認識によって変わる体験について | |
[つぶやき] | |
2013年8月3日 23時50分の記事 | |
今日読んだセスの本の一節で印象的だったのは、自分自身の思いを変えると体験が変わるというフレーズです。 よくセスは、現実は自分が作り出しているという言い方をします。 セスのこの言い方は、我々が考えている以上に深い意味があるようなのですが、それはともかく、自分自身の信念や思いを変えると同じ事をしてもその感じられ方やとらえ方が変わるというのは、我々でも想像できることです。 つまり、まずはその意味で現実が変わるのです。 例えば、忙しい時やイライラしている時に、セールスの電話なんかが来ると、そっけない態度をとりたくなるものです。 ところが、何かすごく嬉しいことがあった後であれば、たとえうっとうしい相手でも(笑)、丁重にお断りしたりすることがあります。 つまり、我々の内面が、現実世界での体験を実際に変えていくわけですね。
もちろん、これを超えたいわゆる「引き寄せの法則」的なこともあったりします。 現実世界では、思考が現実化するまでにタイムラグがありますから、いつのどの時点の思考が現実化したのかわかりにくいことがあります。 しかし、最近では思考が現実化するスピードも上がってきていますから、種をまけば、それが現実世界での出来事として表れやすくなっているのも事実です。 そういった意味では、起こり得る出来事はすべて、自分自身が「引き寄せた」ともとらえることができます。 しかし、反面、そこに固有の意味はないとバシャールは言います。 現実世界で起きる出来事に意味が生じるのは、自分自身の中でそれに意味づけをしたからであるというのです。 例えば、最近こんなことがありました。 1週間くらい前でしたが、ちょっとしたハプニングに見舞われたことがありました。 停車中に、他の車にぶつけられたのです。 幸い、怪我はなかったのですが、過失割合で今保険会社と交渉中です。 これもいわば「引き寄せた」とみることができますが、これ自体に意味はないと考えます。 しかし、「いや〜ついてないな〜」と意味づけをした瞬間、ついてないという事実が現実化し始めます。 逆に、「いや〜怪我がなくて大事に至らずに済んでラッキー♪」という意味づけをすれば、大事に至らずに済んでラッキーだという事実が現実化し始めます。 私はどういう反応をしたかというと、「まあ、いいか。」という意味づけをしました(笑)。 自分でも縁石とかにぶつけてるし、多少へこんだけど、まだ走るし、みたいな(笑)。 それがたまたま他人にぶつけられたというだけにすぎません。 こういったことを公開するのも、私がまだ現実創造プロセスを学んでいる最中だということを自覚しているからであり、より思念の現実化のプロセスの理解を深めたいと考えているからです。 何事も体験ですからね。 そういった意味では、私は「体験をしに」現実世界にやってきたと考えているところがあります。 「悟り」とかを求めてきたのではなく。 ですから、様々なことを体験して味わいたい、そのように考えているところです。 その「体験」とは、我々の認識によって変わりうるという今日の話でした。 皆様、応援の方、よろしくお願いします ↓ポチッとお願いします(^0^)/) Some rights reserved by pfly 最終編集日時:2014年7月31日 18時29分 | |
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