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沼田法師(無料公開)
[【時代小説発掘】]
2011年6月12日 10時26分の記事


【時代小説発掘】
沼田法師 
鮨廾賚


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】:
沼田新一郎は、関東管領上杉憲実に仕えていたが、鎌倉公方足利持氏に対する主人の苦衷に心を痛めていた。そんな折り、新一郎と憲実は、兵法に優れた破(や)れ法師を目撃する。その法師こそ念流十四哲の一人沼田法師だった。沼田法師に弟子入りし、兵法を学びたい新一郎だったが、永享の乱が勃発し・・・・・・。


【プロフィール】:
鮨廾賚此 昭和33年(1958)生まれ。大阪在住。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、歴史研究会会員、大衆文学研究会会員。


鮨廾賚困里海譴泙任虜酩福

秘太刀「一心の剣」
信綱、再び
風烈廻り昼夜廻り同心朽木重四郎 
雲、流るる
猿御前
信綱敗れる 
中条流平法 

   

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【時代小説発掘】
沼田法師 
鮨廾賚



(1)上杉憲実、沼田新一郎主従が、鶴岡八幡宮境内で謎の破れ法師の武勇を見る

 目を上げると、鎌倉の空は真っ青に晴れ渡っていた。
 梅雨上がりの中天の日差しには、太刀に似た鋭利な力が感じられて、まるで心の内の鬱陶しさを斬り払ってくれるかのようであった。

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(出典:http://photozou.jp/photo/show/742947/45027127

 その陽光のせいでもあるまいが、青白かった上杉安房守憲実の顔に、やや精気が戻っているように見受けられた。
 常夏月(旧暦六月)――。
 永享十年(一四三八)のことである。その日沼田新一郎は、主人上杉憲実に従って、名胡桃(なぐるみ)にある鎌倉御所に伺候しての帰り道であった。
 鎌倉御所の主を鎌倉公方足利持氏という。憲実はその持氏のもとを退出して後、ずっと疲労困憊の表情だったのである。いや、疲労だけでなく、苦悩の色も濃く滲んでいたのだった。
 憲実の顔色が良くなるのを見て、「殿」と、新一郎が話しかけようとしたとき、
「○×$&%・・・・」
 段葛(だんかずら)の辺りでなにやら立ち騒ぐ声が耳に入ってきた。
 雪の下を過ぎ、鶴岡八幡宮の三の鳥居近くにさしかかったところだった。
「・・・・何事でござりましょうか?」
 突然の喧噪に、新一郎は眉宇を顰めた。
 目前に人だかりができていて、往来の迷惑になっている。このままでは主の進行の妨げとなってしまうだろう。場合によっては道を空けさせなければならない。その意を込めての問いかけであったが、憲実は答えなかった。一人物思いに沈むように無言で前を見ている。
(まだ、御所様のことで頭がいっぱいなのだ)
 御所様とは鎌倉公方持氏のことである。憲実は〈関東管領〉といって、持氏を補佐する立場にあるのだった。
 新一郎は気を利かせて、傍らの供の者に合図を送った。
「往来の邪魔だ。どけ、どけ」
 徒(かち)の供侍は、新一郎の指示を受けて前へ出ると、人波をかき分けるようにして先導した。
「関東管領さまのお通りだ。道を空けい」
 供侍は、手荒なことはしないが、そのぶん通り道を確保するのに苦労しているようだ。むろん、中には馬上の憲実に目をとめて、自ら道をあける者もいた。
 やがて、一行は人だかりの原因となっているところへ出た。
 見ると、一人の老いた破れ法師を、五、六人の屈強そうな若者が取り囲んでいた。今年二十歳になる新一郎と同じくらいか、やや下だろうか。腰に荒縄を帯にして、木太刀らしいものを差している。小さめの小袖の胸元からは、固そうな毛をこれ見よがしにはみ出させている者もいる。
 新一郎はその若者たちに見覚えがあった。相当に気の荒い連中で、鎌倉の町ではならず者の部類に入る。いずれも下人、所従の子弟たちで〈婆娑羅〉を気取っているのである。 囲まれている法師はと見ると、こちらはいかにも気の毒なように思われた。年齢は六十を過ぎていようか。いや、七十になろうとしているだろうか。かなりな高齢のようである。着ている衣は色が褪せてかすれた墨色だった。袖や襟は破れ果てて、そうと見なければ僧衣とは分からないだろう。かろうじて、首にかけたくたびれた掛絡(から、=袈裟)が法師であることを物語っていた。
 頭は丸めているというよりは、のばし放題なのだが、髪の毛自体が無くなっていて、産毛の長いような毛がところどころ生えているような案配だった。老けた顔に歯は全て抜け落ちて、顔といわず手足といわず、およそ目に触れる身体は全てしわくちゃで、そのうえ痩せて骨と皮ばかりだった。
 手には錫杖ではなく、拾ったものか背丈ほどの棒切れを杖代わりに持っていた。だが、年齢に似合わず足腰はしゃんと伸びてしっかりとしていた。
「やい。ここは畏れ多くも鶴岡八幡宮の御門前だぞ。おのれのような汚い坊主の来るところではない。早々に去(い)ね」                  
 どうやら、法師が八幡宮に入ろうとして彼らに止められている様子である。
「在俗の者でござりましょうか」
「はて・・・・?」
 憲実は長い思念からいましも気づいたかのように、目前の法師やならず者たちを直視した。
 ならず者たちは、憲実一行に気づいたようだが、自分たちの行為を止めようとはしなかった。老人を苛めているというよりも、鎌倉の聖なる空間を守ろうとでもいいたげな体だった。
 憲実は無言である。興味を引かれたのか、じっと成り行きを見守っているように思われた。          
「やつがれも鎌倉は久しぶりでごじゃるゆえ、お参りをしていきたいのじゃが」
 破れ法師はかすれた声で慇懃に言うと、境内に入っていこうとする。
「ええい。宮さまのご迷惑だというておろうが。去ね、去ね」
 口で言ってもきかぬと思ったのか、ならず者の一人が力ずくで法師を追い立てようとした。
「いかに姿形が荒れてすさんでいようとも高齢の法師。少し狼藉が過ぎよう」
 新一郎は仲裁すべく馬から降りようとした。そのとき、
「待て。今少し成り行きを見よう」
 珍しく憲実が制止した。こうしたときは率先して仲裁に入る主なのだが。
 不審に思って新一郎が憲実を見たとき、ぎゃっ、という声が響いてきた。慌てて、破れ法師の方に目を転じると、地に伸びていたのは、手を出そうとしたならず者の方だった。「生意気な坊主だ」
 仲間を倒されて興奮したのか取り囲んだ猛者たちが、口々に叫んで法師に挑み掛かっていった。だが、結果はみな同じだった。
 新一郎は目をみはったまま、しばらく声も出せなかった。それはあまりにも鮮やかな手並みだったからである。破れ法師のどこにそのような力が潜んでいたのか、と思えるほどに、あっという間にならず者たち全員を地に伸ばしていたのである。しかも、右に左に動いた様子はない。掛かってくる猛者の力を利用した、という形容がぴたりとくるだろうか。破れ法師は、ほんの少しだけ身体をずらすと、そのまま的確にならず者たちの弱点を手にした棒で打ち据えただけだったのである。
 やがて、打って掛かるものがないことを確認した破れ法師は、手にした棒を杖代わりにして、境内に向かってゆっくりと歩き出した。
 呆然としたのは新一郎だけではなかったようだ。静まりかえっていた野次馬たちから喚声があがったのは、法師が去ってしばらく経ってからだった。
「もしや、見抜いておられましたか」
「ただの破れ法師ではないと思うていたが」
 新一郎の問いに、憲実は感に堪えぬというふうに呟いた。
「いかさま。あの年齢で、しかも全く見事な技前。かの法師には兵法の心得がありまする。それにしても見事な」
 自身ひとかたならぬほど兵法に興味を抱く新一郎の、それは感動に近いものだった。もしや、若い頃は名だたる武士だったのではないか、という思いが脳裏をかすめた。
 だが、憲実の思いは別にあったようである。
「あのように世俗に惑わされず、飄々と生きてみたいものよの」
 それは何気なく憲実の口から出た憧れのようでもあった。
 だが新一郎は、その言葉を聞いてはっとした。その一言に主の深い苦衷を感じたからである。鎌倉公方持氏と京の幕府との間にあって苦悩し続ける憲実の偽らざる心情なのではないのか。
「もう一つの生き方、と言うてもよいか・・・・」
「『もう一つの生き方』でござりまするか」
 新一郎は主の心の内を案じ、と同時にその言葉によって、ふと、自らも全てを捨てて、剣一つに生きてみたいという思いが、ちらりと脳裏によぎるのを無理矢理に押さえ込んだ。


(2)京都と鎌倉、上杉憲実と鎌倉公方の確執が深まる
 
 山ノ内の上杉家の館に帰り着いた憲実は、先に帰っていた弟の三郎重方を呼んだ。
「京への早馬は仕立てたか?」
「これから立つところだ」
「うまく知らせねば、さらにこじれるやも知れぬ。三郎、使者を呼んでくれ」
「心得た」
 重方が連れてきた使者に、憲実は細かな指示を与えた。
「委細、承知仕りました」
 その使者が広間を出たとき、入れ替わりに驚くべき知らせがもたらされた。今日の諫言に持氏の侍臣たちが怒り狂っているというのである。
 ――関東管領どのは、京の幕府と鎌倉の公方さまといずれが大事と思うているのか。
 ――あれでは足利義教どのに首振る犬ではないか。公方さまへの謀反じゃ。
 とまで言う者が、御所内にはいるらしい。
 知らせをもたらしたのは大石源三郎という者である。憲実の側近の一人で、新一郎たちとは別に鎌倉公方と近侍の者たちの動きを探っていたのである。
「公方さまのことを思えばこその今日の献言ではないか」
 重方が憤りの声をあげた。
 憲実はと見れば、再び苦悩の色が濃い。
(京と鎌倉の和合は、もはや叶わぬのであろうか)
 新一郎は憲実の供をして、鎌倉御所に行った今日のことを思い出していた。

 梅雨が明けたとはいえ、名胡桃にある御所の控えの間はひどく蒸していた。控えの間にただ座っているだけでも、肌がじっとりと汗ばんでくる。
 いっしょに供をしてきた大石源三郎は、御所内の動きを探るべく、新一郎とは別行動をとっていた。
 新一郎はじりじりとした思いで、憲実が退出してくるのを、控えの間で一人ひたすら待っていた。
 御所の内は人の出入りが慌ただしい。持氏の嫡子賢王丸の元服式が、数日後に控えているのだ。その準備で忙しいのだろう。その気ぜわしげな雰囲気は、大石源三郎にとっては歓迎すべきものだろうが、新一郎にとっては、気持ちをいっそう苛立たせる以外のなにものでもなかった。
 鎌倉御所は〈鎌倉府〉ともいい、京都にある室町幕府の出先機関である。関東八カ国に伊豆、甲斐を合わせた十か国を統括する重要な役目を負っている。そのため、従来から鎌倉公方の嫡子が元服するおりには、京都の将軍の名前から一字貰うのが慣例となっていた。持氏も先代の将軍足利義持の「持」の一字をいただいている。〈偏諱〉といって、貰う方にとっては名誉なことなのである。
 ――そろそろやめようではないか。もともと俗世との縁を絶っていた者を、京の愚か者どもが強引に寺から担ぎ出したのだ。坊主上がりの義教を有り難がることもなかろう。予は賢王丸に「義久」と名乗らせようと思うているのだ。

 足利氏系図(出典:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kiturega.html


 うちうちの席で、持氏がそう言ったと伝わっている。 

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 (画像はクリックすると拡大されます)

