くる天 |
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TALES OF NIGHTINGALE |
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ブログの説明: 〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。 |
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【衆院選】私の検証 自民・その挙動編 |
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そしてこの選挙における主張以上に問題にしなければならないのがこの党が何をやってきたか、の来し方、挙動部分だ。
戦後政治における自民の来し方がどれほどデタラメに満ち、本来最も国を憂える人々を駆逐して腐ってきたかについてはここでくだくだしく述べるより、孫崎氏の著書を一読いただいたほうが話が早いと思うので割愛するが、公設売春宿まで作ってプライドもGHQへつらいにまい進したのがこの政党だ。
「そんなこったろうと思った。」
『戦後日本の正体』を読んでの私の最初の感想であったが、政権あるいはその背後にある俗物どもが、如何にアメリカの御用聞きと堕し、あるいはこれを断じなければならない立場にありながら公正と中立という司法の魂を悪魔に売り渡してまさに政権の犬と化した検察と一体になって、真に国を憂い、アメリカの圧力に対抗しようとする人々に言われなき罪を被せて闇に葬り続ける事を生業としてきたかが、克明に記されているのであり、小沢氏裁判はその象徴である。
小沢裁判については稿をあらためて言及したいと思っているのでここで詳細には踏み込まないが一言だけ言及すれば、小沢氏の第七艦隊言及にも見られるように、アメリカの犬となる事を拒んだがゆえにこそ、ここまで敵視され続けなくてはならなかった側面は多分にある。そのカラクリが暴かれたのが一連の小沢裁判であり、強制審査を以ってしても無罪となったその経緯に鑑みれば、真の味方を国を挙げてバッシングしまくったというのがこの国の世論のあり方がどれほど異常か分かろうと言うものだ。 魔女狩りよろしく人格否定すら厭わないようなその有様は、もはや目を覆うばかりというような生易しいものではない。
孫崎氏の著書を見れば分かるように、戦後の政治を牛耳り続けたこの自民が主に傾注し、なした事は、米政権への阿り(おもねり)と我田引水のバラマキによる借金の積み上げ、そしてこれもアメリカの言うがままに原発を導入し、あまりにも杜撰な管理下におき、今の膨れ上がった借金と爆発した福島第一はそのあまりにも大きな負の遺産である。
この選挙期間中、安倍氏らがさかんに「古い自民党とは違う」と訴えているが、裏を返せば、本人自ら、これまでの自民党が、デタラメ千万でしたと白状しているしているようなものだ。 そして実際デタラメ千万だったのは上記の通りである。
それだけでも言語道断と言うべき体たらくだが、その狡からい利権ムラ揚げ足取りという基本的体質が少しも変わってないことを証明したのが震災後の挙動だ。 震災時この国賊自民が何をしたか。
あの大震災時、国政にあるものは与野を問わず、一致団結して挙国体制で対応にあたらなければならなかった。 しかし、自民を始めとする自称野党が専心特化したのは、対応にてんてこ舞いの政府の揚げ足取りと高みの見物、それだけだった。 例をいくつか挙げてみる。
菅氏が述べたのは2011年5月21日、複数の全国紙が、福島原発事故翌日の3月12日に、菅氏が原発への海水注入を「聞いてない」と止めさせ、結果としてメルトダウンが起こった、と報じた問題だ。 当時国のトップにあった菅氏の海水注入中断指示についてだが、
菅氏 「ある新聞社の知り合いから、『当時東電の広報担当者が新聞社やテレビ局を回り、菅が海水注入を止めさせた、という話をあちこちに言って歩いてましたよ』と聞いた」
しかし菅氏によれば菅氏自身はそのような指示は出しておらず、また実際には吉田昌郎所長が独断で注入を続行していたし、そもそも1号機のメルトダウンは事故当日の3月11日にすでに発生していた。
菅氏 「(菅氏に情報を伝えた)某新聞社は検証のためにいくつか取材して回ったところ、『どうも違うらしい』となって一切載せなかった。こないだのiPS細胞の森口(尚史氏)みたいなもんだよねえ」 http://www.j-cast.com/2012/11/11153437.html?p=1 (新宿ロフトプラスワンにおける独演会)
個人的には東電の全面撤退を阻止すべく現場にヘリで乗り込んだような菅氏が海水注入を中断する理由がどこにあるのか分からず、おそらく菅氏の言うとおりではないかと考えているが、仮にそんな指示があったとしても現場の判断で海水注入が続行されていたのは事実だ。
しかしそれを報道に先立つ形でメールマガジンなどで「万死に値する」などと批判を繰り広げていたのが当の安倍氏だ。「菅が海水注入を中断した」のデマ流したまさに超本人であり、混乱に乗じての自作自演はデマゴーグ以外の何物でもない。 そもそも震災直後の情報が錯綜している大混乱期のさなかに、真偽の定かでない情報を触れ回り、党利党略を図ること自体、悪逆非道と言うべきものであり、その悪辣さは糾弾に値する。 以降、これらの自民の”自作自演”や”揚げ足取り”は、「菅下ろし」に繋がっていくわけだが、菅氏が脱原発に動いたと時を同じくしてその動きが激化している事も見落とされてはならないだろう。
こんな話は枚挙に暇がない。
震災直後に「浜岡をさっさと動かせ!」と怒鳴ったのも自民石破氏なら、SPEEDIを知っていながら、政府の失点にするために黙っていたのも当時自民幹事長だった石原氏だ。
石原氏「(SPEEDIのデータについて)我々も知っていた。けど、黙っていたんだ。」(2011/06/06テレビタックル http://minkara.carview.co.jp/userid/889619/blog/27727890/
政権交代したばかりの官邸がSPEEDI等放射能対応システムについてどの程度熟知していたかは不明だ。個人的にはあの大混乱のさなか、そこまで考えがすぐに回らなかった事もありうると考えているが、システムを知らずに情報発信が遅れるのと故意に隠蔽するのとは全く事情が異なる。 仮に官邸がSPEEDIを把握して隠蔽していたとしても、であれば尚更石原氏属する自民はこれを注意喚起して国民に知らしめなければならなかったはずだ。 然るに石原氏が行ったのは、悪意ある意図的黙秘だった。
要するに、相手の失点を大きくするという党利党略のためなら国や国民の命を危機に晒す事すら厭わなかったのが、震災後の自民の実体だと言う事だ。そこに故意が存在する分、悪質であり陰湿だ。 人は自分が有利になった時にこそ、その本性が現れる。
谷垣氏 「これが政治だ。」
大震災発災後、谷垣氏が菅氏の協力要請を蹴った言葉がこれだ。
あの瞬間はまさに自民が、党利党略を捨て、また原発をおっ立てまくった責任に思いを致して与党とともに国難対応に全力であたるどころか、あの国難のさなかにあってすら、姑息極まりない政局至上に精を出して、政府の協力を蹴り倒し高みの見物をするという、国賊に転落した瞬間だった。
私は、自民が自らに国賊の烙印を押したこの言葉を決して忘れない。
自民が、国民の生命安全より自党の利益を重視して連立を拒否したあの瞬間に自民の国政政党としての意味は終えた。
インドネシアスマトラ沖地震において、当時、彼の国の政権と対立関係にあり血で血を洗う戦闘を繰り広げていた独立派組織「アチェ自由運動」(GAM)は、26日のスマトラ沖地震を受けて、休戦することを明らかに した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E5%B3%B6%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2004%E5%B9%B4) 戦争なんかしている場合ではないと判断したからだが、その判断は至極まっとうなあるべき判断であり、人道に鑑みて当然の態度だ。
しかるにそのスマトラ沖地震と並び類する規模の大震災に加えて原発の破綻という未曾有の事態に見舞われ、まさにかつてない国難に陥ったその時ですら、協力を惜しみ、あるいは一切の責任を政府に押し付けて高みの見物を決め込み、あるいは徹頭徹尾政府批判に明け暮れ、党利党略にまい進したのがこの自民だ。
まさに国賊だ。
これ以上の国賊もそうはない。
万死に値するわ。
インドネシアと日本と言えば、日本のほうが進んでいる先進国というイメージが一般的にはあろうが、
腐っているのはどちらか。
答えは言うまでもないだろう。
政府の対応を批判する向きが相当にあるが、一旦暴走を始めた原発をなんらの瑕疵もなく速やかに収束させられるような人間・機関がこの地球上に存在するのか。
それこそ人間が放射能耐性でも獲得しない限り生身の人間には到底不可能なのであり、それを根性論や政府機能論に置き換えるのは完全な筋違いだ。
他の政権なら速やかに収束できたと考えるのはあまりにも非現実的な酔狂というべきものだ。 誰も何も暴走を始めた原発を止めることはできない。
どころか、だ。
仮にあの時、この利権母体の自民が政権にあったらば、まさに癒着ズブズブの東電の全員退避を黙認して連鎖臨界で今頃日本は終わってただろう事、想像に難くない。当時の政権が自民以外にあったのは、むしろ不幸中の幸いであったとも言える。
そもそも今述べたように、一旦暴走を始めた原発をなんらの瑕疵もなく速やかに収束させられる事が不可能な以上、此度の原発アウトの責任は、その9割以上が、地震大国に原発を乱立させ、杜撰な管理のもとに置いたこの利権国賊政党自民にこそある。 それを棚にあげて当時たまたま政権にあり、その対応の当たらなければならなかった与党をバッシングし倒すなんぞは、まさに恥を知らない究極の厚顔無恥でなければできない悪逆非道の所業だ。
あの時この国賊自民がやらなければならなかった事は、党利党略を投げ打って政府に全面協力し、少なくとも対応にあたっている当事者を後ろから撃つような真似をする事ではなかった。 しかるにこの国賊自民はそれを平然とやってのけた。 まさに見下げ果てた根性といわねばなるまい。
この国賊野党があの国難のさなか、いの一番に考えていたのは、国の存亡などではなくまぎれもなく党利党略だと言う事、明々白々だ。
そしてそんな妄言に載せられた国民の責任も小さくはない。
一体あの震災直後菅氏バッシングに走りまくった自称メディアどもに踊らされず冷静に菅氏の対応を見守った人間がどれほどいたのか。
菅氏に罪を全て押し着せた自称メディアども及び思考停止でそれに付和雷同する国民と三位一体となって腐りきった根性の成れの果てを示したのがこの国賊自民であり、こんな芯から腐った政党が何らの咎も受けず解党もせず、国政に関わっている事自体、異常の極みだと言う事をまず国民は認識すべきだ。
福島第一は起こるべくして起こったのであり、法相田中氏が数十年前の暴力団同席問われて引責するならこの党はとうの昔に解党されなくなっていなければならない。それが筋を通すということだ。
責任を取らないですむのなら、誰でもどんなトンデモな事でもまかり通ってしまうのは当たり前だ。そしてそのトンデモ街道を営々と歩んできたのがこの国賊自民だ。
そしてそんな腐った党が、国民の物事の表面しか理解できない皮相をいいことに政策を人質にとって強請りのような手口で解散を確約させ、虚言妄言がとうとう党利党略の総仕上げとも言うべき解散にすら至らせ、今再び利権の王国を築かんと目論むというのがてしまったというのが現下の日本の状況だ。
こんな国賊自民に美しい国日本・強い国日本に言及する資格なんぞはならからない。
アメリカは改革未だ道半ばだが、オバマ氏を再選させた。 過去の負の遺産が大きければ大きいほど改革は一朝一夕にはならない。 その道中には試行錯誤も混乱も存在するが、それを疎んで自民に回帰すれば全ては元の木阿弥になる。 今国民がなすべきは救国のネコを被ったこの国賊自民に貴重な一票を投じる事ではなく、引導を渡す事に他ならない。 |
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【衆院選】私の検証 自民・エネルギー政策編 |
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次にエネルギー政策であるが、エネルギー政策に関して、自民は表向きは原発の扱いについては判断先送りということだが、先送りという事はすなわち今回の阿部氏再登壇同様、
「ほとぼりが覚めたころを見計らって旧態依然で動かしまくる。」
ということに他ならない。 そもそも争点化しないで判断を先送りするのは、脱原発が潮流となっている今、続原発をまともに表明すればまずいから以外に理由はない。
であるなら最初から続原発と結論は出ているということだ。
安倍氏「技術開発の結果も分からないうちに結論を出すのは無責任だ。」
以前にも似非評論家田勢某についての投稿の際に指摘した事があるが、これは推進派の盗人猛々しい全くの詭弁に過ぎない。 「技術開発の結果も分からない」とはまさしく安倍氏の言う通りだ。 しかし、そんな、「技術開発の結果も分からない」ようなものを日本中におっ立てまくり杜撰な管理の下に置いた責任はあくまで自民を始めとする推進派にこそある。脱原発派の責任では決してない。 てめえの欠陥をあたかも対立候補の問題点であるかの如くなすりつけ、それを理由に脱原発派を批判するなんぞは自民十八番の、盗人猛々しい論法もここに極まれりというべきものであり、その盗人猛々しさと責任転嫁の悪辣さにおいて自民はまさしく人後に落ちないと私が考える所以である。
昨年の福島第一で詳らかになったのは、原発推進派がこれまで唱えてきた原発が安価でクリーンで安全なエネルギーというお題目は全くのデタラメだったということだ。
