2018年10月24日 19時0分 |
2018年10月18日 19時0分 |
福をもたらす七福神講座・第9回 |
福をもたらす七福神講座・第9回 ⓫ 守屋の宮のこと 京都の恵比寿神社の参道には、この摩利支天が祀られています。 「毘沙門天を祀る神社は、狛犬の代わりに虎を祀る」とあります。 京都、鞍馬寺の入り口には、虎の狛犬が祀られています。 弘長2年(1262)ごろ書かれた本には、「守屋の頸(くび)ならびに頸切り太刀、着せし所の衣服とを、ことごとく玉造岡の寺の仏壇の下に埋めて堂を造り、供養せしめ給い」とあります。 守屋公の四十九日にあたる8月20日に、これらの品を仏壇の底に埋め、供養したものと言われています。 最初に建てられた玉造の四天王寺は、物部守屋公の霊を慰め鎮めるために造られました。 最近の研究資料では、「日本書紀に記された、四天王の加護に謝恩するという目的は、後世の付会」とされています。 その後、今の四天王寺が建てられました。 また、今の森之宮は、古くは「守屋の宮」であり、そこから玉造のあたりに守屋公の屋敷があったと言われています。 丁未《ていび》の変の直後に、戦死した物部守屋公の霊を慰め祈る為、彼の邸宅があった玉造に簡単な草葺きか茅葺きの草堂を造り、6年後に難波の荒陵の地(今の天王寺)に移され、本格的な伽藍建築が造営されたようです。 つまり、四天王寺は、本来は物部守屋公を祀る場所であり、後に毘沙門天を祀ったことになります。 物部の末裔であり、仏教嫌いで有名な楠正成《くすのき・まさしげ》公も、この毘沙門天を信仰していました。 楠正成公と言えば、神道系陰陽道の秘伝を、いくつか伝え残した人物です。 例えば、十言の神呪も楠正成公が残した秘伝として、今に伝わっています。 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら 後半は「七福神関連の行法」(七福神の祭文・大黒天の行・恵比寿天の行・弁財天の行・毘沙門天の行・宝船の絵に書かれている回文)についてのお話しです。 |
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2018年10月11日 19時0分 |
福をもたらす七福神の講座・第8回 |
福をもたらす七福神の講座・第8回 ❽ 弁財天について 弁財天は、インドのヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーの神が、わが国に伝わったものです。 そのサラスヴァティーの神が、わが国の神と習合する、いくつかの系統があります。 1) 宗像三女神の市杵島姫の神の信仰が習合した系統。 2) 宇賀の御魂の神が習合した系統。 3) 以上の両方が習合した系統。 古くは、「天竺の女神の名、弁舌の才を守り、また、知恵の福を与えらる」との言葉から「弁財天」と言います。 また、妙音天女の別名があったので、琵琶を描くことが多くなりました。 しかし弁財天が、わが国に入ってきてから、宇賀《うか》の御魂《みたま》の神と習合して、日本独自の神となりました。 宇賀御魂《うがみたま》の神は保食《うけもち》の女神と同体もしくは夫婦神とされ、伝説では人頭蛇身の神で蛇だとされています。 蛇は土地や水に縁があり豊穣を願う神ですので、弁才天も蛇や水に縁がある豊穣につながる福の神となります。 また、宇賀御魂の神の「ウカ」は梵語の「ウガヤ」と発音が似ていました。 梵語のウガヤは、白蛇を意味しています。 弁才天が蛇に縁があるのと共通していたので、弁才天を龍女と見るようになったようです。 そして、古い弁財天の頭の上には、必ずこの宇賀御魂の神が乗せられています。 弁財天の像は一般的に寺に安置されている場合が多いですが、古くは社や祠に置かれていました。 |
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2018年10月4日 19時0分 |
福をもたらす七福神講座・第7回 |
