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薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年8月5日 11時19分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・中川宮朝彦親王
 文久二年秋からの一年間、久光はほとんど在京していない。薩摩藩は久光に代わって在京藩士に的確な指示を与えられる人物を必要とし、白羽の矢を立てたのが中川宮であった。そして英国艦隊を迎え撃つ国防強化の最中に朔平門外の変が勃発。犯行現場に落ちていた刀から薩摩藩陪臣田中新兵衛のものと判明。藩ぐるみ謀略の疑いをかけられ、薩摩藩は絶体絶命に。


作者プロフィール:
古賀宣子。年金生活の夫婦と老猫一匹、質素な暮らしと豊かな心を信条に、騒々しい政局など何処吹く風の日々です。新鷹会アンソロジー『武士道春秋』『武士道日暦』『花と剣と侍』、代表作時代小説『剣と十手の饗宴』などに作品掲載。
 当コーナー【時代小説発掘】では、編集担当。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣


                  
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
古賀宣子



一 白羽の矢

 文久二年秋からの一年間、久光はほとんど在京していない。
 久光不在の中央政局をどう乗り切っていくか。薩摩藩にとっては緊急の課題であった。勅使供奉をしての江戸在府中に、京都は攘夷の嵐が吹き、情勢が劇的に変化しつつあったからである。それについては近衛家からの使者として東下した藤井良節によって知らされており、久光の意向を受けて小松帯刀以下一蔵らは対策を練り始めていた。
 そこに生麦一件が起き、英国艦隊に向けた国元防備強化が加わったため尚更である。久光に代わって在京藩士に的確な指示を与えられる人物を求める必要に迫られたのだ。
「今や常に即断が求められる状況でござおいもす」
「意志決定の僅かな遅れが致命傷にもなりかねませぬ」
 一蔵は小松帯刀の言わんとする点を言葉にした。
「在京藩士が何かある都度、江戸や国元におられう三郎(久光)様にお伺いを立つうなど無理な話でござおいもす」
 中山中左衛門だ。
「本来ならば当然、近衛家でしょうが」
 小松帯刀が腕を組む。
 中央政局で薩摩藩の利益を代行してくれるのは、鎌倉以来の歴史の経緯からして、近衛忠熙・忠房父子となるべきはずであった。小松帯刀はそう言いたいのだ。
「そいどん、こんたびの率兵上京において、大納言(忠房)様は上京を大義名分化する内勅降下に消極的でした」
 一蔵は口上を述べた際の父子の困惑した表情を思い返していた。
「それに」と中山中左衛門が後をつなげる。
「老中久世広周上京阻止や勅使早期東下実現においても、です」
「必ずしも期待に応ゆっ周旋活動をなさうこっが出来なかった」
「前左府様も」
 小松帯刀が、謹慎解除後の近衛忠熙の姿勢に言及する。
「関白就任を渋っておられたし、そん後も御政事向にあまり意欲を示されず、度々辞任を洩らされうご様子で」
「こん難しか時期に、ほとんど頼りにないもはんでした」
「そこで、だ」と、久光は力を込める。
 日新公いろは歌の教えには逆らわねばならぬが、近衛忠熙以上の代弁者を獲得せねばなるまいと。
 賢不肖もちひ捨つるといふ人も・・。あの歌だな。思い浮かんだが、一蔵は黙っていた。
 久光が眉間に苦渋の色を浮かべつつ、白羽の矢を立てたのが青蓮院宮である。
 青蓮院宮は、安政の大獄の過程で、朝廷内では幕府から最大の敵と見なされた人物だ。宮は安政六年十二月に青蓮院を追われ、「隠居、謹慎、永蟄居」を命じられた。これは近衛忠熙、三条実萬などの公家への処分よりも重い。本年大獄処分者の名誉回復とともに、青蓮院に復帰している。
 伏見宮邦家親王の四男として生まれた青蓮院宮の詳しい経歴は省くが、天台座主になるべく青蓮院へ移住するよう内勅があったのが、嘉永五年二十九歳の年だ。
 天台座主とは天台宗比叡山延暦寺貫主の公称で、勅を以って任命される寺院最高の地位である。従って青蓮院の権限は宗派を越えて大きい。朝廷への願い事はすべて青蓮院の介添えによらねばならず、本願寺その他の門跡号も、まず青蓮院の脇門跡に進んでから許されるといった具合だ。
 そしてこの年の暮れに、天台座主として「御侍僧」に任命された。
翌嘉永六年のペリー来航以来、朝廷は繰り返し、七社七寺への祈祷を命令するのだが、七寺の中核が比叡山であることはいうまでもない。天台座主・御侍僧としての青蓮院への宣命が下ったのだ。
 祈祷は、当時の朝廷では真面目な政治行動で、朝廷の人々は祈祷を信じており、天皇と「御侍僧」としての青蓮院宮の関係は急速に接近していき、宮の参内の機会は増えていた。
 そこに偶然の事件が勃発する。安政の禁裏焼失である。青蓮院宮はいち早く駆け付け、活躍に目を見張るものがあったといわれている。
 安政五年、条約勅許をめぐる紛糾が頂点に達した時期に、孝明天皇が最も頼りにしていたのは、近衛忠熙と青蓮院宮であった。現在も天皇の信任は厚い。
 天資英邁で主上に近く、しかも天台座主であることから、後醍醐天皇の皇子護良親王を模して「今大塔宮」と呼ばれ、志士達の間でも信望が高い。


