ベルのリトリーバル | |
2015年5月2日 23時31分の記事 | |
実家の犬が亡くなりました。 確か、17,8歳だったと思います。 私が最後に会ったのは、3月中旬でしたから、約1か月後のことでした。 実は、私は3月に見た時、おそらく今年までの命だろうと直観しました。 ですが、時期はその時点では今年の秋ごろだと感じました。 それが、私が北海道を去ってから1か月もしないうちに突然旅立ったわけです。 私たちは亡くなった犬のことを「ベル」と呼んでいました。 なので、以下ではその愛犬のことを「ベル」と呼ばせてください。
今、彼に意識を向けると、まだ若かったころのはつらつとした様子で現れてきます。 彼は若い頃は、ものすごく元気がよかったのです。 その最も若くてはつらつとした様子で現れてきました。 背後に誰かいます。 向こうの世界で彼をお世話してくれている人物でしょうか。 亡くなる直前まで、彼は私の母親と暮らしていたからなのか、その人物は私の母親にどことなく似ているように感じられてきます。 でも、はっきりとは見えないのです。 なんとなく意識の拡大した印象を得ますが、おそらく私はその人物の印象を直観的に感じ取っているみたいです。 別の次元に意識を向けてみると、少し様子が異なっています。 我々人間も多次元的に存在しているように、犬も多次元的に存在しています。 ベルに意識を向けてみると、へミシンクでいうところのF23の領域にいるのが感じられてきます。 最初、その様子がうっすらと光る球体の綿のように見えてきました。 しかもそれは一つではなく、空間上にいくつも漂っているように見えてきます。 それらすべてがベルの意識の断片らしいです。 ここで一つの疑問が出てきます。 F23は、いわゆる囚われ領域で、通常は人の囚われ領域だとされているところです。 ところが、今私が見ているのはベルです。 こんなことってあるのでしょうか。 結論から言うと、どうやらこれは飼い主つまり私の母親の意識と関連しているみたいです。 何となくこうだろうということしかわからないのですが、愛犬に先立たれて悲しいという母親の気持ちをくみ取って、亡くなった愛犬は自分から望んでF23にいるというのです。 最初、私はF23にいるベルの意識にフォーカスしました。 中に意識を向けていると、私が近づいてきたことに気づいたのか、彼はさかんに外に出ようとします。 ですが、透明の膜にさえぎられて、外に出て私に近づくことができません。 それは、私とて同様なのです。 何らかの理由でベルの意識に近づくことができないと直観しました。 ですが、次の瞬間、救出の必要はないということが直観的にわかりました。 このF23という世界は、幻想なのです。 幻想を作り出している大元を訪ねる必要がある、そのように感じられてきました。 そこで、次に向かったのは、F27にいるベルです。 F27は、輪廻転生の中継地点とされている場所で、いわゆる成仏した後の世界です。 すべての出来事は同時に進行しているために、ベルにもすでに大丈夫になった後の世界が存在しています。 F27では、ベルは、私には人間の姿として感じられてきます。 いわゆるハイアーセルフだと感じます。 動物のハイアーセルフは、F35(5次元世界)ではなく、F27から接触できるようです。 見た感じ、10歳ぐらいの西洋人の少女に見えます。 以下は、彼女(ベルのハイアーセルフ)とテレパシーで交信した内容です。 ベルのハイアーセルフである彼女が言うには、「しばらくはお母さんのもとに付き添っていようと思う」とのことでした。 お母さんとは、私の母親のことです。 ちなみに、彼女は私のことを「お兄ちゃん」と呼んでいました。 ベルにとっては、私はお兄ちゃんとしての存在だったみたいです。 ベルが母のもとに付き添うといった意味が、どうやらF23の領域にいる彼の様子に関係しているみたいです。 それだけではなく、彼女はこうも言いました。 私が彼女に、これからどうするのか聞いてみたところ、「こちらの世界にお母さんが来るのを待っている」といったのです。 これは別に、私の母親が亡くなるという意味ではなくて、こういうことらしいです。 犬というのは基本的に、飼い主に対して忠誠心を尽くします。 我々はそれは生きている間だけだと考えがちですが、死んでからも忠誠を尽くすのです。 それが、飼い主の愛に応えるための彼らなりの愛の表現だからです。 ですから、自分が亡くなったことで飼い主が悲しんでいたら、ぎりぎりまで飼い主に寄り添い、死後も飼い主が自分のところに来るまでひたすら待ち続けます。 なぜなら、それが彼らなりの愛の表現だからです。 ちなみに、ぎりぎりまで飼い主に寄り添うという言い方をしたのは、どうやら現実世界に接触できるのは短期間であって、ベルの場合は2か月とちょっとだと感じました。 つまり、それまでは母親に寄り添って支えるという言い方をしてきたのです。 ですから、母親に呼ばれれば、自分からF23の領域に入っていき、そこで母親と暮らします。 (私にはF23と感じられましたが、この辺のヘミシンク的な厳密さは必要ないと思います。 要するに、生きている母親の思いに接触できる一種の囚われ領域のようなところを想定していると思ってください。) でも、F27にいる彼からすれば、いつでも自分自身を統合化できることを知っています。 つまり、彼にはリトリーバル(救出活動)は不要だったのです。 動物なんですが、動物を超えた意識を持っていて、自分でやるべきことを理解して多次元的な活動ををしていることに驚かされます。 私は、このような初めて聞く内容に興味をおぼえながらも、彼や彼のハイアーセルフから終始感じられていた清々したエネルギーを感じて、どこか安心していました。 彼は今でも別の次元(F27)に実在しているのが、ありありと感じられ、しかもそのエネルギーがとても澄み渡っていて、すっきりとしていたからです。 我々人間は、人間死んだら終わりだと思っていますよね。 正確に言えば、死んだら終わりだというフリをしていますよね。 そして、妙な社会的意識のもとで非物質的なことを頑なに否定しているかと思えば、そのくせ実は内心では、死後世界のことをどこかで肯定していたりする不思議さを持っています。 でも、人間死んだら終わりではありませんし、それは動物とて一緒です。 我々に愛されたものは、その愛を献身性で死んだ後もなお、その愛に報いようとします。 まさにそれは、無償の奉仕以外の何物でもありません。 それが、彼ら動物の愛の表現であり、私たち人間への感謝の気持ちの表れなのです。 | |
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1. matsnao 2015年5月3日 15時37分 [返信する] imimiさん、こんにちは。 初めてコメントします。 お母様の愛犬の深い愛情が伝わって涙が出ました。 私も猫を飼っていて、また愛猫を見送った経験もあります。ペットとの深い繋がりに共感しました。 また、imimiさんのブログを読むうち、私も自分自身で違う次元を体験したいと思うようになり、ヘミシンクのゲートウエイを注文しました。 またセスの本もこちらのサイトで知り、もう何回も読み返しています。セスからの情報も私にとっては貴重なものです。 imimiさん、いつも興味深い記事をありがとうございます。これからも楽しみに拝読させていただきます。
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