過去世とは、あるようでないもの | |
2014年4月3日 1時27分の記事 | |
我々の人生は、たとえるならば影(かげ)のようなものです。 影は、ある時には確かに存在し、別の時には存在しません。 日の当たり方によって形・姿が異なってきますし、常にそこにあるとはかぎりません。 あるようでないという点で、我々の転生もこれと似たようなところがあります。
多次元的に見れば、あらゆるものは相対的にしか把握できません。 ある側面から見た真実しか浮かび上がってこないのです。 それは、我々の認識力ではすべてを見通すことができないということにその一因があります。 我々にとっては確かに存在しているこの現実世界も、いくつかある可能性(蓋然性)のうちの一つの現実にほかなりません。 似たような現象は、我々の三次元世界においては、素粒子の振る舞いに表れてきます。 素粒子というのは、その素粒子が存在している位置を我々は特定することはできず、その存在領域を確率的にしか把握できません。 我々の常識のように、コップがテーブルの上にある、とは言えないのです。 別の言い方をすると、素粒子は、複数の場所に同時に存在することができます。 例えばAという地点とBという地点の同時に存在しえます。 それが、我々が「観測した瞬間」に、たとえばA地点にあると決まるわけです。 つまり、観察者の視点によって実際に変化するのが素粒子の一側面だということになります。 これは、多次元的にみた過去世・未来世とかなり類似していると個人的には思います。 過去世も、今の我々からみてつながりの強い過去世というのがいくつかあると思うんですが、それは普遍的なものではなくて、つながりの強い過去世というのは変化しうると私は考えています。 Some rights reserved by costa-rica-beauty | |
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