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隠密廻り同心・磯貝真六7 『会津西街道』(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2011年5月1日 10時50分の記事


【時代小説発掘】
隠密廻り同心・磯貝真六7 『会津西街道』
佐藤 高市(さとう たかいち)



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)

梗概: 
隠密廻り同心・磯貝真六のシリーズである。幕末の江戸の治安を守る隠密廻りたちの痛快で粋な物語。


プロフィール:    
酉年でも喧嘩鳥の生まれ年で単純明快 東京都生まれ 
小説「谷中物語」で茨城文学賞受賞
江戸を舞台の小説「入梅」が韓国の常緑樹文学に翻訳掲載
江戸の歴史研究会会員 
 

これまでの作品:

隠密廻り同心・磯貝真六 「お多勢八幡」
隠密廻り同心・磯貝真六2 「伊助の別れ火」
隠密廻り同心・磯貝真六3 『篤姫の守り人』
隠密廻り同心・磯貝真六4『富岡八幡土俵入り』
隠密廻り同心・磯貝真六5「丸山応挙の幽霊画」』
隠密廻り同心・磯貝真六6 『会津への旅』


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【時代小説発掘】
隠密廻り同心・磯貝真六7 『会津西街道』
佐藤 高市(さとう たかいち)



(一) 宇都宮宿のかがり火

 宇都宮宿に芝居小屋が掛るのは、珍しいことだった。
「富岡八幡土俵入りが始まるって話だぜ。江戸で大評判の芝居よ。楽しみだねぇ」
「芝居を見るために、親方に休みを貰ったよ。許嫁を殺された関取が、大関を倒して富岡八幡宮に奉納の土俵入りをするって話だそうな。楽しみだね」
 居酒屋では、大工の源助と太吉が明日に迫った八千代座が披露する富岡八幡土俵入りの芝居の話で酒が進んでいた。
 宇都宮城の城下には、商人たちが店を構えて、賑やかであった。日光への参拝客や会津西街道を往来する旅人たちは、宇都宮で宿泊をして旅の疲れを癒すのであった。
 宇都宮宿は、白河に向かう奥州街道の分岐にあった。秀麗な宇都宮城が城下町の中心にあった。城の外堀の役割をしている田川が流れていた。
 本多正純が整備をした城は、高い土塁と堀に囲まれ難攻不落の城として知られていた。 磯貝は、街道の両脇にある旅籠で山並みを見ながら、まだ遠い会津の地に思いをはせていた。
「若、どうやら忍びの者に付けられているようです。猿回しに化けて、遠まわしに付け狙っているようです」
 富山の薬売りに化けた甚吉は、磯貝の部屋に姿を現して付けられていることを磯貝に話すのだった。
「忍びの者たちは、敵か味方か分からぬが用心をするように」
 磯貝は甚吉にそう命じて障子を閉めた。
 芝居小屋は、寺町の空き地に作られていた。八千代の芝居に魅了された贔屓の古着屋甚右衛門が小屋掛けをしていた。甚右衛門は、富岡八幡土俵入りが特に好きな演目であった。
 主人公の気の弱い力士の臥竜山鹿之助は、春の勧進相撲の稽古で、大関が相手だった。 いきなり大関の張り手がこめかみに近い所に当たった。その瞬間、臥竜山は、意識を失い、大関は右でまわしを取ると、臥竜山を土俵に叩きつけた。  
 大関は、まわしを取った時に、臥竜山が意識を失っていたのを知っていた。それでも、土俵に投げつけたのは、やり過ぎたと思って、臥竜山を助け起こそうとしたが、白目を剥いた臥竜山の姿に事の大きさを知った。
 読売には、大関が十両の力士を投げ殺したという大げさな内容で書かれていた。江戸っ子たちは、大関の強さに驚嘆し、読売を買い求め、湯屋や居酒屋、そして、長屋の井戸端でもその話題でもちきりになった。
