクチだったんだけど、きゃつもそうだったなんて、もうあまりのツボジャストミート加減に思わず万歳三唱(もし巻き毛が最初の警告にもかかわらずこれ読んで苦虫噛み潰してたとしても、ナショナルのあのガッツポーズとおあいこだわ、絶対同調できない、あのガッツポーズ)。

----------もしあそこで貴方が絶妙レシーブフォローしてたらこんなことにはならなかったのかと思うと臍を噛み切る思いだわ、オーサー様。

今回の解任は、沈着冷静な判断によるものとはとても思えない。私的に

計画性必然性説得力蓋然性まるで無し。

3Aを見直すって一体貴方を解任してどこのジャンプのスペシャリストにコーチ頼んだのかと思ったらダンジェン氏に本決定するまで一時貴方がコーチをしていた時のジャンプコーチをコーチに指名…ってなにそれ?それなら、何も貴方を切らなくてもそのままそのコーチに重点的に見てもらえばいいだけのことじゃん!って速攻突っ込みいれたわ。突然指名に預かったそのジャンプコーチとやらも「えっ!なんで俺!??」とか、さぞかしアワ食ったことでしょう。
要するに後任人事なんかまるで頭になかったのね…後任のあてもなくとにかく貴方から逃げ出したかった、ってことよ。
それだけ見ても感情が先走った末の後先考えない拙速としか思えない、ほとんど苦し紛れの方便に近い------------つまり、全く理に叶ってないってことよ。

結局ダンジェン氏に落ち着いたわけだけど、なんで3Aの見直しのためのコーチ変更が彼になるのか、さっぱり理解できないわ。で、掲示板にも書いたように、しずちゃんの改善についついつられてまるで見当違いのコーチ変更じゃないのか、とあらためて火噴いたわけだけど、唯一理解できる理由があるとすれば、上記upsetのくだりにもあるように、やはり精神的なフォローの部分に他ならない。それが彼の要求レベルに追いついてなかった可能性が高い-------巻き毛にとってほとんど耐え難いほどに。

演技の出来がどうであれ、貴方が笑って流してさえくれていれば巻き毛はそれで十分だったのよ-----------この部分については、貴方が懸念していたように確かに巻き毛に考えの甘いところがあるのは否めないし、そんなメンタリティで果たしてソチを目指すことが出来るのか、については貴方同様、私も判断の揺れるところだわ。でもやはり本当にメリメリめり込んでいる時はまずフォローして支えてあげないと。全米のキスクラなんか見てたら、貴方に褒めてもらいたくてやってた部分も少なからずあるように思えたもの。

巻き毛に優しくしてあげて、オーサー様。

もし高橋−長光ラインなら、派手に口ケンカして三日経ったら忘れてるレベルだと思うだわ、今回の理由。
だけど彼はそんな風に処理できない、だって、高−長ラインが思う存分ケンカできるのはおそらくは過ごした年月の長さゆえだし(それにしても長光コーチも相当気使ってるはずだけど)、そんな風に貴方に突っかかるにはまだまだ遠慮があり過ぎたわ、第一貴方は巻き毛の”専属”じゃないもの。もうひとつには性格的な理由があると思うんだけどそこまで書いてるとただでさえいい加減長いこのうなぎの寝床メッセが果てしなくうなうなするのは必定、なので今回は省きます。この後、このメッセに輪かけて長い(はず)巻き毛宛て書くつもりだし。
とにかく、だからこそ、どこにも逃げ場がなくなってしまった。申し訳代わりに気心のしれた(かどうか正しいところは不明ですけど)サブをわざわざ後任指名したのもそう考えれば全く矛盾がない。

奴はキムとは違うのよ、オーサー様。彼女はある意味大人以上に非常に醒めた目で物事を見ることができるし、必要とあらばどんなつらい仕打ちにでも耐えられる選手かもしれない。彼女なら、例えコーチにどんな仕打ちを受けようと、このコーチはそういうものなんだと割り切ることができるように思える。
でも巻き毛は違うのよ。もっとずっと相手の挙動に敏感だし、考えようによっては自律に乏しい甘えたとも言えるけれど、人との感情のやりとりに敏感なことそれ自体は別におかしいことでも何でもない、むしろ精神的な健全性を示す場合だってあるはず。

例えば、どん底から這い上がる根性を!と思いぶりで崖から突き落としたら、キムならそれが必要だと思えば、肩のひとつも竦めつつヨジヨジよじ登ってくるかもしれない。でも巻き毛はダメ、崖底で蹲ってそれきり石化。少なくとも突き落としたのが貴方の場合、ただもう信頼するコーチに崖から突き飛ばされたのがショックで頭真っ白、泣く泣く崖から落とさないコーチを探しに行くタイプだわ、あの小僧は。スポ根中のスポ根、『巨人の星』見たら貧血起こすわね、多分。

少なくとも奴にとってはコーチはつらい時には思う存分ヨシヨシしてほしい、そういう存在なのよ。
奴はスパルタに慣れたキムとは違うのよ。これもひとつのコーチのタイプであると割り切ることができなかった。自分でもうちは陽気なアメリカ男と思い込んでた分、ショックも相当だったはずなのよ。尚更ある種ウェットなほどの綿密なメンタル面でのバックアップが必要なんだわ。

