くる天 |
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CANAL さん |
TALES OF NIGHTINGALE |
地域:指定なし |
性別:女性 |
ジャンル:ニュース マスコミ |
ブログの説明: 〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。 |
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亡国のアベノミクス |
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政権に返り咲いた安倍自民が早速手をつけたのが、大規模財政出動による景気刺激策だが、消化に困るほどの大盤振る舞いで景気回復を図るという。
実際衆院選半ばから、それに呼応するように株価は上がり、為替は円安に振れ、後藤謙次武者陵司田勢康弘他の四国デマ新聞御用達の自称専門家らはそれ見たことかとばかりに持て囃しに喧しい。
しかし今の活況は、一種のアナウンスメント効果によるものに過ぎず、実体経済を反映したものではもとよりない。 また、 |
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謹賀新年&全米福男選手権直前あれこれ |
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よやっと一山…めちゃめちゃしんどかった…んでもまだまだお山が…ま、とにかくひとまず正月休みだ。はーやれやれ。
と思ったら
お正月終わってるううううう〜〜〜〜〜!!!!
…というわけで、でんでん正月気分が味わえず、今年は旧暦仕様で行こう!と固く心に誓っているワタクシめですが…松の内も終わりかけとりますが皆様
明けましておめでとうございます!
…と手放し運転で言うにはまだまだ心理的抵抗が拭えない震災後二年目の迷走日本…衆院選の結果もあわせ、どこへ向かう、日の丸ニッポン…。
ま、そんなこんなで年明けからバタバタしまくりですが、ここらでひとつ気分転換に直前に迫った全米福男選手権雑感。 錯乱半歩手前の昨年の逼迫感とは打って変わり、今年はブルー離脱で限りない虚脱感…どっちがマシかと聞かれても俄かに答えられないどっちも嫌さ加減…あああ…6分間見せてもらえるだけで私は良かった…ブルゥゥゥゥゥゥゥ…………(未練たらたら)。
・ライサチェク…新採点方式にどこまで対応できるかが鍵。ですがそれ以前に、術後まだ二ヶ月程度だそうなので、ライサチェク的には今季はチューンナップってところかな…5位以内に入ればまず御の字だろう。しかしライサチェクがワールドでないとなるとソチに直接響く枠取りが本当に心配だ…。
・マイナー…「ソチ五輪、仮に三枠確保できたとして第三の男最有力候補はこのマイナー。まず大崩れしない。そして巻き毛の3Aのような”アキレス”も昨季ナショナルの時点では見当たらなかった。第一グループにピッタリ追走しているところが不気味…。これでジャンプの底上げができれば多分3Aに足取られてる巻き毛をあっさり抜くだろう。」と掲示板に書いたのが昨年二月。 早晩ルシを抜くだろうとは思っていたものの、まさかあれから一年足らずで試合で4を降りるとわ…ジャンプの質があまりいいほうではなかったし、本人的にもあまり欲があるタイプに見えなかったので…。このあたりについてはNHK杯雑感(書くつもり!だけど忙しすぎて未定…トホン。)でまたあらためて語りたいと思いますが、ルシとの相関はルシ自身の失速による部分も小さくないものの、彼の来し方を見れば、地に足がついてる堅実ぶりが伺えようというもの。完全に明暗…異常なほど相性がいい(笑)日本以外の大会でどこまで結果を出せるか、まさに全米は正念場だ。 今年はこのマイナーともう一人マーバヌーザデーとかムロズとか思いもしない選手が抜けるような気がしてますがどかな。どかな。 個人的にはこないだ書きましたように順位なんかより、演目でチャップリンとか目先変えてほしいという思いのほうが強いですが、ソチを来年に控えどこまで行く、マイナー。
・ドーンブッシュ…マイナーとは裏腹にどっちに転ぶか分からないのがドーンブッシュ。昨季見た限りでは、ジャンプ以外の部分、特にスケーティング部分の質が悪かったですが、そのあたりはどこまで底上げしてるのかな…。
・ブルー…夏までに来季参戦するかどうか決めるそうだけど、能力や年齢以上にまず問題なのが、これから一年、基礎トレ(神社の階段駆け上がり含む)・柔軟を含む4〜5時間/日のトレーニングに耐えるだけのストイックな覚悟があるかどうか。 あわせて全米前一ヶ月は婿殿と離れて個別合宿に入るなりしないとラブラブモードではアドレナリン出まくり戦闘モードに入りにくいな。まだ新婚さんだし酷だとは思うけど試合帯同なんかはもってのほか!(私情入ってないわよ!) 私的には見られるだけでご満足。だけど、それなりの結果を残そうと思えば、これから一年は現役以上に臥薪嘗胆で臨まないとまた途中離脱となりかねない。 ロシア杯SP見た限りでは、4は降りるための身体、特に足が全くできてなかったし、ステップも特に股関節の柔軟性がないため小さくなりがちだった。 ま、ジャンプの勘自体は失われていないし、今季途中離脱は調整ミスが主因なので、なんとか頑張って挑戦してほしい半面、本当にもう見られるだけで満足。なのでそこまで苦しい思いしてする必要があるかどうかとは思うけど、試合前のあの本気モード、やっぱり見たいなぁ…どうするかは本人次第。ですね。
・ルシ…落選確定。
以上。
それとも300越えしてオーサー解任が正しかったと証明してみせられるかしら?ほーほほほほほほ、ほほほほほほ(高笑い)。
-------------私の言うことを聞かないからだ。
おめーについても暇と労力ができたら書いてみたいところが、3A迷走がおさまらない以上に罪なのは、せっかくの表現をゴミ箱に捨てて持ち腐らすような朴念仁プロ…。
ミューズの嘆きが聞こえるか、ルシファー。
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『ときめき整理術』 |
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こんにちは!
ひととおり年末恒例行事をでっち上げ、一息ついているところですが、皆様はいかがでしょうか? ところで年末と言えば大掃除ですが、聞くところによりますと、なんですか、巷では
『ときめきの片付け術』
なるものが流行ってるそうですな(何故に講談調(笑))。 曰くコンセプトは、
その物で楽しくなるか否かで取捨選択。
だそうですが、基本的に流行りモノには乗らないワタクシですが、今回はこの渦巻く家の中が少しでも片付くなら!と言う事で早速取捨診断!
しましたところ、捨てる物が
ない。
というガヒョーンの結果とあいなりまして、
そんなバカな。
と一瞬思ったものの、そもそも一部の必需品を除き、買う時の基準が、「気に入るか入らないか。」
だけ!
なので当然と言えば当然かも…。
というわけでときめくばかりでまるで役に立たないガラクタに囲まれたまま、今年も暮れようとしておりますが、『ときめきの片付け術』基準を軽くクリアしてしまった我が家のモノたち、喜ぶべきか否か…(笑)。
残念ながら『ときめきの片付け術』の本自体は読んだ事ないんですが、こういう場合の処方箋はどうなってるんでひょーか?(笑)
ま、そんなこんなでこれにて本年納めのカキコでございます。 今年もつたないブログにお越しくださいましてありがとうございました!
そして原発作業員の皆様、今年もありがとうございました…お正月はせめて温かいお雑煮などお代わり可。でお召しあがりいただけますよう…。 ま、『ときめきの片付け術』流にいきましても、原発は是非とも原発にときめきまくってる利権の皆様にご査収いただきたいところ。持って帰って存分にときめいてね、止めないわ。
それでは皆様、
♪ババンバンバンバン、は、ビバロンロン、ババンバンバンバン、は〜あ、ビバビバ、
♪ババンバンバンバン、初日の出拝めよ! ♪ババンバンバンバン、お雑煮食べろよ! ♪ババンバンバンバン、初詣しろよ! ♪ババンバンバンバン、今年はご愛顧どうもありがとうございました。
むぁた来年〜〜!!!
(↑今年初頭からずーーーーっと温めてた長期保存一年一度今月今夜限定の大晦日しか言えないネタ(笑)。無事言えて良かった(笑)。)
来年もよろしくお願いします!
どちら様も良いお年を!