  
 僧籍にあった義円は、将軍位を継ぐと決まってから、還俗して足利義教と名を改めた。その頃から持氏は、ことごとに義教への対抗意識を強めている。無理もない。足利義持亡き後の次期将軍位を、実は持氏も狙っていたのである。いや、渇望していたといっても良いだろう。
 だが、京の幕府重臣たちはそんな持氏を一顧だにすることなく、さっさと義円を後嗣に定めてしまった。しかも、くじ引きという前代未聞の方法で選んだのである。当然、無視された形の持氏としては面白くないし腹も立つ。そのため、しきりに京の幕府に対する反抗を繰り返していた。
 今度の嫡子元服の名乗りについても、その一環であることは明らかで、
 ――偏諱の慣例を破ってはなりませぬ。
 と憲実は、再三に渡って進言していたのである。
 京と鎌倉の関係はだんだんに悪くなっていて、いまや一触即発の状態になりつつあった。このまま鎌倉公方が京の将軍を挑発し続けるならば、武力衝突という最悪の事態にもなりかねない状況なのである。それを何とか回避しようと、憲実は京と鎌倉の間にたって努力していた。
 そして、いよいよ元服式をあげる今月に入って、最後の諫言を行うべく、弟の重方といっしょに持氏のもとに伺候したのだった。
 新一郎はそんな憲実の供をして鎌倉御所に来たのである。
 やがて、憲実と重方が鎌倉公方持氏のもとを退出してきた。
「待たせたな」
 控えの間に戻ってくるなり、憲実は労うように言った。かすれたような声だった。
 そして、倒れ込むように座ると、そのまま押し黙ってしまった。それ以上ものを言いたくない、という感じだった。首尾は聞かずとも明らかだった。
「疲れたのう、兄者」
 後から従うように入ってきた重方が、気遣うように声をかけて座った。重方もまた相当に疲れているように見えた。
 退出してきた憲実の表情には、疲労だけでなく、苦悩の色も濃く滲んでいた。年齢は二十八歳のはずだが、わずか七歳で山内上杉の家督を継いで以来、その双肩にかかる負担は想像に絶するものがあるらしく、十も老けて見せるのである。
 主の無事な姿を見て、ひとまずほっとした新一郎は、
「直ちに馬の用意を」
 と言い置いて、すぐに厩に走った。
 だが、精気のない憲実を見た後では、己の胸にも気鬱な思いが、おどみのようにたまっていくような気がしてならなかった。
 御所を出てからも、憲実はしばらく無言であった。
(心中いかばかりか)
 轡を並べて歩きながら、ちらと憲実の顔を見ては、新一郎も胸を痛めた。
 後ろに一目でそれと分かる二頭の駿馬を曳かせている。鞍は置いてあるが、乗る者のいない馬のかぽかぽという蹄の音は、ひどく間延びして聞こえた。その馬は選りすぐりの駿馬で、山ノ内の館からわざわざ用意してきた馬だった。
 前を行く重方も無言である。
「やはり無駄であった」
 憲実は唐突にぽつりと言った。退出してきたときから、新一郎にも分かっていることではあった。それをわざわざ口に出したのは、やはり最後の諫言が入れられなかったということが無念なのだろうと思われた。いや、実直な憲実のことである。持氏を説得しきれなかった己自身に落胆しているのかも知れない。
「元服式は目前なのだ。京へ使者を出すのが難儀なら、馬を用意して参りましたゆえ、それがしか弟の三郎がすぐに京に上りましょう、と言うたのだ」
 そのために山ノ内の館からわざわざ曳かせてきた二頭の駿馬だった。
「兄者。かのお方には何を言うても無駄じゃ」
 重方が振り返って慰めるように言った。〈かのお方〉とは持氏のことである。憲実を気遣う重方は、このところ持氏を〈御所様〉と敬称せずに、あえて〈かのお方〉と呼んでいる。
「うむ。愚痴に聞こえたか」
 憲実が気弱な声で応えた。
 その言葉が自虐のように聞こえて、新一郎の愁眉はいっそう深くなった。主の苦悩はかなりのものだという気がしたのである。
「おおよ。だが、わしには分かっておったぞ。今日の諫言が無駄だということが。かのお方はここのところ、兄者の言うことを聞いた例がない」
「また、関東管領職を辞めると言うてみては」
 黙っておれずに、新一郎も慰めるように続けた。
 新一郎が「また」というのには理由がある。先年、信濃国で内乱が生じた。一方の側から援軍を求められた持氏は、側近の上杉憲直の言を入れて出兵を命じたのである。
 ――信濃国の内乱に手を入れてはなりませぬ。筋違いな介入は、いたずらに幕府の不興を買うのみでござります。
 信濃国は鎌倉府の管轄ではない。順々に理を説いて諫める憲実に、いったんは了解した持氏だったが、その後、
 ――予に諫言するは不届きなり。憲実を討伐せよ。
 という命令がくだされた、という噂が流れた。
 これは憲実に反感を持つ上杉憲直や一色直兼が、持氏に代わる代わる悪し様に告げたからである。憲直は上杉氏の庶流詫間上杉家の当主だが、密かに上杉家の惣領になる野望を抱いているといわれている。一色直兼は持氏の内室の一族で、その縁で急速に力を伸ばしている人物だった。二人は互いに手を取り合って憲実排斥を策したのである。
 ――もはやこれまでか。          

山内上杉氏系図(出典:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/y_uesugi.html


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(画像はクリックすると拡大されます)


 身の危険を感じた憲実は、鎌倉から藤沢に移って、関東管領職を辞し上野国へ帰ることにした。
 だがこのときは、持氏の憲実に対する信頼がまだ残っていたのだろう。わざわざ憲実の宿所を訪ねて来て、
 ――そなたがおらねば関東は治まらぬ。
 と、引き続き関東管領として政務を見るように懇願したのである。
 そして、憲実のことを讒言した上杉憲直や一色直兼を三浦へ追放したのだった。
「よせよせ。無駄じゃ。此度はその一色や上杉も許されるのだからな」
「え! 三浦から戻ってこられますのか」
「そうよ。元服の祝儀だと言うておったぞ」」
 新一郎の問いに、重方が苦々しげに答えた。特赦と言うことらしい。
「君側の奸とは奴ばらのことだが、御所様にも困ったものよ」
 憲実の声は憂いを含んで、沈鬱そのものだった。見ると再び顔色が暗くなっている。
(此度は関東管領職を辞めるというても無駄骨か・・・・)
 近頃、持氏の憲実への信頼は急速に無くなりつつある。上杉憲直と一色直兼の復活は、わずかに残っているその信頼を断ち切ってしまいかねない危うさがある。そのとき、京と鎌倉の関係はどうなるのだろうか。
「やむを得まい。取りあえず、ことの次第を京に知らせねばならぬ。うまく知らせねば、さらにこじれるやも知れぬ。三郎、先に館に帰って、早馬の支度をしてくれぬか」
「心得た。新一郎、兄者を頼むぞ」
 重方はそう言って、馬に一鞭あてると砂塵を巻き上げて一気に駆けていった。
(そのすぐ後であったな。鶴岡八幡宮で破れ法師を見たのは・・・・)
 そのとき呟いた憲実の言葉が鮮やかに蘇った。
 ――あのように世俗に惑わされず、飄々と生きてみたいものよの。
「殿ッ!」
 はっとして新一郎が辺りを見回したとき、憲実と重方はすでに広間を出て行った後だった。
「突然、どうした。気に掛かることでもあるのか」
 大石源三郎の気遣いに、上杉憲直や一色直兼が三浦から帰ってくるらしい、と話を逸らすと、
「うむ。明日から御所に伺候するやに聞いたが・・・・」
「明日からか! ずいぶんと手回しのよいことだ」
「ますます御所内での肩身が狭くなるのう」
 大石源三郎が無念そうに呟いた。
「二人の動きを探らなくてはならぬな。またぞろ、御所様に殿のあることないことを讒言するのだろうて」
「切りがないのう。これからはそなたに任せた」
 源三郎は煩わしそうに一方的に言うと、さっさと広間を出て行った。
「お、おい。待て・・・・」
 後には新一郎一人が残された。やむを得ず、新一郎はしばらく憲実のことを考えていたが、堂々巡りを繰り返すばかりだった。
「『もう一つの生き方』か・・・・」
 憲実の言ったその言葉が、妙に新一郎の心を捉えて離さなかった。
 気がついたときには、灯りも消えて広間には漆黒の闇が濃く漂っていた。


(3)新一郎は間者の早苗を紹介され、憲実は鎌倉公方との関係が好転する

 二日後――。
 新一郎は重方に呼ばれた。
 重方と向かい合うように威風堂々とした人物が座っていた。その横に薄緑色の小袖を着た若い娘が座っている。年齢の頃は十七か八くらいだろうか。
 重方に促されて、隣に座ると若い娘と向かい合う形になった。正面から見ると、娘は瓜実顔に睫毛の濃い大きな目、すっと立った小さな鼻に紅い唇、なめらかそうな肌を持った美人だった。
 見覚えがあるような気がして、
(はて? どこで会ったか)
 じっと見つめていると、娘の伏し目がちな目と目が合って、思わず気恥ずかしさを覚えた。
 新一郎が名を告げて挨拶をすると、重方の正面に座った人物が、
「佐竹左京太夫義人じゃ」
 と名乗った。見かけと違って気さくな質のようである。
 佐竹義人は常陸国の守護で憲実の叔父にあたる。幼い頃に山内上杉家から常陸の佐竹家に養子にいった人物である。男盛りの三十八歳で、憲実とは一回りの年齢差がある。
 だが、新一郎の眼中に佐竹義人はなかった。
「早苗というてな。先年から北の方さまのもとに近仕しておる」
 北の方とは鎌倉公方持氏の内室のことである。
(どこかで会ったような気がしていたが、そうか鎌倉御所であったか)
 確かに一度か二度顔を見たような気がした。
 佐竹義人に促されて娘が名乗った。
「左京太夫どのの計らいでな。この後は、早苗から御所内のことを聞くがよい」
「はっ」
 持氏との確執は深まる一方で、憲実は御所内で孤立しつつある。持氏を恐れてか、親しく言葉を交わす者も少なかった。いきおい御所内での動きは、新一郎や大石源三郎などの郎党が集めるよりなかったのである。
 憲実の側近くには新一郎、大石源三郎の他に何人かの若者が仕えていた。いずれも、それぞれの惣領家の嫡男で地道な仕事をやりたがらない。表向きの目につきやすいはでなことをやりたがった。
 源三郎は短気なうえに武骨な性格で、先日、
 ――これからはそなたに任せた。
 と、投げ遣りな態度である。そのため、
 ――向後はそなたに働いてもらわねばならぬが、さし当たって・・・・。
 重方からは含みをもった命を受けていたのである。どうやら佐竹義人を頼るということであったらしい。
「とは言うても、若い二人が御所の中で密会というのもなあ・・・・」
 佐竹義人は腕を組んでしばらく考えていたが、
「おお、そうだ。今日からそなたたち二人は許嫁ということにいたそう」
「えっ!」
 新一郎と早苗は、佐竹義人の突飛な言葉に、二人同時に驚きの声をあげた。
「なあに。そのように装うということだ」
「なるほど名案。それなら二人きりで会おうと不審には思われませぬな」
 重方が相づちをうった。
「ふむ。こうしてみると、好一対の内裏雛かもしれぬな」
 佐竹義人の視線に新一郎は思わず赤面した。見れば、早苗も上気した顔を恥ずかしげにうつむけている。
「ほほ。照れておる」
 からかうような重方に、
「憲実どのの苦悩は分かっているつもりだが、これが精一杯の好意じゃ」
 佐竹義人はほころんだ顔を引き締めるようにして言った。
 幼くして佐竹家の養子となった義人を、持氏は一貫して支援したと聞いている。その恩義のことをいっているのだろう。
 事実、この直後に隠居して、佐竹義人は憲実にも持氏にも肩入れせずに中立を守ることとなる。
「兄者には内聞にな」
 重方は新一郎に強い口調でそう言った。
「それと、いかに許嫁というてもあくまでも装い。会うときには、くれぐれもけどられぬよう気をつけるのだぞ」
 注意も忘れなかった。