 一方、臥竜山鹿之助は、三日の間、意識もなかったが、死んではいなかった。朝稽古が終って、ちゃんこ鍋のいい匂いがすると、臥竜山の腹が大きく鳴って、ようやく意識が戻った。
「腹が減った。わしは、三途の河を渡ろうとしていたが、あまりに腹が減って座り込んでしまった。そのうち、いい匂いがして、振り返って見ると、娑婆に戻ってくることができた」
 朱色の柱のある伽藍が前方にあり、そこに続く石畳の寂しい道を白い着物を着た老若男女が歩いていた。
 臥竜山は、回しを付けただけの姿で、三途の河を渡ろうとした。髪をふり乱した婆が、亡者の着物を脱がしていた。
 回しを締めた臥竜山を見た婆は、嫌な顔をした。あっちへ行けというような仕草をした。臥竜山は、腹が減ってその場に座り込んでしまい、目が覚めた。 
 ひと月もするとなって、臥竜山は回復をしたが、中々稽古をしようとはしなかった。回しを付けて稽古場に出た日、若い者に胸を貸したが、体を合わせた途端、大関の顔を浮かび、腰が引けて土俵の外に押し出されてしまった。
 臥竜山の臥竜山の体の傷は癒えたが、恐怖心が宿ってしまった。親方は、苦悩する臥竜山を見て、無理に相撲を取らせることはしなかった。心の傷が癒えるまで、臥竜山に部屋の料理番を手伝わせることにした。
 臥竜山を再び土俵に上がらせたのは、男言葉をして、そこには薄緑の羽織を着た辰巳芸者の豆輔がいた。  
 豆輔は、布川宿の生まれで、臥竜山の故郷の木下(きおろし)に近かった。利根川の川べりで育った二人は、祭りや利根川の帆船の思い出を語り合った。 
 豆輔は、臥竜山が本物の龍になることを富岡八幡宮に祈願をしていた。秋も
深まった10月の末のことであった。仲町から程近い富岡八幡宮にお参りをして、寂しい雑木林に差し掛かった。豆輔は、座敷に上がる前で化粧をしていた。
 ちょうど前から、ひげ面の男と長身の馬面の男が歩いてきた。足取りから酔っているようであった。
「お前は、芸者か、付き合ってはくれぬか?」
 ひげ面が、豆輔の手を握った。
 豆輔は、とっさに手を払いのけようとした。男の頬を叩くようになった。
「無礼者め!」
 一瞬であった。夕日に刀が鈍く光るのが見えた。浪人は抜刀術の遣い手であった。豆輔は、崩れるようにその場に倒れた。
 やがて、臥竜山は、再び大関と本場所で対戦した。二人は、ぶつかった。大関は、得意の張り手を臥竜山に浴びせた。臥竜山は、大関の両回しを取った。そのまま、大関を土俵際に追い詰めて浴びせ倒しで決めた。
 臥竜山は、部屋に戻ると化粧回しを締めて、富岡八幡宮に向かった。豆輔が祈願をしていた八幡宮に土俵入りをするためであった。人気の出た臥竜山を見物人が囲んでいた。
 臥竜山は、本殿に向かって柏手を打つ。四股を踏むたびに「ヨイショ!」と掛け声が掛った。臥竜山は、この時初めて涙を流した。豆輔が祈願していた本物の龍に、臥竜山は成ることを誓った。
 芝居の稽古を見ていた古着屋甚右衛門は、年老いた母親を連れて来ていた。力士役の役者の手を握った甚右衛門の母親は泣いていた。
 長年、宇都宮宿で古着を扱って、夫が流行り病で亡くなった後、甚右衛門を育てた母親だった。甚右衛門は、親孝行の真似ごとがしたかった。苦労ばかりの老いた母親に江戸の芝居を一度見せたかった。
「おっかさん、良かったかい?」
「良かったよ。冥土の土産になるよ」
 甚右衛門の母親は、そう言って手を合わせた。
 甚右衛門は、芝居の一座を率いる八千代に母親を会わせた。
 八千代は、子どもの頃、深夜の付け火で芝居小屋がまたたく間に燃え、厠に立った八千代だけが生き残った。その時、八千代は無数の狐火に魅かれて芝居小屋の外にいた。八千代は、狐が自分の命を救ってくれたと甚右衛門の母親に語るのだった。