二 賢不肖もちひ捨つるといふ人も

「藤井良節の感触ですと」
 小松帯刀が確認は取れていない話だがと、前置きして言った。
「御自身が摂関家に代わって中央政局を執る御意志が、おありです。
無論」
 そこで小松帯刀は束の間、言葉を閉じた。
「無論・・」と久光が先を促す。
「幕府への大政委任は容認しておられうのですが」
 幕府を圧倒する皇威伸張を企図しておられるようだと。
「つまい、天皇親政を実現すうための後ろ盾を求めておられう、ちゅうこっですか」
 一蔵の問いに、小松帯刀は強く頷く。
 一方で久光は、譜代大名に代わって幕政に深く関与するための人事改革を、勅諚によって実現しようとしていた。その方策として「皇国復古」を唱え、中央政局に強力な相手となる人物を欲しており、両者の思惑は一致する。
 これ以後、文久二年閏八月二十三日に久光は京都を発つ迄、青蓮院宮には、二度拝謁している。
 閏八月九日は参内前に近衛邸で、殿下並びに青蓮院宮、三条(実
美)少将が列席のもとで、種々談論をし、一蔵等も末席に控えた。
 二度目の十四日には青蓮院宮邸へ参殿した処、三条実美も見えており、日入時分まで、ゆっくりと談論したのだった。
 尚、この時点での三条実美は、過激な攘夷を忌避する青蓮院宮を中心とする勢力から期待される、若手廷臣だった。
 久光はこの時、以前より抱懐している考えを提言した。それは「削藤氏之権」といって、藤原氏の権威・権限を剥奪するというもので、摂関制廃止を意味している。
 実は九日の参内時には、議奏と伝奏の両役にも建言するという周到振りだ。
 青蓮院宮は天下有志の人々から人望があるので、朝政の相談に関与すべきであると。
 以後、久光による青蓮院宮の中央政局(朝議)参画への猛烈な運動が展開され、九月四日には、国事御扶助任命や還俗が実現するのだが・・・。
 話を閏八月十四日の時点に戻そう。
 その日、正親町三条実愛は、極内密に時勢に対する献策を朝廷に示すよう、久光に求めた。それについては、近衛忠房からも久光へ閏八月十九日付の書簡が届いている。
 近衛関白は内々に孝明天皇のみに奏呈し、議奏にも見せないつもりであるので、極内密に献策して欲しい。しかし、青蓮院宮へは極内々に御覧に入れるが、その他には一切極秘にするので、どうか内密に献策をと、重ねて懇請した内容だ。
 久光は十二カ条を献策したが、想を練ったのは小松帯刀以下三名で、その中に、次の文言を含めている。
 青蓮院御門跡御政事御相談、且御還俗之御事、先日口上ヲ以奉願候通、猶又御評決奉願候事
 建白書を仕上げた後、小松帯刀は一蔵に囁いた。
「いろは歌の教えには逆らわねばならぬがと、久光公は申されたが、ものは取りようかも知れぬ」

  賢不肖もちひ捨つるといふ人も
          必ずならば 殊勝なるべし


 二人が諳んじた歌である。
「賢い人を使い、そうでない人を捨てるちゅうこっは、なかなか難しいことであう、ちゅう意味については、その通いですが」
「人の上に立つ者は、人柄や才能をできるだけ公平に見う目を養うべきであう。問題はここだな」
「久光公の見ておられう相手は、位の上の方であい、しかも鎌倉以来の繋がりです」
「悪く申せば鞍替えとなる」
「そいどん、それは、やや意味合いが異なるのでは」
「うむ。あくまでも私情ではないゆえ」
「近衛様も御自身の役割は果たしておられう訳ですから」
「薩摩側の意図は、御存じないが、青蓮院宮様なら、近衛家も異論はない」
「外の摂関家とは違おいもんで」
 針で刺されているような痛みは、この際拭い去らねばと声を改めると、小松帯刀にも笑みが・・。


