さもありなん | |
[ヘミシンク] | |
2014年1月22日 1時44分の記事 | |
今回は、「さもありなん」について書きたいと思います。 さもありなん、つまり、そういうこともあるだろう、もっともだ、とかいう意味の言葉ですよね。 もちろん、私が書くんですから、スピ系の話です(笑)
みなさん、現実世界を生きていて、気になったことはないですか? なぜ現実世界はリアルに感じるんだろうと。 はい、気になりませんね(笑) 気になったとしましょう! 学生時代とかに、物は原子でできていて、原子核の周りを電子が飛び回っているという話を聞いたことがあるかと思います。 原子核をソフトボールぐらいの大きさだと仮定すると、電子はその1.5kmも先を回っている。そのくらいの間隔があるというのです。 つまり、実際には隙間だらけなのに、物には質感があるし、固いし、リアルに見えます。 なぜでしょう? この点、いわゆるスピ系、特にバシャールなんかは、振動数で説明しますよね。 物には固有の振動数があって、我々人間も、動植物も、その他ありとあらゆるものは、互いに振動数がマッチしているために、リアルに感じられるのだと。 現代科学でそのように説明されるかどうかはわかりませんけれども、私の中ではある意味常識となっている出来事です。 物には固有の振動数があり、我々は今、三次元世界にぴたっとフォーカスしているがために、そこにあるものがリアルに見えていますし、触れますし、感じられます。 もしそうだとするならば、なぜ我々は、異なる振動数の人や物、たとえば非物質界にいる人や物に触れられない、感じられないからと言って、悩むのでしょうか? 我々は、自分の体が原子核と電子で出来ていて隙間だらけなのに、そのことで悩んだりしませんよね? なぜ手は本当は隙間だらけなのに、物体を通り抜けられないんだろう?!とかですね(笑) 我々の物の見方、捉え方というのは、非常に画一化され、固定されていて、普遍的なものがそこにあるフリをし続けているのが真相だと私は考えています。 同様に、本来、振動数の異なるものは、触れられない、感じられないのが当たり前です。 なのに、我々は、現実世界と同じようにリアルで、堅固で、明確にくっきりと体験できない限り、自分の非物質的体験は妄想だ、嘘に決まっていると決めつけてしまう。 振動数が違うものがリアルに感じられないのは、波長の法則からいって当たり前ともいえます。 ですから、現実世界に我々がぴったりと振動数がマッチしている以上、非物質界の人や物を感じたとしても、うっすらとしか知覚できないのが通常ですし、何となくそう感じた程度であっても、ちゃんと体験しているんですね。 なぜそれがわかるかというと、検証作業によって事後的に整合性が取れることがあるからです。 しかも、その整合性は、偶然の一致を超えていたりします。 つまり、我々は、非物質世界のことに関する限り、悩む必要のないところに、悶々と悩んでいるわけです。 まるで、手が本来、原子核と電子で隙間だらけなのに、手がドアを通り抜けたり、壁を通り抜けないのはなぜだろうという悩みと、ある意味似ている気がします。 リアルに感じられなくても、うっすらとしか、なんとなくしかわからなくても、「さもありなん」と思えたら、どんなに楽になるか。また、その先に進むことができるだろうか。そのことをお話したくて、今日のこのトピックを選びました。 ぶっちゃけ、私の普段のリーディングは、「さもありなん」から成り立っているといっても過言ではありません(笑)。 うっすらとしか感じられない。それもありでしょ、さもありなん、みたいな具合にです。 「さもありなん」、おすすめいたします(笑) Some rights reserved by DaveOnFlickr | |
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