欧米(世界支配層)の日本侵略は466年前から始まった!(3−1) | |
2011年10月16日 21時22分の記事 | |
第三次侵略はかなり複雑で長期に及んだと考えたほうが真実に近いと思われます。
まず、徳川幕府が倒され明治新政府が誕生しましたが、その新政府の主体は薩摩と長州です。その薩摩と長州はイギリストと戦争をして負けてからイギリスとの関係を深めます。 そして、イギリスはフランスと共謀して日本を内戦状態に誘導しようとしていたものと思われます。しかし、勝海舟とその愛弟子である坂本龍馬らによってその計画は阻まれました。この江戸末期と明治新政府誕生までには、あらゆる謀略があったようです。徳川慶喜が「大政奉還」した後、朝廷は引き続き徳川慶喜に内政を任せようとしましたが、薩摩を主体とする5藩は「王政復古」を名目としたクーデターにより朝廷の実権を握り旧幕府を賊軍に追い込んでいきます。このクーデターがあったので「孝明天皇暗殺説」や「明治天皇すり替え説」などの疑いがもたれたのではと思われます。そして、この時の首謀者が岩倉具視と薩摩の大久保利通であったと思われます。この二人は坂本龍馬暗殺にイギリス公使パークス、その部下アーネストサトウと共に関係しているのではと疑われます。いずれにしましても明治新政府の実権は岩倉具視と後に内務卿となった大久保利通が握り、大久保利通が暗殺される明治11年まで続いていました。この大久保利通が築いた内務省による行政支配はその後の明治、大正、昭和、そして、現在の日本行政の官僚支配体制へと繋がっていきます。そして、大久保利通の死後からは伊藤博文などの長州閥が台頭してきます。 明治になり開国した新政府は急速に「富国強兵」策を進めていきますが、それを支援したのがイギリス、ドイツ(プロシア)、フランス、アメリカなどでした。 この内のイギリスは薩長、フランスは幕府、ドイツ(プロシア)は東北諸藩との関係が強く日本を内戦に誘導しようとしましたが失敗したため、世界支配層は、その後、日本の発展に寄与し日本に力をつけさせ利用する作戦に変更したと思われます。 世界支配層の思惑とヨーロッパ各国の戦略は必ずしも一致せず、各時代ごとにズレが生じていますが、世界の流れを大きく捉えますと結果的に世界支配層の思惑にそったとおりになっているようです。 それが、中国の清の弱体化を狙った「日清戦争」。ロシアの弱体化を狙った「日露戦争」であったと思われます。 とんでもない、「日清戦争や日露戦争」は日本の独立を確保するため日本独自の判断で起こした戦争であると反論されそうですが、確かに日本の独自の判断が主としてありましたが、欧米(世界支配層)に利用された一面もあることを否めません。 ウィキペディア 「日清戦争」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89 ウィキペディア 「日露戦争」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89 結局、清は「日清戦争」終結6年後に起きた「辛亥革命」で滅び、ロシアは「日露戦争」中に「ロシア第一革命」が起き、1917年に二回目の革命が起き、その後内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立しました。 このように日本は清とロシアという巨大な帝国の滅亡に間接的に加担したことは事実であり、「世界支配層」の思惑に結果的に利用された一面も否定できません。 それから、第一次世界大戦(1914年)、満州事変(1931年)、満州国建国(1932年)、日中戦争(支那事変、1937年)、中国戦線の南下延伸、太平洋戦争(1941年)へと進んでいきます。 続く | |
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