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続・解散は正しかったか。 |
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解散においても何よりも最優先で考えなければならなかった事は、野田氏本人自身が言っているように、国賊自民が政権につくような事態の回避だ。まして今回のような圧勝なんぞはこの国にとってのこれ以上ない”悪夢”であり、何が何でも阻止しなければならない至上命題だった。
しかるにこの男は、最も行使してはならない時にそれを打った。
これは結果論ではない。事前に容易に想像がつくことだからだ。以下その説明だ。
解散時期が遅れても民主の惨敗はどのみち免れなかっただろう。 しかし、今回の不意打ちと違ってある程度第三極が立ち上がっていれば、もっと第三極が躍進していた事は想像に難くない。最もうまく運べば、第三極の躍進によって自公と第三極が拮抗して、民主がキャスティングボードを握る可能性すらないとは言えなかった。
要するに第三極を利用して自民の勢いを削ぐという戦略であり、仮に第三極が四分五裂しても自民の絶対数は減じることから意味は十分にある。 党利党略を超えて少しでも日本の未来を慮る能力があるなら、その程度の発想はあってしかるべきだが、そんな戦略も戦局を見る目も野田氏には全く存在しなかった事はもはや自明だ。したがって、
野田氏「来年1、2月も考えたが、年を越せば(結果は)もっとひどくなる。年内にやるしかなかった」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000225-yom-pol
というのは全くの見当違いだ。
各党に自らの主張をしっかり掲示させ、国民にその主張をしっかり吟味させるという意味でも正しい−−−−ま、ここの部分は、どのみち思考なんかない国民なのでたかが知れてたかもしれんが。
そして野田氏の罪はこの時期の致命的な見誤りに留まらない。
唐突な解散に先駆けて、TPP前向きに言及するという念の入れようだ。率直に言って
バカだろ。
あれでなけなしの農家の票も全部逃げたわ。どこまで自党惨敗に念入れてるんだ、この男は。
こうした戦局を冷静に見極める目も全く備わっておらず、また外遊直前の解散であった事を考えれば、最も直接的な動機が、自らの追い落としを図る勢力によるクーデター阻止にあったと見られても仕方ないだろう。 その事を思えば、自らの嘘つき呼ばわり回避のためという幼稚極まりない理由とあわせ、全くの保身のために解散という公権を行使したとの謗りは到底免れない。 結局党の事しか、あるいは自分の嘘つき呼ばわり回避しか頭になかったからこんなトンデモ解散が打てたと言う事だ。
「個人的に追い込まれて解散した。私は“自爆テロ解散”だと思っていましたが、その通りになった」とは田中文相の言だが、率直に言ってテロにもなってない単なる自爆というのが今回の解散の真相だ。それだけ見ても野田氏が政治の目も読めないボンクラなのは自明だ。
ボンクラ呼ばわりして何が悪い。 今回の解散は、解散権という伝家の宝刀の使い方も知らないバカ殿が、政敵の巧言にうまうま乗って本来それを抜くべきでない時にそれを振り回したに等しい。熟慮のすえの決断なんぞとは対極のものだ。 勿論、最も極悪極まりないのは、強請りのような手口で総理の解散権に介入し、解散に突っ込ませた国賊自民であり、また偏向報道を憚りもしない逆賊自称メディアや、それを鵜呑みにして、自民に投票するような思考停止の鶏頭国民にある事は言うまでもない。 田中文相の「人の土俵に乗った」はまさに正鵠だ。今回の惨敗は、まさに相手の術中にはまったがゆえのこれは完全な”人災”だ。
言っておくが掲示板やブログの履歴を辿れば歴然のように大飯までは一貫して民主を擁護してきた立場だ。 逆賊自称メディアの尻馬に乗って、原発対応に関して菅氏を批難したことも一度もない。 今回の解散はその私でもここまで吠えざるを得ないほどの、バカだとしてもあまりにもバカが過ぎると言っているだけだ。考え抜いたすえの選択とは到底呼べない。
同じ負けるにしても負け方が非常に大事だった。実際今回のような自民圧勝と第三極が相応に躍進していたケースでは、月とスッポンくらの違いはあった。
野田氏は最もしてはならない時に解散を打ったという事実は動かない。
結果、死屍累々。
万死に値するわ。
野田氏が要求される首相としての資質に全く足りていなかったことは歴然であり、その誤った判断は本来残されるべきだった日本の可能性に鑑みてどれほど糾弾されてもされすぎることはない。
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解散は正しかったか。 |
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いつも拙ブログにお越しくださりありがとうございます。 さっき気づいたのですが、いつのまにかご来場者様が一万人突破!今頃べっくりワタワタしているワタクシですが、いやはや本当にありがとうございます〜〜は〜びっくりひた…ワタワタ。 ふ、ふつつかなブログではございますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします〜(ペコリ!)。
さて二週間にわたって政治について語ってきましたが、今日はそのシメとしまして、ちょっとだけ政局についてひとくさり。
政局と言えば、 四国デマ新聞が重用(笑)している某後藤謙次のように、政局こそが政治!(笑)と思い込んでそれしか理解できない自称政治専門家が巷には多数散見されますが、そゆのは読むだけ皆様の貴重な時間と労力の無駄ですのでにこやかにスルーくださいませ。
さて前振りが少し長くなりましたが、本題です。
タイトル、
解散は正しかったか。
答えは |
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脱原発・脱利権・脱ムラ社会のための選挙に。 |
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今回の選挙ほど、日本の民度及び日本社会の成熟度が問われる選挙もほかにない。 同時に利権囲い込みアメリカの犬ムラ政治と決別し、大多数を占める真に持たざる者のための政治を選び取れるかの正念場でもある。 まさに日本が伸るか反るかの大分岐点だ。 投票するにあたってのポイントをいくつかまとめてみた。
項目は、
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【衆院選】私の検証 第三極編 |
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【維新】 経済対策における維新の主張は、一見自民等と一線を画するようにも見えるが、市場の飽和と地球のキャパという外部要因の制約を度外視して市場原理を過剰に評価していると言う点で自民と同じ右肩上がりの幻想に囚われているように見える。 それは日本独自の国内事情も勘案せずなんでもかんでもアメリカ式にすれば事足れりとばかりに小泉政権においてアメリカ式競争市場主義導入の最大の首謀者たる短絡竹中氏をブレーンとして重用していることからも伺えるが、過剰な競争原理主義が、格差是正に奏功するどこりか、その矛盾が一直線に弱者に皺寄せし、格差を拡大してしまう事は小泉政権で証明済みだ。 「みなさんには貧しくなる自由がある。何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」 とは竹中氏の言だが、この言葉からも伺えるように、競争から脱落した者はあくまで自己責任による敗者であり、そこに富の再分配のような視点は微塵も見られない。 こんな言葉を吐く竹中氏に、小泉改革の反省があるようにはとても見えない。
誰もが好きで貧乏をやっているとは限らない。中には生まれつきハンデがあったり、そこまで明確に認識できるようなハンデはなくとも家庭の経済事情等でどれ程努力しても貧乏せざるをえないケースもあり得ると言う事を理解しているとは思えない。
全員が同じスタート地点に立っているわけではなく、また構造不況という言葉があるように、どれほど働きたいと思っても職にありつけない事すらあるのに、そのあたりへの目配りがあるようには見えない。 構造的に人員が余剰するならどれほど努力しても雇用の絶対数から漏れる底辺の弱者を生み出してしまうのに、その結果を全て自己責任に帰すのはあまりにも雑で乱暴な議論というものだろう。 また、市場原理をユニバーサルサービスあるいは社会福祉の分野にまで適応すれば、訪れるのはコスト削減至上によるユニバーサルサービスの不全だ。