 翌々日のことである。
 早速、御所内で早苗と会った新一郎は、驚くべきことを知らされた。
 持氏に許されて御所に伺候した一色直兼が、
 ――憲実どのが賢王丸君の元服の式に出たらその場で誅してやろうず。
 と、息巻いているというのである。
「何という心得違いなことを」
 新一郎の報告に重方が憤慨したが、やがて鎌倉の豪族の間で、
 ――憲実を誅す。
 という噂が公然と囁かれている、という情報が次々と入ってきた。
 その夜、側近を集めて合議する憲実に、
「このまま出仕されては危のうござります」
 新一郎は御所への伺候を見合わせるように進言した。重方も大石源三郎も頷く。
「だが、出仕を怠れば、それだけで謀反の口実を与えることにもなろう」
 憲実の苦悩も深い。持氏との葛藤は誰もが知るところだが、さりとて憲実は関東管領職にある身なのである。
「むしろ、それを狙っているのではないのか」
 わざと過激な噂を流して、憲実が御所に近づくのを妨げようとしているのかもしれない、というのである。とすれば、いよいよ憲実排斥に動き出したことになる。
 座に重苦しい空気が立ち始めていた。
 上杉憲直、一色直兼らの狙いは、京の幕府に反抗する持氏に取り入り、さらに対抗心を煽り、幕府に従う憲実を失脚させることではないのか。憲実がいなくなれば、自分たちで関東の政務を壟断することができる。
「やむを得ぬ。兄者は今日より病になれ。それがしが代わって出仕しよう」
 重方が靄をはらうように愁眉を開いて言った。
「それでは、そなたが・・・・」
「我が身は関東管領職に非ず。ご心配あるな。この恨み、かのお方に会うて言ってやりましょう。優柔不断とは申せ、それによりこの身が誅されてもやむなし。ただし、これはそれがしの一存にてなすこと」
 ためらう憲実を重方が強引に説得した。新一郎も源三郎も重方の決意に臆してそれ以上は止めようがなかった。
 だが、結果としてこの捨て身の策は功を奏した。
 重方は憲実に代わって出仕すると、関東管領名代として持氏に面謁し、世上の噂としてその旨を言上したのである。
 驚いた持氏は、
「安房守の無実を信じている。予を恨むは短慮の至りじゃ」
 と言って、その証左に元服した義久を憲実の館に預けても良い、と提案したという。
 義久が憲実の館に来る、ということは、事あったときに人質となることを意味する。主君が臣下に嫡子を人質に出すなど異例のことである。さらに、
「このうえ、双方に遺恨を残してはなるまい」
 とまで、言ったという。
「真でござりましょうか?」
「わしがかのお方に謀られたとでも言うのか」
「そうは申しませぬ。君側の奸臣どもの言を退けてまで行えるかどうか・・・・」
 新一郎は持氏の性格を危ぶんだのである。


(4)新一郎、沼田法師と出会う

 沼田新一郎は、この春、上野国利根郡から鎌倉に出てきたばかりである。それまでは、北上州の山野を自在に駆け回る奔放な若者であった。弓馬の道に秀で、陽に焼けて筋骨逞しい若武者だったのである。                            ――武張ったことも良いが、少しは雅な挙措も身につけるがよい。
 と父に命じられて、直接憲実に仕えることになったのだが、鎌倉というにぎやかな町にはなかなか慣れなかった。
「やれやれ。気の張るところよ」
 上州から連れてきた下僕に、つい愚痴がでることがある。だが、新一郎の口からその言葉がもれるのは、気のおけない故郷の利根郡に比べて、何かと気ぜわしい鎌倉の気風だけが理由ではなかった。
 憲実は新一郎を一目見るなり、
 ――おお、なかなかの美丈夫ではないか。
 と、気に入って側近く召し使ってくれるのだが、鎌倉府の執事職(関東管領)を勤める上杉家では、礼式、典故などしきたりが煩わしいことこのうえもない。
 そんな新一郎がほっとするひとときがあった。二階堂右馬助に兵法を学んでいるときである。
 鎌倉が小康を保った七夕月(旧暦七月)初旬のこと、久しぶりに新一郎は、二階堂谷の右馬助の館を訪ねた。二階堂谷は鎌倉の最も奥まったところにある。

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(画像はクリックすると拡大されます)

(出典:http://www.kamakura-burabura.com/kamakurazenntaizu.htm



 正確に言うと、現在の右馬助は二代目である。二階堂家には鎌倉時代から伝わる兵法があった。だが、父でもある先代の右馬助はそれだけでは満足せず、さらに念大慈恩について念流の兵法を学んだ。剣技は進み、やがて念流十四哲に数えられるほどになった。
 その後、右馬助はさらに修行を積み、自らの兵法を子息に譲って亡くなった。息子はその剣技とともに右馬助という名も引き継いだのである。後世、二階堂流平法と称され、この流れから心の一方で有名な松山大吉が輩出することとなる。
 現在の右馬助は、鎌倉府の政所執事二階堂盛秀の一族だが、惣領家と異なって上杉憲実に同情的であった。そのため、憲実に仕えることとなった新一郎が、兵法の指南を受けたい旨申し出ると快く引き受けてくれた。
 新一郎が気の進まない鎌倉務めを了承したのも、二階堂右馬助に兵法を学べるのではないかという期待があったからである。希望が叶っての修行だけに、その上達には目を瞠るものがあった。右馬助も密かにその成長を楽しみにしているという。そのことは主の憲実も知っていて、
「印可を得たら諸国を巡ってみるか」
 と、からかわれていた。
 憲実のその言葉には、ある種の憧憬がこもっているのを新一郎は敏感に感じている。それが、京と鎌倉の間に挟まっての苦悩ゆえなのか、儒学などの唐土の学問を学んだ憲実の老荘思想への傾斜なのか、それとも持って生まれた厭世的資質なのか、はっきりとは分からない。
 だが、憲実特有の励ましの意が籠もっているのも事実で、新一郎は兵法に対する思い入れが日ごとに大きくなるのを感じていた。
 にわか雨にあったのは、その日ひとしきり汗を流しての帰りだった。新一郎は兵法の稽古に行くときは、必ず供を連れずに一人で行く。上杉憲実の近習沼田新一郎ではなく、一人の武士として兵法を修めたいという決意の表れだった。
 二階堂右馬助の屋敷を出てしばらくしてからだった。さっきまで雲一つなかった青空に、急に黒雲が広がってきたのである。
「通り雨か」
 とは思ったのだが、この時期の雨は激しくなる。新一郎は愛馬に一鞭くれて帰りを急いだ。
 だが、ぽつりときた雨を感じて、
「いかん。これはすぐにくるぞ」
 慌てて左右を見回すと、二階建ての大きな寺の山門が目に入った。                                                                    「永福寺(ようふくじ)ではないか。これは有り難い」
 新一郎が馬から降りて山門にたどり着いたのと、本格的に雨が降り出したのとがほとんど同時だった。
 その雨は一気にきた。伏兵が現れて一斉に矢を射るように、ざあっときたのである。その激しい雨に打たれていたら、間違いなくずぶ濡れになっていただろう。
「間一髪であったか。よかった、よかった」
 と呟いて、愛馬の鼻面を撫でていると、
「とんだ災難でおじゃりますな」
 と言って、ぬっと現れた人物があった。
「あ!」
 不意のことで吃驚したが、新一郎はその人物に見覚えがあった。破れ衣に皺くちゃの顔と手足、頭には伸びるに任せた数えるほどの白髪。首にはくたびれた掛絡が掛かっていた。それは間違いなく先月、鎌倉御所からの帰り道、憲実とともに目撃したあの破れ法師だった。
「いかにも。ずぶ濡れにならずにようござりました。法師どのもにわか雨を避けられたので」
「いかさま。夏の雨はいっとき辛抱すれば足りますじゃでな」
 かすれた声でそう言うと、口をもぐもぐさせた。笑ったようなのだが、歯のない口は声にならなかったようだ。
 法師からはむっとした臭いがした。おそらく、何日も身体を洗っていないのであろう。足下を見ると裸足であった。こうした身体が先日のならず者どもの反感を買ったのであろうが、新一郎に蔑む気持ちはさらにない。それは同じく先日、そのならず者を瞬時に懲らしめた見事な技前を目の当たりにしたせいかもしれなかった。
 新一郎はその日のことを鮮やかに思い出しながら、ずっと気になっていた疑問を破れ法師に問いかけた。
「率爾ながら、兵法者とお見受けいたしますが?」
 法師の背は低くない。新一郎の背丈はおよそ五尺七寸だが、法師も同じくらいである。二人の目があった。法師の目はきれいに澄んでいて邪気がなかった。まるで幼童のそれを思わせた。
「やつがれは俗世を捨てた身」
 法師ははぐらかすように目をそらして言った。確かに濁りのない純真な目、枯れ枝のようにやせ細った身体、緩慢な動作からは兵法者を思わせる何ものもない。だが、先日の行為は新一郎の脳裏に鮮やかに刻み込まれている。兵法を心得ていることは間違いないのである。一見してそう見せないと言うことは、逆にかなりの達人と思われた。
 新一郎の頭の中はいまやこの年老いた法師への興味に占められていた。山門の外のざあざあ降りの雨も全く耳目に入ってこなかった。
「ご尊名を。せめて、ご尊名をお教え願いたい」
「名などありませぬわい」
「これは失礼を致しました。それがしの名は沼田新一郎と申します。上杉安房守の家人にて上州の生まれでございます」
 新一郎は自分の名も名乗らずに相手の名を聞く非礼に気付いたのだった。年長者に対し礼を失した故に名乗ってもらえぬと思ったのだが、
「ほう。沼田どのと。関東管領どののお身内か」
 と、感心したのみであった。
「重ねてご尊名をお聞かせください。それがし、何とお呼びしてよろしいか・・・・」
 困惑の体の新一郎に同情したのか、
「ならば、ただ、法師とのみお呼びくだしゃれ」
「法師と?」
「いかにも。やつがれは仏法を奉じているわけではごじゃらぬ。そのため、法名はありませぬのじゃ。ただ沼田法師とのみ呼びならわしておる」
「沼田法師どのですか!」
 新一郎は吃驚して目を見張った。
(このお方が沼田法師どのであられたか)
 沼田法師とは、二階堂右馬助等とともに念流十四哲の一人にあげられる念大慈恩の高弟である。当今まで存命なのは、十四哲中沼田法師とのみ聞いている。
(生きてお会いできるとは)
 念流に連なる兵法を学ぶ者としての感動が、じわりと込み上げてきた。
 新一郎はもう一度法師をしげしげと見つめたが、怪訝そうな法師に気づいて、
「沼田法師どのの沼田は姓ですか、地名ですか」
 名を聞いたときから気になっていた質問を発した。だが、慌ててその非礼に気づくと、思わず面を伏せて照れを隠した。
「法師でよいと言うておりますわい。沼田は髻を切る前の姓ですじゃ」
「これは奇遇。それがしも沼田の姓を持つ者。沼田法師どのとは、何か他人のような気がいたしませぬ」
 感に堪えぬという思いで新一郎は続けた。子供のように素直に嬉しさが込み上げてくる。
「それに、それがしも念流に連なる兵法を学んでおります。ここで、念大慈恩どのの高弟沼田法師どのにお会いできたのも、先祖のお引き合わせと存じまする」
「法師ですじゃ。はて、念大師匠に兵法を学んだのは、いつのことでおじゃったか。遠い昔のことでじゃでなあ」
「法師どの。それがしに一手御指南を賜りませぬか」
「そなた、二階堂右馬助どのに習おうてごじゃるのでは・・・・」
「ご存じでしたか」
「右馬助どのは、ご子息の代になられてから、とんと無沙汰をしてごじゃるが、沼田どのの剣技は、風の噂で聞いたことがごじゃりますぞ」
 そう言って、沼田法師は口をもぐもぐさせた。
「それがしのことを法師どのはご存じでしたか」
 新一郎は自分の名を知っていてくれたことが、さらに嬉しくて、
「お願いでござります。念大慈恩どのの直弟子の法師どのに学びたいのです」
 と、懇願せんばかりに頼んだ。
「その志には感じ入りましたじゃ」
 沼田法師は遠くを見る目をした。若い頃の自分の姿を重ねているのだろうか。
「いまや鎌倉は一触即発の様子。いざ、鎌倉のときに遅れを取りたくないのです」
「その忠義にも感じいりましたじゃ」
 天にも昇るような心地とはこのことを言うのだろうか。沼田法師の言に新一郎は手応えを感じた。直接教えを受ける自分の姿が脳裏に浮かんだ。
「じゃが、やつがれは弟子をとらぬ」
「えっ!?」
 それはまるで天に昇る虹の橋が突然消えたような感じだった。新一郎は驚いて問いかけた。
「な、何故でござりまするか」
 答えを急いているのが自分でも分かった。だが、弟子入りを一言のもとに退けた沼田法師は、新一郎の問いには直接答えなかった。
「弓馬の道は、学ばれたかな?」
「無論です。沼田新一郎は武士にござれば」
「なれば良いではごじゃらぬか。兵法など無用のもの」
「・・・・!」
 兵法の遣い手が兵法を否定する。新一郎は、この破れ法師の言葉に、修行に必要な奥深い意味があるのではないかと思って、真剣に考え込んでしまった。
 急に黙り込んでしまった新一郎を楽しむかのように、沼田法師は口をもぐもぐさせて、慈愛の籠もった目を向けている。
 新一郎が次に何と言って良いか迷っていると、
「武士といわず何者といわず、俗世にある者は、家を守り静かに暮らすことこそ大事じゃに。そこに好いた者と添い遂げられればさらに重畳。兵法など要るまいぞ」
 と、まるで諭すように言ったのである。
 そのとき新一郎は、沼田法師が自ら髻を切ったという伝承を思い出した。それは師二階堂右馬助が、かつて一度だけ語ってくれたことである。念流十四哲の一人沼田法師は、元は京で美濃源氏の名門土岐家に仕える名のある武士であったという。だが、自らの不明で恋しい女性を失い、世を儚んで出家したというものであった。
(真実であったのか)
 すでに伝説の域に入っていた話ではあった。だが、その話が事実であることを、いま新一郎ははっきりと覚った。と同時に、睫毛の濃い端正な早苗の顔を、そのときふと思い出したのはなぜだったろうか。
 新一郎が慌てて早苗の面影を振り払って、その伝承の真偽を問おうとしたとき、
「さて、雨もあがったゆえ行きますじゃ」
 と言って、沼田法師は山門を後にした。すでににわか雨はあがって薄い陽が差していた。
 もし伝承が事実であるならば、その半生はなんと哀切に満ちていることだろうか。だが、沼田法師の言葉にその心情は微塵も感じられなかった。歳月を経て忘れてしまったのか、それとも悟りを得たと言うことだろうか。
(分からぬ。だが、それがしに分かったことはただ一つ。昔がどうあれ、破れ法師としてのいまに知足しているということである。それは兵法修行のうえの悟達なのか、それとも・・・・)
 そのとき新一郎は、沼田法師が弟子をとらない理由を聞いていないことに気づいた。
 沼田法師の後ろ姿を目で追って、
「法師さま。いずれにお住まいでありましょうか」
 と問うて、はっとした。それは意味のない質問であった。
「一所不住でおじゃる」
 答えは明らかであった。
「いま一度、会うてくださりませ。法師さま、いま一度・・・・」
「そこまで言わるるなら、この先の慈雲寺を訪ねて来なされ。住持に話しておきますじゃ」
 それだけを言うと、沼田法師は掛絡を揺らして、飄々と去って行った。
 新一郎はしばらくその場に佇んで、去りゆく沼田法師の後ろ姿をじっと見送っていた。