三 攘夷別勅使

 では実際に、在京藩士等は青蓮院宮のもと、どのような動きをしたか。
 十月半ば、京都より遅れて戻って来た源助の報告に、首を傾げたことがあった。
 勅使を以って攘夷の勅命を幕府に出すよう奏上して、御裁可を請うた際、長州、土佐両藩士とともに薩摩藩士も署名していたと聞き、一蔵は思わず「そりゃないであろう」と発し、続いて「偽造では」と呟いたことがある。源助によると小松帯刀も同じ反応だった由。
 ところがこれこそが、久光が命じた臨機の処置の始まりだった。
一蔵がそれを知らされたのは、翌月二十六日に、近衛関白の手紙を運んできた高崎左太郎によってである。
「先ずは姉小路金知および土佐・長州両藩を主体に模索されました」
 将軍家茂に攘夷実行を迫る「攘夷別勅使」が決定する迄の経緯を高崎左太郎は語る。
「姉小路金知は、公家らしからぬ風貌と聞いておうが」
「なかなかの面魂で、攘夷派の旗手です」
 当初、青蓮院宮と薩摩藩は、勅使派遣の申し出に、必ずしも積極的ではなかった。
「九月十三日と十五日、二度にわたって姉小路金知は宮様を訪い、別勅使派遣を迫ったそうです」
 それに対して青蓮院宮は「只今之処、緩之御沙汰可然、厳ニ候ハゝ事ヲ敗リ、且ツ宮中未ダ不全、然ラバ末ヲ勤メ本ヲ忘ルゝノ策如何」と退けたという。
「そのため、姉小路金知は武市半平太に引籠りを示唆しましたとか」
「武市半平太等の反応は」
「宮様に直接迫ったのです」
「かなり強引な迫り方であったのか」
「ちょうどその頃、例の四奸二嬪排斥への徹底した圧力がかけられ、朝議が動揺していまして」
 圧力をかけていたのは即時に攘夷を求める「即今破約攘夷派」である。
 即今破約攘夷とは、文字通り通商条約を即時破棄して外国船を無二念に打ち払うというもので、長州藩もこの考えだ。これに対するのが、通商条約は不容認であるが、外国船が来襲時のみ打ち払う「攘夷実行慎重派」で、孝明天皇、青蓮院宮そして近衛忠熙といった上層廷臣等である。つまり、攘夷への対応方針の違いによって分れていたと、言えようか。
「武市半平太等が主張する別勅使派遣を、無視できない状況になっていたわけだな」
「嵐が吹き始めておいもして、それに」
「まだ、他にも」
「政事総裁職の松平春嶽様が開港説に転向したとの風聞があい」
 その点からも攘夷別勅使派遣が求められたという。
「薩摩藩も、生麦一件との絡みがあうゆえ」
「それです。攘夷実行を渋るわけにもいかず、加盟せざるを得ず」
「宮様の賛意を得た上で、建白書に同意したちゅうこっだな」
「勅使選任についてもですが、宮様のお考えが反映されもした」
 九月十八日に藤井良節を介して近衛関白から青蓮院宮に打診があったという。
「姉小路一人にては如何かと」
「それで二十日に、宮様が正使三条三位中将、副使姉小路侍従の指示を藤井良節になされた」
「理由は」
「姉小路様は即時攘夷を唱える廷臣の急先鋒ですから、お一人のみの派遣を阻止なさり」 宮派の三条実美を正使として加えるよう、薩摩藩を通して伝え、関白に建言させて実現に至ったという。
「三条様はその後に即今破約攘夷へと転じられた、ちゅうこっだな」
「恐らく同行した姉小路様や武市等に籠絡されたのでは」
「宮様にとっては、裏切られたようなお気持ちでは」
「そこまでは掴めておりませぬが」
「岩倉様ほどのご信念がお有りだったかどうか」
 一蔵には三条実美が時の流れに左右され易い人に思えたが、口にはしなかった。