過度の競争原理の導入は、弱者切捨てになりかねない。何でもかんでも市場原理を持ち込めば、弱者は生き残れない。そして、弱者を切捨てることによって仮に数字上の経済が好転したとしてもそれが日本のあるべき姿だとはとても思えない。 社会的弱者の固定は、自暴自棄や暴発を招きかねないという点で、社会的コストの面からも見合わない。 リーマンショックを引くまでもなく、グローバリズムと市場原理に過度に依存する事がどれほど危険かの認識もなく、このような富者から貧者への目配りが完全に脱落した論理の持ち主が、日本を真の発展に導けるとは私は思わない。 経済対策については、過度の競争原理に頼るよりも、福祉の拡充によってセーフティネットの充実に主眼を置く民主の方向性のほうが、地味ではあっても日本に必要な堅実性だと私は考える。
この経済政策に象徴されるように、維新の主張を聞いていて一番気になるのは、それらが自民同様、「強者の論理」になりかねないリスクを孕んでいる点だ。 TPPにせよ原発にせよ需要喚起型経済政策にせよ、一歩間違えれば弱肉強食の弱者切捨てに繋がりかねない。 橋下氏はおそらく否定するだろうが、それは自民の利権体質と通じかねない部分を潜在的に持つという事だ。 ちなみにその竹中氏にまつわるりそな銀行に関する、インサイダー取引だが、植草氏の痴漢事件は冤罪だという噂もある。 資本主義そのものの是非が問われようとしている今、そんな経済政策が先見あるものとは思えない。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1244603967 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4620316466/ref=sr_11_1/503-5876633-4395915?ie=UTF8 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552018716&sid=552018716&tid=a4ja4bda4ja5a4a5sa55a5a4a5c0a1bc5bf9v&mid=1&first=1 http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7bfea938ee76eb3f78fc665f3c872ef9 真偽の判断は各人に任せるとして、実際に小泉改革に代表される一連の自民の政策に障壁になる人物が次から次へと闇に葬り去られているのは事実であり、小沢氏もまたその象徴でもある。 こんなきな臭い人物を重用している時点で、どこまで地に足のついた経済対策が可能なのか、という胡散臭さは払拭できない。 橋下氏は確かに、批判一辺倒ではなく自ら解を模索する実際的な知恵、野田氏と異なり批判を恐れず物を言う度胸、そして党利党略のためなら国債特例人質戦略をも辞さない国賊自民などとは一線を画した分別の持ち主だと思うが、反面、TPPにも見られるように喧伝されるグローバリズムの効能を鵜呑みにしてその裏を見ることができないところ、それから最後の粘りに欠けて変節が過ぎる部分が気になる。
大飯の再稼動における二転三転はまだ記憶に新しい。 せっかく電力会社間の相互電力融通にまで踏み込みながら、突然主張を変えれば、面倒を避け日和ったと取られても仕方がないだろう。 あの程度で利権にくじけているようでは、利権が跳梁跋扈する国政の変革なんか無理ですわ、ムリ。 そんななまっちょろい覚悟で海千山千の利権とは渡り合えるものですか。今の民主同様、体よく利権に丸め込まれて気づけばそのパペットにされるのがオチだわ。 選挙戦においては橋下氏はちょっと組む相手を間違えましたね…石原氏の意気は私も素晴らしいと思いますが、原理の全く違うこの二人が組めば、維新の維新たる所以の否定に繋がりかねない。 そしてその野合以上に、未来の登場以降、いくら第三極の票の潰し合いが死活に直結するとはいえ、その未来相手に原発利権ご用達のようなバッシング一辺倒になっているのが非常に残念だ。 橋下氏 「10年後に原発ゼロなんて絶対無理。」 既得権益打破を党是とする貴方がまるで原発利権の手先のような事を言ってどうするよ。 脱原発に関しては、大飯の再稼動で自明のように再稼動への原発利権マフィアからの圧力という向かい風が常に吹くなかに立つ覚悟が何より必要なのであり、少しくらいの再稼動はいいだろうとか、じっくり議論をなどと言っていたのでは絶対に達成困難だ。
仮に未来等脱原発派が政権を取ったとして、今から10年後に果たして脱原発が実現できているかどうかはその時になってみないと分からない。 しかし、福島第一事故にもかかわらず依然として利権の手先となって続原発を指向する国賊自民や「脱原発なんか絶対無理!」と最初から匙を投げる維新が政権にあるよりそれに近づく事だけは確実だ。
大事な事は目標に向かって死に物狂いでまい進する覚悟であり、どんな逆風にあおうと、目標を定め、工程表を組み、一歩でも脱原発に向けて努力することこそ、今政権につく者に最も求められる姿勢であると私は考える。 この選挙で脱原発を謳う事は、その決意宣言に他ならない。 全てはそこからしか始まらないし、断固たるその決意なくして脱原発はできない。そして脱原発は福島第一を経験した私達の世代で絶対に実現しなくてはならない、先送りしてはならない命題だ。 ゴルバチョフ氏はソ連で絶対できないと言われていた改革を成し遂げた。
先程も述べたように、今から脱原発に舵を切って本当にそれが達成されるのがいつになるかは、未来を待つしかない。 しかし最初から無理だと結論を先行させてそこへ傾けるべき努力を放棄するような真似だけは絶対に許されない。
ちなみに、
橋下氏 「10年後の脱原発は無理。10年後の火星旅行と同じくらい無理。」 本気で取り組めば10年あればできるんじゃないかしらね?火星旅行。 やるかやらないかは別として、技術的・理論的には十分可能だと思うんですけど。あとは人間というフラジルがその環境に耐えられるか否か(特に心理面)の問題だけで。 確かどっかの砂漠だかで火星旅行に模して外界から隔絶された閉鎖空間で長期人間が生活できるかの実験が既に行われてるんじゃなかったかしら。 実際に火星旅行が実現した暁には是非とも潤沢な資金と原発持たせて真っ先に原発利権どもを火星に島流しにしていただきたいわ、もちろん、 片道切符で。 推進派にはカネと原発さえあればあとは何も必要ないんですものね。
ま、脱原発派の皆様は、火星旅行に比べりゃ、ということで死に物狂いでやってほしいです。 -------------------------- 【共産】 前々回衆院選だったか、ようやく共産の姿勢が注目を浴び、まさに躍進しようかとした時は、公明の徹底的なイデオロギーバッシングで不発に終わったが、あれは、公明が宗教団体を母体にしながら、敵対勢力に対してどこまでアコギであざといかを知らしめるものだった。何だよ、「そうはいカンザキ!」って(笑)。 ま、それはともかく原発にしても震災前後で首尾一貫している社民や共産はもっと評価されていいと思う。 後で未来のところで詳述するが、アメリカと財界言いなり政治からの脱却にしても主張していることは極めて真っ当で正しい。 ただ問題はやはり政権担当能力だ。 原発や反増税も勿論大事だが、本気で政権を担う覚悟があるのなら最大の懸案である外交をどうするか、特にアメリカとどう渡り合っていくのか、そこを徹底的に語る必要があるように思う。 -------------------------- 【新党日本】 仮に直接選挙で首相を選べるなら、首相に推したいのがこの新党日本を率いる田中康夫氏だ。 ベーシックインカム(※)といい、各党の主張を聞いていて、最も先見性があり、また具体性・理論的な裏付けを持ってると感じるのがこの新党日本の主張だ。
田中氏 「今こそ過去の成功体験という固定観念を打破し、的確な認識、迅速な決断、明確な責任を併せ持った政治家、指導者が信念と行動力で日本の再興を成し遂げなければならない。」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121204-00000064-jij-pol
実際に政権を担った事がないので、「明確な責任と行動力」の部分は未知数だが、「固定観念を打破」し、「的確な認識」、そして「迅速な決断」については、確かに頭の回転も速く、物事の本質を把握し、対策を模索できる能力もあって一目置くに値する人材だと思う。 汚染エリアの棄県についても、混乱を恐れず忌憚なく語っているのはこの田中氏だけだ。 廃炉作業を公共事業にという考えにしても、原発に依存せざるをえない地元の事情を逆手に取った非常に優れた発想の転換と言えると思うが、ただ通常の公共事業と異なり被曝というリスクがある点をどうするか、あるいは、果たして必要なだけの雇用を満たす事ができるかどうか、そのあたりをもう少し詳しく聞いてみたいところだ。
残念なのはこうした才走るタイプにありがちというか、一匹狼気質というか、数を集めて何がなんでも政権を取って、という欲が見えないのがいいところでもあり悪いところでもあり…。 民主政治において数は力であり、一匹狼ではやれる事は限られてしまう。 そのあたりをどう考えているのか。
