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薩摩いろは歌 幕末編13 戦禍 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年10月14日 14時40分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編13  戦禍
古賀宣子


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・戦禍
 初めて知る異国との戦をこの目で見たいと平吉は、暴風雨にもかかわらず加治屋町の大久保家旧宅の屋根に上って窺う。ところが思いがけなく、その空き家が臨時の医療所となり、そこで庶子派の密偵だった川田丙蔵の死に遭遇する。

作者プロフィール:
質素な暮らしと豊かな心が信条の年金生活者。騒々しい政局などどこ吹く風と言いたいところだが、三代続く民主党政権に辟易な日々。愛猫はこの夏十八歳の天寿を全う。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12  戦端



                  
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編13  戦禍
古賀宣子



一 一発の砲声

 あの音は・・。
 濁流が渦巻く甲突川沿いに、西田橋まで差し掛かったときである。
荒れ狂う東風雨を避けるようにして平吉は、竹の皮で編んだ笠を心持ち挙げた。
 水上坂の方から蹄の音が数騎。盛んに泥水を跳ね返しながら近づいてきたのだ。警衛物々しい予備隊の間を縫って、騎馬は見る間に西田橋御門をくぐり抜け、千石馬場通りを疾駆していった。
 が、ただ一騎だけは、橋の手前で河口方面へ曲がった。それが天保山の台場に向かう主人の大久保一蔵だったと、平吉は後になって知ることになる。そして残りの数騎が、祇園洲の外、城下を護る台場へと向かったことも。
 さては異変か。いや、今は非常時。何があっても不思議ではない。しかし、あの騎馬が通り過ぎた際の風圧が、掃攘の令を発するに至った動き、と、迄は気付かなかった。
 引っ越してから三日が経つ。この日も平吉は、加治屋町の旧大久保宅に向かっていた。新照院町の家は叔父に当たる嘉介と末弟の正太に任せてきてのことである。こんな日は、土間で日用具の修繕をするしかない。万一に備えて、早朝に土嚢だけは戸口や裏口に積んできたが。
 異国との戦とはどんなものか、自分の目で確かめたい。突き上げるような思いに駆られ、平吉は嘉介に訴えた。
「わしは古い人間だが、お前はこれからだ。大きく変わっていきそうな世を乗り越えていかねばなうまい」
 嘉介は快くそう言って、いつも蒸した芋を竹の皮に包んでくれる。
その風呂敷包みと竹筒を腰に結びつけ、瞬時に飛び出せるよう、雨水が滴る蓑は身に付けたままだ。肩から背中を覆うばんどりは勿論だが、背当てと胸、腹当て、そして下蓑で腰部を覆い、はばきを両足に付けての完全武装である。
 外は庭木が唸り、雨戸が激しく音を立て、そこに空になった鶏小屋の板葺屋根を叩きつける雨音が混じる。
 平吉はまた、厠に行った。大して出ないのだが、直ぐに催してきて落ち着かない。
 こんな日でも、諏訪社は例年の如く神事の太鼓踊りを興行しているらしく、御城の向こうから微かに独特の音が聞えてくる。また城下の所々には合羽姿の遊軍隊が巡視の任についている。
 蒸気船が拿捕されたらしい。この噂は今朝がた聞いた。人々の耳目は砲台のある海岸沿いに集中し、噂は瞬く間に広まっていく。流し始めが誰なのかは判らぬが。
 南林寺の大鐘が九つを告げる。そろそろ腹ごしらえをと、平吉は蒸した芋を一つ頬張った。その時である。突然一発の砲声が轟いたのは。
 平吉は勝手口を飛び出し、裏手の薪小屋から切り妻の屋根へと這いあがっていった。頼みとするのは棟木から垂らした頑丈な綱と太い長釘だ。引っ越しが決まった時、密かに準備しておいた。加治屋町から海へ向けての地形は、緩やかな下り坂が、途中から勾配を増す。だから屋根に上れば視界はそれだけ広がる。そうやって、毎日錦江湾を眺めていた。砲台の位置と方角は、一蔵様の話を元に簡単な城下の絵図に記し、頭に叩き込んである。 もっと間近で異国の艦隊を見てみたいと、前之浜へ何度行きかけたか。が、怖かった。何時、何が起こるか分らない。その時どのように対処したらいいのか、想像もつかなかったからである。
