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「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。
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2012年12月3日 19時4分
【衆院選】私の検証 自民・外交編
 
衆院選にあたり何回かに分けて各党の主張・これまでの挙動を検証してみる。

まず最初に自民の外交についてだが、自民安倍氏がアメリカとの「同盟関係強化」と言う時それは、アメリカの犬に成り下がるという趣旨に同義である。
孫崎亨氏の『戦後史の正体』にもあるように、GHQのご機嫌取り結ぶために、あるいはそれに取り入るために、公営売春宿を作ることすら厭わなかったのが戦後政権にあずかったこの党の面々だ。
アメリカには頭を撫でてもらえるかもしれないが、それもアメリカの意に沿えば、という大前提においてのみである。
仮にアメリカに立て付けばどうなるかは小沢氏の人格攻撃にまで及ぶ不当なまでのバッシングを見れば自明である。
様々な人々によって既に指摘されているように、私も小沢氏が不当起訴され自称メディアらによってここまで悪役に仕立て上げられスケープゴートにされたその最大の要因は、おそらく「アメリカのプレゼンス(存在感)は、私は必要だと思っております。それはおおむね、第7艦隊の存在で十分じゃないかなと」(2009年2月25日大阪市内にて)にあるような自律性の指向ではないかと考えているが、その事は、無罪確定によってある程度立証されたといえる。
因みに民主の尖閣の対応は概ね妥当だったと考えている。無主地先占は国際法上の定めであり、国際司法裁判所への付託は非常に効果的かつ実際的であり、裁判を受けないという中国や韓国の対応それ自体が彼らの主張が国際法上の根拠を欠くという、ひとつの答えなのだから。

自民となあなあズブズブの経団連が早速歩調をあわせて政府批判を展開していたが、そもそも尖閣問題については、寝た子を起こすような真似をしたのは石原前都知事であって民主が仕掛けたわけではもとよりない。石原氏の拙速のとばっちりを受けて尻拭いに当たらなければならなかったという点では政府はむしろ被害者の側面すらあるのが事実なのであり、それをあたかも与党の失点かのごとく言い募るは、まさに信号機が青いのも横断歩道がゼブラなのもなにもかもひっくるめて与党が悪い、という、四国デマ新聞をはじめとする自称メディアが駆使するデタラメ論法と寸分違わない的外れの言われなき批判であって、言いがかりもいいことろだ。
尖閣問題を放置してきたという点では自民も全く同罪であり、上記経緯を丁寧に読み解けば尖閣における政府批判一辺倒がお門違いなのは自明であり、批判の矛先は石原都知事その人にこそ向けられるべきものである。
尖閣に端を発する日中冷却の責任を取らなければならないのは第一義的に石原氏である。
それが理解できない経団連の米倉氏は、自民同様、文脈を読み解く能力がない無能という事を証明しているに過ぎない。

いずれにせよ、過度に対立的な路線を取ったりしなかった事は賢明であり、それが証拠に対中国においても一時期の過激な反日行為は沈静化の傾向にあって、それ以上の事態には至っていない。今となっては中国国内からも過激な反日行為に対しての批判が出てきている。
何よりも、領土問題にかこつけて、ここぞとばかりにいたずらにナショナリズムを煽るような、党利党略のためなら何をも厭わない自民などよりははるかに冷静でマシな対応だ。
その事は以前掲示板にも書いたように安倍氏よりはまだ野田氏のほうが”話せる”と見ている韓国の対応からも裏付けられる。
弱腰弱腰という批判があるが、外交は強腰であたればいいというものでもない。
国防強化はまた、徴兵制に道を開きかねないものであり、安倍氏のタカタカした言動を見ているとその懸念が現実になる日がないと保証できる人間がいるだろうか。
そもそもだ、斎藤美奈子氏の言にあるように(※)、日本の海と国土と人民は、安倍氏言うところのそれら仮想敵以前に放射能で取り返しがつかないほどに「侵され」ているというのが実情だ。
その責任の九分九厘は原発をこの地震大国におっ立てまくり杜撰な管理のままに放置しておいた自民にこそある。
外交についてもせめて孫崎氏の著書くらいは目を通して、自己利益を至上とする心ない戦後自民の政権中枢によって一体どのようにこの国の自律性がないがしろにされ、国政が歪め続けられてきたのか知るべきである。
冒頭書いたように、この党が「日米同盟関係の強化」という時、それはアメリカの属国化の道である事は歴史が実証済みなのであり、この党が政権を担うと言う事は自律的外交選択の放棄と敗北を意味する。
果たして、そんな好戦的で党利党略利権のためならナショナリズムを鼓舞しまくり、なんとなれば戦争すら政局の具にしかねない自らの保身第一主義の党に国政が任せられるか、再考を促したい。


※ 斎藤美奈子氏「安倍新総裁は「日本の美しい海、領土が侵されようとしている。危機的な状況だ」と総裁選で訴えた。
しかし日本の海と国土は、外敵以前に放射能で「侵され」ている。」
http://twitpic.com/b129pj
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2012年11月11日 17時57分
四国デマ新聞に見るデマ師の系譜 〜田勢康弘の場合〜
 
さて岩見某に続いて今回は、政局専門デマ師筆頭後藤謙次と並んで、この押しも押されもしないデマ紙である四国新聞における自称政治評論家、その実日和見御用物書き田勢康弘氏による代表選コラム(2012年9月17日1面(引用部分全て同じ))を取り上げてみたい。

最初に氏は、自民・民主両党の代表選を比較して、

「民主党も代表選を行っているはずなのに、テレビで見る機会は自民党の半分もない。」

とするが、それはメディアの偏向の問題であって別に民主の問題ではない。しかるにこの田勢某はその原因を、

「民主党はもっと知恵を絞るべきだったと思う」。

とし、より具体的には、

「野田首相の再選が確実だから、テレビ局は飛びつかない。〜(中略)〜民主党に少しでも関心を持ってもらいたいと思うなら、あるいは、選挙で少しでも議席減を食い止めたいと思うなら、なぜ、人気のある細野豪志環境相を対抗馬にしなかったのか。」

果たして新聞とあわせ今や自称メディアの極みと成り果てているていたらくテレビ局の取り上げ方を物事の価値判断の指標としていいか、というそもそもの疑問については後述するとして、まずこれを、この田勢某が、細野氏が真に総理候補に相応しいので立候補すべきと考えていると見るべきか、あるいは、相応しいかどうかは別にして選挙向けのパンダとして立候補すべきだったと見るべきか。

「選挙で少しでも議席減を食い止めたいと思うなら」

とあるし、仮に、細野氏擁立が、その資質に基づくものであるなら、「人気があるから」(笑)という文脈はありえないのでおそらく後者だろう。

その論理は正しいのか。

答えは否だ。

娯楽興行なら客の入りを気にしなければならないが、政党の代表選は、公開であるとは言え、第一義的には党の代表を選ぶための党内人事であり、別に顔見世興行でもなければ、呼び込みのチンドン屋のパフォーマンスでもない。

与党にある場合その代表選が、国のトップである総理の選出に直結するが、であればなおさら、人気取りや耳目集めのためでなく、国のトップとして要求される資質を備えた者が立候補し、その思い描く国のあり方を主張し、論戦を戦わせるための場として代表選があるべきであり、決して耳目集めやまして票集めに目的化して行うべきではないと私は考えるが、この田勢某にとっては客寄せ興行の意味合いのほうがそれらの本来的な目的よりもはるかに大きいらしい。
そして、上記の意味では小策を弄してデマゴーグに走らなかった民主は、本分を弁えているとして評価すべきであると私は考えるが、この田勢某は耳目が集まらなかったという理由でそれを批判しているのである。

間違っているのはどっちか。

言うまでもなく田勢某のほうだ。

人気さえあるなら例え総理の器でもない人物だろうがなりふりかまうことはない、それを引っ張り出して耳目を集めろという事は、この国のトップの選出を兼ねる選挙を、客集めのための面白おかしい一種の見世物にしろと言っているに等しく、枝と幹の転倒に他ならない。
それが更に内容のある代表選に結びつくなら意味もあろうが、政治において人気や耳目の多寡と資質の深浅は基本的に何の因果関係もない。むしろ、耳目を集める事を目的化すれば、政治はたちまち衆愚に堕するのは、今更言うまでもない。それでなくとも、凡人にはできない問題の本質的を見極める素質に優れているがゆえにそれらを理解できない凡人の感情的な反発を食らってしまう事さえあるのがこの国だ。

耳目を集める政治が必ずしも賢明な政治とは限らないということだ。

自称メディアに煽られて仮に国民が代表選に目新しさやサプライズを求めているのであれば、おかしいのは、代表選にそんなものを求める国民のほうである。

そもそも冒頭に書いたように、デタラメの極みにあるこの国の自称メディアにおける露出の多寡が、問題の重要性やその価値の高低とは全く無関係であり、そこにおける取り扱いは、物事の価値判断を損ないかねないまるであてにならない道具でありこそすれ、信頼に足る明快な羅針盤にはなりえず、真っ当な評価を下そうと思うならば、決してその物差しを用いるべきでない、ほとんど禁忌である事は、大震災後一年以上が経過した今、ある程度この国の報道を知る者ならば、ほとんど周知の事実であるが、井の中のデマ師はそんな事は知る由もないらしい。
この人間の民主代表選への批判は、その代表選の欠陥ではなく単にこの自称専門家の資質のお粗末さをこそ露呈しているに過ぎない。

仮に、最初に排除した選択肢、この自称専門家が細野氏が総理に適任だと思うのであれば、その根拠について言及しなければならないが、さすがは類は友と言うべきか(笑)、先の岩見デマ師同様、そんなものはどこにも見当たらない。
あるのはただ、細野氏が「人気者だから。」(笑)という、デマゴーグの王道をゆくお粗末な理由のみなのである。

ちなみに細野氏の資質についてこの機会に一言だけ付け加えるとするならば、私は彼が総理の器に相応しいと思った事はこれまで一度もない。
国民受けがいい事や上意下達で命令を忠実に実行する手足としての能力と、国のトップとして大局を見据え、最善の判断を下す頭(かしら)としての能力は全く別物であり、細野氏が前者には長けていても後者は全く未知数であり、少なくとも現段階で細野氏に彼でなくては語れない国家ビジョンがあるようにはとても思えない。
その意味では、党内の融和を慮って出馬を踏みとどまった細野氏の判断もまた評価されるべきである。

だいたいこうデマ師に限って、仮に細野氏が立候補して党内を二分するような事にでもなればにここぞとばかりに亀裂だ分裂だ、と騒ぎ立てると相場は決まっている。もともとそういう政局についての思考しか持たず、それを政治の本分とする過ちを平気で犯しているからだ。これらの自称政治専門家を政局専門家と私が呼ぶ所以である。
この自称専門家にとっては、おそらく人気=器なのだろう(笑)し、あるべき代表選よりも耳目を集めて注目を浴びている代表選のほうが立派な代表選ということなのだろう(笑笑)が、政治というものは本来地味だ。批判されるべきは、そんな面白くもない政治に辛抱できず、スキャンダラスな展開や目新しさを求める国民であるのに、田勢が吠えているのは、本来やるべき代表選を履行したに過ぎない民主のほうである。

これがポピュリズムでなくて何がポピュリズム?

