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〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。
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2012年7月29日 19時22分
ロンドンの戦い 〜なでしこ スウェーデン戦〜
 
スウェーデン戦、オソロしすぎてとても生観戦する勇気が出ず(笑)、さっき録画見ました。
先にスコアだけ見てたんですが、どんなグダグダな試合だったのかと思ったら、両者互角のいい戦いでした。一戦目より良かったと思います。
立ち上がりからシステムが機能してたし、選手も良く動いていた。
パスは持ちすぎないように心がけているのとパスボール自体にスピードがあるのがいいと思う。パスミスについては、なでしこの稚拙というより、スウェーデンの位置取りの良さだね。パスカット出来る位置に常にいて、出先を殺してる。必然的になかなかパスが出しにくくなる…このあたりは、なでしこをよく研究してるなと思いました。多分そのあたりが、カナダ戦との得点差でしょう…しかもこのピッチ、思いのほかボールが走るので、沢のように強いボールだとオーバー気味でその良さを生かすのがちょっと難しいのかも…こないだ沢のボールコントロールが今ひとつって書きましたが、このピッチのコンディションのせいも少なからずあるかもね。決勝リーグは違う会場になるのかな?
13分のプレー、あれくらいゴール前に駒があればいろんな事ができると思う。
セットプレーは近くに一人置いて、そこに出す選択肢も必要だと思う。相手の注意も拡散されるし。それと、仲間のシュートを見て足を止めるんじゃなくてこぼれ球を狙いに行ってほしい。後半直後の川澄のシュートもキーパーが弾いていたので、こぼれ球を拾いに来てたら押し込めてた。そこはまだ改善の余地有りだと思います。
後半に入っていくつかシュートシーンが見られましたが、後半調子が上がるのは実力のある証拠ですね…最終盤はアナさん言ってたように、ピッチのあっち端からこっち端を行ったり来たり。タフな試合でした(笑)。お疲れさん!

スウェーデンは速さはそんなになかったですが、大きいだけのチームかと思ったらとても器用ですね。ランキングどおりの実力だと思いました。この試合、アナさんに一番名前を呼ばれていたのもシェリーンのような気がする…(笑)、確かに球の扱いがうまくて一人でお仕事ができる選手ですね…9番も突破力がある。


大儀見はシュートよりキープとパスにセンスを感じる。今の調子でアグレッシブにプレーしていけばいつか得点に結びつくんじゃないかな…。
それと前線で孤立しがちなので、できたら一枚もらいに応援がほしいところ。相手への撹乱にもなるし。このあたりはスウェーデンに見習うべきところがあると思う。

沢は、やっぱりフルで使えない状態なのかな…本当にそこだけが最悪だな…ブラックボックスというかブラックホールというか…やりきれないよ、全く。
第一戦見ててつくづく思いましたが、ボールの有無にかかわらず、常にピッチ全体を間断なくモニタリングしてるので、肉体面だけじゃなく精神面の消耗も相当だと思う。あれだけ神経研ぎ澄ませてたら普通の選手の倍は消耗してるんじゃないかしら。
攻撃はともかく、沢が抜けた途端、相手の芽を潰せなくなる傾向があるので、沢抜きの時は意識的に守備を厚めにしないとね。

ま、このスウェーデン戦のMVPは佐々木監督だ。あそこで沢引っ込めるとはね…驚いた。沢の交代はピッチのリフレッシュと沢の消耗防止の二重の意味で非常に有効だったと思う。とはいえ、0−0のあそこで沢を抜くのは本当に勇気がいる。並の監督じゃ怖くてできない。ズルズル使っていたずらに消耗させてしまっていただろう。
沢フルで引き分けと沢引っ込めて引き分けでは全く意味合いが異なる。後半沢抜き引き分けは本当に大きい。
沢を温存させたのは引き分け以上に意味があると思う。これが後で効いてくるかな…。

しかし、この監督、本気で金取りに来てるんだな…ふふ、面白い。
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2012年7月29日 13時58分
福原と石川
 
N特『愛と佳純』見ました。それにしてもなんて恥ずかしいタイトルなんだ…とてもアスリートを取り上げた特集のタイトルとは思えん(笑)。

まず福原。
福原と石川は徐々にその実力の差が詰まってきて、以前掲示板にも書いたことがありますが、昨年石川が福原を破った時点で個人的には、もう福原が石川を上回ることはないだろうと思ってたんですが、その後福原は身体作りから徹底的に始めたんですね…本人も言っていましたが、これまでは才能と人気にかまけてる部分が実際あった。やっと本気になったのかな。フォアが強化されたのは何よりだと思います。死角があると世界では勝てない。
この特集でも触れられていましたが、福原再生の最大の功労者は、決勝戦を見るように進めたあのコーチだな。
ま、福原のアキレスは精神面でしょう。
全く勝負事向きじゃない。
徹底的に改造した卓球で、どこまで平常心で戦えるか、それだね。

一方の石川。
福原の強さが技術的なものなら、石川の強みは知覚センサーの優秀さだな。
動体視力がいいんだと思いますが、本当にボールから目が離れない。だから球を引きつけて打つ事ができるし、それが打球の破壊力に繋がってる。
石川のメンタルは比較的競技向きだと思う。全日本優勝で頂点に立った重圧から本来のプレーができずに格下との試合中に泣き出した場面がありましたが、普通ならズルズル負けるところですけど、あそこで開き直れるメンタルは最大の強みと言ってもいい。

中国攻略については、サーブの強化よりレシーブの強化だと思う。
中国とそれ以外の国の差はレシーブ力の差と言っても過言ではない。中国は本当にどこに打っても返すことができる。
これまで経験値をどんどん実力に結び付けている選手なので、中国遠征でも何でもして、もっと強い選手とどんどん練習して速いボールに目を慣らし、リターンを体得すべきだと思う。

ところで中国が福原や石川の国際試合にはビデオカメラ持ち込んで徹底的に研究してましたが、日本はやってるんですかね?
戦略もなにもなしで実力と懇情論だけ戦わせるのだけは是非とも避けてもらいたいところです。
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2012年7月28日 14時42分
原発容認派の詭弁 〜田勢の場合〜
 
先日四国新聞に田勢某のコラムが掲載されていたが、原発稼動推進派の論理上の問題点を顕著に表出してあまりあるので取り上げてみる(2012年7月23日1面「がんばれ野田首相」)。

田勢はこのコラムのなかで、「どのようにして燃料棒を処理するかの計画さえできていない」のに「脱原発」だけ主張するのは無責任だとのたまう。
この論理展開は、まさに原発推進派の詭弁におけるすり替えの典型とも言うべきものだが、無責任なのは、第一義的に、”「どのようにして燃料棒を処理するかの計画さえできていない」のに「脱原発」だけ主張する「脱原発」派”ではなく、まさにその「どのようにして燃料棒を処理するかの計画さえできていない」まま、全ての矛盾や反駁を経済のためと捻じ伏せて原発を見切り発車させ、以降福島第一事故までその強引を知らぬ存ぜぬを決め込んだ原発推進派にこそある。

糾弾されるべきは、全ての懸念や疑念を素人論・検討に値しない行き過ぎた慎重論と片付けて耳を貸しもしなかった原発利権の怠慢・傲慢であって、「脱原発」派の現在の鳴動は、福島第一事故によってあらためて白日になったその問題点を追認したに過ぎない。
それを「脱原発」派の責に帰するなんぞは、お門違いも甚だしい。盗人猛々しいとはこのことだろう。

田勢氏「今必要なのは遠い将来の夢物語ではない。いまのこの危機をどう凌いで行くかなのだ。」

あたかもこれまでの原発利権によるこうしたやり方が、未来を慮っていたかの如くの物言いだが、無論そうではない。

逆に、この氏の言葉に代表されるように、そのような未来を慮る視点が端から脱落した、今どうやって最大の利益をあげるかという視点に最大限特化した極めて近視眼的な発想を起点にし、その文脈に沿った施策に終始したからこそ、そのツケとも言える福島第一の悲劇を招聘せしめたのであり、それをかくも都合よく棚に上げるのみならずあたかも反原発の責任であるかのごとくすり替え、福島第一事故以前の夢をもう一度という思考は、あまりにもご都合主義かつ経済効率に頭のてっ辺まで毒された病める思考であり、決して許されるものではない。