 本当は新照院町の東に位置した城山の方が眺望はいいし、直接そこへ向かった方が近い。だが、平吉はあえて加治屋町まで来ている。九歳から暮らしているこの家への愛着といったらいいだろうか。密かに守ろうとする気持ちが働いている。それに一蔵様だって、幼児のころから住んでいる家だという。五月に亡くなったご隠居様が長兄の跡を継いだ時からと、嘉介から聞いている。
 綱をしっかり身体に捲きつけ、釘を刺しながら這い上る。濡れていても茅葺は手に触れると痛い。風雨が容赦なく顔面を撃ち、笠を煽る度に咽喉元で結んだ紐が喰いこんでくる。それでも尚、視線は海に貼りついていた。
 四半刻も経たぬうちであったろうか。あらゆる方面から弾丸が飛び交い、棟木にまたがった平吉の腹底まで響いてきた。
 そして、やがて、その数倍?いや数十倍もする砲声が大気を揺るがした。転げ落ちそうになりながら必死で棟木にしがみつく。砲声に促されるように雨脚は更に激しく全身を撃ち・・。
 大砲声は桜島の下からか。真上の砲台が崩れたようだ。南林寺の杜のずっと先の右手で、木っ端みじんになった柵が、暴風雨に舞っている。その下で、黒い影が点々と蠢いているのは、藩兵か。まるでそれを合図にしたように、白い光が弧を描きながら次々と海岸沿いの町屋に落とされていった。同時に随所に火の手が、強風に煽られてたちまち広がっていく。雨と風と火炎が、町屋一帯を格闘しながら四方八方へと這いずり回っているようだ。
 身体の芯から震えが起こり、それでいて棟木にしがみつく腕は、力が抜けるどころか強固な釘で打ち付けたように動かない。あの火の手がここまできたら・・。繰り返し考えるが、その先が浮かばない。
 南林寺参道入り口の方角で火の手が上がった。昼時に続いて確か八つの鐘も聞いている。その大鐘も、滑車で下されているに違いない。参道手前、菩薩堂から海岸へ向けて走る菩薩堂通り。その周辺を埋める町屋を黒煙が覆う。源助さんの店錦屋がある呉服町の辺りではないか。
 あの時、思い切って訪ねて良かった。一蔵様に命じられてもいないのに、正太を連れて店を見舞ったのだ。差し出がましいかと気にしつつ、今のうちに引っ越してはと声をかけてみた。すると話し合っていたところだという。
 農家所有の小屋が空いていると聞いていたので、急げと正太を走らせ、その日のうちに大久保家で頼んだ大八車を借り出してきたのだ。駄目なら大久保家の物置に一時荷物を置き、平吉たちの部屋に同居しながら、空き家を見つければいい。一蔵様だって、世話になったご恩を思えば否とは申されまい。主人の東兵衛さんは嘉介より年長だ。自分が動かなくてどうする。幸い小屋は空いていて、錦屋夫婦はそこに落ち着いている。
 一蔵様は千眼寺の本陣だが、西郷家の信吾様は大丈夫だろうか。
西郷家は、吉之助様が久光公の命令を守らなかったがために沖永良部島へ遠島になり、弟の吉二郎さんと末弟の小兵衛さんは遠慮。三男の信吾様が謹慎処分となった。その上、知行高・家財も没収。但し、下加治屋町の屋敷は安政二年に永代売却済みだ。寺田屋事件に加わってもいた信吾様だが、薩英戦争に備えて、事件で本国送りになっていた藩士等も処分が解かれ、それぞれの部署に配属されたと聞いている。
 これは昨日奥様が話していたことだが、開戦前のこと、奈良原喜左衛門様が一つの作戦を提案なさったとか。それは西瓜売りの商人に偽装し、上手く旗艦に乗り込んだ暁には、艦長を殺害するというものだったらしい。それで希望者を募ったところ九十名以上の勇者が集まったという。さすが薩摩隼人だ。そのなかに信吾様や従兄弟に当たる大山弥助(巌)様も参加なさった由。計画は不審に思った英艦によって未然に退けられて失敗に終わったらしいが。
 殿様は敵方が戦端を開くのを待つ姿勢だったため、藩兵の間では大分鬱積が溜まって破裂寸前だったとか。
「そげな意味では捌け口としての効き目はあったごとですよ」
 奥様が西郷家から伝え聞いてきたことを話してくれた。
 一蔵様は激務のご自身に代わって頻繁に、奥様や嘉介を西郷家に伺わせて、何かと援助を惜しまないでいる。それでも手紙はよく書いていて、飛脚船が出る頃に、まとめて持っていくように頼まれたことがある。二人を小さな頃から見てきた嘉介は、常に言っている。
「大きな目標があってのう」
 初めは薩摩藩をよくしていくことを目指し、そのうち目線は日本国全体へと向かっていったと。
「高い志を共に抱いておられうので、何が起きても友情は変わらじ、艱難を乗り越えられうのだ」