(5)永享の乱始まる 

 月が変わって萩月(旧暦八月)となった。
 結局、足利義久は山内上杉の澆砲呂海覆った。憲実には来ないことが告げられたのみで、理由も明らかにされなかった。
 一色直兼や上杉憲直の暗躍は明らかで、鎌倉には再び不穏な空気が広がりつつあった。 さらには、二人に唆されて、
 ――放生会のあと十六日に公方さまが関東管領どのを討つ。
 という、驚くべき風説まで流れてきたのである。
 放生会とは八月十五日(旧暦)に行われる仏事である。仏教では殺生が禁じられている。そのため、捕えられた禽獣を野に逃がし、魚鳥を川や山に放つのである。例年、鎌倉では鶴岡八幡宮を中心に盛大に行われている。
 重方は新一郎一人をこっそり呼ぶと、
「すでに耳に入っていようが・・・・」
 世上の風聞を披露した後で、
「そなたの危惧が当たったようだな」
 と言って、顔を曇らせた。
「しかし、まだ真偽の程は知れませぬ」
 今までも風説、風聞の類は数え上げればきりがなかった。その中には、あえて御所側から流されているものもあった。挑発といってもよいもので、明らかに憲実側の決起を期待しているものだった。
「いかにも。だが、火のないところに煙はたたぬともいう。早苗と会って真実かどうか探ってきてくれぬか」
 新一郎の思いは重方の考えでもあったようだ。
「兄者は心労が激しい。できるならば、最悪の事態は避けたいのじゃが」
 沈痛な面持ちで、重方はそうも言ったのである。
「・・・・最早、手遅れかも知れぬが」
 その後で独り言のように気弱に呟いた。
「承りました」
 それでも新一郎は一縷の望みを抱いて、一人密かに館を抜け出すと名胡桃の御所へ急いだ。
 朝晩がめっきり涼しくなって、このところ鎌倉の町は秋の気配が濃く立ちこめている。故郷の利根郡と違って、海からの風に秋を感じるのは初めてのことだった。
 深まる季節とは裏腹に、新一郎は早苗と会えるかと思うと心浮き立つものがある。
 永福寺の山門で沼田法師と話して以来、新一郎の心の片隅に早苗の面影が住み着いている。そして野育ちとは思えぬ滑らかそうな白い肌。端正な面立ち。新一郎は明らかに早苗を一人の女として意識し始めていた。利根郡ではついぞ経験したことのないことだった。 一日、新一郎は役目を離れて早苗と語り合う機会があった。
 二人は親しさが増してはいたが、まだぎこちないところを残していた。とはいえ、度々御所内の者にも見られていて、
「羨ましいなどと噂が立っておりまする」
 早苗が楽しそうにくすくす笑いながら言った。
 二人は仮初めの許嫁である。
「そ、それは困る・・・・」
 内心では嬉しい気持ちを隠して、赤面しながら戸惑いを隠さない新一郎に、
「よいではありませぬか。かえってその方が堂々とお会いできるというものです。それともご迷惑なことでも?」
 早苗は大胆なことを言った。すでに笑いを収めている。
「迷惑とは・・・・。殿のこともあるし・・・・」
 本音と建て前の間でうろたえぎみの新一郎は、これではいかん、と思いながら、
「そういえば、先日・・・・」
 沼田法師のことに話題を転じた。
「まあ! 沼田法師さまといえば、念流の高名な兵法者ではありませぬか」
「知っているのか、念流を!」
「存じております」
 新一郎の驚きを煽るように、さらに、早苗は兵法を習いたいとも言った。
「女のくせに不似合いな、とお笑いくださいますな。兵法にはかねがね心惹かれるものがございました」
「おお、それは・・・・」
 嬉しくなった新一郎が、二階堂右馬助に兵法を習っていると告げると、
「わたしも習いとうございます」
 と、羨ましそうに言った。
「鎌倉が静謐に戻れば、ともに兵法を習おう。師匠にはそれがしから話しておこう」
「いいえ。沼田さまに教えていただきとうございます」
 早苗の声がやや小さくなった。心なし顔が上気しているようにも見受けられた。
「それがしで良ければ。喜んで・・・・」
 そのとき新一郎は、建前を忘れて本心から嬉しさに身体がはじけてしまいそうな気分を味わっていた。
 以来、早苗との心のへだたりはなくなったような気がしている。だが、早苗のあのときの言葉は本心なのか、務めを意識してのことなのか、新一郎も判断がつかなかった。
 きわどい風説なだけに、新一郎は気を引き締めて鎌倉御所を訪ねた。
「こ、これは・・・・!」
 御所内の雰囲気は一変していた。具足姿の者たちが行き来し、不穏な空気が満ちていた。早苗との連絡も思うに任せない。やむなく新一郎は、二階堂右馬助の縁故を頼った。その人物を通じて、ようやく早苗に会うことができたのは、すでに日も暮れる頃おいだった。
 早苗は朽ち葉色の地味な小袖を着していた。人目につきにくくするためであろうと思われた。
 薄闇の中、大きな松の木の下でうつむき加減に話す早苗の顔はよく見えない。だが、落とした声ながら切迫した言い方には、事態が容易ならざることになっていることを物語っていた。
「十六日かどうかは分かりませぬが事実でござります。御所様よりも一色さまが乗り気とか。すでに方々に檄が飛んでいる由にござりまする」
「では、御所に詰めかけている軍勢は、やはり・・・・」
 後は言葉にならなかった。御所の鎧兜に身を固めた武者たちの意味が分かったような気がした。
「はい。管領さまを討つと息巻いております。明日になれば、さらに諸国の軍勢が続々と集まってくるものと思われます」
 もはや合戦は避けられないのであろうか。新一郎は目の前が暗くなるような気持ちであった。
「何故にそのようなことに」
 呆然として、呻くような声で新一郎は訊ねた。
「先月の晦日のことと聞いております。京の幕府から、関東管領さまに合力するように、と全国の武将方に命じられた由にござります。そのために御所様もやむなくお覚悟を固められたとか」
「な、何! それでは京と鎌倉で合戦ではないか」
「もはや止めようがありませぬ。京都はすでに戦支度とか。一色さま方も京にお味方する関東管領さまを血祭りにと意気盛んなのです。さあ、一刻も猶予はなりませぬ。このことを関東管領さまに」
「分かった」
 新一郎に合戦の経験はない。思わずごくりと生唾を飲み込んだが、ふと早苗のことが気になった。合戦になったらこの女はどうするのだろうか。仮に合戦にならなくても上杉の間者であることが知れたらどうなるのだろうか。
「そ、そなたは大丈夫か」
「・・・・?」
 早苗はその言葉の意味が分からなかったようで、怪訝な感じで顔を近づけてきた。
「もしや、わたくしの身を案じてくださったのですね」
 下から顔がくっつくほどに近づいた早苗が、にっこりと微笑んだ。緊張した新一郎は、思わず身体を固くしてこくりと頷いた。
「嬉しい!」
 早苗の瞳が闇の中で一瞬潤んだように思えた。その愛しさに、思わず新一郎は早苗の身体を抱きしめようとしたが、
「さあ、長居は無用です。いつ物見に見つかってしまうかも分かりません」
「なに! 物見も配されているのか」
 それゆえ、大事をとって日が暮れるまで会うのを早苗は控えたのであろう。
「そうです。一色さまは本気でござります。さあ、早く」
 急かすような早苗に促されて、新一郎は名胡桃の御所を離れて山内館へ急いだ。
 だが、緊迫した雰囲気とは裏腹に、帰り道の新一郎は、早苗の発した「嬉しい」という一言が脳裏に谺して、胸の内を幸福感がいっぱいに満たしていた。
「うん! ・・・・?」
 山内館へ帰った新一郎は、人の気が少ないように感じた。いつもより秋の虫の鳴き声が大きく感じられる。
 重方へ鎌倉御所の動きを報告に行く途中、回廊で大石源三郎に捕まった。
「どこへ行っておったのだ。肝心なときにおらぬ奴だ」
 源三郎はかんかんに怒っている。 
「殿は、さきほど上野国へ密かに退去された。我らもこれから夜陰に紛れて、三々五々後を追うていくぞ」
「ええっ!」
「和主(わぬし)も早く支度にかかれ。わしは先に行くぞ」
 今度はいったん藤沢に引くのではなく、直接、領国上野へ向かったらしい。それほど逼迫しているということであろう。
 源三郎が荒々しくその場を去ろうとすると、
「待て。そなたたち二人には、いましばらく残ってもらわねばならぬ」
 落とした声があって、突然、彼方から重方が現れた。
 重方は手近な部屋に人が居ないことを確認すると、二人に入るように促した。
「何故でござる。我らは殿の側近くに仕える者。早く殿を追わねば」
 部屋に入るなり、源三郎が激しく抗議した。
「まあ待て。落ち着け。気持ちは分かるが、やってもらわねばならぬことがあるのだ。兄者も承知のうえだ」
 話を聞け、とばかりに重方は、強引に源三郎を座らせた。戸を閉めた新一郎が座ると、「新一郎はわしの命で鎌倉御所を探ってもらっていたのだ」
 重方はまず源三郎を宥めてから、緊張した面持ちの新一郎に鎌倉御所の動きを報告させた。
「やはりな。もはや戦は止めようもあるまい。京都の将軍の命ですでに関東に近い守護たちが合戦支度を始めたというのも事実だ。むろん、御所様を懲らしめるためよ。諸国の守護からの使いが来て、我らも先ほど知った。我らへの京からの知らせは、遅れているのではなく、一色めらに邪魔をされて届かなかった、というのが真相(まこと)らしい。おそらく書状は、一色直兼を通じて御所様のもとにあろう。いろいろあったが、今度ばかりは兄者も覚悟を固めたようだ」
 と、残念そうに言った。
「始め兄者は『こうなったのは身の不徳の致すところ』と、関東管領たる己の不甲斐なさを責めた。それが自害という形になって現れたのよ」
「な、なんと! 殿が自害されようとなさったのか」
 驚きの声をあげる新一郎に、それまで憮然として聞いていた源三郎が、
「それがしが、率先して側近の者たちと何とか思い止まらせたのだ」
 手柄顔で言うのへ、
「そのことは内密のことじゃ。それに二人とも声を落とせ」
 と、重方が制して、
「源三郎の話したのは真のことだ。だが、すでに合戦の覚悟を固めて、先ほど上野へ向けて出発した。一色などに先手を打たれて、鎌倉では思うように手勢が集まらぬからな。だが、御所の動きは探らねばならぬ。二人にはしばらく鎌倉に残って御所の動きを探って欲しいのよ。むろん、わしも残って事に当たる」
「お断り申す。戦となれば上野か武蔵が戦場となるは必定。そのとき、それがしが居ねば大石の一族の名折れでござる」
 短気な源三郎はややもすると声が大きくなる。重方はまるで馬を宥めるような気の使い方である。
「分かっておる。だが、合戦とならばかならず呼び戻すゆえ、しばらく鎌倉に止まってくれい」
「いやだ」
 今日の源三郎は子供のように聞き分けがない。合戦を意識して血が騒ぐのだろう。
「これは殿の命令じゃ」
 ついに重方の口調も変わった。
「む、むむ・・・・」
 さすがに憲実の最も信頼する弟の重方の言である。源三郎もそれ以上のわがままは通せなかった。
「やむを得ませんな」
 不承々々源三郎は引き受けざるを得なかった。
(大変なことになったぞ!)
 とうとう戦になるかと頭を抱える新一郎の耳に、秋の虫の鳴き声が響いた。だが、その鳴き声はどこまでものどかなものだった。