どちらかと言えば小沢氏には田中氏を担いでほしかったかな…まぁ、田中氏が蹴るかもしれませんが…。
妥協できる点は妥協して、一大潮流を作ってほしいものだと思うが、ブティックもたまには商店街挙げてのセールに参加しないとね。
※ベーシックインカム http://www.youtube.com/watch?v=yhef6c7elKY -------------------------- 【日本未来】 党を割った時は豪腕小沢氏ももはやこれまでと思ったが、やはり長年政治の世界にあっただけのこたある、ただでは起きないな。 党を割るべきではなかったという私の考えはいささかも揺るがないが、この目のつけどころはさすがだな。 嘉田氏には行政経験もあり、粘りもある。女性の視点が時代の要求となっている点からも適任だと思う。
小沢氏の傀儡との声もあるが、そこまで小沢氏を警戒する必要もなかろうと思う。選挙が政治と思い込んでいる時点で前時代のレガシーである事には変わりはなく、例え未来が躍進したとしても小沢氏は選挙参謀に徹するべきというのが私の意見だが、いかな豪腕とはいえ、ここまで合従連衡を繰り返せば、さすがにこれ以上の焼き直しはおのずと自重せざるを得ない抑制が働くだろうし、そもそも方向性さえ間違っていなければフランスのように人格二の次で使えるものは鍋でも釜でも使えばいい、黒幕であろうが傀儡であろうが、その方向性さえ正しければ問題ない、というのが私の考えだ。 政治に人格至上を求めれば、嘘つきと呼ばれたくないがためだけに同志の寝首を掻いて衆院を解散してしまう野田氏のようなバカを大量生産してしまうだけだ。
最も問われるのは政治を動かす力量と、真に国民のほうを向いた政治ができるかであり、その点小沢氏は大きく間違ってはいない。
福田政権時大連立を模索したのも小沢氏なら第七艦隊以外の米軍不要論に言及して、アメリカの不興を買うほどの自律ある外交を模索したのも小沢氏だ。
小沢氏 「_国民主権の政治をもう一度取り戻す!」 http://www.youtube.com/watch?v=YqLOxj1H3p8 http://www.youtube.com/watch?v=uMQMzCZkWgM
その小沢氏が中世の魔女狩りよろしく自称メディアの誘導のもとにここまで徹底したバッシングを食らい続け、アメリカの犬である検察に絡まれたのも、小沢氏がアメリカの犬となる事を拒んで自律を指向したためと見る事もできる。
第七艦隊についての言及はその象徴だ。 小沢氏 「アメリカのプレゼンス(存在感)は、私は必要だと思っております。それはおおむね、第7艦隊の存在で十分じゃないかなと」(2009年2月25日大阪市内にて) http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/03/post-2db6.html
「小沢さんは、「日本は自分で自分を守る」「米軍基地は出て行け」といっているのであって、それでは「日本を守ってやるからありがたく思え、隷属しろ」という押しつけが使えないわけです。 」 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201205/article_112.html
大連立は短絡的な世論によって潰され、小沢氏が思い描いた自律的外交も濡れ衣も甚だしい起訴等によって未だならずだが、今や連立は選択のひとつとなり、小沢氏無罪は、検察の偽証というオマケ付であり、後から見れば、彼のやって来たことは概ね正しかったことは歴史が証明するところだ。
四国デマ新聞を始めとする自称メディアが書き立てているように政界の大黒幕なんかでなく、異常だったのはその偏向魔女狩り報道にまい進したほかならぬ自称メディアだったということだ。
「誰もがこの時期に小沢氏の公設秘書を逮捕して自民党関係者には手を付けていないことに、絶大な不信の念を持ち、検察が小沢氏個人を狙い国策捜査を発動していると考えている。」 http://richardkoshimizu.at.webry.info/201205/article_112.html
ついでに静香ちゃん。
誰も知らなかった亀井静香 (+村山氏の器の大きさと功績) http://www.youtube.com/watch?v=sQWYAk7bhSc
小沢一郎氏を自称メディアが叩けば叩くほど本当はいい人かもと…思う人が増加(あはは)。 http://www.youtube.com/watch?v=AT14UF1030M
これまでの不当極まりない扱いを考えれば遅ればせながらの感はあるが、いい傾向だな(笑)。 間違っているのは明らかに自称検察であり自称メディアだ。そしてその異常は、真実はメディア主張の対極にこそあると言っていいほどの甚大さだ。
離党にしても、小沢氏離党の際にも書きましたが、消費増税に見るように変節したのは執行部だという小沢氏の主張は一理ある。 第一、クーデターで政権を乗っ取っとりでもしたんならともかく、数を恃んだ奢りがあったとはいえ、政権交代の最大の功労者でありながらツンボ桟敷にした執行部にも当然問題はあるのであり、追い出される前に自ら党を出た、あるいは追われるように党を出た、と見る事も可能だろう。
小沢氏は、脱原発先進のドイツの視察にも行ったそうだが、未来の綱領に「東電は破綻処理し国の責任で対応」とある。これは原子力マフィアという既得権益に真っ向からケンカを挑んだ対決姿勢と取る事も可能だが、少なくとも初めから続原発で織り込み済みの自民や、再稼動や着工済み原発の建設続行を認める民主等とは一線を画するものだ。 そしてこの覚悟なくして脱原発はありえない。
小沢氏脅威論未だ健在だが、小沢氏が党を牛耳るというのは杞憂だ。最初に書いたように小沢氏もこれまでの合従連衡の遍歴で懲りている部分も少なからずあろうし、残念ながらそんな余力はもうほとんどないだろう。実際同世代の政界引退が珍しくなくない年齢だ。政治の舞台を下りる前になんとか国を誤らないよう布石だけは打っておきたいというところだろう。
そして嘉田氏。
嘉田氏 「重い責任を感じることなく経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い地球倫理上も許されない。皆さんはなぜそんなに小沢さんを怖がるのですか。 私は国の為に小沢さんの力を活用して行くつもり。 小沢さんを使いこなせなくて官僚機構を変えることなんかできません。」
いい根性だな(笑)。さすが火中の栗を拾うだけのこたある。しかり、小沢氏を尻に敷くくらいでなければ国政なんか動かせない。
嘉田氏 「関西電力と国から脅された」 http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004481
利権の脅威を身を以って知っている嘉田氏ならではの視点も存在するだろう。
そんなこんなで嘉田未来には大いに期待したいところだが、巷で言われるように政権交代時の民主の焼き直しの感がある事は否めない。 官僚組織については、排除して失敗した民主を教訓に使いこなす才覚が必要だろうし、既に指摘されているように財源をどうするかを徹底的に詰める必要があるだろう。ただし、
「富裕層と大企業の内部留保に1.8%課税するだけで消費税増税は中止できる」 http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11389022577.html
という試算もある。確か今の日本は、構造不況で生活保護が急増する一方で、資産100万ドル以上の富裕層が300万人だかいたんじゃなかったっけ。あながち荒唐無稽とも思えない話だ。
TPPも合法的植民地化にほかならない。
今回の選挙で各種争点以上に重要なのは、その各種争点の優先順位だ。
最も大切なのは何か。どこに最大の価値を置くか。
その点で、あえて経済・景気対策のうえに脱原発に据える嘉田氏はその序列を見誤ってはいないと思う。
原発を動かせばそうでない時に比べ多少の利益はあがるかもしれない。
しかし命は育たない。
目先の利益に囚われない地に足のついた女性の視点が今ほど必要な時はない。福島第一事故を経た日本に今最も必要なのは、この目先の利益のみに囚われない、あるいはそれを超えたところにある本当に大切なものを見誤らない女性の視点であり、乱立気味の政党のなかで市民感覚に最も近いのは、やはり女性である嘉田氏率いる未来だと思う。
経済効率のためには何でも許されると信じて疑わない傲慢に委ね、一時の快楽に耽溺するのか。
それともその”おいしい利益”の誘惑を振り切ってでも命や安全に目を向けるのか。
問われているのはまさにそこだ。
平時の時こそ、最悪を想像する想像力が大事になる。それはすなわちあの大震災直後を思い起こす事に他ならない。 経済も金ももちろん大事だが、全ては命と健康あってのモノダネだと言う事を、健康な人ほどそれを失念しがちだ。 「経済とか景気とかもうどうでもいい どんなに質素でもいいからまともに呼吸したり食事したりできる最低限の生活ができる国を残してくれ。」