二 川田丙蔵

 軒下が騒がしくなった。数人の話声がするが聞き取りにくい。頭を縮めて、風雨に抗いながら薪小屋まで下りて行く。勝手口の戸を僅かに開けて窺うと、薩摩弁が聞えてきて安堵する。表からまた数人の足音が。
「こん雨だ、取り敢えじ、ここまで戦火は広がぬであろう」
「治療が先だ」
「こん場所を火消し組に伝えよ」
「門口には医療旗を」
「火があうとよかが・・」
 無理だろうが言葉を発してみたという声音だ。 
 薪は残っている。自分が手伝おう。平吉は、慌ただしい足音が飛び回る中へ、入って行った。引っ越す際、板戸や襖は片隅に外していったので、薄暗いがよく見渡せる。
「空き家と存じ、お借い申した」
 荒治療をした負傷兵なのだと、気付いた合羽姿の一人が頭を下げる。表の戸口を入ってすぐの板敷きの間に荷が置かれ、小座と座敷が臨時の病室だ。
「構いません。火を熾しましょう」
 蓑の紐を解きながら、自分は元の住人の家僕で、家の様子を見に来ただけだと話した。下帯に藍色の小袖を尻端折っただけだが、それでもこの季節だ、胸元や腋の下から汗が流れ落ちてくる。
「いざちゅうときのために、蓑はそんままで」
 医師と思しきその人は平吉を制した。
 かまどの灰をかき混ぜ、熾き火を掘り出し、麻袋の枯れ葉を少しずつ入れていく。炎の加減を見ながら、ばんどりだけは脱いだ。濡れているとはいえ、やはり用心に越したことはない。火勢がついたところで小枝を折ってはくべていく。昨日、天候の変化を見越して、枯れ葉と小枝をかまどの脇に運び入れておいたのが役立った。梅雨入り前に、繁茂した庭木を刈ったばかりで、余った分は置いて行ったのだ。
 蝋燭数本に火が灯る。
「胸をやられておう。砲台の破片と実弾の痕跡が。鍋を出せ」
 先ほどの医師だ。蓑はそのままでと制した医師だったが、自身はいつの間にか合羽を脱いでいる。
 間もなく背後で小荷の一つが解かれて、大きな鉄鍋を持った一人が井戸端へ向かった。水瓶は底をついている。
 消毒の焼酎を吹き、治療が始まったようだ。負傷兵の呻き声が平吉の背中を刺す。聞くまいと平吉は、首に巻いていた手拭いでかまどを煽り続けた。その間も、傍らでは、僅かな携帯水ですすいだ器具が炎へ差しこまれていく。
「姓名か所属は判うか」
 やがて、処置が一段落したのであろうか。医師が問いかける。
「川田丙蔵とあいもすね。それ以外は」
 平吉の腕が止まった。忘れもしない。あれは大久保家に来た翌年だから十歳で、未だ正助と名乗っておられた一蔵様から西郷家への使いを命じられた。その帰りのこと、背後から近づいてきたのが川田丙蔵だった。山之口馬場通りから川沿いの道に出た時に、声をかけられたのだ。振り返ると、聞きたいことがあると、テルテル坊主の小粒なくらいのを、掌にのせようとした。その目つきは、騙して手名づけようと妙に優しく、咄嗟に嘉介の顔が浮かんで・・。
「かしらに叱られるから」
 平吉は危険を直感して逃げてきた。
 正助さんに告げると、頭を強く撫ぜてくれ、「当分一人では出せんな」と独りごちていたっけ。間もなくそれが庶子派の密偵と知り、後に源助さんが、帰宅途中に菩薩堂の辺りで、川田一味に襲われたこともある。庶子派を警戒する正助さんや吉之助さん等。集まる度に小座の板戸や障子が閉められた。平吉の脳裏に昔の情景が幾つも点滅し、いっとき戦時であることを忘れていたほどだ。
 慌ただしく戸口が開かれる音に、平吉は我に返った。また負傷兵が担ぎこまれてきたのだ。風雨が淀んだ屋内をたちまち撹乱する。
「顔に湯がかかうぞ」
 煮えたぎった湯を汲む兵士に、どくように促された。
「船がやられたらしか」
 入って来た一人が砲撃の凄さに打ちのめされたという。
「拿捕された船が、か」
「祇園洲の方らしい」
「別のだな」
「そん先には製造所もあう」
 先ほどの医師が諦観したような口ぶりだ。
 そこへ又、担架が。
「琉球船が燃えておうそうだ」
「全部か」
「判らぬ」
「ちょっと外へ」
 ばんどりを身につけ、裏口へ向かう平吉の背に、医師の言葉がかぶさる。
「直ぐ戻いもすな。危なくなれば、ここも移るゆえ」
「承知しておいもす」