(二) 日光東照宮への誓い

 磯貝真六は、甚右衛門の母親をいたわる八千代の様子を楽屋の入口で見ていた。八千代に別れの言葉を告げることなく、甚吉と共に東照大権現を祀る日光東照宮に旅立って行った。予定より一日早い出立であった。
 街道脇の杉木立が風に揺れていた。山は赤や黄色の紅葉で飾られていた。磯貝真六と甚吉は、付けられていることを意識しながら先を急ぐのであった。
 川沿いの道を二人は歩いていた。日暮は早く、街道の辺りに旅籠も無かった。磯貝は、観音堂で一夜を明かすことした。堂にあった火鉢に火を起こして、握り飯を頬張った。
「甚吉、修行をしていた頃を思い出す。よくこうして、寺や社に泊って修行を重ねた」
 磯貝の言葉に甚吉は、磯貝と共に山々をめぐっていた頃を思い出した。
甚吉は、その時、外に人の気配を感じた。燈明の灯を甚吉は吹き消した。月明かりに真剣が鈍く光った。
 観音堂の戸が開き、月明かりを背にした人の姿がそこにあった。
「待ってください。旅の六十六部でございます。私も一晩御厄介願いたいのですが・・・・・・」
 再び燈明を灯すと、そこには白装束で阿弥陀像を納めた箱を背負った聖の姿があった。「峠を越えてまいりました。難儀をいたしました」
 甚吉は、咄嗟に六十六部の手足を見た。旅をしてきた割には汚れていなかった。甚吉は、身がまえた。磯貝も甚吉の素ぶりに長刀を手にした。
 その時、六十六部は、般若のような顔になり、背にしていた阿弥陀像を下ろすとそれを磯貝に投げつけた。磯貝は、それを避けた。
 六十六部は、懐から短刀を出して磯貝に向かって行った。
磯貝は、長刀を抜くと六十六部を斬り倒した。観音堂は、外から火が付けられ燃え上がった。
 甚吉が外に出ると、数人の忍びたちが斬りかかってきた。
「罰あたりめが、観音堂に火を付けおって、磯貝真六と知ってのことか」
 磯貝の言葉に忍びたちは一瞬ひるんだ。その時、銃声がして忍びがその場に倒れた。次々に銃声がした。甚吉は、残りの忍びを斬り倒した。銃を撃ったのは三五郎であった。
「三五郎か。ごくろうである。来てくれたのか?」
「旦那様、甚吉から忍びが付けていると聞きましたので、途中で山伏たちが旦那様を狙っていたのです」
 磯貝の問いに、三五郎が答えた。
 三人は、月明かりに照らされた道を歩いた。すすきの尾花が風に揺らいでいる。
 襲ってきた忍びは、江戸から磯貝を付けていた。その者たちの狙いは、会津藩主松平容保への書状であると磯貝は見ていた。
 時は、西国の雄藩が公家と共に天皇を動かした。天皇は、水戸藩に勅諚を下賜し、日米修好通商条約を天皇の許可を受けないまま幕府が結んだことへの叱責と攘夷を促した。
 大老井伊直弼は、幕府を介さないこの戌午(ぼご)の密勅に激怒していた。会津藩主への書状は、徳川宗家の下に結集し武力の発動があることをしたためたものであった。
 反徳川の勢力は、幕閣の中にも勢力を伸ばしていた。あらゆる手を使って、徳川幕藩体制を打倒しようとしていた。
 磯貝真六が独りであったら、忍びの者たちに殺されていたかもしれなかった。観音堂で寝入った所を襲われれば、いかに磯貝といえども御陀仏であった。
 川沿いの道を進むと人家が見えてきた。東の空が白々としてきた。朝日が昇る頃、三人は日光の町に入った。
 甚吉が旅籠を探してきた。通り面した宿で体を休めることにした。通りには、日光東照宮の参拝客たちで賑わっていた。
「お役人の見廻りが厳しくなりましてね。急な取り調べが入ることもございます」
 旅籠の主人が出てきて、挨拶をした。
「主人、すまぬが長旅に出るため、旅道具を調達したい」
 甚吉は、旅籠の主人に草鞋や煙草、油紙を注文した。三五郎は、磯貝真六が無事に峠を越えるために馬を探した。
 磯貝真六は、独りで日光東照宮を参拝した。杉木立の中に、日光東照宮は、荘厳な建築物を見せていた。陽明門の美しさに磯貝は声を出した。
 磯貝は、本殿の見える場所で手を合わせた。御神体が安置された本殿に向かって、参拝客たちが頭を垂れていた。
 磯貝真六は、隠密廻り同心として江戸の治安を守り、西国の雄藩からの不穏な動きに対して取り締まってきた。
 それらの不穏な力は、天皇まで動かすようになっていた。徳川の誇りを守るために、大老は動き出すはずであった。会津藩に遣わされた自らの役目の重いことをあらためて思うのであった。
 磯貝は、再び江戸に戻ることは考えていなかった。隠密剣士と江戸市中の者たちから人気を集めていたことを思えば、これ以上役目を続けることはできなかった。
 徳川のために、会津の地で朽ちることも覚悟を決めていたのだった。磯貝は、本殿に向けて心を込めて法華経を唱えた。。
 本殿には、徳川家康が神君となって日光の地から江戸幕府を見守っていた。磯貝真六は、外圧と天皇の威力に揺れる江戸幕府が心配であった。
 磯貝は、東回廊潜り門にある眠り猫の彫刻を見た。牡丹の花に囲まれた猫は目を閉じてはいたが、外界の音に耳をそばだてていた。平和な時にも絶えず注意することが肝要であることを意味していた。
 日光東照宮の参道の入り口で、三五郎が逞しい栗毛の馬を用意していた。この馬で一気に距離を稼ぐ狙いであった。日光からは、磯貝は独りで会津に向かう。
「旦那様、この馬は五十里湖の馬方に戻せばいいそうです。敵は、明朝の出立を考えているでしょうから、その裏をかくものでございます」
 磯貝は、三五郎が用意した旅道具を背負い、道中笠を被った。今生の別れを惜しむように三五郎は泣いた。そして、懐から拳銃を出して磯貝に渡した。
「甚吉は、先に鬼怒川を目指しております」
 日光で分かれる予定であった甚吉は、主人の心配をして藤原宿あたりまで送るつもりでいたのだった。磯貝は、落ち葉を敷き詰めたような会津西街道に馬を走らせた。