いかにこの自称専門家が目的と手段、そして正誤を取り違えたデタラメ論者か、ここの部分をかいつまんだだけでも知れようというものである。
そもそもこの田勢某は、反原発を指向する政治家を大衆迎合と言って憚らなかった人間だ。
反原発への理解をポピュリズムと嘲ったこの人間の、この思考がポピュリズムでなくて何か。

「勝敗に無縁の消化試合のようだ。」

消化試合、大いに結構。勝敗や観衆の多寡にこだわる必要がどこにあろうか。そんなものを求める輩のほうがおかしいのだ。

与党たる民主が今最も力を傾注しなければならない事は、わざわざ人気者を対抗馬に仕立てていたずらにメディアや大衆を賑わわせる事ではなく、粛々と代表選を行い、そのもとで山積の懸案をひとつでも片付けていくことにこそある。
その意味で民主代表選は、本来あるべき代表選という意味では極めて妥当だった。党内対立が深刻化してこれ以上の亀裂回避と言う意味でも評価していい。

話を進める。

次に自民へのこの自称専門家(何の専門家かは不明(笑))の評価だが、

「自民党5候補の話を聞いていて、さすがに自民党には首相が務まりそうな人材がかなりいるな、と思わせる。」

この度のハリケーンサンディの襲来において、アメリカ民主・共和両党は一時休戦し、バージニアの共和党州知事は宿敵ともいうべき民主のオバマ氏の努力を率直に評価し、必要とあらば党派を超えて挙国結束できるアメリカの懐の深さ示した。
翻ってこの日本において、そのハリケーンとは被害の甚大さにおいて比較にならない千年に一度の大震災において、与党に全面的な協力を申し出るどころか、ここぞとばかりにその自然災害をさえ党利党略の具とし、徹底的な与党糾弾の口実としてそれに終始し、それだけに飽き足らず、ほとんど強請りのような手口で総理に解散を確約させ、以降、口を開けば解散の二文字しか言わず、尖閣にかこつけて、韓国がこんな安倍氏よりはまだマシだろうと野田政権との関係修復を急ぐような、いたずらにナショナリズムを煽る、徹底して党利党略を至上とした自民の、どこが「さすがに」なのか、私にはさっぱり分からないが、耳目を集めるためならデマゴーグを駆使せよと考える人間には、賑わっていればそれだけで随分と立派に見えるのだろう、大笑いである(笑)。

自民が事あれかしとばかりに、過去との整合性や行動の妥当性は放り投げて、盗人猛々しい論法を繰り出し続けるのも、こういう思考停止した人間が存在すればこそだろう。

「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えているように見える。」

確かに自民の論述は単純だ。「あの人は嘘つき」(笑)とか「あの人は悪い人」(笑笑)と言う、”悪者探し”とそのラベリングという人格攻撃に専心特化する、自民が古今東西を通じて駆使している究極の大衆煽動論は、分かりやすいには違いない。
しかしそれが国政政党としてあるべき主張かどうかはまた話が全く別である。
およそ一国の国政政党の中枢とも思えないようなこれらの幼稚極まりない自民の論法は、お粗末を通り越してうそ寒くさえある。あるのはつまるところ、政治の本質とは完全に乖離した善悪二元論だけなのだから。

ちなみにこの「分かりやすく答えているように見える。」についても根拠・類例の記述は見られない。

「(田勢某の自分の番組にも)出てもらったが、本番前にはスタジオで冗談を言い合ったりして和気あいあいだ。プラモデルが趣味の石破茂氏と安倍晋三氏が、子供のころ作った戦車の話で盛り上がっていた。昔の総裁選とはずいぶん違うな、と思わせる。」

「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えているように見える。」とあるので、次にそう考える理由なり根拠の話が続くのかと思いきや、田勢某が続けたのが上記である。
分かりやすく答えている事と本番前の和気あいあいやプラモデル話(笑)に本来、何の因果関係もないはずであり、まして親しみやすさのコンテストというならともかく、それらが首相の資質を測る指標になるとも到底思えない(笑)が、それともこの自称専門家にとっては、本番前のこれらの挙動が話の分かりやすさや首相の資質と密接に連関(笑)するのだろうか?(笑)吉本そこのけのナンセンスギャグとしか思えない(笑)話ではあるが、それならそれで、この田勢某以外には如何に荒唐無稽に思えようとも、その因果の根拠をつまびらかにしなければなるまいが、それも例によってどこにも見当たらない。ま、そんな証明自体、土台無理なので当たり前といえば当たり前だが、ギャグならしかるべき娯楽欄にすべきと思うが、本人も四国デマ紙も至って真面目に政経欄展開だ(笑笑)。

本番前にいくら朗らかだろうと、プラモデルの戦車作りで盛り上がろうと、そんな事は、「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えている」事とは、縁もゆかりもない話であり、ましてやその根拠には決してなりはしない。
そんな理屈にもならない理屈を持ち出して、そこには密接な因果関係(笑)があると信じて疑わないのはこの自称専門家やそれを堂々一面政経として掲載する四国デマ紙くらいだろう。まさにデマ師の面目躍如、見事な連携プレーと言ったところか(笑)。
先の岩見某と同じく、こんなデマゴーガーに民主代表選がおかしく、そして自民のそれが正しくみえても別におかしくはない。判断能力がそもそも本来要求されるレベルに足りてないのだから。

話の分かりやすさとは、本来難しい話を平易な表現で簡潔に噛み砕いて説明できる能力だと個人的には思うが、自民が現在駆使しているものがそんな大層なものでない事はこれまで見てきた通りである。
この国賊政局党の頭にあるのは、如何に話を政局という横道に逸らし、党利党略に結びつけるか、それだけだ。
こんな政局政党が性懲りもなく政党でございと大手を振っている現状については、じっくり腰を据えて頭を使わなければならないところを、とりあえず手っ取り早く結論だけを求め感情任せに判断して省みない、国民の側にもこれらの跋扈を許した責任は当然ある。

更にデマ師のヨタ話は続く。

「印象的だったのは、「原発2030年代にゼロ」という民主党政権の方針に全員が「×」をつけたことと、「自民党が政権復帰したら株価が一万円を超える」に全員が「○」と答えたことだ。」

如何にもデマゴーガーがしつらえそうな、そのサンプルと言っていいような文面ではあるが、質問項目に○×つける事自体は別にこの五人でなくとも誰にでも可能な簡単な質疑応答に過ぎない。
問題は、それが妥当か否か、あるいは実現可能か否かは全く別の話であるのに、そこにこの田尾某の言及は例によって全く及んでいない。

あたかも、自民の言うことなら何でも無批判に正しいと見ているかのごとくに、だ。

このデマ文章の最大のポイントはここである。

「昔の総裁選とはずいぶん違うな、と思わせる。」に続けて、この文脈を持ち出すのがそもそも印象操作以外の何物でもないが、「原発ゼロに×」する事や「株価が一万円を超える」が正しいか否か、あるいは実行可能かどうかは全く分からない。それらが妥当か実現可能かの客観的検証等からは全く乖離して、この自称専門家の皮相デマ師にとって印象的だった、というただそれだけの事である。
ではこの御仁の印象の深浅と客観的な妥当性はリンクするのか?

答えは否だ。

印象というのは、客観的根拠を持たないロジックとは対極の場所に位置するからだ。
ちなみに何故にこの田勢某にとってそれらが印象深かったかと想像すれば、それらの選択が、福島第一破綻の後にあってなお原発再稼動を何の躊躇もなく嗜好する未だ右肩上がり成長の幻惑に囚われたままのこの田勢某にとって最も合致するという、それ以上の理由があるとはとても思えないし、実際それらの推測を覆す何の記述も見当たらない。
しかるに、わざわざこれらの文に印象的と言ったような極めて主観的に過ぎない言葉を紛れ込ませるという手法は、あたかも自民が政権を取りさえすれば、全てがうまくいくかのような、こういった種類の文章に本来あるべき客観性や公平性に鑑みて決して存在してはならない予断を与えるような類の文章でこのコラムは構成されている何よりの証左である。
そして、このようなデマ師たちの目的が、概して政治を読み解く事それ自体よりも、特定の意見に読者を誘導する事が目的化している場合が非常に多いのもまた事実である。
実際そのような文章を書き連ねるデマ師の主張たちが、秋の夜長の余興になりこそすれ、政治を読み解く上での客観的な判断材料となる事はまずない。
特定の主観や思惑で書かれている以上、最初に結論ありきでその結論に合致するよう、いきおい、事実の歪曲さえ躊躇しないからである。

要するにこのコラムから分かる事は、民主の代表選が自民の代表選より劣っていたという田勢某の主張が厳正な事実であるという事ではなく、これら自称専門家が、印象操作・意見誘導を確信的に企図し現実を読み解くよすがには決して値しないこれらの詭弁を書き連ねたか、あるいは、その詭弁の異常にさえ気づかない、政治を読み解き語るには全く足りてないボンクラのどちらかであるという事、それだけである。

「日本の「顔」が必要なのにいつも選ぶ基準は選挙の「顔」だ。」

とこのデマ師は嘯くが、書かれてあるのは、これまで見てきたように徹頭徹尾選挙の「顔」についての話である(笑)。
日本の「顔」に関する記述は一切ない。あるのは極めて皮相な代表選の所感と、深度の欠落したそれらの解釈、これあるのみだ。ロジカルな思考とは無関係な単なる感傷といわれても仕方のない一文ではある。
必要なのが選挙の顔でなく日本の顔だと本当にこのデマ師が考えるのならば、少なくとも、その直前の「野田氏や谷垣氏が選挙の顔としてはなかなかに厳しい。」云々という章は不要だ。
また、先の細野氏擁立の話は日本の「顔」が必要という話と完全に齟齬しているが、そんな事はこのデマ師にとってはいっかなお構いなしだ。おそらくそんなバッテイングは日常茶飯でいちいち気にしていられないのだろう(笑)。
これのどこが論理的な解説なのか(笑)、私にはさっぱり分からなかったが、おそらく氏も自民候補にならって論理性や思考性を投げ打ってでも親しみやすさや分かりやすさに腐心しているのだろう、大爆笑ではある(笑)。
政経欄でわけの分からない文章を連ねて恥を連ねるよりも己が資質に鑑み、コメディアンにでも転身したほうがずっと大成するように思うのは私だけか(笑)。

