真の霊性とは | |
2014年4月2日 18時41分の記事 | |
他の方が紹介されていた部分、私もとても好きな部分です。シェアします。
「あなた方が探し求めている「すべてなるもの」の深遠なる叡智のすべては、 あなた方が生きている現在の体験の中にあります。 それは自己の内なる世界へと向かう探求によってのみ見出すことができるものであり、 あなた方の外側には決して見つけることはできません。 セスである私は、かつて12人の子を持つ母親の人生を生きたことがあります。 無学で、お世辞にも美しいとは言えず、とりわけ晩年になってからは手に負えない癇癪(かんしゃく)持ちになり、 耳障(ざわ)りなしわがれ声でしばしば罵(ののし)っていました。それは6世紀のエルサレム近郊でのことでした。 その時の名前はマーシャバと言いました。 子供の父親は何人もいましたが、とにかく子供を食べさせるためなら私は何でもしたのです。 私たちは住めそうな場所であればどこにでも住みました。 よその家の軒先にうずくまって暮らし、しまいには全員で物乞いをしました。 しかしこの時の転生による物理的人生には、他の転生に比べて際立った特徴がありました。 それは深く鋭敏な感受性です。私は一切れのかちかちになったパンきれでさえ、 それ以前の転生で食べたたくさんの砂糖をまぶしたケーキよりも、はるかに美味しく感じることができたのです。 子供が笑うと、私は喜びに圧倒されました。 極貧の暮らしにもかかわらず、朝がくるといつも嬉しさと喜びに歓喜の声を上げました。 私たちの誰1人、眠っているあいだに飢餓に打ち負かされてしまうことなく、 みな生き延びることができたからです。 あなた方が自分自身で自らの転生を選択したように、私もその転生を意図的に選択しました。 なぜなら、それまでの転生を経てきた結果、私は人生というものに満ち足りていたことから 倦怠感を感じ始めており、それまでの転生がいかにあらゆる衝撃から過度に守られていたかを自覚したからです。 そしてもはや私は明晰なる判断のもと、現世のもたらすあらゆる贅沢や豪奢な体験や喜びに、 意識を向けることは2度とありませんでした。 子供を怒鳴ったり、時には自然のもたらす悪天候に激怒して喚き散らしたこともありましたが、 私は存在そのものの荘厳さに心を打たれており、修道士であったそれまでのどの転生よりも深く、 真の霊性を学んだのでした。 これは貧困が真実への近道であるとか、艱難辛苦(かんなんしんく)が霊性を高めるといった 意味ではありません。同じような状況でともに辛酸をなめても、そこから何も学ばない人もいるのです。 これはあなた方1人1人がそうであるように、これまで体験してきた今回の人生の状況は、 自分の弱点や美点がどこにあるかを、前もって自覚したうえで選択したということなのです。」 『セスは語る』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. iwasaki 2014年4月2日 21時42分 [返信する] いいことを言いますね〜! そこから何を得るかは自分次第、最大限色々と感じ学び気づきたいものですね。 2. S 2014年4月2日 23時18分 [返信する] 魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力――それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊(きんかい)もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。ほかにもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。 (シルバーバーチより引用しました) セスのお話も素晴らしいですね(涙)
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