四 朝廷は朝廷の朝廷に非ず

 文久三年春にかけての中央政局で特筆すべきことは、朝廷の機構改革である。
 先ずは文久二年十二月に、国事御用掛が設置され、二十九名の廷臣が門閥・官位にかかわらず任命されて、朝議に与ることになった。即今破約攘夷・攘夷実行慎重両派の呉越同舟だ。
 が、それに飽き足らない即今破約攘夷派はさらなる動きを見せる。尊王志士の過激行動を利用し、文久三年二月、国事参政・寄人を設置させ、議奏三条実美と共に、朝議を牛耳っていく。
「まさに下剋上ですね」
 今年一月、明石潟で座礁した永平丸乗船前に、一蔵は小松帯刀に言った。
「見方を変えれば、摂関体制の危機と言える」
「久光公が秘めておられる意図とは別に、現実の方が思わぬ速度で回っている、そう見えます」
「確証はないが、久光公の熟慮を重ねられたお考えの上澄みだけを掬いあげたのではと」 小松帯刀の眼に僅かな怒りの色が浮かぶ。
「『削藤氏之権』ですね。宮邸で聞いておられます」
「しかも藤井良節の話では、土佐藩の平井収二郎も進言したちゅうではないか」
近衛様の関白辞職表明の機を捉え、その意にまかせて後任を置かず、太政官を設置すべきと。
「昨年暮れの話ですね」
 青蓮院宮は平井収二郎から摂関制廃止を持ちかけられ、すでにその決心であり、久光と容堂が上京後、それを謀ると答えたようだ。
「これが薩摩藩にとって吉と出るかどうか・・」
 小松帯刀は言葉を濁した。
「思い返せば、寺田屋事件での尊攘志士弾圧や幕政改革において、久光公は中心的存在です」
「言い換えるならば、それだけ薩摩藩の影響は大きい」
「つまい、それはあらゆる勢力にとって期待と不安の根源となる」
「久光公の上京自体が孝明天皇をはじめ中川宮様や近衛忠熙様らに歓迎される一方で、即今破約攘夷派には忌避される重大事になっておるようだ」
 青蓮院宮は年が明けて中川宮を名乗っている。 
 その後、在京藩士等からの書状によると、将軍家茂が上洛したのは文久三年三月四日。翌五日、将軍名代として、後見職の慶喜が孝明天皇に拝謁し、一切の政務を幕府に任せる大政委任を奏上した。
これに対し天皇は直答したといわれている。
「庶政は素より、従前の如く関東に委任する存慮なり、しかし攘夷の挙は尚出精すべし」 家茂が期待していた通りの思召しに違いない。
 そこで慶喜は、この勅語を書面にするよう鷹司関白に求めると、大政委任ではなく「攘夷御委任」と記した勅語を渡そうとしたという。それでは攘夷実行を委任したに過ぎず、せっかくの勅語が台無しである。
 慶喜は徹夜で強硬に抗議し、勅語通りの勅書を要求した。結果的に関白は、即今破約攘夷派との協調を優先した勅書を渡すことになり、慶喜は不承不承、拝受せざるを得なかったようだ。
 越えて七日、家茂自身が在京諸大名らを従えて参内した際に、大政委任を前提として、忌憚なく叡慮を伝えて欲しい旨を奏上。その求めに応じ、鷹司関白はこの日も勅書を渡したが、そこには征夷大将軍の委任、及び国事については、事柄によって諸藩へ朝廷が直接沙汰するという内容が含まれており、事実上、大政委任は否定されていたという。
「幕府にとっては青天の霹靂であったろう」
 本当に叡慮なのかと小松帯刀は疑う。この勅書については、八月十八日政変後に、孝明天皇が偽勅であると暴露するのだが。
「三条実美と姉小路金知が連携し、関白鷹司輔熙を掌中にしておいもす」
「不完全ながら、天皇親裁宣言ではないか」
「これでは、朝廷と幕府の双方から命令が発せられる事態に至り、この状況が先鋭化していくのでは」
 帰藩後、側役に復帰し、伊地知貞馨と名を改めた堀次郎だ。
 このような不穏な政局において、攘夷実行慎重派からは、久光の上京を促す書状が新年早々より次々と発せられている。
 一蔵が帰藩後に確認した書簡では、近衛忠熙(正月・一月五日・十六日)、近衛忠房(正月)、中川宮(一月二十一日)、鷹司輔熙(一月二十一日)、一橋慶喜(一月十四日)だ。そして、至急上京の勅命(一月十四日)までも下されたが、こういった相次ぐ督促にもかかわらず、英国艦隊の動向をにらみ、久光の上京はなかなか実現しにくかった。
 英国艦隊派遣の情報は、この時期、主として長崎在の薩藩士である中原猶介、五代才助等数名から寄せられている。そこからの報せによると、来襲まではしばらくの猶予があるという。久光の暫時上京が可能となったが、難しい選択には違いない。
 そしてついに在京藩士からも険悪な情勢が発信され、久光上京を促してきた。中山中左衛門と大久保一蔵宛ての本田親雄書簡(二月十五日)である。
 それによると、一橋慶喜、松平春嶽、山内容堂が上京し、会談を重ねているが、久光の上京を日々待ち焦がれているという。
「朝廷への建白もまったく採用がなく、廷臣は誰もが慶喜以下を敵視している様子とは、尋常でない」
「実に心外に堪えないとあうが、その通いだ」
 浪士が廷臣を介して暴論を唱え、朝議が二転三転していると、現状を憂えた文面だ。
「浪士の言に左右されるなとは、久光公が口を酸っぱくして述べておられたこっだ」
 懸念が現実となり、攘夷実行慎重派と薩摩藩にとっては、抜き差しならぬ苦境である。 書面は続く。
「中川宮は名のみの還俗で、近衛忠熙も内覧でありながら、両者はまったく無視されて朝議に与っていない。そう記されておうではないですか」
「今の朝廷は朝廷の朝廷に非ず、浮浪書生の朝廷なり・・と絶望感が滲み出ておう」
「攘夷期限決定迄の過程も、相当強硬ですね」
 二月二十一日亥刻(午後十時)、議奏三条実美、国事御用掛姉小路金知ら八人が勅使として慶喜の宿舎に派遣された。
「議論は徹夜に及び、その結果、将軍帰府後二十日の猶予を以って攘夷を実行する」
「その旨を奏答したとあう」
この最悪な事態を打破するために、久光公の上京を懇請している。
「もはや即今破約攘夷派の勢いは止まることを知らない、といったところのようだ」
 小松帯刀に続いて皆が嘆息する。