(三) 峠越え

 磯貝の乗る馬は若く元気であった。太く短い脚で地面を蹴って行く。天気も上々であった。一つの峠を越えると閑散とした宿場が見えてきた。藤原宿であった。往来で甚吉が姿を見せた。
 閑散とした宿には、人の姿も見えなかった。
「若、蕎麦をご用意しております。一先ず、旅籠に上がってください」
 磯貝真六は、馬からおりた。甚吉は馬を休ませて旅籠の番頭に世話を頼んだ。磯貝は、旅籠で足を洗って座敷に上がった。
「甚吉、御老中が待っている。江戸に戻ってくれ。世話になったな」
 磯貝は、甚吉にねぎらいの言葉を掛けた。
 甚吉は、土埃に汚れた主人の姿を見て、これからの辛い旅を思って畳に伏すのだった。「蕎麦を食べたら、馬を走らせることにする。五十里湖まで急ぐことにする」
「若、五十里湖で案内人が待っておりまする。能面の彫り師でございます。重徳と申す伊賀の忍びでございます」
 甚吉は、会津への案内人として重徳を五十里湖で待たせていた。重徳は、会津西街道の奥山で能面を彫り、大名行列や会津の公用で陰ながら武士たちの先導をする腕の立つ忍びであった。
 幕府は、重徳のような徳川の守り人たちを、国の要所に配置していた。
「江戸では、攘夷派の取り締まりが厳しくなるであろう。大老の井伊様は、お覚悟をしている」
 磯貝は、大老の井伊直弼が、徳川幕府の威信を守るため、西国の雄藩や朝廷を調略する者たちに厳しい詮議をすることは必定であると見ていた。
 磯貝は、大老の命が書かれた書状を会津藩に繋げる役目の重さをあらためて思い、託された書状を狙う者たちが迫っているのを感じていた。
 磯貝は、煙管で煙草を吸った。一息ついて、会津までの絵図を見ていた。尊王攘夷派の 忍びは、徳川幕府の意志をしたためた磯貝の持つ書状を狙ってくるのは必然であった。 険しい街道のどこかでその者たちは磯貝を待ち伏せしているように思えた。会津に向かってひたすら歩んでいかなくてはならなかった。
 磯貝は、馬を引いてきた甚吉に別れを告げて、道中笠を被って馬にまたがった。磯貝は、馬に鞭をやって、五十里湖は目指した。
 街道は細くなる頃、雨が降ってきた。雨に濡れた落ち葉は滑った。馬を人の歩く位の速さにして崖下に落下しないように慎重に進むのだった。
雨は激しくなっていった。雷鳴が山の向こうからしていた。左手に崖があって、右手には断崖が続いていた。激しい雨と雷鳴に驚いて歩むことを止めた。水の流れが街道を遮断した。
 突然、雷鳴がした途端、稲光が磯貝のすぐ脇の崖下に落ちた。馬が怖がって、暴れ出した。
 その時、馬の手綱を握ってなだめる者が現れた。
男は、白髪を肩まで垂らした小太りの男であった。山伏の姿をして、馬が大人しくなると磯貝に頭を下げた。
「磯貝様、私は風の甚吉様から指示を受けました会津街道の案内人の重徳でございます」「甚吉は、忍びの間では風の甚吉と呼ばれているのか?」
 重徳は、柔和な笑顔を見せた。
「磯貝様は、三日月の隠密剣士と呼ばれています」
 重徳の言葉に、磯貝真六は心を落ち着かせることが出来た。
「この先に、雨風をしのぐことが出来る場所があります。馬は、あの者たちが五十里湖の馬方に届けますので」
 笠を被り蓑を着た二人の男が馬の手綱を取って、五十里湖への道を下って行った。
「すぐそこに、炭焼き小屋があります。着替えをご用意しております」
 重徳は、そう言って、磯貝を街道から外れた獣道に案内をする。一面の熊笹の藪に、雨が音を立てて降っていた。