あの時、心の底からそう思ったのなら、その思いにこそ立脚すべきである。
それを見誤って利権に権力を渡せば、早晩福島第一と同じ過ちを繰り返す事になる。 そして次回誤れば、そこにあるのは日本の終了だ。
目指すのは、脱原発や卒原発の向こうにある滅原発だ。 原発のインフラのみならず、原発利権と言う怨霊を解体しなければ、解体され滅ぶのは人と国だ。 この国の将来があるか否かは、の大分岐点であり、方向を誤ることは致命です。
日本はもう一度原点に立ち返って国を創めなくてはならない。未来については、原発マネーを失いたくない利権はもとよりそのおこぼれに与るマスコミの反発も強まるだろうが、柳に雪折れはない。 嘉田氏にはメルケル氏どころか卑弥呼になって国を導いてほしいところだ。
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【衆院選】私の検証 民主編 |
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次に民主だが、民主のこの三年が公正な評価を受けているとはとても思えない。 確かに民主のこの三年は、まごつく場面や方針のふらつく場面が多かったのは事実だ。しかし、長期自民政権ののち、ようやく実現した戦後日本最初の本格的政権交代であり、二大政党政治の布石としてはこんなものかなというのが個人的な印象だ。
国賊自民や四国デマ新聞をはじめとする自称メディアは、民主の欠点しか挙げないが、民主が国政に寄与した面が全くなかったわけでは当然ない。また、それが感情的な判断が暴走しがちなこの国の世論において妥当な評価を得ているとはとても思えない。
そのいくつかを取り上げてみる。 野田氏が今言及している高校授業料無償化等のほかに、昨夏円高時における菅氏の海外投資の呼びかけを挙げることができるだろう。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121105-00000597-san-bus_all
菅氏のこの方針は窮を利に転ずる機転であり、ちなみに履歴を繰れば、私が掲示板でこれを指摘したのが昨年の8月7日なので、もしやそれを受けたのか?という疑問が残るのはご愛嬌(笑)だが、ま、とにもかくにも打つべき布石は打っているということだ。 M&A等は即効性はなくとも後で効いて来る”遅効性の薬”であり、少なくとも、この時の円高の主因はユーロ等の海外事情にあったにもかかわらず、例によって自らは何の知恵もなく、あたかも全ての原因が日本政府にあるかのごとく糾弾するだけだった無能自民や自称メディアどもよりはるかにマシなのは言うまでもない。 当然というべきか、先程書いたように私が掲示板でこれを提起した8月7日以前に円高を逆手に取るという政策に言及したメディアは私の知る限り皆無だった。
教育においても先述の高校無償化以外に、田中文相が物議を醸した大学許認可問題を取り上げてみたい。 この時の騒動の本質的な問題点は、田中文相の資質などでは当然ない。長期自民政権下で型どおりに申請さえすれば許可がおりるような、完全に形骸化していた旧来の許認可制度にこそ、その問題点は存在する。
岡田氏も指摘していたように、一旦下りた認可が取り消されたのならともかく、まだ正式認可も下りてないうちから、建物が建ち、生徒を募集しているほうがおかしいのであり、それは許認可制度が形骸化していることの何よりの証拠だ。
どう考えても問題があるのは、正式認可もされていないうちからそれを織り込み済みにして行動する大学側の拙速にこそあるのであって、申請した大学側が自らの拙速を棚に上げて田中氏を批判する資格があるとは思えない。
個別大学と国では当然視点や判断事由が異なって当然なのであり、大学側は、おのれの経営だけ考えればいいが、国は、それら個別の視点を超えて他大学との配置バランスや少子化による需給バランスを俯瞰しつつ、許認可を判断するのはいわば当たり前であり、判断が大学側の要求どおりにならないからと言って大学側が批判できる立場にないのは明白だ。
この本質的な問題点を抜いて、あの騒動の全ての原因を田中氏の資質に帰結するような自称メディアどもの報道こそ、ムラ八分の精神に由来する論理的思考の欠落した感情論の極みなのであり、メディアが如何に無能か、あらためて知れようというものだ。 NHKはニュース7で、田中文相に謝れと述べている学生を取り上げていたが、もはやワイドショー的視点でしか政治を見る事ができないNHKはもとより、それら自称メディアの報道を鵜呑みにしているこれらの学生こそ、自らの皮相をこそ省みるべきだ。
復興費の問題にしても、政府は言わば”性善説”に立った”被害者”と見る事も可能なのであり、何故政府が批判されなければならないのかよく分からない。 勿論相応の監督責任はあろうが、最も責められなければならないのはどさくさまぎれに復興予算を掠め取ろうとした者たちではないのか。 これについては罰則を設けて、後日使途が妥当でないと判明した場合は、課徴金を加えて返還させるようにペナルティを与えばすむ話だ。 そもそも、逆に精査を厳格にすれば、その分、復興費の配分は遅れ、今度は本当に必要な所に金が回らないという逆の問題が出ることは、ちょっと考えれば容易に想像がつく話だが、一面的な思考では誰よりも抜きん出ている自民や四国デマ新聞をはじめとする自称メディアどもには想像もつかない話らしい。
民主の震災対応、特に福島第一原発事後対応については相当の批判があるが、 ある日突然、これまで人類が経験したことのない、へたをすれば日本のみならず世界が終わりかねないまさに未曾有の過酷事故に見舞われ、現場は大混乱し、東電はこの期に及んで原発延命を企図し、その東電経由でなければ情報すら満足に上がってこない。 そんな切迫したギリギリの状況のなかで、一体誰が、どんな、ひとつの瑕疵もない対応が取れたというのか、自らが当事者でないのをいいことにあの伸るか反るかの一大事に、野球観戦のヤジよろしく、政府バッシング以外の何もしなかった国賊自民や自称メディアども及びそれに付和雷同した人々に是非とも聞いてみたいもんだわ。
福島第一対応においては、情報が営利企業である東電越しでないとあがらないことが致命的だった。それでなくとも核のシビアアクシデントは、「何が起こっているのかすら正確に把握できない」という悲観的な特性を本質的に有するのであり、何が起こっているのかすら正確に把握できない状況下では、状況判断のもとになる情報収集の段階でまず躓いているのだから、官邸がどんなに実効性ある対応を取ろうと思っても、菅氏でなくてもまず無理な話だ。 それをあたかも初動にあたった菅政権に全ての問題があるように罵倒し倒したのが、国賊自民であり、自称メディアどもだが、事実デマで鳴らした四国デマ新聞などは、菅氏を人格異常者呼ばわりまがいの報道をした当時の異常を未だ振り返りすらしない厚顔だが、時系列を俯瞰してよくよく見れば、福島第一破綻の最大の責任が、この地震列島に原発を乱立させ利権となあなあで杜撰な管理に留め続けた自民に帰する事は明々白々だ。
それすら理解できないのであれば、物事の因果を考察し、判断を下す事はまずまず不可能であり、感情まかせの投票を行うくらいなら白票でも投じたほうが世のため人のためだ。
少なくとも現場に介入してでも東電の全面撤退を食い止め、国賊自民をはじめとする野党・デマとバッシングを社是とする四国デマ新聞をはじめとする自称メディア・各監督諸機関・東電を始めとする原子力利権村・これに付和雷同するネトウヨの異常さをあぶりだした点は、菅氏の功績と言える。実際彼に相応の評価をしている海外メディアとのギャップは、国内メディアの異常さをこれ以上なく明確に示すものである。
他の人間でも対応が困難なケースというのは極めて多い。そして福島第一はまさにその典型だった。
福島第一だけでなく事象の考察においては基本的に言えることだが、大事なのは、自分あるいは現当事者以外の人間が当事者だったなら、果たしてそれ以上の対応が取れたか否かを冷静に検証する思考だ。 それが問題を自分のところまで降ろして考えるということであり、それ抜きなら何でも言えるのは、震災後の国賊自民や四国デマ新聞をはじめとする自称メディアの有り様を見れば自明だ。
人格にまで及んでバッシングを行った国賊自民や四国デマ新聞等の自称メディアは、でも、自分ならどのようにひとつの瑕疵もなくあの過酷事故を収束できたというのか語ってみるがいい。 ちなみにこの福島第一に関しては、震災時、仮に政権が自民であれば、民主と同程度の結果どころか、癒着東電の言いなりのまま全員撤退で今頃日本は終わっていただろう。 利権ズブズブの自民が政権になかったのは、不幸中の幸いだった。
普天間もまた、その「誰がやっても難しい」の典型だ。