実際氏の言うように今の日本は瀕死だ。
ただし、それを決定的にしかねないのは、経済停滞ではなく、原発アウトによって生命の基本すら脅かされかねないという、より本源的な生物学的危機によってにほかならない。
これら、”せっかく原発があるんだから使わないのは損失だ”派の主張から伝わってくるのは、原発アウトによる損失が、これまで日本が築き上げてきた、あるいはこれから築けるであろう経済的利益で贖えるどころか、帳消しにしかねない深刻なものだという事が全く理解できていないというその皮相だけだ。

原発が止まれば経済が成り立たないというが、現に福島第一は何の予告も無く止まっている。人間の浅知恵を遥かに凌駕する自然の圧倒的な脅威によって、だ。
そしてその再現の可能性は少なからず未来に、そして日本のそこここに横たわっている。一箇所に数機の原発を密集させたがために、場合によっては、連鎖臨界に陥る可能性すらないとは言えない。そしてその決定的な対処方法は未だ見出せないままだ。そして稼動中の原発がアウトした時のリスクが極めて甚大なものとなるのは福島第一の現状が指し示すとおりである。

数字しか見えず、現実を見つめていないのは原発容認派だ。

田勢氏「唯一の被爆国として、かつ原発事故の体験国として安全性確保の技術向上に果たすべきものがあるのではないか。」

いかにも理詰めの思考の印象のある言葉だが、実際は全く現実性を欠くものである。
核に対する如何なる技術も、生身の身体という生物学的限界を宿命として持つ人間には本質的に小手先だ。原発稼動から数十年経過しているにもかかわらず、最終処理についての基本的な対処方法すら確立されておらず、また、アウトした原発にはお手上げという現状がそれを雄弁に物語っている。
「安全性確保の技術向上に果たすべきものがある」というような寝言は福島第一を元通りに収束してから言うべきであり、そしてその「元通り」は今後数十年・数百年にわたり氏の言う画期的な、そして、おそらくは荒唐無稽な「技術向上」なくして実現不可能だ。
むしろ、これまで踏襲してきたそのどこまでも能天気な楽観主義のもたらした福島第一という結果をもっと直視したらどうか。

田勢氏「かつて世界第2位の経済大国といわれた極東の小国は、存在感のない文字通りの小国になってしまうだろう。」
語弊を怖れずに言うならばこんな資源もエネルギーもない小国が世界第2位の経済大国にあったこそことが、異常であり、いびつだった。
そしてそのために3.11以前から噴出しつつあったひずみは、福島第一の悲劇によって決定的になったというのが、今のわが国の現状だ。

放射能の値を気にしなければ食べ物もまともに摂れない国のどこが豊かか。

よしんば、名実ともに小国に成り下がろうとも自業自得であり罪と罰の罰であり、それを甘受し、小国なりの身の処し方を模索するほうが余程身の丈であり、地に足の整合論だと私は考える。

少なくともこんな、物事の原因と結果の因果が正しく理解できていない、そして永遠に理解しえないだろうこんな原発容認派が未来を主導すべきではない。

オイルショックを経て石油への依存を減らしたように、真剣に代替エネルギーを考えられるのは過酷事故を経験した今をおいてない。

更に氏は言う、「海外での野田首相の評価が驚くほど高い」から、原発もTPPも増税も推進すべきだ、と。

英国の「エコノミスト」を引き合いに出しているので、おそらく、その褒め手とは米欧の経済界や政界だろうが、それらの意見が常に優れていて傾聴に値するものなら、リーマンショックも欧州危機も存在しなかっただろう。
これら行き過ぎたグローバリズムの弊害を考えれば、彼らの意見が常に正しいという保証はどこにもない。

そもそもだ。

海外の受けがいいのは、普遍的に優れて立派な偉業の場合も勿論あるにはあるが、それ以上に判断の基点となっているのは、彼ら自身の行動原則・価値基準に合致しているか否か、そして最も重視されるのは、自国に有利か否か、だろう。

試しに、今すぐ日本は全関税を撤廃します。と世界に向かって宣言してみればいい。

自国製品の輸出先に汲々としている海外からは諸手を挙げて絶賛されるだろう。しかしそれが日本の国益に資するか否かは全く別の問題だ。

アホか。

原発・TPP・増税と、野田氏及びこの田勢氏らその御輿担ぎの姿勢に共通する問題点は、常にこれら自称専門家集団の”大きい声”を、専門家の言う事だから、とゆめ疑うことなく鵜呑みにして、果たしてそれらが本当に正しいか否かを自分の頭で問えない点、そしてそれ以外の人々の意見をその偏向によって自動的に棄却する点だ。
教科書に書いてあるから正しい、と同等の判断能力だという事であり、それは、物事の本質が全く見極められない野田氏らの限界を示しこそすれ、その能力の高さを示すものでは全くない。
原発稼動において、国民生活の保持という口実の裏にある電力会社の経営に全く言及しないことからもそれは自明だ。

増税については私も賛成の立場だが、それすら富の再分配機能の徹底があっての話である。今のように富裕層への課税が自民の意見で腰折れたり、軽減税率が見送られるならば到底容認できるものではない。

真摯に反対意見に耳を傾けるというのであれば、金曜日のデモに出てきて話を聞けばいい。しつらえの公聴会よりもずっと率直な意見が聞けるだろう。

だいたい、これら自称評論家が本当に言うべきを言っていたらば、勝俣らが何のお咎めもなく、いまだ無罪放免でのさばっているわけがなかろう。
これについては既に海外からも疑問の声が挙がっているはずだ。
海外の評価を金科玉条にするのであれば、まずやるべきは、原発の稼動ではなく勝俣らの処分だ。

事実を自分の文脈に合うよう都合よくねじり、その矛盾を棚上げにして省みない氏らに、原発をはじめとしてこれらの課題を自らの問題として向き合う人々の姿勢を夢物語と糾弾する資格はどこにもない。
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2012年7月27日 19時29分
ロンドンの戦い 〜なでしこ カナダ戦〜
 
立ち上がりは本当に統制を欠いていて、動きがバラバラ。どうなることかと思いましたが、15分くらいから徐々にシステムが立ち上がってきたと思います。
全体に点を取った前半より後半のほうがむしろシステムが機能してたかな…キープもできてたし、ポジショニングもいい。サイドも良く使えていたと思います。ま、相手の疲れもあったかもしれませんが…。
テストマッチ時より前線とサイドが活性化してますね…いい傾向だと思います。

修正点としては、ゆうべのニュース7で解説の宮本氏が修正点としてパスミスの解消を指摘してましたが、私の意見は逆だな。
むしろパスミスをおそれて正確を期すあまり早いパスに消極的になって躊躇してしまうのが怖い。世界トップクラスの相手なら、すかさずボールを取りに来られて、パスを出す方向が更に制限されるだけでなく、結果的になでしこのパスシステムが萎縮してうまく機能しなくなる怖れすらある。
まぁ、出す先も見ずに闇雲に出すのは論外だが、むしろ、ミスを怖れずに短いキープで積極的にボールを出していったほうがリズムも生まれてなでしこのペースに持ち込みやすくなると思う。積極的にパスを回しているうちに、ピッチにも慣れてパスの精度も上がってくるんじゃないかな。
実際、点を取ったのは、いずれも早いパス回しの結果だった。
北朝鮮戦の反省という意味でもパス出しの時間を短くするのは理に適っていると思う。