五 朔平門外の変

 時を同じくして江戸では・・。
 英国公使が生麦一件に関して幕府に厳談し、その返答によっては断然艦隊を率いて薩海に回航し、直接に談判を開始すると迫っていた。それを受けて吉井中助(仁左衛門)は直ぐに江戸を発って帰藩し、これを報告。
 その頃、薩藩では主戦党の勢力がすこぶる強大で、英国艦隊の挙動によっては断然干戈に訴えるべきだとの決定がなされていた。そこで久光は、今回止むを得ず出京するが、状況によっては直ぐ帰藩すると決し、小松帯刀、中山中左衛門以下を従えて上京の途に。一蔵は藩地に留まり茂久を補佐して、英艦の来航に備えた。
 小松帯刀からの書状によると、
 三月四日に鹿児島を出帆した船は、たまたま風浪に遭い、山川・外之浦などに碇泊し、十日伊予の沖で、帰藩途中の佐土原藩主島津忠寛の船と出会った。そこで、久光は具に京都の形勢を聞いたという。
「二月晦日に、武家伝奏の野宮様からご沙汰がありまして」
 英国は様々な難題を申し立てているので、久光・茂久父子の上京は暫時見合わせ、協力して国許で尽力するようにと。
「父子で協力して」
 この時、久光は唇の片端を歪めたという。
「背後に、三郎様の上京阻止を謀る敵方の影が、ちらつきましたが」
「薩英間の緊張関係を逆手にとった行動に出たか」
「まあ、しかし、時が時なので」と島津忠寛。
「当方もその覚悟で参ったので構わぬ」
 久光は十四日に着京。
 その日に近衛邸で近衛父子・中川宮・鷹司関白・慶喜・春嶽・容堂と会談。腹蔵なく言上仕るので、忌諱嫌疑などは御宥赦願いたいと前置きして、述べた内容は以前からの考えが基で、まったくぶれがなかったと小松帯刀は記す。
 攘夷の決議が軽率であった事。後見・総裁を奴僕の如くに待遇し、浮浪藩士の暴説を信じるなど最もしてはならない事である。この状態をそのままにしていては朝憲暮令も行われぬ姿にて、只々乱世の因と嘆息に堪えない等。
 そして新たに付け加えられたものに、長州父子の所存を後見より質問あるべき事。神宮御守衛として親王方を差し遣わされるなどしてはならないことで、是はその近国の大名に命ぜられて至当の事等がある。
 久光が陳述を終えるや、諸卿は皆口を噤んで座は黙然としたという。予想した反応だったとはいえ、天下の大政は征夷大将軍へ御委任の事や主命の外は藩士へ御面会無用の事、そして主家亡命の者を御信用してはならないといった事等、諸卿も解かっているが、それすらもお手上げの状況なのだ。
 久光は、臣が抱く所の意見は今述べたるが如しと、後日を約して退出した。
「翌日、中川宮邸で再び諸卿の会合を持つので、参邸を求めてきたが、その意見が行われるべき形勢にないのを以って辞された」
 後になってそう小松帯刀から聞いたことである。
 着京当日、近衛邸を退出した時は夜になっており、漸く旅館として選んだ広大な知恩院に入った。が、その四日後の十八日には大坂に退き、二十日に帰藩の途についた。勿論、英国の動向が主因で、藩主茂久が在藩してはいるものの、若年なので不安なため、久光自身が防御の手はずを整えるためである。
 一刻も気を抜かれぬ中央政局の現状と薩摩藩の内情と。緊迫するなかの五月九日、一蔵の父次右衛門が死去。風邪をこじらせて数日で七十歳の生涯を閉じた。そして悲しみに浸る間もなく、京都より驚きの報せが・・。
 五月二十日、即今破約攘夷派の旗手である姉小路金知が暗殺されるという、朔平門外の変が起き、薩摩藩は益々追いつめられていく。
 当時京都で頻発していた天誅と称する暗殺劇は、主として即今破約攘夷派に属する尊王志士によって実行されており、その対象は広範囲に及んでいた。農民、目明し、寺侍、町役人、儒者、公家諸大夫・家司・雑掌などである。それが唯一、堂上その人に刃が向けられたのだ。しかも、姉小路は即今破約攘夷派の首領であり、本来は、その対象から最も遠い存在であるはずであった。事変の影響力からみて、江戸・武家側で起こった桜田門外の変と対称をなす中央・公家側における最大の謀略事件ではないか。
 以下は源助からの報告を追ってみる。源助は、小松帯刀が三月に京都を去る際に、引き続き残るよう命じられていた。
 朝議を終えて帰途についた姉小路金知少将が、朔平門外で三人の刺客に襲われたのは、亥の刻、夜十時頃だ。背後から近づいてきた賊がにわかに刀を抜き、従者鉄輪左近が持つ提灯を斬りつけた。少将ともう一人の従者中條右近が驚いて振り返ると、鉄輪左近は既に遁走。剣の遣い手である中條右近が相手に手傷を負わせながら応戦したが、自身も傷を被り、遂に防ぎきれず、少将は顔面および胸部に重傷を負い、自邸に戻ると同時に落命したという。
 暗殺犯はその場に木履(ポクリ・下駄)と刀を遺棄しており、特にその刀が犯人究明の鍵となった。
「その刀には奥和泉守忠重の銘があり、薩摩風の拵えらしい」
 書面から目を放さずに小松帯刀は声を曇らせる。
「そいどん、あえてそれと判る刀を遺棄しますかね」
 一蔵の頭に「謀略」の文字が浮かぶ。
「そういう風評も立っておるようだ」
 言葉の奥を察知して小松帯刀は応じ、続ける。
「土佐藩士那須信吾によって、刀は薩摩藩陪臣島津内蔵家来である田中新兵衛のものと証言され」
 二十六日に至り、事件は急展開する。
「田中新兵衛・・。もと漁師です」
「知っておうのか」
「我らが本気で突出を考えたとき」
 軍資金を提供してくれた森山棠園が、田中新兵衛を通して船を購入し、田中は船長を引き受け、水主の手配もしてくれた経緯がある。
「先へ進めるぞ」
 武家伝奏の坊城俊克は姉小路金知暗殺の嫌疑のため、会津藩に東洞院蛸薬師の田中新兵衛の寓居を、勅命によって急襲させたという。
「驚いたことに、三条実美からも同じ命令が発せられているようだ」
「ちゅうこっは、即今破約攘夷派に主導されておうと」
「思った以上に背景は複雑ですね」
「会津藩兵は、そこに居合わせた田中および薩摩藩士仁礼源之丞とその下僕太郎を捕縛し、坊城家に連行したが」
 会津藩は京都守護職として犯人捕縛には関与したものの、拘留命令は職掌外であり、その上、薩摩藩士らであるため、その後の処置に窮し、それを拒否した。
「それで仕方なく坊城は、町奉行永井尚志に命じて奉行所に拘留させたが、田中は隙をみて同所で自殺を遂げたと」
「真相究明が不可能になったのでは」