高度経済成長をも瞬時に泡沫にしかねないほど高くつき、使用済み核燃料という、その影響が消えるまでに数万年という気の遠くなるような時間を要する手に負えないゴミを産生し、生態系を丸ごと滅ぼすという地獄をこの地球に招聘しかねないほどの危険性を潜在的に有する、それが原発の実体だ。
原発を動かさないと電気料金が割高になるという推進派の詭弁があるが、原発が安くつくのは必須不可欠であるにも関わらず廃炉費用を賦課してないからに過ぎない。 言わば、コストの先送りという帳簿上のイカサマであり、当然ながら廃炉には巨額の費用が必要になる。中長期的に見れば安くつくわけでは決してない。そんな金喰い原子炉が日本に54基ある(今回の事故で6基廃炉決定)。 廃廃炉費用以外にも使用済燃料管理費用が生じるが、六ヶ所は未だ肝心のガラス固化が稼働できないというお粗末さだ。
廃炉以前にもんじゅは、未だ1Wも発電してないが、維持管理に毎日6400万の費用が垂れ流し状態である。 原発はコスト的に全く見合わない。 化石燃料由来エネルギーは海外から燃料を買っているので原発のほうがコストがかからないとする推進派の主張があるが、原発にしても燃料を輸入に頼っている構図は全く同じだ。 ウランを採掘し、燃料棒に加工して原発に運ぶまでにどれだけの石油を使うのかか。 海外依存度を理由に原発を選択するというのは全くの詭弁に過ぎない。 ちなみに地政学的リスクに絡めて脱原発だとホルムズ海峡の有事の際がどうのという人間がいるが、原発があろうがなかろうが化石燃料の供給ルートを止められたら日本は終わる。 「原発があれば中東で何が起きても安心」ということにはなりはしない。 市場競争原理から言っても、原発はコストが膨大過ぎて、手を出す酔狂な企業は絶対にない。 市場主義、新自由主義観点からも「脱原発」が当然の帰結だ。 電力会社は長くても最低40年毎にその損失を算入しなければならないが、建設後から甘い蜜を吸い続けた社長は誰も損をしたくないという利己的な考で廃炉から逃げ続けて日本を破滅の淵に追いやることすら厭わない。
こんな無責任な電力会社を野放しにしていたらそのうち日本には人がすめなくなろうだろう。
以上見てきたようにこんなトンデモ事業が、にもかかわらず営々と続いてきたのは、ひとえに、原発利権という甘い蜜に群がる自民政権と経済界、政官財というアリがそのおいしい思いをやめたくなかったからという極めて狡からい理由に尽きる。
コスト的にも全く見合わないものを、ただ電力会社の経営とそれに癒着する原発利権というマフィアのために動かしているだけ、それが原発の実体だ。 まさに異常のひとことであり、そんな異常者どもが国や経済の中枢にはびこり、税金を吸血し続けたというのが自民政権下の原子力政策の実体だ。 そしてその金の亡者がもたらした無残な結果が、福島第一であり、全国にある老朽化し今や究極の迷惑施設と化そうとしている原子炉だ。
仮に原発につぎ込まれたこれだけの費用を全て子ども手当なり、代替エネルギーなりに回していたらば、日本は今頃どれほど豊かで安心な国になっていただろうか。 少なくとも大きな地震の度に震源地の原発は大丈夫かと肝を冷やす必要はなかっただろう。 そう、経済云々より何よりも一旦原発がアウトしてしまえば、どれほどの対価を以って贖えないほどの惨禍を立地エリアだけでなく、場合によっては世界中に及ぼす危険性を本源的に有し、その可能性は決してゼロにはならない。
大地震や大津波は千年に一度と言うとその頻度は非常に低いように思えるが、100年やってたら10分の1の確率だ。とても原発立地の理に叶う低い確率とは思えない。そしてたった1度の過酷事故で、場合によっては数万年にもわたって金儲けどころか生き物は誰も住まうことすらできなるなることだってあり得るのが原発だ。そんなリスクを犯してまで得なければならないものが果たしてあるのか。
昨年の大震災はどれだけ安い電力を供給できようが一回の事故ですべてが気泡と化すような原発を運用する危険性と向き合えと言う天の警告であり、福島第一の惨禍は効率ばかり追い求めすぎた、その”罪”に対する”罰”に他ならない。 そして最大の不条理は罰を蒙るのは罪をまい進した利権どもではなく、そこから締め出された市井の人々であるということだ。
そもそも掲示板で既に指摘しているように、1996年、2006年、2007年、2009年に、大津波による福島原発の事故を予想して右翼が言うところの「アカ」が何度も何度も危険性を指摘して、津波対策と電源喪失に備える対策をとるよう要求してきた。
2006年12月22日 総理大臣 安倍晋三 巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm 1-4 吉井英勝(共産党):海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか 安倍晋三:海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない
1-6 吉井:冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか 安倍:そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
1-7 吉井:冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか 安倍:そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
2-1 吉井:原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか 安倍:そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
上記のようにそれを「アカの荒唐無稽」と無視し続けてきたのが、自民党、原子力安全委員会、東電、読売、産経。そして原発利権に潤っていた周辺住民だ。
まず問われなければならないのは、それら利権に与った人々の責任であり、その筆頭が自民だ。
失敗の許されない原発で失敗した。
本来なら解党がセオリーだ。
大臣の数十年前の一度の暴力団関係者の結婚式出席が進退問題視されるなら、ここまで利権との癒着しまくり原発を破綻させた自民は即刻解党してしかるべきである。 ところが解党どころかそんな原発推進利権母体の自民が、国民や低俗自称メディアの皮相をいいことに、あたかも原発破綻の全責任が破綻当時の民主政府にあるかのごとく原告席に回って糾弾し倒し、今度の政権を狙うなどとは、どこまで厚顔なんだ、この腐れ政党は。
そしてそんな荒唐無稽に疑問すら呈さない日本。どこまで異常なんだ、この国は。
こんな腐れ政党が跋扈するのも異常だが、その甘言に乗せられる国民も国民だ。 民主が政権についてまだ三年だが、民主がダメならまたぞろ原発破綻原因の元凶ともいうべきこの腐れ自民に回帰なんてどこまでおめでたいんだ?世界中の笑い者だわ。
福島第一の事故については、震災当時政権にあった菅氏の対応のみがフォーカスされ批判されがちだが、民主政権は例えるならば、「敷地にいくつか原発という電気も生み出す”不発弾”を作ったが、絶対安全で爆発する事はありませんから。」と言われて、自民からその土地を引き継ぎ、それが破裂するべくして破裂した時にたまたま居合わせた”管理人”に過ぎない。 時系列を冷静に眺めれば責任の軽重は一目瞭然だ。 にもかかわらず全ての批判の矛先を菅氏に向け、人格攻撃も辞さずに彼を叩きまくった自称メディアとそれに呼応した当時の世論のありようは、日本人が如何に皮相しか見ない無思考かということを、これ以上ないほど雄弁に物語るものであった。この投稿の本旨ではないのでその話は別の機会に譲るが、福島第一事故の責任の重さでいえば、この地震列島に原発をおっ立てまくり、杜撰な管理のもとに放置し続けた自民の責任は、上記のように震災時にたまたま政権にあって事後対応にあたらなければならなかったに過ぎない民主のその比ではない。
そんな自民が、抜本的な反省をなすどころか、利権とつるんでほとぼりが覚めたころを見計らって虎視眈々と原発利権天国再びに与ろうと画策するというのがこの衆院選だ。 安倍氏も本来なら法廷に立っていてもおかしくない身でありながら、それが選挙カーの上で美しい日本をと連呼するなんぞはブラックジョークも甚だしいわ。 安倍氏が未だその罪を問われることなく今無罪放免で選挙遊説を行っているのは、アメリカの息がかかっているこの国の司法が全く機能していない事の証明にはなっても、彼が無罪であると言う証明には決してならない。
安部芳裕氏によれば、自民党は、原発推進をエサに経団連から選挙資金100億円を借金しているという。
「経団連は原発を続けることを条件に自民に100億円を出すことを決定」 http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=37191
自民の原発推進は、電力会社や経団連という利権とつるんで国民の生命・財産及び国土をカタにしたバクチそのものだが、バクチで蔵が立ったという話は聞いたことがない。
因みに自民中枢である石破氏の娘は東電に入社している。 http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG6/20110421/154/
その他、
麻生太郎「原発を止めたら電気代が10倍になるぞ」 http://www.news30over.com/archives/3837689.html
福島原発の定期検査の間隔を13ヶ月から24ヶ月に延長していた自民党 http://www.47news.jp/localnews/hukushima/2008/12/post_2422.html
東京電力からの献金の見返りに原発の緩い耐震設計を認可していた自民党 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-16/2007091615_01_0.html
IAEAからの日本の古い原発耐震指針への警告を無視していた自民党 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031622470108-n1.htm
米NRCによる日本の原発の冷却機能についての警鐘を無視していた自民党 http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=a.lK3UI3LjpM
野党の「福島原発の耐震安全性総点検等を求める申し入れ」を却下していた自民党 http://www.jcp-fukushima-pref.jp/seisaku/2007/20070724_02.html http://www.amazon.co.jp/dp/B005I19D0O/
自民と利権の癒着は挙げればきりがない。原子力安全委員会の歴代委員長は、自民党議員だった事からもそれは垣間見える。
そして今、安倍自民は経団連と原発堅持で意気投合。 電力会社各社は未着工の原発9基の新増設に「不退転の決意」。 これらの利権が中抜きを繰り返しながらカネを回し合うのがムラのやり方であり、真に実効性あるエネルギー改革などできるわけがない。 こんな利権党が政権にありつけば、またぞろ権益囲い込みの原発マフィアが跋扈する癒着の構図は目に見えている。 これらのズブズブな人間が占める自民に、原発ときっぱり決別し、新たなエネルギー政策を期待しろというほうが土台無理な話である。
自民のエネルギー政策は、最初から続原発で結論は出ており、代替エネルギー等エネルギー戦略における真剣な議論なんかする気は端からないくせに、党利党略のためなら議論のすり替えも責任転嫁も厭わないというのがこの自民であり、あたかも福島第一はなかったかのごとくのこの自民の姿勢ほど、国家を、そして福島の痛みを愚弄した態度も他にない。まさにのまごうかたなき国賊売国党だ。
この間も指摘したが、安倍氏は原発破綻を招いた言わば”A級戦犯”だ。 こんな人間に「美しく強い日本を」などと言う権利はどこにもない。
自民とそこから除外された人々の対立は、ムラ利権社会とそこから除外されている大多数の持たざる者との対決であるが、原発問題はその象徴である。
金のためならその亡者のお追従となってかけがえのない日本の国土と未来を原発マフィアの裁量と幸運に委ね、国土が灰と化す恐怖に怯えながらも一時の栄華に浮かれる事を選ぶのか。
あるいは、どんなに質素でもいいから生命を繋げる事を最優先に置く覚悟を以ってこれまでの経済至上とは違う慎ましくもより安全な未来を模索するのか。
問題はそこまで極限化しているのであり、今回のこの選挙ほど、国民の覚悟と判断が問われる選挙はほかにない。 また、今回の選挙ほど日本の行く末を決定的に羅針するかつてないほどの重さを持つ選挙もないだろう。
原発つきの今の日本列島は水風船を剣山の上に置いて剣山が揺れないよう運を天に任せているあやうさはかなさだということをどれほど苦しくても直視しなければならない。今度原発がアウトすれば日本は終わる。
地震を止められ、津波を止められ、その他森羅万象をコントロールできるなら、----私個人はそれでも原発には反対だが----、原発もまたひとつの選択肢になろう。
地震を止められるのか。
津波止められるのか。
止められないのであれば、原発を止めなければならない。
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来た!ちょっとだけ見た!存外面白かった!GPF男子雑感 |
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まだ政経全然片付いてないけど、寒いので先にGPF雑感(理由と言えるかどうか…(笑))。
昨晩のGPF、気になって寝付けず布団のなかで思わずワンセグアンドにちゃんの実況スレ(今季初めて覗いたけど面白かった!(笑))でチロチロ視聴。ライブやった〜!