何よりあの場面でそれをいうのは酷だわ。あの仕打ちは、公衆の面前で、「お前は本当に出来の悪い、どうしようもない奴だ」と言い放ったに等しい。少なくとも彼がそう受け取ったとしても不思議ではない。例え巻き毛がボンボンロミオだったとしてもあれを甘受しろというのはあまりに酷だわ。

巻き毛が意識としてそういうことを思ってるかどうかは分からないけれど、奴にとってコーチというのは、何よりも自分の立場を分かってもらえる人なんだわ、きっと。冒頭、「アホらしすぎて」って書いたけど、彼にとってはアホらしいことでも何でもない、何より大切な真実なんだわ。時には未来を左右しかねないほどに。

もっと彼の気持ちに寄り添ってあげてほしい。
何も4CC(昨季)のラコステのコーチみたいにしろとはいわないわ、-----------別にやりたければやってくれても構いませんけど(笑)。むしろあの場面はそのくらいでも良かったと思うし。でも、そんなじゃなくても、

もっと優しくしてあげて。

でないと彼は動けなくなる。

あんな風に巻き毛を追い詰めないで。巻き毛の逃げ場でいてあげて。

責めてるんじゃないの。貴方が既にそれを理解していることはもう知っているわ。

今回のコーチ変更で巻き毛のスキルが劇的に変化するなんてことはまずないと思ってる。

別にファンの贔屓の引き倒し(ある意味本当に引き倒してるかも…浴びせ倒し…(笑))で言ってるんではなくてよ。

あのアクセルは”難病”だし、今季ナショナルにしたって、単に相対評価が吉に出ただけだと思ってる。与太る3Aという深刻なアキレスを持っているのに貴方抜きでソチを目指すなんて無謀もいいところだわ、無茶苦茶よ。一体どこのコーチに貴方の肩代わりができるというの?

早晩行き詰まってもおかしくはない。

何より、第二番で見せたその表現追求の可能性。

あの第二番がなければ私は絶対にリッポンを見つけることはできなかった。

第二番遭遇後、それ以前の巻き毛プロをいくつか拾って見てみたけど、あらためて確信したわ、仮にそれらを全て見ていたとしても、奴を見出すことはできなかったって。
第二番以前の彼は、技術面はともかく表現において、所作の美しさは確かにあれど、まぁ、フツーの選手に毛がはえた程度のどっから見てもありふれた選手だった。あれほどのポテンシャルがあるとはとても想像できない。

貴方の示したこの第二番がなければ彼には巡りあえなかった。


今回の変更は4も持たない奴の、最大の武器であると言ってもいい表現を持つあの腕を、まるでそれを理解せずに単なる肉の塊としか見ない肉屋に売り渡すに等しい。

これほどの損失と錯誤が他にあるかしら?臍がいくらあっても足りないわ。

今の巻き毛は、まさに、監督の力量を過小評価して小出監督という最高のカードを捨てたマラソン高橋の運命に置かれているようなものだわ。巻き毛の場合は高橋と違って新しいコーチがついてはいるけど、貴方がしたような洞察管理があの小僧、あるいは、新しいコーチにできるわけがない。

さっき行き詰まる可能性は少なくないと書いたけど、今更なんでこんなものを書いたかと言えば、見事行き詰った暁にはどうか手を差し延べてあげてほしいからよ。
彼を、彼の才能を真に掬いあげてあんな風にプロに写像することができるのは貴方だけだわ。リッポンのあの腕には誰より貴方が必要なのよ。そしておそらくは逆もまた真のはず、貴方のあの解釈を巻き毛以外のどの腕もおそらく体現できない。フェルナンデスにも、誰にも。

貴方の解釈と、巻き毛の腕と、いずれかが欠けても成り立たない千載一遇があのプロにはあった。

ほとんどそれは運命と言っていい。

私は、私はこの類い稀なセッションがこんなつまらない理由で断たれてしまうことが何より惜しい。地上の私でこの思いなれば天空のミューズの嘆きは計り知れない。むしろ彼女がそれを私にこうして代弁させるためにあのJOの第二番を見せたのかと思うくらいだわ。

この分かたれた魂の邂逅のようなセッションがいきなり幕だなんて巡り合わせたミューズが泣くわ。

貴方は、4無し病気持ちの奴が切れる唯一最後のカードなのよ。

あの第二番を、千年後に一瞬だけ煌いた彗星にしないで、ミスター。



(※1 http://newsblogs.chicagotribune.com/sports_globetrotting/2011/04/first-kim-now-rippon-what-does-latest-split-mean-for-orser.html)
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2012年3月25日 19時35分
増税とマニフェスト
 