六 天下瓦解氷裂之境

「諸藩への対応も、源助は記しておる」
 事変勃発後、翌二十一日に武家伝奏野宮定功は、将軍家茂および京都守護職松平容保に、そして二十二日には米沢藩主上杉斉憲、和歌山藩主徳川茂承、岩国藩主吉川経幹に対して、厳重に刺客探索を命じ、将軍からも諸藩に同様の沙汰がなされたという。
「当然ながら、禁裏九門も徹底した非常警備が敷かれたのでしょうね」
「それだけではない」
 二十五日には、議奏、武家伝奏および国事御用掛、参政、寄人への護衛を、さらに二十七日には要所警備も諸藩に命じておる。
「過剰なまでの反応だ」
「藩邸からの書状には、藩ぐるみの仕業と取られかねない状況に、焦りと悲痛な心情が窺えもす」
「驚天動地の展開であるゆえ」
 実は税所容八という藩士も田中と同宿していたが、たまたま不在のため捕縛を免れたようだ。藩邸ではその対応にも苦慮している。税所を逃したいという思いの反面、そこにも嫌疑がかかった場合、逃したことで一層厳しい嫌疑を受けるのではと。その憂慮があり、逃亡幇助に躊躇しているのだ。
「中川宮様や近衛忠熙様も憂慮なさっておられうが、書簡には、気になる指摘も」
 将軍東帰にあたり、尾張藩主徳川茂徳および松平容保の随従が朝議で決定した。そのため容保の守護職は免ぜられ、大藩の三諸侯が交代で京都守護職を務めることになった。恐らく長州藩主に召命があり、その一角を命じられるのではと。
「また、三条実美の関白就任が頻りと噂されておうとも」
「尋常でない勢威ですな」
「その上、天下の形勢は一大事であり」
 小松帯刀は続けて読み上げる。
 攘夷でなければ以ての外で、東西手切れの様相を呈している。本日、将軍東帰も決まり「天下瓦解氷裂之境」である。
「政局の推移が全く読めない状況を歎いておられう」
「暗然たる雰囲気は、徳川公儀体制そのものの危機では」
「近衛様は即今破約攘夷派が跋扈すう現状と朔平門外の変後の薩摩藩の逆境を打開すうには、久光公の上洛しかないとの判断だ」
事変への深刻な危惧が示され、孝明天皇の真意が勅命に反映せず、党上激徒の猛威は嘆かわしいばかりと憤っている。
「内乱寸前のような現状に窺えます」
「それゆえ、久光公でなければ、とても抑えられないと訴えておられうのだ」
 中川宮からも同様の書簡が届いていると小松帯刀が読み上げる。
 薩摩藩に降りかかる嫌疑を払拭できない場合は「朝敵」になってしまい、何とも面目次第もなく、朝廷に対して勤皇の趣意を失う結果となる。
「最大限の危機感を示しておられますね」
「まだ続く」と小松帯刀。
 薩摩藩に対する謀略であるが、疑惑を解かなければ昨年来の尽力も水泡に帰すことになる。
「よって、久光公自身が解明に当たることを強く勧めておられう」
 その後の推移を簡潔に記していくと・・。
 仁礼源之丞と太郎を糾問する動きもあったが、具体的な進展はみられなかった。
 一方、十八藩有志は、姉小路家菩提寺である清浄華院に参会し、田中新兵衛への嫌疑を審議。その結果、田中の犯行と断定し、薩摩藩への厳罰を奏請した。これにより、薩摩藩の乾門守衛は免ぜられ、藩士の九門出入りが禁じられる事態に発展した。それは事実上の政治的活動が禁止されてしまう最悪の展開になった。
「高崎左太郎からの書状では」