それより私的修正点は、失点部分だ。
カナダの得点シーンは、サイドに食い込まれて切り返されてという形でしたが、こないだ『なでしこの戦略』で指摘したテストマッチアメリカ最終戦の二点目とほぼ同じ失敗が繰り返されてる。
こないだも書きましたが、要注意なのはロングパスよりむしろこのサイド攻撃だ。どうしても守備が間延びするし、あそこまで持ち込ませない努力はもとより、仮に持ち込まれてもラストパスのコースを潰せるようにポストよりに駒を置く等守備の工夫が必要だと思う。ここの部分は修正して同じ失敗を繰り返さないようにしないと。
それとこないだも書いたと思うんですけど、シュートした後のこぼれ球を押し込む駒が必要。綺麗に決めるシュートだけがゴールじゃない。抜け目無くこぼれ球を押し込むいやらしさがほしい。

選手別には、大儀見はボール持ってからの判断が遅いのでその間に囲まれてしまうんだな…あれが解消されて瞬間的にボールが出せるようになればもっと機能すると思います。ま、しかし今の前のめりの気持ちは忘れないで積極的にプレーしてほしい。
後半早い時間帯の決定的シーンは阻止したカナダ10番を褒めるべき。

鮫島は走りながら蹴れる方向が非常に限られているのが痛い…練習じゃうまいんだろうが実戦じゃあまり使えないタイプの選手のような気がする。N特でスタミナ強化したって言ってましたが、むしろやるべきはスタミナ強化よりこのあたりのボールコントロールの練習だと思う。

宮間はリーチが短いな…仕方ないとはいえ…位置取りと運動量でカバーするしかないな。

大野、いやぁ、イタリア以外で、それも女子で、ヒールトスまがいの足裏アシストが見られるとは思いませんでした!いーもん見させてもらいました!(笑)

川澄は、持って良し回して良し、相手からすれば、どっちに向いて走るか・どこにボールを出すか、次に何をやるか分からない怖さがあるだろう。大舞台で通用する所以ですね…。

やっぱり近賀いいね…思わぬ時にゴール前に現れて相手の霍乱要因になっていると思う。

沢は、ボール持ってサイド抜け出したカナダの選手を潰しにもんのすごい勢いで戻ってきた選手がいて誰かと思ったら沢だった(笑)。いやあ速かった!(笑)それ以外でも解説の言うように要所要所でいい仕事をしてたと思います。
今だいたい七・八分くらいかな。ボールコントロールが今ひとつか。まだまだこんなもんじゃないだろ。
判断能力は全く変わってない。問題は身体がどこまでついてくるかだけ。
ま、とにかく休むのも仕事のうちと思って、意識的にしっかり休息をとって次に備えてもらいたいです。

沢に限らず一次リーグで勝敗の次に重要なのがやはり消耗の度合い。三戦全力投球じゃ後が続きませんからどこで抜くかだな…。沢以外も休める時にしっかり休んでほしい。

こんだけの過密日程なんだから、日のある時間帯じゃなくてナイターにしてほしかった…女の子なんだし…レディーファーストの国らしくもない(笑)。

アメリカさん、フランスさん蹴散らしましたか…そのフランスさんにタコだったなでしこ…ま、決勝リーグの事を考えるのはもう一戦やってからですね… 星勘定もしたいのは山々ですが、それももうひとつやってからだな。

それにしてもお昼にヤフーニュースのコメ見てたら、得点取ったわけでもアシストしたわけでもないのに、沢が沢が、って試合見るまで一体何があったのかと思いましたが、解説の宮本氏が一番多く名前呼んだからか?(笑)のわりに直前のニュース7で「この試合のポイントは?」と聞かれて沢のさの字もなかったな。どういう心境の変化?(笑)それとも今頃気づいたか(笑)。



一点目、小技を効かせた大野と思い切り足を振りぬいた川澄ももちろんえらかったが、起点はやはり沢だった。

沢が上がった途端にゴールの可能性が見えてくるのが本当に不思議だ。

その様子はさながら、姫を守るために他者の到来を阻み続けた千年の茨を苦もなく開く、古い童話のなかの運命の王子のよう…。

う〜ん、素敵。
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2012年7月25日 19時29分
なでしこの戦略
 
早くも今晩初戦なのか…完全真夜中、見るか寝るか、それが問題だ…。
ということで、22日のN特なでしこ、突貫視聴で今見ましたが…。

アメリカ様が日本方式のパスサッカーを取り入れてましたが、パスサッカーについてはまだまだ日本に一日の長ですね…逆にあのアメリカでさえ、なでしこレベルのパスサッカーは、やろうと思っても一朝一夕にはやれないという事実を目の当たりにすれば、あらためてなでしこのパスサッカーが如何に洗練されたものであるかという事を今更ながら感じずにはいられない。
ゲームを組み立てるために、今自分がどう動けばいいかという意識が本当によく浸透している。まさかサッカーの本場欧州や南米でもない極東アジアから、スペイン男子を彷彿とさせるようなこんなサッカーが出るとは…あらためて感動します。アジア予選の際に掲示板にも書きましたが、本当によく仕込んだと思います。それだけでも佐々木監督は名伯楽と呼ぶに値するでしょう。素晴らしい。

アメリカでむしろ嫌なのは付け焼刃のパスサッカーよりもサイドを使われることだな…守備ラインが間延びしてそのポケットを狙われるのが一番困る。守りきるのが非常に難しくなる。
アメリカ最終戦の二点目だっけ、多分サイドの動きに振られたんだと思うんですけどゴール前ガラ空きだった。

N 特はこの一年、なでしこが如何に攻撃への意識を高めることに傾注したか、執拗に(笑)強調してましたが、ま、NHKは、原発コメントでも再三指摘してますように所詮ど根性精神論煽り隊(それが証拠に直近のフランス戦惨敗は無かった事になってた!(笑))及び後付け専門機関なので、この自称公共放送局の言う事を真に受けてはいけません(笑)。
昨年ワールド時点でなでしこに最も必要であり、最も欠けていたもの、すなわちこの一年なでしこが最優先で取り組まなければならなかった事は、スタミナとスピードの強化だった。
1227 にも書きましたが、アジア予選において、北朝鮮となでしこは、お互い必要であり欠けているものを相手が持っているような、不思議な非対称性があったが、なでしこ的には北朝鮮苦戦の原因がこのふたつの欠如であり、北朝鮮式”たかられる”サッカーに耐えられるスピードとスタミナを養うことこそ、会得しなければならない最優先課題だった。

そして、それが実現しているとはとても言い難い今、戦法として取るべきは何か。

私はむしろ、攻撃への意識の強調よりも守備を固める事だと考える。

前線が孤立しないように最終ラインを上げる、みたいな事をしきりに言ってましたが、攻撃は最大の防御とは言うものの、今のなでしこの戦力また立ち位置を考えれば、特にロングパスチーム相手に守備ライン上げてその裏かかれて回りこまれたらひとたまりもない。指くわえて見送るだけになってしまう…。前線の孤立が懸念されるなら、むしろFWが前戦に貼り付かないで積極的にボールを取りに行ったらいいと思う。
特にアメリカやフランス等の強豪相手にがっぷり四つの横綱相撲取ったって地力で劣る今のなでしこじゃ勝ち目ないと思うんですけど。
前述したアメリカ最終戦の二点目も、どんなにサイドを取られてもゴール前に適宣駒を配置しておけば、ああもあっさりと食われる事はなかったと思う。

今最も大切なのは、今のなでしこは昨年優勝時点のなでしことは質的に既に全く違うチームだという自覚をしっかり持つ事だと思う。
その上で戦略を立てなければ、なでしこを研究し尽くしてる相手の思うツボではないのかしら。

なでしこのパスサッカーが日本の身体能力のビハインドを補って余りある戦術である事は疑いがない。
しかし、今やそれは研究し尽くされ、また、それだけで勝てるほど今のなでしこの攻撃能力がスタミナとスピードを備えているわけでもない。

