2013年6月12日に行ったバシャールのリーディングの検証と、我々が直面する蓋然的現実の特徴について | |
2018年7月6日 12時2分の記事 | |
まずは、2013年6月12日に行ったバシャールのリーディングから一部抜粋します。
「今回あなた方のもとを訪れたのは、我々の時間軸から見て2013年がどのような年になるのかを教えていただきたいからです。 まず、経済面ではどうですか?景気はよくなりますか?」 「残念ながら必ずしもそうとはいえません。」 「日本ではアベノミクスが功を奏しているように見えますが。」 「一時的なものです。いずれ失速します。 ただ、雇用の面では促進効果があるでしょう。 それは、民間というより政府主導による政策効果が期待できる可能性があります。 それによる一時的な景気回復の可能性はあります。」 「政治面ではどうですか?安倍政権については?」 「安倍政権は、米国との関係強化という点ではうまくいくでしょう。 日本にとってそれが最も重要であることは、パワーバランスから言っても妥当しますから。 日本が単独で中国やロシアと対等に渡り合っていけるかどうかは、微妙なところがあります。 ストレートに言えば、経済力だけでは大国と対等には渡り合えないところがあります。 加えて、北朝鮮の存在です。 もしアメリカの後ろ盾が日本になければ、北朝鮮はどんどんスパイを日本に送り込んでくるでしょう。」 「でも、そうはならないんですよね?」 「なりません。 今後日本が国際政治の場面でうまくやっていくためには、なんといっても『協調関係』が必須です。 結果的にどこに対してもよい顔をするということになるかもしれませんが、それでいいのです。 外形的な形がとても重要です。」 「環境面ではどうですか? 私の住んでいる地域では、梅雨入りしているのに、全然雨が降らないんですけど。」 「日本をトータルで見たとき、干ばつの心配はそれほどないでしょう。 ただし、冷夏による食物の影響が出るかもしれません。」 「日本の食料自給率についてはどうですか?ほとんど輸入に頼っていますけど。 米に関しては減反政策なんかもしています。」 「食料自給率は少なくとも米に関しては、政策はともかく上げる方向でいったほうがよいです。 ただ、今後の状況を見ていくと、日本には特にアメリカの圧力から、医療品や食料の自由化がますます促進されていく状況があります。 でも、それは問題にはなりません。 自由化はされてかまいません。 問題は、国民自らそれを判断できる状況を作っていくことです。 つまり、国民の目を養うことです。 そうすれば、たとえ輸入品が外国から入ってきても、国民は自らの判断で安全な国産品のほうを選ぶようになります。」 「つまり、安倍政権の米国重視の対外政策には、長期的にみても問題がないということですか?」 「そうです。実際、アメリカが対日本外交を重視する理由の一つとして、アメリカのアジアでの外交防衛政策上、日本がアメリカ軍の拠点として有益であることのほかに、日本の経済力があります。 先ほどアベノミクスの話がありましたが、アメリカは日本を経済政策上の需要なマーケットであると考えています。 そのような経済政策は、防衛政策とも密接にリンクしていて、だからこそアメリカは日本との関係を大事にするのです。 実はそれは、アジア諸国も一緒で、過去の歴史的事情はあるものの、内心ではみな日本の経済力をいまだに評価しているところがあります。 ですから、皆に対してよい顔をすることに『結果的に』なったとしても、協調関係を重視する路線を進むのが最善であるといえます。」 (引用終わり) http://blog.kuruten.jp/imimi/257336 上のチャネリング情報は2018年の現時点から見ると、だいたい当たっています。 ただ一点。 2013年は冷夏ではありませんでした。気象庁が2013年は異常気象だったとコメントしています。 実際に冷夏になったのは2014年と2015年(西日本)でした。 ちなみに2013年当時、私は山口県にすでにいました。 地震予知もそうですが、蓋然的現実の把握には「自分との関わり」が反映されることがあるからです。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/冷夏 当時は、リーディングの検証ができない場合が多くありました。 しかし、もう5年経ちましたから(多次元世界の探索を始めて10年)、そろそろいろんな検証が出来てくる可能性があります。 この点、個人リーディングだと、目の前にいらっしゃるクライアントさんに確認するだけで済みます(笑)。 私は可能な限り自らのリーディングを公開してきました。興味ある方は是非ご覧になってみてください。 我々の感覚だと、2013年だと予測した冷夏が2014年と2015年に連続で来るということはありませんよね。 つまりこの場合、一般的には、「予測が外れた」とみなされる可能性が高いです。 しかし、リーディングのように時空を超えて出来事を透視する場合は、実際には「出来事」を読んでいるのではなく、「エネルギー」を読んでいます。 ですから、ダリルアンカも述べていますが、予測には外れる場合がありますが、今の我々の集合意識のエネルギーを読み取ることにより、ある程度、我々から見ると未来に相当する蓋然的現実を知ることが出来るのです。 この「蓋然性」(probability)の理解は人知を超えているところがあって、今の我々にはその全貌を知ることは到底できません。 「蓋然性」は「確率的偶然性」と訳されることがありますが、どちらも同じ意味で使われます。 ただし蓋然的現実は「チャンスレベルで存在する現実」ではなく、「自己(もしくは問題となり得る人)にとって直面する可能性が高い現実」という意味です。 例えば以前こんなことがありました。クライアントさんからの遺失物の捜索依頼だったのですが、いくつかの現実的可能性が見えるけれどもどれが起きるのか確定できない事例と、現実的可能性がただ1つに確定できた事例です。 どちらも同じような感じでリーディングしました。結果は、前者の事例では遺失物が見つかりませんでしたが、後者の事例ではリーディングした通りの場所から遺失物が見つかりました。 このように、一口に蓋然性といっても、それは単なる蓋然性にとどまらず、我々が直面し得るリアリティとの関係での蓋然的現実が問題となり得るのです。 | |
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