(6)新一郎が鎌倉御所に捕らわれる

 翌日、夕方になって、御所の周りを探っていた新一郎の家人から知らせが入ってきた。昨日、わざと残しておいた者である。一色直兼らが憲実討伐に出発したというのである。すでに、憲実が鎌倉から上野国へ退去したことは知られているようだ。一色直兼らも間者を放っているのだろう。
「御所様が自ら出陣するかじゃな」
 重方が自問するように呟いた。
「では、明日、それがしが行って探って参りましょう」
「いや。それがしが行こう」
 新一郎が志願するのを源三郎が止めた。
 いや、それがしが、と二人で言い合うのを見た重方が、
「功名争いはまだ早い。ならば、二人で探ってみてくれ」
 と命じた。二人は承知して頷いた。
 その翌日、しらじら明けも待ちきれずに、新一郎と源三郎は配下の者を連れて御所へ探りに出た。場合によっては早苗に会えるかもしれない。新一郎の気分は高揚するものがあったが、配下も連れた大がかりなものだけに、万一を慮ってやはり会ってはなるまい、と思う自制の方が強かった。
 今日の目的は、持氏を含めた諸将の動きである。昨日出発した一色直兼は先発であろう。次に誰が後を追うのか。鎌倉にいる諸将は必ずいったん御所に伺候して着到を示す。そのうえで、指示を仰ぐはずである。自分の存在を誇示したいのだ。少しでも持氏の覚えをめでたくしておくことは、戦の後の論功行賞を有利にするために欠かせないことなのである。そのため、御所を探っていれば諸将の動きも自ずと分かるはずなのである。
 さらに気になるのは、公方持氏が出陣するかどうかである。憲実としては、持氏と干戈を交えることは好まないはずなのである。直接仕える主人である。重方が最も恐れているのは、持氏が自ら出陣すると知って憲実が降伏してしまわないか、ということであろう。それは京の幕府も望んでいないはずで、ここまで来たら持氏を懲らしめない限り幕府も納得しないだろう。
 もし仮に、持氏出陣となったならば、重方は直ちに憲実の元に赴き、憲実を励まし、幕府からの援軍と協力して持氏軍を破らねばならない。重方と憲実の心情を思うとき、持氏が出陣するかしないかは重大事なのである。
 新一郎と源三郎が御所近くに来たとき、すでに辺りは物々しい戦支度の兵たちで溢れていた。御所の西隣は鎌倉五山の第五位浄妙寺だが、その広い境内も兵士たちで充満している。
「これはすごい。ここまでくると壮観だな」
 新一郎は、源三郎の子供のようなはしゃぎように苦笑を禁じ得なかった。
 とはいえ、御所周辺に満ちた軍勢は、色とりどりの鎧兜に身をかため、様々な旗指物を翻していた。確かにそれは壮観といえるものだった。戦経験のない新一郎も初めて目にするもので、気がつくと武士としての血が騒いでいた。
「ふふ。腕が鳴るぞ」
 源三郎は元来が武辺を好む。目前の兵士たちに対して、興奮のためか武者震いを繰り返している。
(根っからの板東武者だな。だが、ここで戦をするわけではない)
 源三郎が興奮すればするほど、冷静であらねばならないと思う新一郎だった。
「重方どのに命じられた役目がある」
 新一郎は源三郎を促して、急を聞いて駆けつけた体を装いながら、御所に近づく機会を窺った。その間にも、軍勢は後から後から駆けつけてくる。
「思った以上に御所様のところに参じている者が多いな」
「さすが、鎌倉公方のご威光といったところかな」
「暢気なことを言っている場合ではない。参じた大将と軍勢の数を早急に調べるのだ」
 新一郎の軽口を源三郎が腹立たしげに遮った。すでに気持ちは戦に向かっているのであろう。新一郎としては、逸る源三郎の緊張をほぐそうというつもりだったのだが、逆なでしただけだったようだ。
 新一郎が口をつぐんだ、そのときである。
「御所様。ご出陣!」
 という陣触れの野太い声が当たりに響き渡った。
「やはり! 御所様自ら出陣あそばすのか」
 新一郎と源三郎は顔を見合わせた。
「どこだ出陣の場所は」
「互いに探り合って、半刻ほどしてからここで落ち合おう」
「承知した」
 二人はそれぞれ配下の者を連れていったん別れた。
 武装した兵たちの間を掻き分け掻き分けして、再び落ち合ったのは一刻以上経過してからだった。
「遅かったな」
 新一郎の姿を認めると、いらいらを隠さずに不機嫌の体で源三郎が言葉をかけてきた。「それで、分かったか」
 言い訳をすると思ったのか、新一郎の言葉を待たずにすぐに促した。互いに同格のはずだが、武蔵国目代大石氏の一族である源三郎は、常に新一郎を下に見る癖がある。
「高安寺のようだ」
「やはりな。わしの方もそう聞いた」
 高安寺は武蔵国府中にある大寺で、鎌倉公方が北関東へ出陣するときは、そこに陣を構えるのが慣例になっていた。寺域が広く大軍を待機させるのに適しているのだろう。
 頃合いはすでに昼を過ぎている。
「お、御所様が出てきたぞ」
 二人が話している最中に、御所の大門近くでひときわ大きな声が上がり、馬に跨った持氏が現れた。鎌倉公方重代の鎧兜に身を固め、金覆輪の鞍を置いた栗毛の馬に跨った持氏は、八文字の口ひげも勇ましく颯爽として輝いて見えた。
 その威風堂々とした姿に、我が殿はあのお方と本当に戦をするのか、と思うと、新一郎の胸に不安が広がった。しかもこれほどの軍勢である。蟷螂の斧ではないのか。
 続いて、名のある諸将が御所の門を出てきた。持氏に従って出陣するのであろう。
 ふと見ると、源三郎が矢立を取り出して一心に綴っている。それは持氏に従って出陣する武将と軍勢のようだ。
 辺りから具足姿の兵たちが急速に消えていく。やがて、新一郎たちの周りもまばらになった。
「その方ら、そこで何をしている。どこの手の者どもだ」
 突然、激しく誰何された。
 まずい、と思いながらも、かねて打ち合わせの通り、
(佐竹家の者)
 と、言おうとして新一郎が声のした方へ顔を向けると、
「あっ・・・・!」
 声の主は、三浦の領主三浦大介時高の配下で、佐原主計助(かずえのすけ)という者だった。まずいことに新一郎は、主計助とは面識があった。
「和主は沼田新一郎どのではござらぬか。お、隣は大石源三郎どの。上杉家の家人である主(ぬし)たちが何故に・・・・。さては、当邸を探りに参ったな」
 しまった、と思ったがすでに遅かった。
「それ。召し取れ」
 主計助の下知で、早くも配下の者が各々の武器を構えて、ばらばらと取り囲んだ。
「待て。何ゆえの狼藉だ。我等は上杉安房守の命により、これから御所に参上しようとする者ぞ」
「虚言を弄すな。御所様は安房守征伐のためにご出陣なされた。謀反人を誅するまでの間、我らが主三浦大介が留守を預かったのだ。謀反人に一味する者は、構わぬ、手向かいするようであれば斬って捨てい」
「なんと無体な」
 源三郎が強気に怒鳴ったが、主計助は意に介さなかった。
「やむを得ぬ」
 新一郎は、源三郎と互いに配下の者を促して一箇所に固まった。そして、腰の太刀を抜くと主計助の手勢に備えた。
 始め見合っていたが、どちらからともなく太刀や槍を交わし合ううちにやがて乱戦となった。
 新一郎は、二階堂右馬助に兵法を学んでいる。たちまち二、三人を斬り伏せた。だが新一郎と源三郎は、配下の者を入れても総勢十名である。それに対して主計助の手勢は、優に五十名を超えていた。多勢に無勢は明らかだった。
 すでに戦は始まっているのである。一刻も早く重方に、持氏が高安寺に向かって出陣したことを知らせなければならない。長引けばこちらが不利である。新一郎は今日の役目を考えて腹を固めた。
「源三郎どの。ここはそれがしが引き受けるゆえ、早く重方どのに」
 何度目かに背を合わせたとき、新一郎は源三郎に囁きかけた。
「すまぬ、新一郎。任せたぞ」
 源三郎もすぐに理解したようだ。
 新一郎は配下の四名を寄せて、源三郎たちを庇うようにすると、押し寄せる主計助の手勢に対した。
 なるべく主計助の手勢をひきつけるために、派手に太刀を振り回していたが、やがて源三郎が落ち延びたことを確認すると、
「待て。互いに恨みつらみのある間柄ではない。それがしを捕らえて手柄にせい。そのかわり、この四人は見逃してくれぬか」
「殿・・・・!」
「我らのみおめおめと帰れませぬ」
 新一郎の言葉に従者たちがびっくりして叫んだ。
 すでに新一郎の腕前は佐原方も目の当たりにしている。これから討ち取るとしても、配下の者に相当数の犠牲を覚悟しなければならないはずである。主計助にとっても新一郎の申し出は、歓迎すべきものと思われた。案の定、
「よかろう。おとなしく縛につけば大目に見よう」
 新一郎の読みは当たった。
「ありがたい。お前たちは早々に去れ」
 新一郎は持っていた太刀をからりと捨てた。
「早く行け!」
 まだ躊躇っている自分の配下の者四人を激しく叱咤すると、新一郎はおとなしく縛についた。
 それを見て四人の従者は泣く泣くその場を離れていった。
「潔い態度じゃ。己を囮に郎党を逃がすとは、武士として見上げた心がけ」
 主計助はしきりに感じ入って、新一郎を粗略には扱わなかった。だが、
「役目柄、許されよ」
 さすがに名胡桃御所の奥深く、俄仕立ての石牢に幽閉されたのは、やむを得ざる仕儀だったろうか。