「年内、遅くとも数ヶ月以内には行われるであろう衆議院選挙。」

先の岩見同様、そこに選挙に明け暮れるこの国の政治に対する問題意識はかけらも見られない。

このコラムのタイトルは、

「自民まずまず 民主消化試合」。

なにがまずまずなのか、読めば読むほどに理解不能だったが、おそらく本人にとっては余人には理解しがたくともロジカルを寄せ付けない特殊な思考こそが本分なのだろう、まずまずの文章が書けたと悦に入っているだろう田勢某の姿が浮かぶ(笑)。
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2012年10月28日 18時21分
四国デマ新聞に見るデマ師の系譜 〜岩見隆夫の場合〜
 
常々、党利党略しか頭になく、口を開けば解散の二文字しか言わず、ねじれをいい事にゴリ押し醜態の限りを尽くしている自民ほか野党だが、腐っているのは何も野党ばかりではない。本来その厳正なるチェック機関であるべき自称メディアもまた、デマゴーグとしての醜態の限りを晒すに暇がない。そのいくつかを、普段デマ紙ぶりを遺憾なく発揮している四国新聞から拾ってみる。

まず、岩見隆夫 「漂流政治」(2012年10月3日1面) 。

この御仁は再登板を目論む安倍氏に、

「「5年早い」と言ってきた。」

そうだ。その理由は要約すれば、

”安倍氏が悪い例を作ったかのように以来、以降政治が甚だしく劣化したから。”

しかし、その失敗に終わった前回に鑑み、

「再びの登板は自重すべき。」

とならずに

「「5年早い」と言ってきた。」

になるのがこの自称専門家ならではだろう。
仮に政治が「安倍以降政治が甚だしく劣化した」のならば、質的変化を伴わない限り、当然安倍氏もその劣化の責任の一端は問われて自重するのが自然の流れであり、代表候補・首相候補から彼を除外する理由にこそなれ、担ぐ理由にはならないはずだが、この岩見某は、担ぐ理由としてそれを上げ、他方本来説明が要求される質的変化には一切言及がない。
完全に提起と結論の齟齬であり、その倒錯は覆うべくもないが、そんな事にはいっかなお構いなしで話は進む。

少し詳しく見ていくが、何故あと5年なのかと言えば、「自粛・充電のため」(笑)だそうだ。
安倍氏以降、政治が甚だしく劣化したにもかかわらず、その原因の検証や前回首相時と安倍氏がどう変わったのかの根拠にあたる部分も一切を脱落させたまま、何故かあと5年経てば担ぎ出し可能だとこの岩見某は訴える。
充電と自粛、いかにももっともらしい言葉を連ねてはいるが、そこに”ほとぼりが覚めるまで待つ”(笑)以上の意味はおそらくない。
どんな会社でも不祥事あらば組織のヘッドである社長は責任を取って辞め、返り咲くのは余程の変革あるか、あるいは、日本社会に深く浸透している、なあなあのなれあい体質かそれに類する腐りきった組織の場合に限る。
そして安倍氏における、その”余程の変革”について何らの言及もない以上、再登板の理由は後者と取られても文句は言えまい。

このデマ師の迷走はそれだけに止まらない。

岩見某はまた言う。

入院した町村氏を除く候補のなかで阿倍氏が最も代表に適任だと思うのは、それ以外の候補が、

「まだ首相をイメージしにくい。」

からだそうだ(笑)。

イメージは所詮イメージに過ぎず、実体を伴っているとは必ずしも限らない。実体から大きく乖離していることすらあるのが、イメージだ。
ここでそのイメージという言葉が出てくること自体、この岩見某の主張が、客観的な整合性や説得力を悉く欠いているのまさに象徴とも思えるが、噛み砕いて言えば、「イメージしにくい。」というのは、評論家や専門家にあるまじきロジックの抜け落ちたこの岩見某の単なる主観・印象の域を出るものでは決してなく、それらが、万人の納得や検証に耐えうる説得力のある論理性・合理性を持つ論述とは対岸にある物であることはもはや論を待たない。
お店の売り場で居並ぶ商品をざっと見渡して、店員に詳しい説明を聞くでも取説でスペックを確認するでもなく、なんとなく直感でこれが一番立派そう!という基準で冷蔵庫や洗濯機を購入するのとあまり変わらない判断という事だ。

冷蔵庫や洗濯機でもイメージだけで選ぶのは大きな賭けになる場合もあろうだろうが、まして首相という国のトップを、そんなイメージ先行で選ばれたらたまったもんではないと思うのは私だけか。

しかるにこのバカは、キョンキョンの歌ではないが、「イメージが大切よ!」と言って憚らない。これがバカでなくて何がバカ?

そのイメージ先行の補強として更にこの岩見某はのうのうと続ける。

「政策通とか、話術にたけているとか、世間受けがいいとか、そんなことも軽視はできないが、肝心なのは人間的な成熟度だ。そろそろいいかなぁ、と思わせるものがないと、首相候補として及第点は出せない。」

おそらくこの輩にとっては、前回アメリカ大統領で、オバマ氏ではなくマケイン氏が一押しだったのだろう、それが”成熟”と呼べるかどうかは別にして、単に年を食ってる分、見かけ上の成熟度でいけば、年若いオバマ氏がマケイン氏に及ぶ道理はない。が、それが大統領を選ぶ基準として適当か否かは全く別の話である。

そしてその理性的な判断欠落は次の文章で決定的なものになる。

「そろそろいいかなぁ、と思わせるものがないと、首相候補として及第点は出せない。」

念のため断っておくが、別に文芸コラム(笑)やガーデニング欄(笑笑)での記事ではない、れっきとした地方紙一面を飾る、政経に関連しての記事である(笑)。
私はこの一文を読んで目が点になったクチだが、おそらくこの御仁に取って首相の選択というものは、リンゴやミカンの収穫と(笑)さほど変わらないのだろう、大笑いではある。

この御仁の人間の成熟度を見極める能力がいかほどのものか、勿論知る由もないが、この記事のお粗末な話の展開から見てそれほどの炯眼があるようにはとても思えない。
また、「首相とはイメージだ!」(笑)という、深い信念をお持ちの岩見某には申し訳ないが、およそ理性とは縁遠い(笑)、セールスで駆使されるイメージ戦略や、果物の収穫で駆使される見た目の成熟度で首相を選ぶべきでない事は、社会科学的には論を待たない。そんなものはロジカルな理性的判断とは全く相容れないものだからだ。

上記岩見某の主張とは反対に、首相選出においては、成熟度なる個人の主観や趣向に左右されがちなあいまいなものよりも、政策を知悉している事や説得力がはるかに重要だ。なぜならば、それらは論理的で理性的な判断基準であり、また首相の資質として当然要求されてくるものだからだ。

百歩譲って、仮に「成熟度」(笑)なるもので首相選出の指標になるとして安倍氏は「成熟」しているのか。

今回の自民総裁選のどの候補も似たり寄ったり、政権投げ出しという失態を演じていないだけまだ安倍氏以外の候補のほうがマシ、「成熟度」という尺度を用いても真っ先に脱落すべきは安倍氏に他ならない、というのが個人的見解だが、なぜか、この御仁にはよりによって、政権投げ出しという失態を演じ、領土問題でぎくしゃくしがちな近隣諸国との関係もものかは、それらの状況を一切斟酌せず、単に大衆受けしそうな威勢がいいだけの主張を繰り出す安倍氏が最も成熟していると見えるらしい。
そして、その「成熟度」が指標になるというなら、そう考える具体例根拠を示す必要があると思うが、岩見某の印象以外にそんなものはどこにも見あたらない。

「その点、安倍さんは難点はあっても、首相経験者としての安定感がある。」

安定感(笑)。首相経験を重視するというなら、何も好き好んであんなお粗末な顛末に終わった安倍氏を担がず、それこそあの修羅場でも倒れず踏ん張った菅氏を推挙したらよさそうなものだ。
少なくともおぼっちゃま君な阿倍氏よりは余程ホネがあるうえ、自民に必定の利権との癒合がない分、遥かにこの岩見某の理想に合致する。

参考までに、個人的には、安倍氏は、小沢氏ではなくその小沢氏を陥れようと画策した本当の黒幕が操縦する傀儡にはもってこいではあっても、大局を見据え断を下すには全く適任ではない、その全く”使えない”部類に属する。

5年経とうが100年経とうが使えないものは使えない。

しかるにこれら全ての矛盾を投げ打って(笑)、この自称専門家のイチオシは安倍氏である(笑)。実体を必ずしも忠実に反映しているとは限らない、イメージのイメージたる所以に依拠する文章展開を憚らないデマ師ならではの物言いではある。
一応、「ポピュリズムの匂いもする。」との一文はあるものの、要するにこの文章の目的は、安倍氏再登板を最優先で企図し、安倍氏の資質を冷静に吟味することなく、読み手に安倍氏を

「そろそろいいかなぁ」(大笑い)

と思ってもらうための、根拠なき印象操作に他ならない。
いかに尤もらしい言葉を書き連ねようと、そこに某かの恣意または魂胆が最初に存在していれば、特に政治の場合、それは格式ある評論などではなく、単なる大衆煽動を目論むデマに堕する。

そもそもこの記事は、

「再登板がおかしいのではない。」

という文章から始まる。この、多選については、その弊害から、法律等で制限・禁止している国も多いが、その牽制から始めているところに、この自称政治評論家の恣意が滲み出ているのであり、眉に唾は必須だ。

「国民本位の有為な人材なら、三度でも四度でもやってもらいたい。」

で決定的だが、

「再登板がおかしいのではない。国民本位の有為な人材なら、三度でも四度でもやってもらいたいが、安倍氏は果たしてその器だろうか。」

とあるなら、まだ幾ばくかの思慮やフェアネスは期待できる。しかし、「国民本位の有為な人材なら、三度でも四度でもやってもらいたい。」とある以上、今回の総裁選においてこの条件に合致する唯一である安倍氏が、「その有為な人材に他ならない。」以外の着地は事実上不可能だ。

