潜在能力を開花させるには(PART2) | |
2015年3月5日 8時1分の記事 | |
重要なのは、それをどのように生かしていくか、自分や全体のためにどのように活用していくのかという視点です。 いわゆる動機の部分をお話しています。
今からお話することは、私の信念にすぎないので、一例として聞いてください。 能力を自分だけのために使う、これはこれで素晴らしいことです。 ですが、能力を自分だけでなく全体のために使うこともできます。 非物質的能力はこの辺が重要だと私は個人的に考えています。 つまり、株やギャンブルで一儲けしようと考えるよりも、 困っている人をリーディングで助けたり、リーディング能力を使って人の役に立ったりするほうが、より援助が得られやすいです。 というのも、どんな能力であっても、非物質的な見えない能力というのは、自分だけの力で成り立っているものではなく、 必ず協力してくれる存在(ガイド、ハイアーセルフ)がいてくれるからこそ、成り立っているからです。 でもこれは別に、非物質界だけではなく、物質世界でもそうですよね。 あらゆる出来事は、協力関係のもとに成り立っていることが多いです。 でもその中でも、より全体利益に貢献できることのほうが、より多くの人の賛同を得られやすいですし、協力者を募りやすい。 ただそれだけなんだと思います。 ですから、まとめるとこうなります。 まずは信念の解放、これはとても重要です。 瞑想はしてもしなくてもいいです。 へミシンクもしてもしなくてもいいです。 もし好きならやってみてください。 霊性の輝きを取り戻すこと、これは実は遠回りなようで能力を引き出すことに貢献します。 そして、自分だけでなく全体のために使おうという動機の部分。 これらを日常生活を過ごしながら少しだけ意識してみてください。 以上が、もし私に「その能力」があるのだとすれば、思いつくところはそのようなところです。 でも、本当に大切なことは、日常生活の中にあります。 日常生活それ自体が本当はスピリチュアルなんです。 たとえば、皆さんするとてもスピリチュアルなことがあります。 それは、「笑顔」です。 笑顔は、とてもスピリチュアルなんですよ。 特に心が満たされた時に自然と湧き出てくる笑顔には、本当に素晴らしいものがあります。 世の中では、スピリチュアルという言葉ばかりが先走りしていて、またそれを世間が面白おかしく言ったり、恐怖心を募ったりして、人を騒がせたりひきつけたりすることだけがスピリチュアルだと思っている人が大半です。 でも、本当は違うんですよね。 人間そのものがスピリチュアルなのです。 人の笑顔がスピリチュアルなのです。 人の音楽や絵画など芸術的能力それ自体がスピリチュアルなのです。 それこそがまさに、スピリチュアルな能力です。 でも、人間にはいろんな能力がありますから、リーディング能力を活用すれば、家庭でも仕事でも活用次第で充実していくことは間違いありません。 自分の人生なんですから。 好きなように生きていっていいのです。 どのように生きるかは、単に選択の問題にすぎません。 たとえば、芸術家でも、自分の能力を趣味で使うだけの人もいれば、プロフェショナルとしてお金をとって使う人もいます。 お金を取るかとらないか、あるいは逆の立場から見ればお金を払うか払わないかよりも、より全体のために自分を役立てたかどうかという結果のほうが重要な気がします。 突き詰めると、あらゆることは信念の積み重ねによって共通のルールというか縛りのようなものが出来上がっているだけで、人間の人生ってそんなにちっぽけで制限的なものではない気がします。 「あなたは〜をすると破滅しますよ。」とか、 「あなたは〜をすると、魂が消滅しますよ。」とか。 そのような制限掛けというのは、もともとは共通の信念からきているだけで、それを受け入れるかどうかという問題だけです。 たとえば一番顕著なのは、スピリチュアルでお金を取ったら地獄に落ちますよ的な感じで考えている人がいることです。 でも、その根底には何があるかというと、罪悪感やコンプレックスであり、不安感や恐怖心であい、何かへの執着心からくる縛りであったりすることがあります。 コンプレックス(劣等感)は、能力に対するものであることが多いかもしれませんし、他の何かかもしれません。 不安感や恐怖心は、漠然とした目に見えないものへの畏怖心かもしれませんし、社会に根深く残っている因習的なものや、肉体を持って生きていることからくる死への恐怖に根差したものかもしれません。 あるいは、執着心や依存心が強い場合、誰かを教祖に崇め奉ることでその人物に依存し、共通の信念体型を共有することから生まれてくるかもしれません。 いずれも一例であり、絶対的な真実ではありません。 しかし、いずれにしても、人はなんらかの信念を持ち、その信念に縛られて生きています。 自分の信念とは真逆の信念に対しては、嫌悪感を持つかもしれません。 その信念に従って生きる人を排除しようとするかもしれません。 なぜなら、その人物がそこにいるだけで、自分の信念が脅かされるのではないかと感じるからです。 このように。前半で申し上げた信念の解放には、自分がどんな信念をもっているのかに気づくことが重要な気がします。 ちょっと不思議な感じがしますが、信念による縛りから解放されればされるほど、自分の潜在能力が開花していきます。 ですから、「私は普通である」というフリを世間一般の強固で古臭いルールに縛られながら生きているのに、他方で「霊能力や超能力が使えるようになる」という自分の信念とは真逆なものに恋焦がれても、難しい場合があるのです。 リーディングはそこまではいかないですが、やはりある程度の信念を外す必要があります。 それこそがまさに、能力開花の突破口となるものなのです。 そして、能力を越えた先には、普通の現実世界が待っています。 能力に執着しなくなれば、その分だけ日常生活がいかに素晴らしいものかが感じられてきます。 なぜなら、そこが自分の能力を開花させる舞台となるからです。 しかもその能力は、喜びや創造性、愛といった普遍的なものに根差しています。 笑顔が霊性に直結するなんて、信じられます? でも、本当は大切なものというのは、そのくらいありふれたものなんだと、私は思っています。 Some rights reserved by Princess Ruto | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. ふーみん 2015年3月5日 16時36分 [返信する] ご回答ありがとうございました。自分を信じて意図して行動する…まさにヘミシンクにも通ずるところですし、またimimi さんがおっしゃる様に、能力開発を越えた先、つまりは日常に当たり前の様にありふれている幸せに気付く事の大切さを改めて痛感致しました。近々、ワークに参加させて頂きます。ありがとうございました。
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