・フェルナンデス…もお、昨晩のMVPはフェルナンデスに尽きる!みっつの4、特に最後の後半4Sは着氷直後にクルクル二回スピンまでつけて圧巻の一言!!!思わずワンセグの前で一緒にクルクル〜〜!!しゅごいいいいい〜〜!!!!フィギュアファン冥利に尽きる〜〜!!! 表現も出で立ちが決まっているわりに押してくるものがないSPよりFPのトボけた感じがしっくりくるかな…前にも書きましたが、なんか時々振る舞いがオサに酷似してるよに見えるのは信者なせいか。 4Sは本当に安定感があって失敗する気がしないな。ステップはむしろバンクーバーのほうがキレてたように感じた。4が複数あるのであまりステップに割く余力がないかもしれないけどそのあたりを底上げすれば本当に強くなると思う。 SPはインパクトがないな…ナリはでかいが性格は存外大人しいかもしれないフェルナンデス…ホントにラテンの血は流れているのか…フェルナンデス…(笑)。 ラテンで思い出したけど、お国柄フェルナンデスはもしかしたら小さい時サッカーやってたのかな…?足元の器用さとか、サッカーも片足でバランス取らないといけないので軸の強さとか、サッカー由来のようにも思えた…。 しかしSP出遅れがあるとは言え、4を3回投入でも4位とはすごい時代になったもんだ…。
・チャン…今回の結果は、誰よりもチャンにとってショックだっただろう、他の選手と違う氷に乗ってるようなすべらかなスケーティングは相変わらず溜息が出るほどだが、それでも食いつかれるようになってる。前に掲示板でも書きましたが、天才肌は肉薄されると脆い。 そして3A。後半の3A、高さで強引に持って行ってましたが、あんな跳び方する事自体、調子が悪い証拠だ。これも前に書いた事がありますがコーチ変更はやはり凶だ。3Aが安定しないと命取りになるだろう。どうするかな。
・高橋…中国杯の時、身体か心かどっちか目覚めてないと書きましたが、揃ってなかったのは靴だったのか、なるほどね。アドレナリンが出てないにしてもあまりにもヘッピリだったので疑問だったけど…それなら納得(笑)。 中国杯の時も思ったけど、4に工夫が見られるね。 その方向性は正しい。それをマスターできれば鬼に金棒だな。 ま、チャンは完全に射程に入った。チャンのコーチ変更は、弱かったPCS強化狙いだろうが、昨季の高橋の猛追がその遠因になった部分はおそらくある。さっきも書いたようにチャンのこのコーチ変更はおそらく凶と出るだろうと私は考えているが、残るは羽生だが、羽生も単品なら全く脅威ではないが、バックのオーサーが問題だ…ま、そのためのモロゾフだ。モロゾフだってバカじゃないし、滑るのはあくまで選手だ。
ま、今季は勝負は捨てていい。そんなものに一喜一憂する必要は全くない。
そんな事よりとにかく今取り組んでいる4の手法を完全に自分のものにする事とスタミナ上積みが今季最優先だ。
221にも書いたが、君の敵はチャンでも羽生でもない。仮想敵は故障、これあるのみ。
オーバーワークにならないよう細心の注意が必要だ。 ま、どれ程基礎トレしているか、ふくらはぎのトンガリ具合を見れば分かる。苦しいと思うがその調子だ、明智君。 テキトーに休憩合いの手いれつつがんばってくれたまえ!また会おう!ウワーッハッハッハッハッハッ!!!(なんで対高橋はいつも怪人二十面相風味になるのか…謎(笑)。)
・トンビ…羽生は逆だな。多分来年ワールドあたりでポシャるかと思ってましたが…思ってたより早かったな。 前に「基礎的体力が足りてない」と書きましたが、もっと具体的には肺活量。肺活量が足りてないんだな。 単純に容量の問題。あの全く厚みと幅のない胸を見れば一目瞭然だ。 今のフィギュア界で、第一線のアスリートに向いてない体型筆頭がこの羽生だ。ちなみに2位はルシ、ま、問題の所在は両者まったく異なるが、そりはともかく、そこが羽生の最大のネックになるだろう。 後半ヘロヘロは、肺活量のない人間がキャパオーバーの過激な運動をした時の典型だ。酸欠、特に脳が酸欠起こして一時的な脳貧血状態になるんだと思う。だから頭がフラフラになったり、何でもないところで身体のバランスが崩れてしまう。 んじゃ鍛えればいいじゃないかという意見があるかもしれないが、成長がほぼ止まっている今からしゃかりきトレーニングして負荷かけすぎると今度は気胸とかそんな事になりかねないんだよな、あの手合いは。
体型だけで言えば、レイノルズあたりも同じようにガリガリだけど、最後まで持つのは肺活量、すなわち肺の容量はそれなりにあるんだな、多分。マラソン選手見れば分かるように、やせてるからと言って肺活量がないとは限らない。 レイノルズも最近きちんと見てないのでなんともいえないところはあるが、少なくとも羽生のように上体に向かって逆三角形どころか先細りのような体型とは違うはずだ。
・町田…本当に町田の表現は面白いな…『火の鳥』に相応しい情熱的な演技だったと思う。GPFはいい経験にしてほしい。 衣装はGPFごほうびかな…?(笑)私的には前のがいいけどこっち使うなら足元にも赤入れたらいいかな。今のままじゃ頭の黒が重く感じるので…んでも、多分験担いで旧衣装使うかな(笑)。
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【衆院選】私の検証 自民・経済対策編 |
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次に経済対策であるが、安倍氏の主張は財政の大規模出動による公共投資だそうだ。 大規模出動を行うという事は、要するにまたぞろ借金を積み上げまくるという事に他ならない。
これだけでも目下の日本の窮状を全く理解できないクレイジー極まりないマッドなお話であるが、話はそれだけに留まらない。
建設国債を日銀に引き受けさせるという、まさに目的のためなら手段を選ばない暴走ともいうべき念のいれようだ。
「20円で万札が刷れるんだからどんどん輪転機を回せばいい。」(安倍氏)
という男に財政規律と言う概念があるとは到底思えない。 目的のためなら手段を選ばない点ではまさに偽札作りの発想と同根であり、まさに後先考えない詐欺師的手法といわねばならないが、それをあたかも正攻法のごとく国のど真ん中で声高に叫んで憚らないのが安倍現自民総裁だ。
日銀の白川総裁が、「日銀の強力な金融緩和策を反映して金融環境は緩和した状態にある」と述べ、自民党の安倍総裁ら積極緩和を求める動きに真っ向から反論、安倍氏が求める3%の物価上昇についても一般論と断ったうえで「現実的ではない」と一蹴した事からも自明なように、国債日銀引き受けは、ハイパーインフレを招聘し、場合によっては円の信認を無効にしかねない禁じ手であり、そもそもそんな手法を用いたところで喜ぶのは、その公共投資の受け皿であるゼネコンという利権とそこからの票を期待するこの腐りきった利権自民だけだ。
まさに「悪魔のギブ&テイク」というべきものだろう。一般の国民がその恩恵に与れる道筋はどこにも見えない。
今述べたように、大型公共投資にいくら財政出動したことろでそれによって潤うのは、それを吸収するゼネコンその他の利権と言う極めて限られた部分だけであるという構造それ自体が最大の問題であるのに、それは全く是正されないままである。必然、富の偏在は正されるどころか更に強化され、富める者はますます富み、富まざる者はますます貧するというからくりがそのまま放置される事になる。
今日日本の経済状況の最大の問題点はまさにそこにこそある。 そして自民の手法は、ますます一部の富裕層による富の囲い込みに寄与しこそすれ、それを解消することには全く無効と言う点で古今東西首尾一貫している。
参考までに麻生氏に始まるエコ減税において、国はベンツの自動車税まで大幅減額して富裕層に寄与したが、その分国が借金を積み増すことになり、富裕層は今度は国債の利息で儲けることになる。
国の借金900兆円とすると、一人あたり900万円、利息分1%が9万円(非生産者層(赤ちゃんや老人)を含む) となり、四人家族で年36万円の税金が、適正な財政支出ではなく、ただの利息で消えていくという状態だ。
それを受け取るのがまたも富裕層たる資産家であり、高額所得者や資産家は課税率が高いと見られがちだが、実はこういう”キャッシュバックシステム”で守られている。
因みに安倍氏は現下の円安株高を捉えてあたかも自らの主張の成果のように述べて我田引水甚だしいが、
国際協力銀行の渡辺副総裁(元財務官) 「自民・安倍総裁の発言がなくても円安だったかもしれない」
原因と結果の因果は丹念な精査の後にこそ証明されるのであって今ここでの我田引水は、自民十八番の
「悪い事は全部与党のせい 良い事は全部自党のせい」(笑)
というこれまた票目当てに最大特化されたペテン師の牽強付会である事は論を待たない。
百歩譲ってそれが安倍氏の主張のせいであったとして、お金刷り放題なんて言えば投機が大喜びするのは至極当たり前の話であり、無節操な財政出動に投機が飛びついただけの話だが、それがあるべき健全な経済の姿であるか否かは全く別の話である。
安倍氏、すなわち自民の主張が如何に現実ばなれした荒唐無稽で満たされているか、これだけでも知れようというものであるが、最も問題なのは先ほども述べたようにこの党の施策が悉く利権ムラその他、”持てる者”への局所集中に堕している点だ。同じ財政出動するなら日本未来の子ども手当のほうが、投下先が一定グループに偏在しない点と、本当に必要な所に投下できているという点だけとってもはるかにマシだ。
増税法案成立過程において、利権ムラ政党自民の支持層である富裕者層への課税強化を骨抜きにしたのもこの自民なら、福祉目的オンリーだったはずの増税分において、またしても公共投資という名のゼネコン利権集中投下への抜け道を残させたのもこの自民だ。
民主の社会保障への取り組みは、自民の主張する”大規模ナントカ!!”と比べるとどうしても地味に見えてしまうきらいがある事は否めないが、社会保障を最大優先課題とするその指向性自体は、地に足のついた堅実な考え方であり、私は間違っていないと思う。
先日も指摘したようにどこぞの自称専門家どもならいざ知らず、打ち上げ花火じゃあるまいし、派手で耳目を集めればいいというものでないのは政治においては至極当たり前の事だ。 むしろ、打ち上げ花火の華やかさに幻惑されて、その後ろの負の側面に目が行かなくなってしまう事が一番問題であるし、打ち上げ花火を打ち上げる自民ら張本人たちの狙いももちろんそこにある。 であるなら、そんな耳目を集める”派手さ”を誇張している事自体、自民が有能な集団であることではなく、撹乱をこそ党是としているまともな党でない事の何よりの証であり、実際利権とムラにまみれた政局党に過ぎない。
民主の経済対策もまた、全く問題がないわけというわけでは勿論ない。上記のような派手さもない。 しかし、これだけ国の借金を積み上げた最大の戦犯でありながら、今また性懲りもなく同じ手法を用いてでも政権に与ろうとする支離滅裂な自民よりははるかにマシであると私は考える。 社会保障重点化という指向性は経済対策としては”遅効性”なので効果が表れるのにどうしてもタイムラグが生じる事も、国民は理解する必要があるだろう。
先の政権時代、自民は先進国中まれに見る膨大な借金を積み上げて置きながら、その事に対する問題意識や反省は未だ皆無である。
今自民は、「以前とは違う!!新しい自民!!」(笑)とイメージ払拭に躍起だが、この経済対策を見ただけでも旧態依然のままであると言う事が知れようというものである。 利権に我田引水で借金を積み上げまくった政党がまともであるはずがないが、今もやっぱり旧態依然のクレイジーさだと言う事を見誤らない細心が必要だ。