 坂を上がると炭焼き小屋が見えた。小屋の前には、狼のような白い犬が繋がれていた。「私の相棒の八房でございます。熊にも向かって行く勇猛な猟犬です」
 犬は、重徳を見ると尻尾を振って何度となく鳴いた。
 炭焼き小屋は、天井が低く狭かった。重徳は既に炭を起こしていた。囲炉裏に炭を足すと、しばらくして、炎が見えてきた。
 重徳は、鉄瓶に甕の水を注いだ。磯貝は、雨で濡れて着物を脱いで、手拭で身体を拭いた。重徳が用意した着物に袖を通して、帯を締めると囲炉裏端に座った。
 火の暖かさが心地よかった。磯貝は、煙管に煙草を詰めて炭の火で煙草を吸った。
「そなたは、能面を彫っているそうだが・・・・・・」
 磯貝は、重徳が入れた茶を飲みながらそう尋ねた。
「はい、主に桜の木を彫っています。木の中に面が埋もれているように見えて、それを彫り出す面白さがあるのです」
 雪に閉ざされた山奥で、重徳は熊のように冬ごもりをするのだった。小屋の中には、八房がいて囲炉裏のそばで寝息を立てていた。風がうなり声を立てて重徳のいる小屋を揺らした。
 気の狂いそうになるほどの孤独であった。重徳は、ノミを木に打ち込み面を刻む。八房がそばにいることで孤独は癒されていく。
 吹雪が止めば、会津西街道が見下ろせる丘で街道を往く者たちを見張るのだった。
 たまに重徳に知らせと金子を持ってくるのは、徳川の陰忍であった。諸国の大名たちを見張るために、徳川の忍びは全国に放たれていた。
 磯貝は、重徳からの話で徳川幕府への深い忠誠心を知った。この者たちが日夜幕府のために働くことでこの国の平和が保たれてきたのだった。
 重徳は、先祖からの役目を引き継いで、深い山に暮らしているのだった。外国からの大波とその攘夷を声高に叫ぶ天皇によって、徳川幕府は存亡の危機に瀕していた。
「このような小屋を山の中に数ヵ所用意しておりまする。雨が上がったようですので、半時ほどで出立をいたしまする」
 重徳は、干した魚や肉を竹の皮に包み旅じたくを急いだ。重徳は、熊の毛皮をまとった。
 小屋を後にした磯貝の先導を重徳は八房と共に進んだ。まるで藪を漕ぐように獣道を進んだ。
 坂道が終わる頃、空が間近になったような気がして先を急ぐと、錦秋の山肌が見えると磯貝はその美しさに驚きの声を発した。
「磯貝様、あの丘の向こうに出作り小屋があります。ちょうど茸が辺り一面に生えております。夕餉は、茸鍋にいたしましょう」
 重徳は、そう言うと八房を先に行かせた。人の気配がすれば吼えたてるはずであった。 重徳は、よく気がつく男であった。小屋に着くと水を汲みに小屋から下った沢に下りて行った。八房は重徳の後を付いて行った。
 大鍋に茸を入れ、干した熊の肉を鍋に入れた。味付けは塩だけだった。茸がぐつぐつと煮えた。
 磯貝は、初めて食べる熊の肉を堪能しながら、徳重から山の暮らしを聞いていた。
 その晩、満月が山の上にあった。磯貝は、重徳と八房がいたおかげで久し振りに早く眠りについた。
 重徳は、能面を彫っていた。囲炉裏では火が燃えていた。山では日が暮れるとしんしんと冷えて来た。重徳の傍らに座った八房は、小屋の戸の方に顔を向けていた。
 重徳は、幕府方の陰忍が闇の中を江戸に向かうのを知っていた。毎夜のように、陰忍たちは、会津西街道の間道を行き来していた。これほど、影の者たちが、頻繁に行き来することは無かった。
 重徳は、徳川幕府に緊急事態が起きていることを昨年あたりから感じ取っていた。
磯貝真六も人の気配を感じていた。それは、小走りに山道を急ぐ影の者たちだった。


