主体的に生きる上で重要な自分自身の「感情」という羅針盤 | |
2013年10月10日 8時51分の記事 | |
今に生きることは、自分の人生に主体的に生きることでもあると思います。 日々、勉強や仕事や育児などで様々なやるべきことがある中、その対象に埋没している自分がいます。 その中で、自分の方向性をしる重要な手がかりとなるのが、自分自身のもつ感情です。 我々は、与えられた環境の中であらゆる方向性に進むことが出来ますが、方向性というのは、常に意識的にわかるものではなく、我々の感情を通して間接的に知ることが出来ます。 キーワードは、「それが自分にとって心地よいかどうか」だと思います。 もちろん、日々の生活の中で、ストレートに心地よいと感じられることは少ないかもしれません。 仕事にしろ、勉強にしろ、家事にしろ・・・ でもそれは、自分が直面している現実に対して自分がどういう心境で対処していくのかという自分自身の心の置き方によって対処することができるものであって、今ここで言いたいのは、それとは別の視点からです。 つまり、自分が置かれた環境に対して、自分自身の心の置き方で感じられてきた現実に対して、自分の心がどう「感じているのか」という、感情によるシグナルです。
できるだけ単純化してお話したいと思います。 例えば私の例で言いますと、私が北海道から山口に来たのは、職場環境におけるパワハラが主な原因で離職したことにありました。 なので、知人のつてをたどっていきなり山口に出てきました。 職種も、私は基本、塾関係の仕事をしてきましたが、山口は田舎ですから、職種を限定することもできず(生きていくためにすぐに仕事を始める必要がありましたから)、私がついたのは全く別の職種でした。 ですが、そこでもまたひどいパワハラにあったのです。 当然、私は生きるために仕事をしてましたから、どんな状況であってもポジティブに対応していこうとしていました。 でも、当然、私の感情は、「その方向性ではありませんよ」と告げてきます。 時間がたてば、状況が変わる可能性もあったのかもしれません。 しかし、私は自分自身の感情に素直に従いました。 自分なりに出来る限りのことをした後、その仕事を辞めたのです。 おそらく2か月ぐらいだったんじゃないかなと思います。 その後は、徐々に状況が好転していき、知らないうちに仕事が軌道に乗るようになり、数か月で状況が好転したというのは、以前にも申し上げた通りです。 もちろん、ポジティブな心境を保ち続けたことが功を奏した可能性は高いんですが、もっと事情は複雑なんだと思います。 ただ、もっとも有効だったと今になって思うのは、不要な葛藤の手放しと、感謝想起、アファメーションです。 不要な葛藤の手放しが進みだすと、強烈なお試しの状況が現実世界でやってくることがあります。 私の場合は、前職と前々職でのパワハラです。 ですが、その間も、徐々に不要な葛藤の手放しと感謝想起、アファメーションによる方向性は進行していて、それがかなり進んだ頃、例えば私でいうと北海道から山口に進んできた直後でも、思考の現実化にはタイムスパンがありますから、以前の心境に応じて作り出された現実が内面の進行とは別に目の前に現れてくることがあります。 私の場合、それは、前職の教育関係以外の仕事です。 でも、それにも翻弄されずに、自分にとっての不要な葛藤の手放しと、感謝想起、アファメーションを続けていると、やがてそれが現実化しだす時がきます。 私の場合、それが今です。 でも、思うに、いろんな目まぐるしい状況がありましたが、常に有効に作用していたのは、その時の自分自身の感情です。 その状況に直面している時に感じた感情が、自分自身の方向性が自分にとって合っているのか、違っているのかを、いわば冷静に伝えてくるからです。 我々は、感情をもった生き物ですから、どんな時でも、感情の動きがあります。 その自分自身の感情の動きを手がかりにして日々の生活をしていくと、徐々にどのようにして現実創造プロセスが起きているのかがわかってきます。 そうなると、無意識のうちに、自分にとって好ましい状況が目の前に現れてくるようになるのです。 そういうわけで、今日は感情の動きを大切にしたい、そういうお話でした。 それは、自分自身を偽らない、自分主導で自分らしく生きていきたいということにもつながっていきます。 ポジティブか、ネガティブかと言われれば、もちろんポジティブな生き方です。 でも、自分がしたことで人が傷ついたらどうするのか? いえ、それはあなたのしたことでその人が傷ついたのではないんだと思います。 傷つくことを恐れるというのは、結局のところ、自分自身が傷つくのを恐れているだけです。 つまり、ある意味、余計なものなんですね。 それに気づいたら、自分自身の進みたい方向性に気づいたら、余計なものは背負い込まずに、余計な心配はせずに、ただそれに向けての一歩を踏み出すだけです。 人生がある意味、壮大なゲームなんだとしたら、自分自身の真の進むべき方向性に気づいたら、まずはそのための第一歩を踏み出していくことなんだろうと思います。 それがあなたにとって何であれ。 その時に重要な働きをするのが、「感情」という羅針盤です。 感情を封じ込めずに、感情の動きを冷静に見つめてみてください。 その感情がどこからきているのか、探ってみてください。 そして、不要だなと思われる観念が見つかったら、手放すようにしてみてください。 それが今に生きること、自分の人生に主体的に生きることではないかなと思います。 Some rights reserved by TANAKA Juuyoh (田中十洋) | |
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