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【衆院選】私の検証 自民・外交編 |
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衆院選にあたり何回かに分けて各党の主張・これまでの挙動を検証してみる。
まず最初に自民の外交についてだが、自民安倍氏がアメリカとの「同盟関係強化」と言う時それは、アメリカの犬に成り下がるという趣旨に同義である。 孫崎亨氏の『戦後史の正体』にもあるように、GHQのご機嫌取り結ぶために、あるいはそれに取り入るために、公営売春宿を作ることすら厭わなかったのが戦後政権にあずかったこの党の面々だ。 アメリカには頭を撫でてもらえるかもしれないが、それもアメリカの意に沿えば、という大前提においてのみである。 仮にアメリカに立て付けばどうなるかは小沢氏の人格攻撃にまで及ぶ不当なまでのバッシングを見れば自明である。 様々な人々によって既に指摘されているように、私も小沢氏が不当起訴され自称メディアらによってここまで悪役に仕立て上げられスケープゴートにされたその最大の要因は、おそらく「アメリカのプレゼンス(存在感)は、私は必要だと思っております。それはおおむね、第7艦隊の存在で十分じゃないかなと」(2009年2月25日大阪市内にて)にあるような自律性の指向ではないかと考えているが、その事は、無罪確定によってある程度立証されたといえる。 因みに民主の尖閣の対応は概ね妥当だったと考えている。無主地先占は国際法上の定めであり、国際司法裁判所への付託は非常に効果的かつ実際的であり、裁判を受けないという中国や韓国の対応それ自体が彼らの主張が国際法上の根拠を欠くという、ひとつの答えなのだから。
自民となあなあズブズブの経団連が早速歩調をあわせて政府批判を展開していたが、そもそも尖閣問題については、寝た子を起こすような真似をしたのは石原前都知事であって民主が仕掛けたわけではもとよりない。石原氏の拙速のとばっちりを受けて尻拭いに当たらなければならなかったという点では政府はむしろ被害者の側面すらあるのが事実なのであり、それをあたかも与党の失点かのごとく言い募るは、まさに信号機が青いのも横断歩道がゼブラなのもなにもかもひっくるめて与党が悪い、という、四国デマ新聞をはじめとする自称メディアが駆使するデタラメ論法と寸分違わない的外れの言われなき批判であって、言いがかりもいいことろだ。 尖閣問題を放置してきたという点では自民も全く同罪であり、上記経緯を丁寧に読み解けば尖閣における政府批判一辺倒がお門違いなのは自明であり、批判の矛先は石原都知事その人にこそ向けられるべきものである。 尖閣に端を発する日中冷却の責任を取らなければならないのは第一義的に石原氏である。 それが理解できない経団連の米倉氏は、自民同様、文脈を読み解く能力がない無能という事を証明しているに過ぎない。
いずれにせよ、過度に対立的な路線を取ったりしなかった事は賢明であり、それが証拠に対中国においても一時期の過激な反日行為は沈静化の傾向にあって、それ以上の事態には至っていない。今となっては中国国内からも過激な反日行為に対しての批判が出てきている。 何よりも、領土問題にかこつけて、ここぞとばかりにいたずらにナショナリズムを煽るような、党利党略のためなら何をも厭わない自民などよりははるかに冷静でマシな対応だ。 その事は以前掲示板にも書いたように安倍氏よりはまだ野田氏のほうが”話せる”と見ている韓国の対応からも裏付けられる。 弱腰弱腰という批判があるが、外交は強腰であたればいいというものでもない。 国防強化はまた、徴兵制に道を開きかねないものであり、安倍氏のタカタカした言動を見ているとその懸念が現実になる日がないと保証できる人間がいるだろうか。 そもそもだ、斎藤美奈子氏の言にあるように(※)、日本の海と国土と人民は、安倍氏言うところのそれら仮想敵以前に放射能で取り返しがつかないほどに「侵され」ているというのが実情だ。 その責任の九分九厘は原発をこの地震大国におっ立てまくり杜撰な管理のままに放置しておいた自民にこそある。 外交についてもせめて孫崎氏の著書くらいは目を通して、自己利益を至上とする心ない戦後自民の政権中枢によって一体どのようにこの国の自律性がないがしろにされ、国政が歪め続けられてきたのか知るべきである。 冒頭書いたように、この党が「日米同盟関係の強化」という時、それはアメリカの属国化の道である事は歴史が実証済みなのであり、この党が政権を担うと言う事は自律的外交選択の放棄と敗北を意味する。 果たして、そんな好戦的で党利党略利権のためならナショナリズムを鼓舞しまくり、なんとなれば戦争すら政局の具にしかねない自らの保身第一主義の党に国政が任せられるか、再考を促したい。
※ 斎藤美奈子氏「安倍新総裁は「日本の美しい海、領土が侵されようとしている。危機的な状況だ」と総裁選で訴えた。 しかし日本の海と国土は、外敵以前に放射能で「侵され」ている。」 http://twitpic.com/b129pj |
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四国デマ新聞に見るデマ師の系譜 〜田勢康弘の場合〜 |
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さて岩見某に続いて今回は、政局専門デマ師筆頭後藤謙次と並んで、この押しも押されもしないデマ紙である四国新聞における自称政治評論家、その実日和見御用物書き田勢康弘氏による代表選コラム(2012年9月17日1面(引用部分全て同じ))を取り上げてみたい。
最初に氏は、自民・民主両党の代表選を比較して、
「民主党も代表選を行っているはずなのに、テレビで見る機会は自民党の半分もない。」
とするが、それはメディアの偏向の問題であって別に民主の問題ではない。しかるにこの田勢某はその原因を、
「民主党はもっと知恵を絞るべきだったと思う」。
とし、より具体的には、
「野田首相の再選が確実だから、テレビ局は飛びつかない。〜(中略)〜民主党に少しでも関心を持ってもらいたいと思うなら、あるいは、選挙で少しでも議席減を食い止めたいと思うなら、なぜ、人気のある細野豪志環境相を対抗馬にしなかったのか。」
果たして新聞とあわせ今や自称メディアの極みと成り果てているていたらくテレビ局の取り上げ方を物事の価値判断の指標としていいか、というそもそもの疑問については後述するとして、まずこれを、この田勢某が、細野氏が真に総理候補に相応しいので立候補すべきと考えていると見るべきか、あるいは、相応しいかどうかは別にして選挙向けのパンダとして立候補すべきだったと見るべきか。
「選挙で少しでも議席減を食い止めたいと思うなら」
とあるし、仮に、細野氏擁立が、その資質に基づくものであるなら、「人気があるから」(笑)という文脈はありえないのでおそらく後者だろう。
その論理は正しいのか。
答えは否だ。
娯楽興行なら客の入りを気にしなければならないが、政党の代表選は、公開であるとは言え、第一義的には党の代表を選ぶための党内人事であり、別に顔見世興行でもなければ、呼び込みのチンドン屋のパフォーマンスでもない。
与党にある場合その代表選が、国のトップである総理の選出に直結するが、であればなおさら、人気取りや耳目集めのためでなく、国のトップとして要求される資質を備えた者が立候補し、その思い描く国のあり方を主張し、論戦を戦わせるための場として代表選があるべきであり、決して耳目集めやまして票集めに目的化して行うべきではないと私は考えるが、この田勢某にとっては客寄せ興行の意味合いのほうがそれらの本来的な目的よりもはるかに大きいらしい。 そして、上記の意味では小策を弄してデマゴーグに走らなかった民主は、本分を弁えているとして評価すべきであると私は考えるが、この田勢某は耳目が集まらなかったという理由でそれを批判しているのである。
間違っているのはどっちか。
言うまでもなく田勢某のほうだ。
人気さえあるなら例え総理の器でもない人物だろうがなりふりかまうことはない、それを引っ張り出して耳目を集めろという事は、この国のトップの選出を兼ねる選挙を、客集めのための面白おかしい一種の見世物にしろと言っているに等しく、枝と幹の転倒に他ならない。 それが更に内容のある代表選に結びつくなら意味もあろうが、政治において人気や耳目の多寡と資質の深浅は基本的に何の因果関係もない。むしろ、耳目を集める事を目的化すれば、政治はたちまち衆愚に堕するのは、今更言うまでもない。それでなくとも、凡人にはできない問題の本質的を見極める素質に優れているがゆえにそれらを理解できない凡人の感情的な反発を食らってしまう事さえあるのがこの国だ。
耳目を集める政治が必ずしも賢明な政治とは限らないということだ。
自称メディアに煽られて仮に国民が代表選に目新しさやサプライズを求めているのであれば、おかしいのは、代表選にそんなものを求める国民のほうである。
そもそも冒頭に書いたように、デタラメの極みにあるこの国の自称メディアにおける露出の多寡が、問題の重要性やその価値の高低とは全く無関係であり、そこにおける取り扱いは、物事の価値判断を損ないかねないまるであてにならない道具でありこそすれ、信頼に足る明快な羅針盤にはなりえず、真っ当な評価を下そうと思うならば、決してその物差しを用いるべきでない、ほとんど禁忌である事は、大震災後一年以上が経過した今、ある程度この国の報道を知る者ならば、ほとんど周知の事実であるが、井の中のデマ師はそんな事は知る由もないらしい。 この人間の民主代表選への批判は、その代表選の欠陥ではなく単にこの自称専門家の資質のお粗末さをこそ露呈しているに過ぎない。
仮に、最初に排除した選択肢、この自称専門家が細野氏が総理に適任だと思うのであれば、その根拠について言及しなければならないが、さすがは類は友と言うべきか(笑)、先の岩見デマ師同様、そんなものはどこにも見当たらない。 あるのはただ、細野氏が「人気者だから。」(笑)という、デマゴーグの王道をゆくお粗末な理由のみなのである。
ちなみに細野氏の資質についてこの機会に一言だけ付け加えるとするならば、私は彼が総理の器に相応しいと思った事はこれまで一度もない。 国民受けがいい事や上意下達で命令を忠実に実行する手足としての能力と、国のトップとして大局を見据え、最善の判断を下す頭(かしら)としての能力は全く別物であり、細野氏が前者には長けていても後者は全く未知数であり、少なくとも現段階で細野氏に彼でなくては語れない国家ビジョンがあるようにはとても思えない。 その意味では、党内の融和を慮って出馬を踏みとどまった細野氏の判断もまた評価されるべきである。
だいたいこうデマ師に限って、仮に細野氏が立候補して党内を二分するような事にでもなればにここぞとばかりに亀裂だ分裂だ、と騒ぎ立てると相場は決まっている。もともとそういう政局についての思考しか持たず、それを政治の本分とする過ちを平気で犯しているからだ。これらの自称政治専門家を政局専門家と私が呼ぶ所以である。 この自称専門家にとっては、おそらく人気=器なのだろう(笑)し、あるべき代表選よりも耳目を集めて注目を浴びている代表選のほうが立派な代表選ということなのだろう(笑笑)が、政治というものは本来地味だ。批判されるべきは、そんな面白くもない政治に辛抱できず、スキャンダラスな展開や目新しさを求める国民であるのに、田勢が吠えているのは、本来やるべき代表選を履行したに過ぎない民主のほうである。
これがポピュリズムでなくて何がポピュリズム?