今のなでしこは昨年のなでしことは違う。

沢のキャプテンマークを外したのも、少しでも精神的な負担を軽くしようという配慮でしょうが、それだけでもどれくらい今のなでしこが昨年のなでしこと隔たっているか、知れようというもの。

ならば、私が監督なら徹底的に引いて守りに徹するな。

サッカーは例え一点も取れなくても点を取られさえしなければ、少なくとも負けることはない競技だ。

であるなら、無理に点を取りにいったりしないで、守りとパス回しでひたすら時間を稼ぎつつ、チャンスが来るのを寝て、もとい(笑)、守って待つ。
少なくとも一次リーグはガチガチに守らせて、少ないチャンスで得点狙い、に特化するなぁ…和製カテナチオ(笑)。


ま、沢だ。

『なでしこよ、お前もか』で故障しない身体と怪我をしない動き方が裏目に出た、と書きましたが、もうひとつありましたね…すなわち、揺るぎない責任感。
本当にそれら誇るべき長所が悉く裏目に出てしまった感がある。

眩暈に関してはひたすらリカバリ待ちするしかないですが、今ひとつ残る可能性としては、リミッターがはずれた神がかり状態。いわゆる火事場のバカ力状態。ですが、ん〜…そこまで持っていけるかなぁ…できないこともないけど、それはそれで後のおつりが怖いしなぁ…。
ま、とにもかくにも、

全ては彼女の三半規管と自律神経にかかっている(笑)。


サッカーを知悉し、そこにいながらにピッチを俯瞰して、あまたの攻撃パターンのなかから最適パターンを瞬別する判断能力と、それを正確に履行できる身体能力。
全体のなかで自分がひとつの駒としてどう機能すればいいかという意識を徹底的に叩き込まれたなでしこのなかでもひときわ美しく賢い、閃きとセンスに満ちた沢のプレー。

仮になんかの間違いで金を取るような事があっても、個人的にはそれらが見られなければおそらく満足できない。
そしておそらくそれなくして金はありえないだろう。
昨年ワールドカップのドイツの得点シーンも今日初めて見ましたが、やるべき仕事をきっちりやった丸山もえらいけれど、やはり沢のアシストが全てだった。

目下のところ、余程の事がない限り、最終決戦の地ウェンブリーになでしこの姿はないと私は思っていますが、勝負は勝負としてそれとは別に、最後のホイッスルが鳴ったその瞬間に、全てやり切ったと彼女が心の底から思えるくらいの完全燃焼を祈りたい。
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2012年7月22日 12時27分
なでしこよ、お前もか。
 
日本最終オーストラリア戦、思ってたよりスムーズな連携ができていてまずそれにびっくり。ちゃんと考えながらプレーするサッカーになっていたと思う。選手の顔もちゃんとお仕事モードになってるし、特に縦パスは、コース・スピードともに良かったと思う。
ただ、コーナーからのセットプレーで多用された空中戦は全く理解できない。相手は高さがあるのだから転がされたほうがいやだったんじゃないかしら。これはフランス戦で計らずも実証されましたね。

近賀がいい仕事してましたね。近賀にはとにかく走って長友のように第三のFWとでも言うような働きを期待したいところです。


川澄は突破力とせりあいの強さは一枚上ですが、 大儀見(でいいのか?漢字。)は、アジア予選では今ひとつ気持ちが引いてる感じが不満だったが、以前よりその部分に前のめり感が出てきているのがいいと思う。

あとは、アジア予選を見た時に、GKと1対1になった時に、イタリア男子チームが時々やってるような、胸や膝で一旦前に浮かせてGKを抜いてそのまま押し込むプレーを是非マスターしてほしいと思ってたのですが、未だ採用されていないのは非常に残念。あれは非常に有効だし、なでしこの実力を考えれば十分対応できると思うんですけど…。今回も使えそうなシーンが何回かあったし、実力が拮抗してればしているほど、最後に勝負を分けるのは案外そんなプレーだし、もっと”抜け目のない”サッカーをやってほしい。佐々木監督に言わせれば、この試合、勝たないと意味がない、だそうですが、今回対戦相手のオーストラリアは、地球の反対側からの参戦であり、時差に加え、海外遠征組もいるとはいえ、真冬の南半球からの移動で、おまけに日本の湿度は12番目の敵と言ってもいいほどの過酷さですから今回はまぁ、勝って当たり前でしょう。

ともあれ、日本最終戦で勝って気分良く現地入りしたところまでは良かったものの、そこでのフランス戦惨敗…これ、日本で放送されたのかしら?あったのなら是非見たかったのですが、見られていないので個別プレーに踏み込んでのコメントは避けますが、個人的にはテストマッチは課題の洗い出しとその対処が最優先されるべき目的なのだから、いくら負けたっていいのであって、それを今後に生かす事が最も大事、とはいえ、今回のロンドン、最大の誤算はやはり沢でしょう…沢に関して私はかなり悲観的です。
身体の平衡感覚を司るバランサーは、各種知覚センサー系統のなかでも、ストップ&リバースのように、姿勢の反転・激変を常に要求され、ボールコントロールとあわせてその優劣を競うと言っても過言ではないようなサッカーにおいてはまさに命綱とも言うべき生命線であり、その不調・損傷はこの競技の選手にとって致命的です。サッカー選手として最もやられてはいけないところをやられてしまった感じです。
一番厄介なのは、予後が非常に見通しづらい点です。
骨折や靭帯損傷等、フィジカルな故障は、どれほど重傷でも、通常は治癒には○○月、というように予後がある程度見通せるのに対して、中枢センサー系は非常にデリケートで完治が難しい場合も多く、知らないうちに良くなっていたかと思えば、逆に全く予想もしない形でぶり返したり、見通しが非常に立てづらい。
また、めまいの原因は脳幹や三半規管等の器質的なものから自律神経失調症(沢の場合はおそらくこちらだと思う)まで多岐にわたりますが、過緊張や興奮が症状を悪化させたりと、精神的なものが症状に影響するケースも少なくないことを考えれば、最大の緊張を強いられるであろう五輪には極めて不利な状態にあると言わなければなりません。
どうせやられるのであれば、捻挫とか肉離れとかもっと単純な形で出たほうがずっと良かった。なまじ、故障しない身体と怪我をしない動き方を得ていたがために、逆にそれらの長所が裏目に出てしまって、蓄積した疲労が最も深いところで出てしまった面があるのは否めません。沢の不調の原因が過労であるとすれば、避けようと思えば避けられただけにまさに痛恨です。
オーストラリア戦、悪いなりにも得点にからむあたりは、さすがといえばさすがですが、ワールドで見せた洗練された動きには比べるべくもない。よほど確信が持てない限り、今回のように時間を制限して勝負どころで使うしかないでしょう。

そして沢に関して悲観的と言う事はすなわち、なでしこに悲観的ということです。
沢にはそれでも囮や精神的支柱としての役割を期待したいですが、なんと言っても現なでしこの屋台骨であり、彼女レベルでゲームメークができる選手は他にいない。
私の考えるロンドンの戦いのポイントは、予選でいかに主力を温存させるか、と、アメリカ様と余力のあるうちにできるだけ早く当たること、でしたが、それも沢の完調あったらばこその話であって、余程うまくペース配分しないと一次突破もままならないのではないかと思っています。仮に総力戦でなんとか一次を突破してもそこから更に勝ち上がる余力はもう残っていないでしょう。
人選について色々意見があるようですが、クローゼみたいに普段寝ていてワールドカップだけ仕事する究極のイベント特化型お祭り人間がいる一方で、中村俊のように普段そこそこ仕事をしているのに大舞台では全く役に立たない人間もいるので、実績・実力だけを見て順に並べて選べばいいというものでもないところが、こう言ったビッグイベント人選の面白いところでもあり、また、難しいところでもありますが、いくら人選を凝らしたところで、屋台骨が立ち上がっていなければ小手先になってしまいかねない。
戦術・戦略またしかり。どんな高度な戦略を擁したところで、駒が本来の力を出せないのであれば画餅も同然だろう。