増税は不可避です。

増税反対を言う方々は、では増税なくしてどうやって国庫を賄うのか、代替案を提示しなければ、単なる反対のための反対、お気楽な反対論に過ぎません。日本国債を請け負っているのは主に日本国内金融機関だから、ギリシアとは訳が違うという意見があるようですが、だからと言ってこれほど積み上がった借金をこのまま放置していいことにはなりません。なにがしかの対案を出すこともなく、また、とことん議論することもなくの反旗や離党は拙速の極みであり、野党の思うツボです。党を割る等はもっての他の自滅行為であり、反対派は本当に回避したいのが選挙で負けることではなく、増税なのであれば、どんなことがあっても一致点を見出すべく政府と知恵を出しあいとことん議論を尽くすべきでしょう。そして一旦結論に達すれば、一枚岩となって死に物狂いで国民の説得にあたるべきです。そういう意味では今ほど結束しなければならない時はありません。また、国民の側もとにかく増税は嫌だ、と聞く耳持たずに拒絶するのではなく、議論の中身を丁寧に検討する事が不可欠だと思います。

増税の中身については、できればどんなに切り詰めても絶対に必要なもの--たとえば、生鮮食料品などですが、それらはやはり減免措置を講じるべきだと個人的には思います。他方、ブランド品や奢侈品は税率を跳ね上げても構わない。人間、バッグやタンスがなくても死にませんが、食べるものに事欠けばただちに死活です。

支出ですが、定数削減も給与引き下げもやらないよりはいいでしょうが、主には国民へのエクスキュースとして機能するに過ぎず、焼け石に水であることは自明です。公務員の一律的な削減は、むしろ役所としての機能低下や人員不足等の弊害についても件等が必要でしょう。
それよりも八ッ場ダムに代表される、大型プロジェクトを見直すことが歳出削減においては不可欠です。以前も書いたと思いますが、八ッ場にこれほど時間と費用がかかっているにもかかわらず未だ完成を見ていないのは、工事を長引かせることによって国庫を食い物にしている利権がいるからです。
工事が長引けば長引くほど、あるいは大掛かりであればあるほど利権が得をするような仕組みを抜本的に見直さなければ、いくら血税を搾り取ったところで、穴の開いたバケツです。
増税と大型公共工事は言わば二律背反であり、石原都知事も一方で増税を推しながら他方で八ッ場を推すとなればいいとこ取りの謗りは免れないでしょう。その自己矛盾を自覚することなく、増税を言うことは決して許されるものではありません。

そして、増税において最も重要なポイントはある所から徴収し、ない所に回すという、富の再分配です。逆進性の解消だけでは不十分であり、経済的弱者層については、むしろ軽減措置等で税負担の軽減を担保できれば、心理的な抵抗感も随分違ってくると思います。
福祉への投入も最終的には財の偏りの是正に寄与するものではありますが、直感的に両者が結びつきにくいため、十分な説明が必要でしょう。

とにかく、増税に限らず転がる石に苔は生しません。選挙やコロコロ役者を変えてる暇があるなら、辛抱強く知恵を出し合う以外にありません。

もう一点。

自称政党の自民を初めとしてマニフェスト違反を声高に叫ぶ人々が未だ存在しますが、それらの人々のなかに、政権交代がなったあの衆院選時、その直後に千年に一度の災害とそれによって誘発された原発過酷事故という国難とも言える未曾有の今を想定出来た者が一人でもいたのか。

それによってもたらされた社会の変化は、決して通常想定されうる事態と同列に語れるものでは到底なく、社会状況を一変するほどの激変であり、であるならば、状況に応じて施策を変更することはある意味で当然です。

言葉に縛られて本来必要とする施策が講じられないというような事態こそ、最も避けなければならないタブーであり、マニフェストに囚われずに必要な施策を講じることは、マニフェストの文言死守よりも優先されてしかるべきと私は考えます。

そう言った丁寧な経緯の検証抜きに、とにかくマニフェストに書いてある、書いてない、と言った自称野党や自称メディア、及び自称専門家集団の主張は、まさに言葉尻を捉えた幼稚で乱暴な揚げ足としか私には思えません。



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2012年3月11日 19時15分
プロメテウスの禁じられた火
 
再び3月11日が巡ってきた。

暦という形式上はともかく、歳時記における最大の”節”であるはずの正月ですらが、もはや心理的には霞んで「節目」となりえないほど昨年の3月11日の衝撃は激烈だった。
それまで浴していた日常と常識は、あの日を境に根底から覆り、あるいはまた、瓦解した。

大震災発災当初、津波と地震による被害がどれ程甚大であろうと、時間の経過とは必ずしも正比例しえない心理的な傷痕を別にすれば、相応の時間は有するにせよ、それらを立て直すことは可能だと私は思っていた。やらなければならないことが目の前にはっきりと提示されている局面においてこそ、日本という国は結束し、底力を発揮する--------------------------そう、津波と地震、それのみであったならば。

原発事故という災禍がそこに加わったことによって様相は一変してしまった。

核のもたらす災害は、通常の災害と様々な面で性質を異にするが、最大の違いはその事故後に描く収束曲線特性と生命の連鎖に遺伝子レベルに及んで脅威するという影響深度の深刻さだろう。