 仁礼源之丞はまったくの冤罪であり、田中新兵衛は屠腹したため、疑惑が深まり残念至極としている。
「源助の書状にも、高崎左太郎が他藩士に語った内容が記されておうが」
 田中新兵衛は「全ク発狂之様ニ相見候、其以前より言語も不揃」であって、身に覚えがあっての自殺とは思えないと。薩摩藩の関与を否定しつつ、田中単独犯行には含みを残した内容だ。というのも、事件が起きた丁度その時期に、田中は手疵を負っており、これが状況証拠とされていたからだ。
 さらに、いかに弁解しても聞き入れられないので、真犯人を捕縛して冤罪を注ぐ必要があるとし、心当たりがあれば知らせて欲しい旨、懇請したとも。
 一蔵宛ての高崎左太郎書状に戻ろう。
 万一拘束された藩士等が有罪であっても、それはまったくの個人の心得違いであって、薩摩藩全体が罰せられたら人心が動揺してしまう。どうかそのようなことがないようにと、在京薩摩藩士が一丸となって嘆願したが許容されず、しかも乾門に設置した仮小屋も撤去された。
「さらにまた、相当激烈な発言が吐露されておう」
「激烈」
「今度薩之事申出候人相分り申候ハゞ、薩より打取り国中ニ肉を分ツと申息込ミニ御座候・・と記されておう」
 このような現状を踏まえて、近衛父子からも久光の上京をさらに促す書簡(六月十二日付)が届く。
「この書簡によると」
 小松帯刀は読み上げる。
 姉小路暗殺は重大事であり、島津家と特別な関係である近衛家としても甚だ心痛の思いである。しかも、全容がはっきりしていない現状にもかかわらず、朝廷は今回の措置のように厳しい態度であって著しく遺憾な思いである。
「薩摩藩全体に関わる重大事態だとし」
「その通りだ。大体、刺客は三人なのであろう」
 全員が判明するまでは、主犯や暗殺の意図も掴めぬではないか。一蔵は三条実美らの動きは軽率のそしりを免れ得ないと断じた。小松帯刀も強く頷き、先を読む。
「この汚名を雪ぎ、皇国に尽力するために、久光公の早急な上京が必要であうと」
「近衛家にしても、後ろ盾であう薩摩藩の浮沈に、自らの政治生命が委ねられており必死に違いありませぬ」
「しかし、英艦が迫っておう現状での率兵上京は」
とても考えられぬと嘆息する。
「そして近衛様は、何分にも攘夷は差し置き、国内を専らに相整え候儀、肝要と存じ候・・そう記しておられう」
「攘夷問題よりも、内政の沈静化を優先すべきというお考えですね」
「現状打開を何とか図らねば」
 どちらからともなくその言葉が。しかし、一蔵等も鹿児島にあって手をこまねいていたわけではない。
 六月、一蔵は久光に意見書を提出した。
 薩摩藩への嫌疑は容易ならざるもので、それによって乾門守衛を免ぜられ、中川宮や近衛忠熙等への出入りも禁じられた。さらに、三条実美ら即今破約攘夷派は勅命を左右し、「中川宮近衛家は勿論、御家へ御譴責相下り候も難図事与被存」、そうなっては挽回もできないので、未然に即今破約攘夷派を抑える方策を講じることを建言。
 また六月七日、小松帯刀は藩内に対して、藩士捕縛の件は容易ならざる事態であり、薩摩藩に対して誹謗中傷がなされても、軽挙妄動を慎むように厳命した。
「さらなる状況の悪化を懸念され、そうなりますと、藩士の暴発が起きかねません」
「それに矛先が宮様にまで及びかねぬ」
 小松帯刀は腕を組んだまま、しばし目を閉じていた。