確かに、一旦基地の県外国外移設を口にした手前、引っ込みがつかなくなってしまった部分があるとはいえ、腹案などと言う言葉を弄した鳩山氏は軽率の謗りを免れないが、では他の誰かならどうにかなったのか。
自民の時に波風が立たなかったのは、自民が民主以上に、沖縄の声に耳を傾けより真摯にその解決を模索したからではもとよりない。
むしろ逆だ。
沖縄の声の無力を良い事に、これと正面から向き合う事なく漫然放置し、聞く耳を持たない事、民主とは比較にならないほどの徹底だったがゆえに、人々は声を挙げることすら最初から放棄するほどの無力感に陥っていたというのが真実なのであり、黙殺という目に見えない重石がどれほど重かったから、その事実だけでも知れようというものである。
沖縄の問題は表面的な平穏を以って問題がないと判断する事はできないという事例の典型でもある。
民主における沖縄の声が敢然大きくなったのは自民政権下で全く動かなかったその重しが軽くなったゆえの部分は相当にあるが、それらを指摘するメディアはひとつもない。 自称メディアの自称メディアであるゆえんである。 大事なのは、原因と結果の因果が、必ずしも一目瞭然にあるいは一直線に見える形になるとは限らないということを認識する事にある。むしろ、様々な要因が輻輳して問題の因果が見えにくいほうが一般的なのである。 多くの要因が錯綜すればするほど、打ってもすぐに響いているとは限らないという認識を常に念頭に置く事が肝要だ。
以上、政権交代によるメリットもあることを見てきたが、問題がなかったわけでは勿論ない。 政権交代で民主が何よりもなさなければならなかった事は、自民超長期政権のもとでこれと癒着することによって利権という構造を作り上げた既得権益者の「大きな声」にともすればかき消されがちであった無力の々の「小さな声」を丁寧に掬い上げ、富や権力の偏在を正して、それらの声に応えることであった。
民主党政権の最大の問題点は、個々の政策の到達率以上に、既得権益から逸脱した人々の小さな声を拾うべき期待を受けて政権の座についたにもかかわらず、政権交代や大震災後の混乱のなかで、知らず知らず大きな声の言いなりになってしまい、かつ、その事実を正しく認識できなかった鈍感さにある。
原発利権や経団連という「大きな声」を鵜呑みにして、大飯の再稼動はその象徴だが、常識を疑い、それに囚われることなく最善の手を打てない野田氏の限界を露呈するものでもあった。
しかし、民主が掲げる「コンクリートから人へ」、あるいは菅氏が述べた「誰もが居場所のある社会」というコンセプトそれ自体は間違っていないのであり、また、未だそちらに向かおうとする姿勢そのものはこの党から失われていないと私は考える。
少なくとも、何でもかんでもアメリカ式の競争原理を持ち込んで良しとし、結果的に個人の力では太刀打ちできないような構造的な経済格差を拡大・助長させ、にもかかわらず、それを自己責任に転嫁して事足れりとし、他方、社会の最後のセーフティネットというべき年金を杜撰な管理のままに放置し続けたような、そしてこれらの失敗から何も学ばず今また歯止めなき財政出動やゼネコン利権特化型のマクロ的経済対策を打ち出して憚らない利権単一指向性の無能自民に比べれば遥かにましだ。
景気対策においても、安倍自民の主張は、お金刷りまくりによる景気刺激という、財政規律も膨れ上がった借金もまるで眼中にないかのごときクレイジーさだが、不況なのは市中にお金がないからではない。お金は既にダブついているのであり、不足しているのはそれを循環させる仕組みに過ぎず、老後への不安が払拭されない今のままではどれほど供給量を増やしても将来への不安から消費に回さず貯蓄に回るのは目に見えている。 この点からも、社会福祉充実を最優先にする民主の指向は間違っていない。 自民の公共事業集中投資は、ゼネコンという利権が丸呑みしてそこに歩留まるだけ、喜ぶのはゼネコンだけという偏在と更なる借金の積み増しに鑑みても全く適当ではない。
にもかかわらず何故民主が相応の評価を受けてないのは、ひとつにはそれらの政策の効果が表れるのに相応の時間がかかるからである。
マニフェストに関して、達成率の低さが批判の的になっているが、わずか三年で、それも1000年に一度の大震災に見舞われたなかで、あそこに書かれた事を全部完璧にやれなかったから失格という姿勢はあまりにも硬直した杓子定規だと私は考える。
100点満点でないと一言一句でも達成できてなければ不可とするのか。 絶対ダメなのか。
75点でも及第とするのか。
仮に未達成であってもそれに至る努力やそれを阻んだ外部要因をどこまで勘案するのか。
それを思考するのがすなわち冷静というものだ。
個人的には公約の半分でも達成できれば御の字と思っていたので、達成率3割はそれに届かないが、その原因が全て民主のていたらくにあるとは考えていない。 むしろ実行不能に陥ったのは、実際に政権についてみなければ分からなかった部分が相当適度大きかった事、そして全く想定もしていなかった大震災や原発過酷事故、そして何よりもそれらの国難に乗じて足を引っ張る事に専念し倒した国賊自民ら外野に起因する部分も相当程度あると考えている。 特に、最後の外野の揚げ足取りは政権経験未知数部分や自然災害という不可抗力と異なり、故意であるだけに実際に政権にあった民主以上に悪質論外だ。
安倍氏らは東日本大震災の復興は進んでいないと盛んに批判するが、東北大震災の直前に発生したニュージーランドの復興すら道半ばだ。 これだけの大震災の復興が一年やそこらでなると考えるほうが異常だ。 また、早ければ早いほうがいいというものでもない。生活に必要な必要最低限のインフラは勿論スピードが大事だろうが、大震災を教訓に今後どのような街づくりをおこなうかといった部分は、じっくり時間をかけて検討する必要があるのではないのか。
マニフェスト違反と言われる増税にしても、富裕者層への課税強化と再分配機能の担保、そして社会保障への投資が担保されるなら個人的にはやむなしといったところだが、富裕層への課税回避や公共事業への投資可能等でそれを骨抜きにしたのは民主ではなく富裕層や利権という既得権益と一心同体の自民だ。
そして原発にせよ借金にせよ、その悪質極まりない揚げ足取り以上に斟酌しなければならないのは、数十年に渡る自民政権による”負の遺産”があまりにも大きすぎたという動かしようのない事実である。
仮にこの負の遺産がなければ財政のこれほどまでの重石も原発の破綻もなかっただろう事をこの際、あらためて認識する必要がある。 数十年に渡って瘧のように溜まった自民の大いなる負の遺産その全てが、たかだか三年で一掃できると考える人間がいるとするならば、そのほうがおかしいのだ。
原発デモについての投稿でも指摘しているが、旧弊が大きければ大きいほど、既得権益との軋轢も大きく、タイムラグも大きくなる事は、時系列で見る事と同じく、物事を思考するうえで不可欠の姿勢だ。
今日種を蒔いたからと言って明日花は咲かない。
しかし脱原発デモが大飯以外の再稼動を牽制し、また、脱原発が今回の選挙でひとつの重要な争点となったように、継続すれば、少なくともそれのない世界とは違う世界を創出する可能性を孕む。
時系列を俯瞰し丁寧に見ないと、物事の真相は見えてこない。 今は過渡期であり、変化に混乱はつきものだが、その混乱を恐れていてはいつまで経っても旧態依然から抜け出すことはできない。 ここで早くも痺れを切らせば過激な自民の旧弊に先祖がえり必定だ。そしてその代償を払うのは未来の世代という悪循環が繰り返される事になる。 耳あたりのいい言葉が必ずしも最適な解だとは限らない。
100点満点でなければダメなのであれば選挙のたびに、あるいはねじれの都度、政権交代が必要になろう。
だが、今日確約した事が明日実現できるなら、それは現実ではなく魔法だ。
政治に魔法を期待すれば、出てくるのは魔法使いではなくデマゴーグだ。
アメリカは改革道半ばのオバマ氏に未来を再度付託した。 それはアメリカの国民にこれら、政治を見るうえで必要な冷静な思考を持っていたからだと私は考えるが、このアメリカの冷静さこそ、ともすれば感情に流されがちなこの国に今最も必要なものである。 |
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日本人は鶏以上か? 【衆院選】私の検証 自民・唯一の取り得編 |
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そんな体たらくな自民にもひとつだけ人後に落ちない”取り柄”がある。 すなわち、実体を詭弁でくるみ、あるいは敵対する勢力にある者を人格に絡めたラベリングをして徹底的に貶めるその、盗人猛々しいと言うべき、ラベリング・レッテリング能力である。
自民・石原幹事長、脱原発を「集団ヒステリー」 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110614-OYT1T01205.htm