(四) 会津に消えた隠密剣士磯貝真六

「磯貝様、この峠を越えると会津でございます。私は役目柄この先には行けません」
「重徳のおかげだ。無事に会津に着くことが出来た。御苦労であった」
 磯貝は、数日の間重徳と過ごし、幕府のために家族も持たず、与えられた密命のために働く男の姿を知った。
 磯貝は、すっかり慣れた八房の頭を撫で、独りで峠の坂を上った。重徳と八房は磯貝の姿が見えなくなるまで見送っていた。
 会津西街道を反幕府軍が会津に進軍した場合は、それは、徳川幕府の危機であった。江戸が占領され、親藩である会津藩に朝廷の兵士たちが向かうことは、徳川幕府の終焉を意味している。
 重徳は、八房の背を撫でながら来た道を引き返して行った。厚く積もった落ち葉を踏みしめて、もう一度峠を振り返った。
 磯貝真六は、江戸に戻ることは無かった。磯貝は、若き会津藩主の松平容保に老中からの書状を渡した後、消息が途絶えた。
 江戸の者たちは、黒紋付の羽織を着て、着流し姿で江戸市中を見廻る磯貝真六の粋な姿を懐かしがった。
 三日月の隠密剣士磯貝真六が、京都守護職松平容保の配下に入り、新撰組に入隊したとの噂が流れた。
 八千代は、そんな噂を信じなかった。近藤勇の配下になって磯貝真六が、尊王攘夷派の殺生に加わることはしないことを知っていた。
 戊辰戦争が終わり、新政府が樹立されても江戸庶民の暮らしは大きくは変わらなかった。頭のすげ替えだけであった。
 八千代は、きれいに剃り上げた月代と切れ長の目をした役者のような磯貝が姿を見せるのをいつまでも待っていた。
 八千代の芝居小屋では、伊勢屋嘉平が谷中のお化け長屋に住む箕輪岩居に書かせた『筑摩江や』という芝居が掛けられていた。
 物語は、一人の武将が六条河原で首を刎ねられる時にこれまでの人生を思った話であった。伊勢屋嘉平の先祖の石田三成の物語であった。三成の名を出すことはしなかったが、見る人が見れば、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の大将石田三成であることがすぐに分かるものであった。
 京都六条河原で処刑される土壇場で、石田三成は、喉が渇いても柿は痰の毒だと言って食さなかった。刑場にいた者たちは、この期に及んでも己が身体を大事にする三成を笑った。
 だが、そのことが武士の道であることを後年になって気付くのであった。命ある限り、生を全うする。
 伊勢屋嘉平は、芝居を観終わっても立ち上がれなかった。関ヶ原の戦から二百数十年も耐え忍んできた石田一族にとって、『筑摩江や』は、三成への再生の祈りであった。
八千代は、芝居の武将に磯貝真六の姿を重ね合わせていた。そして、過ぎ去った江戸の風景を懐かしく思っていた。






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10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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