神武に同行した巫女について | |
2014年9月21日 16時8分の記事 | |
ミクシィのほうから、興味深いコメントをいただきましたので、私の思うところを合わせてご紹介させていただきたいと思います。
>マクモニーグル氏は書籍で、長門(山陰か山陽)と近畿を往復している巫女を卑弥呼と透視していました。 謎は尽きないです(どきどき) 近畿と九州の二カ所が古代拠点という説は以前からありますが、古代巫女は重要な役職であったでしょうから、神武東征の時にも“お抱え巫女”を連れて行った可能性はありますよね。 近畿にも巫女はいたでしょうから、こうした事柄が更に絡まってしまったのかもと思ったりしました。 そう言えば、永久保さんという漫画家さんが、霊視による卑弥呼捜査を描いていらっしゃいましたが、非常にリアルでなるほどと思わされる点も多く面白かったです。(特に箸墓とか) コメントありがとうございます。 その可能性はあるでしょうね。 九州宗像市の宗像大社から、山口の防府(車塚古墳、厳島神社)、広島県宮島の厳島神社、そして奈良県の天河神社ではすべて、三女神の一人のイチキシマヒメを祀っているんですが、 私はこの存在が神武天皇が実在した場合に同行した可能性のある巫女の一人ではないかと考えています。 実際、宗像大社でリーディングしたとき、三女神の一人が実在したと感じました。 ブログでは実在したのはイチキシマヒメではないと書きましたが、第一印象では二女すなわちイチキシマヒメが実在したと感じました。 余談ですが、歴史に詳しい知人は、イチキシマヒメはトヨではないかと言っている方もいます。 あと、歴史的事実に照らして検証するのは難しいのですが、宗像大社と出雲大社との関係性が気になるところではあります。 なぜなら、私のリーディングでは、トヨには出雲の血が流れているという印象を得たからです。 前回の記事でご紹介した古代史研究家の桂川光和さんによれば、古代有力豪族の系譜がすべて婚姻によってつながっていたと主張されていますが、 (http://yamatai.sblo.jp/article/101770685.html) もし宗像一族と出雲一族との間にもこれが成り立つのであれば、宗像三女神の一人に出雲の血を引くものがいたとしても、おかしなことではないなと感じています。 たとえば、海人族の一派である住吉族(住吉大社の系列)において、下関にある住吉神社には武内宿禰(たけのうちのすくね)お手植えと伝えられる大楠がご神木として植えられているのですが、 竹内宿禰は尾張氏の先祖とされていて、尾張氏は、天皇家やニギハヤヒを祖とする海部氏ともかかわりの深い家系だったりします。 要は、いろんなところで婚姻を通してつながっているということが言いたいわけです。 仮にイチキシマヒメが実在したとして、それがトヨではなかったとしても、神武東征の際に同行した巫女の1人だった可能性はあるように思います。 魏志倭人伝によれば、卑弥呼は一般人の前には姿を現さなかったとありますが、それは別に隠れていたためではなく、一種の権威づけのためにシンボライズして書かれている可能性もあるように思います。 神武のような高貴な存在がその土地土地に赴く場合、行動はすべて政治的行為ですから、政治と宗教的行為が一体化していた古代においては、巫女が同行するのは必須だった可能性もあります。 そうすると、同じ巫女が神託を下している証拠として、イチキシマヒメという同一の神が、北九州から山口、広島、近畿地方にかけて広く分布していることには首肯できる部分があるように思います。 | |
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