まず前者の収束曲線は、時間tを横x軸に取り、災害のもたらす影響を縦y軸に取ったグラフにおいて、核以外のどのような大災害・大事故であっても、換言すれば、上記グラフにおいて、曲線の傾きが発災当初どれほど垂直に近い傾きを持っていたとしても、x軸の正方向への移動、つまり時間の経過とともに曲線の傾きdy/dtはゼロになり、曲線はピークを打って下降に転じるのが通常であるが、核のもたらす災害はこれらとは全く異なる事後曲線を持つ。
時間の経過という環境要因による単純な収束が期待できず、したがってその曲線はピークを持たず、時にはタンジェントカーブに写像されるような無限大に正方向に伸び続ける曲線をも内在するのが核災害の持つ事後曲線ではないのか。
核によって引き起こされる災害は、人間による収束が極めて難しく、また、収束に向かうとしても他の災害と比較にならないほど長いタイムスパンを要するからである。
そうなってしまう理由は言うまでもなく、一つには基本的には人間が主体となってその収束に関与することが極めて難しいこと、もうひとつには放射性物質が自らその影響を減じてゆくには極めて長い時間を要することが挙げられる。
そばに近寄ることすらままならない物質を人間の手で短期収束させられるはずもなく、人間に出来る最善は、ただひたすら遠くに逃げ、瘧のような放射性物質がその放射性を放棄するのをひたすら待つよりほかにない。
他の災害とは異なり、一旦檻から出てしまった放射性物質に対して、人間は常に受身の対応を強いられるのであり、能動とはなりえない。つまり、人間の都合にそぐうように主体的にコントロールができないということである。

少し本論の主旨からはずれ蛇足になるが、四国新聞をはじめとする自称メディアその他は、大震災以降の自らの非理性的で無思考な報道をいささかも省みることなく都合よく棚に放り投げて、未だ事故調や米政府の言を借りて政府対応の非をあげつらうに余念がないが、確かに情報管理の部分に不手際があったことは否めないにせよ、核災害における事後対応は、どれほど人間が死に物狂いで適正処置に務めようと、基本的に「後手」であり、「失敗」であり、「場当たり」にならざるを得ない部分を持ち、その意味からいえば、最も糾弾せらるるべきは周到を全く欠いていた前政権自民や東電という事故破綻前の当事者の対応であり、またそれを見切れない自称メディアにあるべきだと私は思う。
彼ら自称メディア及びこれに付和雷同する人々というのは、とにかく人間が本気で根性を出しさえすれば一点の瑕疵もなくこのシビアアクシデントが収束できたはずであるという荒唐無稽を本気で信じている狂気に取り付かれている人々であって、核災害の本質を理解できているとはとても言えない。また、そう言ったロジックを欠く論調が、日本における議論をここまで腐らせたことをあわせ考えれば、これらの人々が世論を先導するという構図は事故そのものと同様、おぞましく薄ら寒いものであると言わざるを得ない。

誰がどう対応しようと一旦パンドラの箱から出てしまった放射性物質を元通りに収めることなど、生身の身体を持つ人間には不可能である。
かくして、核の事後曲線は、何らかの理由で平行や減衰に転じれば御の字、たいていの場合、音もなく色もなく匂いもないまま、正方向の傾きを転ずることなく、その曲線は無限大に拡散していくことになる。

次に核災害の持つもうひとつの脅威として既に周知ではあるが、その被害が遺伝子レベルに及ぶ点を挙げなければならない。
核には、”解毒剤”あるいは”特効薬”はなく、”生分解”もない。
核種によっては超長期に渡り消失せず、そして強制的に消失させる手段を人間は未だ持たない。半減期を短縮する方法も放射能の影響を免れる手段も人間は持っていないのだ。ただ、手をこまねいて見ていることしか人間にはできない。
除染は根本的な解決どころか、放射能を単にA地点からB地点へ移動させるだけのものであって、拡散に一役買ってしまう意味からは有害ですらある。

であれば、こういった特性を有する核災害を防ぐために人間がすべきこと・できることは何か。

更なる防護策を講じることか。人間に代わるロボットを開発することか。あるいは多重のバックアップや制御網を積み上げることか。

いずれも核の持つ根本的な問題点の解としては非現実的であり不完全であると私は考える。

高線量下でロボットに人間に代わる働きを期待することは今の科学水準ではとても覚束ない。
そして、原発というシステムが一旦アウトすれば誰も手がつけられず、そしてシステムアウトの可能性は決してゼロにはならないからである。

人間に出来る最善の選択はすなわち、核には手を出さないことである。

考えてみれば、他の動植物と同じく肉体という制約を持つ人間が、半分しか扱い方を知らない、こんな神の火ともいうべき核を弄ぶこと自体が狂気の沙汰であった。

これだけ放射能が撒き散らされ、福島第一がまだ喉元にあってなお、再稼動をためらう姿勢を脱原発に阿るポピュリズムと言って憚らない人々が存在するが、脱原発が大衆迎合というなら、原発肯定は大企業や電力会社といった、それによって利益享受する利権迎合であり、効率迎合、拝金迎合に他ならない。多数が必ずしも真とは言えないが、原発推進派が計らずも”大衆迎合”という言葉を用いてしまうように、脱原発は個人単位で見た時に趨勢であるにもかかわらず、これら少数の人々はあたかもそれが絶対命題であるかの如く、原発稼動を謳う。
そこまで効率に侵された思考をまず自覚し、正していくところから我々は始めなければならないのであるが、ともすれば安きに流れ快楽や効率に傾きがちな人間がそのプロセスを正しく踏襲するには禁煙や節食の比ではない想像を絶する忍耐と自律と思考とを要するだろう。
事は大量生産・大量消費、あるいはグローバリズムを至上とする資本主義経済活動の在り方にまで踏み込まなければならないだろうし、そこを回避しての議論はこの国で蔓延している単なる皮相な議論のための議論、きれい事に過ぎない。グローバリズムで勝ち残るのはごく一握りの大国・強国、のそのまた中のごくわずかの利権集団だけである。