この地震列島に原発を乱立させそれを杜撰な管理の下に放置した自らの責任は知らぬ存ぜずで棚に放り投げ、自らの原発に疑義を呈することがあたかも「偏った」「異端の」とんでもない異常であるかのごとくラベリングするこの石原氏の言葉に象徴されるように、自民がこれまで一貫してしめしたレッテリング姿勢がいっかなもあらたまっていないのは、先の「嘘つき」「悪い人」を連呼し、とうとう衆院選に至らしめた手法を見ても自明だ。
卑しくも国政に参加する身でありながらこんな空疎で悪意に満ちた言論を弄して憚る事がない。その有様は、狡知にのみ長けたチンピラ集団のごとくだが、それがどれほど国政のあるべき姿を誤らせ続けたか、冷静に検証すべきだ。
言論において、仮に自民が政権につくような事態になった時に最も懸念されるのは言論弾圧・言論封殺だ。 以前官邸前デモについての投稿でも指摘した事があるが、これに付随してここで是非指摘しておかなければならないのは、政権が民主になって基地移設や原発にまつわって沖縄や官邸前デモで人々が声を挙げるようになったのは、自民政権がその民主に比べてこの上なく優れていたからではもとよりない。
むしろ逆だ。
それら市井の人々の声にまともに取り合わず、あるいは、それらの声を挙げる人々を異常呼ばわりして逆襲し放逐し続けたからこそ、人々は声を挙げる意味すら見出せない無力感に苛まれもはや声を挙げる事もなく沈静するしかなかったという事実を決して見誤るべきではない。
自民政権下、この国に満ちていた、どうせ声を挙げてもムダという国民の無力感それ自体が、自民のラベリングと草の根の声の封殺がどれほど巧妙でかつ徹底していたかの証なのであり、今回の藤村長官のミサイル発射に関して取り沙汰されているコメントについてもこれほど問題視されるようなものだとは私は思えない。
藤村氏のあの発言から「どうせ打ち上げるならば」という暗黙の但し書きがつく事は文脈から見て容易に想像がつくし、「さっさと打ち上げて欲しい」と言う言葉を以って、打ち上げを望んでいるとどうして取れるのか、むしろ不思議でならない。
止めて聞くような国でなし、時間が経てば経つほど経費もかかるし、労力も割かなければならない。第一官邸や自衛隊、そして通過が懸念される自治体ら前線は発射されるまでの間ずっと神経をすり減らしていなければならない。 どのみち発射が免れないのであれば、少しでも早く飛ばしてくれたに越したことがないと考えるのはごく一般的な所感ではないかと思うが、自民のように後ろからヤジを飛ばしてるだけの政党には到底理解が及ばないのだろう(笑)。
それとも自民や公明には、遅ければ遅いほどいい理由でもあるのだろうか。であればそれを語るべきだし、何でも強気に出れば国際問題は起こらないと考えているような単細胞の安倍氏だけに、自らの力で止められるとでも考えているのなら今すぐ自民・公明は北朝鮮に赴き直談判して断念させてみるがいい。
安倍氏及びそれに合唱して藤村氏の発言をとんでもない問題であるかの如く騒いでいる自称メディアどもはそれを語る義務がある。
そもそも藤村氏の発言を「打ち上げを望んでいる」と置換する自民や公明の読解力こそ問題視されるべきだ。であり、そもそも読解力以前に揚げ足取りの悪意に基づいた曲解である事は明々白々、一目瞭然だ。
そもそもだ。
このミサイル発射に関しては、金正日氏没後一年のこの時期、弔いセレモニーとして北朝鮮が何らかのアクションを起こす事は、少しでも北朝鮮の体質を知れば十分に想像がつく事だった。 そんな時期にわざわざ解散して虚を作った日本は、北朝鮮にしてみればまさに”渡りに船”だっただろう。ミサイル発射の対外的な最大の”貢献者”ともいえる。 であるなら、その責任は偏に、震災以降謀略姦計の限りを尽くして政府のこき下ろしのみにまい進し、かばかりか、とうとう野田氏を弄して解散にねじ込ませた自民にこそある。 まさに国益を度外視し、党利党略にまい進したこの党こそ、北朝鮮のミサイル発射に対して全責任を負うべきである。 民主の瓦解が問われて久しく、民主にも問わなければならない点は幾多もあるが、他のどの党よりもまず闇に葬り去られなければならないのはこの国賊利権政局自民党だ。
解散を先延ばしにした野田氏が嘘つき呼ばわりされるのならインフレターゲットを朝令暮改した安倍氏もまた票集めのための詭弁を弄して憚らない大嘘つきのペテン師だが、高村氏や石破氏は何故安倍氏を糾弾しないのか。
藤村氏の発言問題視もこの「嘘つき」も石原氏の集団ヒステリーも問題を巧妙にすり替え、相手の欠点にしようという詭弁に他ならない。
万一このチンピラ政党が再び政権につくようなことがあれば、言論の場において最も憂慮されるのは、自民政権時代にこの国賊自民が駆使した巧妙な言論統制や言論封殺だ。 その際に真っ先に犠牲となり淘汰されるのは、利益や私利私欲を度外視して本当に国を憂える良識ある国民であることを今一度認識する必要がある。 これまで見てきたように自民の勝利は声の大きな利権ムラ社会の勝利であり、それ以外の大多数の声は圧殺される。
強い無力感ゆえに声を挙げることすら最初からあきらめるような、デモも存在しないような時代に逆行するのか。
官邸前脱原発デモのように、混乱と徒労を怖れることなく、声を挙げ続ける事によって少しづつでも草の根の声が政治を変えていける真の民主主義を目指すのか。
今回の選挙はこの意味でも大きな意味を持つ。
鶏は三歩歩くとそれまでの事を忘れてしまうそうである。
震災後の国賊自民の挙動で日本人の心性がインドネシア人以下である事を図らずも露呈してしまったのは昨日書いたとおりである。
デタラメ国賊自民が政権に返り咲くような事があるならば、そのうち海外メディアの漫画で、意気揚々と闊歩するニワトリの姿をした日本人が風刺される日もないとはいえない。
果たして日本人は鶏以上だろうか?
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【衆院選】私の検証 自民・その挙動編 |
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そしてこの選挙における主張以上に問題にしなければならないのがこの党が何をやってきたか、の来し方、挙動部分だ。
戦後政治における自民の来し方がどれほどデタラメに満ち、本来最も国を憂える人々を駆逐して腐ってきたかについてはここでくだくだしく述べるより、孫崎氏の著書を一読いただいたほうが話が早いと思うので割愛するが、公設売春宿まで作ってプライドもGHQへつらいにまい進したのがこの政党だ。
「そんなこったろうと思った。」
『戦後日本の正体』を読んでの私の最初の感想であったが、政権あるいはその背後にある俗物どもが、如何にアメリカの御用聞きと堕し、あるいはこれを断じなければならない立場にありながら公正と中立という司法の魂を悪魔に売り渡してまさに政権の犬と化した検察と一体になって、真に国を憂い、アメリカの圧力に対抗しようとする人々に言われなき罪を被せて闇に葬り続ける事を生業としてきたかが、克明に記されているのであり、小沢氏裁判はその象徴である。
小沢裁判については稿をあらためて言及したいと思っているのでここで詳細には踏み込まないが一言だけ言及すれば、小沢氏の第七艦隊言及にも見られるように、アメリカの犬となる事を拒んだがゆえにこそ、ここまで敵視され続けなくてはならなかった側面は多分にある。そのカラクリが暴かれたのが一連の小沢裁判であり、強制審査を以ってしても無罪となったその経緯に鑑みれば、真の味方を国を挙げてバッシングしまくったというのがこの国の世論のあり方がどれほど異常か分かろうと言うものだ。 魔女狩りよろしく人格否定すら厭わないようなその有様は、もはや目を覆うばかりというような生易しいものではない。
孫崎氏の著書を見れば分かるように、戦後の政治を牛耳り続けたこの自民が主に傾注し、なした事は、米政権への阿り(おもねり)と我田引水のバラマキによる借金の積み上げ、そしてこれもアメリカの言うがままに原発を導入し、あまりにも杜撰な管理下におき、今の膨れ上がった借金と爆発した福島第一はそのあまりにも大きな負の遺産である。
この選挙期間中、安倍氏らがさかんに「古い自民党とは違う」と訴えているが、裏を返せば、本人自ら、これまでの自民党が、デタラメ千万でしたと白状しているしているようなものだ。 そして実際デタラメ千万だったのは上記の通りである。
それだけでも言語道断と言うべき体たらくだが、その狡からい利権ムラ揚げ足取りという基本的体質が少しも変わってないことを証明したのが震災後の挙動だ。 震災時この国賊自民が何をしたか。
あの大震災時、国政にあるものは与野を問わず、一致団結して挙国体制で対応にあたらなければならなかった。 しかし、自民を始めとする自称野党が専心特化したのは、対応にてんてこ舞いの政府の揚げ足取りと高みの見物、それだけだった。 例をいくつか挙げてみる。