三 来し方

 ここからだと祇園洲は東北の方角に位置している。藩兵が言った通りだ。強風に煽られながらも火柱が天空を焦がすように伸びている。それはあたかも巨大な蝋燭のようだ。あたりはもう暗い。下にいる間に二刻近く過ぎたらしい。ここからでさえ火柱はあの太さだ。燃えているのは一隻や二隻ではあるまい。
 再び、あの大砲声に続き、凄さまじい爆発音が連続した。医師が指摘した通り、集成館の大砲製造所だろう。あそこは他の工場や爆薬庫もある。一蔵様等は昨年帰藩して以来、戦に備えて日夜整備を指示していた。その結晶が一瞬のうちに火の海と化している。
 前之浜一帯は琉球館の辺りから磯の方まで黒煙が上り、火の手は御城に迫りつつある。吉野橋が架かる濠が火勢を喰いとめてくれるといいのだが。無理かもしれぬ。まるで巨大な火の玉だ。それが時おり放つ炎の閃きが、上下左右に大揺れしながらも威容を誇る三本マストを映し出す。
 平吉も火事の怖さを知らないわけではない。が、暴風とはいえ、雨量も凄いなか、これほど天空を焦がす火事ははじめてだ。気がつくと、身体の芯から震えが起こり、顎が硬直している。
 喜界島へ流される前、亡くなられたご隠居様は琉球館の蔵役だったと聞いている。生きておられたら、この光景をどのように思われただろうか。平吉は磯の一点に視線を止めた。そのご隠居様の赦免船が着岸したのは、あの辺りだ。
「平吉、荷を取りに来い」
 あの時、一蔵様が切羽詰まったように叫んだ。
 それは今まで浴びせられたことのないほどの奇異な響があり、膝が固くなるのを感じた。滑りそうになりながらぎこちなく下りて行ったのをはっきり覚えている。そして一瞬、目を閉じ、息を止めた。
霜に覆われたような鬢髪と骨の突き出た咽喉元、そして何とも言えないような異臭。
 あんな武士がいたとは。それは武士とは程遠い姿であった。田舎の父親の方がどれだけましか。
 目を伏せ、息を止めたまま荷を受け取り、岸に上って深呼吸をしてから担いだことが、忘れられない。前夜、嘉介が注意した言葉の意味を納得できたのはその時だった。
「平吉、幾つになった」
「十四歳です」
「来年は元服の年だ」
 それが何か。平吉は目で問うた。嘉介は直ぐに通じたらしく、口元に笑みを浮かべて言った。
「正助さぁを助けて大人の振う舞いをすうのだぞ」
 今すべきは荷を担ぐこと。加治屋町までの道のりをずっとそれのみを言い聞かせて歩いた。
 風呂場で嘉介の指示を受けながら、一蔵様は手拭いに湯を含ませ、それを戸惑うように弛んだ皮膚に当てていく。
 嘉介の声音は普段とちっとも変らず、病み上がりの旦那様に接している、そんな風に聞えた。それでも平吉は、怖いものでも見るように身を固くして・・。背中は湯殿の板壁に貼りついており、時折はねる湯の音に、束の間、救われる思いだった。
「加治屋町に越してくう前の話だが」
 床に入った嘉介が懐かしむように語り出した。
「橋の向こうに住んでおられた頃なあ」
「そう、高麗町だ」
「正助さぁは生まれておいもしたか」
「未だだ。奥さまが嫁いで来られて間もないころだった」
「嘉介叔父さぁは幾つじゃったですか」
「今の平吉と同じ年頃じゃったな。旦那様が」
 当時を思い出しているのか、しばらく嘉介は無言だった。
「旦那様が・・」
「日新公いろは歌の一首を半紙に記して下さり」
 それは「よ」で始まる歌だった。