あるいはまた。

昨夏から続く供給余力ギリギリの電力供給を自称メディアは口を揃えて「異常事態」と騒ぎ立てるが、異常だったのは、望めば電気他のエネルギーを好きなだけ使え、それがどのような構造で支えられているかすら意識しないですんだこれまでなのであり、科学技術が、人類の生物学的限界及び地球の浄化能力を凌駕しつつある今、人間の決断は、悉くにおいてそれらを考えあわせたものでなくてはならない。

また、あるいは。

よく推進派が振るう言説に、「原発なくして日本の高度経済成長期はなかった」というのがある。
青壮年期だけを抽出して人生が語れないように、高度経済成長期だけを取り出して、原発という核エネルギーシステムを語ることは決してできない。
多くの原発が経年劣化し耐用年数を超えつつある現在、人類はそのシステムがもたらす正負の置換という過渡転換点にあるとも言えるのであって、そういう意味では福島第一の破綻は一種の”必然””端緒”であったとも言えるのだ。
数千年・数万年に渡り、人間が原発の”残滓”を適正に保全管理できるとは私には到底思えないし、原発推進派がこれらを保障する明確な論理を持っているようにも見えない。
であるなら、たかだか数十年の栄華のツケを数万年にわたって支払い続けなければならないのだとしたら、これほど愚かでおぞましく、傲慢でまた、効率至上人間が毛嫌いする”非効率”なことがあるだろうか。

それでは何故これだけの矛盾にもかかわらず、原発というシステムが存在するのか。

原発は、欲求という無限の動機に突き動かされ、それに応えるべく構築された自己都合に満ちた人間の文脈のなかでのみ許容可能な存在なのであり、そしてそれは人間の文脈のなかでは成立しえても、太陽系第三惑星地球における自然の摂理という文脈では決して許されない存在だった。
そして、瞬間的に人間が自然を征したかに見えても、結局のところ、その力関係の不等号の向きが永続的に反転することは決してないにもかかわらず、人間の考える文脈に自然が沿うべき、沿わせることが可能だと考えた倒錯、あるいは人間の文脈がそのまま自然の文脈足りえると考えた傲慢ゆえにこのシステムは存在しえたのだと私は考える。

原発は大気圏という手厚い庇護のもとでかろうじて成立しえる極めて脆弱な生態系を有するこの地上に決して持ち込んではならないものだった。

地中海屈指の栄華を誇った古代カルタゴは塩を撒かれて滅びたと伝承されるが、まして放射能で汚れた土地にどれほど豊かな財を持つ何人であろうと住むことはできない。のみならず、その汚染は、生物の根幹とも言うべき遺伝子に直接作用することによって命の連鎖をも脅かし断ち切るものであるのだ。

あの震災以降、日本にあっては絆という言葉がさかんに叫ばれているが、分断されていたのは何も人と人の結びつきに止まらない。主には自然を人間の欲求完遂を阻む対立的なものと捉えこれと対峙する立場を取る西欧的思想近代文明によって人間と自然との絆もまた分断されてしまった。
自然を畏れ敬いそれを甘受しながら生きることは決して前近代的な未開の論理などではなく、持続的で分相応の繁栄を享受し続けるに最も理に叶ったものであり、整合するものだということを世界に向けて提示し、断ち切られてしまったその絆を結び直すことこそが、どんな効率化問題よりも優先してなされなければならない命題であって、それを確信を持って掲げることができるのは、かつてアニミズムとともにあり、今自然と核の脅威に悉く晒されたばかりの我々日本人だけではないのか。

自然を畏れ敬い、不必要に抗わないという視点から、どんなリスクを侵してでも際限なくエネルギーを取り出すことを是とする原発という発想は決して生まれない。
人間が如何に知恵を得ようと、地球上にある以上は、その一生物に過ぎないという本分を逸脱すべきではなく、自然と対立せず、ともに生きることは決して「敗北」ではないということを今こそ世界に向けて掲げるべきなのだ。

福島第一という重い十字架を背負い、塩の代わりに放射能に侵された日本に未来があるかどうかは分からない。しかし、もし日本の命脈がまだ尽きていないならば、あるいは例えどこかでその命脈が尽きようと、その最後までそれを叫び続ける使命が日本にはあると思う。

忘却も風化も、「危ないことは分かっているけど」という弁解も、目先の利益に目が眩み短絡的に欲望の赴くままエネルギーや資源を貪ることももはや許されない。
特にこれまで原発を推進するなかで駆使してきた”恣意的”な忘却や風化は絶対にあってはならない論外の暴挙であって、看過侵食されない不断の努力と覚悟が要求される。

宮崎駿氏の構想する世界観のその細部について、個人的には色々と異に思う部分もあるにはあるが、『ナウシカ』で氏が透徹してみせた”未来図”は、震災後の今の日本に不気味なほど符号している。