昨年のワールド以降、サッカーに専念できる状況になかったという意味では、五輪前の環境としては、理想の環境どころか、なでしこは最悪の環境に置かれ続けていたのであり、昨年ワールドの6割、最悪の場合は4割の力で戦わなければならないという覚悟は必要だと思います。沢が未だ完調とは言えず、他方、故障あがりでどこまで使えるか分からない選手がいたり、また、戦術面でも人事を尽くしたとは到底言い難い今、むしろ、ケガ人続出にならないといいがと懸念するのが正直なところであり、8割くらいの力が出せれば御の字と見るべきでしょう。

彼女達にとってもっとも不幸だったのは、大震災直後の日本がどん底にあった時期の優勝で「不屈の日本人魂」の象徴として勝手にシンボライズされてしまい、日本中が「(話題に)困った時のなでしこ頼み」状態になってしまった事です。
北京でのソフトの優勝と、昨年のなでしこの優勝とどっちが重いかと聞かれたら私は迷わずソフトを挙げますが、そのソフトでさえ、ここまで大騒ぎされる事はなかった。なでしこの過熱ぶりが如何に常軌を逸したものであるか、おのずと知れようというものです。
話題先行・実力置き去りの女子バレーの教訓はまたも生かされませんでした。
勿論勝負なのでやってみないと分からない。とはいうものの、勝敗は勝負前に8割がた決まっている、というのが私の持論です。
仮に散々な結果に終わった場合には、その最大の敗因が、この五輪前環境にあったことは言うまでもありません。
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2012年6月10日 14時58分
原発稼動推進派企業の不買運動を
 
首相が原発再稼動に言及しましたが、原発は十分に安全であり、国民を守るためにそれらが必要だという彼の言葉が原発稼動のための方便に過ぎないことはおそらく国の中枢にいる首相本人が誰より知るところでしょう。

安全な原発など存在しないし、国民生活を守るはずの原発が一瞬にしてそれへの最大の脅威になる事は福島第一で目の当たりにしたところです立証済みです。

何の必然性もない電力ピーク時以外の稼動に至っては開いた口が塞がりませんわ。ここまで利権の犬とは思いませんでした。
どこがどじょうなんだか。その言葉にいまやボウフラほどの重みもないわ。

金曜の首相会見で気落ちしている脱原発派の方も多いでしょうが、まだやれる事はあります。
強固な利権を一朝一夕に切り崩すことはむずかしいかもしれませんが、あきらめないでほしいです。

今回の首相声明で川上からの原発離脱が困難となった今、私の考える次なる一手は、トヨタ等、原発稼動を後押しする経団連直属大手企業商品不買です。

環境共生型企業がCSRとして評価されているのと同様、自家発電や自然エネルギー、そして原発を所有する大手電力会社以外からの電気購入によってより原発依存度の少ないエネルギー供給を模索している会社を、エネルギー問題をより真剣に考える企業として評価し、同じような商品であれば、そういった企業のものを選別・購入することによって差別化することは、原発依存を減らすことを企業の至上命題である利潤最大化にリンケージする点で意味があると思います。

例えば、車を購入しようとする際に、やろうと思えばいくらでも自家発を増やせるだけの体力がありながら、利潤追求を至上とし、また大手企業割引分を個人向け電気価格に上乗せ転嫁するような電力会社ともたれあって、漫然と原発由来の電気に依存し続けるトヨタの車に乗るということは、原発利権の最大の後押しになるということを意識する、要するに消費行動に、「この品物を買うことによって原発の存在を後押しすることになるか否か」という基準を追加するということです。

上記トヨタのように漫然と3.11以前を当然の前提と夢想して原発を動かせとせっつく企業が存在する一方で、大規模太陽光発電を積極的に進めているソフトバンクのように、原発脱却を口先だけではなく行動に移している企業が実際に存在するのだから、消費者としての国民がそれらの会社の提供するモノやサービスをより優先的に選択購入するようになれば、企業は利潤追求に結びつく形で自社のエネルギー政策を考えるざるを得ず、原発離脱企業の後援になるばかりでなく、原発由来電力に平然と依存し続ける企業のそれから離脱への方向性、ひいては原発を所有する電力会社を下支えする最も大きな支柱を根元部分から切り崩す可能性につながるという点で、非常に意味があるのではないかと私は考えます。

デモや署名等の抗議行動も非常に意味があると思いますし、参加されている皆様の熱意には常に敬意を払うところですが、どうしても原発利権やそれを是とする対象に直接影響が及びにくいという点で効果が限定的な部分があり、この選択的消費行動が追加・徹底されるならば、それら抗議行動単独よりも一歩進んだ効果が期待できると思います。
電力会社の”上得意”であり存在肯定の根拠となっている個別の営利企業を消費者の不買行動で干し上げることができれば、それは電力会社の根を枯らすことにもつながり、脱原発への大きな原動力になるのではないでしょうか。

この手法は、逆説すれば、国民に相応の覚悟と意思がなければ、この行動は効力を有さず、効果が期待できないということです。

消費者としての国民の覚悟のほどが試されることになるでしょうし、本気で脱原発を願うならば、場合によっては、自分の嗜好や経済性にこの価値判断を優先せざるを得ない場面も出てくるでしょう。
しかしそれらの不便や不都合を託つことなくして利権が縦横無尽に根をはりめぐらせているこの国のあり方を改変することはおそらく不可能です。

個人的には、買って後悔するよりも買わずに後から後悔することのほうがずっと多く、今はやりの「ときめきの片付け術」的判断基準に従えば、我が家にある品々はどれもこれも役には立たないがときめくものがその逆よりも圧倒的に多い私でしたが、昨年3月11日、あの大津波によって、あまたの人命のみならず、そこに住まう人々が大切に買い集めたであろう物という物が一瞬にしてガレキの山と化すのを見た時ほど、『平家物語』の諸行無常ではありませんが、物をかき集めることのむなしさというものを感じたことはありませんでした。
おそらく私の物欲のなにがしかもまた、あの時波に呑まれ押し流された東北の方々の品々と一緒に、海の向こうに遠く流されたような気がします。
あの時人生において最低値に落ち込んだ購買意欲も、その後それなりに復活してきているようにも思えますが、それでも物を見る目は遥かに醒めている今、この「選別購入」は少なくとも私にとってはそれほどの苦痛や困難を伴うものではありません。

ここをご覧の皆様にとってははどうでしょうか。

先程も述べたように、国民の脱原発の意思が”本物”であり、それが消費選択行動として具体化するならば、今声高に原発を動かせと叫んで憚らない営利企業を選別淘汰し、ひいては利権の衰退に繋げる可能性すら存在すると考えます。

国民の意見と利益を代弁すべき行政という上からの原発離脱が期待できない今、本気で脱原発を願うなら、選挙以外にも川下からアクションをおこすほかありません。
それが権力に対して決して全くの無力でない事はイタリアやドイツの脱原発が証明していると思います。
そして本来国とはそういった下からのムーブメントと連動すべきものではないのでしょうか。

アラブの春が立証するようにインターネットや携帯等の情報伝達手段の飛躍的な発達によって支配層と被支配層のデジタルデバイス、情報の非対称性は大きく破られました。それは、国民ひとりひとりが情報発信源となり世界に影響を与え、また連帯できる可能性を開いた点で革新的であったと思います。
今の日本人は必要以上に自分達は無力だと思い込まされていますが、まずひとりひとりの行動が集積して大きな力になる事を認識する必要があり、特に脱原発においては、あきらめないことと自信を持つことは常に要求される最も大切な基幹です。

問われているのは常に国民の意思と覚悟であるべきであり、したがってまた、国のあり方を決めるにおいて最終的に優先されるべきも、利権の都合なんかではなく、それら国民の意思であるべきだと思います。
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2012年5月20日 18時16分
太陽政策としての増税に
 