その意味で、このイントロは「私はある特定の意図を持ってこの文章を書いています。」という宣言に等しく、その宣言に違わない内容に鑑みれば一種象徴的ですらある。
最初に安倍氏推挙の結論ありきで起点し、ある特定の目論見のもとに書かれている以上、安倍氏という結論が何の整合も見せず乖離しているのも当たり前といえば当たり前だ。
言うまでもなくこのコラムはそのまぎれもないサンプルであり、秋の夜長の無聊を慰める余興には向いていても、政治を判断する材料としては読むには全く不適だ。
要するにこの文章は、安倍氏は総理に相応しいという刷り込みを企図したものに他ならず、この文章を読んだ人間が、なんとなく(笑)安倍氏が成熟しているように思ってもらえればこのデマ師の目的は達せられる事になろうが、あまりにも文章が矛盾と稚拙を極めているがために、この岩見某の思惑とは裏腹に、安倍氏が総理としての資質に足りてない、少なくとも説得力のある説明になっていない(笑)のは今見たとおりである。

「早晩選挙になる。」

と自称専門家のご他聞に漏れず、この岩見某も解散に色めき立つことしきりだが、自民や公明が取る解散一点張りに対するそれが妥当か否かの問題意識はかけらもない。
それだけでもこのデマ師が如何に本来評論家や専門家にあるべき問題意識が欠落しているかのこれ以上ない証左であろう。

「本当に〈強い〉とは何か。6年前、安倍さんは〈美しい日本〉を掲げたが、それとどう調和するのか。しっかり語ってほしい。」

でこの迷文は締めくくられるが、語るも何も、本当に安倍氏が美しい日本を目指すならば、総裁選や総理の器がどうのよりも真っ先に問われなければならないのは、本当に美しかったかどうかは別にして、まがりなりにも山海の恵みに溢れたこの国を、安倍氏の主張とは全く裏腹に、放射能によって致命的なまでに汚してしまった張本人の筆頭である安倍氏らの属する自民一党独裁長期政権の責任である。
しかるにそんな事はあたかもなかったかの如くの書き連ねられているのが岩見デマ師のこの記事だ。
実際、もし昨年の原発破綻を知らない人間がこの文章を読んでも、その深刻な事故があった事を認識する事はおそらく難しい。
そんな現状認識の偏った文章が公正を実現している事はまずない。自民だけでなく、このデマ師の頭もまた、皮相で屈曲した言論の海を漂流し続けて止まる事がない。
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2012年10月22日 18時55分
親善ブラジル戦
 
なんのはずみかフランスに勝ち意気上がるサムライジャパン、本当に世界との差が縮まっているのかどうか確認するためにテレビで最初10分過ぎから前半終了まで、ワンセグで最後のほう15分くらい視聴しました。
スコア、0−4ですが、視聴した部分だけでも、0−7でもおかしくないような試合だった。実際、ブラジルは大分遊んでいたので本気で90分通せばそのくらいのスコアにはなっただろう。

最初に選手個別にですが…、まずブラジル、
ネイマールは荒削りだな…良い時はドンピシャだけどミスも多かった。左足はあんまり良くないなと思ってたけど左で得点したと聞いて、へえそなのかって非常に意外だったんですが、DFに当たったんですね…それなら納得。
カカの得点シーンは、あれはなかなか難しいシーンで外すかと思いましたが、工夫もあったし川島も良く見えてた。さすがだと思います。
フッキは今回あまり目立ちませんでしたが、彼はロンドン決勝のように劣勢の時にこそ光るという意味でやはり貴重だと思います。
そしてアドリアーノがいい仕事してた!長友からああも難なくボールを奪取するとは。あの粘い長友が形無し。効いてるねぇ…。PK前の連携も上手い!二人がかりで長友の背中でパス通す光景は”翻弄”の一言に尽きた。今回ブラジルで一番印象に残った選手でした。
それからサッカーと全くカンケーないんだけど(笑)ブラジル14番のギリシアの神話から抜け出たような美しさ。モサモサした選手に囲まれて殊更強調される場違いなまでの(笑)美しさ…思わずヴィジュアル系ヘヴィメタかハードロックのボーカルにどうかと思ってしまった私です(笑)。

次に日本、
香川のシーン、狙いは良かった。ただこの選手は初見ですがいかにもお行儀良さそうで大一番でどうなのかな。
本田と長友まともに見たのは南ア以来ですが、やはり全く予備知識なしの南アのようにはいかんわな。
本田は故障上がりのせいなのか何なのか、判断に迷いがあったかな。
どちらにしても本田の最大の持ち味は技術もさることながら怖いもの知らずなところだ。大一番になればなるほど力を発揮できるこのタイプは日本のような格上見ただけで逃げ腰になりがちなチームには貴重な存在だと思う。
彼の物怖じしない姿勢とプレーが他の選手にも伝播してその意識改革に大きく貢献した面も少なくない。
ま、南アの躍進は一に川島、二に長友、三に本田だと思っているけど、攻撃で本田以外にもう一枚使えるのがほしい。
思考実験に過ぎないが、中田英と本田のツートップだったらもっといろんな事もできたのかな…。
あるいは、更に大いなる仮定だが、本田の代わりに沢が出ていれば一点は取れただろう。
判断とイマジネーション、更にはそのイマジネーションの実行可能性の面において沢は本田の数段上だ。

…と言われるのが癪なら更に奮起してくれたまえ、本田君(笑)。

ま、なでしこでも言及したように、練習や格下とやって上手いのと、世界トップクラスのそれも実戦で使えるのとは、全く話が違う。相手が強ければ強いほど光るタイプというのは男子でもそうそうはいないと思う。

さて敗因ですが、ふたつ。
慎重さと最後フィールド1/4のスピードの差。

まず、慎重さですが、ゴール前がガラ空きすぎ。

あまりにも守備の意識が薄すぎる。
川島も良くボール見てたけどあれだけガラガラではどうしようもない。
一点目は川島が前に出すぎたのもあるけど、あれだけ最終ラインがあがってしまうと出ざるをえんわな。味方のGK陽動してどうするよ。
まぁ、どっちにしてもこう簡単に得点を許していては試合にはならない。
先日のアンダーなでしこに続き、日本みたいな”足らない”チームが守備をおろそかにすればどうなるかの見本みたいな試合でしたが、ブラジルの個人技が優れているのは試合前から分かっていること。一人で止められないなら人数かけるかコース切って潰すしかない。
日本のようなチームがブラジルに正攻法で行ってもまず力負けするのは自明。まともに当たっても砕けるのがオチ。とにかく守って相手をいらだたせるのが鉄則だろ。
もっと守備を徹底すればまだそれなりに試合になったと思う。そういう意味では残念な試合だった。

そして最後1/4エリアでの両チーム挙動の差。
ブラジルは最後にギアチェンジして一気に仕留める事が出来るのに対し、日本はせっかく持ち上がっても最後の詰めでもたつく。その差。
全然得点できそうな気がしなかった。おそらくブラジルもそうだっただろう。

今回前線に一人(できれば二人)残し、ガチガチに守ってロングでカウンター速攻が本来取るべき戦法だった。
最もその攻撃の形になっていたのが前半44分、右サイドの清武にロング投げ込んだところ。
その後が例によってモタモタしたので生かしきれなかったが、清武のポジショニングも良く、後は決定力さえ伴えば最も得点の匂いのしたシーンだった。
あの位置に一人残して後は守備に専念すればまだやりようはあった。
そこで大いに疑問だったのが、永井。

どうして永井を呼ばないんでしょう?

こういう試合こそ永井を使うべきですのに。

今回一番必要だったのは永井の速さだった。
本当にそれが采配としては一番不思議だったが代表に呼ばれてないのかな?
今回の試合に限れば日本のとるべき戦術はパスで繋ぎまくる事じゃないと思う。確かにパスもなかなかキレがあったと思うが、いたずらにパスに時間を費やせばブラジルに追いつく時間を与えるだけ。いくら回しても打開にはならない。
パスについては、とにかく囲まれる前に展開しないと潰される。まだテンポが足りないんだな。

ブラジルは、ロンドン決勝は寝てたのかと思うほどの音無しの鳴かないカナリアでしたが、相手にもよるとはいえ、さすがの躍動ぶりでした。こなれてるねぇ…。
このブラジルフルにあのメキシコは有効かな…?非常に興味のあるところです。
これから二年でどこまで仕上がるか分かりませんが、今の戦力だとワールドカップ、ブラジルの優勝は難しいかな…。
でもブラジル、背中のゼッケンの上の選手のネームがないのが朝飯前の一仕事風味(笑)。

ザッケローニ監督は、試合後の話を聞いていると、概ね冷静な分析が出来てるので最低限必要な資質は足りていると思います。
まぁ、でももしなでしこアンダー吉田氏や、ロンドン男子決勝を見てたとしたらば、そこから何も学んでいないという意味で凡だけどな。
この監督はインプットは悪くない、後はアウトプット、日本に最適なアレンジがどこまで出来るか、それだけ。

さて、最初の問い、世界との差は縮まっているか。

確実に縮まっていると私は答える。

ま、最初があまりにもヘボすぎたってのもありますが、どこだって最初からうまいチームはない。最初はヘボで結構。
選手の意識は格段に良くなってるし、頭使いながらプレーできててる。
フランス戦が自信になったのは見て取れた。足が良く出てたし、パスも直線的、スリッピーなピッチコンディションにもかかわらず足元でボールが収まってたのは良かったと思います。
何よりも、ザッケローニ監督も言ってましたが、最後まで諦めずに戦えたのは褒めていいと思う。これまでは、劣勢になった途端、負け犬モードでしたから…。そこは大事にしたいところだ。後は知恵と工夫と精度。かなぁ…。

こうなってくるとフランス戦も見たかったな…なんでフランスに勝ててブラジルに負けたのか、そこがちょっと見たかったところです。

四国デマ新聞は、これぞ日本の実力の証!!とばかりに”アジアでは日本が一番難敵だった”たらブラジル監督のコメントそこだけ抜粋で引用して悦に入ってました(笑)が、相手チームの監督に褒められてるようではまだまだ。
ロンドンブラジル女子監督のように暴言吐かれるようになれば本物だ。
とりあえず、当座の目標はブラジルにネームをつけてもらえるレベルだ!(笑)
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2012年10月14日 17時55分
国民投票の法制化を
 
安倍氏「解散は国民との約束。」

いつの間に公党間の約束が国民との約束になったのか。

解散についての話は国民向けの場ではなく、あくまでも谷垣氏との対話のなかでの話だったはずだ。

国民を党利党略のダシにするなっつーの。

約束というなら、公債法の成立は約束以前の国民との暗黙の了解だ。それらを付託するために国政があると言っても過言ではない。

このふたつの約束のうち優先すべきはどちらか。

言うまでもなく国民生活に直結する法案審議でありそれらの成立だ。解散は政局に過ぎず、法案の成立は政治であり、ない。
自民・公明らの解散一点張りは、党利党略のためなら国民生活を人質にする事すら厭わないと言っているに等しい。
与党の施策を監視し、質すべきは質し、協力すべきは協力するのが本来あるべき野党の姿だと思っているが、自民は違うらしい。