(7)囚われの新一郎は早苗に救われ、沼田法師に助けられる

 大石源三郎を逃がすためにわざと捕まった新一郎だったが、入れられた石牢にはさすがにまいった。そこは入口の幅が一間ほど、奥行きもやはり一間ほどの洞穴だった。高さが四尺ほどしかないうえに、満足に陽も射さず暗くじめじめと湿っていた。そのうえ、太刀を取り上げられ、身体には荒縄が巻かれている。食事も一度きりだった。いかに頑健な新一郎でも、一月は持つまいと思われた。
 尋問の際に隙を見て、とも思うのだったが、あれからふっつりと主計助は姿を見せないし、牢から出されることもなかった。忘れてはいないのだろう。必ず夕方に一度だけは粥が運ばれてくるのだった。
「縄を解いてくれぬか。これでは思うように食えぬ」
 いくら新一郎が頼んでも、
「捕われの身で贅沢を言うでない」
 番人は全く取り合ってくれなかった。
 やがて、一月にもなろうかと思われる頃。
 さすがに新一郎も気力体力共に衰えて、座っているのがやっとという状態であった。井桁に組んだ石牢の入口から遠く夜空の星を見ながら、観念したように目を閉じた。
「ううむ。このまま死を待つのみか。殿、お許しあれ」
 気弱に呟いて、主人憲実の顔を思い出していたとき、うめき声が聞こえたかと思うと、「新一郎さま」
 小さく呼びかける女の声が聞こえた。
 新一郎はその声に聞き覚えがあった。はっとして目を開くと、そこには地味な麻の小袖を着た早苗の姿があった。
「早苗どの!」
 思わず声をかけると、しっ、と制された。
「助けに参りました。さあ、早く」
 早苗は入口の組んだ井桁の木を手際よくはずすと、持っていた腰刀で新一郎を縛っていた荒縄を切った。
「ありがたい。礼を申す」
 新一郎が立とうとしたしたとき、うっ、とうめき声が出た。一月近くずっと座り通しだったためすぐには立てなかったのだ。
「大丈夫でござりますか」
 早苗は牢を這って出た新一郎に肩を貸すようにして立ち上がらせた。そのとき早苗はやや顔を顰めた。新一郎の異臭に反応したものだろうか。
 だが、逆に早苗の甘やかな香りをかいで、思わず新一郎は自分の境遇も忘れてうっとりとしてしまった。
(このまま時が止まったならばどんなに幸せなことだろうか)
 だが、その不謹慎な思いは、はかない夢に終わった。そのまま二、三歩、歩いて何かにつまずくと、一気に現実に引き戻されてしまったのである。
 それは番人の死骸であった。早苗が新一郎を救い出すためにやむなく殺したのであろうと思われた。
(早苗の苦労を無にしてはならない。危険を顧みずにそれがしを助けに来てくれたのだ
「もう少し早くお助けできればよかったのですが。捕われたお方が新一郎さまと気付くのが遅くなりまして」
「何の。恩に着ますぞ、早苗どの」
 二人はそのまま持氏の内室の住む北の御所に向かった。早苗は内室に仕えている。暗がりとはいえ、建物や部屋の配置に明るいうえに、裏口からこっそり落そうとの考えと思われた。御所の東側と北側は深い山になっている。裏口は北の御所のある北側にあった。だが、この日はそれが逆に災いした。
「そこにおるのは誰じゃ。何をしていやる」
 ちょうど裏口の門を開けたとき、内室付きの宿直の者たちに見つかってしまったのである。その中でひときわ年配の當垢韻申性が、
「おっ。そなたは早苗ではありませぬか。いっしょの者は・・・・?」
 と、持っていた手燭をかざすと、はっとして、
「その者は奥の石牢に捕らえてあった上杉家の者では・・・・。そなた・・・・」
 その女の顔つきが変わるのが手燭の灯りではっきりと分かった。
「新一郎さま。お逃げくださいませ。ここはわたくしが」
 早苗は新一郎を門から外へ強引に押しやると、その場に立って腰刀を構えた。
「囚人が逃げましたぞ。お出会いめされ」
 當垢韻申性はさかんに呼ばわると、
「逃がすでない。こうなっては討っても構わぬ。それっ、皆でいっせいに掛かるのじゃ」 と、叱咤するように下知を飛ばした。
 新一郎は転げるようにして門の外に出た。改めて早苗のほうを見る。腰刀を振りかざし、迫りくる宿直の女性たちと渡り合っているのが目に入った。
「早苗どの!」
 思わず新一郎が叫ぶと、
「わたくしのことなら御懸念には及びませぬ。早くお逃げくださいませ。このままでは表の宿直の者どもも参ります」
 早苗が気丈に叫び返した。新一郎はその意味するところを悟った。
 見れば早苗は武芸の心得があるようだ。自分に数倍する女性相手に一歩も引けをとらない。表の武者が来る前ならば、何とか逃げ切れるのではないかと思われた。このままでは返って己が足手まといになってしまうかもしれない。
「かたじけない。さらば」
 新一郎は一生懸命に力を振り絞って門を離れた。そのまま、向かいの胡桃山を目指して林の中に入っていった。
「逃がすな。二手に別れい。そなたは表にこのことを知らせるのじゃ」
 遠く聞こえる声から察するに、早苗は新一郎と逆の方向に逃れたようだ。
「無事でいるのだぞ」
 時折樹木の間から見える星に祈りながら、新一郎自身もひたすらに御所とは逆の方向に山深く入っていった。身を隠すにはそれしかなかったのである。

 新一郎が目覚めたとき、天井の黒光りする木目が目に入ってきた。
「ここは?」
 怪訝に思って起き上がろうとすると、身体の節々が疼いた。
「はっはっは。まだ、起き上がるには無理でござろう」
 快活に言って現れたのは金襴の袈裟をまとった年配の僧侶だった。歳の頃は五十前後だろうか。丸い柔和な顔立ちで、手に数珠を持っている。新一郎に面識はなかった。
「驚かれたかな。ここは慈雲寺と申す破れ寺。拙僧は住職の胤涯と申す」
 胤涯と名乗った住職は破れ寺と言ったが、新一郎が見回した限りはさほど大きくはないが、それでもりっぱな寺院だった。庫裏であろうか、周りも天井も檜材を使ったがっしりとした造りだった。
 起き上がって名乗ろうとすると、
「そのまま、そのまま。沼田新一郎どのと承っておる」 
 と言って、住職は新一郎をとどめると、
「こなたを助けたは沼田法師どのじゃ。法師と拙僧は腐れ縁で結ばれておってのう。ああ、気にせんでよろしい。ゆるりと養生に努められよ。直に法師も帰ってこよう。そうだ。小僧に言うて粥など届けさせようわい」
 再び快活に笑って部屋を出て行った。
 新一郎は、その背に向かって厚く礼を述べた。
 慈雲寺は二階堂谷の外れにある寺である。以前、沼田法師が自分を訪ねてくるときに指定した寺だったことを新一郎は思い出した。とすると、名胡桃御所の北に逃げたつもりが、山の中で方角を失い西の方へ出たようだ。
 やがて、沼田法師が帰ってきた。粥を食した新一郎は睡眠と合わせて気力を取り戻していた。
 礼を述べる新一郎に、
「同じ沼田姓ゆえじゃて。放っておけなかったのじゃわ」
 と、しゃがれた声でぶっきらぼうに言った。だが、新一郎にはその親切さが身に沁みて伝わってきた。
「ほう。だいぶん元気になられたな。良いのう、若い者は。回復が早くて羨ましいわい。のう、法師」
 胤涯和尚があの快活な声で言いながら入ってきた。沼田法師はぶすっとしたような顔つきで答えなかった。
「かなり山を流離ったようじゃな。至るところ傷だらけであったわい。だが、しばらく寝ておれば、若いこなたのこと、すぐに元に戻ろうわい」
 胤涯和尚の言を聞いていると、明日にでも快癒しそうな気になってくる。この調子で説教をするのだろうか、と思うとふと新一郎は可笑しくなった。
「おお。笑うたな。丸二日も昏々と眠っておったくせに」
 わっはっは。と胤涯和尚が笑い声を響かせた。
 見れば沼田法師も皺くちゃな顔を崩している。
 新一郎はそのとき、助かった、と心底から思った。だが、自分を救ってくれた早苗はどうしたであろうか。無事に逃げおおせてくれただろうか。そのことを思うと、鏃で刺すように胸が痛んだ。
 やがて、沼田法師と胤涯和尚は静かに部屋を出て行った。


