美しい地球と伴に生きることの目覚め | |
2011年11月9日 0時1分の記事 | |
先日からこれからは「覚醒」だ。日本人は世界に先駆けて「覚醒」する必要があるなどと言ってきましたが、このことを悟るにはただ「美しい地球と伴に生きる」という当たり前の生き方をすればいいだけなのです。しかも、このことは地球人類発祥以来営々と繰り返されてきた事実そのものです。それを否定しては生きられません。しかし、その厳然たる事実を果たして現代の人類の何割が認識しているでしょうか。
現代のようにあらゆることが便利になり特に都会で生活する人々はややもするとこの当たり前のことを忘れてしまいます。そして、多くの人々は日々の仕事や生活に追われこの事実を考えることも無く認識すらせず、今まで自分の意志のみで生きてきた、太陽とか地球とか自然なんか関係なく生きてきたと思い込んでいるようです。 私は宗教的なことを言っているわけではありません。ごく当たり前のことを言っているのです。 余談になりますが、30年程前、出張の帰りで大阪の南港から徳島港へのフェリーの中での話しです。ふと、横に座っている人が読んでる本を覗くと、難解な漢字がいくつも羅列した難しい本です。しかも、その本を読んでいるのは金髪の外国人でした。そこで、ちょっと興味を持って「何か難しい本を読んでいますね」と話しかけました。そうすると、彼は「私は電子工学の博士で京都で電子工学の会議があってその帰りです。」と答え、「フィンランド人です。フィンランド語と日本語に同じ読みと同じ意味の単語がたくさんあります。」と答えました。そして私たちはテーブルを挟んだ別の席に移り色々と会話が弾みました。そうこうするうちに「私は宣教師で阿南の教会にいます」ということになりキリスト教の話なりました。彼は「キリストの父であるゼウスが絶対神だと言います」。私は「絶対神というものがあるならイスラム教やヒンズー教の神もあなたが言う絶対神に繋がるはずだ」と言いました。そうすると彼は「いや、そうでは無い、キリストの父たるゼウスが絶対神であり他の宗教の神とは違う」と言ったので、「私はそう言う一神教の考えは嫌いだ、そういう考えは排他的であり争いを招く元だ」と言い返すと、彼はなおも絶対神はキリストの父のみだと繰り返し主張しました。あまり繰り返すので、私は「そこまで言うなら日本古来からある八百万の神、自然のあらゆるところに存在する神のほうがあなたが言う絶対神より真理に近い」と言い切りました。そうすると彼はスッと立ち去りどこかに消えてしまいました。私はその後ちょっと言い過ぎたなと反省しました。そりゃそうですね、キリスト教の宣教師が信じている一神教の絶対神を「神はあらゆるところに存在する」と言い切ったのですから、彼にとっては最大の侮辱です。しかし、そこで私は少し考えて見ました。日本人である私も読めないような難しい本を読み工学博士でもある頭の良い人がなぜ神の話になると急に説得力の無い話になるのだろうと・・・。そこで、気づきました宗教を信じてしまうとそこからはまったく考えない疑わない。彼ほど優秀な人でも信じてしまうと思考が停止するものだと解りました。そのように考えていると徳島港に着いたので2階から出口の1階へ降りる階段で出口を見ると、出口のところに彼が待っていて、私と目線が会うとペコと挨拶をして出て行きました。彼も私に侮辱され席を立ちましたが私が言ったことを少し考えわかったことがあったから挨拶したものと思われます。それから数年後、私が独立してコンピュータの販売・ソフトウエアの開発をしている事務所に彼が来社しワープロを買ってくれました。さらにその3年後に・・・ あっもうタイムアウトです。この続きは明日投稿します。おやすみなさい・・・ | |
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