石破氏 「野党の仕事はただ一つ、政府を倒すことだ」
http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/politics/631842.html
我らは政局党でございとこれ以上ないほど鮮明に自ら宣言しているに等しい文言だが、こういう言葉をのうのうと口にできるあたりにこの党の質の低さが伺われる。
要するに仮に政府の方針が国民生活に寄与するものであっても、足を引っ張れるならそっちを優先するということにほかならない。究極の政局党と言うべきだろう。こんな政党がそもそも野党を自称して政治に関わっているから、どんどん政治がおかしくなるわけだが、そんな自覚はそこには全く見られない。同様に、

高村氏 「民主党の輿石幹事長らは『正直な悪い人』だが、野田総理大臣は『うそつきの悪い人』かもしれないという意見が台頭している。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121010/t10015635751000.html

対立する相手の施策や政策の批判せずに、代わりにその人間がやる何でもかんでもを人格批判に結びつけてあたかもとんでもない悪党であるかのように呼ばわるのはデマゴーガー最大の特徴である事を、政治の監視者である国民は忘れてはならない。まさに、 いかに相手を悪者のレッテルを貼るかに腐心する小学生のケンカレベルの稚拙であり、姑息さだ。

石破氏にしても高村氏にしてももう少し上から物が見られる人物かと思ったが、所詮は自民の毒に足の先まで染まった小物に過ぎなかった。

野田氏は必要法案をきちんと審議し、成立へ向け野党の協力を堂々呼びかければいい。
公債特例その他について与党が野党に協力を仰がなかった、等故意に不成立を画策したのならともかく、国民生活に支障がでかねないから協力を仰いでいるにも関わらず政局に絡めてこれを拒否するなら、国民生活よりも党利党略を上に置いている唾棄すべき政局党の謗りをうけるべきは野党であり、全責任を負わなければならないのもまた野党だ。

そもそもこの「約束」にしても、重要法案を通すためにこれを人質にした野党にやむにやまれず言わされた側面が非常に大きく、野田氏の自発的意思というには程遠いものである事は一連の経緯を見れば自明だ。
相手の弱みにつけ込み、到底飲めない条件をちらつかせつつ、自らの望む結果を暗に強要する手法は、一種の脅迫であり、刃物をちらつかせつつ、口先は秩序維持を謳ってシャバ代を巻き上げるヤクザの脅しとどこが違うのか。
それをおくびにも出さず、野田氏を約束破りに糊塗する姑息さは、醜悪の極みであり、政権奪還のためには手段を選ばない自民の真骨頂というべきだろう。明白ではなくとも戦後政治に確実にあった恐怖政治の一端を垣間見る思いだ。
この約束の一件は、ねじれをいい事に恥知らずにも政治を党利党略の具にしている自民を初めとする野党が、如何にこの国の政治を遅滞・混乱させるかのこれ以上ないほど鮮明なインジケーターにこそ妥当だ。

民主も色々問題はあるが、有形無形の圧力で以って国民の口を封じ、利権マフィアの「大きい声」を絶対としないだけ、まだマシだ。
原発対応についても、政党としての限界というよりも人間の肉体そのものがひとつの障壁として立ちはだかっているのであり、元を糾せば、原発乱立・管理怠慢の責任は現政権ではなく自民にこそある。
尖閣にしてもそもそも寝た子を起こすような真似をしたのは現政権ではなく、石原都知事だ。

だいたい、この機会を逃せば永遠に選挙の機会が失われるというならいざ知らず、ほっといても来年選挙はやってくる。それまでにやるべきは政局による画策ではなく、政治を前に進めることに他ならない。

そもそも何かにつけ政局に絡めるような今の政治システムの欠陥を糾さないことには同じ事はまたぞろ繰り返され、その度に日本の政治の質の劣化は必定だろう。

それを防ぐための手立ては何か。

私は国民投票だと考える。

利権と癒着しやすくその温床となりがちな政治家という屈曲フィルターを通さない分、ダイレクトに国民の意思が国政に反映されるし、また、選挙による政治の遅滞・混乱も回避できるというのがその理由だが、何かある度に選挙に走れば、その度に政治は一旦ゼロクリアされなければならず、それによる政治の遅滞・混乱という影響は甚大であり、海外における評価の失墜というおまけもつく。

これらを回避しつつ政治に真に国民の意思が取り込めるようにするシステムの改変は、何にもまして今求められている施策であると思う。原発や増税等の重要案件は国民投票を必須とするよう法律を制定すべきだ。

そのシステムさえ確立すれば、少なくとも政局を政治と勘違いして国会議員がそれにまい進する日々は少しは減るだろう。特段の事情ない限り、一定期間腰を据えて政治に取り組めるようにしないと混乱は収束するどころか混乱が混乱を呼び、発散するばかりではないのか。

増税にしろ原発にしろ今やるべきは選挙ではなく国民投票であり、求められるのはそのための法整備だと私は考える。
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2012年9月9日 13時40分
U20なでしこ監督の致命的欠陥
 
この監督の最大の問題点は、日本の立ち位置ってもんが全然わかってないところだ。それもなでしこAの成功にもかかわらず。

勝負なので結果は実力だけで決まらない部分は必ず存在するが、問題は結果ではなく試合至るまでの過程であり、その内容だ。
準決ドイツ戦、例えば守備重視で「とにかく守りに守って好機を伺っ」たすえに0−3というならまだ救いようがあるだろう。それが強豪ドイツに対して本来日本が取るべき戦術だ。

アメリカの戦いを見ても(って見てないけど。クスン。)分かるように、ドイツ相手に超攻撃的サッカーなんかは絶対に取ってはならない究極の愚策だった。

百歩譲ってだ、今後の育成やらいい経験とやらのために勝負度外視(監督本人は真っ向勝つつもりだったらしいが。)でドイツ相手に自称・超攻撃型を良しとしよう。

んでその超攻撃型やら実力発揮やらは実現できたのか?

超攻撃・自分のサッカーどころか、圧倒的な力量差の前になーんもさせてもらえないダルマさんサッカーだったってのが正直なところじゃないのか。

なんでこんな事になったか。

この監督に彼我の実力を測る能力がまるで欠けてたからだ。

本来、指揮官は、実際に対戦する前に相手チームを徹底的に研究し、必要な対策を尽くさなくてはならないのは、サッカーに限らず勝負事の定石だ。いわゆる”敵を知り、己を知らずんば”というやつだが、この監督には、戦術云々以前に、そもそもその事前分析に要求される能力が決定的に欠けていた。そんな人間がいくら分析したって分析にはならない。
それがために、ドイツとの実力差を事前に認識する事ができなかった。認識できない人間に有効な対策が立てられるわけがない。

かくしてアンダーは屈指のドイツ相手に超攻撃的サッカーを仕掛けることとなった。それが如何に非現実的で現下の実力から考えて荒唐無稽な画餅かを知らずに、だ。

結果、完全封殺。
攻撃的サッカーするためには足らないものが多すぎるってことに試合後初めて気づいたというマヌケさだった。
本来ドイツの速さに面食らってる選手に策を授けなければならないのに、一緒になって面食らってたんだろ、この監督は。

だいたい速い相手に最低限必要なレベルの身体の使い方すら会得できてなくて何もできなくて当たり前だわ、私に言わせれば。
どうせ自称”超攻撃的サッカー”のためのオブスタクル無しのシュート練習ばっかやってたんだろ。

そう思わずにはいられないような内容だったって事です。

まがりなりにも一定の分析能力があれば、ドイツ相手に

「三点取ったら四点取る!!!超こおげきてきさっかあー。」(自称(笑))

なんてクレイジーな選択するわきゃないわ。

でもこの監督は、よりにもよってドイツ相手にそんな寝言を宣言したばかりでなく、冗談かと思ったらホントに実行に移しやがった。

それもAがどうやったらフィジカルで劣る日本が世界の強豪と対等に勝負できるのかを身を以って二年越しで丹念に示したその直後に、だ。
率直に言って

バカだろ。

これがバカでなくて何がバカだ?
なんでこんな資質の欠けてる人間がアンダーとはいえ監督なんかやってるのか、私的には全く理解できない。
問題点を指摘できず、それに右へ倣えで追随してただ騒いでるだけの自称メディアども及び付和雷同組も以下同文。

もしこの監督がAの監督だったら自称”超攻撃的サッカー”やりまくってワールドも五輪も軒並み一次リーグで沈んでたろ。私はそう思う。
アンダーの資質がどの程度なのかという問題以前に、こんなバカが頭やってたら育成はともかく格上には絶対に勝てない。

こんな指揮官ならいないほうがマシ、私に言わせれば。
思い切り行け、攻撃しろ、だけ言っとけばいいんなら、何も高い(かどうか知りませんけど)給料払って雇う必要ないわ、そこらへん歩いてるオジサン捕まえて座っててもらえばそれで事足りる話だ。オジサンはウロウロするから難アリっていうなら招きネコでも代わりに置いとけばいい。

少なくとも招きネコは、出来もしない事を豪語したり、それを実行に移させたりしてチームを玉砕に導いたりはしない。

それだけでもネコのほうがナンボかマシだ。

相手が強ければ強いほど、取れる策は当然限られてくる。とにかく思い切りやればいいってもんじゃない。むしろ今回のドイツ戦のように出来ることも出来なくなって食い物にされる可能性のほうが高くなる。
上に行けば行くほど、あるいは、率いるチームが弱小であればあるほど監督の采配は重要になってくるが、最初の第一歩で既に躓いてる監督に率いられるチームに理に叶った戦術が取れるわけがない。

だいたいろくな思考もないのに限って、妥当な根拠を欠いた極端で突飛もない方法を選びたがるって昔から相場は決まってる。
そもそも、優れたサッカーの監督で三点取られれば四点取るなんて豪語する監督に、私はあまりお目にかかったことがないな。要するにそんな事言ってる時点で四流か五流ってことだろ。

この監督はもうひとつ思いっきり勘違いしてる事がある。でもいい加減長くなったし、面倒くさいので書かない。たまには自分で考えてもらわないとね。

どっちにしても少なくともここで指摘した分析面だけとってもこの監督は本来要求される監督のレベルには全く足りてない。

なんのかんの言ってもアンダーだからという言い訳がきくアンダーの監督ならともかく、ミスリードと失敗の許されないフルの監督には絶対してはいけない人物だ。

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2012年8月26日 13時44分
サムライブルーの限界と可能性 〜サッカー男子 ロンドンの戦い〜
 
さてロンドン五輪日本男子の戦いについてですが、この間掲示板にも書きましたように、基本的にサッカーはA代表しか見ないので、決勝戦以外まともに見てませんが、ニュース等でチラ見した限りでは、どの試合においてもなでしこに負けてならじという選手の気概は伝わってきましたし、戦術面においても南アワールドカップ以前と比べれば格段の進歩だと思いますが、南アの失敗から何も学んでいないという意味においてこの監督は無能です。

南アの失敗とは?