菅氏が述べたのは2011年5月21日、複数の全国紙が、福島原発事故翌日の3月12日に、菅氏が原発への海水注入を「聞いてない」と止めさせ、結果としてメルトダウンが起こった、と報じた問題だ。 当時国のトップにあった菅氏の海水注入中断指示についてだが、
菅氏 「ある新聞社の知り合いから、『当時東電の広報担当者が新聞社やテレビ局を回り、菅が海水注入を止めさせた、という話をあちこちに言って歩いてましたよ』と聞いた」
しかし菅氏によれば菅氏自身はそのような指示は出しておらず、また実際には吉田昌郎所長が独断で注入を続行していたし、そもそも1号機のメルトダウンは事故当日の3月11日にすでに発生していた。
菅氏 「(菅氏に情報を伝えた)某新聞社は検証のためにいくつか取材して回ったところ、『どうも違うらしい』となって一切載せなかった。こないだのiPS細胞の森口(尚史氏)みたいなもんだよねえ」 http://www.j-cast.com/2012/11/11153437.html?p=1 (新宿ロフトプラスワンにおける独演会)
個人的には東電の全面撤退を阻止すべく現場にヘリで乗り込んだような菅氏が海水注入を中断する理由がどこにあるのか分からず、おそらく菅氏の言うとおりではないかと考えているが、仮にそんな指示があったとしても現場の判断で海水注入が続行されていたのは事実だ。
しかしそれを報道に先立つ形でメールマガジンなどで「万死に値する」などと批判を繰り広げていたのが当の安倍氏だ。「菅が海水注入を中断した」のデマ流したまさに超本人であり、混乱に乗じての自作自演はデマゴーグ以外の何物でもない。 そもそも震災直後の情報が錯綜している大混乱期のさなかに、真偽の定かでない情報を触れ回り、党利党略を図ること自体、悪逆非道と言うべきものであり、その悪辣さは糾弾に値する。 以降、これらの自民の”自作自演”や”揚げ足取り”は、「菅下ろし」に繋がっていくわけだが、菅氏が脱原発に動いたと時を同じくしてその動きが激化している事も見落とされてはならないだろう。
こんな話は枚挙に暇がない。
震災直後に「浜岡をさっさと動かせ!」と怒鳴ったのも自民石破氏なら、SPEEDIを知っていながら、政府の失点にするために黙っていたのも当時自民幹事長だった石原氏だ。
石原氏「(SPEEDIのデータについて)我々も知っていた。けど、黙っていたんだ。」(2011/06/06テレビタックル http://minkara.carview.co.jp/userid/889619/blog/27727890/
政権交代したばかりの官邸がSPEEDI等放射能対応システムについてどの程度熟知していたかは不明だ。個人的にはあの大混乱のさなか、そこまで考えがすぐに回らなかった事もありうると考えているが、システムを知らずに情報発信が遅れるのと故意に隠蔽するのとは全く事情が異なる。 仮に官邸がSPEEDIを把握して隠蔽していたとしても、であれば尚更石原氏属する自民はこれを注意喚起して国民に知らしめなければならなかったはずだ。 然るに石原氏が行ったのは、悪意ある意図的黙秘だった。
要するに、相手の失点を大きくするという党利党略のためなら国や国民の命を危機に晒す事すら厭わなかったのが、震災後の自民の実体だと言う事だ。そこに故意が存在する分、悪質であり陰湿だ。 人は自分が有利になった時にこそ、その本性が現れる。
谷垣氏 「これが政治だ。」
大震災発災後、谷垣氏が菅氏の協力要請を蹴った言葉がこれだ。
あの瞬間はまさに自民が、党利党略を捨て、また原発をおっ立てまくった責任に思いを致して与党とともに国難対応に全力であたるどころか、あの国難のさなかにあってすら、姑息極まりない政局至上に精を出して、政府の協力を蹴り倒し高みの見物をするという、国賊に転落した瞬間だった。
私は、自民が自らに国賊の烙印を押したこの言葉を決して忘れない。
自民が、国民の生命安全より自党の利益を重視して連立を拒否したあの瞬間に自民の国政政党としての意味は終えた。
インドネシアスマトラ沖地震において、当時、彼の国の政権と対立関係にあり血で血を洗う戦闘を繰り広げていた独立派組織「アチェ自由運動」(GAM)は、26日のスマトラ沖地震を受けて、休戦することを明らかに した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E5%B3%B6%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2004%E5%B9%B4) 戦争なんかしている場合ではないと判断したからだが、その判断は至極まっとうなあるべき判断であり、人道に鑑みて当然の態度だ。
しかるにそのスマトラ沖地震と並び類する規模の大震災に加えて原発の破綻という未曾有の事態に見舞われ、まさにかつてない国難に陥ったその時ですら、協力を惜しみ、あるいは一切の責任を政府に押し付けて高みの見物を決め込み、あるいは徹頭徹尾政府批判に明け暮れ、党利党略にまい進したのがこの自民だ。
まさに国賊だ。
これ以上の国賊もそうはない。
万死に値するわ。
インドネシアと日本と言えば、日本のほうが進んでいる先進国というイメージが一般的にはあろうが、
腐っているのはどちらか。
答えは言うまでもないだろう。
政府の対応を批判する向きが相当にあるが、一旦暴走を始めた原発をなんらの瑕疵もなく速やかに収束させられるような人間・機関がこの地球上に存在するのか。
それこそ人間が放射能耐性でも獲得しない限り生身の人間には到底不可能なのであり、それを根性論や政府機能論に置き換えるのは完全な筋違いだ。
他の政権なら速やかに収束できたと考えるのはあまりにも非現実的な酔狂というべきものだ。 誰も何も暴走を始めた原発を止めることはできない。
どころか、だ。
仮にあの時、この利権母体の自民が政権にあったらば、まさに癒着ズブズブの東電の全員退避を黙認して連鎖臨界で今頃日本は終わってただろう事、想像に難くない。当時の政権が自民以外にあったのは、むしろ不幸中の幸いであったとも言える。
そもそも今述べたように、一旦暴走を始めた原発をなんらの瑕疵もなく速やかに収束させられる事が不可能な以上、此度の原発アウトの責任は、その9割以上が、地震大国に原発を乱立させ、杜撰な管理のもとに置いたこの利権国賊政党自民にこそある。 それを棚にあげて当時たまたま政権にあり、その対応の当たらなければならなかった与党をバッシングし倒すなんぞは、まさに恥を知らない究極の厚顔無恥でなければできない悪逆非道の所業だ。
あの時この国賊自民がやらなければならなかった事は、党利党略を投げ打って政府に全面協力し、少なくとも対応にあたっている当事者を後ろから撃つような真似をする事ではなかった。 しかるにこの国賊自民はそれを平然とやってのけた。 まさに見下げ果てた根性といわねばなるまい。
この国賊野党があの国難のさなか、いの一番に考えていたのは、国の存亡などではなくまぎれもなく党利党略だと言う事、明々白々だ。
そしてそんな妄言に載せられた国民の責任も小さくはない。
一体あの震災直後菅氏バッシングに走りまくった自称メディアどもに踊らされず冷静に菅氏の対応を見守った人間がどれほどいたのか。
菅氏に罪を全て押し着せた自称メディアども及び思考停止でそれに付和雷同する国民と三位一体となって腐りきった根性の成れの果てを示したのがこの国賊自民であり、こんな芯から腐った政党が何らの咎も受けず解党もせず、国政に関わっている事自体、異常の極みだと言う事をまず国民は認識すべきだ。
福島第一は起こるべくして起こったのであり、法相田中氏が数十年前の暴力団同席問われて引責するならこの党はとうの昔に解党されなくなっていなければならない。それが筋を通すということだ。
責任を取らないですむのなら、誰でもどんなトンデモな事でもまかり通ってしまうのは当たり前だ。そしてそのトンデモ街道を営々と歩んできたのがこの国賊自民だ。
そしてそんな腐った党が、国民の物事の表面しか理解できない皮相をいいことに政策を人質にとって強請りのような手口で解散を確約させ、虚言妄言がとうとう党利党略の総仕上げとも言うべき解散にすら至らせ、今再び利権の王国を築かんと目論むというのがてしまったというのが現下の日本の状況だ。
こんな国賊自民に美しい国日本・強い国日本に言及する資格なんぞはならからない。
アメリカは改革未だ道半ばだが、オバマ氏を再選させた。 過去の負の遺産が大きければ大きいほど改革は一朝一夕にはならない。 その道中には試行錯誤も混乱も存在するが、それを疎んで自民に回帰すれば全ては元の木阿弥になる。 今国民がなすべきは救国のネコを被ったこの国賊自民に貴重な一票を投じる事ではなく、引導を渡す事に他ならない。 |
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[カテゴリ:”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア] [コメント (0)] |
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