いかにこの自称専門家が目的と手段、そして正誤を取り違えたデタラメ論者か、ここの部分をかいつまんだだけでも知れようというものである。 そもそもこの田勢某は、反原発を指向する政治家を大衆迎合と言って憚らなかった人間だ。 反原発への理解をポピュリズムと嘲ったこの人間の、この思考がポピュリズムでなくて何か。
「勝敗に無縁の消化試合のようだ。」
消化試合、大いに結構。勝敗や観衆の多寡にこだわる必要がどこにあろうか。そんなものを求める輩のほうがおかしいのだ。
与党たる民主が今最も力を傾注しなければならない事は、わざわざ人気者を対抗馬に仕立てていたずらにメディアや大衆を賑わわせる事ではなく、粛々と代表選を行い、そのもとで山積の懸案をひとつでも片付けていくことにこそある。 その意味で民主代表選は、本来あるべき代表選という意味では極めて妥当だった。党内対立が深刻化してこれ以上の亀裂回避と言う意味でも評価していい。
話を進める。
次に自民へのこの自称専門家(何の専門家かは不明(笑))の評価だが、
「自民党5候補の話を聞いていて、さすがに自民党には首相が務まりそうな人材がかなりいるな、と思わせる。」
この度のハリケーンサンディの襲来において、アメリカ民主・共和両党は一時休戦し、バージニアの共和党州知事は宿敵ともいうべき民主のオバマ氏の努力を率直に評価し、必要とあらば党派を超えて挙国結束できるアメリカの懐の深さ示した。 翻ってこの日本において、そのハリケーンとは被害の甚大さにおいて比較にならない千年に一度の大震災において、与党に全面的な協力を申し出るどころか、ここぞとばかりにその自然災害をさえ党利党略の具とし、徹底的な与党糾弾の口実としてそれに終始し、それだけに飽き足らず、ほとんど強請りのような手口で総理に解散を確約させ、以降、口を開けば解散の二文字しか言わず、尖閣にかこつけて、韓国がこんな安倍氏よりはまだマシだろうと野田政権との関係修復を急ぐような、いたずらにナショナリズムを煽る、徹底して党利党略を至上とした自民の、どこが「さすがに」なのか、私にはさっぱり分からないが、耳目を集めるためならデマゴーグを駆使せよと考える人間には、賑わっていればそれだけで随分と立派に見えるのだろう、大笑いである(笑)。
自民が事あれかしとばかりに、過去との整合性や行動の妥当性は放り投げて、盗人猛々しい論法を繰り出し続けるのも、こういう思考停止した人間が存在すればこそだろう。
「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えているように見える。」
確かに自民の論述は単純だ。「あの人は嘘つき」(笑)とか「あの人は悪い人」(笑笑)と言う、”悪者探し”とそのラベリングという人格攻撃に専心特化する、自民が古今東西を通じて駆使している究極の大衆煽動論は、分かりやすいには違いない。 しかしそれが国政政党としてあるべき主張かどうかはまた話が全く別である。 およそ一国の国政政党の中枢とも思えないようなこれらの幼稚極まりない自民の論法は、お粗末を通り越してうそ寒くさえある。あるのはつまるところ、政治の本質とは完全に乖離した善悪二元論だけなのだから。
ちなみにこの「分かりやすく答えているように見える。」についても根拠・類例の記述は見られない。
「(田勢某の自分の番組にも)出てもらったが、本番前にはスタジオで冗談を言い合ったりして和気あいあいだ。プラモデルが趣味の石破茂氏と安倍晋三氏が、子供のころ作った戦車の話で盛り上がっていた。昔の総裁選とはずいぶん違うな、と思わせる。」
「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えているように見える。」とあるので、次にそう考える理由なり根拠の話が続くのかと思いきや、田勢某が続けたのが上記である。 分かりやすく答えている事と本番前の和気あいあいやプラモデル話(笑)に本来、何の因果関係もないはずであり、まして親しみやすさのコンテストというならともかく、それらが首相の資質を測る指標になるとも到底思えない(笑)が、それともこの自称専門家にとっては、本番前のこれらの挙動が話の分かりやすさや首相の資質と密接に連関(笑)するのだろうか?(笑)吉本そこのけのナンセンスギャグとしか思えない(笑)話ではあるが、それならそれで、この田勢某以外には如何に荒唐無稽に思えようとも、その因果の根拠をつまびらかにしなければなるまいが、それも例によってどこにも見当たらない。ま、そんな証明自体、土台無理なので当たり前といえば当たり前だが、ギャグならしかるべき娯楽欄にすべきと思うが、本人も四国デマ紙も至って真面目に政経欄展開だ(笑笑)。
本番前にいくら朗らかだろうと、プラモデルの戦車作りで盛り上がろうと、そんな事は、「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えている」事とは、縁もゆかりもない話であり、ましてやその根拠には決してなりはしない。 そんな理屈にもならない理屈を持ち出して、そこには密接な因果関係(笑)があると信じて疑わないのはこの自称専門家やそれを堂々一面政経として掲載する四国デマ紙くらいだろう。まさにデマ師の面目躍如、見事な連携プレーと言ったところか(笑)。 先の岩見某と同じく、こんなデマゴーガーに民主代表選がおかしく、そして自民のそれが正しくみえても別におかしくはない。判断能力がそもそも本来要求されるレベルに足りてないのだから。
話の分かりやすさとは、本来難しい話を平易な表現で簡潔に噛み砕いて説明できる能力だと個人的には思うが、自民が現在駆使しているものがそんな大層なものでない事はこれまで見てきた通りである。 この国賊政局党の頭にあるのは、如何に話を政局という横道に逸らし、党利党略に結びつけるか、それだけだ。 こんな政局政党が性懲りもなく政党でございと大手を振っている現状については、じっくり腰を据えて頭を使わなければならないところを、とりあえず手っ取り早く結論だけを求め感情任せに判断して省みない、国民の側にもこれらの跋扈を許した責任は当然ある。
更にデマ師のヨタ話は続く。
「印象的だったのは、「原発2030年代にゼロ」という民主党政権の方針に全員が「×」をつけたことと、「自民党が政権復帰したら株価が一万円を超える」に全員が「○」と答えたことだ。」
如何にもデマゴーガーがしつらえそうな、そのサンプルと言っていいような文面ではあるが、質問項目に○×つける事自体は別にこの五人でなくとも誰にでも可能な簡単な質疑応答に過ぎない。 問題は、それが妥当か否か、あるいは実現可能か否かは全く別の話であるのに、そこにこの田尾某の言及は例によって全く及んでいない。
あたかも、自民の言うことなら何でも無批判に正しいと見ているかのごとくに、だ。
このデマ文章の最大のポイントはここである。
「昔の総裁選とはずいぶん違うな、と思わせる。」に続けて、この文脈を持ち出すのがそもそも印象操作以外の何物でもないが、「原発ゼロに×」する事や「株価が一万円を超える」が正しいか否か、あるいは実行可能かどうかは全く分からない。それらが妥当か実現可能かの客観的検証等からは全く乖離して、この自称専門家の皮相デマ師にとって印象的だった、というただそれだけの事である。 ではこの御仁の印象の深浅と客観的な妥当性はリンクするのか?