それすなわちブログ及び掲示板で大会開始前から再三にわたって指摘している勝利とスタミナ配分の両立です。
ま、男子については、最初の目標が一次リーグ突破あたりだったようですので、それを前提にすれば決勝リーグでのガス欠は致し方のない面もありましたが、語弊を怖れずに言うならば、男子はスペインに勝つ必要はありませんでした。スペイン戦の勝利は、相手の慢心やエンジンのかかりの遅さをついた部分、そして永井という未知数によるビギナーズラックの部分が少なからずありましたが、それによって勢いに乗った反面、他チームの日本に対する警戒レベルをいたずらに引き上げてしまった部分も同時に存在します。
確かにあれで波に乗った面があるのは事実ですが、いくら若いとは言え、決勝までを見据えるなら、勢いだけでこの過密日程を戦い切ることは男子と言えどほぼ不可能でしょう。
私ならスペイン戦は”準備体操”と位置づけてそれなりに戦い、残り2戦を全力で戦って決勝リーグに駒を進めることを考えたでしょう。仮にスペインを破ることができたなら、星勘定を最優先して、残りの二試合のうち、どちらかの試合を捨てます。

ワールドカップドイツ大会あたりまで、日本男子チームは策も術もまるで持たない拙守拙攻のヘボであり、メンタルにおいてもそのころの日本男子サッカーは、”お遊戯”でした。
南アベスト16に残った岡田監督も、本人が”万事塞翁が馬”と自分で言っているように、私に言わせれば単に苦し紛れの策が的中したに過ぎない無能ですが、それでもドイツ大会以降、戦術面において日本のサッカーのレベル向上は目覚しいものがありました。
しかし同時に南アの戦いは相変わらず全く戦略を欠いた物であり、少しだけ見た今ロンドン3決戦においても確かに戦術面では工夫は見られたものの、戦略面で依然として南アの轍を見事に踏んでいたと言う事は、依然として戦略面での思考を全く欠いていたと言うことです。
今対ロンドン男子サッカーの監督を無能と書きましたが、別に無能なのはこの監督に限った事ではありません。
掲示板にも書きましたように私は大会当初よりスタミナ配分の重要性について言及してきましたが、一次リーグ開始前その事に言及している掲示板の投稿から専門家やスタッフ、メディアを含め私の知る限り皆無でした。結果が出る頃になって声高にそれをのたまっている人々も所詮後付けという事です。
そういう意味では、やはり各々の成績にある必然は存在します。

そして今ひとつの疑問は、負傷の永井をメキシコ戦に先発させ、3決にまで使ったその采配です。
仮に永井を外してもメキシコのあの鉄壁の守備ではよほどの運でもなければ日本の勝利はおぼつかなかったと確信しているところではありますが、それで最善の戦略を取らなかったという監督の責任が免責されるわけではありません。むしろ難敵であるばあるほど緻密な戦略が必要なのは言うまでもありません。
そして、無能であるだけならまだベスト4という結果を評価する事は可能ですが、メキシコ戦のみならず3決にまで本調子でない永井を起用した理由が、スペイン戦の夢よもう一度という、ロジカルな思考を全く欠いた困った時の神頼み的なセンチメントからなのであれば、この監督は、高校野球で疲労を度外視して、エースピッチャーに何連投もさせるスポ根一直線の監督同様、無能を通り越して失格です。
高校野球においては、無理な連投をしたがために、その後の選手生命を縮めてしまったという実例が実際にありますが、仮にここで無理をさせたことによって永井の選手生命を縮めるような事にでもなれば、取り返しがつかないからです。
アンダー云々と銘打っているくらいですから、男子のサッカー五輪選手は若く、この大会が有終なんかではなく、これから先がまだまだ長いのだから、五輪の成績と同時に選手の将来を考える事は指揮者として必須であり、その最低ラインを意識出来ていたか否か、甚だ疑問です。

さて、そんなさむらいブルーの今後ですが、次からは永井も徹底的に対策を立てられますから、よほど工夫しなければ、これまでのように自由に走り回ることもままならないでしょう。ロンドンの夢を再びは通用しません。ただ、丁寧にパスを繋ぎ、フィジカルや技術の劣勢を組織でカバーしようというコンセプト自体は間違っていないと思います。サッカーは組織のスポーツなのですから。
今ひとつの課題は、やはり精神面でしょう。良い時と悪い時のギャップが大きすぎる。
勢いのある試合、優勢な試合を理想的に進めることはどのチームにとっても比較的簡単です。問題は、先行された時や押されている時にどうやって踏ん張るかです。そうそう理想的な展開の試合ばかりが続くわけはないのですから。
なでしことサムライブルーの決定的な違いは、端的すればそれだけです。そしてそれが事の外結果を左右する。劣勢の時に踏ん張れるか否か、そこですね。
余談ですが、男子の日本とブラジルは非常に似てるところがありますね。すなわち、劣勢になるとたちまち平常心を失う、っていうあんまり嬉しくないポイントですが(笑)。ま、日本は冷え込む一方、対するブラジルは頭に血が昇る一方、で方向性はまるで逆ですけど(笑)。
ま、なでしこのあのしぶとさが20年来のアングラ生活の賜物だった事を考えれば、「それに比べて男子は。」というひゃっこい視線(笑)に耐えなければならない今の環境も決してマイナスばかりではないと思います。その視線に耐えつつ、妬んだりひがんだりせず精進してほしいものです。
これに関連して、帰国の際、男子はいかだで帰ってこいっていう意見もネットで見かけましたが、確かにスタミナと根性作りも兼ねて、いかだや素泳ぎ帰国を自ら企図して申し出るくらいなら、日本に着く頃には一回りも二回りもたくましくなっているような気がしますが、いかがでしょう?若きサムライブルーの皆様(笑)。
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2012年8月20日 20時10分
メキシコの”集”と”散” ロンドン五輪男子サッカー決勝に見るメキシコの戦略
 
掲示板だけじゃなく、ブログにおいてもつっかりサッカー三昧になってる今日この頃ですが…(笑)、まだまだ続くサッカー道。

というわけで!やっとこさ男子決勝見ました〜!(細切れ分割視聴)まず日本男子の前にメヒコについて。昨日ヤングなでしこもメヒコとやったみたいですけど、ヤングメヒコはどうだったのかな…?

男子メキシコは決勝戦以前は対日本戦で10分程度見ただけだったのですが、その短い時間のなかでも堅実な守備が光っていたと掲示板に書いたのは男子決勝前でしたが、あの守備はブラジルにも通用するものだったのね…本当に見事に統制され、秩序さえ存在するような守備だった。
選手同士がお団子になることなく、お互いにいい距離を保ち、どこにボールが出てもフォローに回れる選手がいる。シュートコース及びパスコースを丁寧に消しつつ、他方、一旦ブラジルの選手がボールを持てば直近の選手が二人三人と集まって潰しにかかる。ボールを奪い返せばまた散開。
この散と集の連動が実に滑らかかつ機能的でブラジルに持ち味を出させなかった。これが最大の勝因だと思います。

とこう書くとまるで組織のチームのようですが、これがどうして、個人のスキルも本当に高いものがあった。
パスは正確でキレもある。全員がピッチを俯瞰する目を持ち、常に最適コースを選択してパスが出される。足元のコントロールもブラジルに引けを取らない。
そういう意味では、むしろ個人の意識及び技量の高さのうえに立脚したシステムという事もできましょう。

ブラジルのどんな攻撃パターンにも対応できる体勢が整っていて、対するブラジルは攻め手を見つけあぐねて焦れてしまい、最後にはロングやミドル頼みの悪循環に。それだけなかなかゴール付近でブラジルらしいパフォーマンスをさせなかったと見るべきでしょう。

一番象徴的だったのが、サイドに深く切り込んだブラジルの選手が、いざゴールのほうを向いた時、シュートコースを潰すラインにメキシコのDFが三枚適度に間隔を空けて立っていて、一瞬ボールを出せるコースがなかったシーン。ブラジルの選手は一瞬どこに打ったらいいか躊躇してたな。

ネイマールは軽量という意味ではなく、やってる事に深さがなく、フッキとの差は経験の差でしょうか。この選手を見ててあらためて思いましたが、この体型でやれると言うことは、サッカーにおいてフィジカルはそんなに重要じゃないんじゃないかな…南アワールドカップでもスペイン相手に屈強なドイツDFが森の木立と化していたし…。ネイマールに関しては、すばしこさでかわしてるんじゃないかと思うんですけど…ま、さすがに足は強そうでしたが…。
この選手だけじゃなく、ブラジルの選手全体に言えることですが、思うようにプレーできない時間が長引くにつれ、技術とフィジカルにまかせた強引で丁寧さに欠けるプレーが目立ちました。
そんななかフッキはいい動きしてましたね。何人に囲まれても前向いて闘争心溢れるかつ執念深いプレーだった。
まぁブラジルの得点はメキシコの守備のミスですが。

勝負に関しては、ブラジルは先行されたため仕方がなかった面もありましたが、DFを一枚減らしてFWを追加が完全に裏目でしたね…メキシコの二点目は完全に穴が開いていた。目の覚めるようなシュートにブラジル守備陣誰も一歩も動けず。

ブラジルのタレントを考えれば組織と個の対決と見ることも可能でしょうが、組織に軍配が上がったと言う事は、技能やフィジカルにおいて例え劣っていても、上手く立ち回ればそれと対等以上に戦う事ができると言う意味で、男女を問わず体格的なハンデにコンプレックス持ちがちな東洋勢にとっては福音ではないでしょうか。

それにしてもこのメキシコの際立つ守備…一度スペインAとどっちが強いかやってほしいな…メヒコの鉄壁がスペインを寄せ付けないのか、それともスペインのインスピレーションがメヒコの守備をでくの棒にするのか、是非次回ワールドカップ等で実現してもらいたい魅力的な組み合わせですね。

ビバ!メヒコ!!ムビエン!ブエン・トラバーーーホッ!!
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2012年8月19日 18時49分
ミルズの炯眼 NHKの節穴(笑)〜N特『ミラクルボディ』の真相〜
 
