The UNKNOWN REALITY(知られざる現実)セッション727より | |
2014年3月2日 13時31分の記事 | |
セスの翻訳を公開する意図は、セスの話に先見性があり非常に優れているので、多くの人に知ってもらいたいからです。 セス曰く、セスが話していることは、我々人間がかつて誰でも知っていたことだと言います。 しかし、それをいろんな事情から忘れてしまっているがために、「語り手」と呼ばれる存在がその時代時代に出現して、そのことを思い出させようとしてきたのだと言います。 セスも、その語り手の一人です。
セッション727 1975年1月6日 月曜日 P.M.9:11 こんばんは。 (こんばんは、セス。) 次の第6章のタイトルは次のようにします。:「輪廻転生とカウンターパート。意識のモザイクを通して見える『過去』」です。 あなたがたの言い方では、土地は年月を経て変化します。山や島が現れ、その後消えていき、新たな形で再び出現します。 海もまたそのように生じ、いくつかの場合には、海底が地上で表面になり、再び海によって覆われます。 しかし、これらすべての変化を通してみても、地球はその景観を保持したままであり、いかなるときにおいても、そのような土地の特徴というのはあなたがたの目的のために十分信頼できるものであり、恒久的なものです。 そういうわけで、私が最後のセッションで述べた島が海の下から生じてくるわけです。 たとえそれらの島についての対話が起こったとしても、島それ自体は変わっている最中だったのです。 いくらか同じやりかたでもって、精神は自分自身のカウンターパート(分身)を送り出し、それぞれが異なった特徴あるいは性格を持っています。 地球の物理的特徴が、その惑星の表面について一定の与えられたやり方で現れるように、地球に焦点を合わせた精神の特質もそのように生じます。 すべての物質的な物事は、いかなる特定の時間、あるいは時代にもつながっているので、それぞれの個々人の意識もまた、すべての他の人々の意識につながっています。 このことは、あなたがたがその言葉を理解するにつれてすべての意識に対して当てはまります。 あなた方が考えるように、山は基礎、土台として成り立つ多くの岩の層から成り立っています。 山頂はあなたにとっての現在を表していて、下にある岩の層は過去を表わしています。 しかし、山それ自体は、構成されているように見えるそれらの岩の層のどれでもありません。 山とそれらの層との間には結びつきがありますが、「山」という言い方は、あなた方が採用してきたものです。 もちろん、より大きな言い方では、山とそのすべての構成要素は、同時に存在しています。 岩の構造についての様々なレベルを調べることができます。 地質学者は、時期について、ある堆積物がいつ形成されたのかがわかります。 岩それ自体は、地質学者の現在の時間にまだ存在しています。 さもなくば、彼らはそのような調査をすることができないでしょう。 山は、そのような「基礎」なしでは山ではなくなってしまうでしょう。 しかし、繰り返しますが、山は、それらの岩のどの層でもないのです。 さて。いくぶんかこれと同じようにして、あなた方が知っている自分は山であり、そしてそれを形成している岩の層は、過去の人生なのです。 あなたがたは、過去の自分のどれでもありません。 たとえそれらがあなたの人生の一部分であったとしても。 それら(過去の自分)はそれ自体、独自の空間と時間の中にあります。 ちょうど岩の層は山と同時に存在しているように、それらはあなた自身の人生と同時に存在しているのです。 しかし、あなたが現在存在しているということは、他のレベルの自分と密接に関係しています。 ところで、山の頂上で起きることは、その下で続くすべてのことに影響を与え、絶えず起きる交流があります。 谷と、山のふもと、そして山の頂上において、身体的な状況はかなり異なっているかもしれません。 気候や植生はかなり異なっているかもしれませんが、その地域内のすべての生活・人生と植生は相互に関連し合っています。 それぞれの生活・人生の層が、その山を構成しているのです。 (「あなたが使いたい「生活(人生」という単語は、はそこで使われますか?)これは『知られざる現実』をセスが口頭で述べている間に、私(ロバートバッツ。セスのチャネラーであったジェーン・ロバーツの夫で速記者)がセスをさえぎったごく少ない回数のうちの一つだった。」 ええ。。。山を構成する人生は、同程度に確かなものであり、重要なものです。 そして、それぞれの人生は、独自のレベルで独自の現実に集中しています。 それゆえ、その山のように、あなたがたは、現在という意味における歴史を持ち、それはあなたがたのものであるのですが、他方でそれはあなたがたのものではないのです。 それ(それぞれの人生)は、あなたがたをコントロールしません。 というのも、ちょうど山の頂上でそれぞれの動きがその土台に影響を与えるごとく、それぞれの思考と行動でもってあなたがたはその歴史を変えるからです。 しかしながら、下にある層もまた同様に、絶えず変化し続けているために、その全体の領域は、関係性というゲシュタルト(単なる要素の集合ではない統一的な全体構造)であるのです。 (訳者注:つまり、人間というのは、今自分であると感じている自分以外にも、いわば山の下に無数の変化し続ける自分がいて、全体として山というより大きな「自分」を構成しているのですが、「自分」はその山の下にある、無数の変化し続ける自分の単なる集合ではなく、その総和以上の存在であるということです。) 物理的な世界では、島や、谷、台地、大陸、そして海といったすべては、それらの場所というものを持ち、現実の物質的な基礎を形成するのに役立っています。 草の一枚一枚の葉は、地球の生命を形成するのに貢献しています。 それゆえ、それぞれの意識は、たとえそれがどんなに小さいものであっても、場所と時間において欠かすことのできないものなのです。 山腹にあるそれぞれの花は、独自のユニークな世界の視点で外の景色を見ています。 それぞれの意識は全く同様のことをしていて、他のどの意識も果たすことのできない地位にあるのです。 時間に関してだけ言えば、あなたがたの自然の中に隠された考古学的な意味があります。 それを発見するために、あなたがたは、自分自身の存在というレベルを通してそれを「見下ろしている」のであって、そこでは、あなたがたの世界では自分自身の過去の歴史を表わす自我の層を見出し、そこからあなたがたが現れたのです。 しかしながら、あなたがたが物質的な意味であなたがたのお母さんやお父さんではないのと同様に、あなたがたが精神的な意味でそれらの自分ではないのです。 あなたがたはそれゆえ、あなたがたが特定のバックグラウンドや性格を両親と共有しているがあなたがたの両親とは異なっているのと同様に、それらの輪廻している自分とは異なるのです。 あなたがたの人生で、両親はあなたがたよりも年上ですが、あなたがたがどれくらい自分たちの両親に影響を与えているかを見るのはたやすいことです。 しかしながら、全く同じようにして、あなたがたは自分自身の輪廻する家族に影響を与えているのです。 雨が降れば、水はものすごい勢いで山の側面を流れ落ち、そのすべての部分に対して命と生命力をもたらします。 いくぶんこれと同じやり方でもって、あなた自身の経験は、今のあなたの生涯を構成している他の時間や世紀という裂け目に流れ落ち、入り込んでいます。 ただ、あなたにとって驚くべきことだとは思いますが、私はあなたについて、あなたが我々の山の頂上としてずっと話してきました。 というのも、きっとあなたにとっては、いわばご自身が山の頂上であると思われているのでしょうから。 しかし、あなたの視点や焦点がそのようであるがために、あなたがたはより高いところを見上げることができないでいるのです。 おそらくあなたは、山の側面にある、よく日の当たる丘のようなものであって、突出していて、谷の下を見下ろしているのですが、自分の上に山の続きがあるとは気付いていないのです。 その時、あなたは、「下」にある他のどのレベルの地位にもいて、多くの地位もまた同様に、自分自身を山の頂上であるとみなし、下しかみていないのです。 あなたがたは、自分たちの未来を見ることができないと確信しています。 少なくとも我々の推測では、これが意味するのは、あなたがたが自分自身の時間を超えて上を見ることができないということなんだろうと思います。 これが真実である間は、あなた方は常に、輪廻転生を過去に起きたものであるとみなします。 そうではなくて、それらの(輪廻の)層それぞれが同時に起きていると考えてみてください。 物質的、身体的に、人間の胎児はその「過去の」記憶を持ちます。 あなたがたの意味合いでは、それは人間の形態を獲得する前に進化の段階を通じた旅をしているということになります。 しかしながら、それは未来の時間、つまりまだ物質的には作られていない未来の自分に対応しているために、その形態を(実際に)獲得します。 そして、胎児それ自体は、認識する以前に、いまだ物質的には明らかでない自己に反応します。 他方で、ここでいうところの未来は、過去から新しい人生を引き出します。 自我の現実とは、形成されていない未来の中にある、いまだ現実化されていない観念なのですが、過去に到達し、その未来を現実化させます。 細胞は、空間と時間に関する身体的・物質的情報が刻み込まれているのですが、それらのデータは(逆に)空間と時間が、形成される現実からやってきたのです。 蓋然性について知ることで、現在の時間と現実がもたらされます。 あなたがたが現在作られたものだと呼ぶバランスの中で、未来を過去と結びつけている遺伝子と染色体を通じて、声は話されます。 個人的な精神と、種全体の大きな経験の歴史は、繰り返しになりますが、それぞれの個人の中にあります。 過去とその未来についての考古学もまた同様に、あなたの存在を構成している意識の層の中で生きています。 多くの点で、あなたがたの言語それ自体は、あなたがたが理解できない歴史を持っています。 その過去は、時間に関係する言葉の中に組み込まれているのは明らかです。 あなたがたが話し言葉を話すとき、あなたがたは、長い年月を通じて、その変化の歴史を知らないかもしれませんが、あなたがたはそれを完璧に話します。 それがなんであれ、あなたがたの言語の現在の状態は、いつの日か、古風なものとなることにほとんど気づいていません。 繰り返しますが、どんな言い方であろうと、あなたがたは、あなたがた自身を山の頂上であるとみなします。 あなたがたの意味合いでは、言語は心・精神のある種の発達を前提としていて、言語について考えるとき、あなたがたはこの二つを結びつけるのです。 