前世紀の栄華の果てに環境汚染という負の遺産だけがことごとく残り、それにまみれたような世紀末のなれの果てのような世界に住むナウシカが望んだものは、美しい洋服でも贅沢な食べ物でもなく、清浄な空気と水、ただそれだけだった。

そのナウシカの渇望はどこまでも重くのしかかり、のみならず、ナウシカのその思いと、今我々が希求するものとの近さに慄然とせずにはいられない。

2011年を価値観における真の転換点とし、目の前の効率を犠牲にしてでも生物や地球の限界と矛盾なく両立しえる新しい普遍的価値を構築できなければ、早晩人間の飽くなき欲望と猜疑によって本来あるべき自然の恩恵すらが食い潰されてしまった、悪夢ような『ナウシカ』の世界を必ず招聘してしまうだろう。

我々はまだ、間に合うだろうか。
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2012年1月22日 19時15分
来た!見てない!忘れてた!の全日本女子雑感
 
新年の挨拶もそこそこに立て続けにフィギュアネタでございます。忘れた頃に新年のご挨拶させていただくかも分かりませんが呆れないでね…全米待ったなしでもう凍りそう…。

さて全日本女子。
掲示板をご覧の皆様はご承知のとおり現在フィギュア視聴拒否症候群を発症しておりまして試合雑感は症候群解除まで控えようと思っていたのですが、今回女子雑感がやたらと長くなってしまったためスリム化の意味も含めてこちらに掲載させていただきました。
視聴が可能になったらまたあらためて肉付けしたいと思っていますので、その際はよろしくお願いいたしますです。

・四国新聞…自称メディアの四国新聞様、今回の大会直前記事はなんと!(笑)浅田インタのみ。そーゆーのは社会面でやればどうかしら?それとも「相撲は桃色だ!」と言って憚らない貴紙だけにスポーツ面は実質「本日の興行面」(笑)なのかしら?確かにスポーツに限らず貴紙の記事展開は最初に自分に都合のいい結論ありき。であることは否定しませんわ(笑)。
大会後も浅田インタ掲載で、この新聞だけ読めば、浅田独演会かと思えるほど、「浅田とゆかいな仲間たち」状態…。
ところで浅田SP衣装について「アラビアンナイトのお姫様云々〜!」(笑)…これまで一切この衣装に言及してなかったにもかかわらずここに来てのこの記載はもしかしてブログ読んだか?(笑)

・全日本…四国新聞を初めとして自称メディアは、今回、あまりにも試合外のことにフォーカスしすぎでした。厳格に実力勝負の場であるべきコンペにおいて、もしも浅田以外が勝つなんて進行上あり得ない的なムードが存在し、選手たち、とりわけ三枠争いに絡む選手たちへ有形無形の”無言の圧力”が存在し、それらが実力勝負よりも優先されたというようなことが仮にあったとするならばならば、それはもはや厳密な意味ではコンペではなく”興行”であり、それは他の選手はもとより浅田に取っても、そして何より日本のフィギュアに取って不幸だったといわねばならない。
フィギュアに限らないが、日本には本当に好きあらば感動最優先の”ドラマ”にしたがる手合いが多すぎ。

・村上…SP衣装、爪まで衣装にカラーを合わせてとてもおされ!是非耳に大きめアメジストのイヤリングを!ライトに当たって映えると思う。
しかし今回の村上には失望を禁じえなかった…。直前コメでも書いたように今回、勝利に最も近かったのは村上だった。自分の演技に集中さえすれば勝負はどうなったか分からない。しかしながら、だ。
戦う前から「二位でいいよ〜」なんて言ってる選手に勝利の女神は絶対に微笑まない。
今回は代表を逃したほうが本人のためにも良かった。

・鈴木…SPトゥループ3−3に戻したのは正解。苦しいだろうけどこのまま3−3を入れ続けるべし。調子が底だったという一時期から良く戻したと思うけど、まぁ、鈴木も問題はテクニカルよりメンタルだわな。人がよすぎて今のままじゃどうにもならない。目の色が全然変わってないやないか。


・浅田…さて何から書くか。
SP衣装については、ま、こんな時ですので、今回は突っ込みは見合わせますわ。ワールドでは書くかもしれませんが。
全日本優勝の理由の第一は他の選手がふがいなさ過ぎたことに尽きますが、それにしても気力だけでよく頑張ったと思います。
でも優勝した今、敢えて書きますが、欠場させるべきでした。
浅田本人が言うようにフィギュアがご母堂へのレクイエムになる部分はあるだろうし、フィギュアに打ち込むことが気持ちを支えているという部分もあるにしても、今後それが逆に転がる可能性は依然として残っている。
今回の浅田のケースは本当に直前にご不幸があったロシェットの場合と同一に語ることはできない。
ロシェットの場合は、とりあえず三日踏ん張れば(それでも大変なものがあったことは言うまでもないが)後は解放される状況にあったのであり、浅田の後二年という長丁場とは全く状況が異なる。この全日本が最終ターゲットではないのだから。
禁じ手・特例措置で出場なんかよりは遥かにマシだったのは言うまでもありませんが、欠場するか、あるいは三枠に入りさえしなければ、今季はしばらくゆっくり休むことができたはずだが、代表になってしまったことで、少なくともワールド終了まではゆっくり休むことはできなくなった。
それが、気分転換という、いいほうに向けばいいですが、逆に転がる可能性は依然として残されている。来季以降のことを考えれば休ませたほうが良かったと思います。ここで無理をして、万一、適応障害等にでもなるようなことになれば、フィギュアどころではなくなるでしょうに。
自己洞察がほとんどできない浅田だけに、尚更練習や試合よりも休養のほうが優先されるべきだったと思います。
ところでこれまで書いていたように(コメ番号探してたけどあまりの膨大なコメ数に挫折…)浅田のソチのタイトルはないとみていましたが、ここに来てソチにおける浅田のポジションが私的には俄かに混沌としてきたな…。
タイトルも代表落ちもどちらの可能性もある。