(8)沼田法師は即身成仏に失敗し、早苗はすでに亡くなっていた。無常を感じた新一郎は・・・・

 武蔵野に白い芒の穂が目立ち始めた頃、傷が癒えた新一郎は、やっと分倍河原の憲実の本陣に駆けつけることができた。沼田一族の陣所ではなく、真っ先に憲実のもとを訪ねた。
 新一郎が鎌倉方に捕らわれてから、すでに二月ほどが経っていた。
 その間、関東の情勢は大きく動いていて、この頃になると、もはや誰の目にも戦の帰趨は明らかだった。
 始め武蔵国高安寺に自ら出陣し、一度は勢威を示した持氏だったが、やがて形勢は逆転した。東海道、東山道、越後路から続々と幕府に命じられた持氏追討軍が関東に迫ってきたのである。特に東海道を進んだ軍勢は、持氏方を撃破して足柄山を越え、箱根の陣を破って鎌倉に迫った。
 持氏は一戦も交えぬうちに高安寺の陣を引いた。櫛の歯を引くように、持氏の軍から脱落が相次いだ。
 逃げる持氏を追って、憲実軍は分倍河原まで進んだ。逆に憲実軍には、続々と関東の諸豪族達が馳せ参じてきた。
 そんな状況だったからか、
「遅い。今頃まで何をしていたのだ」
 大石源三郎の声音は厳しかった。
 そなたを逃がすためにわざと捕まったのではないか、という言葉が新一郎の咽喉元まで出かかったが、ぐっとこらえた。捕らわれて二月ほども参じられなかったのは、やはり己のせいではある。
 白い幔幕を張り巡らせた陣所には、正面の床几に憲実が腰を下ろしていた。左右には重方以外には馬廻りの者が控えているきりだった。本来なら新一郎もそこに控えていなければならないのだ。それもあっての源三郎の言とも思われた。
「ずいぶんと手間取ったものよの」
 重方も冷ややかだった。
 他の近習たちも重方や源三郎に同調しているのは明らかで、冷たい視線となって無遠慮に新一郎に突き刺さってくる。
 無為に過ごしていたわけではない、と思う。精一杯にやることはやったのである。とはいえ、武士とはなんと虚しいものなのか。新一郎の胸の内に寂寥感が一気にこみ上げてきた。
 軍勢を率いて、戦場で剣槍を交えるばかりが戦なのであろうか。確かに戦場は、将がいて兵がいてそのおのおのの役目を果たしている。死と隣り合わせでもある。だが、己の今度の働きもまた一つの役目であり、死と隣り合わせだったのである。地味な役目ではあったが、それを命じたのは他ならぬ重方ではなかったか。己を犠牲にして源三郎を逃がすことで、その命令は確かに果たしたのである。その労いもなく遅参のみを咎められるのは納得がいかなかった。これでは自分を逃がしてくれた早苗の功も報われぬではないか。
 悔しかった。言いたいことはあったが、新一郎は下唇をぐっと噛んで、到着の挨拶以外はいっさい口にしなかった。陣中でそれを言っては言い訳になるだろう。恨み辛みの言葉が口をついて出ないとも限らない。
 ややあって、冷気を破るように、
「大儀であった。明日から我が近くに伺候するがよい。常のようにな」
 憲実の労りを含んだ暖かい言葉がふわりと降りてきた。
 その言葉を聞いて、思わず胸に込み上げてくるものがあった。新一郎はかろうじて「ごめん」と一言だけ言うと、下を向いたままその場を後にした。憲実の顔を正視することができなかったのである。
(殿は分かっていてくだされる)
 憲実の顔を見れば、そのまま涙を見せてしまいそうだった。
 幔幕を払って陣所を出たとき、不覚にも涙がこぼれそうになった。それを気丈にこらえて、新一郎は沼田一族の陣所へと向かった。
「来たか。待ちかねたぞ」
「親父殿・・・・」
 新一郎は父の声を聞き、顔を見て、思わず熱いものが込み上げてきた。
「もう。鎌倉には帰りとうありませぬ」
 ついぽろりと本音が出てしまった。
「どうした・・・・」
「・・・・」
 父は新一郎の言葉を聞いて何かを覚ったようだ。
「そなたのことを安房守殿は分かってくれたのであろう」
「はい」
「ならば良いではないか。〈士はおのれを知る者のために死ぬ〉という」
「親父殿・・・・」
 後は言葉にならなかった。多くは語らないが、父は分かってくれている。そう思うと、新一郎は己の軽率さを恥じた。
「どうした。何をめそめそしている。久しぶりに会えて、それほどに嬉しいか」
「鎌倉の水は苦いようですな」
「若殿。お久しぶりでござりまする」
 口の悪い叔父や家の子・郎党が挨拶に来た。
「こやつ。心配させおって」
「無事で何よりじゃ」
 惣領の沼田上野介に挨拶に行くと、再会を素直に喜んでくれた。快活な笑いが響き、新一郎は懐かしさに胸が熱くなった。                         
 本営での嫌な思いはすぐに晴れたが、沼田を出てからのことが思い出されて、
(戦が終わったら、鎌倉での出仕をきりあげて、やはりこのままに父とともに帰ろうか) 再び望郷の念が湧いたが、父の言葉と共に主人憲実の顔が思い返されて、新一郎の眉宇が曇った。
 月が変わって霜降月(旧暦十一月)になった。
 相模国葛原で、鎌倉へ帰ろうとしていた持氏を、上杉家の家宰長尾忠政が捕らえた、との報が入った。すでに力尽きたようで、持氏に与する大名、豪族は、一色直兼、上杉憲直の二人を除いて誰もいなかった。
 翌々日、新一郎たちは憲実に命じられて、持氏を監視しつつ鎌倉に入った。数ヶ月前、威風堂々と鎌倉御所を出た持氏を知っているだけに、うらぶれた持氏は哀れに映った。
 鎌倉に帰った憲実は、直ちに長尾忠政に命じて一色直兼、上杉憲直を除いた。持氏は永安寺(ようあんじ)に留められ、鄭重に接するよう命じられた新一郎たちが、交代で見張りにたった。
 極月(旧暦十二月)になって、持氏の処分を催促された憲実が、幕府に対して助命を願い出ているという知らせが入ってきた。三管領家や四職家はいうに及ばず朝廷や五山にも働きかけているという。新一郎は今までの憲実の苦悩を知るだけに、その嘆願が実を結ぶ事を願った。
 だが、その願いは聞き入れられなかった。
 年が明けた、永享十一年。
 ――早々に、持氏親子を斬れ。
 将軍足利義教の命は非情なものであった。
 ついに憲実も覚悟を決めたと聞いて、新一郎は夜半密かに永安寺から山内館の寝所を訪ねた。
「まだ、諦めるのは早うござりまする。御所様は足利の一族、それがしが京に赴いてでも」
 と、懸命に進めたが、憲実はすでに諦めたようだった。
「そなたの気持ちは嬉しい。そこまで言うてくれたのはそなたのみだ。だが、こうなってはやむを得まい」
「殿!」
「これ以上、幕府の命には背けぬ」
「しかしながら、これまでの殿のご苦労は・・・・」
「言うな。御所様が出陣なされたとき、すでに矢は弓弦を放れていたのだろうて」
 憲実は肩を落として言った。その胸のうちの悲哀は新一郎には十分理解できた。
「筋から言えば、我らは京の幕府の家臣。わしとて辛いのだ」
 新一郎は黙り込むより他なかった。
「室町殿は鬼か・・・・」
 憲実の絞り出すような声が耳に痛かった。
 梅見月(旧暦二月)十日になって、ついに憲実は、上杉持朝、千葉胤直に永安寺に謹慎していた持氏を攻めるよう命を下した。新一郎たちは、見届けを命じられた重方に従って永安寺に赴いた。
 寺を取り囲んだ憲実軍を見て観念したのか、持氏は弟の満貞と共に自決して果てた。享年四十二歳であった。近習や馬廻りの臣もまた残らず討ち死にした。世に言う<永享の乱>はこうして終わった。
 新一郎は滅び行くものの末路を初めて目の当たりにした。
「良い気味じゃ。我等をないがしろにし、奸物の言うことを聞いた末路よ」
 源三郎が口汚くののしった。隣で重方も新四郎も肯いている。
 その気持ちが分からないわけではなかったが、新一郎には苦い思いだけが残った。
 さらに、同月二十八日のことである。持氏の子義久は報国寺にいたが、父の死を知り、仏前に焼香すると念仏を十遍唱え、守り刀を自ら左の脇に突き立てて息絶えた。そのとき義久はわずか十歳であった。
 新一郎は義久が自刃したと聞いて、すぐに報国寺に駆けつけた。
「幼いながらあっぱれ、見上げたものよ」
「さすがに鎌倉公方の御嫡子」
 と言う讃辞を聞きながらも、小さな義久の骸に接し、そのけなげで哀れな最後を知るにつけ、
(なんと非情な・・・・)
 新一郎はつくづく武士というものが嫌になった。
(早苗はどうしているのだろうか)
 あれから、こころ利いた郎党を遣わして調べているのだが、早苗の消息は全く掴めなかった。無事に逃げてくれたのだろうか。
 早苗は我が身を犠牲にして新一郎を助けてくれたのである。もともと佐竹義人の臣で、新一郎とは許嫁という形をとったにすぎない。その役目は御所内の持氏方の動向を探ることだったのである。あえて危険を冒してまで、新一郎を助ける道理はないのである。主の佐竹義人もそこまでは望んでいなかっただろう。それをあえて助けにきてくれたのだと思うと、新一郎は胸が締め付けられるような切ないものを覚えるのだった。
 だが、持氏の死をもって永享の乱は終わった。これから早苗は、名胡桃の御所で間者として生きる必要はなくなったのである。
「必ず探し出す。そして、佐竹義人どのにお願いしてそれがしの妻に」
 仮初めではなく真のことに、という思いは、早苗と出会って以来、新一郎の胸のうちにずっと埋み火のようにくすぶっていたものだった。
「帰ろう。沼田へ。早苗も野育ちと聞いた。常陸と上野の違いはあるが、同じ坂東ではないか。上野の山野を二人して思う存分に駆け回り、ともに剣を学ぼう」
 新一郎は、沼田さまに教えていただきとうございます、とはにかむように言った早苗の言葉を昨日のことのように思い起こした。
 憲実に暇乞いをして鎌倉を出よう、と決心した新一郎は、自らも早苗の行方を求めて精力的に動いた。
 だが、早苗の消息はようとして掴めなかった。
 焦燥感に苛立っていた頃、密かに匿われていた持氏の子が発見された。憲実はその子に鎌倉公方を継がすべく幕府に働きかけるという。
(もしや手傷を負って誰かに匿われているのでは・・・・)
 新一郎は再度元気を出して早苗の行方を捜したが、やはり手がかりは得られなかった。 すでに半年が経過している。諦めが支配しつつあった。
 大石源三郎たちは、まるで鎌倉の主が憲実だといわんばかりに専横の限りをつくしている。そんな源三郎たちに眉をひそめていたが、新一郎は直接意見することはしなかった。胸の中で総てが虚しく感じられていたからである。
 山内谷の桜も散り始めていた。
 鬱々とした気分の中、
「そうだ。法師どのを訪ねてみよう」
 新一郎は歯の抜けて皺くちゃな沼田法師の顔を思い浮かべた。と同時に、その横で明るく勢いよく笑っていた胤涯和尚の顔も。
 ある晩春の日の昼下がり、思い切って新一郎は慈雲寺を訪れた。境内の桜の花はあらかた散って、葉桜が目にまぶしかった。
「おお。沼田どのか。落ち着かれたかな」
 胤涯和尚は相変わらず快活に迎えてくれた。
 この気性であれば、出家せずとも十分つつがなく世の中を渡れたのではないか、と羨望の念を抱いて和尚を見つめた。
 それを勘違いしたのか、
「沼田法師のことじゃな。会っていきなさるか」
 新一郎はその言い方にふと胸騒ぎを感じて、
「もしや臥せっておられるのでは」
 と、急き込んで訊ねた。沼田法師はすでにかなりの高齢である。
「いや。病ではない。まあ、良い。会うていきなされ。案内しよう」
 胤涯和尚はいったん寺の外に出ると、迂回して寺の敷地の奥へと案内した。
 やがて、大きくはないが真新しい持仏堂が見えてきた。
「お入りなされ」
 胤涯和尚は持仏堂の中へと新一郎を導いた。
 覗くと堂内は異臭に満ちていた。
「あっ!」
 そこには一体の遺骸が安置されてあった。ほぼ白骨化している。ぼろぼろになってはいたが身に纏った僧衣と掛絡は、紛うことなく沼田法師のものと思われた。結跏趺坐した足元に女性のものと思われる一房の遺髪があった。置かれたものか、懐中にあったものが落ちたものか新一郎には判別がつかなかった。
「これは?」
「法師はのう、即身成仏になろうとしたのじゃよ。例えあの世でも恋しい女に会わす顔がないと言うてのう。だが、失敗したのじゃ。明日には堂ごと灰にしてしまおうと思うておったのだが、そなたが訪ねてくるとは、よくよくの縁じゃのう」
 胤涯和尚は柄にもなく、勘に耐えぬというような按配で言ってから、
「即身成仏になるのは難しいものじゃ。じゃが、拙僧はそれでよかったと思うておる。御仏の慈悲は全て等し並じゃ。なんの、あの世で再会したならば、法師も取り越し苦労じゃったと思うであろう」
 南無阿弥陀仏、と合掌し、
「さて、参ろうか。ここに居ても詮無きこと。拙僧からも話がありますのじゃ」
 と言って、再び新一郎を導いた。
「法師・・・・」
 新一郎は沼田法師に道を問うために訪れたのである。だが、その問うべき相手はすでにこの世の人ではなかった。そくそくとした寂しさが胸に込み上げてきた。
 黙って合掌した新一郎は、その場を離れた。
 庫裏に帰って対座した新一郎に、
「そなたにこれを渡すように沼田法師に頼まれたのじゃ」
 そう言って、胤涯和尚は奥の部屋から持ってきた紙包みを手渡した。
 新一郎が受け取って開いたそれは女の髪の毛であった。
「これは!」
 そのとき新一郎は総てを悟った。
「いかにも。早苗どのと申したかな。そなたを逃がした女子(おなご)の遺髪でおざるよ」
 胤涯和尚は静かに言って、
「沼田法師はそなたから早苗という女子のことを聞き、名胡桃の御所近くを探ったらしい。女はいったんは追っ手を振り切ったようじゃ。だが、御所を守護していた三浦党の執拗な追求を躱せず、ついにのう・・・・」
 無念そうに続けた。
「三浦党でござりまするか」
 新一郎は怒りで身体がかっと熱くなった。いかに役目の上とはいえ、女に手を下すことはあるまいに。
 御所守護を命じられた三浦時高だったが、京の将軍から御内書が届くや、あっさりと御所警護の役目を捨てて三浦に退去した。ばかりでなく、その後、今度は逆に手勢を率いて御所に攻め寄せたという。そのような卑怯者だからこそ、あのときは忠義面をして女を手に掛けたのであろうか。
「三浦党の誰に殺されたのでござりましょうや。それがしは仇を討たねば早苗どのに相済みませぬ」
 新一郎の脳裏に、佐原主計助の顔が浮かんだ。このまま三浦まで駆けて行こうと思って、傍らに置いた太刀を掴んだ。
「おやめなされ。そのようなことをして何になる。それに拙僧とて直接手を下した者の姓名は知らぬよ。沼田法師もそのためにこの遺髪をそなたに残したわけではないと存ずるが」
 胤涯和尚に諭されて、新一郎はぐっと次の言葉に詰まった。
 沼田法師は早苗のことを調べて、うち捨てられていた遺骸を丁寧に埋葬し直してくれたらしい。そのときわざわざ遺髪を新一郎のために取っておいてくれたという。
(早苗どの。ああ、そなたを殺したのはそれがしかも知れぬ)
 あのとき、なぜ早苗を助けに戻らなかったのだろうか。新一郎の胸に激しい後悔の思いが突き上げてくる。
「そなたの気持ち、沼田法師は分かっておろう」
 そのとき、新一郎は沼田法師にまつわる伝承を思い出した。
(そうか! それゆえに法師は自ら髻を切ったのだ)
 涙が自然に流れてきた。
「懇ろに菩提を弔ってやるが良い」
 新一郎は胤涯和尚のその言葉を聞いていなかった。遺髪を掴んで懐へ入れるや、ふらふらと立ち上がり、そのまま庫裏を後にした。
「法師。沼田法師どの」
「おっ。そなた!」
 不審を感じたようだが、掛ける言葉もないのか胤涯和尚が黙って後からついてくる。
 新一郎は再び持仏堂へきた。
 すでに辺りは夕闇に包まれつつある。
 扉を開けて沼田法師の白骨を正面に見ながら、新一郎は入口にぬかずんだ。
「法師どの。せめて、せめてこの世にあるいっときの間、一手なりとも兵法の手ほどきを受けとうござりました」
 流れる涙をぬぐおうともせずに、新一郎は侍烏帽子を脱ぐと腰刀で自らの髻をばっさりと切ったのだった。
「おおっ。そなた、出家するか!」
 後ろで胤涯和尚の吃驚したような声が飛んできた。
「よくぞ決心した。拙僧でよければ戒を授けようぞ」
 だが、新一郎は、
「いえ。和尚どの、それがしは法師どのと同じく生きていきとうござりまする。向後は、沼田法師とのみ名乗って」
「法名もいらぬと申されるか」
「願わくば、沼田法師どのの衣鉢をいただきとうござります」
「ううむ」
 合唱した新一郎は、沼田法師の遺骸からくたびれた掛絡をはずした。それを丁寧にたたんで懐に入れると、
「ごめん」
 呆然と立ちつくす胤涯和尚を後に、掛絡と早苗の遺髪を握りしめながら、そのまま寺を後にした。