言葉や、あるいはあなたがたが理解できるような思考とは何の関係もない言語があります。 しかし、これらのいくつかは、(言語よりも)はるかにより正確なやり方で情報伝達をします。 たとえば、細胞の(情報)伝達は、どの話し言葉よりも、実際ずっと正確であり、データのやり取りをとても緻密にするので、あなたがたの言語はみな、そのような複雑さに適合するにはるかに及ばないでしょう。 この種の情報伝達は、千のアルファベットでもって翻訳することの出来ないほどの情報を伝達します。 そのようなわけで、体の一部分は他のすべての部分で(それぞれが)生きていることを知っていて、(他方で)体は全体として、この惑星の表面上におけるその正確な地位を知っているのです。 それは、最小の共通要素に対しても、その周りにある他のすべての生命形態に生物学的に気づいているのです。 このことは、過去だけでなく未来にも当てはまります。 たとえば、体それ自体は、水や食べ物がどこから来ているのか知っています。 惑星の生命と惑星の中におけるそれらの地位を調べてみると、あなたがたの科学技術から離れている原住民は、とてもうまく働きに気付いていますし、それは動物達もまた一緒です。 一本の木も、新たな種子を成長させていくときに、物事が起こりうる蓋然性という性質を扱います。 その内部では、(確率的な)演算が絶えず続いていて、記号や母音とは無縁の、ある種の内なる言語が、そのコミュニケーションには含まれています。 その木は、あなた方の言い方でいうところの、その木の現在と未来を知っていますが、あらかじめ運命づけられていない未来というものを理解しています。 木は、その未来を作り上げていくにつれて、それ自身のもつ現在のパワーを感じています。 より深い言い方をすれば、その木の種子もまた、そこに未来、つまり種子たちが探し求める様々な未来があるということに気付いているのです。 胎児もまた、起こりうる様々な未来から、刺激、つまり胎児が選んだ刺激に反応しうるのです。 ですから、あなたがたもまた、ある程度は、前方(未来)へあなたがたを導く、起こりうる蓋然的未来を無意識のうちに求めているのです。 あなた方が、自分の未来を選んでいます。 しかし、あなたがたはまた、自分の過去も同様に選んでいます。 これについては私が言えることはそんなに多くはありません。 というのも、私が用いている言語が、言語自体の中で時間を絶対とみなしているからです。 しかしながらこの本は、ゆっくりとですが、もしそれに従えば、内なる言語が始まるようにできています。 これはその中で、先入観を持った考えを壊したり、時間の絶対性から解き放たれるようになっているからです。 この節で与えられるいくつかのエクササイズは、その目的を加速させるでしょう。 「古い」岩の層を調査している考古学者や地質学者は、死んだ化石を発見するでしょう。ちょうどそれは、あなた方の視点から見て、あなたがたが自分自身の精神を通して「下方を」覗いてみたときに、「死んだ」過去の人生を発見するようなものです。 あなたがたは、(生を)終了した輪廻する存在を見ているように思えるでしょう。 ちょうどそれは、現在から見て、地質学者が岩に埋もれた生命のない化石だけを発見するようなものです。 しかしながら、それらの化石は、まだ生きているのです。 地質学者は単に、その生きている領域から離れているだけです。 ですから、輪廻する人生はいまだに起こっていますが、それらはあなたがたの存在の一部分なのです。 それらは、あなたがたではありませんし、あなたがたは自分自身の輪廻する過去ではありません。 あなた方がそうであるのと同様に、未来の自己もまた、あなたがたを死んでいて生命がないように見ていて、かすかな記憶にすぎないのです。 あなた方の視点から宇宙を見渡す時、まるで過去を覗き込んでいるように思えます。 科学者は、遠くにあるどの銀河からの光があなたがたに届いたときも、その銀河はすでに死んでいると言います。 同様にして、あなたがたが精神の中の「後ろ」を覗き見るとき、はっきりとは見えないかもしれない人生、つまり過去世は、(あなたがたの認識では)すでに消えているのです。 なぜあなた方の科学者の道具では、過去をそんなにもうまく見つけることができるにもかかわらず、未来つまりまだ生まれていない世界を覗き見ることができないのでしょうか? そしてなぜ、あなたがたの輪廻転生についての考えでは、未来世についてほとんど語られることはないのでしょうか? (訳者注:私(imimi)の中では、過去世も未来世も普通に存在しうるのですが、たとえばモンロー研のI/Thereの中には過去世のみしか含めず未来世は含めないと考えられているみたいです。 ですから、一部の人は、輪廻している自分とは過去世の自分であって未来世の自分ではないと考えているものと思われます。) その答えは、あなたがたの言語に制限があるからです。 あなたがたの言語による制約は、です。 他方で、あなたがたの生物学的なコミュニケーション(言語)は、起こりうる蓋然性の迷宮の中に維持されています。 (口述終わり) Some rights reserved by llee_wu | |
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