野田首相。小沢氏直談判は正論です。輿石氏は今回いい仕事をされたと思います。さすが年の功ですね。増税法案を通すために貴方が今何を置いてもまず先に取り組まなくてはならないのが小沢氏の説得です。彼が動くまで野党に費やす10倍100倍の誠実さと根気を以って死に物狂いで彼を説得しなければなりません。理屈よりもむしろその意気に感じて、となればその姿勢も本物でしょう。
貴方が首相になったのは、彼をつんぼ桟敷や蚊帳の外にすることなく懐に抱き込む度量を見込まれてに他なりません。ここで小沢氏を説得できて初めて前原氏や岡田氏ではなく貴方が首相になった意味があります。何度でも何処にでも足を運び、膝詰めで、「どうしても反対するというなら私の屍を超えて行け」と言いなさい。

与党内増税反対派。役職辞任等示威行動までは許容範囲内ですが、政治において最大の力である数を減じるに繋がる行動は断じて許されるものではないことを肝に銘じなければなりません。一枚岩こそ最大の防御であり攻撃であり、選挙対策ではなく、やるべき事をやってこそ国政に携わる資格があると言えます。
支持率下がったから首の付け替え・新党というのは、議論をする能力と根気を持たない無能のやることであり、単なる目くらましに過ぎません。
いくら看板を付け替えても目の前の困難な状況は全く変わらず存在します。
意見の相違即袂を分かつ、というのは、極めて幼稚で短絡的な発想であり、おのがディスカッション能力の貧困さの証左にこそなれ、感情と知性をきちんと分別し思考すべきを思考する大人のやることではありません。
議論で打開策を練るには、看板の付け替えの何倍もの労力と根気を要求されます。が、それを厭い看板変更に走るのは話合いやで打開を図る知恵を持たない大人モドキのやることです。
与党増税審議の落としどころは妥当だと思います。今回は再増税撤回を実現させたことで良しとしなくてはなりません。

小沢氏。貴方は良くも悪くも情の政治家です。えてして理よりも情を優先しがちな日本人の国民性を熟知していた貴方がいたからこそ、その選挙戦略が奏功して政権交代を成し遂げた面があることは否めません。
ですが、情だけで政治はできません。
むしろその情に流されまくって本来あるべき冷徹な思考を後回しにし続けた自民党政権下の我田引水放漫政治ムラのツケが、ここに来てパンパンに膨らんだ財政赤字や原発アウトという結果として今一気に噴き出しているのです。貴方が自民を飛び出したのもそれを正さんがためではありませんか。
どうしても増税に承服できないというなら、数を恃んで政府を威嚇したりせずに官邸に乗り込んで直談判で首相を翻意させなさい。
それが政治家のあるべき姿であり正攻法というものです。それ以外の一切の政局紛いの行動はまったくの反則であり、何より貴方が多大な艱難の果てにようやく生み落とした民主党政権と政権交代への最大の侮辱です。
どんなに優れた組織でも頭がふたつある組織は早晩行き詰ります。前回の代表選で党代表に選ばれたのは貴方ではなく野田氏です。それはつまりどれほど承服しかねるものであっても最終的には野田氏の判断に従わなくてはならないということです。
この意味からも政府決定に背くことは反則です。
一度こうと決めたら頑として聞き入れないような石頭だとは私は思いません。増税以外の建て直し策を打ち出せないのなら速やかに矛を収めトップの決定に従うべきです。
貴方ほど義理に堅い政治家は他にいないでしょう。しかしながら、だからこそ、国民との約束や義理人情を離れたところで政治、特に財政を見極める冷静な思考が絶対に必要なのです。最後まで増税に反対した貴方の言動であるからこそ、何よりも国民への説明において説得力を持つことを忘れてはなりません。今は一兵卒となって野田氏に協力しなくてはなりません。
政局家から政治家に変わらなくては貴方のみならず民主にも日本にも未来はありません。

亀井氏。静香ちゃんの政治家として叩き上げた嗅覚は高く買っているところですが、今回ばかりは貴方の行動は拙速ですわ…与党にあってこそ発言も力を持ちえます。
増税で国民が路頭に迷うと危惧思うのなら、袂を分かったりせずに、路頭に迷わないですむセーフティネットの拡充にこそ知恵を貸すべきでしょう。
貴方が懸念するとおり、増税は必ずセーフティネットの充実と抱き合わせでなければなりません。貴方や瑞穂ちゃんが心配してるように、職がなくなれば即餓死の危険。を回避するための防護策が必須不可欠なのは全くの正論ですが、それを以って増税を拒否するというのではなく、それを補完するためにどうするかの方法論に本来展開すべきものなのです。餓死が危惧されるから増税を潰す、というのは議論の単純化に他なりません。
静香ちゃんに関して、菅氏は昨夏アホな自称野党や自称メディアに扇動されて世論が四面楚歌状態だった時に、それらに惑わされることなく情勢の本質を見極め、最後まで味方にあった静香ちゃんの恩義を忘れていないなら、静香ちゃんを引き戻すよう働きかけるべきです。困った時の友こそ本当の友であり、亀井氏の知見は貴重です。

今は景気に鑑みて増税の時期ではないと増税反対派は主張しますが、今後、経済が戦後高度経済成長のように右肩上がりになるようなことはまず期待できません。世界市場が飽和しつつあるからです。残っているのはパイの奪い合いだけです。その主因以外にも、地球環境とエネルギーという二つの面から右肩上がりは制約を受けつつあるというのに、どうして高度経済成長の右肩上がりの夢よ再びと夢想できるのか、全く理解できませんわ。
今は、低エネルギー・低成長下でやりくりするにはどうすればいいかへ政策の大転換を図らなければならない時です。
右肩上がりへの追慕は現実を見誤る障害になりこそすれ、この厳しい現実を読み解くよすがに決してなりはしません。そんな甘い幻想は即刻捨てるべきであり、その転換が遅れれば命取りになりかねません。原発がアウトし、高経済成長を支えてきた様々な矛盾が噴出している今、そのシフトを速やかに行い、丁寧に、換言すれば、みみっちく地道に身の丈にあった経済を模索していく事こそが今最も求められている事ではないのでしょうか。
これに関連して、佐伯啓思氏のデフォルトを懸念せずに増税前にまず公共投資、つまり財政出動による景気浮揚を優先させよという氏の主張(2012年5月4日四国新聞3面)には私は首肯できません。財政出動は対処療法にすぎず、根本的な問題解決に結びつかないどころか、その抜本的解決を更に阻害しかねないからです。
氏の深い考察には常々敬意を払うところではありますが、増税は何もデフォルト回避という国家の体面保持と破綻回避のみが目的ではありません。
エコポイントもそうですが、ヨーロッパ各国と異なり国債引き受けが国内で自己完結しているからいざとなればいくらでもお札を刷って需要を喚起すればいい、という指向性は、成長を終えた壮年・中年期の人間に無理やり成長ホルモンを投与し続けて成長を促すようなものであり、無理が多すぎます。
大量生産・大量消費社会を収斂させるソフトランディングを阻害すればその歪みはまたぞろ大量のゴミ問題やエネルギー・資源不足の問題となって噴出す事になるのは目に見えています。また財政出動は巡り巡れば借金の積み増しとなって更なる国庫の圧迫要因として跳ね返ってくるのは自明です。第一、どの家庭もモノで溢れかえっている今、防災上のインフラと自然エネ以外にこれ以上大規模投資しして有意に需要を喚起できるフィールドがそうそうあるとはとても思えません。