今、ボルトについて言及した掲示板の過去ログ読み返すと、「四肢バラバラで、足のジョイントのボルトが一本飛んでそう」「全然速そうに見えない。」って書いてますが、あの走りのいびつさ。というかぎこちなさは、ボルトが一本飛んでたから、じゃなくて、背中の側湾のせいだったのね…う〜ん、そうだったのか!思わず膝打ち納得。

今回あらためてこの番組を見ても彼の走りは速そうに見えない。今にもひっくり返りそうなほど上体起きてるし、身体のキレはないし、ブレてるし、フォームも全くなってない。ドタバタ音がしそうなほど動きにムダが多く、今にも空中分解しそうなほど身体の各部位の連携がない。

でも速い。

ボルトのところだけタイムスケールが違ってるようにすら見える。

しかし、種明かしを見れば、そもそも車軸というべき脊椎に本来存在すべきでない横への歪曲があってその影響が全身に及んで身体の各部位が振り回されてる状態になるから無理もなかったんだな…う〜ん、結局その振り回しに耐えられるよう筋肉を鍛え上げて金。ってことだったのか…なるほどね。

以前この話題が出た時に掲示板で「フォームの改造、私はしないと思う。」と書いたのですが、あの時、変えない、というより変えられないんじゃないかと思いながら、書いてたんですけど、なぜって、これだけ速く走るためのセオリーなり理論が確立しているにもかかわらずそれが適用されてないというのは、ボルトがそれらを受け入れられない余程の頑固者か、あるいは、やろうとしてもやれない余程の不器用者かのどちらかじゃないか、おそらくは後者だろうと思ったんですよね…。

本人がやろうと思ってもできない。

その時はまさか側湾という理由が潜んでいるとは勿論知る由もがなだったので、極端に足の長さが違うとか身体のどこかが著しく非対称か、筋肉の質に何か特別な問題があると言った肉体的なものか、あるいは学習能力に難があるか前述のような心理的なところにその原因があるのかなと思ってたんですけど…そうだったのか。

ボルトのあの走り。

あれがいかにセオリーを無視し、そこから逸脱したものであろうと、背中に側湾を抱えた彼にとってはあの走り以外の選択肢は存在せず、彼の背中にとっては、いわば最も理に叶った、そしておそらくは唯一究極の”最適解”だったわけだ。

そしてそんな”特殊事情”を抱える彼の才能の開花は、いち早くその特性及びそれによる限界を見抜き、ボルトに通り一遍のセオリーを押し付けることなく、彼のその特性にあったオリジナルのトレーニングを柔軟に採用することで、文字通り他者に真似のできない独自の可能性に道を拓いたミルズの炯眼・手腕なしにはありえなかっただろう。その意味ではミルズのその炯眼こそ、ミラクルと呼ぶに相応しい。戦になるからというところまでをもまだボルトが無名の当初から見

100に挑戦したがるボルトに、100においては、最後にはスタート勝負になって、背中に問題を抱え足をまっすぐ出す事が難しいボルトには極めて困難な挑切り、最後までOKを出さなかったとは、なんという先見だろう。
同じく掲示板にてこの話題が出た当時、ボルトの走りは「名伯楽ミルズ氏によるところ大」って書いたわけですが、現実における彼の卓見は予想を遥かに超えるものであり、あらためて深い感銘を受ける。

勿論、いくらトレーニングを積んでも肉体的な能力がそれに呼応しない場合もあるし、単調なトレーニングを来る日も来る日も飽きる事なく反復する努力も時には天才と呼ぶべきものであることを考えれば、ボルト自身にもともとその素質が存在し、また彼が相応の努力を費やしたからこそ今の走りを獲得できたことは言うまでもないが、まず最初にあったのはミルズ氏のこの炯眼であり、基本的にボルトのやった事は、その指導を忠実に履行したにすぎないという意味で後発的なものと位置づけられる。

今回のように、通常身体的な欠陥とみなされるものが逆に突出した才能に結びついたケースは私の知る限りではボルトで二例目だ。
一例目は、女子スイマーのエバンスだが、彼女が実際に側湾やそれ以外の骨の変形を伴う疾病を患っていたか否かは知らないが、彼女の背中もまた水から出た時にはっきり視認できるほどその形がいびつだった。そして、むしろそれが水を鋭く切る事に奏功していた。

最後にボルトが独白していたように、側湾症は諸刃あって、その持ち主を生かすことも殺す事もできるものではあったが、選手生命を脅かしかねない致命を名伯楽の炯眼と選手自身の不断の努力によって天賦に変えた経緯こそ、まさに奇跡とも呼べるようなドラマチックなものだった。

ところで、このドラマに思い切りミソをつけてしまったのが、ほかならぬNHKのこの番組におけるアプローチだ。

確かにボルトの側湾を取り上げた事自体は、一定の評価に値するだろうが、例えばボルトの肩の揺れや腰のブレ、あるいはスタート時の足の暴れを最初にすっぱ抜いたのがNHKご自慢”もおこれしかないだろ!!”(笑)ハイスピードカメラだったってのならそら看板に偽りなしだろう。しかし、それらを予めそれらを、しかもハイスピードカメラ!!!等の特別な機材の手を借りることなく看破していたのは全てミルズコーチその人だ(まぁ、側湾については確かにレントゲンの手くらいは借りただろうが(笑))。
NHKがやったのは、それを”大得意中の得意・これが切り札だ!どうだ参ったか!”(笑)ハイスピードカメラ!!!(笑)で追試して焼直しただけ。それを自分(NHK)の特ダネみたく吹聴し倒すのは、他人のふんどしだろ。

第一、肩の揺れなんか、別にハイスピードカメラ!!!(笑)じゃなくてもフツーのカメラのスロー再生で十分確認可能じゃないのか?(笑)そもそもあれだけブレたら肉眼でも歴然だっつーの。実際ミルズ氏は自分の眼だけでそれを見抜いていたし、私やチャメ様もハイスピードキャメラアアア!(笑)なしで(笑)あっさり(笑)違和感を感じていたのは掲示板をご覧のとおりだ。おそらく少しでも見る目のある方ならば、同じような違和感を感じただろうと想像するが、であれば別にハイスピードカメラ(笑)じゃなければならない必然性なんか、どこにもない。

”超高速!!!”ハイスピードカメラ!!!(分かったから!(笑))はあくまで補助的要素にとどめて、ミルズコーチのインタを主軸にでもしていればここまで恥かかずにすんだものを、中心に「ハイスピードカメラが捉えた!ボルトの秘密!!」と据えてしまったから、完全に文脈が歪んでしまい、こないだ掲示板で指摘したようにラジオにまで出張ってこのミラクルシリーズをPRしまくってるんだから、NHK御大はそれに気づく気配もない。これを荒唐無稽と言わずして何を言う(笑)。

私的にも全編ミルズコーチの独白でも良かった。明らかに番組の作り方間違えてる、NHK(笑)。

一番首かしげたのは、腰の上下のブレによる加速をハンマーの振り下ろしになぞらえて、より高いところから足をふり降ろすためより大きな位置エネルギーを得て加速できる、みたいな解釈の部分。

あの解釈は正しいのか…?なんかものすごく違和感あった。違うだろ、それ。
少なくとも私の解釈は違うな。

あれは強いて例えるなら、足踏みミシンの踏み板とそれに連動する脚部の動作により近いんじゃないかと思うんですけど…。要するに回転運動(の一部)の中心角の大きさの問題だと思うんですけど、なんであれが位置エネルギーの問題になるの?ワケワカメー(笑)。

前述の”これがNHKのロイヤルストレートフラッシュ!!!”ハイスピードキャメラアアアア!!!(たまらんぞ、もう(笑))の位置づけだけでも相当問題があるが、万が一この解釈部分も誤っていたということになれば、その実験結果を読み解く専門家集団も自称だった疑いが出てくるが、そんな番組を堂々ゴールデンタイム放送した大丈夫か?NHK(笑)。

そもそもハイスピードカメラでなければ分からなかったのは、せいぜい厳密に弾き出された(笑)ボルトの左右の歩幅差と肩のぶれ具合くらいであって(ひゃはははははは)、それはこのボルトの奇跡においては幹ではなくむしろ枝葉末節であるが、それすら理解できないNHKにメディアを名乗る資格はあるのか。
一度視聴者センターにでも問い合わせてみようかとも思う今日この頃です…(笑)。
ついでになんであれがハンマーの振り下ろし・位置エネルギーの問題になるのかご自慢極まりない(笑)そのハイスピードカメラで以って実証・詳解お願いします。

ま、メカが優秀になればなるほど、あるいはそれに依存すればするほど人間はバカになる、というのが私の持論ですが(笑)、その立証番組としては意味があるかもしれません(笑)。

ちなみにデマで名高い四国デマ新聞も、8月4日一面社説もどきでこのN特を取り上げてましたが、N特の文脈をなぞるのみでミルズ氏の先見については一言も触れてませんでした。さすがですね(笑)。
こんな新聞に物事の真相を掬えというのが土台無理なお話です。

本当の驚きは、”NHK様的最重要強調ポイント”(笑)ハイスピードキャメラアアアア!!!!(笑)の性能においてではもとよりなく、独自の走りを獲得したボルト自身の才能にすらおいてでもなく、その起点ともいうべきミルズ氏の炯眼にこそ存在した事を考えれば、NHKの意図とは全く逆に、人間が本来持ち合わせている知覚・感性にこそ、無限の可能性が湛えられている事を、この番組は逆説的に照射している。
その可能性こそ真にミラクルと呼ぶべきものであって、ハイスピードキャメラアアアア!!!!(笑)はその婢女にすぎない、というのが今回、この番組から私が得た結論である。

その意味でこそ、あらためて人間の持つ可能性の深さに感動を禁じえない。


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2012年8月16日 20時8分
ロンドンの戦い 〜なでしこ アメリカ戦〜
 
お盆でバタバタの間隙縫いつつ、やっと試合とニュースその他一通り見ましたが…やっぱり悔しい花一匁。のそのあまり昨日おとついは雑感書けなかった…週末までほっとこうかと思ったけど忘れそうなので書いとこ。

なでしこの試合について街角インタ受けてた皆様、例外なく眠たそうだったのがいとをかし(笑)。起きてないと感想言えないもんね〜!(笑)

さてアメリカ戦。スタジアムの向こうに覗く紫色の空と星屑をちりばめたような八万の観衆のスタジアムとのコントラストが際立ち、幻想的でえもいわれぬ美しさ。世界の頂点を決めるゲームに相応しい荘厳さすら感じさせて、選手が口にしていたようにこの場でこのゲームを戦える幸せが伝わってくるようなワンシーンでした。こんなところでプレーできたらホント、選手冥利だよなぁ…。
スタンドの日米の応援がどのくらいの比率だったのか知りませんが、日本がボール持ったときの観客席の地の底からわきあがるようなどよめきに感動。