七 事件の黒幕

 実は刺客は三人おり、事件当初からその他二名の犯人推理が堂上において行われていたようだ。それは無論、中川宮や近衛家などには伝わっていた形跡はない。というよりも遮られていた状況だったとも考えられる。
「中川宮派の堂上もおるだろうに」
「恐らく近づくことも憚れていたのでは」
 詳細は七月に入って戻って来た源助によって明らかになる。
「先ずは?幕府奸吏、?会津藩士、?大坂与力同心関係者、そして?侍従滋野井公寿と大夫西四辻公業があったようです」
 幕府奸吏については当初、田中新兵衛が町奉行所で自殺したため、即今破約攘夷派廷臣は幕府も共謀していると疑った。
「矛先は奉行らへ向いたのだな」
「永井尚志等を逮捕、拷問に処すべきという意見書が、国事参政・寄人連署で提出されたと聞いております」
「それはまた激越な」
「永井尚志は謹慎差控に処せられましたが、その後、関与の証拠は示されておりません」 ?と?の関係者についても同様で、取り立てた動きは見られなかったという。
「最後の二人ですが、西四辻公業の家来を含め三名が、前夜に出奔しておりまして」
 会津藩もそれを承知していたようだ。
「黒幕、ちゅうこっか」
「我らからみうと、唐突に出てきたごとだが、早くから取り沙汰されておったのだな」
 鋭い小松帯刀は、反対派によって、事件は薩摩藩の威信を排除する画策に利用されたのではと、憤りを滲ませる。
「では、姉小路金知との繋がりは」
 解せぬ顔の伊地知貞馨だ。
「二人は従弟です。三人の刺客はこの二人に頼まれ」
 特に西四辻が具体的な指示をしたようだ。
「すると、田中新兵衛と外の二人は」
「先に結論を申しますと」
 滋野井と西四辻の家臣であることが判明。六月十六日に家臣二人が出奔したことと同日に、滋野井、西四辻の二人が犯制他国出行により禁足に処せられたのだ。
「よって、薩摩藩の嫌疑と冤罪は氷解し、九門出入り解禁となりました」
「そいどん、そん遺恨が・・」と、聞き手三人が口を揃える。
「それを探りますのに手間取りまして」
 主因は姉小路自身が通商条約容認に傾いたことではないかと。事件当初、三条、姉小路が非常に穏やかになったようで、甚だ不審だという噂が流れていたと源助はいう。
「主因は賄賂、ちゅうこっか」
 それだけでは腑に落ちないとの思いが一蔵にはあった。
「こん事件は単純ではなく、全貌は未だに」
 源助は首を傾げながらも掴めた範囲を簡潔に語った。
「先ほど事件前夜に、滋野井そして西四辻とその家臣、植田主殿と言いますが、三人が出奔したと申しましたが」
 出奔前に植田は、建白書を学習院へ差し出している。
「そん中身は分るか」
「天下を三分するといった過激な文言が含まれる、国事に関わる不穏な事々を申し述べたもので」
 同志が三百人いると脅迫したが採用されず、憤怒の気色が窺え、出奔に至ったごとです。
「これは廷臣間ではかなり流布していたごとです。しかも、こん不採用に姉小路が関与していたとの疑いがあいまして」
「その手の遺恨と先ほどの攘夷派から距離を置き始めた姉小路への不安と敵愾心から画策したのではと疑われておうのだな」
「しかも出奔は計画されていたごとでして、事前に物品を処分し、換金の上、持参していたそうです」
「だが、それでん、不消化の感が否めぬ」
「そん上、出奔時に西四辻は鷹司関白へ書置きしていたごとです」
「関白へ」三人は殆ど同時に声を発した。
「成功之後帰ル趣有之候由、と」
「成功、か」
「そいどん、姉小路変節は、賄賂ゆえ、だけか」
 伊地知貞馨も一蔵と同じ疑問を投げる。
「実は、軍艦奉行並勝義邦との邂逅があいまして」
「勝義邦だと」
再び三人は驚きの声を上げ、呼応するようにどこからか鶏鳴の声が。それを機に、小松帯刀は座を打ち切った。
「藩ぐうみ謀略の疑いが晴れたゆえ」







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