何故か。

それは技術がどうの実力がどうのとは全く別の種類の話になる。
バンクーバー以降、浅田は精力的にスケート全体の見直しに取り組んできたが、依然ソチのタイトルを目指すには不安要素が尽きない。
しかし同時に、どれほど勝利を計ろうと、勝負事には、理屈抜き、セオリー外の部分が存在することもまた事実だ。
バンクーバーのキムが試合前に度々口にしていた様に、どんなに抜きん出た実力があろうと運がなければタイトルは取れない。
これまで女子スレあるいは冷静スレで述べているように潜在意識レベルで、現時点でタイトルに向けて最も強い意思を持っているのは依然浅田だと思う。そしてその思いには迷いももない。
5022『迷宮のシンデレラ』で述べたように、彼女の勝利に向ける執念、そして自分こそが勝利に最も相応しいという自負は、村上や鈴木、あるいは安藤と比べても比較にならないほど強い。
バンクーバーの戦いはそれだけでは勝てないことを証明するものだったが、 そのメンタルという不確定であいまいな要素は、勝負の本筋である実力云々とは全く別の話でありながら、無関係と一笑に伏せるどころか、最後に勝負を分ける分岐にもなり得るほどの影響力をやはり持つ。
彼女は「自分は二番目でも仕方がない選手だ」とは決して思わない。

そして昨年末の悲報。
話が多少オカルトめきますが、多分、浅田のご母堂は、最初の五輪は浅田の横で、そして次なる五輪は上から、という約束でこの世に降りてこられたのだろう。そんな気がする。
今後、おそらく浅田は”霊界からの応援”をも意識しながらフィギュアに取り組むことになるだろう。ますますフィギュアに没入し、あるいは”鬼”と呼べるものにすらなるかもしれない。
科学技術の発達した現代、当然ながら私は、何でもかんでも霊的なものに帰結させるような思考は持ちませんが、だからと言ってそういったものを全否定することもしない。科学や理屈では説明のつかないことがこの世にはまだいくらでもある。
霊界云々というのが完全にフィクションであったとしても、前述したように浅田本人もフィギュアが唯一母親の愛情に報いる術とばかりにますます一心不乱にフィギュアにのめりこむことは想像に難くない。
そして、その浅田の気迫に言わば”気圧されて”他の選手が無意識にではあっても”勝ちを譲ってしまう”可能性はある。
あるいはまた。
村上の何でもないところでの転倒のように(実際にどんな転び方をしたのか見てないので断定できない部分は残っていますがまぁ一般的な報道を信じれば、ということですね。)、実力以外の要素(言うまでもありませんが、そこに”八百長”その他は含みませんので(笑))で勝ちが転がり込むことがないとは言えない。
浅田の仕上がりがどうであろうと、フィギュアがあくまで相対評価である以上、今回の全日本同様、他の有力選手の軒並み自滅でもすれば浅田がタイトルを得る可能性はないとはいえない、ということだ。

浅田がこのままソチのタイトルをもぎ取るには依然課題は多い。しかし、ここに来て勝利と敗北、どちらの目も残った感じだ。どっちに転がるかはまだ見えない。おそらくそれは勝負が終わるその時まで分からない類のものかもしれない。

あ、他の選手が怖がるといけないので(笑)念のため付記しておきますが、浅田以外の選手もちゃんと守護霊様がついていると思うので無闇に心配しないように(笑)。

霊感で思い出した。前々回の男子サッカーワールドカップ、決勝リーグ始まる前に「イタリアが優勝する」とか言ってたら本当にイタリアが優勝して、一時霊能者扱い(笑)されたことがありましたが、まぁ、あれも”霊感”というより”洞察と分析”なんですけどね、私に言わせれば(笑)。
一次リーグひととおり見てイタリアが最も勝利に近いと思ったからそう言っただけ。
宝くじどころかお年玉年賀ハガキも切手シート以外あたったことないし(笑)。ま、宝くじはあまり買ったこと自体がありませんが…あたるのかしらね、あれ。

霊感話ついでにロンドン五輪、なでしこの優勝は「極めて!」難しいでしょう。
佐々木監督の采配には依然期待できるものがありますが、如何せん周囲が騒ぎすぎ。第二の女子バレーになる可能性大。
沢は非常に醒めていて現実を見失わない選手ですが、これだけ引っ張り回されると色々な意味で集中が難しいところはやはりあるでしょうね。
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2012年1月7日 12時50分
その青薔薇を手折りし者。
 
明けましておめでとうございます!
という新年の挨拶もそこそこに”これ書かんで何書く!?”青薔薇ネタでございます!