答えは否だ。
印象というのは、客観的根拠を持たないロジックとは対極の場所に位置するからだ。 ちなみに何故にこの田勢某にとってそれらが印象深かったかと想像すれば、それらの選択が、福島第一破綻の後にあってなお原発再稼動を何の躊躇もなく嗜好する未だ右肩上がり成長の幻惑に囚われたままのこの田勢某にとって最も合致するという、それ以上の理由があるとはとても思えないし、実際それらの推測を覆す何の記述も見当たらない。 しかるに、わざわざこれらの文に印象的と言ったような極めて主観的に過ぎない言葉を紛れ込ませるという手法は、あたかも自民が政権を取りさえすれば、全てがうまくいくかのような、こういった種類の文章に本来あるべき客観性や公平性に鑑みて決して存在してはならない予断を与えるような類の文章でこのコラムは構成されている何よりの証左である。 そして、このようなデマ師たちの目的が、概して政治を読み解く事それ自体よりも、特定の意見に読者を誘導する事が目的化している場合が非常に多いのもまた事実である。 実際そのような文章を書き連ねるデマ師の主張たちが、秋の夜長の余興になりこそすれ、政治を読み解く上での客観的な判断材料となる事はまずない。 特定の主観や思惑で書かれている以上、最初に結論ありきでその結論に合致するよう、いきおい、事実の歪曲さえ躊躇しないからである。
要するにこのコラムから分かる事は、民主の代表選が自民の代表選より劣っていたという田勢某の主張が厳正な事実であるという事ではなく、これら自称専門家が、印象操作・意見誘導を確信的に企図し現実を読み解くよすがには決して値しないこれらの詭弁を書き連ねたか、あるいは、その詭弁の異常にさえ気づかない、政治を読み解き語るには全く足りてないボンクラのどちらかであるという事、それだけである。
「日本の「顔」が必要なのにいつも選ぶ基準は選挙の「顔」だ。」
とこのデマ師は嘯くが、書かれてあるのは、これまで見てきたように徹頭徹尾選挙の「顔」についての話である(笑)。 日本の「顔」に関する記述は一切ない。あるのは極めて皮相な代表選の所感と、深度の欠落したそれらの解釈、これあるのみだ。ロジカルな思考とは無関係な単なる感傷といわれても仕方のない一文ではある。 必要なのが選挙の顔でなく日本の顔だと本当にこのデマ師が考えるのならば、少なくとも、その直前の「野田氏や谷垣氏が選挙の顔としてはなかなかに厳しい。」云々という章は不要だ。 また、先の細野氏擁立の話は日本の「顔」が必要という話と完全に齟齬しているが、そんな事はこのデマ師にとってはいっかなお構いなしだ。おそらくそんなバッテイングは日常茶飯でいちいち気にしていられないのだろう(笑)。 これのどこが論理的な解説なのか(笑)、私にはさっぱり分からなかったが、おそらく氏も自民候補にならって論理性や思考性を投げ打ってでも親しみやすさや分かりやすさに腐心しているのだろう、大爆笑ではある(笑)。 政経欄でわけの分からない文章を連ねて恥を連ねるよりも己が資質に鑑み、コメディアンにでも転身したほうがずっと大成するように思うのは私だけか(笑)。
「年内、遅くとも数ヶ月以内には行われるであろう衆議院選挙。」
先の岩見同様、そこに選挙に明け暮れるこの国の政治に対する問題意識はかけらも見られない。
このコラムのタイトルは、
「自民まずまず 民主消化試合」。
なにがまずまずなのか、読めば読むほどに理解不能だったが、おそらく本人にとっては余人には理解しがたくともロジカルを寄せ付けない特殊な思考こそが本分なのだろう、まずまずの文章が書けたと悦に入っているだろう田勢某の姿が浮かぶ(笑)。
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四国デマ新聞に見るデマ師の系譜 〜岩見隆夫の場合〜 |
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常々、党利党略しか頭になく、口を開けば解散の二文字しか言わず、ねじれをいい事にゴリ押し醜態の限りを尽くしている自民ほか野党だが、腐っているのは何も野党ばかりではない。本来その厳正なるチェック機関であるべき自称メディアもまた、デマゴーグとしての醜態の限りを晒すに暇がない。そのいくつかを、普段デマ紙ぶりを遺憾なく発揮している四国新聞から拾ってみる。 まず、岩見隆夫 「漂流政治」(2012年10月3日1面) 。 この御仁は再登板を目論む安倍氏に、 「「5年早い」と言ってきた。」 そうだ。その理由は要約すれば、 ”安倍氏が悪い例を作ったかのように以来、以降政治が甚だしく劣化したから。” しかし、その失敗に終わった前回に鑑み、 「再びの登板は自重すべき。」 とならずに 「「5年早い」と言ってきた。」 になるのがこの自称専門家ならではだろう。 仮に政治が「安倍以降政治が甚だしく劣化した」のならば、質的変化を伴わない限り、当然安倍氏もその劣化の責任の一端は問われて自重するのが自然の流れであり、代表候補・首相候補から彼を除外する理由にこそなれ、担ぐ理由にはならないはずだが、この岩見某は、担ぐ理由としてそれを上げ、他方本来説明が要求される質的変化には一切言及がない。 完全に提起と結論の齟齬であり、その倒錯は覆うべくもないが、そんな事にはいっかなお構いなしで話は進む。 少し詳しく見ていくが、何故あと5年なのかと言えば、「自粛・充電のため」(笑)だそうだ。 安倍氏以降、政治が甚だしく劣化したにもかかわらず、その原因の検証や前回首相時と安倍氏がどう変わったのかの根拠にあたる部分も一切を脱落させたまま、何故かあと5年経てば担ぎ出し可能だとこの岩見某は訴える。 充電と自粛、いかにももっともらしい言葉を連ねてはいるが、そこに”ほとぼりが覚めるまで待つ”(笑)以上の意味はおそらくない。 どんな会社でも不祥事あらば組織のヘッドである社長は責任を取って辞め、返り咲くのは余程の変革あるか、あるいは、日本社会に深く浸透している、なあなあのなれあい体質かそれに類する腐りきった組織の場合に限る。 そして安倍氏における、その”余程の変革”について何らの言及もない以上、再登板の理由は後者と取られても文句は言えまい。 このデマ師の迷走はそれだけに止まらない。 岩見某はまた言う。 入院した町村氏を除く候補のなかで阿倍氏が最も代表に適任だと思うのは、それ以外の候補が、 「まだ首相をイメージしにくい。」 からだそうだ(笑)。 イメージは所詮イメージに過ぎず、実体を伴っているとは必ずしも限らない。実体から大きく乖離していることすらあるのが、イメージだ。 ここでそのイメージという言葉が出てくること自体、この岩見某の主張が、客観的な整合性や説得力を悉く欠いているのまさに象徴とも思えるが、噛み砕いて言えば、「イメージしにくい。」というのは、評論家や専門家にあるまじきロジックの抜け落ちたこの岩見某の単なる主観・印象の域を出るものでは決してなく、それらが、万人の納得や検証に耐えうる説得力のある論理性・合理性を持つ論述とは対岸にある物であることはもはや論を待たない。 お店の売り場で居並ぶ商品をざっと見渡して、店員に詳しい説明を聞くでも取説でスペックを確認するでもなく、なんとなく直感でこれが一番立派そう!という基準で冷蔵庫や洗濯機を購入するのとあまり変わらない判断という事だ。 冷蔵庫や洗濯機でもイメージだけで選ぶのは大きな賭けになる場合もあろうだろうが、まして首相という国のトップを、そんなイメージ先行で選ばれたらたまったもんではないと思うのは私だけか。 しかるにこのバカは、キョンキョンの歌ではないが、「イメージが大切よ!」と言って憚らない。これがバカでなくて何がバカ? そのイメージ先行の補強として更にこの岩見某はのうのうと続ける。 「政策通とか、話術にたけているとか、世間受けがいいとか、そんなことも軽視はできないが、肝心なのは人間的な成熟度だ。そろそろいいかなぁ、と思わせるものがないと、首相候補として及第点は出せない。」 おそらくこの輩にとっては、前回アメリカ大統領で、オバマ氏ではなくマケイン氏が一押しだったのだろう、それが”成熟”と呼べるかどうかは別にして、単に年を食ってる分、見かけ上の成熟度でいけば、年若いオバマ氏がマケイン氏に及ぶ道理はない。が、それが大統領を選ぶ基準として適当か否かは全く別の話である。 そしてその理性的な判断欠落は次の文章で決定的なものになる。 「そろそろいいかなぁ、と思わせるものがないと、首相候補として及第点は出せない。」 念のため断っておくが、別に文芸コラム(笑)やガーデニング欄(笑笑)での記事ではない、れっきとした地方紙一面を飾る、政経に関連しての記事である(笑)。 私はこの一文を読んで目が点になったクチだが、おそらくこの御仁に取って首相の選択というものは、リンゴやミカンの収穫と(笑)さほど変わらないのだろう、大笑いではある。 この御仁の人間の成熟度を見極める能力がいかほどのものか、勿論知る由もないが、この記事のお粗末な話の展開から見てそれほどの炯眼があるようにはとても思えない。 また、「首相とはイメージだ!」(笑)という、深い信念をお持ちの岩見某には申し訳ないが、およそ理性とは縁遠い(笑)、セールスで駆使されるイメージ戦略や、果物の収穫で駆使される見た目の成熟度で首相を選ぶべきでない事は、社会科学的には論を待たない。そんなものはロジカルな理性的判断とは全く相容れないものだからだ。 上記岩見某の主張とは反対に、首相選出においては、成熟度なる個人の主観や趣向に左右されがちなあいまいなものよりも、政策を知悉している事や説得力がはるかに重要だ。なぜならば、それらは論理的で理性的な判断基準であり、また首相の資質として当然要求されてくるものだからだ。 百歩譲って、仮に「成熟度」(笑)なるもので首相選出の指標になるとして安倍氏は「成熟」しているのか。
今回の自民総裁選のどの候補も似たり寄ったり、政権投げ出しという失態を演じていないだけまだ安倍氏以外の候補のほうがマシ、「成熟度」という尺度を用いても真っ先に脱落すべきは安倍氏に他ならない、というのが個人的見解だが、なぜか、この御仁にはよりによって、政権投げ出しという失態を演じ、領土問題でぎくしゃくしがちな近隣諸国との関係もものかは、それらの状況を一切斟酌せず、単に大衆受けしそうな威勢がいいだけの主張を繰り出す安倍氏が最も成熟していると見えるらしい。 そして、その「成熟度」が指標になるというなら、そう考える具体例根拠を示す必要があると思うが、岩見某の印象以外にそんなものはどこにも見あたらない。