  善きあしき人の上にて身を磨け
       友はかがみとなる ものぞかし


「いけな意味なのですか」
「善いことはすぐに見習い、悪いことはすぐに反省し、自分自身を磨きなさい」
 また友達の行いは自分を見つめる糧となるので・・。
 嘉介の説明も途中から睡魔に負けて遠のいてしまった。昼間の出来事が、平吉にとっては、余りにも日常からかけ離れた経験だったからに違いない。
「もういっ度、昨夜の話を聞かせて下さい」
 翌朝、嘉介に頼むと、柳行李から二つ折りにした五枚重ねの半紙を出してきた。一枚には歌が、残りの四枚には、その意味が少しずつ分けて大書されていた。
「子供じゃったからのう。解かり易くとの配慮からだ」
「角が擦り切れとうじゃなかですか」
 扱いが乱暴だったのではと、自然と非難の色が混じった。
「初めのうちは一日の終わりに、必ず声に出して読み上げ」
 意味も含めて諳んじられるようになると、何かあると出してきてかみしめたという。
「何か、とゆうこたあ」
「辛い時や悲しい時ばっかいじゃのして、思いあぐねう日々や嬉しさのあまり道を見失いかけていたと気付かされた時も、必ず」
 奔放な筆遣いは若いころも変わらなかったようだ。几帳面な一蔵様とは少し異なる。
「こよ平吉にやろう」
 どんなに世の変遷があろうとも、本質は変わらぬはずだ。またそうでなくてはならぬが。
 平吉は、応えるべくふさわしい言葉が見つからぬまま、黙って推し頂いたのだった。


四 焼き芋

 小便を催してきた。仕方ない。下りることにしよう。勝手口までくると、芋が焦げたような匂いが微かに鼻孔を刺激し、突然空腹を覚えた。
 再び中へ入った平吉に、皆が一斉に振り返る。
「御城まで延焼しかねん火勢です」
 重要な物品等どうしたのだろうかと平吉は不意に思いついて口にした。
「兵火に備えて、再建時の参考にすうため、対面所そん他殿内の壁や襖の絵は略写したと聞いておる」
「役所の帳簿類などは」
 平吉につられるように医師を手伝う藩兵が訊く。
「表と勝手方の老座や大目付方など枢要な役所には、床下に地下室があうらしか」
「そこに格納したのなあ」
「奥方様や御姫様方は玉里屋敷に避難なさったごとだ」
「霊牌や肖像も遷座を命じられたとか」
「覚悟の末がうかがわれもすね」
 その時、別の藩兵が叫んだ。
「川田丙蔵が息を引き取いました」
「亡くなられたですか」
 平吉は思わず駆け寄った。
「知っておうのか」
「いいえ」
 咄嗟に否定し、あとを繕う。
「こん方ではなかったですか。最初に担ぎ込まれたのは」
 それだけに印象が深いのだと。
「川田丙蔵ちゅうのは、確か西田町の鶴屋の倅ではなかったか」
「あん米屋(よねや)の」
「表で米問屋、裏道に面して質屋の暖簾が掛かっておう」
「あそこは大店ゆえ、藩への献金も多額なのだろう」
 医師は士分に取り立てられた経緯を推しはかっている。
「そういえば、お由羅騒動の後に取り立てられたと聞いたこっが」
「高崎崩れか。懐かしかのう」
「すると、残党の見張り役にでも」
「亡くなった者の噂話はすうな」
 束の間、活気を帯びた空気が、医師の戒めで元へ戻った。
 一蔵様が藩政に携わって以来、久しく聞かなくなった名前だ。それに、異国との戦の最中に藩内の争いどころではないであろう。もう遠い過去の話に思え、平吉は黙って遺体に手を合わせた。
 あとの二人も重傷らしく、今夜が山場らしい。
「今のうちに飯を食っておくか」
 医師は冷静だ。
「ちょうどよか焼き具合です」
 平吉がかまどの火を熾したときに、水汲みをした藩兵が笊に太めの焼き芋を数個、運んできた。それを小刀で切り分けている。
「おぬしも如何か」
「昼の残りがあっとを忘れておいもした」
 平吉が包みを解いていると、暖かい方を喰えと手わたしてくれた。
「それも火でちっと焙るとよか」
「救急所は、ここだけですか」
「各台場や下会議所付近にも。川田殿は遊軍守衛兵じゃった。あん二人も」
 医師は重傷の二人に視線を移し、小声で言うと、改めて平吉を見た。
「帰らなくてよかのか」
「加治屋町まで戦火が及ばん限りは明け方までおいもす」
 嘉介にそう約束してきた訳ではないが、戦が始まったら、出来るだけ見届けたいと断わってきている。
「そんうち陸戦になるやも知れぬ」
 医師は、これだけ戦禍を被っていては、敵は上陸してくるのではないかという。
「そいどん、医療旗の立つ所までは襲ってはこぬ、でしょう」
 別の藩兵の見立てに、同意の空気が流れ、しばらくは戦の様子が話題になった。
「上陸してきたなら、斬りまくればよかのだ」
「敵のサーベルちゅうのは、突く武器であろう」
「ならば刀の方が有利に違おらん」
「敵の情勢で、一つ気になったこっがある」
 焼き芋を半分ほど食した医師が矛先を変えた。
「最初の砲声があがったのは天保台場からじゃった」
「戦端が開かれたちゅう合図と聞きましたが」
 先ほど川田丙蔵の死を告げた藩兵だ。
「暫らくして各台場から次々と攻撃が始まった」
 水汲みをしていた藩兵が相槌を打つ。
「そん後だが、敵の大砲声が聞こゆっまでに、ちっと間があった」
 その間が気になったと医師がいう。
「嵐で大揺れでしたから、錨をあげうのに手間取ったでは」
「攻撃に転ずう態勢にはいるのが遅れたちゅうこっか」
「すると、天候が薩藩に味方した」
「しかも、こん雨でなければ、戦火はもっと広がっとうはずだ」
「おぬし、少し休むがよい」
 医師は平吉に仮眠を勧め、看護の兵には交代を命じていた。
「何が起こるか分らぬゆえ、休めるときに体力の温存を」
 風雨は依然と強いが、砲声は間遠になっている。濡れた蓑はいつの間にか屋内の熱気で乾いていた。空腹が満たされたせいか、急に眠くなる。平吉は草鞋をはいたまま、板の間の柱にもたれて目を閉じた。