福をもたらす七福神講座・第7回 ❺ 黒人の大黒天のこと 京都清水寺の大黒天は、古い大黒天を祭っていて……顔が黒い大黒天ですので……今でもおみやげに、黒い大黒天があります。 大黒天が背中に袋を背負っているのは、因幡の白兎の神話で、大国主の神が八十神たちの荷物を入れた袋を持っていた為です。 また、大国主の神がスサノオの神の計略によって焼き殺されそうになった時、鼠が助けたという説話から……鼠が大黒天の使いであるとされています。 大黒天が、米俵に乗ったのは、江戸時代のことです。 熱海の伊豆山神社(伊豆山権現)には、夫が大国主の神で、妻が須勢理毘売《すせりひめ》の神の「夫婦大黒天像」があります。 その由緒書きには、 「この夫婦神は、元伊豆山権現の宝物なるも、後、同所・般若院に安置ありしを、明治初年、三代前の内田氏が請願し、家宝として今に伝う。 この大黒天の夫婦神は、南都・春日神社、若宮の境内に祀りあるほか、見聞きせず。 妃は長寿繁栄を守り子無き者に子を授け、福徳・円満・霊徳を祈る神なり。 時代は鎌倉初期の佳作にして、稀の珍像なり」とあります。 古来、「大黒天を彫る材料は、取り壊した古い橋板の、ニ枚目か、三枚目を使うが良い」と言う不思議な言い伝えがありました。 そこで大黒を彫ろうとするものは、橋大工の所に行って、「古い橋板の、ニ枚目か三枚目を、とっておいてくれ。」と頼む訳ですが……橋はいったんバラバラにしてしまえば、どれが三枚目だったかと言うことは、その場にいた人にしか分かりません。 そこで、「橋大工、どれをくれても三枚目」と言う川柳がうまれました。 大黒舞の口上は、「あら、めでたいな、めでたいな。われは大八州《おおやしま》の国を作りし出雲の大穴牟遅《おおなむじ》、名を改めて大黒天。われを信ずる輩《ともがら》には、いでや、宝をまいらせん」ですが最近は、少し違う内容になっているそうです。 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら 後半は「大黒天の祭文について」と「大黒天が伝わった頃(大黒天の種類や歴史)」についてのお話しです。 大黒天の行法の祭文(心が塞ぎがちな時に使い、心を上向きにする行法)も掲載されています。 |
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2018年9月27日 19時0分 |
福をもたらす七福神講座・第6回 |
福をもたらす七福神講座・第6回 ❷ 福箕と言う名の縁起物のこと もうすでに、12月……月日の経つのは、はやいもので……あと一ヶ月を少し過ぎると、十日恵比寿と言う、めでたいお祭りがあります。 地方によっては、三が日に、この祭りを行う場合があります。 関西では、西宮の恵比寿神社を中心に、1月9日が宵宮、10日が本祭りで……この期間の数日間、 「商売繁盛で、笹持って来い」の掛け声と共に、盛大なお祭りが催されます。 毎年、寒い、寒い時に……このお祭りへ行って、楽しんで来ました。 このお祭りで売られる……商売繁盛の為のザルのような物……えびす天と大黒天の面のついたアレを、「福箕《ふくみ》」と呼びます。 この「福箕」は、いわゆる、縁起物です。 ザルではなく「箕《み》」なのです。 これは、箕で福をすくえるようにと、願いを込めたものです。 大黒天は、江戸時代……人の夢に出て、願いを叶えるものとされていました。 恵比寿天は、福そのものを意味します。 むかし、海から流れ着いたものは、すべて恵比寿として祭り、福を授けるとされました。 ですので、このふたつを箕につけて、福を願うのです。 また、福箕と一緒に売られている……熊手のような物……を、関西では「福竹杷《ふくさらえ》」と呼びます。 竹杷《さらい》は、熊手のような道具ですが……柄の長い物を「熊手」と呼び、柄の短い物を「竹杷《さらい》」と呼びます。 「竹杷《さらえ》」は、「竹杷《さらい》」の別名です。 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら 後半は「熊手と呼ぶ縁起物」と「大黒天」についてのお話しです。 |
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