「その点、安倍さんは難点はあっても、首相経験者としての安定感がある。」
安定感(笑)。首相経験を重視するというなら、何も好き好んであんなお粗末な顛末に終わった安倍氏を担がず、それこそあの修羅場でも倒れず踏ん張った菅氏を推挙したらよさそうなものだ。 少なくともおぼっちゃま君な阿倍氏よりは余程ホネがあるうえ、自民に必定の利権との癒合がない分、遥かにこの岩見某の理想に合致する。
参考までに、個人的には、安倍氏は、小沢氏ではなくその小沢氏を陥れようと画策した本当の黒幕が操縦する傀儡にはもってこいではあっても、大局を見据え断を下すには全く適任ではない、その全く”使えない”部類に属する。
5年経とうが100年経とうが使えないものは使えない。
しかるにこれら全ての矛盾を投げ打って(笑)、この自称専門家のイチオシは安倍氏である(笑)。実体を必ずしも忠実に反映しているとは限らない、イメージのイメージたる所以に依拠する文章展開を憚らないデマ師ならではの物言いではある。 一応、「ポピュリズムの匂いもする。」との一文はあるものの、要するにこの文章の目的は、安倍氏再登板を最優先で企図し、安倍氏の資質を冷静に吟味することなく、読み手に安倍氏を
「そろそろいいかなぁ」(大笑い)
と思ってもらうための、根拠なき印象操作に他ならない。 いかに尤もらしい言葉を書き連ねようと、そこに某かの恣意または魂胆が最初に存在していれば、特に政治の場合、それは格式ある評論などではなく、単なる大衆煽動を目論むデマに堕する。
そもそもこの記事は、
「再登板がおかしいのではない。」
という文章から始まる。この、多選については、その弊害から、法律等で制限・禁止している国も多いが、その牽制から始めているところに、この自称政治評論家の恣意が滲み出ているのであり、眉に唾は必須だ。
「国民本位の有為な人材なら、三度でも四度でもやってもらいたい。」
で決定的だが、
「再登板がおかしいのではない。国民本位の有為な人材なら、三度でも四度でもやってもらいたいが、安倍氏は果たしてその器だろうか。」
とあるなら、まだ幾ばくかの思慮やフェアネスは期待できる。しかし、「国民本位の有為な人材なら、三度でも四度でもやってもらいたい。」とある以上、今回の総裁選においてこの条件に合致する唯一である安倍氏が、「その有為な人材に他ならない。」以外の着地は事実上不可能だ。
その意味で、このイントロは「私はある特定の意図を持ってこの文章を書いています。」という宣言に等しく、その宣言に違わない内容に鑑みれば一種象徴的ですらある。 最初に安倍氏推挙の結論ありきで起点し、ある特定の目論見のもとに書かれている以上、安倍氏という結論が何の整合も見せず乖離しているのも当たり前といえば当たり前だ。 言うまでもなくこのコラムはそのまぎれもないサンプルであり、秋の夜長の無聊を慰める余興には向いていても、政治を判断する材料としては読むには全く不適だ。 要するにこの文章は、安倍氏は総理に相応しいという刷り込みを企図したものに他ならず、この文章を読んだ人間が、なんとなく(笑)安倍氏が成熟しているように思ってもらえればこのデマ師の目的は達せられる事になろうが、あまりにも文章が矛盾と稚拙を極めているがために、この岩見某の思惑とは裏腹に、安倍氏が総理としての資質に足りてない、少なくとも説得力のある説明になっていない(笑)のは今見たとおりである。
「早晩選挙になる。」
と自称専門家のご他聞に漏れず、この岩見某も解散に色めき立つことしきりだが、自民や公明が取る解散一点張りに対するそれが妥当か否かの問題意識はかけらもない。 それだけでもこのデマ師が如何に本来評論家や専門家にあるべき問題意識が欠落しているかのこれ以上ない証左であろう。
「本当に〈強い〉とは何か。6年前、安倍さんは〈美しい日本〉を掲げたが、それとどう調和するのか。しっかり語ってほしい。」 でこの迷文は締めくくられるが、語るも何も、本当に安倍氏が美しい日本を目指すならば、総裁選や総理の器がどうのよりも真っ先に問われなければならないのは、本当に美しかったかどうかは別にして、まがりなりにも山海の恵みに溢れたこの国を、安倍氏の主張とは全く裏腹に、放射能によって致命的なまでに汚してしまった張本人の筆頭である安倍氏らの属する自民一党独裁長期政権の責任である。 しかるにそんな事はあたかもなかったかの如くの書き連ねられているのが岩見デマ師のこの記事だ。 実際、もし昨年の原発破綻を知らない人間がこの文章を読んでも、その深刻な事故があった事を認識する事はおそらく難しい。 そんな現状認識の偏った文章が公正を実現している事はまずない。自民だけでなく、このデマ師の頭もまた、皮相で屈曲した言論の海を漂流し続けて止まる事がない。 |
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親善ブラジル戦 |
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なんのはずみかフランスに勝ち意気上がるサムライジャパン、本当に世界との差が縮まっているのかどうか確認するためにテレビで最初10分過ぎから前半終了まで、ワンセグで最後のほう15分くらい視聴しました。 スコア、0−4ですが、視聴した部分だけでも、0−7でもおかしくないような試合だった。実際、ブラジルは大分遊んでいたので本気で90分通せばそのくらいのスコアにはなっただろう。
最初に選手個別にですが…、まずブラジル、 ネイマールは荒削りだな…良い時はドンピシャだけどミスも多かった。左足はあんまり良くないなと思ってたけど左で得点したと聞いて、へえそなのかって非常に意外だったんですが、DFに当たったんですね…それなら納得。 カカの得点シーンは、あれはなかなか難しいシーンで外すかと思いましたが、工夫もあったし川島も良く見えてた。さすがだと思います。 フッキは今回あまり目立ちませんでしたが、彼はロンドン決勝のように劣勢の時にこそ光るという意味でやはり貴重だと思います。 そしてアドリアーノがいい仕事してた!長友からああも難なくボールを奪取するとは。あの粘い長友が形無し。効いてるねぇ…。PK前の連携も上手い!二人がかりで長友の背中でパス通す光景は”翻弄”の一言に尽きた。今回ブラジルで一番印象に残った選手でした。 それからサッカーと全くカンケーないんだけど(笑)ブラジル14番のギリシアの神話から抜け出たような美しさ。モサモサした選手に囲まれて殊更強調される場違いなまでの(笑)美しさ…思わずヴィジュアル系ヘヴィメタかハードロックのボーカルにどうかと思ってしまった私です(笑)。
次に日本、 香川のシーン、狙いは良かった。ただこの選手は初見ですがいかにもお行儀良さそうで大一番でどうなのかな。 本田と長友まともに見たのは南ア以来ですが、やはり全く予備知識なしの南アのようにはいかんわな。 本田は故障上がりのせいなのか何なのか、判断に迷いがあったかな。 どちらにしても本田の最大の持ち味は技術もさることながら怖いもの知らずなところだ。大一番になればなるほど力を発揮できるこのタイプは日本のような格上見ただけで逃げ腰になりがちなチームには貴重な存在だと思う。 彼の物怖じしない姿勢とプレーが他の選手にも伝播してその意識改革に大きく貢献した面も少なくない。 ま、南アの躍進は一に川島、二に長友、三に本田だと思っているけど、攻撃で本田以外にもう一枚使えるのがほしい。 思考実験に過ぎないが、中田英と本田のツートップだったらもっといろんな事もできたのかな…。 あるいは、更に大いなる仮定だが、本田の代わりに沢が出ていれば一点は取れただろう。 判断とイマジネーション、更にはそのイマジネーションの実行可能性の面において沢は本田の数段上だ。
…と言われるのが癪なら更に奮起してくれたまえ、本田君(笑)。
ま、なでしこでも言及したように、練習や格下とやって上手いのと、世界トップクラスのそれも実戦で使えるのとは、全く話が違う。相手が強ければ強いほど光るタイプというのは男子でもそうそうはいないと思う。
さて敗因ですが、ふたつ。 慎重さと最後フィールド1/4のスピードの差。
まず、慎重さですが、ゴール前がガラ空きすぎ。
あまりにも守備の意識が薄すぎる。 川島も良くボール見てたけどあれだけガラガラではどうしようもない。 一点目は川島が前に出すぎたのもあるけど、あれだけ最終ラインがあがってしまうと出ざるをえんわな。味方のGK陽動してどうするよ。 まぁ、どっちにしてもこう簡単に得点を許していては試合にはならない。 先日のアンダーなでしこに続き、日本みたいな”足らない”チームが守備をおろそかにすればどうなるかの見本みたいな試合でしたが、ブラジルの個人技が優れているのは試合前から分かっていること。一人で止められないなら人数かけるかコース切って潰すしかない。 日本のようなチームがブラジルに正攻法で行ってもまず力負けするのは自明。まともに当たっても砕けるのがオチ。とにかく守って相手をいらだたせるのが鉄則だろ。 もっと守備を徹底すればまだそれなりに試合になったと思う。そういう意味では残念な試合だった。
そして最後1/4エリアでの両チーム挙動の差。 ブラジルは最後にギアチェンジして一気に仕留める事が出来るのに対し、日本はせっかく持ち上がっても最後の詰めでもたつく。その差。 全然得点できそうな気がしなかった。おそらくブラジルもそうだっただろう。
今回前線に一人(できれば二人)残し、ガチガチに守ってロングでカウンター速攻が本来取るべき戦法だった。 最もその攻撃の形になっていたのが前半44分、右サイドの清武にロング投げ込んだところ。 その後が例によってモタモタしたので生かしきれなかったが、清武のポジショニングも良く、後は決定力さえ伴えば最も得点の匂いのしたシーンだった。 あの位置に一人残して後は守備に専念すればまだやりようはあった。 そこで大いに疑問だったのが、永井。
どうして永井を呼ばないんでしょう?