五 夜明け
 

 どのくらい眠ったであろうか。足音が盛んに聞えて目を覚ました。表の戸口が開いたままだが、穏やかだ。もう夜が明け始めている。
「風雨はすぎたのなあ」
「夜半にはおさまり、陽が昇いつつあう」
 そう言いながらも医師は身体を忙しげに動かしている。
「ここにあいもした荷は」
「今のうちに草牟田まで下がろうと思ってのう」
 遺体を収容所に運ぶという。
 奥を見ると、白布をかけられた遺体の他はきれいに片付いている。
「あとのお二人も亡くなられたですか」
「夜半近くに」
 雨戸をお借りしますと言いながら藩兵が二人入ってきて、一体ずつ載せては運び出していく。腰を伸ばして外を見ると、どこから持ち込んだのか大八車が控えている。
「眠っとう間にすっかい状況が変わったわけなあ」
「未だ油断は禁物。再び敵の艦隊が砲撃を加えてくうやも、しれぬ」
 天候がよくなり、海上が穏やかになった分、狙いは確実になると医師はさらに激しい惨状を予想する。
「おぬしも今のうちに戻っては如何か」
 先ほどの藩兵が入ってきて、かまどの始末を始めた。
「それは私が」
 平吉は務めを優先するよう頼み、火災はどうなったか尋ねた。
「夜明けにな鎮火したとか」
「磯の製造所も、反射炉と溶鉱炉の外は焼きつくされたごとだ」
「鋳造所も」
「全焼らしか」
 皆が去った後、雨戸を元に戻し、かまどの灰を整えた。草鞋を脱ぎ、火の用心のため、家の中を見て回る。その間も鋳造所全焼を想い、涙が止まらなかった。
 昨年、一蔵様は帰藩して以来、鋳造所の建設に忙殺されていた。敵を迎え撃つには砲台の完備は必定。そのためには先立つものがなくてはと。鋳造の許可が幕府から下りたのだと、珍しく饒舌だった。 
 側役になってからの一蔵様は、多忙な訳を話せる範囲で平吉によく語るようになった。多分、老いてきた嘉介に代わって、平吉が中心になって働いているからであろう。平吉が納得して働くことが、家族や嘉介のためにもなると気遣ってのことに違いない。だから鋳造所が藩にとってどれだけ重要かも、平吉は解かっていた。
 いずれ戦は終わるだろうが、藩にとっての損害は計り知れない。復興を急がねば、いつまた異国との戦いが・・。平吉には気の遠くなるような事柄だ。
 門口を出た平吉は、振り返ることなく、甲突川沿いの道を西田橋の方角へと急いだ。








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12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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