16分キラーなパスでしたが…。
17分も惜しい。こぼれ球慌てないでほしかったですが…。
37分、惜しい!
51分は決定的だった…ゴールまでコース生きてたのに…。
68分は危なかったな…。
得点シーン…やっと点入ったぁ〜〜、良かったああ…あれあるのとないのとで読後感ならぬ視聴後感がもう雲泥の差…。
最後の10分は見ごたえありましたね〜あれで勝ってたらもっと良かったけど(笑)。

アメリカのパスワークに対する対応が中途半端。削るのか、出させてカットするのか、様子見でずるずると一緒に下がってしまっていたな…工夫がなかった。
それと自ボールの時に目線が落ちがち。目の先しか見てないから、最適なスペースはあるのにそこにパスが出せない。もしかしたらボールを取られるのを怖がってたのかもしれませんが、もっと周り見ないと逆に取られやすくなる。この目線の萎縮がパスの精度の悪さに繋がっている部分はあったな…。
失点部分はどちらも相手を褒めるべきでしょう。あそこまで勢いのあるシュートを打たれてはどんなキーパーも止められない。仮にキーパーの手にあたっても弾かれてこぼれ球を押し込まれていただろう。
一点目はサイドから切り込んで日本の守備を分散させ、中央突破。スペースを広く使ったのが奏功しました。ロイド一人にしてやられましたが、スペース探すのが上手い選手ですね。モーガンは速さはあるけど判断がいまひとつ。闇雲に突っ込んでる感がなきにしもあらず。
アメリカのディフェンスは、もっと緩いのかと思ってたらどっこいどうして。得点シーンもあれだけ手数踏まなければ取れないなんて、アメリカさんもフランス戦の日本と同じくらい必死で守備してましたな。まぁ、日本の攻撃にスピードがなかったのもありますが…。
ハンドスルーの部分については、人間のやる事には限界もミスもあるし、大事な試合になればなるほどひとつのジャッジが試合の流れを左右することもあるので、ビデオ判定等取り入れてほしいと思いますが、しかしおかしいものなら例え自国人でも批判できるドイツはすごいね。体裁最優先で不祥事を監視する機関も一緒になってもみ消しまくってる日本じゃ考えられん。ドイツのフェアネスを見た思いだ。

選手別では、
岩渕はまだ青い。シュートは百戦錬磨のソロに読まれてました。この大一番で使うにはまだまだでしたが、これからしっかり経験を積んでなでしこを牽引してほしいです。
鮫島は完全に穴になっていたな…。鮫島については一次リーグ開始当初から幾度となく指摘してきたようにもっと早く代えるべきでした。特に前半の後ろ半分、あのスペースが完全にアメリカさんのスペースになって好き勝手に使われていた。監督に檄飛ばされてから少し動くようになってましたが、唯一起用の理由が分からない選手でした。この部分については、全体の総括であらためてもう少し詳しく書いてみたいと思います。
交代で入ったアメリカ4番は胸が厚くてものすごく肺活量ありそうだった。あんな選手が控えなのか…アメリカの層の厚さを感じました。
近賀は簡単に取られてましたね…なんでだろ…疲れかな?精彩がなかった。
丸山入れるなら私なら大儀見を外すな。大野の存在は非常に効いてたし、丸山と大儀見は役割がかぶって、補完ではなく、相克の部分があった。大野ならどちらとも補完の関係として相生とすることができる。ただ故障あがりの丸山は、ほとんどぶっつけ本番の状態で攻守反転のジョーカーとして使うにはやはり少し無理があったように思います。
それとキーパー。やはり私なら代えてるかな…。福元は多少疲れも見えましたし、実力拮抗すればするほど、運の部分が大きくなる。ここ一番はやはり運のある海堀を使って欲しかった。

さて、敗因ですが、ふたつある。

ひとつめは連携プレーの精度の差だ。
売りだったパスが最後まで本調子ではなかった。
パスは回を追うごとに良くなってはいたが、最後まで精度が悪く、コントロール・スピードとも足りてなかった。あれじゃ勝てん。アメリカが止めようのないドンピシャの連携を見せた事を考えれば、決定力の差の部分を差し引いても、ゲームを組み立てるためのパスや連携の差の部分のほうがむしろ大きいように感じた。

これについてはそのそもそもの原因が他にあるので、総括のほうで言及することにして、敗因のふたつめは、決定機を作れる選手層の厚さの差。
アメリカは、役者多く、例えひとりの選手が調子が悪くても他がそれをカバーして、全体を通して戦力をあまり上下させることなく波の少ない戦いをする事が可能だった。
決勝に関しては、ワンバックの疲労をロイドが補っていた。
おまけにこの多様性はDFの撹乱にも繋がる。
私が試合前に決勝はできればカナダとやりたかったと書いた最大の理由はこれですが、シンクレア一人だったなら、日本の守備力なら十分封じ込め可能だったでしょう。
果たせるかな、日本は”第三の女”とも言うべきロイドに食われました。
翻って日本は前線に大儀見一人。これでは何もできない。また大儀見に代わって投入できる選手もいなかった。
バレーで女子が銅取れたのは、真鍋監督のアイパッド戦略(笑)もさることながら3決に迫田というフレッシュが投入できたからですが、木村は中国戦がピークで後は消耗してましたから、彼女一本なら負けてました。

日本にはこの迫田にあたる選手がいなかった。
そして、ゲームを組み立てられる沢は守備に追われておちおち前線に上がってこられない。
起点が作れず、前線は孤立したまま。
掲示板で田中と二枚で使えればと書いたように、田中の投入は非常にいい判断でしたが、もっと早く、できればスタメンで沢と二枚使いするべきでした。
先行されてしまったのでより攻撃的にするために、私が考えていたのとはポジ逆でしたが、田中を入れて沢を攻撃参加に専念させた事は戦術として非常に理に叶ったものであり、惜しむらくは、時間が足りなかったですね…やはり。一点目を入れられた時に代えられなかったかと思いますが、まぁ、でも一点はワンチャンスですから、監督があそこで様子を見たのは責められないと思います。まぁ、でも私ならスタメンで田中と沢を今回と反対ポジ(守備重視)で起用してる。仮に先行されたら今回のように入れ替える。
沢一枚では攻守にわたる彼女の負担が重過ぎて結局両方が中途半端になってしまっていた。これがやはり一番痛かった。ここを考えるなら、日本は戦術的に最善を選んだとは言い難いな、やはり。

そして、上記のように田中投入で沢が攻撃に専念できる形ができましたが、それは裏をかえせば沢が攻撃参加しないと点が取れないとということ。今回の日本の限界はやはりそこだった。
アメリカがワンバックの代わりがいくらでもいたのに対し、交代要員も含め日本は駒が足りてなかった。それが全てであり、最大の敗因でした。

アメリカはこの駒の問題とスタミナの問題さえイーブンならフランスやブラジルよりは日本的には戦いやすい相手でした。縦パスさえ気をつければそんなに強くてどうにもならない相手には思えなかった。アメリカのほかの試合を見ていないので断言できない部分はあるものの、割となでしこの出方を見ながら待ちのプレーをしている部分があり、なでしこにワールドカップ取られたショックは日本が想像する以上に大きかったのかもと思わせるものがありました。
ただし念のためですが、それは戦う前からアメリカを舐めてかかるというのとは違います。さっきネタバレ回避のために読まなかったアメリカ戦開始後の掲示板のコメントを読んでましたら、試合前に「アメリカはフランスより勝負しやすいかも」なんて言ってる方がいましたが、今後の警告の意味も含めて敢えて書かせていただきますが、アメリカはどれほど警戒してもしすぎることのないほどのまぎれもない強豪です。マジなのか苦し紛れなのかは知りませんが、内容もその強豪相手に敢えてリスクテークみたいな事が書かれてあったのですが、実際試合に入って相手の戦力を計るのならいざ知らず、アメリカ相手に地力で劣る日本が最初からリスクテークなんかしたら私に言わせれば自殺行為です。
まぁ、あまりサッカーに詳しくない方なのかもしれませんし、お金を貰ってるコメンテーターとは違いますのでこれ以上は書きませんが、もし関係者のなかにそんな見方をする人間がいたなら(まぁ、いないと思いますけど)、そういう見くびりなり油断が、勝利への道を最も阻害するものだという事を心してほしいです。

アメリカとは決勝リーグ初戦で当たりたかったと一次リーグ終わる頃に3301に書きましたが、移動の件がなければ、決勝リーグ初戦で、休養できてる主力を投入し、かつ、沢と田中の二枚で挑めば…う〜ん…ちょっとまだ足りないか(笑)、あとメキシコ男子の守備ができればなぁ…、取れていたと思います(笑)。…ま、その後の勝敗は保証の限りではありませんが(笑)、やはりこの大一番は、最もコンディションの整っていた決勝リーグ最初でやりたかった。 さっきおとついのN特なでしこ半分くらい見ましたが、決勝戦の前に佐々木監督は選手にフランス戦のパスワークのビデオ見せたそうですが、私なら男子メキシコ戦のビデオ見せてる(笑)。あ、でも見せただけじゃダメか、練習しないと(笑)。

ま、上記敗因以外に、アメリカ勝利のMVPは過密日程でしょう。どっかにも書きましたが、終盤になればなるほど体力差は出てくるでしょうから。しかしその点は、なでしこも沢がなんとか最後まで持ったし幸運だったと見ることもできると思います。国内最後の壮行試合のオーストラリア戦のおやつれぶりを見た時はどうなる事かと思っていたのでそこは本当に良かった良かった。

ま、それはともかく上に挙げた敗因ふたつはいずれも修正可能なものであったので、感動貰ったからありがとう!と手放しで言えない理由はそこにある。
勿論選手は一生懸命やったし、佐々木監督もこれまでのど根性論一辺倒の無能監督と比べれば月とスッポンの名コーチである事は疑いない。しかしであるなら尚更、その奮闘に見合うふさわしい戦術を与えてほしかった。沢のキラーはどこが相手でもやはりキラーだったこと思えば痛恨だ。
この戦力・日程を考えれば、本当によくやった銀ですが、そこを考えればやはり一抹の悔しさは残る。
是非今後の検討材料にしてほしいです。

今年の夏の花はなでしこだった。勝って泣き、負けて笑ったなでしこは本当になでしこらしかった。

なでしこの皆様、お疲れさま!
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