それは水曜夜のことだった。一本のニュースが未だ寝正月コタツ虫気分の私の眠気を風速300メートルで吹き飛ばした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120104-00000013-jijp-spo.view-000

あまりの驚天動地!に思わずパソの前でコサックダンス。既におねむ態勢に突入していたあわてどこやのワンコ一号(仮名(笑))にワタワタワタ!と陸上犬掻きさせてしまった私です。

ひとしきりコサックした後、ハレーションのおさまった頭で思ったこと。


常々、”もし私が男だったら、『白鳥』見たその夜に荷物まとめて渡米、開発されたばかりの青薔薇の花束持って日参。一年八ヶ月かけて口説き落とすのに…世の男性陣は一体どこに目をつけているのやら…。”とか思ってた私でしたが、ちゃんと目端の効くのがいたのね〜感動!そうこなくちゃね!


っていうのが半分。


あまりにも感受性が強すぎると自閉したり精神を病んだり、社会適応に支障を来たす場合も少なくないので、あれほど繊細な感受性を持つブルーローズが、その一方で難なく社会適応しているというその事実が未だに信じられないところがある私的には、そんなブルーローズが安心できる居場所を見つけられたことは本当に喜ばしい!


という箱入り娘(?)を嫁に出す親父な気持ちが半分。

お相手はロシア人だそうで、現ロシア以上にロシア的なブルーローズなだけにまさに運命的なものを感じてしまった…(後でツーショット見たらどー見てもブルーローズがロシア、お相手がアメリカにしか見えませんでしたが…。)まぁ、米国生活が長いのであれば、中身は限りなくアメリカナイズされる場合もあろうしコスモポリタンな現代、○○人というくくりはほとんど意味がないような気もしますが…。

保守派の皆様には喉の骨でしょうけど、同性婚を堂々と宣言できるブルーローズの潔さ(よっ!漢だね!)もさることながら、それをひとつの有り様として受け入れられるアメリカに懐の深さを見る気がする。
いかに近代的な文明生活にあやかろうと、ごく一部の例外を除き、自由個性と言いつつも、女子高生の象足ソックスファッションから単一指向性の政治経済に至るまで、どうやれば異端に追いやられない多数派に収まれるかが最大の関心事であり、異端を排斥することによって結束を確認するような、前近代的ムラ的排他心理に未だ大きく縛られているこの国とはやはり未だ隔世の感がある。

ブルーローズがアメリカに生を受けたことは幸いだった。

願わくば。

選ばれし君がその花の価値を最も知る人物であらんことを祈りつつ。

二人のポートレートに青薔薇を一輪。



…まぁでも、その前に一回くらいは、その果報者の足をピンヒールで思いっきり踏んづけてやりたいわね、半分親父としては(笑)。
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2011年12月25日 16時39分
戦場のメリークリスマス
 
今年もクリスマスの季節がやって来ました。

近年日本においてクリスマスとは、とにかくこれでもか!とばかりにひたすら華やかに楽しくへの追求をどこまでもエスカレートさせ、曰く、電飾の数がどうのカリスマパティシエの趣向がどうの。
そして、そのクリスマスにあって人々も、物欲をはじめとするありとあらゆる己が欲望をとことん充足し倒す日と成り果てている感じがなきにしもあらずでしたが、その指向性は、確かにそのような欲望だけでは解釈できない人同士の繋がりを意識する部分が加わったにせよ、東北大震災という未曾有の災害を経験した本年にあっても、いやむしろだからこそ、という側面もおそらくあろう、その暗い影を払拭せんとすべくか、明るく楽しいクリスマスを希求する傾向はなお一層強まったような気がしました。
クリスマスが近づくにつれ、スーパーのレジの皆様は申し合わせたように赤い帽子を被り、予約をせかすクリスマスケーキの広告と定番のクリスマスソングは街に溢れていた。

しかし、他方、節電下とはいえ、それなりに華やぐそれら街の風景とは別に、その大震災によって誘発された原発事故の対応は、政府の収束宣言とは裏腹に、未だ現在進行形の途上であり、疲れも情けも知らない放射能相手に盆も正月もなく水をかけ続けなければならない途方もなく荒涼とした現実が福島第一には粛然として存在する。

そしてその現実は、周りの華やぐクリスマスの風景とは完全に切り離され、連関を見出しにくい対極のものであっても、日ごろの飽食に飽き足らずなお食べきれないほどのごちそうを並べてよしとするような、このクリスマスのあり方に象徴される、何をも省みずありとあらゆる欲望を実現させることだけに邁進してきた現代と表裏であり、そこに生きる我々へ突きつけるものは重い。

目には見えなくとも、今年のクリスマスは、「戦場のクリスマス」ではないのか。

であるならば、そこにあって一体何を思えばいいのか。

答えはすぐには出てこない。
せめて福島第一でこの華やかな文明生活の尻拭いを担わされ戦っておられる皆様に、『聖母たちのララバイ』(岩崎宏美)を贈りたい。
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