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福をもたらす七福神講座・第9回 |
2018年10月18日 19時0分の記事 |
福をもたらす七福神講座・第9回 ⓫ 守屋の宮のこと 京都の恵比寿神社の参道には、この摩利支天が祀られています。 「毘沙門天を祀る神社は、狛犬の代わりに虎を祀る」とあります。 京都、鞍馬寺の入り口には、虎の狛犬が祀られています。 弘長2年(1262)ごろ書かれた本には、「守屋の頸(くび)ならびに頸切り太刀、着せし所の衣服とを、ことごとく玉造岡の寺の仏壇の下に埋めて堂を造り、供養せしめ給い」とあります。 守屋公の四十九日にあたる8月20日に、これらの品を仏壇の底に埋め、供養したものと言われています。 最初に建てられた玉造の四天王寺は、物部守屋公の霊を慰め鎮めるために造られました。 最近の研究資料では、「日本書紀に記された、四天王の加護に謝恩するという目的は、後世の付会」とされています。 その後、今の四天王寺が建てられました。 また、今の森之宮は、古くは「守屋の宮」であり、そこから玉造のあたりに守屋公の屋敷があったと言われています。 丁未《ていび》の変の直後に、戦死した物部守屋公の霊を慰め祈る為、彼の邸宅があった玉造に簡単な草葺きか茅葺きの草堂を造り、6年後に難波の荒陵の地(今の天王寺)に移され、本格的な伽藍建築が造営されたようです。 つまり、四天王寺は、本来は物部守屋公を祀る場所であり、後に毘沙門天を祀ったことになります。 物部の末裔であり、仏教嫌いで有名な楠正成《くすのき・まさしげ》公も、この毘沙門天を信仰していました。 楠正成公と言えば、神道系陰陽道の秘伝を、いくつか伝え残した人物です。 例えば、十言の神呪も楠正成公が残した秘伝として、今に伝わっています。 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら 後半は「七福神関連の行法」(七福神の祭文・大黒天の行・恵比寿天の行・弁財天の行・毘沙門天の行・宝船の絵に書かれている回文)についてのお話しです。 |
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[カテゴリ:福をもたらす七福神講座] |
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