(9)沼田新一郎と上杉憲実の再会

 霊仙山に一際大きな入道雲がある。
 目を転じると、遠く伊吹山系には真っ青な青空が続いていた。
 陽は中天にある。笠を被っていることもあるが、仮になかったとしても、とても見上げることなどできなかっただろう。
野も草も、さらには川さえもから透明な湯気が立ち上っているようで、まるで湯殿にでも入っているような気分だった。
 じらじらと照りつける陽の下を流れる汗もそのままに、沼田新一郎、否(いな)、沼田法師は、ただひたすらに京を目指していた。
 額の汗はしずくとなって、首にかかったくたびれた掛絡に落ちている。
 気がつけば、しゃわしゃわとせわしく鳴き続ける熊蝉の声が、疲れて気怠いように感じられた。
「暑いな・・・・」
 何度呟いたことだろうか。季節はすでに晩夏に入ってはいたが、文安五年(一四四八)常夏月(旧暦六月)の炎暑はことのほかに厳しい。
 美濃路から近江路へ、そして醒ヶ井を経て米原に向かう。
「ほう!」
 思わず沼田法師の口から感嘆の言葉が漏れた。視界が一気に開けて、目前に大きな湖が横たわっていたのである。近江国の名のもととなった琵琶湖である。
「淡海(あうみ)のことは聞いてはいたが、いざ、目にするとまさに海のようだ」
 沼田法師はかつて鎌倉の七里ヶ浜から見た大海を思い出した。
 違いは大海がずっと水平線上に山の影が見えないのに比して、淡海の水平線の彼方には遠く比良の山脈がくっきりと稜線を露わにしているところだろうか。そのことが果てのない大海と違い、限りある水面を物語っているようで、諸国を流浪する身には好もしく写った。
 沼田法師は、目前の湖線に沿って左右にゆっくりと目を移した。かつて上杉憲実がぽつりと言った〈もう一つの生き方〉を思った。今まさに己の生き様がそれであろう。総てを捨て、世俗の地位も縁故も拒否し、一人で生きている。向後も一人で生きていかなければならない。それは何と辛く寂しい生き方であろうか。
 だが、と沼田法師は思う。一人で生きていくということは、世俗に惑わされず、誰も傷つけることなく、傷つけられることもなく、こうして山川湖沼に慰められ、花鳥風月に涙を注ぎ、草木に癒される生き方ではなかろうか。それは人として、いや一個の生き物としてのごく自然な生き方のような気がしてくるのだった。
 さらに沼田法師は、先代の沼田法師が身につけていた掛絡を通して、先代の沼田法師だけでなく、その師念大慈恩にもつながっているような気がしている。いずれの師にも直接教えを受けたわけではないが、掛絡を通してそう感じるのである。それは代々続く、念流という小さな宇宙につながっていると言うことなのかも知れない。
 沼田法師は〈もう一つの生き方〉を悪くない生き方だ、と思いながら、しばらく佇んで飽かず眺めていた。長引く季節の炎熱を、しばし忘れてしまいそうであった。
 ふと、気がつくと右手の彼方から一人の法師が歩いてくるのが目に入った。己と同じく墨染めの衣に網代の笠を被っている。手にした錫杖をつきながら歩く姿は、いずれかの旅僧と思われた。
 ここ米原は沼田法師のように東山道から京を目指す者と右手の僧侶のように北陸路から京を目指す者が合する地である。
 辺りは青々とした一面の芒が原であった。ほどなく、白い綿帽子をつけるのだろうが、暑熱の厳しい今年はいつのことか。
 沼田法師はその出家が妙に気になった。今までも旅の僧とは幾度となく出会っているし、道連れになったこともある。だが、今日のその法師だけは、今までに出会ったどの僧とも全く異なっているように思われた。どこがどうとはっきり言葉に表すのは難しいが、しいて言えば、旧知に似たある懐かしさがあった。
(もしや!)
 沼田法師には覚るところがあった。
(高岩長棟どのでは・・・・)
 間違いない、と思った。それは出家する前に幾度となく、近く遠く眺めたかつての主人の姿に相違なかった。己と同じく世俗を捨てたことは、その法名とともに風の便りに聞いていた。いつか会うことになろう、とは思いながらも、まさかこのようなところで会うことになろうとは、思っても見ないことだった。それはまるで、戦支度をしようとして白帷子(しろかたびら)と下袴の上に鎧直垂を身につけたところで、いきなり長巻で打ちかかられたような気分だった。とっさに身を隠そうと思ったが、一面の芒が原ではそれも叶わなかった。
(やむを得ぬか)
 沼田法師は覚悟を決めた。彼方の人物も出家した身である。俗世の縁は切れていよう。だが、主に一言の相談もなく、いわば勝手に髻を切った身としては、内心気後れする思いをぬぐい去ることができなかった。
 右手から来る旅僧の歩度は変わらない。互いに網代の笠に顔は隠れているのだ。沼田法師、いや世俗を捨てる前の名沼田新一郎だということに気づいてないようにも思われた。

 沼田法師は錫杖代わりの棒を左手に持ち替えた。そして、懐の遺髪を握りしめると、   
(会わぬ方が良い)
 もと来た道を引き返すように踵を返した。
 まさにそのときである。
「御坊! どちらへ参る」
 その背に旅僧の爽やかな高声が飛んできた。
(やはり・・・・!)
 それは、かつて幾度となく聞いた声に相違なかった。沼田法師が何者か気づいていたようだ。
 熊蝉の鳴き声がひときわ大きく響いたような気がした。
 覚悟を決めた沼田法師は、遺髪から手を離すと、
「風のままに」
 と、再び踵を返して答えた。
 足を速めて沼田法師のそば近く迫った旅僧は笠をあげて、
「拙僧もじゃ。互いに憂き世を捨てた身同士。こだわるものはあるまい。いっしょに参らぬか。ゆるりと語りたいものだが」
 切れ長の麗しげな目、高い鼻梁、尖ったような顎。それは紛れもなく沼田法師が出家する前の主人の顔であり、いまは出家して〈盍篦硬錙咾箸いμ召料領掘△垢覆錣疏阿隆愿豐瀕両綽安房守憲実その人だった。
 あの頃に比べて、やや頬に肉がつき、憂色が消え、十も若返ったように見える。そして、何よりも、かつて見たことのない爽やかな笑顔がそこにあった。声もまたいくぶん若返ったようで、その張りのある声を聞いていると、こだわりは全くないように思われた。気さくに誘っている、という感じであった。
「相伴いたしましょうず」
 沼田法師の口から自然と言葉が出た。
「こなたとはすでに主従ではない。互いに頓世した〈同行〉(どうあん)ではないか」
 同行とは、ともに仏道修行を行う者のことをいう禅宗の言葉である。
 二人の脱俗を労るように涼風が吹いてきた。
「やつがれは得度したわけではござりませぬ。剣門江湖(けんもんこうこ)とも無縁の者」
「世は捨てたが、出家したわけではないと言うか」
「いかさま」
「生真面目なことよの」
「持って生まれた質なれば」
「ははは」
 屈託なく笑う二人の法師に呼応するかのように、沼田法師のくたびれた掛絡が、はたはたと風に揺れていた。



   XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX



 後年、戦国時代になって衣斐丹石軒宗誉(いびたんせきけんむねよし)という人物が現れる。丹石軒の創始した剣は、丹石流と称し、念大慈恩の高弟沼田法印を遠祖にしているという。さて、いずれの沼田法師であろうか。
 また、上杉憲実改め高岩長棟は、さらに諸国を行脚した後、文正元年(一四六六)長門国大寧寺(だいねいじ)において示寂している。享年五十七歳。
 墓は現在も大寧寺境内にあるという。

〈了〉



【参考】旧暦月の異名

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2月:如月、梅見月、初花月、仲春

3月:弥生、桜月、春惜月、季春

4月:卯月、卯花月、花残月、孟夏

5月:皐月、早月、早苗月、仲夏

6月:水無月、葵月、常夏月、季夏

7月:文月、七夕月、秋初月、孟秋

8月:葉月、月見月、萩月、仲秋

9月:長月、菊月、紅葉月、季秋

10月:神無月、時雨月、初霜月、孟冬

11月:霜月、霜降月、雪待月、仲冬

12月:師走、極月、春待月、季冬









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