こういう試合こそ永井を使うべきですのに。
今回一番必要だったのは永井の速さだった。 本当にそれが采配としては一番不思議だったが代表に呼ばれてないのかな? 今回の試合に限れば日本のとるべき戦術はパスで繋ぎまくる事じゃないと思う。確かにパスもなかなかキレがあったと思うが、いたずらにパスに時間を費やせばブラジルに追いつく時間を与えるだけ。いくら回しても打開にはならない。 パスについては、とにかく囲まれる前に展開しないと潰される。まだテンポが足りないんだな。
ブラジルは、ロンドン決勝は寝てたのかと思うほどの音無しの鳴かないカナリアでしたが、相手にもよるとはいえ、さすがの躍動ぶりでした。こなれてるねぇ…。 このブラジルフルにあのメキシコは有効かな…?非常に興味のあるところです。 これから二年でどこまで仕上がるか分かりませんが、今の戦力だとワールドカップ、ブラジルの優勝は難しいかな…。 でもブラジル、背中のゼッケンの上の選手のネームがないのが朝飯前の一仕事風味(笑)。
ザッケローニ監督は、試合後の話を聞いていると、概ね冷静な分析が出来てるので最低限必要な資質は足りていると思います。 まぁ、でももしなでしこアンダー吉田氏や、ロンドン男子決勝を見てたとしたらば、そこから何も学んでいないという意味で凡だけどな。 この監督はインプットは悪くない、後はアウトプット、日本に最適なアレンジがどこまで出来るか、それだけ。
さて、最初の問い、世界との差は縮まっているか。
確実に縮まっていると私は答える。
ま、最初があまりにもヘボすぎたってのもありますが、どこだって最初からうまいチームはない。最初はヘボで結構。 選手の意識は格段に良くなってるし、頭使いながらプレーできててる。 フランス戦が自信になったのは見て取れた。足が良く出てたし、パスも直線的、スリッピーなピッチコンディションにもかかわらず足元でボールが収まってたのは良かったと思います。 何よりも、ザッケローニ監督も言ってましたが、最後まで諦めずに戦えたのは褒めていいと思う。これまでは、劣勢になった途端、負け犬モードでしたから…。そこは大事にしたいところだ。後は知恵と工夫と精度。かなぁ…。
こうなってくるとフランス戦も見たかったな…なんでフランスに勝ててブラジルに負けたのか、そこがちょっと見たかったところです。
四国デマ新聞は、これぞ日本の実力の証!!とばかりに”アジアでは日本が一番難敵だった”たらブラジル監督のコメントそこだけ抜粋で引用して悦に入ってました(笑)が、相手チームの監督に褒められてるようではまだまだ。 ロンドンブラジル女子監督のように暴言吐かれるようになれば本物だ。 とりあえず、当座の目標はブラジルにネームをつけてもらえるレベルだ!(笑)
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国民投票の法制化を |
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安倍氏「解散は国民との約束。」
いつの間に公党間の約束が国民との約束になったのか。
解散についての話は国民向けの場ではなく、あくまでも谷垣氏との対話のなかでの話だったはずだ。
国民を党利党略のダシにするなっつーの。
約束というなら、公債法の成立は約束以前の国民との暗黙の了解だ。それらを付託するために国政があると言っても過言ではない。
このふたつの約束のうち優先すべきはどちらか。
言うまでもなく国民生活に直結する法案審議でありそれらの成立だ。解散は政局に過ぎず、法案の成立は政治であり、ない。 自民・公明らの解散一点張りは、党利党略のためなら国民生活を人質にする事すら厭わないと言っているに等しい。 与党の施策を監視し、質すべきは質し、協力すべきは協力するのが本来あるべき野党の姿だと思っているが、自民は違うらしい。
石破氏 「野党の仕事はただ一つ、政府を倒すことだ」 http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/politics/631842.html 我らは政局党でございとこれ以上ないほど鮮明に自ら宣言しているに等しい文言だが、こういう言葉をのうのうと口にできるあたりにこの党の質の低さが伺われる。 要するに仮に政府の方針が国民生活に寄与するものであっても、足を引っ張れるならそっちを優先するということにほかならない。究極の政局党と言うべきだろう。こんな政党がそもそも野党を自称して政治に関わっているから、どんどん政治がおかしくなるわけだが、そんな自覚はそこには全く見られない。同様に、
高村氏 「民主党の輿石幹事長らは『正直な悪い人』だが、野田総理大臣は『うそつきの悪い人』かもしれないという意見が台頭している。」 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121010/t10015635751000.html
対立する相手の施策や政策の批判せずに、代わりにその人間がやる何でもかんでもを人格批判に結びつけてあたかもとんでもない悪党であるかのように呼ばわるのはデマゴーガー最大の特徴である事を、政治の監視者である国民は忘れてはならない。まさに、 いかに相手を悪者のレッテルを貼るかに腐心する小学生のケンカレベルの稚拙であり、姑息さだ。
石破氏にしても高村氏にしてももう少し上から物が見られる人物かと思ったが、所詮は自民の毒に足の先まで染まった小物に過ぎなかった。
野田氏は必要法案をきちんと審議し、成立へ向け野党の協力を堂々呼びかければいい。 公債特例その他について与党が野党に協力を仰がなかった、等故意に不成立を画策したのならともかく、国民生活に支障がでかねないから協力を仰いでいるにも関わらず政局に絡めてこれを拒否するなら、国民生活よりも党利党略を上に置いている唾棄すべき政局党の謗りをうけるべきは野党であり、全責任を負わなければならないのもまた野党だ。
そもそもこの「約束」にしても、重要法案を通すためにこれを人質にした野党にやむにやまれず言わされた側面が非常に大きく、野田氏の自発的意思というには程遠いものである事は一連の経緯を見れば自明だ。 相手の弱みにつけ込み、到底飲めない条件をちらつかせつつ、自らの望む結果を暗に強要する手法は、一種の脅迫であり、刃物をちらつかせつつ、口先は秩序維持を謳ってシャバ代を巻き上げるヤクザの脅しとどこが違うのか。 それをおくびにも出さず、野田氏を約束破りに糊塗する姑息さは、醜悪の極みであり、政権奪還のためには手段を選ばない自民の真骨頂というべきだろう。明白ではなくとも戦後政治に確実にあった恐怖政治の一端を垣間見る思いだ。 この約束の一件は、ねじれをいい事に恥知らずにも政治を党利党略の具にしている自民を初めとする野党が、如何にこの国の政治を遅滞・混乱させるかのこれ以上ないほど鮮明なインジケーターにこそ妥当だ。
民主も色々問題はあるが、有形無形の圧力で以って国民の口を封じ、利権マフィアの「大きい声」を絶対としないだけ、まだマシだ。 原発対応についても、政党としての限界というよりも人間の肉体そのものがひとつの障壁として立ちはだかっているのであり、元を糾せば、原発乱立・管理怠慢の責任は現政権ではなく自民にこそある。 尖閣にしてもそもそも寝た子を起こすような真似をしたのは現政権ではなく、石原都知事だ。
だいたい、この機会を逃せば永遠に選挙の機会が失われるというならいざ知らず、ほっといても来年選挙はやってくる。それまでにやるべきは政局による画策ではなく、政治を前に進めることに他ならない。
そもそも何かにつけ政局に絡めるような今の政治システムの欠陥を糾さないことには同じ事はまたぞろ繰り返され、その度に日本の政治の質の劣化は必定だろう。
それを防ぐための手立ては何か。
私は国民投票だと考える。
利権と癒着しやすくその温床となりがちな政治家という屈曲フィルターを通さない分、ダイレクトに国民の意思が国政に反映されるし、また、選挙による政治の遅滞・混乱も回避できるというのがその理由だが、何かある度に選挙に走れば、その度に政治は一旦ゼロクリアされなければならず、それによる政治の遅滞・混乱という影響は甚大であり、海外における評価の失墜というおまけもつく。
これらを回避しつつ政治に真に国民の意思が取り込めるようにするシステムの改変は、何にもまして今求められている施策であると思う。原発や増税等の重要案件は国民投票を必須とするよう法律を制定すべきだ。
そのシステムさえ確立すれば、少なくとも政局を政治と勘違いして国会議員がそれにまい進する日々は少しは減るだろう。特段の事情ない限り、一定期間腰を据えて政治に取り組めるようにしないと混乱は収束するどころか混乱が混乱を呼び、発散するばかりではないのか。
増税にしろ原発にしろ今やるべきは選挙ではなく国民投票であり、求められるのはそのための法整備だと私は考える。
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U20なでしこ監督の致命的欠陥 |
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この監督の最大の問題点は、日本の立ち位置ってもんが全然わかってないところだ。それもなでしこAの成功にもかかわらず。
勝負なので結果は実力だけで決まらない部分は必ず存在するが、問題は結果ではなく試合至るまでの過程であり、その内容だ。 準決ドイツ戦、例えば守備重視で「とにかく守りに守って好機を伺っ」たすえに0−3というならまだ救いようがあるだろう。それが強豪ドイツに対して本来日本が取るべき戦術だ。
アメリカの戦いを見ても(って見てないけど。クスン。)分かるように、ドイツ相手に超攻撃的サッカーなんかは絶対に取ってはならない究極の愚策だった。
百歩譲ってだ、今後の育成やらいい経験とやらのために勝負度外視(監督本人は真っ向勝つつもりだったらしいが。)でドイツ相手に自称・超攻撃型を良しとしよう。
んでその超攻撃型やら実力発揮やらは実現できたのか?
超攻撃・自分のサッカーどころか、圧倒的な力量差の前になーんもさせてもらえないダルマさんサッカーだったってのが正直なところじゃないのか。
なんでこんな事になったか。
この監督に彼我の実力を測る能力がまるで欠けてたからだ。
本来、指揮官は、実際に対戦する前に相手チームを徹底的に研究し、必要な対策を尽くさなくてはならないのは、サッカーに限らず勝負事の定石だ。いわゆる”敵を知り、己を知らずんば”というやつだが、この監督には、戦術云々以前に、そもそもその事前分析に要求される能力が決定的に欠けていた。そんな人間がいくら分析したって分析にはならない。 それがために、ドイツとの実力差を事前に認識する事ができなかった。認識できない人間に有効な対策が立てられるわけがない。
かくしてアンダーは屈指のドイツ相手に超攻撃的サッカーを仕掛けることとなった。それが如何に非現実的で現下の実力から考えて荒唐無稽な画餅かを知らずに、だ。
結果、完全封殺。 攻撃的サッカーするためには足らないものが多すぎるってことに試合後初めて気づいたというマヌケさだった。 本来ドイツの速さに面食らってる選手に策を授けなければならないのに、一緒になって面食らってたんだろ、この監督は。
だいたい速い相手に最低限必要なレベルの身体の使い方すら会得できてなくて何もできなくて当たり前だわ、私に言わせれば。 どうせ自称”超攻撃的サッカー”のためのオブスタクル無しのシュート練習ばっかやってたんだろ。
そう思わずにはいられないような内容だったって事です。
まがりなりにも一定の分析能力があれば、ドイツ相手に
「三点取ったら四点取る!!!超こおげきてきさっかあー。」(自称(笑))
なんてクレイジーな選択するわきゃないわ。
でもこの監督は、よりにもよってドイツ相手にそんな寝言を宣言したばかりでなく、冗談かと思ったらホントに実行に移しやがった。
それもAがどうやったらフィジカルで劣る日本が世界の強豪と対等に勝負できるのかを身を以って二年越しで丹念に示したその直後に、だ。 率直に言って
バカだろ。
これがバカでなくて何がバカだ? なんでこんな資質の欠けてる人間がアンダーとはいえ監督なんかやってるのか、私的には全く理解できない。 問題点を指摘できず、それに右へ倣えで追随してただ騒いでるだけの自称メディアども及び付和雷同組も以下同文。
もしこの監督がAの監督だったら自称”超攻撃的サッカー”やりまくってワールドも五輪も軒並み一次リーグで沈んでたろ。私はそう思う。 アンダーの資質がどの程度なのかという問題以前に、こんなバカが頭やってたら育成はともかく格上には絶対に勝てない。
こんな指揮官ならいないほうがマシ、私に言わせれば。 思い切り行け、攻撃しろ、だけ言っとけばいいんなら、何も高い(かどうか知りませんけど)給料払って雇う必要ないわ、そこらへん歩いてるオジサン捕まえて座っててもらえばそれで事足りる話だ。オジサンはウロウロするから難アリっていうなら招きネコでも代わりに置いとけばいい。
少なくとも招きネコは、出来もしない事を豪語したり、それを実行に移させたりしてチームを玉砕に導いたりはしない。
それだけでもネコのほうがナンボかマシだ。
相手が強ければ強いほど、取れる策は当然限られてくる。とにかく思い切りやればいいってもんじゃない。むしろ今回のドイツ戦のように出来ることも出来なくなって食い物にされる可能性のほうが高くなる。 上に行けば行くほど、あるいは、率いるチームが弱小であればあるほど監督の采配は重要になってくるが、最初の第一歩で既に躓いてる監督に率いられるチームに理に叶った戦術が取れるわけがない。
だいたいろくな思考もないのに限って、妥当な根拠を欠いた極端で突飛もない方法を選びたがるって昔から相場は決まってる。 そもそも、優れたサッカーの監督で三点取られれば四点取るなんて豪語する監督に、私はあまりお目にかかったことがないな。要するにそんな事言ってる時点で四流か五流ってことだろ。
この監督はもうひとつ思いっきり勘違いしてる事がある。でもいい加減長くなったし、面倒くさいので書かない。たまには自分で考えてもらわないとね。
どっちにしても少なくともここで指摘した分析面だけとってもこの監督は本来要求される監督のレベルには全く足りてない。
なんのかんの言ってもアンダーだからという言い訳がきくアンダーの監督ならともかく、ミスリードと失敗の許されないフルの監督には絶対してはいけない人物だ。
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