人間関係に現れる現実創造プロセスの一端 | |
[つぶやき] | |
2014年2月21日 11時52分の記事 | |
現代人は、自分が好ましくないことや、嫌なことでも我慢して続けられるという能力を持っています。 これは、たとえばバシャールといった多次元的存在から見ると相当に奇妙に映るようです。 なぜワクワクもしないことをそんなに続けているのか?と。 ところが、我々はそんな意識は全くないわけです。 仕事だから、勉強だから、とか。 あるいは、家族のためだから、友人のためだからとか。 社会全体がそういう仕組みになっているものですから、否が応でもその歯車の一つにされてしまいます。
でも。。。 たとえそんな社会でも、思いが現実を作っているという側面は確かに存在しています。 嫌なら、それをやめたらいいだけです。 突き詰めると、ですよ。 たとえば、仕事でも、勉強でも、なんでもそうです。 ところが我々は、「いや、そんなことをしたら家族が困る」とか、「いや、それではいい学校に入れなくなると叱られる」とか、何かのせいにすぐしようとします。 でも、よく考えてみると、何かのせいにできることなんて、ないんですよね。 全部、自分のせいです。つまるところ。 学校の先生が悪いわけでもなく、上司が悪いわけでもなく、夫や妻が悪いわけでもなく、両親が悪いわけでもなく。 現実というのは、自分自身の選択によって生まれているということを認識しない限り、時を変え、場所・状況を変えて、何度も同じことを繰り返していきます。 そうかといって、自己否定に走る必要はありません。 自己否定に走るのは、そのように社会によって仕向けられているという側面が実はあります。 つまり、現代社会のレールの上にのって、バシャールのワクワクしなさいを実践しようとしても、無理なわけです。 ワクワクしているつもりが、自己否定に走るからです。 まずは、自分が当たり前だと思っている信念からちょっとだけ離れてみましょう。 そうすると、今までとは違ったものの見方や考え方ができるようになります。 気持ちの上だけでも、人生のレールの上から外れてみるんです。 人間は、本当は制限なんてないのに、制限を自分自身で作り出してしまって、あれが悪いこれが悪いと自分以外の何かのせいにしたり、逆に自己否定に走ってしまったりする場合があります。 そうではなくて、まずは自分は自由なんだということに気付くことが必要な時があります。 そのうえで、自分の反応が感情となって外的世界に投影され、それが人との触れ合い中で現実化して現れてきている側面があるということを知ります。 そうすると、昨日とは同じ状況でも、自分の内面が変わることで全く違った人間関係に思えることがあります。 それが、「思いが現実化する」の具体例です。 なぜ自分は不幸なんだ。それは自分の日ごろの行いや考え方が悪いせいだ。 などと、自己否定に走る必要はないわけです。 逆にそういったネガティブな思いは、そのネガティブな思い通りの現実を人間関係で作り出していきます。 現実創造プロセスの最も顕著な例は、人間関係において現れるというお話です。 Some rights reserved by Auckland Photo News Rodger McCutcheon | |
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