前述したように、経済の右肩上がりが今後期待できない以上、消費を無理やり喚起するようなやり方ではなく、むしろみみっちくチマチマしたセーフティーネットの拡充が何よりも最優先されるべきであり、その「ゆりかごから墓場まで」を構築するための安定した財源の確保手段として消費税等を位置づけるべきだと私は思います。
これまで転んだ後の方策は、常に倒れないためのつっかい棒システム構築の後回しにされ続けてきましたが、むしろその事が先行きへの不安を生み、必要以上に経済を萎縮させている側面があることは否定できません。
増税は一見北風政策ですが、その最大の機能を富の再分配、すなわち、前回増税を取り上げた時に書いたように例えば複数税率導入によって、必需品は低い税率、奢侈品等には高い税率をかけることによって富裕層から貧困層への富の循環・還元が実現できるならば、太陽政策として位置づけることが可能になります。
できれば税率にもっと弾力性を持たせて、例えば奢侈品は30%くらい、かわりに食料品は据え置くか下げる事が出来れば尚良しだと思います。また、芸能人が節税対策でマンション建てる、と言った居住目的でない二軒目以降の不動産等についても何らかの傾斜配分があってしかるべきだと思います。
還付方式も取り沙汰されていますが、複数税率のほうが、タイムラグが生じず、従って一時消費者が税分を負担しなければならないデメリットが解消される点で私は還付方式よりも優れていると思います。また手続き的にも丁寧な事前の検証を行えば後は物品を購入する段階で自動的に税率が割り振られるのですから、複数税率導入のほうが後々の事務作業の軽減に繋がるように思います。
消費税増税はこの富の再分配機能を最大限追求したものである必要があり、その循環が可能となって初めて増税は意味を持ち、国民の理解もおのずと得られやすくなると思います。
それから、復興や原発事故対応でお金がいくらあっても足りない今、国民の納得を得るためにも海外におけるODAや拠出金その他大盤振る舞いは厳に慎むべき論外でしょう。IMFにしても米国でさえ拠出を渋っているものを大見得きって我が国が先頭切って最大拠出するような必要がどこにあるのでしょうか。円高対策はもっと万策模索してからです。
北朝鮮もそうですが弱い人間ほど大きく見せようとしたがるものです。家が火の車なのに見栄張ってキャバクラで札束ばらまくろくでなしの宿六みたいな真似はやめてください。
右から左へ兆の金を渡すようなやり方は尤も国民の再建意欲を殺ぐという意味で有害であるという事をこの際、肝に銘じるべきだと思います。

最後に国民もまた、野党同様政局しか頭にない自称メディアの鼓舞する傍観批判者然とした感情的な論調に流されて、これ以上、政治に一夜明けたら全てが見事に解決していた、というような実現不可能な夢物語や浪花節を求めるのは止めるべきです。そんな荒唐無稽は自称メディアの頭の中以外どこにも存在しません。地道に丁寧に取り組んでいくしか方法はなく、成果が目に見えるようになるまで時間を必要とする場合もある事を念頭に置かなくてはなりません。。地道に丁寧に取り組んでいくしか方法はなく、成果が目に見えるようになるまで時間を必要とする場合もある事を念頭に置かなくてはなりません。
今回万一増税法案が通らないような事になれば、それは”庶民の勝利”なんかではなく、またぞろ今ある世代の責任放棄と問題の先送りに他ならないと個人的には考えています。
そしてそれは、今の国政状況を見れば一目瞭然のように、政治に責任を持たなければならない政権与党の責任ではなく、解散なんかやってる暇はないのに何とか政治を政局に絡めようと、数をいい事に与党の足元を見て揚げ足取りしか頭にない自民を初めとする野党の責任であり、また、その状況を正しく読み解く事なく漫然放置した国民の責任です。
増税しないに越したことがないのは当然です。ですが、自民のもとで利権集中投下放漫財政のムラ政治を重ねた挙句、国庫はこれ以上の先送りは絶対に許されないほど逼迫しています。野党同様政局しか頭にない自称メディアの鼓舞する傍観批判者然とした感情的な論調に流されることなく、冷静な思考を以って、検証するはし、質すべきは質しながら、政府をあるべき姿に導くのは国民の役割です。国民がそれを放棄し、ヤジ馬よろしくただ高みの見物で文句だけつけまくっていて国が栄えるわけがない事だけは確かです。
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2012年4月25日 20時1分
小沢氏裁判から見えてくるもの
 
明日小沢氏強制起訴に判断が下されるが、一連の裁判における問題点をいくつか挙げてみることにする。

まず起訴内容であるが、小沢氏側が主張するように単なる形式上の問題を検察側が独善的に拡大解釈した挙句の裁判である可能性は未だ払拭されないままだ。
書類の裏までコピーに利用するように部下に命じる小沢氏が、記載を知らないのはおかしいという主旨の主張を新聞でしていた自称専門家がいたが、そういう理屈が通るのであれば、節約を部下に命ずる会社のトップは全員自社の会計について詳らかでなければならないことになる。
そもそもそこまで資金について正確・詳細に把握できるのであれば、わざわざ秘書なんかを雇う必要はないのであって、そこまでは手が回らないからこそ秘書を雇っているのではないのか。
少なくとも、疑獄とまで呼ばれたロッキードとは明確に区別して考えなければされなければならないと私は考えるがこれをあたかも同一であるかのごとく捉える報道は強制捜査当初よりそこらへん中でなされていた。

次に起訴される側とする側の非対称性である。
強制起訴において被告側は、たとえ最終的に無罪となろうと強制起訴されることそれ自体よって蒙るイメージダウンは免れない。のみならず今回の小沢氏のように政治家が政治活動を制限されたとなれば、裁判に拘束される事により生じる時間的・精神的・社会的・経済的損失は計り知れない。
また、裁判においては、事件に関わる被告側の動向が再度白日のもとに晒され検証されるのに対し、起訴申し立てを行った側の素性その他は五里霧中のベールに包まれたままであり、起訴した側は裁判の行方如何にかかわらず、何の痛みも蒙らないようなシステムになっている。
これでは特定の個人あるいは団体が、彼らの敵対的勢力によって社会的な無力化を目的として強制起訴を恣意的に利用する可能性すら考えられる。
そういった可能性を排除するためにも、強制起訴によっても再度無罪となった場合には、強制起訴の妥当性が検証されるべきであり、少なくとも審査会のメンバーを明らかにし、今度は逆に彼らがそういった司法的事由とは別の、政治的意図等で強制起訴を計ったのではないかどうかの事実確認にまで遡及しなければ、現在の”一切お咎めなし”では、強制起訴のし放題ということになりかねない。
今回の強制起訴において、個人的には、佐藤雄平知事と同じく、政権交代の”立役者”として小沢氏を快く思わない反対勢力によって槍玉に挙げられ、その政治生命を抹殺せんがためにこの事件が利用されたとの印象が拭いきれなかった。
検察の中立公平性は、厚労省の事件のみならず本案件においても既に綻びを示しているが、前述したように仮に検察側が架空のストーリーをでっちあげて無辜の市民を断罪しようとしたとなれば、検察及び検察審査会は、司法に携わる者にあるまじきその暴挙に対して徹底的に糾弾されてしかるべきである。

最後にメディアの報道についてである。
先程述べた強制起訴の妥当性にも絡むが、起訴側やメディアは起訴の妥当性として、二言目には”国民感情国民感情”と言うが、国の中枢に位置し国政に深く関与する政治家にあっては、一般的な”国民感情”では量りきれない部分が存在するだろうと想像する事はむしろそれほど不合理で不自然な事だとは私には思えない。今回引き合いに出される金額の大きさが殊更誇張され、「如何にも金にまみれた政治の世界」という印象を受けがちだが、お金持ちは別に政治の世界に限らずいるわけで、それらのお金持ちの持っているお金が須らく”汚いお金”であるとは言えない以上、少なくとも扱う金の桁が何桁か違っているそれだけを以って国民感情から乖離していると捉えるには無理があるように私には思える。
百歩譲って政治家にもこれらの「一般的な国民感情」を100%適用できるとして、それらは国民感情という字面を見れば分かるようにあくまで感情という情緒的判断にすぎず、それが司法の専門的理性的判断を圧倒してしかるべきと考える根拠は何であるのか。国民感情を言うメディアその他はそれを説明する必要があるが、これをなしているメディアその他を私は今まで見たことがない。
他方、自称メディアは、強制捜査当初から、まず最初にクロありき。の姿勢には大きな疑問を感じざるを得なかった。
昨年6月26日の四国新聞2面では自称評論家後藤某によるコラムが掲載されていたが、氏はこのコラムのなかで、

「国民世論が小沢の味方につくわけがない」

と断じて憚らなかった。この後藤某のコラムについては非常に問題が多いのであらためて取り上げたいと思っているが、この記事に代表されるように、小沢氏に関する報道は軒並み予断を与える恣意的解釈の元に捻じ曲げられ、公平中立には程遠いものがほとんどだった。
小沢氏は一連の裁判において、自身に対する嫌疑や報道は、身の危険を感じるほどの悪意に満ちたものであったと憤懣やるかたない思いをぶつけていたが、これまで述べてきたように、嫌疑のみならず印象操作と言われても仕方がないような政界の最黒幕であるかの如き論調を浴びせられ、銃弾まで送りつけられるに至っては、どこぞの自称評論家のように小沢氏の言い分もあながち被害妄想的と一刀することは私にはできない。
むしろ小沢氏にまつわる一連の報道から見えてくるのは、偏向しきっているにもかかわらず、これを糺す術を悉く欠いているお粗末なこの国の議論や司法のあり方であり、それは小沢氏の事件そのものとは比較にならないほど暗く根深いもののように思えてならない。
これらの自称メディアは、小沢氏関連に限らず、予断を与えて憚りもしなかったこれまでの自らの報道について当然資質と責任を問われてしかるべき「加害者」であり、他方、言論の辺境に置かれながらも、福島第一事故前より日本の原子力において異を唱え続けていた小出氏が言うように、思考を停止させ感情的判断で以ってそれらに唯々諾々と同調・迎合し続けた大衆もその意味では「もう一方の加害者」とも言うべき同罪である。
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2012年4月21日 14時39分
北朝鮮のミサイル試射
 
今回の北朝鮮ミサイル発射について、発射確認およびその発表が遅れた遅れた、と四国デマ新聞あたりはいつもの如く鬼の首でも取ったかのように大騒ぎしているが、そういう自称デマ紙にはおよそ想像もつかない世界なのだろうが、今回最も重きを置かなければならなかったのは、「いつ発射されたか」には当然ない。
最大のポイントはあくまでも、

「どこに着弾するかを把握し、いかに適正に対応するか」

にあるべきであり、その点から考えれば、発射場最短地域にレーダー搭載したイージスを展開せずに、着水が想定される地域に直近の沖縄近海にこれを展開したのは正しい判断である。

このレーダー着弾近辺展開にはもうひとつ意味がある。
そのレーダー網に捕捉されなかったということは、レーダーが正常に機能している限り、いつ発射がなされていようとその飛翔体は日本には-----------少なくともパトリオット等が”お仕事”をするほどには-----------直接影響がない、ということを、半ば自動的かつ連動的に保証するようになっている点である。

この点をしっかり押さえているならば、発射の確認が遅れたことそれ自体に、それほど動揺する必要がないのは自明だ。
むしろ、四国デマ紙あたりが大騒ぎしているように、発射の早期把握にこだわるあまり、着水地点の把握がおろそかになりこれを見失い、迎撃システムが機能しない、というようなことにでもなればそちらのほうが大問題だった。

本来であれば、アメリカのように偵察衛星を飛ばしてそれを以って日本領域を完全にカバーするのが理想ではあるが、現段階の手持ちの防衛システムの限界を考慮すれば、今回に限れば、持てる手段で最も理想的な対応だったと私は考える。

いつ発射されたか、と、どこに着弾するか、をあわせて把握できるに越したことはない。しかしながら、SEWを持たない現在の防衛システムではそのふたつを兼備しないものなのであり、ふたつのどちらかをより優先せざるを得ないのだとしたら今回の対応は間違っていないと私は思う。

常々述べているように私は日本で流されている報道の全てを網羅しているわけではない。が、私の知る限り、そういう冷静な見解を見たことがなかった。
要するにこの国の議論に冷静な思考は存在しないという典型例のような今回の報道のあり方であり、そちらのほうが政府対応よりもむしろ大きな問題であることを知らなければならない。

要するに発射の把握が遅れた遅れたと大騒ぎしているメディアやそれに託けて問責決議を出した自民その他などは、対応にあたった政府未満の、防衛のいろはも理解できないド素人と言うことだ。それらに政府対応を謗る資格などはどこにもない。

田中氏に、色々と足らざる事はあるだろう。しかし、田中氏に関しての今回の問責は単なる政府こき下ろしと国会を迷走させるための口実に過ぎないと考えることは、以上の考察から明白だ。
これまで以上にしっかりと勉強して粛々と職務に当たってもらいたい。

今回の北朝鮮発射実験で、仮に周辺国が懸念しているように”不測の事態”が生じて最も困るのは他ならぬ北朝鮮だった。発射実験は、単なる示威行動・こけおどしに過ぎず、本当に北朝鮮が周辺国と事を構えるつもりであれば、周辺国に直接危害が及ぶルートも含め、予告軌道とは異なる方向にミサイルを発射するなどしてもっと周囲の緊張を煽ったことさえ考えられる。正恩氏も本来ならやりたくなかっただろうが、正日氏時代に決定していた事でもあり軍の意向もあって中止は不可能だったのだろう。
であるならば、アメリカのように食糧援助・大統領選挙との兼ね合いがあるわけでもない我が国においては、必要最低限の抗議と備えを行ったうえで、中国の言うように不必要に騒ぎ立てることなく静観するのが最も理想的な対処方法ではないのか。

しかるに連日、あたかもこの試射をまるで開戦前夜の如く物々しく伝えるメディア。

発射数日前のNHKラジオ「夕方ニュース」においては、

自称解説員「日本ではこれだけ(発射が)取り沙汰されているのに韓国ではほとんど取り上げられていないのが不思議で仕様がない」

と”解説”して憚らなかったわけだが、不思議なのは、全く物事の本質が理解できてないにもかかわらず、解説員を自称してその自説を臆面もなく展開できる解説員自身及びそれを吟味もせずに漫然と垂れ流すNHK本体ではないのか。
また、これらのメディアが、北朝鮮の試射にこれほど神経質であるにもかかわらず何故インドのアグニには不問なのか、についてほとんど取り上げていない点も偏向しているといわざるを得ない。

日本を代表するメディアでこの有様だから後は推して知るべし、だ。

日本がネクタイだけはいっぱしに締めているだけのコドモの国だということが徐々に露呈しつつある震災二年目ではある。

今回のミサイル対応にあたって理想を言うなら、ダブルチェックを期すのであるなら、地理的に北朝鮮に近い、したがって発射を把握しやすい韓国政府や中国政府とも米国同様に連携を取って、そのうちのふたつ以上で確認され次第、日本にもアラートされるようになっていれば尚良しだった。
あくまでも国家単位での確認作業にこだわる必要はなかったようにも思うが、自分の発表に国として責任を持つということを意識すれば、どうしても自国での確認にこだわらざるを得なかった部分があったのはある意味でやむをえなかっただろう。

このあたりの早期管制システムの構築は今後の検討課題だが、先程早期警戒システムを持たない、と書いたが、確か昨年末に偵察衛星を打ち上げたのではなかったのだろうか?

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1213&f=politics_1213_015.shtml

4号機が上がらないと3号機だけじゃ把握できないということなのか、そのあたりを取り上げたメディアもまた見たことがなかった。

どちらにしても今回のポイントはあくまでも着弾に置くべきであったのであり、また、一番大切な事は今回の経験を次回以降に生かすことであるならば、個人的には発射把握の遅れは許容範囲だ。

そして、最も避けなければならないのは、四国デマ紙のように全く無思考に当局を叩く事に専念特化し、現場を萎縮させたり、あるいはそのことによって結果的にそこから何かを学ぶこと阻害してしまうことであることは、これまた論を待たない。
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[カテゴリ:”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア] [コメント (0)]




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